表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

79/136

第75話 蜘蛛の糸は、地図を殺す

 Cランクになった翌朝。


 迷靄洞の入口は、静かだった。


 だが、それは何も起きていない静けさではない。


 待っている静けさだ。


 湿灰は薄く床を覆い、灰噛みネズミは壁の隙間に潜み、グズは入口脇で棍棒を担いでいた。


 そして、入口奥の天井。


 そこに、黒い大きな影が張りついていた。


 影縫い大蜘蛛。


 迷靄洞の蜘蛛系魔物の中核。


 八本の脚は長く、腹は岩陰に溶けるほど暗い。


 ただの蜘蛛ではない。


 糸を張る。


 巣を作る。


 足を縛る。


 通路を塞ぐ。


 そして、影を縫う。


 その糸に捕まった者は、肉体だけではなく、足元の影ごと地面へ縫いつけられる。


 動けなくなる。


 逃げ道を失う。


 地図にあるはずの道へ、進めなくなる。


「……そうだ」


 余は白い部屋で、監視面を睨みながら呟いた。


「こいつを忘れてどうする。馬鹿か、余は」


《ロードの記憶管理については、改善が必要です》


「やかましい」


《事実です》


「分かっておるわ!」


 影縫い大蜘蛛は、迷靄洞の重要な手札だ。


 そして今、その影縫い大蜘蛛の下に、もう一つの小さな影がいた。


 影縫い罠師カゲヌイ。


 Cランク昇格後に得た、新しい罠設置魔物。


 黒布のような顔。


 細い指。


 背中に背負った骨針と影糸。


 戦闘力は低い。


 だが、罠を作る。


 罠を移す。


 影を縫い、通路を偽り、敵の足を殺す。


 影縫い大蜘蛛と、影縫い罠師カゲヌイ。


 名前は似ている。


 役割も近い。


 だが、同じではない。


 大蜘蛛は、糸と巣の実働。


 カゲヌイは、罠と構造の職人。


「よいか、カゲヌイ」


 余が言うと、壁の影にいたカゲヌイが顔を上げた。


「影縫い大蜘蛛の糸を使え。お前の影糸だけで罠を張るな。大蜘蛛が縛り、お前が道を殺す」


 カゲヌイは声を出さない。


 ただ、細い指で影をつまんだ。


 その影糸が、影縫い大蜘蛛の太い糸に絡む。


 黒い糸と、さらに濃い影糸。


 二つが重なった瞬間、入口奥の通路が歪んだ。


 正面にあったはずの道が、少し右へ曲がって見える。


 壁だったはずの場所に、細い抜け道があるように見える。


 逆に、本当の通路は影で潰れて見えなくなる。


《連携罠を確認》


《仮称:影縫い偽道》


「いいな」


 余は笑った。


「これなら、地図など役に立たぬ」


 その時、森糸通信が震えた。



接続先:フィルエ

状態:接続



『迷靄洞』


「今度は何だ」


『人間が来る』


「またか」


『討伐隊じゃない。測る人たち』


「測る?」


『縄、白石、地図筒、小さい白灯。外から迷宮の形を調べるつもり』


 余は監視面を外へ向けた。


 森の浅い場所に、人間が五人。


 先頭は革鎧の男。


 腰に剣はあるが、手にしているのは測量縄と羊皮紙だ。


 その後ろに盾持ち。


 槍持ち。


 小型の白灯を持つ神官風の女。


 最後尾には荷物持ちの若い男。


 戦いに来たというより、記録しに来た連中。


 だが、だからこそ危険だった。


「ラウゼンの報告を受けたか」


《可能性が高いです》


「入口には入らず、外周を測り、安全距離を割り出す。次の本隊用の地図を作るつもりだな」


《はい》


 余は目を細めた。


 地図。


 道。


 安全距離。


 退路。


 それらを持ち帰られれば、次の討伐隊はもっと厄介になる。


 なら、殺す。


 地図ごと。


「影縫い大蜘蛛」


 天井の大蜘蛛が、静かに脚を広げた。


「カゲヌイ」


 壁の影で、小さな罠師が骨針を抜いた。


「今日の主役はお前たちだ」


 迷靄洞の奥で、糸が張られる音がした。


 ぎち。


 ぎちぎち。


 通路が、ゆっくり嘘をつき始めた。


 測量班は慎重だった。


 迷靄洞の入口から二十歩ほど離れた場所で止まり、白い石を三つ置く。


 杭は打たない。


 地面に深く触れれば、外周に噛まれると知っているのだろう。


 測量士の男が低く命じた。


「入口正面には立つな。霧の濃い場所へ踏み込むな。白石より内側へは入るな。ここは外周が動く」


「ラウゼン隊長の報告通りですね」


 白灯を持つ女が言った。


 余は舌打ちした。


「ラウゼンめ。余計な報告を残しおって」


《生還者の情報は人間側の武器です》


「だから生還させると面倒なのだ」


 測量士は白い縄を伸ばした。


 入口の幅。


 霧の流れ。


 湿灰の範囲。


 全部を測るつもりだ。


 だが、迷宮の形は、もうそのままではない。


 影縫い大蜘蛛が天井から糸を垂らす。


 見えないほど細い糸。


 それをカゲヌイが影へ縫い込む。


 入口脇の岩陰に、細い横道のような影が生まれた。


 本当は道ではない。


 影縫い大蜘蛛の巣だ。


 カゲヌイが影で作った、偽の隙間だ。


「マネ」


「ギィ」


「ラウゼンの声だ。警告しろ」


 マネが喉を鳴らした。


 そして、冷たい声を出す。


「――右の岩陰に近づくな。そこは、空洞に見える」


 測量班が止まった。


 盾持ちが盾を構え、槍持ちが周囲を見る。


 白灯女が顔をしかめた。


「音真似です。報告にありました」


 測量士は、右の岩陰を見た。


「そうだろうな」


「無視しますか」


「いや。音真似を使ったということは、そこに何かある」


「罠では?」


「罠なら地図に記す。見つけた罠を記録するのが我々の仕事だ」


 余は白い部屋で笑った。


 賢い。


 だからこそ、来る。


 罠を避けるために、罠へ近づく。


 記録するために、死ぬ。


 測量士が盾持ちを先に立たせた。


「白灯、照らせ」


 白灯女が小型白灯を掲げる。


 白い光が岩陰を撫でた。


 一瞬、影縫い大蜘蛛の糸が浮かび上がりかける。


 だが、その前にカゲヌイが骨針を動かした。


 影が糸を飲み込む。


 糸は、ただの岩肌の亀裂に見えた。


「横穴か?」


 測量士が呟く。


「入口とは別の通路かもしれない。確認する」


 入った。


 盾持ち。


 測量士。


 白灯女。


 三人が、偽の横道へ足を踏み入れた。


 槍持ちと荷物持ちは外に残る。


「三人か」


《誘導成功》


「十分だ」


 余は命じた。


「閉じろ」


 影縫い大蜘蛛が、天井から太い糸を落とした。


 背後の隙間を塞ぐ。


 そこへカゲヌイが影糸を縫い込む。


 今入ってきたはずの道が、岩壁になった。


 測量士が振り返る。


「道がない?」


 白灯女が叫ぶ。


「幻惑です!」


「遅い」


 余は灰噛みネズミを四匹放った。


《ソウル8消費》


 ネズミたちは足ではなく、測量士の腰へ走る。


 地図筒。


 測量縄。


 白石袋。


 それを噛む。


「地図を守れ!」


 測量士が叫んだ。


 やはり、命より先に地図を守る。


 ならば地図から殺す。


 盾持ちがネズミを踏み潰そうとした瞬間、影縫い大蜘蛛の糸が盾の腕に絡んだ。


 ただの拘束ではない。


 糸は腕だけではなく、盾持ちの影を床へ縫った。


「動かな――」


 盾持ちの体が傾く。


 そこへカゲヌイが影糸を足首へ打ち込む。


 膝が折れる。


 盾が上がらない。


 白灯女が小型白灯を向けた。


「焼き払います!」


 白い光が糸を焼く。


 じゅう、と嫌な音。


 だが、影縫い大蜘蛛の糸は完全には切れない。


 影を縫っているからだ。


 糸が焼けても、影への縫い目が一拍残る。


 その一拍で、カゲヌイが次の糸を通す。


「いいぞ」


《影縫い大蜘蛛とカゲヌイの連携、有効》


「当然だ。主役だからな」


 測量士が短剣を抜いた。


 地図筒を抱えたまま、壁へ背をつける。


「落ち着け! 道の形を覚えろ! 戻れなくても記録を――」


「記録などさせぬ」


 影縫い大蜘蛛が動いた。


 天井から、一瞬で落ちる。


 巨大な脚が測量士の肩を押さえた。


 牙は使わない。


 殺すのはまだ早い。


 大蜘蛛は測量士の影を、腹から出した黒糸で床へ縫いつける。


 測量士の足が動かなくなる。


「な、なんだ、足が……!」


 カゲヌイが近づく。


 小さな罠師が、測量士の地図筒に骨針を突き立てた。


 筒が開く。


 羊皮紙がこぼれる。


 灰噛みネズミが一斉に群がり、地図を噛み裂いた。


「やめろ! それは王都への報告――」


「だから駄目なのだ」


 余は湿灰を開いた。


 測量士の足元だけが沈む。


 影は縫われている。


 足は沈む。


 体は逃げようとして、逃げられない。


 ばきり、と嫌な音がした。


《侵入者一名死亡》


《獲得ソウル:36》


 地図の破片が湿灰に飲まれていく。


 地図は死んだ。


外に残っていた槍持ちが叫んだ。


「中で何が起きている!」


 荷物持ちが青ざめる。


「戻った方がいいんじゃ……」


 そこへ、測量士の声が響いた。


 もちろん、本物ではない。


 マネだ。


「――問題ない! 外の二人は入口正面を測れ! 白石を置け!」


 槍持ちは迷った。


「隊長?」


 荷物持ちが首を振る。


「音真似です! 報告にあったでしょう!」


「だが、命令は命令だ!」


 槍持ちは前へ出た。


 真面目な人間だ。


 真面目だから、死ぬ。


 入口正面には、影縫い大蜘蛛が事前に張った細い警戒糸がある。


 槍持ちの靴先が、それに触れた。


 カゲヌイが影を引く。


 地面の影がずれた。


 槍持ちは、足場があると思って踏み込んだ。


 だが実際には、半歩分だけ床が沈んでいる。


 膝が崩れる。


 その瞬間、グズが入口から飛び出した。


「ギィィィ!」


 棍棒が振り下ろされる。


 槍持ちの兜が潰れ、頭が砕けた。


《侵入者一名死亡》


《獲得ソウル:31》


 荷物持ちが悲鳴を上げて逃げ出す。


「嫌だ! 俺はただの荷物持ちだ!」


「見たな」


 余は冷たく言った。


「見た者は、持ち帰る」


 影縫い大蜘蛛の糸は届かない。


 だが、カゲヌイが影糸を地面へ走らせる。


 荷物持ちの影の端を縫う。


 一瞬、足が重くなる。


 その一瞬で灰噛みネズミが靴紐を噛み切った。


 荷物持ちは転ぶ。


 そこへ影縫い大蜘蛛の糸が届いた。


 背中に絡む。


 腕を縛る。


 影を地面へ縫う。


「助け――」


 湿灰が口を塞いだ。


《侵入者一名死亡》


《獲得ソウル:18》


偽道の中では、残り二人が追い詰められていた。


 盾持ちは腕と影を縫われ、まともに盾を上げられない。


 白灯女は必死に小型白灯を振り、糸を焼いている。


 だが、焼けば焼くほど、カゲヌイが別の影へ縫い直す。


 影縫い大蜘蛛は天井へ戻り、また糸を落とす。


 糸。


 影糸。


 罠。


 巣。


 迷宮の中で、二体の動きが噛み合っていた。


「これだ」


 余は呟いた。


「影縫い大蜘蛛が縛り、カゲヌイが殺す形にする。これが迷靄洞の罠巣だ」


《戦術登録しますか》


「登録しろ」


《戦術名:影縫い罠巣》


 白灯女が叫んだ。


「主よ、穢れを焼き払いたまえ!」


 小型白灯が強く輝く。


 糸が焼ける。


 影の縫い目が薄くなる。


 盾持ちが叫んだ。


「俺ごと焼け! この罠の情報だけでも持ち帰れ!」


「帰れると思うな」


 余はアンデッドゴブリンを起こした。


《死骸素材を使用しますか》


「槍持ちの血と、古いゴブリン骨を使え」


《ソウル10消費》


 湿灰が盛り上がる。


 歪なアンデッドゴブリンが這い出した。


 片腕は骨だけ。


 顔は半分潰れている。


 だが、死んでいるから白灯を恐れない。


「行け」


 アンデッドゴブリンが白灯の中へ突っ込んだ。


 皮が焦げる。


 骨が白く乾く。


 それでも進む。


 盾持ちが剣を振る。


 肩が裂ける。


 だが、アンデッドゴブリンはそのまま盾持ちの喉に噛みついた。


「がっ……!」


《侵入者一名死亡》


《獲得ソウル:29》


 白灯女だけが残った。


 彼女は小型白灯を抱え、震えていた。


 影縫い大蜘蛛が天井から降りる。


 カゲヌイが床の影を縫う。


 白灯女の足が止まる。


「この迷宮……道が、生きてる……」


「違う」


 余は言った。


「余の迷宮が、お前の地図を喰っただけだ」


 影縫い大蜘蛛の糸が、小型白灯に絡む。


 カゲヌイの影糸が、その光の影を縫う。


 白灯の光が、不自然に床へ落ちた。


 周囲を照らせなくなる。


 光の向きそのものを、縫われたのだ。


 白灯女の顔が絶望に歪む。


「そんな……」


「終わりだ」


 湿灰が彼女の足元を開いた。


 影は縫われている。


 足は動かない。


 白灯は照らせない。


 影縫い大蜘蛛が背中を押す。


 カゲヌイが最後の糸を膝に通す。


 白灯女は湿灰へ倒れた。


《侵入者一名死亡》


《獲得ソウル:34》


 小型白灯が消えた。


 偽道は、暗さを取り戻した。


戦闘後。


 影縫い大蜘蛛は、破れた糸を張り直していた。


 カゲヌイはその横で、焼けた影糸の跡を骨針で縫い直している。


 二体は言葉を交わさない。


 だが、動きは噛み合っていた。


 大蜘蛛が糸を出す。


 カゲヌイが影に通す。


 大蜘蛛が巣を広げる。


 カゲヌイが偽道に変える。


 大蜘蛛が獲物を縛る。


 カゲヌイがその影を地面へ縫いつける。


「よくやった」


 余は静かに言った。


 影縫い大蜘蛛が、天井で脚を鳴らした。


 カゲヌイが、小さく頭を下げる。


 白い部屋に収支が浮かぶ。



【測量班迎撃戦】


撃破:

測量士

槍持ち

荷物持ち

盾持ち

白灯神官


獲得ソウル:

+36

+31

+18

+29

+34


消費:

灰噛みネズミ生成:−10

アンデッドゴブリン生成:−10

影縫い偽道維持:−16

影縫い罠巣展開:−18

糸・影糸補修:−8


取得:

破れた測量地図

測量縄

小型白灯

白石目印

王都調査印

地図筒の金具

白灯灰


戦術登録:

影縫い罠巣


現在ソウル:386



「少し使ったが、十分増えたな」


《はい》


「地図は」


《破壊済み》


「白石は」


《外周外に二つ残存》


『拾った』


 フィルエの声が入った。


 監視面に、森の境界に立つフィルエが映る。


 手には白石。


 その裏側に、小さな赤い刻印があった。



第二観測点

本隊待機予定地



 余は黙った。


《測量班は先遣隊と推定》


「本隊がいるのだな」


『うん。地図を作る人たちじゃない』


「では何だ」


『地図を使って、潰す人たち』


 余は破れた測量地図を見た。


 地図は死んだ。


 だが、本隊はまだいる。


 測量班が戻らなければ、異常に気づく。


 次は、もっと慎重に来る。


 もっと強く。


 もっと殺す気で。


「よい」


 余は監視面を入口から奥へ広げた。


「なら、入口から第二層までを作り替える」


《方針は?》


「影縫い大蜘蛛とカゲヌイを中心に、迷靄洞を罠巣にする」


《了解》


「グズは入口。マネは死んだ測量士の声を覚えろ。灰噛みネズミは地図と白石を優先して壊せ。アンデッドゴブリンは白灯持ちへの肉壁だ」


《了解》


 最後に、余は天井の影縫い大蜘蛛を見た。


「影縫い大蜘蛛」


 黒い大蜘蛛が、静かに動きを止める。


「カゲヌイ」


 小さな罠師が、壁の影から顔を出す。


「次の本隊は、お前たちで殺す」


 糸が張られる。


 影が縫われる。


 道が歪む。


 迷靄洞が、音もなく形を変えていく。


 もう、ただの洞窟ではない。


 ただのゴブリンの巣でもない。


 Cランク迷宮、迷靄洞。


 ここでは、地図は信用できない。


 道は正しくない。


 影は、足を裏切る。


「来い、人間ども」


 余は白い部屋で笑った。


「影縫いの巣で、本隊ごと喰ってやる」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ