第7話 泥臭い会合と、新米ロードの生存戦略
翌日、余は朝から妙に落ち着かなかった。
落ち着かない理由は明白だ。
新聞交流会。
ロード同士の場。
同じ“ダンジョンの核”たちが集い、知恵を交換し、腹を探り合い、場合によっては笑い合うかもしれぬ場所。
考えるだけで、少し胸が騒ぐ。胸はないが。
「……どういう顔で行けばよいのだ」
《顔は表示されません》
「そういう話ではない」
《心構えの問題でしょうか》
「そうだ」
白い部屋を無意味にぐるぐる回るような気分で、余は新聞の申請欄を見つめていた。
【迷宮運営相互研究会・初回見学】
匿名参加推奨/発言任意/位置情報秘匿
怪しい。
何度見ても怪しい。
だが、怪しいと言っておれば何も始まらぬ。初回侵入を辛勝しただけのEランク迷宮が、独学だけで上へ行けるほど世界が優しくないのは、もう分かっている。
「よし。行く」
《参加を確定しますか》
「うむ。匿名、見学優先、発言は必要最低限」
《承認》
新聞面の中央に、小さな輪が開いた。
水面に石を落としたように、光が円環状に広がる。その奥には、白でも黒でもない、どこか灰色がかった空間が見えた。床も壁も曖昧で、遠近感も妙だ。おそらく実体ではなく、新聞が作った仮想の会話場なのだろう。
《投影会話空間へ接続します》
「……本当に行くのだな」
《はい》
「帰れるのだな」
《はい》
「騙されぬよな」
《保証はできません》
「最後だけ急に不安を煽るな!」
文句を言っている間にも、意識がふわりと引かれる。
次の瞬間、余は見知らぬ灰色の空間に“いた”。
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円卓、と呼ぶには妙な場であった。
床に薄い光の輪がいくつも浮かんでおり、その一つ一つに、人影のようなものが立っている。だが、どれも明瞭ではない。輪郭だけ。性別も年齢も判然とせぬ。ただ、発する雰囲気だけが違う。
細長い影。
ずんぐりした影。
裾の広い影。
頭の位置が妙に高い影。
どれも、たぶん本来の姿ではない。匿名表示とはこういうものらしい。
そして、中央には一回り大きな輪。
そこに立つのは、井戸桶のような丸い影だった。
「お、新顔だ」
軽い声が響く。
見た目は曖昧でも、声には癖がある。年若い男とも女ともつかぬ、妙に気安い調子だ。
「初回見学さん? 歓迎歓迎。“朽縄井戸”の井守だ。まあ名前もたぶん仮名みたいなもんだけど、ここではそう呼ばれてる」
「……うむ」
余は慎重に応じた。
ここで一人称や語尾まで不用意に出せば、癖として記憶されるやもしれぬ。いや、余の一人称が“余”である時点でだいぶ癖だが。
井守は気にした様子もなく、手――のようなものをひらひら振った。
「見学なら気楽に聞いてって。発言も無理しなくていい。うちは新人向けの泥臭い会だからね。上の気取った講釈会じゃない」
「ほう」
「ほう、って言った。王様っぽいな新顔」
「……偶然である」
「偶然で王様っぽくなることある?」
さっそく面倒だ。
だが、空気は思ったより軽い。もっと殺伐としているかと思っていたが、少なくとも表面上はそうでもないらしい。
ほかの影も、ちらほらとこちらを見る気配がある。
「初回見学か」
「Eだろうな」
「声が若い」
「若いって概念あるのかロードに」
「あるだろ、立ち上がりの浅さって意味で」
ひそひそとした声が飛ぶ。
居心地はあまり良くない。
だが、悪意だけでもない。品定めに近い。新人が来た時の、当然の反応なのだろう。
井守がぱん、と手を打つ真似をした。
「はいはい、観察は後で。今日は三つ議題がある。ひとつ、初期防衛で“入口を餌場にするか否か”。ふたつ、最近増えてる槍使い対策。みっつ、新聞号外にも出たA陥落案件から何を学ぶか。質問や脱線は適宜。異論ある?」
「ない」
「槍の話は助かる」
「Aの話はいらん、胃が冷える」
「それも勉強」
ちらり、と余は周囲を見た。
槍使い対策。
まさに今欲しい話題が入っている。
「ではまず入口防衛論から」
井守の声とともに、中央に簡易図が浮かぶ。入口、短い通路、初期小部屋、コア。極端に単純化された、いかにも新人迷宮らしいモデルだった。
「結論から言う。入口で勝とうとするな。これは半分正しいし、半分間違い。どっちだと思う?」
誰かがすぐ答えた。
「入口で止まる相手なら入口でいい」
「そう。つまり“止まる相手”ならね」
井守は輪郭の曖昧な指で、図の入口部分をつつく。
「新人は入口を立派にしたがる。見栄える罠、脅し、派手な魔物。分かる。気持ちは分かる。でも入口って、侵入者が一番警戒してる場所でもある。そこに全力を置くと、警戒された全力で終わる」
妙に、腑に落ちた。
余は自然と身を乗り出すような気分になる。
そうだ。
前回、勝てたのは入口で止めたからではない。奥へ引き込み、崩し、詰まらせたからだ。
「逆に、入口でやる意味があるのは“相手の癖を取る時”だ。装備、立ち順、慎重度、斥候の目線、後衛の立ち位置。そこを取って、勝つ場所は別に置け。これが初期迷宮の基本」
周囲から、何人かがうめく気配がした。
「分かる」
「前で全部出すと後ろがなくなる」
「入口は情報、奥が利益」
「雑に言うな」
余は黙って聞いた。
これは使える。
いや、使っている。
余はすでにそれに近いことをしている。ならば、自分の方向は少なくとも大外れではないのだ。
「では槍」
井守が次の図を出す。
今度は細い通路と、その先の小部屋だ。
「剣士は壁に怒る。槍使いは通路を喜ぶ。これがまず前提」
思わず、余は無言で頷いた。
「槍って、狭いと強いんだよ。何でかって、先に届くから。前衛のゴブリン一体ずつ差し出してると、順番に串焼きにされる。だから“前から来る槍”に正面から数を足すな。横か下か上か、最低でも視線を切ってから触れ」
横か下か上。
余の脳裏に、細穴通路が光る。
「おすすめは二つ。ひとつは段差。踏み込み位置をずらす。ひとつは横圧。槍の直線に対して、直線以外から触る。あと湿った床も案外効く。踏ん張り前提の武器だから」
「湿った床」
思わず、余は声に出していた。
井守がこちらを向く。
「お、新顔が初めて喋った。使ってる?」
「……多少は」
「いいね。低級迷宮の華だよね、悪足場」
「華と呼ぶには汚い」
「分かる。でも強い」
周囲からくすくすと笑うような気配が広がる。
何だこの空間は。想像していたよりだいぶ俗っぽい。
だが嫌いではない。
井守が続ける。
「ただし、湿りだけに頼るとすぐ読まれる。“滑ると何が起きるか”までセットにしとけ。滑って終わりじゃなく、滑った先で壁に当たる、段差へ落ちる、横から噛みつかれる、射線が切れる、そういう複合が大事」
「……なるほど」
余は完全に聞き入っていた。
そうか。
そういうことか。
前回は偶然と即興で勝った。だがこれからは、その偶然を構造へ落とし込める。滑る床を置き、そこで踏み込みを乱し、その横から鼠かゴブリンを差し込む。あるいは小部屋への侵入角を少しずらすだけでもいい。
「質問」
別の影が手を上げる。
「槍相手に鼠はどう?」
「良い。超良い」
井守が即答した。
「ただし“殺す”より“嫌がらせ”で使え。靴紐、革帯、荷袋、指先。鼠は英雄を殺さない。でも英雄を苛立たせる。苛立った槍使いは足が粗くなる」
余はそこで、思わず笑いそうになった。
使える。
あまりにも使える。
洞窟ネズミの追加は正解だった。しかも想像以上に正解だ。良いぞ。非常によい。
井守は最後に、新聞号外の話へ移った。
「A陥落から学ぶこと。これ、上位迷宮の話だから関係ないって思う新人いるけど、逆。むしろ新人ほど学べる」
周囲が少し静まる。
「でかい迷宮が死ぬ時って、“でかいから大丈夫”を信じた時なんだよ。大きい、硬い、強い、魔物が多い。それ全部、“読まれた後”に何も言い返せないと意味がない」
余は息を呑んだ。
「新人は逆に小さい。だから変えやすい。今日通路一本増やすだけで戦い方が変わる。鼠四匹増やすだけで視線が変わる。そこが強み。小さいうちは、小さいまま変化し続けろ。固定化するな」
それは、まるで余のために言われたような言葉だった。
昨日増築したばかりの新小部屋。
細穴網。
鼠の追加。
それら全てが、“小さいからこそ変えられる”という価値を持つのだ。
余はしばらく黙っていたが、やがて小さく口を開いた。
「……良い話であるな」
井守が笑う。
「王様口調の新顔に褒められた。今日は良い日だ」
「茶化すでない」
「ごめんごめん。でも本気。新人が勝つ時って、結局“まだ固まってない”ことが武器なんだよね。完成してないの、強みでもあるから」
その言葉に、余の中で何かが少し軽くなった。
余はまだ未完成だ。
王でもない。
迷宮も湿臭く、薄く、貧弱だ。
だが、それは同時に、いくらでも変えられるということでもある。
そう思えば、未熟さは少しだけ希望に見えた。
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会が終わる頃には、余は予想以上に多くを持ち帰っていた。
入口は情報を取る場。
勝つ場所は別に置け。
槍は正面から受けるな。
湿りは複合で使え。
小さい迷宮は変化し続けろ。
そして何より――
ロード同士にも、思ったよりまともな者はいる。
もちろん腹芸はあるだろう。井守が善人だとも思わぬ。周囲の影も、本名も本性も分からぬ。だが、少なくとも“情報を抱え込んで新人を笑うだけ”の場ではなかった。
退出前、井守がこちらへ声をかけた。
「新顔」
「何だ」
「たぶん今、入口と奥の間で悩んでるでしょ」
「……なぜ分かる」
「新人はだいたいそこで悩むから」
ぐうの音も出ぬ。
「助言を一つ。最初の勝ち筋を捨てるな。でも、最初の勝ち筋に惚れるな」
「……ほう」
「一回上手くいったからって、それが真理とは限らない。運だった部分と、構造だった部分を分けろ。そこ分けられると伸びる」
余はしばし黙った。
前回の勝利。
滑る床。
剣士の突進。
魔術師の事故。
斥候の生還。
あれらのどこまでが運で、どこからが余の構造だったのか。
確かに、まだ整理しきれておらぬ。
「……覚えておこう」
「うん。じゃ、また。見学だけでもいつでもどうぞ、王様口調の新顔」
「余は王では――」
「はいはい未完成の王ね」
「最後まで人の話を聞かぬな貴様!」
井守の笑い声が、新聞の灰色空間にひびく。
次の瞬間、視界がほどけ、余は白い部屋へ戻っていた。
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「…………」
しばし、静かだった。
迷宮はいつも通りだ。
グズがどこかで怒鳴っている。
鼠が細穴を走る。
奥でゴブリンの一体が寝返りを打ち、そのまま壁に頭をぶつけた。
何も変わらぬ。
だが、余の中では確かに何かが変わっていた。
「楽しかったな」
《はい》
「おぬしもか」
《有益でした》
「それもそうだ」
余は見取り図を開き、じっと眺める。
入口。
曲がり角。
新小部屋。
旧小部屋。
最奥。
そして、その外側を走る細穴。
「……まずは、運と構造を分ける」
独り言のように呟く。
「前回の勝利で、運だったもの。剣士が前に出すぎたこと。魔術師の暴発。斥候以外が軽かったこと」
《妥当です》
「構造だったもの。狭さ。視線切り。悪足場。分断。数での拘束」
《妥当です》
「よし」
ならば、次にやるべきは明白だ。
運に頼った部分を削る。
構造として再現できる部分を増やす。
「管理音声」
《はい》
「新小部屋の手前に、段差を一つ作れるか」
《小規模段差生成、可能です。消費ソウル:6》
「やれ」
洞窟が低く震える。
絞られた通路の、滑りやすくした地点のすぐ先に、ごく浅い段差が生まれる。知っていて越えるなら大したことはない。だが、槍を構え、足元に意識を割かれ、さらに滑る床で重心をずらされた状態ならどうか。
崩れる。
きっと少しだけ、崩れる。
「さらに、細穴の出口を新小部屋の左右へ二つ追加」
《消費ソウル:8》
「鼠の出入口にする」
これで、槍の横から触れる道ができる。
表で踏み込みを乱し、裏から鼠を走らせ、前へ出たところをゴブリンで詰まらせる。殺しきれずとも、乱せる。乱せば、次へ繋がる。
「……見えてきたな」
余は小さく笑った。
まだ未熟だ。
まだ綱渡りだ。
だが、昨日までより、明らかに見えている。
どう戦うかが。
どう育つかが。
そして、どう“王になるか”が、ほんの少しだけ。
「グズ!」
「ぎっ!」
「起きておるなら新小部屋へ来い! 訓練を始めるぞ!」
「ぎぃ!?」
嫌そうな声が返ってきた。
当然だ。余も面倒ではある。だが、面倒なことを避けていては育たぬ。余も、グズも、この迷宮そのものも。
余は白い部屋の中で、どこか誇らしいような、むず痒いような気持ちで命じた。
「今日から貴様は、ただの馬鹿ではない。少しだけ役立つ馬鹿へ進め」
「ぎ、ぎぃぃ……」
「何だその不服そうな返事は」
《適切な人材育成です》
「魔物育成である」
《同義かと》
「違う気がする」
だが、悪くない。
本当に、悪くない。
迷宮の朝はまだ湿っていて、どこか小便臭くて、ゴブリンは相変わらず馬鹿で、鼠は勝手に走っている。
それでも余は、昨日までより少しだけ胸を張れる気がしていた。
まだ王ではない。
だが、王へ向かう道の最初の石くらいは、ようやく踏めたのかもしれぬ。




