第二章 嵐
第二章 嵐
僕の凪のように安定した放課後に水滴が落とされたようだ。いや、この状況を水滴で済ませて良いかはいささか審議の余地があるが。今、僕の目の前には太陽の化身が鎮座しているのだ。彼女との出会いは数刻前に遡る。
「あの、すみません」
いつも通り小説を読んでいると、知らない女性の声が聞こえた。僕は耳ではなく、目の感覚を最大にした。
「あの!」
先ほどよりも大きな声で、僕の鼓膜を震わせる。
「わっ」
机の裏にぶつけた膝がひりひりと痛む。何を言えばよいのかわからず
「ど、どうしたのかな?」
などと返答し、頭を抱えるしかなかった。
「急に声をかけてすみません!読んでいる本が気になって…」
「本?」
「はい!その小説です!好きなんですか⁉」
ほのかにお日様のような香りがやってきた。見た目がとても可愛らしく、クラスの男子が見たら騒ぎそうだ。そんな場違いなことを考えていたら、彼女の質問に答えるのを忘れていた。
「好きなんですか!」
その圧に僕は口を滑らせる。
「好きです!」
僕は自分を曲げて嘘を吐いた。本音を気軽に言える人たちとは違う世界の住人だ。
「私もその恋愛小説大好きなんです!でもその小説、身近で読んでいる人が私しかいなくて…それで気になってつい話しかけちゃいました!」
「はは、そうなんですか。」
慣れない会話と、噓をついてしまったという罪悪感が僕を襲う。しかし、彼女はそんな反応にお構いなしに、ずけずけと僕の静寂を崩していく。
「正面座ってもいいですか?一緒に語り合いましょ!」
そう言いながら既に座っている。どうやら僕に拒否権はないらしい。幼い顔立ちだが、綺麗な淡い橙色のネイルを見て、彼女の年齢が掴めなくなった。普段は見ることのないネイルに僕の心は少し乱されていた。
「ここの展開凄い運命を感じて素敵ですよね!」
「そうですね。作者さんは天才って言われてますもんね。」
どう考えてもご都合展開すぎる。作者が楽をしただけだろう。
熱々であった僕のコーヒーは、心とリンクするように冷め、美味しくなくなった。
「こんなに気が合うなんて運命みたいです!話していてすごく楽しいです!」
どうやら、満足してくれたようだ。一時間程度の会話で運命を感じられるのは幸せそうだ。しかし、会話は滞りなく進んでいたのは事実である。水のような柔軟さが僕にはあるのだ。それは長所であると同時に自分がないことの証明だ。しかし、そんなことは見て見ぬふりをする。
「僕もとても楽しい時間でした。」
「良かったらまた一緒に話しましょ!はい、これ!」
そう言って彼女はインスタグラムのQRコードを差し出してきた。どうやら、この程度のハプニングにはもう慣れてしまったらしい。
「どこからQR読み取れますかね?」
「ここからできるよ~」
「ありがとうございます。」
「それじゃ、失礼します。」
僕のように友達のいない人間でも、アカウントの一つくらいはある。誰も見ないはずの僕のインスタグラムに観測者が現れた。まあ、載せるものがないのだが。
「ありがとね!えーと文哉君でいいね!私のことはシオリでいいから!これからよろしくね!」
「はい、よろしくお願いします、シオリさん。」
「シオリさんって~もう呼び捨てでいいのに~」
彼女はニコニコ笑ってそう答えた。太陽のような笑顔だなと思う。しかし、彼女の言ったことには納得できない。あちらは僕のことを君付けで呼ぶくせに、自身のことは呼び捨てにさせようとするのは意味不明だ。この図々しさといい、よくわからない人だ。
「それじゃまたね、文哉君!」
そう言って彼女は帰っていった。嵐のような存在だったが、彼女自身を一言で表すならば太陽の方がしっくりくるだろう。次に会うのはいつになることやら。




