第8話 グズの特訓と、四人の侵入者
「訓練とは何をするのだ」
口に出したあとで、余は自分で首を傾げた。首はないが。
そう、そこだ。
勢いよく「訓練を始めるぞ!」と叫んだのはよい。言った瞬間はちょっと王っぽかった。だが、具体的に何をするかまでは考えておらぬ。
グズは新小部屋の真ん中に立たされ、ひどく不安そうな顔をしていた。というか、普段から不安そうな顔なので判別が難しい。
「ぎ……?」
「うむ。待て。今考える」
グズが露骨に不信感を強めた。
「その目は何だ。余を信じよ」
「ぎぃ……」
《信頼形成には一貫性が重要です》
「うるさい」
だが管理音声の言う通りではある。ここでぐだぐだしていては、せっかく少しずつ育ちつつある指揮系統が締まらぬ。何でもよい、まずは“役立つ型”を作るべきだ。
余はグズを見た。
他のゴブリンより多少まし。
群れを叩いて動かせる。
前に出すぎる悪癖は今のところ薄い。
ならば、やることは一つだ。
「よし。貴様には“止める役”を覚えさせる」
「ぎ?」
「殺すのではない。止めるのだ。相手の足を止める。進路を狭める。仲間が噛みつく時間を作る」
グズは首をかしげる。
難しかったか。
ならば見せるしかない。
「……馬鹿どもを三体連れてこい」
「ぎっ」
グズが外へ飛び出し、ほどなくして三体のゴブリンを連れて戻ってきた。いや、“連れて”というより、棍棒で叩きながら追い込んできた。うむ、統率と言えなくもない。
「おぬしら、グズに向かって真っ直ぐ走れ」
三体は互いの顔を見たあと、とりあえず走った。
雑だ。
実に雑だ。
だが、それでよい。
「グズ、正面から殴るな。半歩ずれて、肩へ当たれ。倒せなくてよい。ずらせ」
グズは一瞬迷い、それから言われた通り、正面を外して斜めへ踏み込んだ。
どん、と鈍い音。
先頭のゴブリンが横へ流れ、後ろ二体とぶつかって転ぶ。
「おお」
余は少し感心した。
まぐれかもしれぬ。だが、まぐれでも一度できるなら、二度三度と再現させられる。
「今のだ! 正面で受けるな。ずらして、詰まらせろ!」
「ぎぃ!」
もう一度。
今度は少し早すぎた。肩がぶつかる前に棍棒を振ってしまい、一体を叩いたあと自分もよろめく。
「違う、殴るなと言ったであろう!」
「ぎぃ!?」
「貴様は殺す役ではない! 止める役だ! 余の迷宮では、止める者のほうが大事なのだ!」
言ってから、少しだけ妙な気分になった。
たぶん、これは余自身のことでもある。
余は最強の剣ではない。
世界を一撃で変える王でもない。
今の余にできるのは、相手を止め、ずらし、崩し、そこで勝つことだけだ。
だから、グズに教えることも自然とそうなる。
「もう一度だ。斜めだぞ。半歩だけだ。深く入るな」
繰り返す。
何度も。
走らせて、ぶつけて、詰まらせる。
途中で一体が飽きて床に座り込んだので蹴り飛ばす。別の一体が何を勘違いしたか、グズではなく壁へ突撃したので怒鳴る。訓練の最中に小便を始めた馬鹿がいたので本気で叫ぶ。
ひどい。
実にひどい。
だが、一時間ほどもすると、グズの動きに少しずつ“待ち”が出てきた。
前へ出すぎぬ。
真正面に立たぬ。
わずかに斜めへズラして、相手を狭い位置へ押し込む。
「……よし」
まだ粗い。ひどく粗い。
だが“ただの殴り合い”ではなくなってきた。
それで十分だ。
「貴様、意外と筋がよいな」
「ぎ、ぎぃ!」
「調子に乗るな。今の十回に一回くらいしか成功しておらぬ」
「ぎぃ……」
《成長が見られます》
「うむ。次は二体を相手に同じことをさせる」
グズの絶望したような顔が、少し可笑しかった。
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一方その頃。
辺境ギルド支部の裏手では、四人分の装備が整えられていた。
レネ。
ハルド。
ミーシャ。
そして、新たに加わったもう一人――小柄な聖職者の少女、フィナ。
「本当に行くんですか、あの洞窟」
フィナは不安そうに言った。
「行く」
レネは短く返す。
「でも、聖印騎士団が行くような類じゃないんでしょう?」
「そこまでじゃない。まだね」
「まだ、って何ですかまだって」
ミーシャが苦笑する。
「レネはちょっと過大評価ぎみなのよ。でも、前回死んだのは事実」
「だから呼ばれたんですよね、私」
「そういうこと。治癒と浄化、あと念のための聖印」
「念のためで済むといいですけど……」
ハルドは槍を布で拭きながら言った。
「今回は調査半分、攻略半分だ。深追いはしない。入口から中盤までで感触を見る。危なければ引く」
「それ、前の剣士さんも言ってたんじゃ」
「言ってない。あいつは最初から行く気だった」
「……そうですか」
レネは床に広げた簡易図を指でなぞる。
「前回の感じだと、入口の直後は見せ場。最初の曲がり角の先が一回目の仕掛けどころ。さらに奥に小部屋があって、そこで数に押された」
「で、今回は?」
「変えてると思う」
「どこを」
「そこまでは分からないから見に行くの」
フィナは少し青ざめた。
「分からないのに入るんですか」
「ダンジョンってそういうものよ」
ミーシャが軽く肩をすくめた。
「分かる相手なんて、たいていもう勝てる相手だもの」
「嫌な理屈ですね……」
ハルドはレネの図を覗き込み、静かに問う。
「お前の本音を言え」
「何が」
「今回、壊しに行くつもりはどれくらいある」
レネは少し黙った。
それから答える。
「半分くらい」
「残り半分は?」
「見たい」
ミーシャが呆れたように息を吐いた。
「やっぱり趣味悪い」
「分かってる」
「でも私もちょっと見たい」
「ミーシャまで」
「だって、湿臭いのは最悪だけど、考えてるダンジョンって珍しいもの」
「その表現、褒めてないですよね?」
「全然」
四人の間に、小さな笑いが起こる。
だが、その笑いの下には緊張があった。
前回、仲間が死んでいる。
相手は小さく、弱く、だが確かに“考える何か”だ。
侮れば死ぬ。
だからこそ、今度は侮らない。
「出るのは明朝」
ハルドがまとめる。
「前衛は俺。レネは一歩後ろで見ろ。ミーシャは火を絞れ。フィナは前に出すぎるな」
「はい」
「あと」
ハルドは少しだけ目を細める。
「今回は、生きて帰ることを最優先にする」
「……了解」
レネも、今度は素直に頷いた。
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・
その夜、余は新聞の戦術欄を広げたまま、新小部屋を見下ろしていた。
グズは訓練の疲れで伸びている。
ほかのゴブリンも眠いのか静かだ。
鼠だけが時折、細穴を走る。
「静かだな」
《嵐の前かもしれません》
「不吉な言い方をするな」
だが、たぶん当たっている。
外の動きからして、次の侵入は近い。
レネが一人で来て、槍使いを連れて見に来た。その後、何もないまま日が過ぎるとは思えぬ。
「……今の戦力を確認せよ」
《表示します》
⸻
【現戦力】
・ゴブリン 12体(うち実働10)
・洞窟ネズミ 12体
・指揮候補個体:グズ
・構造:入口通路/曲がり角/新小部屋/旧小部屋/最奥区画
・補助構造:細穴通路網、部分湿潤床、浅段差
【所持ソウル:65】
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「六十五」
中途半端だ。
何かは足せる。だが、大きな改修には足りぬ。
落とし穴は作れる。ポフキノコの追加も可能。ゴブリンの増員もできる。だが、どれが最も効果的か。
余はしばらく考え、やがて一つに絞った。
「ポフキノコ」
《導入しますか》
「うむ。そろそろ“継続妨害”が欲しい。鼠とゴブリンだけでは、削りが薄い」
前回の勝利は乱戦で押し切った。次はそう簡単には崩れまい。ならば、入った時点から嫌がらせを重ねる必要がある。視界、呼吸、足元、集中。どれか一つでも鈍れば、迷宮側は楽になる。
《ポフキノコ四体を召喚します。消費ソウル:16》
旧小部屋の隅、湿った壁の根元に、ぷく、と白い塊が生えた。
丸い。
柔らかそうだ。
傘は小さく、柄は太い。ひどく間抜けな見た目である。脅威には見えぬ。だが、よく見ると表面にうっすらと粉のようなものが浮いていた。
「……これが」
《刺激を受けると胞子を放ちます》
「どの程度の害がある」
《低級個体では、咳、涙目、軽い視界阻害、注意散漫》
「十分だな」
良い。
実に良い。
勝てなくとも、嫌がらせはできる。鼠で足元をかじり、床で滑らせ、胞子で咳き込ませ、ゴブリンで詰まらせる。いやらしい。だが、余の迷宮は今それでよい。美学はまだ早い。
「配置は旧小部屋と新小部屋の間、視線の切れる場所。全部は見せるな」
《了解》
白い茸が、じっと湿った壁に張り付いている。
間抜けだ。
だが、頼もしくもある。
「……これで多少は」
言いかけた瞬間、入口の細穴にいた鼠が、鋭く鳴いた。
ちゅ、ちゅ、ちゅっ!
《外部接近反応。複数。四名》
余の意識が一瞬で冴える。
「来たか」
白い窓を入口へ切り替える。
曇った朝の光の中、四つの影が裂け目へ近づいてくる。
レネ。
ハルド。
ミーシャ。
そして、見慣れぬ白衣の小柄な少女――聖職者か。
「……本当に連れてきおったな」
背筋が冷える。
だが、頭は妙に静かだった。
四人。
しかも前回より慎重。
槍、斥候、魔術師、聖職者。
嫌な構成だ。
だが――面白い。
「グズ、起きろ。全個体、配置につけ」
迷宮全体へ意識を飛ばす。
「入口は見せるだけだ。引き込む。新小部屋で止める。旧小部屋で削る。鼠は槍を嫌がらせしろ。茸は焦らず使え。聖職者は注意せよ」
ゴブリンどもが跳ね起きる。
グズが棍棒を振り回してまとめる。
鼠が細穴を散る。
ポフキノコは壁際で沈黙する。
白い部屋の中で、余は深く息を吸う真似をした。
初回のような、ただの慌てではない。
怖い。もちろん怖い。
だが、前とは違う。
盤面が見える。
戦う場所も、崩す場所も、前より少しだけ見えている。
「……来るがよい」
入口の外で、レネが短剣の柄へ手を添えた。
ハルドが槍を構える。
ミーシャが杖を握り直す。
フィナが小さく祈りの印を結ぶ。
そして四人は、慎重に、しかし確かな意志をもって、余の迷宮へ足を踏み入れた。
湿臭い洞窟の、二度目の本格攻略が始まる。




