第82話 白い騎士は、泥に膝をつく
白いものが、森を進んでいた。
それは人間ではない。
だが、人間の形をしていた。
白い鎧。
白い槍。
花弁のように開いた盾。
歩くたび、森の影が薄くなる。
湿った土も、苔も、落ち葉も、その白い足が触れた瞬間に色を失い、陶器のように硬く固まっていく。
「……嫌な歩き方をするな」
《白磁庭園騎士、迷靄洞入口へ接近中》
白い部屋の監視面に、騎士の姿が映っている。
白磁庭園騎士。
庭師や白磁蝶とは違う。
明らかに戦うための個体だ。
しかも、ただ殺すためではない。
迷宮を整えるための敵。
迷靄洞にとっては最悪に近い相手だった。
『迷靄洞』
森糸通信からフィルエの声が届く。
『あれ、森を殺してるんじゃない。形を変えてる』
「どう違う」
『腐葉土が白く固まってる。苔も死んでるように見えるけど、魔力だけは残ってる。白磁庭園のものにされてる』
「奪われている、ということか」
『うん。森を庭にしてる』
「余の迷宮を庭にする気か」
《可能性が高いです》
「ふざけるな」
白磁庭園騎士が、迷靄洞の入口前で止まった。
兜の奥に顔はない。
ただ、白い光がある。
その光が、洞窟の闇を見た。
見られただけで、入口の湿灰が乾き始める。
《入口湿灰、白磁化反応》
「もう始まっているのか!」
《白磁庭園騎士の周囲に常時浄化圏を確認》
「浄化ではない。庭化だ」
《表現を修正。常時庭化圏を確認》
「よし」
いや、よくない。
余は白い部屋の中で、全層の罠を確認した。
影縫い大蜘蛛は天井。
カゲヌイは第一層の影。
グズは奥の曲がり角。
赤錆噛みネズミは床下。
マネは声待機。
アンデッドゴブリンは湿灰の中。
追跡者は最奥に温存。
今の迷靄洞が出せる、ほぼ全力の迎撃態勢だ。
だが、余はすでに嫌な予感がしていた。
こいつは、人間とは違う。
人間なら罠を疑う。
ロードなら罠を読む。
だが白磁庭園騎士は、罠を“庭の乱れ”として整えてくる。
罠が罠である前に、白く固められる。
「先に動く」
《迎撃開始しますか》
「開始だ」
白磁庭園騎士が、一歩、入口へ足を踏み入れた。
その瞬間、床の赤錆噛みが走った。
赤黒い筋が、騎士の足元へ伸びる。
鉄。
鎧。
関節。
そこを噛むはずだった。
だが、白い足甲に触れた赤錆は、じゅう、と音を立てて白く固まった。
錆が消えたわけではない。
白い陶器の中に閉じ込められた。
《赤錆噛み、無効化》
「早い!」
赤錆噛みネズミが床下から飛び出す。
狙いは足首の留め具。
赤甲鎧鬼の時と同じだ。
板ではなく、隙間を噛む。
ネズミの牙が白い関節へ触れた。
きち。
きちち。
噛めない。
いや、噛んではいる。
だが牙の先が白く固まっていく。
《赤錆噛みネズミ、牙先白磁化》
「戻れ!」
赤錆噛みネズミが慌てて飛び退く。
牙の先に白い欠片がついている。
痛そうではない。
だが、錆が乗らない。
「関節狙いも駄目か」
《白磁庭園騎士の外装は金属ではなく白磁質です》
「鎧のくせに錆びぬのか。卑怯だろうが」
《敵性個体に公平性はありません》
「分かっておる!」
白磁庭園騎士は、ゆっくり進む。
焦らない。
急がない。
迷宮の奥を目指しているというより、通った場所を自分のものに変えている。
湿灰が白く固まる。
苔が陶器のように薄く張り付く。
壁のぬめりが消える。
影が薄くなる。
それだけで、迷靄洞の呼吸が浅くなったように感じた。
「影縫い大蜘蛛」
天井から黒い糸が落ちる。
騎士の槍に絡める。
次いで、肩、盾、足元。
影縫い大蜘蛛の糸は、これまで何度も敵の動きを殺してきた。
だが、白磁庭園騎士が盾を軽く掲げた。
花弁のような盾が、白く開く。
その盾から、細かな白い粉が舞った。
白磁花粉。
糸に触れた瞬間、糸が白く硬くなる。
しなやかだった影糸が、陶器の細棒になって砕けた。
《影縫い糸、硬化破断》
影縫い大蜘蛛が、天井で脚を鳴らした。
痛みではない。
苛立ちだ。
「大蜘蛛、無理に絡めるな!」
だが、白磁庭園騎士は大蜘蛛を見上げた。
兜の奥の白光が、天井を射る。
光に照らされた場所の糸が、白く浮かび上がる。
「まずい」
今までなら、光で影が濃くなる。
カゲヌイの餌になる。
だが、白磁庭園の光は違った。
影を濃くするのではなく、影の輪郭ごと白く塗り替える。
カゲヌイが影に骨針を刺そうとした。
その影が白く固まった。
針が弾かれる。
《カゲヌイ、影縫い失敗》
「カゲヌイまで通らぬか!」
白磁庭園騎士が槍を構えた。
突きではない。
床へ、槍の石突きを軽く置く。
こつん。
それだけで、床に白い円が広がった。
湿灰が固まる。
戻り水が止まる。
赤錆噛みの筋が白い線に埋められる。
迷靄洞の第一層が、一部だけ別の迷宮に変わっていく。
《第一層、白磁庭化率上昇》
「上昇させるな!」
《現象報告です》
「余の迷宮で勝手に庭を作るなと言っておる!」
グズが我慢できずに飛び出した。
「ギィィィ!」
「待て、まだ――」
遅い。
グズは白磁庭園騎士へ突っ込んだ。
棍棒を振り上げ、花弁盾へ叩き込む。
轟音。
普通の盾なら割れている。
大盾持ちの盾も、赤甲鎧鬼の膝も、グズは砕いてきた。
だが、花弁盾は割れなかった。
白い花弁が衝撃を受け流すように開き、グズの棍棒の表面が白く固まった。
「ギッ!?」
グズが棍棒を引こうとする。
引けない。
棍棒の先端が盾に貼りついている。
「棍棒を捨てろ!」
グズが迷った。
その一瞬、白磁庭園騎士の槍が動いた。
白い槍が、グズの肩を貫いた。
《グズ、重傷》
「グズ!」
影縫い大蜘蛛が糸を飛ばし、グズの腰を引いた。
カゲヌイも、なんとかグズの影だけを掴んで後ろへ引く。
グズは棍棒を捨て、転がるように戻った。
肩から泥混じりの血が落ちる。
傷口の端が、白く固まり始めていた。
《白磁侵食、グズ傷口に発生》
「削れ!」
《対象部位を除去すれば進行停止可能》
「やれ!」
苔灰ゴブリンが飛びつき、グズの肩の白い部分を爪で削る。
グズが低く唸る。
痛いのだろう。
だが、削らねば固まる。
白磁庭園騎士は追ってこない。
ただ、ゆっくり進む。
まるで、焦る必要などないと言うように。
余は、初めて理解した。
これは、強い敵というより、相性の悪い敵だ。
迷靄洞の強さは、汚れ、湿り、影、錆、死骸、音、道の歪み。
全部、不揃いなものだ。
白磁庭園騎士は、それを揃えてくる。
湿ったものを乾かす。
動くものを固める。
影を薄くする。
錆を閉じ込める。
死体を白くして、動けなくする。
迷宮の混沌を、庭園の秩序に変えてくる。
「アンデッドゴブリン」
《出しますか》
「三体。左右から押せ」
《ソウル36消費》
湿灰からアンデッドゴブリンが這い出す。
死んだ体。
折れた骨。
腐った肉。
普通の人間なら怯む。
白磁庭園騎士は怯まない。
盾を開く。
白い粉が降る。
アンデッドゴブリンの腐肉が白く乾き、関節が固まる。
一体目は動けなくなった。
二体目は膝から崩れた。
三体目が騎士の足へ噛みつこうとした瞬間、槍で頭を貫かれた。
《アンデッドゴブリン三体、無力化》
「死体すら庭の飾りにする気か」
《白磁庭園騎士、死体固定能力あり》
「嫌すぎる」
マネが、死んだ記録官の声で叫ぶ。
「――白光は有効! 火を使え!」
白磁庭園騎士は反応しない。
声に惑わされない。
人間ではないからだ。
命令系統が声ではない。
マネの強みも、ここでは薄い。
「マネ、下がれ。無理に喋るな」
「ギ……」
マネが悔しそうに引っ込む。
白磁庭園騎士はさらに一歩進んだ。
第一層の床が、白い道になる。
それは美しかった。
だからこそ、腹が立つ。
白く、滑らかで、整っている。
迷靄洞らしさがない。
「余の泥を、勝手に綺麗にするな」
余の声は低くなっていた。
焦っている。
だが、叫ばない。
配下が見ている。
ここで余が喚けば、迷宮全体が揺らぐ。
考えろ。
白磁庭園騎士は何をしている。
消しているのか。
いや、違う。
赤錆噛みは消えていない。
白い陶器の中に閉じ込められた。
糸も消えていない。
硬くなって砕けた。
湿灰も消えていない。
白く固まっている。
死体も消えていない。
庭の飾りのように固定された。
「消しているのではない」
《はい?》
「整えている。固めている。閉じ込めている」
《白磁庭園騎士の庭化作用と一致します》
「なら、白くなったものは、残っている」
《はい》
「残っているなら、使える」
余は監視面を拡大した。
白く固まった赤錆の筋。
白く砕けた影糸。
白く固定されたアンデッドゴブリン。
白くなった湿灰。
そこには、影がないように見える。
だが違う。
白いものにも、輪郭はある。
光に照らされた白い輪郭。
黒い影ではない。
だが、境目がある。
「カゲヌイ」
壁際で縮こまっていた小さな罠師が顔を上げる。
「黒い影を縫うな」
カゲヌイが骨針を握る。
「白い輪郭を縫え」
《未登録技能です》
「登録しろ。今」
《技能発生には条件が不足しています》
「不足しているなら、作る」
余は白く固まったアンデッドゴブリンを見た。
白磁庭園騎士は、それをただの飾りとして放置している。
あれはもう動けない。
だが、迷靄洞の死体だ。
余のものだ。
「影縫い大蜘蛛」
天井の大蜘蛛が、痛んだ脚を動かす。
「白く砕けた糸を集めろ。捨てるな」
影縫い大蜘蛛が、硬化して落ちた白い糸片を細い糸で絡め取る。
黒い糸と、白い糸片。
それを混ぜる。
「カゲヌイ、その白い糸片を針に巻け」
カゲヌイは一瞬だけ躊躇した。
そして、白く砕けた糸片を骨針へ絡めた。
針の先が、白く光る。
《異常反応》
「よし」
白磁庭園騎士がこちらを見る。
気づいた。
今まで庭を整えるだけだった騎士が、初めて明確にカゲヌイへ槍を向けた。
「守れ!」
グズは重傷で動けない。
アンデッドは使えない。
赤錆噛みネズミは牙がまだ戻らない。
なら、追跡者。
《起動しますか》
「時間を稼げ!」
《ソウル35消費》
湿灰の奥から、落武者の影が立ち上がる。
追跡者。
迷宮内ならどこまでも追う最強枠。
白磁庭園騎士が槍を突き出す。
追跡者が太刀を合わせる。
白と錆びた黒がぶつかる。
ぎん、と乾いた音。
追跡者の太刀が、白く欠けた。
《追跡者の太刀、白磁化損傷》
「追跡者でも押されるか!」
だが、止めた。
一瞬だけ。
それでいい。
カゲヌイが白い糸片を巻いた骨針を、白く固まった床の輪郭へ刺した。
刺さらない。
弾かれる。
もう一度。
弾かれる。
白磁庭園騎士の槍が追跡者を押し返す。
追跡者の肩が白く固まり始める。
「カゲヌイ!」
カゲヌイが三度目の針を打った。
今度は、黒い影ではない。
白い床と湿った床の境目。
白と灰の輪郭。
そこへ針が入った。
《白輪郭への接続を確認》
「入った!」
白い床が、わずかに震えた。
縫えたわけではない。
まだ糸は通らない。
だが、触れた。
白磁庭園騎士の動きが、ほんの少し止まる。
白い兜が、カゲヌイを向いた。
明らかに、敵として認識した。
「大蜘蛛、今だ。白い糸片を撒け」
影縫い大蜘蛛が、白く砕けた自分の糸片を天井から落とす。
白い粉ではない。
白い糸の破片。
白磁庭園騎士の盾から出た白磁花粉と、迷靄洞の影糸が混ざったもの。
それが白い床の上に散った。
カゲヌイが、その輪郭に針を刺す。
一本。
二本。
三本。
《白輪郭固定、微弱成功》
白磁庭園騎士の左足が、半歩だけ遅れた。
本当に半歩。
だが、余は見逃さなかった。
「沈み鎧床、残っている部分を開け!」
《第一層左側、湿灰保持区画を開放》
白磁化されていない湿灰が、左側から流れ込む。
白い床と灰の床がぶつかる。
白磁庭園騎士は、白い道を作りながら進んでいた。
なら、白い道の境目を縫えば、白い道そのものが檻になる。
「そうか」
余は笑った。
「お前は、余の罠を消していたのではない」
白磁庭園騎士が槍を構える。
「余の罠を、白く固めて残していたのだ」
カゲヌイが白い輪郭を縫う。
まだ弱い。
すぐに切れそうだ。
それでも、白磁庭園騎士の足が止まった。
追跡者が、白く欠けた太刀で槍を受ける。
影縫い大蜘蛛が、白い糸片をさらに落とす。
赤錆噛みネズミが、牙先の白磁を床へこすり落とし、再びきちきちと鳴いた。
グズが、傷ついた肩を押さえながら立ち上がる。
「ギ……」
「まだだ、グズ。今は耐えろ」
白磁庭園騎士は、初めて後ろへ足を引こうとした。
だが、白く固めた床の輪郭をカゲヌイが縫っている。
黒い影ではなく。
白い境目を。
白い庭そのものを、迷靄洞の罠へ変え始めている。
《新規技能候補:白縫い》
《まだ不完全です》
「不完全でいい」
余は白磁庭園騎士を睨んだ。
「完成は、お前を喰ってからだ」
白い騎士が、槍を高く掲げた。
花弁盾が全開になる。
第一層に白い光が満ちる。
《高出力庭化反応》
《白磁庭園騎士、全域白磁化を開始》
「来るぞ」
余は全層へ命じた。
「全員、白い床に飲まれるな。境目へ逃げろ。白と灰の境目を残せ」
白い光が走る。
湿灰が固まる。
影が薄れる。
罠が白く染まる。
だが、もう怖いだけではない。
白くなるなら、輪郭が生まれる。
輪郭があるなら、縫える。
縫えるなら、罠になる。
余は笑った。
まだ勝っていない。
むしろ押されている。
グズは傷つき、追跡者の太刀は欠け、影縫い大蜘蛛の糸は砕かれ、カゲヌイの新技も不完全。
だが、勝ち筋が見えた。
「白磁庭園騎士」
余の声は、白い部屋に低く響いた。
「お前の庭は、綺麗すぎる」
白と灰の境目に、カゲヌイの針が刺さる。
「だから、縫い目がよく見える」
白い騎士が、槍を振り下ろした。




