第4話 見せないという戦略
まず、掃除であった。
「そこ、血溜まりを広げるな! 拭け! 拭いてから運べ!」
「ぎゃっ」
「貴様はなぜ死体の腕だけ持って歩いておるのだ、胴も持て!」
「ぎぃ……」
「そして小便は隅だ! なぜ掃除中に増やす!?」
余の怒号が迷宮中に飛ぶ。
ゴブリンどもは叱られ、蹴られ、転び、適当に動き回りながら、どうにかこうにか洞窟を“戦場のままではない程度”に整えていった。清潔には程遠い。だが、少なくとも死体の上で眠るような有様ではなくなった。
グズはその中でも比較的よく働いた。
持ち場をさぼる個体を棍棒で追い立て、戦利品を勝手に口へ入れようとした個体を殴り、入口側と小部屋の清掃を優先させる。
賢い、とはまだ言えぬ。
だが、命じたことの半分くらいは理解している気配がある。
「……思ったより使えるな、あやつ」
《群れ統率適性の萌芽を確認》
「萌芽」
《進化条件を満たせば、上位個体化の可能性があります》
「ほう?」
余は少しだけ興味を惹かれた。
進化。
その言葉はよい。
成長の匂いがする。
「だが今はまだ無理であろう。ソウルも潤沢ではないし、構造も脆い」
《妥当な判断です》
「余、最近よく妥当と言われるな」
《以前より妥当ですので》
「以前が妥当でなかったと?」
《はい》
「おぬし、時に刃のように率直だな」
ともあれ、問題は山積みだった。
通路が短い。
罠がない。
索敵が足りぬ。
ゴブリンの質は低い。
人間側にはもう情報が渡っている。
加えて、あの斥候――レネだ。あれは面倒だ。次はもっと用意して来る。煙玉のような小技もそうだが、何より“迷宮を読む”目を持っている。あれに通路の癖を見切られれば厄介極まりない。
「よし。まずは増築か、新魔物導入か。二つに一つだな」
《現ソウルでは小規模拡張か、低級魔物追加が現実的です》
「具体的に言え」
白い部屋の中央に、簡素な一覧が浮かぶ。
⸻
【使用可能ソウル:148】
【推奨拡張】
・短通路延長(10メートル)……40
・小部屋追加……35
・細穴通路追加……25
・簡易落とし穴……20
【追加召喚候補】
・ゴブリン……5
・洞窟ネズミ……4
・ポフキノコ……4
⸻
「……思ったより安いな、鼠と茸」
《戦闘力が低いためです》
「だが用途はある」
余は一覧を見つめた。
通路延長も魅力だ。十メートル増えるだけでも、コアまでの猶予はだいぶ違う。だが、入口からの侵入を早めに察知できねば意味が薄い。初回はたまたま、余が感知に気づけた。次もそう上手くゆく保証はない。
欲しいのは目だ。
動く目。
狭い穴に入り、壁沿いを走り、侵入者を遠くから観察できる目。
「洞窟ネズミ……か」
鼠は嫌いではない。いや、好きでもないが、使えるものは使うべきだ。王とはそういうものだろう。たぶん。
「管理音声。洞窟ネズミの特性を詳細表示せよ」
《表示します》
⸻
【洞窟ネズミ】
・低コスト偵察魔物
・狭所移動、高い嗅覚、夜目
・攻撃力は低い
・集団運用向き
・小穴通路との相性良好
・素材運搬、盗み、かじりによる装備劣化が可能
⸻
「かじりによる装備劣化」
良い。
実に良い。
剣士の靴紐、革鎧の帯、魔術師の鞄、斥候のポーチ。そういうものを細かく痛められるなら、直接殺せずとも鬱陶しさは増す。余は鬱陶しいのが好きだ。真正面の力勝負が不得手な者ほど、そういう方向へ知恵が伸びるものだ。
「小穴通路との相性が良いともあるな」
《はい。鼠専用、あるいは小型個体専用の通路網を構築することで、主通路と別系統の移動経路を確保できます》
「……それだ」
余の思考が、一気に走る。
人間が通れぬ細穴。
そこを鼠が走る。
壁の内側から匂いを追い、物音を拾い、必要なら荷を運び、必要なら足元をかじる。主通路の外側から迷宮を巡らせれば、正面だけ見ている冒険者は気づきにくい。
良いではないか。
実に良い。
「決まりだ。通路延長は後回し。先に細穴と洞窟ネズミを入れる」
《推奨します》
「初めて意見が一致したな」
《何度も一致しています》
「気分の問題である」
・
・
・
工事は、思ったよりも派手だった。
《細穴通路を追加します》
その宣言とともに、白い窓の向こうで岩壁がぶるりと震えた。
入口から最奥へ至る主通路の脇、その壁面の一部に細い亀裂が走る。蛇が這うようにひびが伸び、それがそのまま穴になっていく。穴といっても、人間には到底通れぬ。せいぜい腕一本、いや、鼠一匹がやっとという幅だ。
だが、それが一本ではない。
入口近くから曲がり角の裏、小部屋の壁、最奥手前の側面へと、迷路のように細い網が張り巡らされていく。
「おお……」
余は思わず感嘆した。
これは面白い。
主通路が表なら、こちらは裏だ。
血管のように細く、ひそやかで、だが確実に迷宮を巡る補助路。
《細穴通路追加完了。消費ソウル:25》
「よし」
残り123。
十分だ。
「続けて洞窟ネズミを、十……いや、まずは八だ」
《洞窟ネズミ八体を召喚します。消費ソウル:32》
主通路の脇、小部屋の裏、入口付近の細穴の中で、もこ、と土が持ち上がった。
次の瞬間、灰褐色の小さな影が、ちゅるりと顔を出す。
「……鼠だな」
当たり前だが鼠である。
洞窟ネズミという名なのだから、そりゃあ鼠なのだろうが、実際に出てくると本当に鼠であった。普通の鼠より一回り大きく、目が赤い。鼻先がぴくぴく動き、ひげが忙しなく揺れる。前歯は白く鋭い。
可愛げは……少しある。
ゴブリンよりはだいぶある。
「おお、こやつらは見た目がまだましだな」
《一般的には不潔と評されます》
「余の迷宮に清潔さを期待するな」
洞窟ネズミたちは、召喚直後から勝手に細穴へ潜り込み、走り回り始めた。ゴブリンのような初動の馬鹿さがない。良い。非常に良い。自主的に動くのは少し怖いが、少なくとも壁へ小便はしなさそうである。
いや、するかもしれぬが。
「おい管理音声、こやつらは命令をどの程度聞く」
《単純命令であれば高確率で遂行可能です》
「索敵、隠密、運搬か」
《適性があります》
「素晴らしい」
余はさっそく命じた。
「全鼠、細穴網を巡れ。入口付近、曲がり角、小部屋、最奥前までの移動時間を把握せよ。気配を感じたら即報告だ」
洞窟ネズミたちは、ちゅ、と鳴いた。
次の瞬間、八つの影が一斉に散る。
速い。
ゴブリンとは比較にならぬ。壁の内側を、水が流れるように走ってゆく。
「……快適だな」
《偵察魔物ですので》
「分かっておるが、快適である」
余はしばし、その動きに見惚れた。
入口付近へ二体。
曲がり角の裏へ一体。
小部屋周辺へ三体。
最奥前へ二体。
完全ではないが、配置の感覚が既にある。鼠どもは賢い。少なくとも、ゴブリンよりははるかに話が早い。
そこで、ふと気づく。
「……グズ」
「ぎ?」
通路の掃除をさぼって、回収した靴をまだ気にしていたゴブリンが顔を上げる。
「貴様、鼠に手を出すなよ」
グズは鼠たちを見て、口元をもぐもぐさせた。
「ぎ」
「今、食えるかどうか考えたな?」
「ぎぃ」
「食うな。貴重な戦力だ」
言うと、グズは不満そうに鼻を鳴らした。まったく、こやつはこやつで油断ならぬ。
だが、これで役者は揃い始めた。
前で騒ぐ馬鹿のゴブリン。
裏を走る鼠。
まだ短いが、入口から最奥までの流れは少しずつ“迷宮”らしくなってきた。
「次は……小部屋を増やすか、それとも落とし穴か」
余が盤面を睨んでいた、その時だった。
入口付近の細穴を走っていた鼠の一体が、突然動きを止めた。
「ちゅっ、ちゅ!」
高い警戒音。
続けて、別の一体も反応する。
《入口近傍に外部生体反応を確認》
「早いな!?」
思わず声が裏返る。
まだ戦後二日も経っておらぬのではないか!? 人間ども、どれほど気軽に来るのだ!
《反応は小規模。単独、または二名》
「三人組ではないのか」
《現時点では断定不可》
余は即座に白い窓を入口へ切り替えた。
岩の裂け目の向こう、昼の光は今日は曇っているらしく弱い。その淡い明かりの中に、人影が一つだけ見えた。小柄。軽装。足取りが静か。周囲を見ながら、慎重に近づいてくる。
見覚えがあった。
「……また来たな」
斥候の娘、レネである。
今度は一人だ。
前回のような剣士も魔術師もいない。短剣と、小さな鞄。腰には細い縄と、何本かの杭。罠見と調査に絞った装備だ。
「様子見か」
《可能性が高いです》
「賢いな。腹立たしいが」
余の中で、恐怖と同時に別の感情が頭をもたげる。
面白い。
あやつ、また来た。
しかも単独で。
つまり、試してくる気だ。余の迷宮がどの程度“考えてくるか”を。
ならば、こちらも試してやる。
「グズ」
「ぎっ」
「入口側の馬鹿どもを二体だけ前へ。残りは見えぬ位置で伏せろ。鼠は足元を探れ。気取られるなよ」
「ぎ、ぎぃ!」
グズが珍しく機敏に動いた。配下へ怒鳴り、棍棒で尻を叩き、入口近くのゴブリン二体を前へ出す。残りは曲がり角の陰、小部屋の脇、壁際に押し込める。隠れているつもりかと言われれば微妙だが、前回よりはずっとましだ。
鼠たちは細穴の内側から、するすると入口周辺へ散っていく。
レネは裂け目の前でしゃがみ込み、床を撫でた。
乾いた岩。
踏み荒らされた跡。
引きずられた血の痕。
そして、余が掃除しきれなかった、うっすら残る汚れ。
「……やっぱり」
小さく呟き、彼女は立ち上がる。
「ここ、いるんだ」
まるで余に話しかけるような口ぶりだった。
余は白い部屋の中で、口元を吊り上げる。
「ふん。今さらである」
レネは深呼吸し、短剣を抜かなかった。
その代わり、鞄から小さな何かを取り出し、入口の岩陰にそっと置く。
「む?」
《推定:観測用魔道具、または警報具》
「厄介だな……」
レネはそれを置き終えると、迷宮へ一歩だけ踏み込んだ。
ほんの一歩。
だが、それだけで止まる。
暗がりを見渡し、耳を澄まし、鼻先で空気を嗅ぐ。
剣士のような勢いはない。魔術師のような慢心もない。前回の経験を、きっちり持ち帰ってきている歩き方だった。
その慎重さが、余には妙に腹立たしい。
「……良いであろう」
余はゆっくり呟く。
「今回は殺しきるより、読ませぬことを優先する」
《方針確認》
「うむ。あやつが知りたいのは“余がどこまで見ているか”だ。ならば、少しだけ見せて、核心は隠す」
初めてだ。
侵入者を撃退するだけでなく、情報をどう持ち帰らせるかを考えるのは。
だが、たぶん必要になる。
この先、ずっと。
「二体、前へ出ろ」
入口近くのゴブリンが、わざとらしく姿を見せる。
「ぎゃっ、ぎゃっ!」
レネの目が細まった。
「……二体だけ?」
そうだ。
前回の壊滅を経て、表向きには戦力が落ちているように見せる。鼠は見せぬ。伏せたゴブリンも見せぬ。通路の裏に新しい“流れ”ができていることも見せぬ。
レネは短剣を抜かず、代わりに小石を一つ投げた。
ころころ、と床を転がる。
音を聞く。
何かが反応するか試している。
「嫌らしいな、ほんに」
余は舌打ちした。
鼠が細穴の内側から、その小石の匂いを嗅ぐ。面白い。こやつら、こういう細かい確認にも使えるのか。
レネはさらに一歩踏み込み、そして止まる。
目線が、壁の一箇所へ向いた。
細穴の出口のひとつだ。
「……新しい穴?」
余の背筋に、ぞくりとしたものが走る。
見つけたか。
いや、完全には見えておらぬ。だが“前と違う”ことには気づいた。
さすがである。
腹立たしいが、さすがである。
「鼠、動くな」
ぴたりと、細穴の中の気配が止まる。
レネはしばらくその壁を見つめていたが、やがてふっと息を吐いた。
「……なるほどね」
それ以上は踏み込まず、彼女は後ずさった。
入口の外へ。
置いた魔道具だけ回収し、最後にもう一度だけ中を見た。
「次は、ちゃんと潜るから」
宣言のように言って、彼女は去っていった。
気配が完全に消えたのを確認してから、余は長く息を吐く真似をした。
「……怖いな、あやつ」
《高脅威個体と判断します》
「だが、面白い」
それもまた事実だった。
ただの餌ではない。
ただの敵でもない。
互いに探り合い、読み合い、次を準備する相手。
そんな存在ができたことに、余は少しだけ胸を高鳴らせていた。胸はないが。
「よし」
余は白い部屋で、再び見取り図を開いた。
「時間がない。細穴は増やす。小部屋も欲しい。鼠の数ももっと要る。グズの進化条件も調べる。あとは――」
入口側で、ゴブリンの一体がまたしゃがみ込んだ。
「そこでやるなぁぁぁぁぁっ!!」
怒号が迷宮に響く。
鼠が驚いて走り回り、グズが慌ててその個体を蹴り飛ばし、洞窟のどこかで別のゴブリンが笑う。
騒がしい。
実に騒がしい。
だが、悪くない。
余の迷宮は、少しずつ大きくなっている。
次に来る者へ向けて。
そして、いずれこの世界のどこかにいる知らぬロードどもへ向けて。
この湿臭い小洞窟は、確かに育ち始めていた。




