第22話:異端審問と物証
「被告人を、断罪台へ」
地の底から響くような声と共に、教会騎士たちによって、王都魔導学園の地下にある円形法廷へと転がされた。人として運ぶ最低限の労力を惜しみ、荷物と同じように床を引きずる。人権という保護資材は、運搬費削減のため最初から梱包されていない。
法廷中央には火炙り用の鉄柱。その周囲を審問席が取り囲み、天井からは黒と白の皿を備えた、巨大な天秤が吊り下がっている。
(魔女裁判……?丸焼き…?)
傍聴席には、教会関係者、魔導学園の教授、身なりだけは立派な貴族たちが詰めかけていた。これから一人の変態が社会的かつ物理的に焼却処分される光景を、善良な市民顔で楽しみにしている。他人の不幸は娯楽だが、自分は残酷ではないと思いたい。故に「裁判」という立派な名前をつけ、集団で見物するのだ。公開処刑にコンプライアンス研修を組み合わせた、極めて文化的なレジャー施設である。
全員が俺を「美少女の使用済みタイツを崇拝する邪教徒」の目で見ている。それについては概ね事実である。
「ご静粛に」
慇懃な声と、硬質な靴音が法廷へ響いた。現れたのは、銀色の長い髪を背中へ流した、一人の女性。白を基調とした法衣に、無駄なく引き締まった腰。切れ長の瞳には、被告人を同じ人類として認識する意思が一片もない。そして法衣の裾から覗く、膝下まで隙間なく覆った白い儀礼用ロングブーツ。
(これもまた一興……っ!)
恐怖で縮み上がっていた俺の魂といちもつが、彼女の白の光沢だけで現世へ戻ってくる。歩くたびに折れ曲がる足首、締め付けられたふくらはぎ、長時間の審問によって蓄積されたであろう熱と湿気。信仰という名の密閉素材に包まれた、職務疲労と代謝の聖域。
火刑にされる直前でなければ、床を這ってでも観察したい一品である。どうせ床を這わされるのなら、せめてあの足元まで到達させてほしい。オタクの切なる願い、変態に最後の晩餐を。
「異端審問官セラフィナの名において、これより審理を開始いたします」
セラフィナが壇上へ立った瞬間、半透明の文字が俺の視界に浮かび上がった。
〖警告:法廷内に『聖句固定結界』が展開されています〗
〖固有スキル『全肯定・足ケア』による意味補正が制限されます〗
〖法廷内では、あなたの発言がほぼ原文のまま伝達されます〗
今までクソ長キモオタオジ構文を、慈愛に満ちた説法へ加工してくれていた自動翻訳機能が停止した。加工が外れたインフルエンサーのように狼狽えた。
今の俺はただの足臭愛好家である。これまで聖者として成立していたのは、中身が立派だったからではない。翻訳精度が異常に高かっただけなのだ。最新技術が一つ停止すれば、人類など簡単に猿へ戻る。
「あの……すみません。弁護人、みたいな方は……?」
「ご安心ください。異端審問に弁護人は必要ありません」
セラフィナは慈愛に満ちた微笑を浮かべた。
「正しき者であれば神が弁護なさいます。神が沈黙なさるのであれば、その者は異端であるという何よりの証明になりますので」
「あっ、はい……。よくできた仕組みですね……」
神が弁護すれば無罪、弁護しなければ有罪。公選弁護人制度どころか、推定無罪の概念まで予算削減されている。しかも神への問い合わせ窓口も存在しない。退会ボタンがないピンクサイトや、解約まで無数のページを移動するサブスクリプションのようだ。
セラフィナが分厚い羊皮紙を広げた。
「被告人は、許可なく女性たちの足へ接触し、靴、靴下、タイツ及び、その内部に蓄積された臭気を『生命の香水』と称して崇拝。さらに足への接触を媒介として、正規の教会を介さない魔力回復を行い、王都内に誤った教義を広めた疑いがあります」
羊皮紙が壇上から落ち、死へのレッドカーペットのように、足元まで転がってくる。そこには、これまで救済してきた者たちの名前が並んでいた。こればかりは異世界ではない、現実の罪状と同義なのだ。
村娘マルタ。酒場勤務のアリア。王都中央役所受付係。地下牢の女盗賊。修道女エレーナ。女騎士カレン。そして、魔導学園首席ルミナ。
(俺の救世主としての実績が、完全に連続変態事件の被害者名簿へ変換されてる……!)
「違います! 私は被害者なんかじゃありません!」
傍聴席のマルタが立ち上がるが、騎士たちに両肩を押さえられた。
「証人は許可なく発言しないように」
「でも、救世主様は私の足を――」
「あっ、その……できれば、本人の話も聞いてあげた方が……」
「被告人は発言を慎みなさい」
「……はい」
国家権力に少し強めの声を出されただけで、俺の口は即座に行政指導へ従った。ネット上では表現の自由を声高に叫ぶくせに、現実の窓口では「はい」と「すみません」しか言えない。模範的な日本のサラリーマンである。
六人の評定官が、順番に黒い鉄球を天秤の皿へ投げ入れた。合計六個。天秤は一気に「有罪」の側へ傾いた。
「予備評決、全員一致で有罪」
「あ、あの……まだ、本人確認すらされてないんですけど……」
「ご安心ください。判決の前に、形式上の審理は最後まで行われます」
有罪に決めた後から、裁判のロールプレイをするらしい。素晴らしく変態的なプレイだ。処刑される側にも、司法制度への参加を無料で提供してくれる。
俺は法廷ゲームの無料体験版と、動画の切り抜きを少し見た程度の法知識しか持っていない。それでも分かる。これは裁判ではない。行政用アリバイ作りである。
「最初の証拠品を」
セラフィナが指を鳴らすと、騎士が透明な結晶箱を運んできた。中に収められていたのは、ルミナが一日中履いていた、あの黒タイツだった。
「そ、それ……っ」
思わず断罪台から身を乗り出す。結晶箱の中に密封された、エリート魔導少女の知的労働と代謝の残り香。被告人の人権は床の上を引きずったくせに、黒タイツの品質管理だけは完璧である。
「被告人、あなたは禁断魔術により、ルミナにこのタイツを脱がせ、鼻と口を覆って吸引した。間違いありませんね。『はい』か『いいえ』でお答えください」
はいと答えれば、邪教の儀式を認めて有罪。いいえと答えれば、現場を押さえられているので偽証罪。黙秘すれば、神の意向により有罪。選択肢が三つあるように見えて、すべて火刑へ直通している。俺は結晶箱の中の黒タイツを凝視した。その腰部分に、銀色の小さな刺繍が見える。
「あの……すみません」
「何でしょう」
「その質問、二つの話が入ってませんか……?」
セラフィナは怪訝そうに目線を上げ、法廷が静まり返る。
「『ルミナに無理やり脱がせた』ことと、『俺がタイツを吸った』ことは……その、別ですよね。まとめて答えろと言われると、ちょっと……」
本当は「都合の悪い契約を小さい文字で同意させる、クソみたいな利用規約方式で質問するんじゃねえ」と叫びたい。だが、セラフィナの冷たい目と、背後に並ぶ甲冑男たちを前にすると、俺の反骨精神は節電モードへ移行していた。
セラフィナは法衣を整え、ほんの僅かに動く。
「では、分けて伺いましょう。あなたは、そのタイツを吸いましたか?」
「……はい。そこは、その……かなり真剣に」
「ルミナに、意志に反して脱がせましたか?」
「し、してません。それだけは…本当に」
俺は小さく胸を張った。筋肉のない胸板では貧弱な肋骨を浮き上がらせるだけだった。もちろん吸引について反省はしていない。
「現場を確認した騎士を証言台へ」
呼び出されたのは、俺を研究室から引きずり出した甲冑男だった。
「私が扉を開けた時、被告人は黒タイツに顔を埋めておりました。ルミナ殿は裸足で、頬を赤くして震えていた。室内の魔力測定器も異常な数値を示していた。禁断の精神操作を受けていたことは明白です」
「証言に間違いは?」
「神に誓って」
六つの黒い鉄球が、さらに重みを増したように見えた。セラフィナの涼やかな目が俺を静かに見下ろす。
「被告人には三度だけ、証人へ質問する権利を与えます」
親切そうな言い方をしているが、実質的には三発だけ弾の入った拳銃を渡され、自分の無罪を撃ち抜けなければこちらが撃たれる仕組みだ。俺は必死に甲冑男の証言を反芻した。黒タイツに顔を埋めていた事実。ルミナは裸足で頬を赤くしていた、たぶん事実。魔力測定器が異常な数値を示していた、これも事実。
だが、最後の「精神操作を受けていた」だけは、こいつが勝手に想像しただけだ。厳密な捜査をした結果ではない。そこに身も心も変態の男が佇んでいたから、犯人だと思い、その結論に似合う説明を後付けした。俺だって鏡で自分の顔を見たら、とりあえず職務質問する。
「あの……一つ目なんですけど」
「述べなさい」
「俺が、その、ルミナさんに、タイツを脱げと命令するところを……見ましたか?」
「……見てはいない」
「では、二つ目です。彼女が助けを求める声は、聞きましたか?」
「聞いてはいない。だが、精神を操られていたならば、助けを求められないのは当然だ!」
喋らなければ洗脳。喋っても洗脳。泣けば被害者。笑えば恐怖のあまり正常な判断を失っている。何をしても自説を補強する証拠へ加工できる、陰謀論者の永久機関である。後からやっぱり不同意でしたってオチか。一晩寝たら記憶がアップデートされるらしい。
俺は再び黒タイツを見た。腰部分に縫い込まれた銀色の刺繍。魔導学園首席のために作られた、特別な魔力感応繊維。
「あの、最後に……その黒タイツの『着用者記録』は、確認しましたか?」
「……何のことだ」
「その銀色の刺繍、魔力と着用者の音声を記録する術式らしくて……。見た目が、その……かなり怪しかったから、中身を調べる前に証拠品にしたとか……?」
甲冑男は答えない。おそらく図星なのだろう。捜査で無罪の証拠を見つけてしまえば、せっかく捕まえた変態を釈放するという、余計な仕事が増える。組織人として、実に合理的な判断だ。真実よりも業務効率。冤罪一人で残業が減るなら、費用対効果は抜群である。
セラフィナが険しい顔で書記官を見る。
「記録を再生なさい」
書記官が結晶箱へ魔力を流すと、黒タイツの銀糸が青白く輝き始めた。
〖着用者音声記録を再生します〗
『学園首席の私の足で、どれだけ出力が出るか試してあげる』
『ほら、講義と実技で一日履いていたタイツを使いなさい。……息を吸う許可をあげるわ』
法廷に、ルミナの声が響く。完全なる本人の同意。同意どころか、向こうから積極的に俺を実験台へ誘導している。傍聴席が一斉にどよめき、六つの評決灯のうち、一つが黒から無色へと戻った。俺は誰にも気づかれない程度に、小さく拳を握った。三十路超え魔法使いの伸びた爪が手のひらに食い込んで痛い。こっちだってまだ聖域を守っているのだ、負けていられない。
足フェチ変態の執拗な観察への執念が、法廷で初めて人権を守った。近代司法が何百年もかけて築いた制度を、黒タイツのタグ一枚が追い越してゆく。やりどころのない生物的本能が、理性の結晶である司法に、針の先ほどの風穴をあけた。
「強制による接触の嫌疑は、一時保留といたします」
セラフィナは動揺しなかった。間違いを認めたのではない。保留にしただけだ。
「しかし、本人の同意があったとしても、異端の儀式が正統化されるわけではありません」
「えっ……」
「次の証人を呼びなさい。当事者である、魔導学園首席ルミナを」
法廷の大扉が勢いよく開いた。金髪のツインテールを揺らし、分厚い研究資料を抱えたルミナが、怒りに満ちた足取りで入ってくる。
「被害者、被害者って……さっきから誰のことを言ってるのよ」
ルミナは証言台へ資料を叩きつけ、審問官たちを真っ直ぐ睨み返した。
「これは邪教の儀式なんかじゃない。私が責任者として実施した、正式な魔力励起実験よ」
ルミナは俺を助けに来たのではなく、自分の研究成果について、宗教認定されたことへ腹を立てているだけに見える。
「それと、そこの男が変態なのは事実だから。そこは訂正しなくていいわ」
「あっ……はい……」
無罪証言と人格への死刑宣告が、同時に法廷へ提出された。




