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第66話 白い杭は、死体を焼く

レネを殺した翌朝。


 迷靄洞には、誰も入ってこなかった。


 討伐隊もない。


 冒険者もない。


 斥候もない。


 ただ、森の外に人間の気配が増えていた。


「……入ってこぬな」


《はい》


「怖がったか?」


《その可能性はあります》


「ふふん」


《ただし、入らない攻略法に移行した可能性があります》


「……ふふんを返せ」


 白い部屋で、余は入口の外を見た。


 封鎖線の向こうに、複数の人影がある。


 昨日逃げた三人。


 盾役ボルド。


 魔術師エルネ。


 剣士ギル。


 そして、その後ろに、白い布を巻いた者たちが数人いた。


 聖職者、というやつだろうか。


 手には長い杭。


 真っ白な木の杭だ。


 その先端に、淡い光が灯っている。


「なんだ、あれ」


《解析中》


 白い杭を持った男が、入口の前に立った。


 迷宮に入らない。


 足先だけを境界の外に置いたまま、杭を構える。


 それから、弓のような器具に杭を乗せた。


「まさか」


《射出器具です》


「撃ってくるのか!?」


 次の瞬間、白い杭が放たれた。


 杭は迷靄洞の入口を越え、湿灰床に突き刺さった。


 じゅう、と嫌な音がした。


 湿灰が白く乾いていく。


 周囲にあったポフキノコの胞子が、焼けるように散った。


《白灯杭を確認》


《効果:周辺湿灰床の乾燥、不死系魔物の弱体、胞子濃度低下、影糸反応低下》


「最悪ではないか!」


《はい》


 白灯杭は、入口の内側に突き刺さったまま光っている。


 その光は強くない。


 だが、しつこい。


 湿りを奪い、死体を嫌い、影を薄くする。


 アンデッドゴブリンには相性が悪い。


 追跡者にも、たぶん悪い。


「灰冠が言っていたな……見せた牙は対策される、と」


《はい》


「早すぎる!」


《人間側に生還者がいます》


「逃がしたからか」


《はい》


 余は舌打ちした。


 だが、逃がしたから恐怖も伝わった。


 追跡者の存在を知らしめた。


 それは無駄ではない。


 ただ、人間は怖がるだけではない。


 怖がった上で、潰しに来る。


 白い杭を持った男が、二本目を構えた。


「管理音声」


《はい》


「三本刺さるとどうなる」


《入口周辺に小規模浄化帯が形成されます。グズの門打ち効果低下、アンデッドゴブリン生成阻害、ポフ胞子機能低下が予測されます》


「抜くしかないな」


《はい》


「通常ゴブリンを使えば?」


《接触時に火傷相当の損耗。死亡率高》


「アンデッドゴブリンは?」


《ほぼ即座に崩壊します》


「グズは?」


《抜去可能。ただし外部から集中攻撃される危険があります》


 白い杭は、内側に刺さっている。


 抜くには迷宮側の魔物が近づくしかない。


 だが入口の外では、人間が待っている。


 杭を抜きに来た魔物を撃つつもりだ。


「嫌なことをする」


《はい》


「余がやることみたいだ」


《はい》


「そこは否定しろ」


 二本目の白灯杭が放たれた。


 今度は入口右側。


 湿灰床がまた白く乾く。


 ポフキノコの胞子が薄くなる。


 火影縫い大蜘蛛の糸も、入口付近では力が弱い。


 人間側の魔術師エルネが、入口の闇を見て言った。


「追跡者は出てこない。たぶん高コスト。常時運用できない」


「だったら今のうちか」


 ボルドが盾を鳴らす。


 エルネは首を振った。


「油断しないで。あれは標的型。出る時は、必ず誰かを殺しに来る」


 ギルが苦い顔をした。


「レネを置いてきた」


「だから、次を生きる」


 エルネの声は冷たい。


 だが震えていた。


 余は、その震えを見逃さなかった。


 恐怖はある。


 恐怖を押さえているだけだ。


 なら、使える。


「マネ」


「ギィ?」


「鎧の音を真似できるか」


 迷宮の奥。


 湿灰深部に沈めた追跡者の記憶。


 がしゃん。


 がしゃん。


 濡れた甲冑の音。


 マネは耳を澄ました。


 そして、小さく鳴いた。


「……がしゃ」


 似ていない。


「もう一回」


「がしゃん」


 今度は少し似ていた。


「よし」


《追跡者の音を偽装しますか》


「本物は出さない。高いからな」


《適切です》


「だが、音だけなら安い」


 余は入口の奥、白灯杭の光が届かない場所にマネを置いた。


 そして、鳴かせる。


 がしゃん。


 がしゃん。


 湿った鎧が歩く音。


 入口の外で、人間たちが一斉に固まった。


 ボルドが盾を上げる。


 ギルが剣を抜く。


 杭を持っていた男が、手を滑らせた。


「追跡者か!?」


 エルネが叫ぶ。


「違う! 音だけの可能性がある!」


 正しい。


 だが、全員が正しく動けるわけではない。


 白い杭を構えていた若い杭打ち兵が、半歩下がった。


 その足が、入口の境界に近づく。


 外から内へ。


 まだ入っていない。


 だが、恐怖で隊列が乱れた。


「観測者殺し、起動」


《対象:白灯杭設置測量点》


 人間たちは、杭を刺す位置を測るため、同じ場所を何度も見ていた。


 入口の石。


 湿灰の乾き方。


 杭と杭の間隔。


 そこは、今や観測点だ。


 レネの記録片から作った新しい罠が、その測量点に噛みつく。


 杭打ち兵の視線が、一瞬だけずれた。


 安全だと思った踏み場が、半歩内側に見える。


「そこは違う!」


 エルネが叫んだ。


 遅い。


 杭打ち兵の足が、迷靄洞の内側へ入った。


「グズ」


「ギィィ」


「門を越えた」


 泥門番ゴブリンが、境界の奥から棍棒を突き出した。


 白灯杭の光で少し鈍い。


 だが、まだ門番だ。


 棍棒が杭打ち兵の膝を砕いた。


 男が悲鳴を上げて倒れる。


 ボルドが飛び込もうとする。


「助ける!」


 エルネが叫んだ。


「入るな!」


 だが、ボルドは盾を構え、境界ぎりぎりまで踏み込んだ。


 余は笑いそうになった。


 助けに来る者。


 助けを止める者。


 助けられる者。


 人間は、仲間が倒れると形が崩れる。


「アンデッドゴブリン」


《白灯杭の影響下では短時間で崩壊します》


「短時間でよい」


《残骸再起動。ソウル3消費》


 昨日のアンデッドゴブリンの残骸が、白い光で焼けながら動いた。


 腕だけ。


 胴体なし。


 腐った指が、倒れた杭打ち兵の服を掴む。


 杭打ち兵がさらに悲鳴を上げる。


 ボルドの視線が、死体の腕へ落ちた。


 その一瞬で、グズが二撃目を入れる。


 盾で受けられた。


 鈍い音。


 ボルドは耐えた。


 強い。


 だが、杭打ち兵は引きずり込まれた。


 白灯杭の光に焼かれ、アンデッドゴブリンの腕は崩れる。


 それでも十分だった。


 針返し床が杭打ち兵の背中を噛む。


 湿灰が口を塞ぐ。


 男の悲鳴が、湿りに沈む。


《侵入者一名死亡》


《獲得ソウル:26》


「よし」


《現在ソウル:107》


 だが、喜ぶ暇はなかった。


 エルネが即座に杖を振る。


「死体を燃やすな! 凍らせる!」


 杭打ち兵の死体が白い霜に包まれた。


 アンデッド化を防ぐつもりだ。


 正しい。


 また正しい。


「本当に嫌な女だな」


《はい》


人間側は崩れなかった。


 杭打ち兵を一人失っても、残りは下がり、白灯杭の外側に陣を組み直した。


 ボルドが盾で入口を塞ぐ。


 ギルが側面を見る。


 エルネが白い杭を見て言った。


「二本は効いてる。三本目を刺せば入口を殺せる」


 白布の男が、震えながら三本目の杭を持った。


 さっきの若い兵ではない。


 年上だ。


 目が据わっている。


 おそらく、浄化に慣れた者。


 こいつは音では崩れない。


 死体にも驚かない。


「管理音声」


《はい》


「あの白布は?」


《浄灰師と推定。不死・湿灰・胞子対策の専門職》


「殺したいな」


《推奨します》


「追跡者を出すか?」


《可能です。ただし標的再指定および起動にソウル消費。現在ソウル107》


「いくら」


《起動および短時間運用:35》


「高い」


《はい》


 三本目の杭が刺されば、入口が死ぬ。


 グズの力も落ちる。


 アンデッドゴブリンも使いにくくなる。


 ポフキノコも黙る。


 それはもっと高い。


 余は奥の湿灰を見た。


 追跡者は沈んでいる。


 兜の片目だけが、闇の中で眠るように光っていた。


「短時間だけだ」


《標的を指定してください》


 白布の浄灰師が、杭を構える。


 エルネが警戒している。


 ボルドが盾を上げている。


 ギルが入口の奥を見ている。


 全員、追跡者を恐れている。


 恐れているから、出す。


「標的、白布の男」


《追跡者、起動》


《ソウル35消費》


《現在ソウル72》


 がしゃん。


 今度は、マネではない。


 本物の音だ。


 濡れた甲冑が、湿灰の奥で鳴った。


 エルネの顔が変わった。


「本物!」


 白布の男が三本目の杭を放つ。


 杭は入口へ飛ぶ。


 だが、焦りでわずかに角度がずれた。


 杭は湿灰床に浅く刺さる。


 完全には立たない。


《白灯杭三本目、設置不完全》


「よし!」


 追跡者が現れた。


 入口の奥。


 白灯杭の光が届くぎりぎりの影。


 落武者のような甲冑。


 青白い片目。


 錆びた太刀。


 白灯の光を受けて、鎧の端がじゅう、と焼ける。


 それでも、追跡者は止まらない。


 標的は白布の男。


 男は外にいる。


 追跡者は外へ出られない。


 だが、男は三本目の杭を押し込むため、腕を入口の内側へ伸ばしていた。


 標的の一部が、迷宮に入っている。


 それで足りた。


 追跡者の太刀が、腕を斬った。


 白布の男の右腕が、杭ごと飛んだ。


「ぎゃああああっ!」


 男が倒れる。


 ボルドが盾を出す。


 ギルが斬り込む。


 追跡者は追わない。


 外へ出られない。


 ただ、内側に落ちた腕と杭を踏み砕いた。


《標的致命傷。侵入領域外へ離脱》


《追跡継続不能》


「死んではいないか」


《対象は外部に残存。ソウル獲得なし》


「くそっ」


 だが、三本目の杭は潰した。


 白布の男はもう杭を打てない。


 入口の浄化帯は完成していない。


 エルネが叫ぶ。


「撤退! 三本目失敗! 腕を回収して!」


 ボルドが白布の男を担ぎ、下がる。


 ギルが追跡者を睨む。


 追跡者は、白灯の中で兜を少し傾けた。


 まるで、覚えたと言っているように。


 ギルの足が止まる。


 恐怖が、足を掴んだ。


「行くよ!」


 エルネがギルの腕を引いた。


 三人と白布の男は、封鎖線の奥へ退いた。


 白灯杭は二本。


 不完全な三本目の残骸。


 死んだ杭打ち兵の凍った死体。


 入口は、まだ白く乾いている。


 だが、殺されてはいない。


《追跡者、白灯損傷》


《待機状態へ戻します》


「戻せ。すぐ沈めろ」


《はい》


 追跡者が湿灰の奥へ沈む。


 鎧の一部が白く焦げていた。


 使えば強い。


 だが、見せれば削られる。


 やはり切り札だ。


 出しっぱなしにするものではない。


「白灯杭を抜けるか」


《二本とも稼働中。直接接触は損耗大》


「アンデッドゴブリンで消耗させる」


《死体素材が不足しています》


「通常ゴブリンを殺して作るのは?」


《可能ですが、ソウル効率は悪いです》


「……だろうな」


 余は少し考えた。


 入口に刺さった白灯杭は、人間側が置いていった牙だ。


 こちらを焼く。


 だが、杭も無限ではない。


 不死を焼く。


 湿りを乾かす。


 つまり、働くほど消耗する。


「ポフキノコを直接当てるな。薄く、遠くから湿りを流せ」


《はい》


「ゴブリンの小便も使え」


《実行します》


「こういう時だけ便利だな、あいつらの汚さ」


《はい》


 白灯杭の周りに、湿りと汚れを少しずつ流す。


 強くぶつければ焼かれる。


 薄く、何度も。


 白い光は、それを嫌がるように震えた。


 完全には消えない。


 だが弱まる。


《白灯杭、出力低下まで推定二時間》


「よし」


《入口湿灰床、完全復旧には追加ソウルが必要です》


「いくら」


《30》


「高い」


《はい》


 だが放置はできない。


「応急でいい」


《応急湿灰補修:10ソウル》


《現在ソウル62》


 乾いた入口に、少しだけ湿りが戻る。


 白さは残っている。


 しかし、門は死んでいない。


 グズが棍棒を持って立つ。


 その足元に、白い焼け跡があった。


「痛むか」


「ギィ」


「我慢しろ。門番だろう」


「ギィィ」


 少し誇らしげに鳴いた。


 馬鹿だが、悪くない。


戦闘後、白い部屋に収支が浮かんだ。



【白灯杭設置戦】


撃破:

杭打ち兵一名

獲得ソウル:+26


損耗:

アンデッドゴブリン残骸再起動:−3

追跡者短時間起動:−35

入口湿灰床応急補修:−10

追跡者白灯損傷:軽度

ポフ胞子焼失:小

グズ白灯焼け:軽度


敵損害:

杭打ち兵一名死亡

浄灰師一名、右腕喪失

白灯杭三本目、設置失敗

白灯杭二本、稼働継続中


現在ソウル:62



「ソウルが少ない」


《はい》


「かなり少ない」


《はい》


「嫌な返事だ」


 余は白い部屋で腕を組んだ。


 追跡者は強い。


 だが高い。


 アンデッドゴブリンは便利。


 だが白灯に弱い。


 グズは頼れる。


 だが入口を浄化されると弱る。


 人間も学んでいる。


 余も学んでいる。


 なら、次に勝つのは、より嫌な学び方をした方だ。


夜。


 ダンジョン新聞が震えた。



【地域短報】


・迷靄洞前に白灯杭設置作戦

・白灯杭二本が入口内に残存

・三本目は設置失敗

・人間側、杭打ち兵一名死亡、浄灰師一名重傷

・迷靄洞の処刑個体、白灯下でも短時間稼働を確認

・ただし浄化光による損傷あり

・迷靄洞、入口防衛力低下中



 交流欄が流れる。



・“灰冠のロード”:やはり白が来たな。追跡者を見せた翌日としては当然だ

・“朽縄井戸”井守:白灯杭は嫌だねえ。乾く。ひび割れる。腹が立つ

・“玻璃宮の姫”:二本残したままですの? 放置は危険ですわよ

・“針骨回廊”:追跡個体の損耗確認。弱点は白灯

・“白磁庭園”:当庭園には白灯対策の支援実績があります。保護契約をご検討ください

・“赤泥蟻穴”:白い杭、噛んだ。まずい。嫌い



「白磁庭園は、なぜ毎回首輪を持ってくる」


《そういうロードと推定》


「腹立たしい」


 灰冠から個別投函が来た。



【“灰冠のロード”より】


“白灯杭を二本残したな。


若造、覚えておけ。

人間が入口に残したものは、ただの道具ではない。

次に来る者の足場になる。


だが、逆も同じだ。

敵が何度も頼るものは、観測点になる。


白灯杭を、君の罠に変えろ”



 余は、白灯杭を見た。


 人間が刺した杭。


 こちらを焼く杭。


 湿灰を乾かし、アンデッドを拒み、追跡者を削る杭。


 だが、人間は次もそれを見る。


 杭の位置を確認する。


 杭がまだ光っているか測る。


 杭を基準にして、入口の安全を読む。


 つまり。


「観測点か」


《はい》


 余は笑った。


 少しだけ。


「白灯杭を抜かずに罠にする」


《危険です》


「危険だから、人間は安全だと思う」


《はい》


 白灯杭は、白く光っている。


 人間の清めの光。


 だが、その根元には湿灰がある。


 レネの血を吸った観測者殺しがある。


 そして、余の迷宮がある。


「管理音声」


《はい》


「白灯杭の周囲に、偽安全域を作れるか」


《可能です。ただし白灯の影響で罠強度は低下します》


「強くなくていい。安全に見えるだけでいい」


《了解》


 次に人間が来る時。


 白灯杭の周囲は、安全に見える。


 浄化され、乾き、罠が弱まった場所に見える。


 だから踏む。


 だから測る。


 だから近づく。


 その時、余は杭の根元を噛む。


遠くで、ラウゼンの野営地が動いていた。


 レネを失い、浄灰師の腕を失い、それでも諦めない。


 むしろ、迷靄洞を危険として確定したはずだ。


 ソウルは少ない。


 入口には白灯杭が残っている。


 追跡者は傷ついた。


 だが、牙は増えた。


 死体は起き上がる。


 観測点は罠になる。


 そして白い杭すら、次の餌場にできる。


 余は白い部屋で、入口の二本の杭を見下ろした。


「来い」


 湿灰が、白い光の根元で静かに揺れる。


「その白い杭を、安全だと思って戻ってこい」


 がしゃん。


 湿灰の奥で、追跡者の鎧が小さく鳴った。


 今は出ない。


 今は待つ。


 次に標的が、白い杭を信じて半歩踏み込むまで。

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