第3話 少しマシなゴブリン
勝利の余韻は、長くは続かなかった。
「……で、これは誰が片付けるのだ」
白い部屋の窓の向こう、小部屋は見るも無惨であった。
剣士だったもの。
焼け焦げた跡。
転がる棍棒。
千切れた耳。
寝転んだまま鼻をほじっているゴブリン。
そして、そこら中にこびりついた血と泥と――小便だ。認めたくないが、小便だ。余の迷宮、どうにも尿意と縁が深い。
《清掃機能は未解放です》
「ないのか!」
《現時点では配下による物理的処理を推奨します》
「配下による物理的処理」
嫌な予感しかしない表現である。
だが、他に手はないらしい。余は生き残ったゴブリンどもへ意識を向けた。総数、十一。いや、動けるのは九か。二体はまだ転がって呻いておる。三体ほどは元気そうだが、その元気の方向が完全に間違っている。
一体は剣士の靴を引っ剥がそうとしていた。
一体は魔術師が落とした杖を、棒切れと同じ調子で振り回している。
一体は仲間の死体の横で眠っていた。
「……余の配下は、戦後もなお不安しかないな」
《ゴブリンですので》
「何でもそれで済むと思うなよ」
しかし、眺めているうちに一つ分かったことがある。
馬鹿ではある。
どうしようもなく馬鹿ではある。
だが、完全に何も考えておらぬわけではない。
例えば靴を引っ剥がしている個体は、戦利品を確保しようとしているのかもしれぬ。杖を振り回している個体は、武器を物色しているつもりなのかもしれぬ。眠っている個体はただの馬鹿だが。
「……ふむ」
余は小部屋の片隅にいた、一体のゴブリンへ視線を留めた。
そやつは騒いでおらぬ。
剣士の死体にも群がらず、ただじっと、周囲を見回している。仲間に踏まれぬ位置を選び、転がった棍棒を一本拾って、何となくだが見張るような真似をしていた。
賢い、というほどではない。
だが、他よりは少しましだ。
「……おい、そこの」
余が意識を向けると、そのゴブリンはびくりと肩を震わせた。ぎょろりと大きな目が宙を見る。こちらの姿など見えるはずもなかろうに、なんとなく“上”を仰いでおる。
「貴様だ、端におる者。聞こえるか」
「ぎ、ぎっ?」
聞こえてはいるらしい。言葉を理解しているかは怪しいが。
「よい、返事は期待しておらぬ。貴様、他の馬鹿どもより少しだけましに見える」
「ぎ……?」
「ゆえに命じる。死体を奥へ運べ。使えるものはまとめよ。小便はなるべく隅へ行ってしろ」
最後の一言は大事である。非常に大事である。
そのゴブリンは首をかしげたあと、のそのそと動き出した。仲間を蹴り、靴を引っ張っていた個体の頭を棍棒で叩き、指示めいた唸り声を上げる。
「ぎゃ、ぎゃっ!」
「ぎぎ!」
「ぎぃぃ」
……おお。
完全ではないが、少しまとまった。
「使えるではないか、あやつ」
《同個体は群れ内での優位行動が比較的強いようです》
「もっと早く報告せよ」
《今、観測されましたので》
管理音声は本当に融通が利かぬ。
だが、まあよい。余はその“少しだけましなゴブリン”を眺め、しばし考えた。
このまま“そこの”では不便だな。
配下を使うのなら、識別は必要だ。
王というものは、忠臣の名くらい覚えるべきかもしれぬ。まだ王ではないが。
「……うむ。貴様、今日から“グズ”だ」
何となく口にした名であった。
意味はない。響きだけだ。
だが、呼びやすい。
「グズ。聞こえるか、グズ」
「ぎ、ぎぃ!」
偶然か、それとも多少は理解したのか。そやつは胸を叩くような仕草をした。
よし。以後、あやつはグズである。
「グズ、死体を処理しろ。武器は集めろ。入口側の通路も掃除しろ。あと小便は隅だ」
「ぎ!」
最後だけ元気よく返事をした気がした。
なぜそこだけ通じるのだ。
◇
処理は、ひどく時間がかかった。
剣士の死体は重い。ゴブリン数体が引きずり、途中で手を離し、また引きずり、半分ほど進めたところで一体が死体のポーチを漁り始めたので余が怒鳴りつける。魔術師が落としていった杖は持ち手が焦げていたが、グズがきちんと回収させた。
剣。
短剣一本。
火傷で焼けたローブの切れ端。
小袋が一つ。
中には乾燥肉、包帯、煙玉の残り一個、硬貨少々。
「硬貨は使えるのか?」
《人間社会では価値があります》
「余には」
《現状、直接の用途はありません》
「ふむ」
では記念品か。あるいは、いずれ使う日が来るかもしれぬ。
余は戦利品一覧を頭の中に並べていく。これも妙な感覚だ。自分で手に取れぬのに、持ち物だけは把握できる。たぶんコア権限とかそういうやつだ。便利だが、やはり気味が悪い。
小袋の中に、折り畳まれた紙が入っていた。
「む?」
《簡易地図、および依頼書の写しです》
「読めるのか」
《あなたには可能です》
光る文字として内容が頭へ流れ込む。
依頼内容は予想通りだった。辺境の浅層洞窟型ダンジョンの簡易調査。危険度低。新規発見のため報酬は薄いが、素材が取れれば小遣いにはなる。推奨戦力、初級冒険者三名以上。
「危険度低……」
余は何とも言えぬ気分になった。
確かに低い。
事実として低いのだろう。
今回はたまたま勝てた。だが、依頼書一枚で人間どもがふらりと入り込んでくるのだとしたら、余の平穏はだいぶ短い。
「なあ管理音声」
《はい》
「ダンジョンとは、こんなにも気軽に入られるものなのか」
《浅層・低ランク迷宮は資源採取や訓練場としても扱われます》
「訓練場」
《はい》
余はしばし沈黙した。
訓練場。
なるほど。つまり、余の命は誰かの腕試し程度の重みしかないということか。
面白くない。
実に面白くない。
「……ならば」
余は静かに呟く。
「次に来る者には、訓練などと二度と思わせぬ」
その言葉は、白い部屋の中で小さく反響した。
先ほどまでの恐慌に満ちた叫びではない。怒鳴り散らしでもない。熱もまだ足りぬ。だが、芯だけは確かにあった。
《運営方針の更新を確認》
「勝手に確認するな」
《良い傾向です》
「おぬし、たまに余を褒めるな」
《事実ですので》
その“事実ですので”が、今日は少しだけ嫌ではなかった。
◇
片付けが一段落し、余は改めてダンジョン新聞を開いた。
光の紙面が、白い部屋の中央にふわりと広がる。
上から順に目を走らせる。
⸻
【今月の人気初期魔物】
第一位:洞窟ネズミ
第二位:ゴブリン
第三位:ポフキノコ
【新人ロード向け特集】
“最初の一組をどう殺すか”
“入口で止めるな、奥で仕留めろ”
“馬鹿な配下ほど使い道がある”
⸻
「最後の記事を書いた者、余の心でも読めるのか?」
思わず突っ込んだ。
さらに読み進める。
⸻
【危険冒険者欄・初級編】
・槍持ちの連中は狭所で強い。軽視するな
・斥候を最優先で潰せ。あれは迷宮の眼を奪う者だ
・聖職者が混ざっていたら諦めて損耗前提に切り替えろ
⸻
「斥候を最優先で潰せ、か……」
やはりそうであったか。
今回、魔術師を先に落としたのは結果的には正解だった。だが斥候の脅威度が高い、という感覚も間違っておらぬ。次に来た時、同じ手は通じぬだろう。
紙面をめくる。次は交流欄。
⸻
【交流欄】
・“百口回廊の主”より:余剰罠部材を売る。血液樽、腐食液、鎖束、胞子床あり。
・“灰冠のロード”より:最近の若い迷宮は入口演出ばかり気にして基礎がなっとらん。
・“玻璃宮の姫”より:迷宮もまた美しくあるべきですわ。泥と臭気に頼るのは三流ですの。
⸻
「うるさい!」
最後の一言に即座に反応してしまった。
泥と臭気に頼ったのは認める。認めるが、勝ったのだからよいではないか。いや、よくはないのだが。できればもっと格調高く勝ちたかったが。
その下の小さな投書欄に、自分の迷宮らしきものへのコメントが一つだけ載っていた。
⸻
【小欄:辺境小洞窟の話】
“湿臭甚だし、だが新人にしては入口から奥への引き込みが素直。運が良いだけではないやもしれぬ”
⸻
「……ほう?」
余は身を乗り出すような気分になった。
褒められた、のか? いや、湿臭甚だしと言われておるので半分は悪口だが、後半はそれなりに見ておる。
「新人にしては、か」
悪くない。
だいぶ悪くない。
単純であると言われればその通りだが、余は少しだけ気をよくした。王とはたぶん、こういう外部評価に一喜一憂してはならぬのだろうが、まだ王ではないので許されよ。
《新聞への投稿機能は次段階で解放されます》
「投稿もできるのか」
《はい》
「……面白い」
余はにやりとした。
これは使える。
ただ読むだけではない。いずれ、自分の迷宮を売り込み、他迷宮の情報を探り、必要ならば印象操作すらできるのだろう。
良いではないか。
そういうのは好きだ。
真正面から殴り合うより、よほど性に合う。
「よし。次の方針は決まった」
《どうぞ》
「まずは増築だ。通路が短すぎる。次に、索敵手段を増やす。さらに、馬鹿どもの質を少しでも上げる」
《推奨します》
「あと、斥候対策」
《最優先事項として妥当です》
「加えて――」
余は少し迷ってから、最後の一つを口にした。
「……ポフキノコと洞窟ネズミ、どちらが先に要ると思う」
《用途が異なります。偵察と導線管理を重視するなら洞窟ネズミ。環境変化と継続妨害を重視するならポフキノコ》
「ふむ」
余の脳裏に、あの斥候の娘の動きが浮かぶ。
床を見る目。
違和感を拾う速さ。
最後の煙玉。
あれがいたから二人は逃げた。
「なら、先は洞窟ネズミだな」
《合理的判断です》
「余もそう思う」
言いながら、余は通路の先にいるグズを見た。
そやつは今、剣士の靴を自分の足に履こうとして転んでいた。
あまり合理的ではない光景である。
・
・
・
一方その頃。
辺境の冒険者ギルド支部では、血と煤と泥にまみれた二つの影が、受付前の椅子へ崩れ落ちていた。
「レネ!? ミーシャ!?」
「……水」
「すぐ持ってくる! 誰か、治癒術士を!」
支部内が一気に騒がしくなる。
ローブの裾を焼いた魔術師ミーシャは、震える手でカップを掴み、二口ほど飲んでから咳き込んだ。向かいに座る斥候の少女レネは、泥まみれの短剣を机に置き、無言で呼吸を整えている。
「他の一人は?」
「……死んだ」
短い返答。
受付嬢の顔色が変わる。
「Eランク洞窟で?」
「たぶん、そう報告されてる」
「たぶんって、何それ……」
レネはしばらく目を伏せていたが、やがてゆっくり顔を上げた。灰色の瞳には、恐怖と興奮と、理解できぬものを見た時の警戒が混ざっていた。
「普通じゃなかった」
「ゴブリンが強かったの?」
「違う」
「罠があった?」
「違う」
「じゃあ何が――」
レネは少し考え、言葉を選ぶように唇を動かした。
「見られてた」
ギルド内が静まる。
「……え?」
「ただのゴブリン洞窟じゃない。あれ、誰かが見てる。考えてる。こっちの動きに合わせて、引かせて、詰まらせて、分けて、殺してきた」
「ダンジョン、ってそういうものじゃないの?」
「もっと上のならね。でも、あれはEよ。あんな浅い洞窟で、あんな引き込み方するの、おかしい」
ミーシャが青い顔で頷いた。
「剣の振りが壁で鈍る位置とか、私の射線が通らない距離とか……偶然じゃ説明つかない」
「まさか、上位種の魔物がいたとか」
「見えなかった。でも」
「でも?」
レネは迷いなく答えた。
「ロードがいる」
その断定に、何人かが息を呑んだ。
浅層の小洞窟に、ロード。
ありえなくはない。だが珍しい。少なくとも、“初級の小遣い稼ぎ”として向かう相手ではなくなる。
受付嬢が慌てて記録板を引き寄せた。
「報告を上げるわ。危険度再査定。少なくとも初心者向けの札は外す」
「そうして」
「名前、つける? 未命名洞窟のままだと識別しづらいけど」
「……臭かったから、湿臭洞窟でいいんじゃない」
「最悪だなその命名」
「事実よ」
ミーシャがげほ、と咳き込みながら笑った。
だがレネは笑わなかった。
彼女は自分の膝の上で握った拳を見つめる。
最後に振り返った時のことを、思い出していた。
暗闇の奥。
何かがいた。
姿はない。声もない。なのに、確かに“意志”だけがあった。
見下ろすように。
値踏みするように。
そして、次は逃がさないとでも言うように。
「……また来る」
「え?」
「今度は、ちゃんと準備して」
レネは低く言った。
「次は、あっちも準備してる」
・
・
・
白い部屋で、余はくしゃみをした気分になった。
「……今、何か嫌な感じがしたな」
《生還者が情報を持ち帰った可能性があります》
「やはりか」
当然ではある。
二人も逃がしたのだ。噂は広まる。次に来る相手は、今回ほど甘くない。
だからこそ、急がねばならぬ。
余は新聞を閉じ、迷宮の見取り図を開いた。
入口。
曲がり角。
小部屋。
最奥部。
短い。狭い。臭い。だが、ここからだ。
「グズ!」
「ぎっ!」
洞窟のどこかで、靴を履くのを諦めたらしいゴブリンが顔を上げる。
「今日から忙しくなるぞ。余の迷宮は、次で終わるわけにはいかぬ」
「ぎ、ぎぃ!」
「まずは掃除だ。話はそれからである」
グズは一瞬だけ固まり、それから渋々といった様子で仲間を蹴り起こし始めた。
余はその様子を見下ろしながら、静かに笑う。
まだ小さい。
まだ弱い。
だが、もうただの獲物ではない。
余の迷宮は生き残った。
ならば次は、育つ番だ。




