第5話 迷宮の「節」と進化の萌芽
「グズ」
「ぎっ」
「貴様、先ほどの侵入者をどう思う」
余が何気なく問うと、グズはしばし固まった。
やがて、自分の鼻先を指さし、次に入口の方を指さし、それから短剣を握る真似をしたあと、ぺたんと床に腹ばいになった。
「……ふむ。こそこそしておった、と」
「ぎ」
「そして強い、と」
「ぎぃ」
「最後の腹ばいは何だ」
「ぎっ、ぎぎ」
グズは今度は両手を前に出し、慎重に這う仕草をした。そこで余は、ようやく意味を察する。
「……ああ。真っ直ぐ来ぬ、ということか」
グズがうんうんと頷いた。たぶんそのつもりなのだろう。ほかのゴブリンが見ていたら偶然の踊りにしか見えぬが、余には妙に通じた。
面白い。
こやつ、本当に少しだけ頭が回る。
「やはり進化候補にしたいな」
《現状でも条件の一部を満たしています》
「見せよ」
白い部屋に文字が浮かぶ。
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【個体名:グズ(仮)】
種族:ゴブリン
状態:健常
特記事項:群れ統率傾向あり、指示理解度やや高
進化候補(未開放)
・ゴブリンリーダー
必要条件:
1. 同一群れの統率経験
2. 戦闘生存回数
3. ソウル消費 30
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「三十か……」
安いとは言えぬ。
だが高すぎるほどでもない。
問題は、今それをやる余裕があるかだ。増築、鼠の追加、場合によっては落とし穴も欲しい。人間側が再編してくる前に、迷宮そのものの骨格をもう一段引き上げねばならぬ。
「今すぐは保留だな」
《合理的です》
「だが候補に入れる。馬鹿どもをまとめられる者は貴重だ」
余がそう言うと、グズは胸を叩いた。
理解したのか、偶然かは分からぬ。
たぶん半々だ。
「調子に乗るでない。まだ仮採用である」
「ぎぃ……」
露骨にしょげるな。妙に情が湧くではないか。いや、情というか、使い勝手の問題だ。余はロードであり、情ではなく効率で物を見るべきで――
などと考えたところで、入口側の細穴を走っていた鼠の一体が、ちゅっと鳴いた。
《外部接近反応なし。小型野生生物の通過です》
「紛らわしい」
だが、悪くない。
索敵網としては十分機能している。少なくとも、前回のように“三人組が入口に立ってから慌てる”ことは減るだろう。それだけでも大進歩だ。
余は見取り図へ目を戻した。
入口から曲がり角までが短い。
曲がり角から小部屋までがやや単調。
小部屋を抜ければ、ほぼ一直線に最奥へ届く。
この“抜けると早い”構造がよろしくない。小部屋を経由点ではなく、消耗点にしなければならぬ。
「増築案を再提示せよ」
《表示します》
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【推奨構造改修】
・小部屋追加……35
・主通路延長(10メートル)……40
・分岐通路追加……30
・簡易落とし穴……20
・天井低下区画生成……15
・湿潤床強化……10
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「湿潤床強化!?」
《床面の水分保持率を上げ、滑走事故を誘発しやすくします》
「そんな強化まであるのか」
《初期迷宮では有用です》
「初期迷宮らしさが嫌な方向へ極まっておるな……」
だが、否定はできぬ。事実、前回の勝因のかなり大きな部分を、湿った床と小便と血が占めていた。美しくはない。まるで美しくはないが、効率は良い。
しかし、それに頼り切るのも危険だ。
次に来る者は足元を警戒する。斥候レネがいるならなおさらだ。滑る床だけでは勝てぬ。滑ると知っていても、滑った先に何があるかまで設計せねばならぬ。
「……小部屋追加だな」
《理由をどうぞ》
「問うのか」
《記録精度向上のため》
「よい。ならば教えてやる。落とし穴は見破られた時の無駄が大きい。主通路延長は有用だが、単純に長いだけでは読まれる。だが小部屋なら、戦力を溜め、分断し、射線を切り、鼠の細穴も重ねやすい。戦闘の“癖”を作れる」
《……妥当です》
「ふふん」
褒められると気分が良い。まだ王ではないので許されよ。
「小部屋を追加する。位置は既存の小部屋の手前、曲がり角と小部屋の中間。やや横に張り出し、主通路を一度絞ってから広げよ」
《承認。消費ソウル:35》
洞窟が低く唸った。
岩壁が軋み、通路の一部が膨らむように広がる。今度の増築は前よりもはっきり分かった。迷宮の内側を誰かが爪で削り、ぐいぐいと形を変えてゆくような感覚。少しむず痒く、少し痛い。だが、嫌ではない。
曲がり角の先、細くなっていた通路の脇に、新たな空間が生まれる。
広さは大したことがない。
ゴブリンが五、六体潜めばいっぱいになる程度の小空間。
だが、それでよい。
小さいからこそ、油断した冒険者は見落とす。あるいは“ただの溜まり場”と見て、脅威を軽視する。
「うむ……悪くない」
前から順に見る。
入口。
短い通路。
曲がり角。
絞られた区間。
新小部屋。
さらに先に旧小部屋。
その奥にコア前防衛線。
薄い。まだ薄いが、一本の棒だった迷宮に“節”ができた。
戦う場所が増えたのだ。
「鼠の細穴を新小部屋にも接続せよ」
《追加接続。消費ソウル:5》
「便利だな」
残り、83。
まだ余裕はあるが、急激に減ってきた。次に何を足すか、慎重に選ばねばならぬ。
余は少し迷い、それから決めた。
「洞窟ネズミをさらに四体追加」
《消費ソウル:16》
細穴の奥で、もこもこと新たな影が生まれる。
これで十二体。
監視網としてはまずまずだ。入口周辺、主通路脇、新旧小部屋の裏、最奥前。見張りと攪乱を兼ねられる数になってきた。
「よし。次に――」
そこで、白い部屋の隅に、ぴこん、と小さな光が灯った。
《ダンジョン新聞・号外が配信されました》
「号外?」
余は思わずそちらへ向き直る。
新聞がふわりと開く。いつもの紙面とは違い、赤い縁取りがされていた。
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【号外】
中層西部にてAランク迷宮『黒鉄の胃袋』が陥落。
攻略主体は聖印騎士団第四隊。
当該迷宮ロードは消滅を確認。
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「……」
余は黙った。
つい先日まで、消えると言われてもどこか実感が薄かった。
だが、今は違う。
実名のように迷宮名が載り、攻略主体が載り、ロード消滅と明記されている。それは記事でありながら、同時に、紛れもない死亡報告だった。
「Aランクでも、消えるのか」
《はい》
「Eだけが脆いわけではない、と」
《規模の違いはありますが、原則は同一です》
そうか。
そうなのか。
上に行けば安全になるわけではない。ただ、“死ぬまでが遠くなる”だけなのだ。
余は新聞をさらに読む。
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【関連記事】
・聖属性対策の欠如が主因か
・近月の新聞投稿にて防衛思想の硬直が指摘されていた
・“巨大であること”は生存保証にならない
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「……面白いな」
怖い、ではなく、面白いが先に来た自分に少し驚く。
Aランクでも油断すれば死ぬ。
大きくても硬くても、攻略されれば消える。
つまり、単に強くなるだけでは足りぬ。読まれぬこと。崩されぬこと。変化し続けること。それが大事なのだ。
その考えが、妙にしっくりきた。
「やはり新聞は使える」
《学習効率が向上します》
「他の迷宮の死に方を、先に読めるのだからな」
ロードらしい発想だな、と、どこかでもう一人の自分が言った気がした。
だが否定はしない。
人間の死にはまだ距離がある。迷宮の死は、他人事ではない。自分と同じ“ロード”の消滅報告は、そのまま未来の自分の敗因一覧にもなる。
学べるなら、学ぶ。
余はもう、それを当然のように思っていた。
・
・
・
その日の終わり頃。
余は新小部屋にグズを立たせ、周囲にゴブリン五体を配置した。
「よいか。ここは前より一段深い。入口の馬鹿どもが崩れても、ここで止める」
「ぎっ」
「貴様は前に出すぎるな。まず見ろ。相手が突っ込んで来たら左右から群がれ。分かったか」
「ぎ、ぎぃ」
「……たぶん分かったな?」
不安だ。
非常に不安だ。
だが、前よりは通じている。少なくとも、グズは“ここが新しい持ち場である”ことを理解している顔をしていた。ほかのゴブリンは分からぬ。たぶん雰囲気で立っておる。
鼠たちが細穴の中を巡る。
新小部屋の裏。
旧小部屋の脇。
最奥へ通じる抜け道の端。
主通路の外側から、迷宮に細かな神経が生えてゆくようだった。
「……だいぶ、それらしくなってきたな」
《Eランク迷宮としては順調な立ち上がりです》
「褒め言葉として受け取っておこう」
余は見取り図を遠目に眺める。
たかが洞窟。
されど洞窟。
少し前までは、入口から最奥まで一息で抜けるような弱小だった。今は違う。節ができ、裏道ができ、索敵ができ、指揮できる個体も生まれ始めた。
まだ浅い。
まだ弱い。
だが、“運営している”という実感がある。
その感覚が、余にはたまらなく心地よかった。
「次は、湿潤床強化か……いや、待て」
余はふと思いつく。
「管理音声。湿潤床強化は一箇所ずつできるか」
《可能です》
「なら、新小部屋の手前だけ強めよ。絞った通路に限定して」
《消費ソウル:4》
ごく小さな改修だった。
だが重要だ。
全部を滑りやすくするのではない。警戒された時に一目で分かるからだ。そうではなく、“つい踏み込みたくなる位置だけ”を悪くする。前回の偶然を、今度は意図して置く。
「……うむ。よい」
いやらしい。
実にいやらしい。
素晴らしい。
《運営方針がより明確化しています》
「褒めておるのか?」
《はい》
「なら良い」
入口付近で、ゴブリンの一体がまた床にしゃがみ込んだ。
「隅でしろぉぉぉぉっ!!」
怒号。
慌てて蹴り飛ばすグズ。
驚いて逃げる鼠。
騒ぐほかの馬鹿ども。
やかましい。
だが、その騒がしさごと、もう余の迷宮なのだ。
・
・
・
夜。
外界の時間は見えぬが、迷宮の中は静かになっていた。ゴブリンどもはそこらで眠り、鼠だけが時折、細穴を走る。余は白い部屋で新聞を読み返していた。
交流欄。
戦術欄。
昇格欄。
そして、広告欄。
その隅に、小さな記事が一つ。
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【新人ロード向け募集】
“迷宮運営相互研究会”
・参加条件:E~Cランクロード
・内容:初期防衛、人気魔物運用、迷宮新聞読解、侵入者事例共有
・主催:『朽縄井戸』ロード、“井守”
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「相互研究会……?」
何とも怪しい響きである。
だが、情報共有の場としては有用かもしれぬ。余は新聞へ顔を寄せるような気分で、その記事を読み込んだ。
初期防衛。
人気魔物運用。
侵入者事例共有。
どれも、今の余に必要なものばかりだ。
「……ロード同士の交流、か」
まだ先だと思っていた。
だが、案外早く必要になるかもしれぬ。独学だけでは、限界が来る。新聞は便利だが、紙面に載る情報には偏りもあるだろう。実際に他のロードの癖や考え方を知れれば、得るものは大きい。
ただし――
「怪しいな」
《はい》
「即答であるな」
《主催名に若干の胡散臭さがあります》
「そこなのか」
余はしばし悩み、やがて新聞を閉じた。
「今はまだいい。まずは足元を固める」
《妥当です》
「だが、近いうちに必要になる」
《その可能性は高いです》
白い部屋の静寂の中で、余は自分の迷宮を見下ろす。
入口。
曲がり角。
新小部屋。
旧小部屋。
最奥。
そこで眠る馬鹿どもと、走る鼠。
そして、その全てを繋ぐ、余自身の意識。
「余は、もっと知る必要があるな」
他の迷宮を。
他のロードを。
人間の冒険者を。
勝ち方を。
死に方を。
この世界の仕組みそのものを。
そうしてはじめて、Eの洞窟は上へ行けるのだろう。
余はゆっくりと、己の小さな迷宮の見取り図へ手を伸ばす真似をした。
王の手ではまだない。
だが、いつかきっと。
「……待っておれ」
誰に向けた言葉かは、自分でも分からなかった。
次に来る侵入者か。
逃げた斥候か。
新聞の向こう側にいる名も知らぬロードどもか。
あるいは、まだ見ぬ未来の余自身か。
ただ一つ確かなのは、この迷宮がもう、昨日までのままではないということだけだった。




