第17話:冷却魔法と設定温度28度
療養所の悲劇の元凶を突き止めるため、マルタと共に酒場併設のギルドを訪れた。あの疾患は普通じゃないとエレーナが言っていたとおり、ギルド掲示板にも同様の被害が挙がっていた。隣国の罠、魔物との接触、国内の公衆衛生の低下、種々の仮説が列挙されている。
雑多な人の動きの中、ギルドの重い扉が開き、一人の女騎士が肩を揺らしながら入ってきた。高く結い上げられた茶髪のポニーテールは首筋に張り付き、端正な顔立ちに汗が流れる、手甲のついた手で胸元を仰いでいる。普段は丁寧で規律正しいであろう彼女が、鎧の隙間から覗く鎖骨を汗で妖しく光らせながら、荒い呼吸を繰り返している様は実にそそる。
だが、俺の意識は彼女の美貌よりも、この部屋を支配する「絶望的な空気」に向いていた。俺は部屋の隅にある、魔力で駆動する『冷却魔法具』を、親の仇かというほどの鋭い眼光で睨みつけた。魔導パネルに表示されている設定温度は【28度】
「……ふざけんなよ。設定温度を28度にしたからって、室温が28度になるわけねえだろ。壁の温度計を見てみろ。29度で湿度が75%じゃねえか。不愉快極まりないんだよ」
これが精霊調律院の意向か?令和の夏を思い出すわ。環境省が「夏の室温は28度以下を推奨します」と発表したのを、盲従するだけのオフィスや商業施設は「エアコンの設定温度を一律28度にする」という、義務教育の敗北レベルの解釈で置き換えやがった。結果、日本中のサラリーマンが「設定28度」の生ぬるい不快な熱帯雨林の中で、汗を流しながら実務を強いられる羽目になった。コンクリートジャングルから帰ってきても、デスクワークの密林が待っている。完全に国語教育の失敗、あるいは日本語の崩壊だ。
ギルドに群がるお姉さま達の乾燥しきった肌に潤いを与えるだけなら、この高い湿度でもいいだろう。だが、見てみなさい。俺の隣にいる若いマルタは、暑さのあまり手で顔を仰いでいるじゃないか。マルタが暑がっているんだぞ。なんという国家的な愚行。救世主である私が、責任を持ってこの部屋の温度を下げなければならない。
思い立ったが吉日、怒りのままに魔法具のパネルを叩き割ろうとしたその時、俺の視線は暑そうに息を吐く女騎士の「足元」へと滑り落ちた。彼女が履いているのは、膝下まで締め上げられた、頑丈で分厚いレザーの編み上げブーツ。炎天下の中、任務をこなして帰ってきたばかりの一級品。古物商もひっくり返っておしゃぶりを吸うほどの代物。
(……待てよ?)
キモオタ脳の演算回路が、一瞬で一つの真理に到達した。室温29度、湿度75%の、このジメジメとした、もわっとする生ぬるい不快な空気。この環境は、実質的に『女騎士が今まさに履いている、汗で限界まで蒸れきった編み上げブーツの内部』と完全に同義なのではないか?
その瞬間、俺を包んでいたはずの不快感が、嘘のように綺麗に引いていった。それどころか、部屋に満ちるあの湿気の独特な香りが、俺の超絶ポジティブなフェチフィルターによって、瞬時に脳内変換されていく。今、俺の全身にまとわりついているこのジメジメとした空気は、不快な天候のせいではない。この茶髪ポニーテールの女騎士が、その肉体を酷使した結果として放たれている、神聖なる『女騎士の蒸気』なのだ。俺は今、彼女のブーツの内で、間接的に全身で呼吸している。
「マルタ……俺は新たな真理に到達したようだ……」
顔を歪めて不敵な笑みを浮かべながら、一歩、また一歩と、怪訝そうな顔でこちらを見る女騎士の方へと近づいていった。




