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第88話 嘘の報告は、ソウルを連れてくる

餌場を作る。


 そう言うと、少し聞こえが悪い。


 だが、正確にはそれ以外の言い方がない。


 人間は迷宮へ入る。


 迷宮は人間を喰う。


 喰ったソウルで、迷宮は強くなる。


 強くなった迷宮は、より強い人間を喰う。


 それがロードの生存だ。


 綺麗な理念も、慈悲も、余には要らない。


 攻略されれば、余は存在ごと消える。


 なら、相手が剣を抜く前に、余は床を開く。


「管理音声」


《はい》


「人間側へ流した記録石の断片、確認しろ」


《確認します》


 白い部屋の監視面に、先ほど外へ流した情報が浮かぶ。



【流出済み記録断片】


・白光は一定有効

・入口付近は白磁残滓

・奥の魔物は負傷多数

・虫、糸、白い床に注意

・早期攻略が有効の可能性



「うむ。実に都合がよい」


《かなり悪質な情報操作です》


「褒めるな」


《褒めていません》


「余は褒め言葉として受け取る」


 人間側は、白光を捨てない。


 むしろ強化してくる。


 虫除けを持つ。


 糸焼きの粉を持つ。


 白い床を削る道具を持つ。


 そして、奥の魔物が負傷していると信じて、早めに攻める。


 そこだ。


 早く来る敵は、準備が浅い。


 焦って来る敵は、罠を確認する時間を削る。


「入口付近の白灰床を、あえて半分見えるようにしろ」


《罠を露出しますか》


「違う。罠だと思わせる床を見せる」


《囮床ですね》


「そうだ」


 余は第一層入口を見た。


 白灰床の一部を、わざと白く光らせる。


 人間が見れば、白磁庭園騎士の残滓に見えるだろう。


 そこを削れば安全になると思う。


 実際、削れる。


 削らせる。


 その下に、本命を置く。


「白灰床の下に、湿灰袋を仕込め。削られた瞬間、湿灰が噴くように」


《了解》


「湿灰の中に、骨鳴核片の粉を混ぜろ」


《不安定です》


「不安定でよい。足元で骨が鳴れば、人間の隊列は乱れる」


《了解》


「湿骨兵三体は、入口床下に伏せろ。骨だけ出すな。泥の下で待て」


 湿骨兵たちが、静かに白灰床の下へ沈む。


 ゴブリンどもと違って騒がない。


 実に良い。


「グズは第一関門の奥。見せ札だ。相手が盾を前に出したら割れ」


「ギィ」


「ただし、突っ込みすぎるな」


「ギィ……」


「不満そうな声を出すな。お前は門将だ。門を守れ」


 グズは打撃具を担ぎ、不満そうに鼻を鳴らした。


 進化してもそこはゴブリンである。


「カゲヌイと影縫い大蜘蛛は、白い囮床には近づくな。人間はそこを焼いてくる。本命は削られた後の湿灰の輪郭だ」


 カゲヌイが白縫い針を握る。


 影縫い大蜘蛛が天井に白影糸を薄く張る。


「灰灯喰い蟲は、最初は隠れろ。虫除け香を焚かれたら、香の煙の中に入れ」


《灰灯喰い蟲が損耗する可能性があります》


「煙を食わせるのではない。煙に白灯が当たった瞬間、煙の輪郭を作る」


《白縫い対象にしますか》


「そうだ」


 虫除けは、虫を追うための道具。


 だが煙を出すなら、光で輪郭が生まれる。


 輪郭が生まれれば、縫える。


 敵の対策も、迷宮の素材にする。


 白磁庭園騎士で学んだことだ。


「マネ」


「ギ」


「今日は嘘の声を出す」


「ギィ」


「負傷したグズの声。怯えたゴブリンの声。奥で治療しているような音。人間が“今なら押せる”と思う音だ」


「ギ!」


 マネは嬉しそうに頷いた。


 こいつ、嘘をつく時だけ妙に賢そうに見える。


 いや、実際賢いのかもしれない。


 少なくとも普通のゴブリンよりはずっと役に立つ。


『迷靄洞』


 森糸通信からフィルエの声が入った。


「どうした」


『来たよ。人間。数、多い』


「何人だ」


『十二。後ろに荷車が一台。白い灯りが三つ。盾が四枚。床を削る道具を持ってる』


「予想通りだな」


『一人、変なのがいる。白い布で目を覆ってる』


「目を?」


『たぶん、光に頼らない役。耳で迷宮を見てる感じ』


「斥候の上位か」


 少し嫌な駒がいる。


 白光を罠に使うなら、光を使わない相手は厄介だ。


 だが、耳で見るなら、音で殺せる。


「マネ。追加だ」


「ギ?」


「正しい音と、間違った音を混ぜろ」


「ギィ」


「耳で見る相手には、迷宮そのものを嘘にする」


人間の本隊は、慎重に入ってきた。


 先頭は大盾二枚。


 その後ろに白灯術者が二人。


 中央に記録官と治癒術者。


 左右に斥候。


 後方に槍持ち。


 最後尾には、白い布で目を覆った男。


 耳元に銀の輪を下げている。


 音で空間を測る道具か。


「ここが迷靄洞……」


 先頭の盾兵が呟く。


「記録通り、入口に白い床がある」


 白灯術者が白い灯りを掲げた。


 白灰床が淡く光る。


 人間たちが一斉に警戒した。


 よい。


 見ろ。


 警戒しろ。


 その床は囮だ。


「虫除け香、焚け」


 後方の指揮官らしき男が命じた。


 腰に赤い布を巻いた中年の剣士。


 顔に傷。


 目が冷静だ。


 こいつが隊長か。


「白灯は絞れ。強く照らすな。記録では虫が光に寄る」


「了解」


 いきなり対策してくる。


 当然だ。


 だからこそ、こちらもそれを餌にする。


 香炉から灰色の煙が立ち上る。


 煙が床を這う。


 白灯が絞られたことで、入口は薄暗い。


 だが、煙の縁だけは見える。


「カゲヌイ、まだだ」


 カゲヌイは針を構えたまま動かない。


 人間側の斥候が、削り刃を持って白灰床へ近づいた。


「床を削る。盾、前へ」


 盾兵が二人、前に出る。


 斥候が白い床に刃を入れた。


 がり。


 白灰床の表面が削れる。


 人間たちは緊張する。


 何も起こらない。


「削れるぞ」


「白磁残滓だ。下は通常の床かもしれない」


 その言葉に、余は笑った。


「そう思え」


 がり。


 がり。


 さらに削る。


 白い表面が剥がれ、下から灰色の湿った層が見えた。


「湿灰だ。注意しろ」


「袋を破るな。ゆっくり――」


 遅い。


 もう刃が届いている。


 白灰床の下に仕込んだ湿灰袋が裂けた。


 ぶしゅ、と灰色の泥が噴き出す。


「下がれ!」


 盾兵が叫ぶ。


 湿灰はただの泥ではない。


 骨鳴核片の粉が混ざっている。


 床に飛び散った湿灰が、からん、と鳴った。


 骨のような音。


 人間たちの足元で、音が反響する。


「足音がずれる!」


 目隠しの男が叫んだ。


「本物の床音じゃない! 全員止まれ!」


 ほう。


 気づいた。


 だが、もう遅い。


「マネ」


 迷宮の奥から、別の足音が響いた。


 人間十二人分の足音。


 走る音。


 引く音。


 鎧がぶつかる音。


 左右から、前から、後ろから。


 全部、マネの嘘だ。


 目隠しの男が顔を歪める。


「音が多い! 違う、これは偽物――」


「湿骨兵」


 湿灰の下から、三本の骨槍が突き上がった。


 先頭の斥候の腹に一本。


 盾兵の太腿に一本。


 もう一本は白灯術者の脇腹を掠めた。


「がっ!」


「下だ!」


 湿骨兵が床下から立ち上がる。


 湿灰をまとった骨兵。


 泥の中から生まれた槍列。


 人間たちが即座に盾を下げる。


「骨兵だ! 押し返せ!」


 盾兵が湿骨兵を押す。


 普通の骨なら砕けただろう。


 だが湿骨兵は、骨の隙間に泥が詰まっている。


 衝撃を湿灰が逃がす。


 砕けても、沈む。


 沈んで、また槍を出す。


「グズ」


「ギィィ!」


 泥砕門将グズが奥から踏み出した。


 人間たちの視線が一気に集まる。


「報告と違うぞ!」


「あのゴブリン、負傷していたはずだ!」


 そうだ。


 報告と違う。


 そのために嘘を流した。


 グズは打撃具を振り上げ、前に出た大盾へ叩き込んだ。


「門砕き」


 盾が歪む。


 一撃では割れない。


 人間側の盾も、白磁庭園騎士を警戒して強化されている。


 悪くない。


 だが、グズは笑っている。


 二撃目。


 盾兵の腕が沈む。


 三撃目。


 盾の縁が割れる。


「盾割り号令!」


 グズが吠えた。


 周囲の通常ゴブリンどもが、一斉に石と骨片を投げた。


 狙いは盾兵の顔ではない。


 盾のひび。


 グズの一撃で入った裂け目。


 そこへ集中して石が当たる。


 ばきん。


 盾が割れた。


 盾兵の顔が引きつる。


「ゴブリンが、指揮を……!」


「ギィィィ!」


 グズの四撃目が、盾兵の肩から胸を潰した。


《侵入者一名死亡》


《ソウル獲得:38》


「まず一人」


 余は冷静に数える。


 同時に、内心で少しだけ震える。


 十二人。


 装備あり。


 対策あり。


 油断すれば押し切られる。


 だが、その震えは表に出さない。


 配下の前で、余はもう喚かない。


 喚くのは白い部屋の中だけだ。


「白灯、強めろ!」


 隊長が叫んだ。


「虫が来ても構わん! 骨と糸を焼け!」


 白灯術者三人が、一斉に灯りを強めた。


 入口が白く染まる。


 湿骨兵の輪郭が浮かぶ。


 煙の輪郭が浮かぶ。


 人間たちの靴底、盾、槍、息、汗。


 全部に白い縁ができる。


「ありがとう」


 余は笑った。


「カゲヌイ」


 白縫い針が走った。


 まず煙。


 虫除け香の煙が、白灯に照らされて布のように固まる。


 その煙布が、後列の足に絡む。


「煙が固まった!?」


「切れ!」


 槍持ちが煙を払う。


 払えば払うほど、煙の輪郭が増える。


 カゲヌイが縫う。


 影縫い大蜘蛛が、天井から白影糸を降らせる。


 白灯で照らされた糸は、見える。


 人間は斬る。


 だが斬れた糸片が白い輪郭となり、さらに縫われる。


「切るな! 焼け!」


「焼いたら虫が寄る!」


「構わん、押し切れ!」


 灰灯喰い蟲が動き出した。


 虫除け香の煙の中を、腹を光らせて這う。


 数匹は死ぬ。


 香にやられ、白灯に焼かれる。


 だが、死ぬまでに光を吸う。


 吸った光を、灰色の霧として吐く。


 煙と霧が混ざる。


 白灯が照らす。


 輪郭が増える。


 カゲヌイが縫う。


 人間の対策が、そのまま罠になる。


「隊列を下げろ! 入口まで戻る!」


 隊長が叫んだ。


 判断が早い。


 このままでは削られると見たのだ。


 いい隊長だ。


 だから、逃がさない。


「戻り口、閉じろ」


《第一層入口、白灰偽壁を展開》


 入口に、薄い白灰の壁がせり上がる。


 完全な壁ではない。


 蹴れば崩れそうに見える。


 人間はそこへ向かう。


「壁を壊せ!」


 槍持ちが白灰偽壁へ突っ込む。


 槍が刺さる。


 壁が崩れる。


 その向こうには、外がある。


 ……ように見える。


 実際には、迷宮が少しだけ通路を曲げている。


 Bランクで得た、外縁支配域の限定操作。


 外へ出る道を完全に消すことはできない。


 だが、入口の向きを少しだけずらすことはできる。


 壁の向こうにあったのは外ではない。


 白灰庭区画の側道。


 湿骨兵が待つ、細い餌道だ。


「違う! そこは外じゃない!」


 目隠しの男が叫ぶ。


「音が戻ってこない! そっちは奥だ!」


「遅い」


 槍持ち二人が側道へ踏み込んだ。


 床が沈む。


 湿骨兵の槍列が、左右から閉じた。


 骨槍が腹、喉、膝を貫く。


「ぎゃっ!」


「戻れ、戻――」


 戻れない。


 白影糸が背後を塞ぐ。


 カゲヌイが白縫い針で足元の輪郭を縫う。


 グズが側道入口へ打撃具を叩き込む。


 退路ごと、人間二人を潰した。


《侵入者二名死亡》


《ソウル獲得:64》


「三人」


 合計三人死亡。


 残り九人。


 だが、隊列は乱れた。


 盾は一枚破損。


 槍持ちは二人死亡。


 斥候一人は腹を刺されている。


 白灯術者はまだ三人。


 目隠しの男も生きている。


 隊長も無傷。


 ここからが本番だ。


目隠しの男が、耳の銀輪を引きちぎった。


 血が流れる。


 その血を床に落とす。


「音脈開き!」


 血が床に染み込んだ瞬間、迷宮の足音の嘘が少し薄れた。


 マネの偽足音が、いくつか消える。


《音響偽装、一部破られました》


「ちっ」


《舌打ちしています》


「しておらぬ」


《しています》


「今はいい」


 目隠しの男は厄介だ。


 音で偽道を見破る。


 煙と糸の混乱の中でも、正しい入口を探そうとしている。


「隊長! 本当の出口は右後方! 白い壁じゃない、湿った低音が返る方!」


「よし、全員固まれ! 負傷者は捨てる!」


 隊長が冷たく言った。


 腹を刺された斥候の顔が歪む。


「た、隊長……!」


「情報を持ち帰る方が先だ」


 よい判断だ。


 だが、余にとっては都合が悪い。


「捨てられるなら、もらう」


 影縫い大蜘蛛の糸が負傷した斥候を絡め取る。


 斥候は叫ぶ暇もなく天井へ引き上げられた。


 カゲヌイが首元の輪郭を縫う。


 湿骨兵の槍が下から突く。


 斥候の体が二度跳ねて、動かなくなった。


《侵入者一名死亡》


《ソウル獲得:27》


「四人」


 残り八人。


 だが、隊長は止まらない。


 むしろ、切り替えた。


「白灯、最大。虫も糸も焼き払え。道を作る。目耳役を守れ!」


 白灯が最大まで強まる。


 灰灯喰い蟲が次々焼かれる。


《灰灯喰い蟲、損耗多数》


「む」


《損耗率上昇》


「まだ引くな。光を吸えるだけ吸わせろ」


 蟲たちは燃えながら光を吸う。


 腹が白く膨れる。


 限界まで吸った蟲が、床に落ちる。


 そして、灰色の霧を吐き出して死ぬ。


 迷宮のために死ぬ。


 よい。


 その死も素材になる。


「灰霧を床下へ流せ」


《了解》


 灰霧が床下に沈む。


 湿骨兵の周囲にまとわりつく。


 白灯に照らされた霧の中で、骨槍の輪郭が消えたり現れたりする。


 人間の目には、槍の位置が分かりにくい。


 だが、目隠しの男には音で分かる。


 だから、先に殺す。


「追跡者」


 余は闇の奥を見た。


 白磁庭園騎士との戦いで停止していた落武者の影。


 湿灰の中で眠っていた最強枠。


 まだ完全回復ではない。


 だが、追うだけならできる。


《追跡者、再起動可能》


「対象、目隠しの男」


《追跡対象を指定》


 白灰庭区画の奥で、湿灰が沈んだ。


 落武者の影が立ち上がる。


 片腕の動きはまだ鈍い。


 太刀は欠けている。


 だが、その片目は獲物を見た。


 目隠しの男が、びくりと肩を震わせた。


「何か来る……音が、ない……!」


 そうだ。


 追跡者は、足音で追う魔物ではない。


 迷宮内の追跡対象を、ただ追う。


 どこまでも。


 壁があろうと、罠があろうと、道が変わろうと。


 標的が迷宮内にいる限り。


「走れ、耳の男」


 余は呟いた。


「走れば走るほど、追跡者が速くなる」


 隊長が叫ぶ。


「後退! 目耳役を中心に――」


 その言葉は、最後まで続かなかった。


 追跡者が、白灯の届かぬ横道から現れた。


 目隠しの男の背後。


 あり得ない位置。


 人間たちはそこを確認していた。


 誰もいなかった。


 だが、追跡者はいた。


 追跡対象の背後に。


 欠けた太刀が振られる。


 目隠しの男の片腕が飛んだ。


「ぐああああっ!」


「目耳役!」


 白灯術者が光を向ける。


 追跡者の半身が白く照らされる。


 白磁の痕が残る鎧袖。


 欠けた太刀。


 死に損ないの落武者。


 だが、その目だけは生きている。


 いや、死んでいるからこそ止まらない。


「殺せ、追跡者」


 追跡者が二撃目を振る。


 隊長が割って入った。


 剣で太刀を受ける。


 火花。


「重い……!」


 隊長は受けた。


 強い。


 こいつはただの指揮官ではない。


 前線で戦える。


 追跡者の太刀を受けながら、目隠しの男を蹴って下げた。


「白灯、こいつを焼け!」


 三つの白灯が追跡者へ集中する。


《追跡者、白光損傷》


「ちっ、まずい」


 追跡者はまだ万全ではない。


 白光集中は危険だ。


 だが、白灯が集中したということは、他が暗くなる。


「大蜘蛛、後列」


 影縫い大蜘蛛が動いた。


 白灯術者たちは追跡者を見ている。


 天井を見ていない。


 白影糸が、後列の治癒術者の首へ落ちる。


 絡む。


 吊る。


 治癒術者の杖が床に落ちた。


「後ろ!」


 叫んだ時には遅い。


 カゲヌイが輪郭を縫い、首と糸と白灯の線を一つにする。


 治癒術者の首が締まり、足がばたつく。


 湿骨兵の骨槍が下から胸を貫いた。


《侵入者一名死亡》


《ソウル獲得:33》


「五人」


 残り七人。


 だが、ここで隊長が決断した。


「撤退ではない!」


 隊長は剣を掲げた。


「このまま奥の核へ押す! 退路を探すな! 核を壊せば終わる!」


 ……何?


 余は白い部屋で固まった。


「こいつ、撤退ではなく突撃を選んだぞ」


《想定外です》


「想定しろ!」


《すみません》


 隊長は理解している。


 戻る道は潰される。


 逃げようとすれば、追跡者と罠に削られる。


 なら、逆に奥へ進む。


 コアを狙う。


 攻略されれば、余は消える。


 冷たいものが、意識の底を撫でた。


 怖い。


 正直に言えば、怖い。


 だが、もう白い部屋で喚くだけのロードではない。


 余は監視面を睨んだ。


「よい」


《よいのですか》


「奥へ進むなら、もっと深く喰える」


 余は命じた。


「第二関門を開けろ」


《危険です》


「開けろ。ただし、道は一本ではない」


 白灰庭区画の奥が、ゆっくり割れた。


 湿灰の道。


 白い庭の道。


 暗い骨の道。


 三つの道が、人間たちの前に開く。


 隊長が叫ぶ。


「中央! 白い道を行け! 灰と骨は罠だ!」


 余は笑った。


「そう思うだろうな」


 中央の白い道。


 一番綺麗な道。


 一番安全そうな道。


 そこは、白磁庭園騎士の枝核を吸収した後に生まれた新しい餌場。


 白灰庭区画の中心。


 白いものが、泥の底で折れた場所。


「進め、人間」


 余は低く告げた。


「そこが一番、余の腹の中だ」


 白い道の奥で、灰灯喰い蟲の死骸が淡く光る。


 湿骨兵が床下で槍を構える。


 カゲヌイの白縫い針が、白い輪郭を待つ。


 影縫い大蜘蛛の白影糸が、天井で揺れる。


 追跡者は、目隠しの男をまだ見ている。


 そしてグズが、第二関門の門前に立った。


 泥砕門将。


 門を守り、門を砕く者。


 人間七人が、奥へ踏み込む。


 余はその数を数えた。


「残り七」


 白い部屋に、余の声だけが響く。


「一人も帰すな」

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