第73話 白磁の花は、死体に咲く
フィルエと契約した翌朝。
森糸通信が、いきなり震えた。
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接続先:フィルエ
状態:緊急
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「……早いな」
《はい》
「仲間になった翌日に緊急連絡とは、あの女、厄介事を連れてくる才能があるのではないか」
《可能性は高いです》
余が白い部屋で監視面を開くと、森の奥にフィルエの気配が浮かんだ。
声だけが届く。
『迷靄洞。白磁が動いた』
「もうか」
『うん。根じゃない。今度は、花』
「花?」
『死体に咲く花。昨日の戦場跡、残ってる?』
余は監視面を入口へ向けた。
封鎖線の残骸。
焼けた板。
割れた火油樽。
湿灰に沈んだ槍。
そして、回収されなかった血の跡。
死体そのものは大半を燃やされるか、余が喰った。
だが、全部ではない。
血。
肉片。
髪。
折れた骨。
人間が置いていったものは、まだ湿灰に残っている。
「ある」
『そこに、咲く』
その直後だった。
迷靄洞の外周で、白いものが開いた。
花だった。
小さい。
指先ほどの白い花。
だが、花弁は柔らかくない。
薄い磁器のように硬く、朝の光を反射している。
一本。
二本。
三本。
封鎖線跡に残った血の染みから、白磁の花が生えてくる。
「昨日、根は焼いたはずだぞ!」
《白磁片の微細因子が血液および死体残渣に定着した可能性》
「破片は回収しただろう!」
《全量回収は不可能でした》
「先に言え!」
《現在判明しました》
白磁の花は、ゆっくりと開いた。
その中心から、甘い匂いが流れる。
人間の鼻には分からないほど薄い。
だが、魔物には分かる。
入口のゴブリンが、ふらりと一歩前に出た。
「止まれ!」
グズが棍棒を振った。
どん、と地面を叩く。
門番長になったおかげか、近くのゴブリンたちがびくりと止まった。
「よし、グズ!」
「ギィィ!」
《グズによる簡易統率、成功》
だが、白磁の花の匂いは魔物だけを呼ぶものではなかった。
森の向こうから、足音が来る。
人間だ。
五人。
いや、六人。
封鎖線が崩れた後の残骸を漁りに来た連中。
冒険者崩れか、拾い屋か。
先頭の男が、焼け跡を見て笑った。
「本当に封鎖隊が引いた跡だ。槍も板も残ってる」
「白灯杭の欠片があれば高く売れるぞ」
「近づきすぎるなよ。ここは例の迷靄洞だ」
「分かってる。入口には入らねえ。外だけ漁って帰る」
余は白い部屋で目を細めた。
「外だけ、か」
《はい》
「どいつもこいつも、余の外周を安全地帯だと思いおって」
『違う』
フィルエの声が割り込む。
『その人間たち、呼ばれてる』
「白磁の花にか」
『うん。花の匂いは、欲を強くする。拾える、儲かる、安全だって思わせる』
「つまり、白磁庭園が餌を寄越したのか」
『餌じゃない。苗床』
その言葉で、余は理解した。
人間が死ぬ。
死体に白磁の花が咲く。
花が増える。
白磁庭園の観測点が広がる。
余が殺せば、白磁が得をする。
殺さなければ、人間に外周を漁られる。
「……腹立たしい」
《はい》
白磁庭園は、余に選ばせている。
ソウルを取るか。
外周を守るか。
フィルエが静かに言った。
『殺していい。でも、死体をそのまま置いたら駄目』
「対策は」
『森水。持ってきた』
監視面の端に、フィルエが映った。
森の境界に立っている。
手には小さな革袋。
その中で、青緑色の水が揺れていた。
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【素材取得候補】
森水
フィルエが採取
効果:
・白磁花の定着阻害
・湿灰の再生補助
・灰かぶり系魔物の安定化
・白灯系浄化への抵抗微増
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「よくやった」
『褒めた?』
「利用価値を認めただけだ」
『うん。あなたっぽい』
「黙れ」
余はすぐに命じた。
「管理音声。森水を外周の湿灰に混ぜろ」
《フィルエの協力が必要です》
「フィルエ」
『分かってる』
フィルエは境界線ぎりぎりまで近づき、革袋を置いた。
湿灰が細く伸び、革袋を飲む。
その瞬間、青緑の水が迷靄洞の灰に染み込んだ。
湿灰がわずかに色を変える。
ただの灰色ではない。
深い森の底のような、鈍い緑を帯びた灰。
《森水、湿灰へ混合》
《新規変質灰:森灰を確認》
「森灰」
『それなら白磁花を腐らせられる』
「よし」
余は監視面の中の拾い屋たちを見た。
彼らは、すでに白磁の花の近くまで来ている。
先頭の男が、白い花に手を伸ばした。
「なんだこれ。綺麗じゃねえか」
その指先に、花粉がついた。
男の目が少し濁る。
「……奥に、もっとあるな」
「おい、入口には近づくなって」
「大丈夫だ。すぐそこだ」
馬鹿が。
だが、今回は白磁に操られた馬鹿だ。
なら、余が喰う。
ただし、白磁の苗床にはしない。
「グズ」
「ギィ」
「入口に引きつけろ。殺すのは森灰の上だ」
「ギ?」
《複雑命令です》
「では簡単に言う。押せ。止まれ。殴れ」
「ギィィ!」
《理解しました》
グズが棍棒を構えた。
他のゴブリンが、その後ろで汚い声を上げる。
拾い屋たちが気づく。
「ゴブリンだ!」
「やっぱりいるぞ!」
「落ち着け! 入口から出てこないなら弓で射ればいい!」
弓持ちが前に出た。
その足元に、森灰が薄く広がる。
「今だ。灰噛みネズミ、三匹」
《ソウル6消費》
森灰の中から、灰噛みネズミが生まれた。
以前より、体が少し重い。
毛の隙間に、苔のような緑が混じっている。
ネズミは一直線に弓持ちへ走った。
「ネズミ!」
弓持ちが足を上げる。
踏み潰そうとした。
その瞬間、ネズミは靴紐ではなく、弓の弦を噛んだ。
ぷつん。
「は?」
弓が使えなくなる。
グズが前へ出た。
棍棒が唸る。
弓持ちの胸を叩き潰した。
《侵入者一名死亡》
《獲得ソウル:23》
死体が森灰の上に倒れる。
白磁の花粉が、その血に反応した。
白い芽が出ようとする。
だが、森灰がそれを包む。
じゅう、と音がした。
白い芽が黒ずみ、腐る。
《白磁花定着、阻害成功》
「よし!」
余は思わず叫んだ。
フィルエの声が淡々と届く。
『次。死体は一箇所に集めないで。花が束になる』
「分かっている!」
拾い屋たちは混乱した。
「くそ、弓が!」
「前に出るな! こいつ、普通のゴブリンじゃない!」
「逃げろ!」
逃げる。
だが、花の匂いを吸った者は判断が鈍い。
一人は白灯杭の欠片を拾おうとした。
一人は仲間の荷袋を掴もうとした。
一人は転んだ弓持ちの死体へ手を伸ばした。
「助けるなと言われても助ける。人間は本当に学ばぬな」
《ラウゼン隊とは練度が違います》
「なら、喰いやすい」
余は森灰を広げた。
だが、広げすぎると薄まる。
白磁花がその隙間を狙ってくる。
花弁が震え、死んだ弓持ちの血から、二本目の芽が出ようとした。
フィルエが言う。
『灰かぶりを出して。森水を混ぜた個体なら、花を踏める』
「灰かぶりゴブリン、二体」
《ソウル30消費》
湿灰が盛り上がる。
灰かぶりゴブリンが二体、入口脇から這い出た。
だが、いつもの灰かぶりとは違う。
肩や背中に、湿った苔のようなものが張りついている。
目の光も、灰色ではなく鈍い緑を帯びていた。
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【変質個体発生】
苔灰ゴブリン
系統:灰かぶりゴブリン変質種
素材影響:森水/森灰
特徴:
・白磁花の花粉に耐性
・白灯系浄化への崩壊遅延
・湿った地面で再生力上昇
・乾燥と強火に弱い
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「新しい魔物か」
《一時変質ではなく、登録可能です》
「よし。登録だ」
《魔物枠に追加》
苔灰ゴブリンが白磁花を踏み潰した。
花弁が割れる。
中から白い粉が舞う。
普通のゴブリンなら吸ってふらつく。
だが、苔灰は崩れない。
むしろ、背中の苔が白い粉を絡め取る。
そのまま、拾い屋の一人に飛びかかった。
「ぎゃあっ!」
苔灰ゴブリンの腕が、男の顔を押さえる。
湿った灰が口と鼻に入り込む。
男は短剣で苔灰の腹を刺した。
灰が崩れる。
だが、森灰の上で苔灰は崩れきらない。
半分崩れた体を引きずりながら、男の喉に噛みついた。
《侵入者一名死亡》
《獲得ソウル:21》
もう一体の苔灰が、白磁花の群れへ突っ込む。
花が震える。
白い粉が濃くなる。
その粉を吸った拾い屋の女が、ぼんやりと笑った。
「綺麗……」
そのまま、迷宮の入口へ歩いてくる。
余は一瞬、嫌な気配を感じた。
「待て。あれは何か違う」
《白磁花による苗床化が進行中》
女の首筋に、白い筋が浮かんでいる。
血管ではない。
根だ。
まだ生きている人間の中に、白磁の根が入り込んでいる。
「生きたまま苗床にするのか!」
《危険度上昇》
『殺すなら早く。入口に入れないで』
「分かっておる!」
追跡者を使うか。
いや、ソウルが重い。
グズを向かわせるか。
だが、白磁の根がグズに触れると危ない。
苔灰は一体が崩れかけている。
もう一体は花を潰している。
なら。
「マネ」
「ギィ」
「ラウゼンの声を真似ろ」
《音声記録あり》
マネが喉を鳴らした。
そして、封鎖線の時に聞いた、あの冷たい指揮官の声を出す。
「――近づくな。倒れた者を助けるな」
苗床化した女以外の拾い屋たちが硬直した。
ラウゼンを直接知っているわけではない。
だが、その声には命令の重みがある。
戦場で人を止める声だ。
足が止まる。
その間に、余は外周咬合を一点だけ開いた。
「飲め」
《外周咬合、小規模発生》
苗床化した女の足元が沈む。
女は笑ったまま、こちらへ手を伸ばした。
その手のひらに、白い花が咲きかける。
まずい。
余は森灰を集中させた。
灰が足から胴へ絡みつく。
白磁の花が咲くより早く、森灰が女ごと口の中へ引きずり込む。
《侵入者一名死亡》
《獲得ソウル:19》
《白磁苗床、森灰処理中》
《処理成功》
白い花は咲かなかった。
代わりに、湿灰の奥で黒く腐った。
「危なかった……!」
《はい》
『判断、速かった』
「褒めているのか」
『うん』
「なら、もっと分かりやすく褒めろ」
『えらい』
「馬鹿にしておるだろ」
『少し』
「おい!」
だが、戦いはまだ終わっていない。
残り三人。
一人は逃げる。
一人は白灯杭片を抱えている。
一人は、仲間を置いていけずに泣いている。
余は冷たく見た。
逃がす必要はない。
白磁花を処理できる手段は得た。
なら、ソウルにする。
「グズ、右だ」
「ギィ!」
グズが右の男を殴り飛ばす。
壁に叩きつけられた男の首が折れた。
《侵入者一名死亡》
《獲得ソウル:25》
「苔灰、左」
苔灰ゴブリンが這う。
泣いていた男の足首を掴み、森灰の上へ引き倒す。
男は叫んだ。
「助け――」
声は最後まで出なかった。
《侵入者一名死亡》
《獲得ソウル:20》
最後の一人が逃げる。
外周の外へ。
森の方へ。
追えない。
だが、そちらにはフィルエがいる。
『逃がす?』
「いや」
『殺す?』
「森で殺せるのか」
『私は殺すのは得意じゃない』
「では足を止めろ」
『それならできる』
フィルエが森の中で指を鳴らした。
木の根が一本、地面から浮く。
逃げる男の足に絡む。
男が転ぶ。
その拍子に、白灯杭片が手から落ちた。
湿灰の届くぎりぎり。
余は灰噛みネズミを一匹だけ走らせた。
《ソウル2消費》
ネズミが男の手首に噛みつく。
男が悲鳴を上げる。
その一瞬で、外周咬合が届いた。
足首だけを噛む。
引き戻す。
男は爪を立てて地面にしがみついた。
「いやだ、いやだ、いやだ!」
「余の外周を漁ったのだ。代金を払え」
男は湿灰に飲まれた。
《侵入者一名死亡》
《獲得ソウル:24》
森が静かになった。
白磁の花は、すべて苔灰ゴブリンと森灰に踏み潰されている。
咲きかけた苗床も処理した。
拾い屋は全滅。
外周の死体も、今度は森灰の上で処理する。
白磁の花が咲く余地はない。
白い部屋に収支が浮かぶ。
⸻
【白磁花迎撃戦】
撃破:
拾い屋六名
獲得ソウル:
+23
+21
+19
+25
+20
+24
消費:
灰噛みネズミ生成:−8
灰かぶりゴブリン生成:−30
森灰展開:−12
外周咬合:−18
取得:
白磁花片
苗床化した血灰
白灯杭片
拾い屋の短剣
壊れた弓
白磁花粉
新規登録:
苔灰ゴブリン
森灰
現在ソウル:284
⸻
「増えたな」
《はい》
「白磁庭園に利用されかけたが、逆に素材を得た」
《はい》
「悪くない」
『よかった』
「フィルエ」
『なに』
「お前の森水は使える」
『また取ってくる』
「勝手に死ぬなよ。お前が死ぬと、この契約が無駄になる」
『心配?』
「資産管理だ」
『うん。あなたっぽい』
フィルエの声が少し遠くなる。
森糸通信が弱くなっていく。
『でも、気をつけて。白磁はまだ見てる』
「分かっている」
『花を使ったなら、次は庭師が来る』
「庭師?」
『白磁庭園の実働個体。根を植えて、花を咲かせて、邪魔なものを剪定する』
「剪定、だと」
『うん。迷宮も、森も、人間も。形が悪いものを切る』
通信がさらに薄くなる。
『次は、たぶん戦える相手が来る』
「ちょうどよい」
『無理しないで』
「余に指図するな」
『仲間だから言う』
それだけ言って、森糸通信は切れた。
余はしばらく、消えた表示を見ていた。
仲間。
面倒な言葉だ。
だが、今日の戦いで分かった。
フィルエの目は使える。
森水は使える。
森灰は白磁に効く。
そして、迷靄洞はまた新しい魔物を得た。
入口では、苔灰ゴブリンが崩れかけた体を湿灰で補修している。
グズがそれを見下ろし、なぜか偉そうに棍棒を鳴らした。
「ギィ」
「お前が作ったわけではないぞ、グズ」
「ギ?」
《理解していません》
「まあいい」
余は白磁花片を監視面に映した。
美しい白。
だが中身は寄生と支配。
白磁庭園は、根を張り、花を咲かせ、死体すら庭に変える。
なら、こちらは腐らせる。
森灰で。
湿灰で。
ゴブリンで。
追跡者で。
迷靄洞のやり方で。
その時、ダンジョン新聞が震えた。
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【号外・小報】
迷靄洞、白磁庭園の白磁花を迎撃。
森客フィルエとの連携により、外来因子の定着を阻害。
新規変質魔物「苔灰ゴブリン」を確認。
Cランク査定項目に以下を追加。
・外来因子への対抗手段
・外部協力者との戦術連携
・魔物変質運用
査定状況:
最終評価待ち
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「最終評価待ち……!」
《Cランク昇格判定が近いと推定》
「来たか」
交流欄が流れる。
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・“灰冠のロード”:白磁の花を腐らせたか。いいぞ、若造
・“白磁庭園”:まあ。ずいぶんと泥臭い処理をなさるのね
・“針骨回廊”:苔灰ゴブリン、記録対象
・“朽縄井戸”井守:花は食べちゃだめだよぉ。お腹で咲くからねぇ
・“玻璃宮の姫”:森客との連携、想定より早いですわ
・“名無しの小洞”:仲間いると強いの?
・“灰冠のロード”:強い。だが裏切られると痛い
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余は新聞を閉じた。
「裏切られると痛い、か」
《はい》
「フィルエは裏切ると思うか」
《判断不能》
「だろうな」
だが今は、それでいい。
完全に信用する必要はない。
使えるなら使う。
守る価値があるなら守る。
敵になったら、その時は喰う。
それが余のやり方だ。
その時、監視面の端に、新しい影が映った。
人間ではない。
白い人型。
細長い手足。
顔のない磁器の仮面。
手には、剪定鋏のような銀の刃。
一体。
いや、三体。
森の外れに、静かに立っていた。
《警告》
「分かっている」
《白磁庭園実働個体を確認》
白い人型たちは、同時に頭を傾けた。
まるで、こちらの形を測るように。
余は白い部屋で笑った。
「庭師か」
入口でグズが棍棒を構える。
苔灰ゴブリンが湿灰の中から顔を上げる。
マネが白磁の花が割れる音を真似る。
追跡者の鎧が、湿灰の底で鳴った。
がしゃん。
「よい」
余は低く命じた。
「次は、庭師を喰う」




