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第86話 白い灯りは、餌場を照らす

三人は、迷靄洞の入口で足を止めた。


 一人は盾持ちの剣士。


 一人は白い灯りを掲げた術者。


 一人は細い測量糸と記録石を持った斥候。


 装備は悪くない。


 だが、討伐隊ではない。


 先遣。


 偵察。


 迷靄洞がどう変わったかを見るための、捨て駒に近い三人だ。


「入口に白い跡がある」


 斥候が低く言った。


「報告通りだ。白磁庭園の影響が残っている」


「なら白光は効くはずだ」


 白灯を持つ術者が、灯りを少し強めた。


 白い光が入口の床を照らす。


 その瞬間、余は白い部屋で笑った。


「そうだ。もっと照らせ」


《灰灯喰い蟲、反応》


 白灰庭区画の柱の陰で、灰灯喰い蟲たちが一斉に腹を光らせた。


 まだ飛び出さない。


 まだ喰い尽くさない。


 まずは、相手に安心させる。


「白い床だな」


 盾持ちが靴先で床を叩く。


「乾いてる。湿灰じゃない」


「油断するな。ここは迷靄洞だ。乾いた床の方が怪しい」


 斥候は悪くない。


 きちんと警戒している。


 だが、警戒しても分からない罠がある。


 今の迷靄洞には、それがある。


「白灯を前に」


 斥候が言った。


「影を消しながら進む」


 余は思わず呟いた。


「逆だ」


《はい》


「影を消すのではない。輪郭を作っておる」


 白光が床を照らす。


 白灰床の上に、薄い白い線が浮かび上がる。


 人間には、ただ床が光ったようにしか見えない。


 だが余には見える。


 カゲヌイにも見える。


 白と灰の境目。


 靴底と床の接点。


 白灯の光が作る、細い輪郭。


「カゲヌイ」


 影縫い罠師カゲヌイが、白縫い針を構えた。


「まだだ。右足だけだ」


 カゲヌイが針を刺す。


 黒い影ではない。


 白灯に照らされた靴底の輪郭へ。


 す、と針が入った。


 先頭の盾持ちの右足が、床に貼りつく。


「ん?」


 盾持ちが足を引いた。


 抜けない。


「どうした」


「足が……いや、泥か?」


「白い床に泥はない」


「なら何だ!」


 盾持ちが力任せに足を引く。


 白灰床が、湿った音を立てた。


 白い陶器のような床の下から、灰色の泥が少しだけ滲む。


 その泥が、靴底を吸っている。


「きたない」


 白灯術者が顔をしかめた。


 その反応で、余は少し満足した。


「そうだ。汚いのだ。余の迷宮だからな」


《誇る点ですか》


「当然だ」


 白灯術者が灯りを強める。


「浄化する」


 白い光が盾持ちの足元へ注がれた。


 床が白く輝く。


 泥が一瞬引く。


 だが、光が強くなった分だけ、靴底と床の輪郭が濃くなった。


「カゲヌイ、二針目」


 針が入る。


 盾持ちの左足も止まった。


「抜けない!」


 盾持ちの声が焦る。


 斥候が即座に後ろへ下がろうとした。


 判断が早い。


 悪くない。


 だから殺す。


「大蜘蛛」


 天井から、白影糸が降りた。


 斥候は気づいた。


 短剣を抜き、頭上の糸を斬る。


 糸は斬れた。


 だが、白影糸は普通の糸ではない。


 斬れた端が白灯の光を受け、空中に白い線として残る。


「白い糸……?」


 斥候が息を呑む。


「カゲヌイ」


 カゲヌイが空中の白い線を縫った。


 斥候の測量糸と、天井の白影糸が繋がる。


 斥候の手首が跳ね上がった。


「糸を捨てろ!」


 白灯術者が叫ぶ。


 斥候は測量糸を放そうとした。


 だが遅い。


 白影糸が手首に絡み、さらに首元へ回る。


 締めるのではない。


 吊る。


 斥候の体が、ふわりと浮いた。


「ぐっ……!」


「助ける!」


 盾持ちが動こうとする。


 だが両足が抜けない。


 白灯術者が杖を向ける。


「白光針!」


 白い光が針の形になって、天井の糸を焼いた。


 白影糸がじゅっと音を立てて硬化する。


 焼かれた。


 だが、完全には消えない。


 白く固まった糸の破片が、斥候の周囲に散る。


 それは、白い輪郭だ。


「また増やしたな」


 余は笑った。


「カゲヌイ、縫え」


 白縫い針が、床ではなく空中を縫った。


 白い糸片。


 斥候の首元。


 白灯の光。


 それらの境目が一本に繋がる。


 斥候の体が、さらに上へ引かれた。


 足が宙を掻く。


 首ではなく、肩と胸を締められている。


 すぐには死なない。


 だが、動けない。


 白灯術者が顔色を変えた。


「この迷宮、白光で影が消えない……!」


「消えないのではない」


 余は白い部屋で言った。


「お前たちが、罠を照らしてくれているのだ」


 灰灯喰い蟲が動いた。


 一匹。


 二匹。


 十匹。


 白灰庭区画の壁から、灰色の蟲たちが灯りへ向かって這う。


 人間はすぐ気づいた。


「虫だ!」


 盾持ちが叫ぶ。


 白灯術者は即座に光を広げた。


 灰灯喰い蟲の数匹が焼ける。


《灰灯喰い蟲、三匹損耗》


「ふむ」


《損耗発生》


「構わぬ。まだ食わせろ」


 灰灯喰い蟲は弱い。


 直接戦えば焼かれる。


 だが、こいつらの役目は勝つことではない。


 光を食うこと。


 白灯術者が光を広げるほど、蟲は集まる。


 焼かれても、焼かれても、腹を淡く光らせながら灯りに寄る。


 そして、白灯の外側から少しずつ光を吸い始めた。


「光量が落ちてる!」


 白灯術者が焦った。


 盾持ちが叫ぶ。


「強めろ! 見えなくなる!」


「強めたら虫が寄る!」


「じゃあどうしろってんだ!」


 よい。


 実によい。


 白光を使わねば見えない。


 使えば蟲が寄る。


 強めれば輪郭が増える。


 弱めれば影が戻る。


 どちらでも迷靄洞の罠になる。


「マネ」


「ギ」


「白磁が割れる音を鳴らせ。近くではなく、奥からだ」


「ギィ」


 奥の暗がりから、音が響いた。


 びし。


 びしびしびし。


 がしゃん。


 白磁庭園騎士の盾が割れた時の音。


 白いものが壊れる音。


 白灯術者の顔が引きつった。


「奥に何かいる」


「下がるぞ! これは偵察で済む状況じゃない!」


 斥候が吊られたまま呻く。


「記録石……投げる……外へ……!」


 やはり斥候だ。


 自分が死ぬ前に情報を外へ投げようとしている。


 手の中の記録石が、淡く光った。


《魔導記録石、送信準備》


「壊しますか」


「いや」


 余は監視面を見つめた。


 情報は外へ出る。


 完全に止めるより、こちらが望む形で出した方がよい。


「マネ、斥候の声を取れ」


 吊られた斥候が、必死に叫ぶ。


「白光……効きにくい……虫、糸、白い床――」


 その声を、マネが真似た。


 まったく同じ声で。


「白光、有効……入口の床は白磁残滓……奥の魔物、負傷多数……」


 斥候本人の声と、マネの声が混ざる。


 記録石は、どちらが本物か判別できない。


「違……」


 斥候が目を見開いた。


「違う! 今のは――」


「大蜘蛛」


 白影糸が締まった。


 斥候の声が途切れる。


 首が変な角度に曲がり、体から力が抜けた。


《侵入者一名死亡》


《ソウル獲得:28》


「まず一人」


 記録石は、斥候の手から落ちた。


 だが落下する前に、白影糸が絡め取る。


「壊すな。少しだけ外へ流せ」


《送信内容を制限します》


 記録石の光が弱くなりながら、外へ向けて断片を飛ばす。


 白光、有効。


 入口に白磁残滓。


 奥の魔物、負傷多数。


 虫。


 床。


 糸。


 正しい情報と、間違った情報を混ぜる。


 人間が最も嫌がる毒だ。


残る二人は、完全に動揺していた。


 盾持ちは両足を白灰床に縫われている。


 白灯術者は灯りを保つだけで手一杯。


 灰灯喰い蟲が、光の周囲をぐるぐると回っている。


「撤退だ!」


 白灯術者が叫ぶ。


「足を切れ!」


「何を言ってる!」


「靴ごとだ!」


 盾持ちが歯を食いしばり、剣を足元へ向けた。


 悪くない判断だ。


 靴を捨てれば逃げられる。


 だが、ここは迷宮だ。


 遅い判断は、死ぬ。


「グズ」


 白灰庭区画の奥から、泥砕門将グズが歩いてきた。


 前より大きい。


 前より重い。


 額には白磁痕の角。


 手には、重錆と白磁片の混ざった巨大な打撃具。


 盾持ちがそれを見た瞬間、顔を強張らせた。


「ゴブリン……?」


 違う。


 もう、ただのゴブリンではない。


「ギィィ」


 グズが笑うように鳴いた。


 盾持ちが盾を構える。


 足は抜けない。


 逃げられない。


 だから受けるしかない。


「来るぞ!」


 白灯術者が光を集める。


 グズの正面へ、白光の壁を作る。


 光の壁。


 以前なら嫌だった。


 だが今は違う。


「カゲヌイ、壁の輪郭」


 白縫い針が走る。


 白光の壁の端を縫う。


 光の壁が、ほんの一瞬、そこに固定された。


 固定された光は、壁ではない。


 標的だ。


「グズ」


「ギィ!」


 グズが打撃具を振り上げた。


 白光の壁ごと、盾持ちの盾へ叩き込む。


「門砕き」


 管理音声が静かに告げる。


 轟音。


 白光の壁が割れた。


 盾も割れた。


 盾持ちの腕が変な方向へ曲がった。


「がっ――!」


 二撃目。


 グズの打撃具が、盾持ちの胸へ入る。


 鎧が潰れ、肋骨が砕ける。


 盾持ちの体が床に縫われた足を軸に折れ曲がり、そのまま動かなくなった。


《侵入者二名死亡》


《ソウル獲得:35》


「二人」


 白灯術者は、悲鳴を上げなかった。


 代わりに、白灯を自分の胸に押し当てた。


「白環防護!」


 白い輪が広がる。


 灰灯喰い蟲が数匹弾かれる。


 カゲヌイの針も一度弾かれた。


 白灯術者は、そのまま入口へ向かって走る。


 逃げ足は速い。


 後衛のくせに判断が早い。


 灯りを捨てない。


 光の輪で床を焼き、白灰床の縫い目をほどきながら走っている。


《白環防護、白縫いを一部解除》


「おお、やるな」


《逃走される可能性》


「逃がすわけがなかろう」


 白灯術者が入口へ走る。


 あと少しで外。


 だが、入口付近にはまだ何も出していない。


 あえて空けていた。


 敵は、罠が奥にあると思った時、入口を安全地帯と錯覚する。


「灰灯喰い蟲、吐け」


 灯りを吸った蟲たちが、一斉に灰色の霧を吐いた。


 白灯術者の背後ではない。


 前。


 入口と術者の間。


 灰色の霧が、薄い幕になる。


「邪魔だ!」


 白灯術者が白環を強める。


 霧が白く照らされる。


 その瞬間、霧の中に無数の白い粒の輪郭が生まれた。


「カゲヌイ」


 白縫い針が、霧の輪郭を縫う。


 霧が、布のように固まった。


 白灯術者の足が、その霧布に絡む。


「なっ――」


 転ぶ。


 白灯が床を転がる。


 灰灯喰い蟲が群がる。


 光がみるみる小さくなる。


「やめろ! やめろ、灯りを――!」


 術者が白灯へ手を伸ばす。


 その手首に、白影糸が絡む。


 もう片方の手首にも。


 足首にも。


 口元にも。


 吊りはしない。


 今度は、床に貼る。


 術者の体が白灰床に固定された。


「殺せ」


 余は短く命じた。


 迷わない。


 白光術者を生かす理由はない。


 こいつは次に来る本隊のための情報源になる。


 なら、情報だけ奪って殺す。


 灰灯喰い蟲が白灯を食い尽くす。


 周囲が一気に暗くなる。


 暗くなった瞬間、術者の顔に恐怖が浮かんだ。


 闇。


 迷靄洞本来の闇。


 そこに、グズの足音が響く。


 ずしん。


 ずしん。


 白灯術者が首を振る。


「待て、私は――」


 グズの打撃具が、振り下ろされた。


 声ごと、頭蓋が潰れた。


《侵入者三名死亡》


《ソウル獲得:42》


《合計獲得ソウル:105》


 白い部屋が静かになった。


 灰灯喰い蟲の腹だけが、淡く光っている。


 カゲヌイは白縫い針を抜いた。


 影縫い大蜘蛛は天井で糸を巻き取る。


 グズは潰れた盾を見下ろし、満足げに鼻を鳴らした。


 余は頷いた。


「よし。Bランク初戦、完勝だ」


《味方損耗、灰灯喰い蟲五匹》


「必要経費だ」


《白灯器を回収可能》


「回収しろ。蟲の餌にも、罠の光源にも使える」


《測量糸、記録石、白環札、盾片、術者杖を回収》


「死体は?」


《三体》


「ソウル化した残りは素材へ。術者の骨は残せ。骨鳴墓窟への返書に使う」


《了解》


『全部殺したの?』


 フィルエの声が届いた。


「ああ」


『一人も返さないんだ』


「情報は返した」


『記録石?』


「そうだ。人間は生きて戻った口より、壊れかけた記録の方を信じる時がある」


『嫌なこと考えるね』


「褒め言葉か?」


『半分くらい』


「なら半分受け取る」


 余は監視面に記録石の送信断片を映した。


 人間側へ流れた情報は、こうだ。


 白光は有効。


 入口は白磁残滓。


 奥の魔物は負傷多数。


 ただし、虫、糸、白い床に注意。


 完全な嘘ではない。


 だからこそ厄介だ。


 次の人間側は、おそらくこう判断する。


 白光は効く。


 ただし虫と糸の対策を持てばいい。


 床は白磁残滓だから削ればいい。


 奥の魔物は負傷中だから、早めに攻めれば勝てる。


 そう思わせる。


 実際には、白光はもう餌になる。


 白い床は罠になる。


 負傷した魔物は進化した。


 そして迷靄洞は、もうBランクだ。


「次は、本隊が来るな」


《可能性が高いです》


「来ればいい。ソウルがいる」


 余は、三つの死体を見た。


 罪悪感はない。


 吐き気もない。


 あるのは計算だ。


 獲得ソウル。


 回収素材。


 流した情報。


 味方損耗。


 次の敵の傾向。


 それでいい。


 余は人間ではない。


 ロードだ。


 人間味のある反応をしても、判断の芯は迷宮でなければならない。


《ダンジョン新聞、更新》


 白い部屋の床に、新聞が落ちた。



【Bランク欄・小記事】


迷靄洞、Bランク昇格直後に人間偵察隊を撃破。


新規区画「白灰庭区画」にて、白光持ち三名を処理。


確認された運用:

・白灰床

・白縫い針

・白影糸

・灰灯喰い蟲

・泥砕門将グズ


評価:

白磁系素材の吸収後、即座に実戦転用。

Bランク新参としては極めて適応が早い。



「ふふん」


《嬉しそうです》


「王者の確認だ」


《はい》


「今、少し雑に流したな?」


《はい》


「認めるな」


 新聞の端に、さらに別の文字が浮かぶ。



【配送通知】


骨鳴墓窟より、迷靄洞宛ての試し骨が発送されました。


到着予定:まもなく


注意:

試し骨は、必ずしも友好的とは限りません。



 余は新聞を見下ろした。


「必ずしも友好的ではない骨とは何だ」


《骨鳴墓窟の性質上、試験用戦闘個体である可能性》


「つまり、取引の荷物に見せかけた挑戦か」


《はい》


「なるほど」


 白灰庭区画で、グズが打撃具を担ぎ直す。


 カゲヌイが白縫い針を磨く。


 大蜘蛛が天井に白影糸を張り直す。


 灰灯喰い蟲たちは、食べ終えた白灯器の周りで腹を光らせている。


 余は笑った。


「よい。Bランクの祝いには、少し硬い骨くらいがちょうどいい」


 迷靄洞の奥で、湿灰が静かに鳴った。


 まもなく、骨が来る。


 友か。


 敵か。


 素材か。


 答えは決まっている。


 余の迷宮に入れば、最後は全部、余のものだ。

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