第67話 白い杭は、安全地帯ではない
白灯杭を二本残したまま、朝になった。
白い光は、まだ入口の湿灰床に刺さっている。
弱まってはいる。
だが消えてはいない。
湿りを乾かし、胞子を薄め、アンデッドの残骸を焼く。
腹立たしい杭だった。
「管理音声」
《はい》
「今日で終わらせる」
《白灯杭の処理ですか》
「そうだ。」
《了解しました》
白い部屋の監視面に、外の様子が映る。
人間たちは、もう来ていた。
早い。
逃げた三人。
盾役ボルド。
魔術師エルネ。
剣士ギル。
そして、白い布を巻いた浄灰師が二人。
片腕を失った男はいない。
代わりに、年若い浄灰師と、太った中年の浄灰師。
その後ろに杭守りの兵が六人。
さらに遠く。
封鎖線の奥に、ラウゼンがいた。
今日は前に出ていない。
だが、見ている。
「来たな」
《はい》
「白灯杭を信じている顔だ」
《はい》
入口の白灯杭周辺は、昨夜のうちに偽安全域に変えてある。
罠は薄い。
湿灰の噛みつきも浅い。
胞子も流していない。
本当に、ほとんど安全だ。
だからこそ、罠になる。
人間は一度安全を確認すると、次の一歩を深く踏む。
「二本は残っている」
若い浄灰師が言った。
「光は弱いが、まだ生きています」
太った中年の浄灰師が頷く。
「よし。まずは根元を清め直す。三本目を刺し直せば、入口は殺せる」
エルネが険しい顔で入口を見ていた。
「安全だと決めつけないでください」
中年の浄灰師が鼻で笑った。
「白灯の内側に不浄は残らん」
「昨日、その白灯の内側で人が死にました」
「未熟者が足を滑らせたからだ」
余は白い部屋で目を細めた。
「よし、あの太いのから殺す」
《浄灰師長と推定》
「肩書きはどうでもいい。腹立つ」
ボルドが盾を構えたまま言う。
「俺が先に踏む」
中年浄灰師は首を振った。
「浄灰師が見る。素人が白灯を乱すな」
エルネが小さく舌打ちした。
いい。
人間側で意見が割れている。
白灯を信じる者。
迷宮を恐れる者。
その間に、余の牙を入れる。
若い浄灰師が銀色の粉を撒いた。
粉は白灯杭の周囲で淡く光り、静かに落ちた。
「反応なし」
中年浄灰師が得意げに言う。
「見ろ。清められている」
エルネはまだ納得していない。
だが、証拠は安全を示している。
なぜなら、本当に安全にしてあるからだ。
若い浄灰師が一歩踏み込んだ。
何も起きない。
二歩目。
何も起きない。
杭守り兵が安堵する。
ギルの肩からも、わずかに力が抜ける。
「……管理音声」
《はい》
「まだだ」
《はい》
若い浄灰師が一本目の杭に手を伸ばした。
根元を清め直すため、白い布を巻く。
その瞬間、白灯の光が強まった。
湿灰が焼ける。
入口が乾く。
グズの足元が少し弱る。
だが、余は待った。
中年浄灰師が言う。
「よし。二本目もだ」
若い浄灰師が二本目へ近づく。
その足が、レネの観測点だった傷の近くを踏んだ。
白灯杭を測るため、今朝から何度も見られている場所。
観測者殺しが、静かに開いた。
「今」
《観測者殺し、起動》
若い浄灰師の視線が、白灯杭の光に吸われた。
安全な根元。
清められた足場。
白い光。
その全部が、彼に「ここは踏める」と言っているように見えたはずだ。
次の瞬間、杭の根元が沈んだ。
「え?」
若い浄灰師の足首を、湿灰が噛んだ。
深くはない。
だが、白灯杭の真下だけがぬるりと崩れる。
安全地帯の顔をした床が、歯を剥いた。
「罠!」
エルネが叫ぶ。
遅い。
白灯杭の根元に溜めていた灰が、噴き上がった。
ただの湿灰ではない。
昨夜、白灯に焼かれたアンデッドゴブリンの残骸。
聖灰と湿灰と死体の粉が混じった、灰色の塊。
それが、形を取った。
⸻
【派生個体発生】
灰かぶりゴブリン
白灯に焼かれたアンデッドゴブリンの残灰が、湿灰床に再定着した個体。
白灯下でも短時間活動可能。
動きは遅いが、崩壊時に灰霧を撒き、視界・呼吸・浄化精度を低下させる。
⸻
灰色の小さな腕が、杭の根元から伸びた。
頭は半分ない。
胴も崩れている。
だが、白い光の中で燃えながら歩いた。
「ゴ、ゴブリン!?」
「違う! 灰だ!」
若い浄灰師が札を出そうとした。
灰かぶりゴブリンが、その腕にしがみつく。
じゅう、と焼ける。
灰かぶりゴブリンの体が崩れる。
だが崩れながら、灰を吐いた。
白い光の中に、灰色の霧が混ざる。
若い浄灰師が咳き込んだ。
白い札の光が乱れる。
「ボルド!」
エルネが叫ぶ。
ボルドが盾を持って踏み込む。
だが、踏み込む場所は白灯杭の安全域。
そこはもう、安全ではない。
「グズ」
「ギィィッ!」
泥門番ゴブリンの棍棒が、入口の奥から突き出る。
白灯で弱っている。
いつもの重さはない。
それでも、若い浄灰師を内側へ押すには十分だった。
「助け――」
若い浄灰師の声が、湿灰に沈んだ。
《侵入者一名死亡》
《獲得ソウル:39》
「よし」
《現在ソウル:101》
中年浄灰師の顔色が変わった。
「白灯の中で、なぜ不死が動く!」
エルネが怒鳴る。
「だから安全じゃないと言った!」
ギルが若い浄灰師の死体を見て、剣を構える。
「死体を回収するか?」
「しない!」
エルネが即答した。
「また動く!」
正しい。
正しいが、回収しないなら素材は余のものだ。
中年浄灰師が震えた手で、新しい白灯杭を取り出した。
「まだだ! 三本目を刺せば――」
「やらせるか」
余はマネに命じた。
「鎧の音」
「がしゃん」
入口の奥で、濡れた甲冑の音が響いた。
がしゃん。
がしゃん。
追跡者の足音。
本物ではない。
だが、昨日それを見た者には十分だった。
ギルの肩が跳ねる。
ボルドが盾を上げる。
中年浄灰師が杭を落としかけた。
エルネだけが叫ぶ。
「音だけかもしれない! 目で確認して!」
そう言われると、人間は見ようとする。
見ようとして、入口の奥へ意識を向ける。
その間に、足元を見る者が減る。
「二本目の杭を噛め」
《湿灰圧縮》
白灯杭の根元に、昨夜から流し続けた汚れと湿りが溜まっている。
ゴブリンの小便。
ポフキノコの胞子の残り。
アンデッドゴブリンの灰。
レネの観測者殺し。
全部を混ぜた、最低の泥。
それが杭の根元を包み込む。
白灯杭の光が強まる。
焼こうとする。
だが、焼けば焼くほど灰かぶりゴブリンが生まれる。
小さな腕。
灰の顔。
燃える足。
二体目の灰かぶりゴブリンが、杭にしがみついた。
三体目が、中年浄灰師の足元へ這う。
「払え!」
杭守り兵が槍で灰かぶりを突いた。
灰かぶりゴブリンは簡単に崩れた。
だが、崩れた瞬間、灰霧が兵の顔を覆った。
「ぐっ、目が!」
「吸うな!」
エルネが風を起こす。
灰霧が散る。
だが、その風で白灯杭の炎も揺れた。
グズが、もう一歩前へ出る。
「ギィィィ!」
棍棒が中年浄灰師の肩を叩いた。
骨が砕ける音。
中年浄灰師が倒れる。
ボルドが盾で庇う。
間に合った。
死んではいない。
だが、倒れた拍子に、中年浄灰師の手が迷宮の内側へ入った。
「追跡者を出しますか?」
《現在ソウル101。短時間起動可能》
余は首を振った。
「出さぬ」
《なぜですか》
「高い」
《はい》
「それに、音だけで十分怖がっている」
マネがもう一度鳴く。
がしゃん。
がしゃん。
中年浄灰師が悲鳴を上げた。
「追跡者だ! 来る! 来るぞ!」
来ない。
だが、恐怖は来ている。
余は低く命じた。
「灰かぶり、行け」
白灯杭の根元から、半分燃えた灰かぶりゴブリンが這い出した。
中年浄灰師の白布にしがみつく。
ボルドが盾で潰す。
灰が散る。
中年浄灰師が咳き込む。
ギルが剣で灰を払う。
その一瞬。
グズの棍棒が、横から入った。
今度は頭。
中年浄灰師の頭が、白い布ごと湿灰床に叩きつけられた。
《侵入者一名死亡》
《獲得ソウル:57》
《取得:浄灰師の白布、白灯杭調整札、聖灰袋》
《現在ソウル:158》
「よし!」
余は白い部屋で拳を握った。
「太いのを殺したぞ!」
《浄灰師長を排除しました》
「太いの呼ばわりは公式ではなかったか」
《はい》
人間側が崩れた。
浄灰師二人を失った。
白灯杭を修復できる者が消えた。
杭守り兵は灰で目をやられ、盾兵は入口に近づけない。
エルネが即座に叫ぶ。
「撤退! 白灯杭を捨てる!」
ギルが驚く。
「捨てるのか!?」
「持って帰ろうとしたら死ぬ!」
ボルドが頷いた。
「分かった!」
いい判断だ。
だが、判断が速い相手からこそ奪う。
「一本目を折れ」
《グズで破壊可能。ただし損耗あり》
「やれ」
グズが白灯杭に棍棒を叩きつけた。
白い光が弾ける。
グズの腕が焼ける。
「ギィィ!」
「我慢しろ!」
もう一撃。
白灯杭にひびが入る。
灰かぶりゴブリンたちが、ひびに群がる。
白い光が灰色に濁る。
三撃目。
白灯杭が折れた。
《白灯杭一本、破壊》
《取得:白灯杭片》
《グズ損傷:中》
「二本目」
《白灯出力低下。破壊可能》
「今だ」
二本目の杭は、根元がすでに腐っていた。
グズが棍棒を差し込み、てこのように持ち上げる。
杭が抜ける。
白い光が最後に強く弾け、灰かぶりゴブリンの体をまとめて焼いた。
だが、焼かれた灰が湿灰床に落ちる。
余のものになる。
《白灯杭二本目、抜去》
《取得:白灯杭片、聖灰混じりの湿灰》
《入口浄化帯、消滅》
白い光が消えた。
入口に湿りが戻る。
ポフキノコの胞子が、奥でゆっくり膨らむ。
火影縫い大蜘蛛の影糸が、また濃くなる。
グズが焼けた腕を押さえながら、門に立った。
「ギィ……」
「よくやった」
余は言った。
「お前は馬鹿だが、門番だ」
「ギィィ」
少し誇らしそうに鳴いた。
人間たちは撤退していく。
追わない。
追跡者も出さない。
ソウルは戻ったが、無駄遣いはしない。
今、必要なのは白灯杭作戦を終わらせることだった。
それは終わった。
エルネが撤退しながら、入口を振り返った。
顔が青い。
怒りもある。
恐怖もある。
だが、それ以上に理解している顔だった。
「白灯杭を……食われた」
ボルドが低く言う。
「あの洞窟、対策を餌にしてる」
ギルが剣を握りしめた。
「じゃあ、どうする」
その問いに、エルネは答えなかった。
代わりに、遠くのラウゼンを見た。
ラウゼンは、封鎖線の奥で静かに立っていた。
そして、初めて一歩前に出た。
白い杭はもうない。
浄灰師も死んだ。
だが、ラウゼンの顔に焦りはなかった。
むしろ、決めた顔だった。
戦闘後、白い部屋に収支が浮かぶ。
⸻
【白灯杭処理戦】
撃破:
若い浄灰師一名
浄灰師長一名
獲得ソウル:
+39
+57
損耗:
灰かぶりゴブリン自然発生・崩壊
グズ損傷:中
入口湿灰床一部焼損
ポフ胞子焼失:小
取得:
白灯杭片
聖灰混じりの湿灰
浄灰師の白布
白灯杭調整札
聖灰袋
新規派生確認:
灰かぶりゴブリン
入口浄化帯:
消滅
現在ソウル:158
⸻
「黒字だな」
《はい》
「白灯杭も消えたな」
《はい》
「よし。長引かなかったな」
《はい》
余は満足した。
だが、すぐに表示が続いた。
⸻
【素材解析】
白灯杭片
聖灰混じりの湿灰
浄灰師の白布
用途候補:
・白灯耐性強化
・灰かぶりゴブリン安定生成
・浄化光の偽装
・安全域偽装の精度上昇
・追跡者の白灯損傷軽減
即時開放可能:
灰かぶりゴブリン安定化
必要ソウル:40
白灯耐性・微弱
必要ソウル:60
⸻
「両方ほしい」
《現在ソウル158。両方取得可能です》
「なら取る」
《ソウル100消費》
《灰かぶりゴブリン安定化》
《白灯耐性・微弱を取得》
《現在ソウル:58》
「……また少なくなった」
《はい》
「だが必要経費だ」
《はい》
白灯に焼かれた場所が、少しだけ灰色に変わる。
ただの弱点ではなくなる。
次に白い光が来ても、すぐには腐らない。
灰かぶりゴブリンも、今後は条件が揃えば任意で起こせる。
死んだゴブリン。
焼けた灰。
白灯の残り香。
その全部が、迷靄洞の新しい牙になった。
その時、外でラウゼンが動いた。
封鎖線の兵たちが道を開ける。
ラウゼンは、入口から十分に離れた場所で止まった。
近づかない。
入ってこない。
ただ、迷靄洞を見た。
「……嫌な目だ」
《はい》
ラウゼンは、エルネたちから報告を受けた。
若い浄灰師死亡。
浄灰師長死亡。
白灯杭二本喪失。
灰のゴブリン発生。
入口浄化失敗。
普通なら、怒る。
焦る。
次の突入を命じる。
だが、ラウゼンは違った。
静かに言った。
「入口は攻めない」
余は白い部屋で固まった。
「……何?」
エルネが顔を上げる。
「では、どうしますか」
ラウゼンは迷靄洞を見たまま言った。
「あの洞窟は、入ってくる者を喰う。近づく者を覚える。対策を餌にする」
そして、少し間を置いた。
「なら、こちらから入らない」
ボルドが眉をひそめる。
「封鎖を続けるのか?」
「違う」
ラウゼンは森の方を見た。
「入口を殺すのではない。周囲を削る」
余の中で、嫌なものが跳ねた。
ラウゼンの声は続く。
「森を払え。外周の湿りを調べろ。帰路が狂う範囲を測れ。冒険者を入れるな。兵も近づけるな」
ラウゼンは、迷靄洞の入口を指さした。
「あれは口だ。口に手を入れるから噛まれる」
そして、静かに言った。
「次は、口ではなく腹を裂く」
白い部屋が、一瞬だけ静かになった。
余は、入口を見た。
白灯杭は処理した。
浄灰師も殺した。
灰かぶりゴブリンも得た。
勝った。
確かに勝った。
だが、ラウゼンはもう次を見ている。
入口ではなく、外周。
突入ではなく、測量。
餌ではなく、解体。
「管理音声」
《はい》
「ラウゼンを殺したい」
《推奨します》
「だが、まだ届かぬ」
《はい》
余は白い部屋で、ゆっくり息を吐いた。
次は、入口に来ない敵だ。
迷宮に入らず、迷宮を削る敵。
なら、余も変えなければならない。
入口で待つだけの迷宮では、生き残れない。
「よい」
余は低く言った。
「口に来ぬなら、腹だと思った場所を口にしてやる」
外の森で、斧の音が鳴り始めた。
封鎖線が、動き出す。
白い杭の戦いは終わった。
次は、迷靄洞の外周そのものが戦場になる。




