第2話 初めての戦闘
こやつらは、殺せる。
上手くやれば。
ギリギリのところで、きっと。
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「ぎゃっ、ぎゃっ、ぎゃあっ!」
入口側のゴブリンどもが、勇ましいのか情けないのか分からぬ声を上げながら、三人組へ雪崩れ込んだ。
統率? ない。
隊列? ない。
勢いだけはあった。
「うわ、雑っ!」
「Eだもの、こんなもんでしょ」
「待って、何か――」
斥候の娘が何かに気づきかけた、その瞬間。
剣士が笑って前へ出た。
「散らすぞ!」
長剣が暗がりに銀の弧を描く。
一閃。
先頭のゴブリン二体が、まとめて吹き飛んだ。
「ぴぎゃっ!?」
「ぎっ」
軽い。
あまりにも軽い。
骨と肉の潰れる感触が、迷宮の床を通じて余に伝わる。ぞっとした。だが、吐き気はない。ただ、はっきりと理解する。
――弱い。
ゴブリンは、本当に弱い。
「ひぃっ……!」
思わず情けない声が漏れた。いや、漏らしている場合ではない!
魔術師が杖を掲げた。
「《火種》」
短い詠唱。
杖先から弾けた火球が、通路の奥を赤く照らす。ごっ、と小さく爆ぜ、ゴブリン三体が悲鳴を上げて転げ回った。毛皮の端が焦げ、ぬるい臭いが立ち込める。
「駄目だ、正面からでは潰される!」
《当然です》
「知っておるわ!」
剣士は狭い通路でも構わず前へ出た。後ろの斥候が「出すぎ」と短く告げるが、男は鼻で笑う。
「相手はゴブリンだぞ?」
「でも、臭い。床、濡れて――」
「足元に気をつければいいだけよ」
――そうか。
余は目を細めた。
こやつら、入口の時点ではまだ、本気の“攻略態勢”ではない。
舐めている。
Eランクだから。
ゴブリンだから。
この通路が、ただのしょぼい洞穴にしか見えておらぬから。
「……よい。ならば舐めたまま、奥まで来てもらおう」
余は意識を入口側十体へ飛ばした。
「前の三体、当たれ! 残りはすぐ引け! 引きながら騒げ、群がれ、邪魔をせよ!」
命令は単純でなければならぬ。
ゴブリンどもは賢くない。複雑な策など通らぬ。
だからこそ、“動き”ではなく“反応”を使う。
前衛の三体が棍棒を振り上げ、剣士へ突っ込む。
「ぎゃあああっ!」
やはり雑だ。だが、雑ゆえに軌道が読みにくい。剣士は一体を蹴り飛ばし、一体の棍棒を剣で受け、最後の一体を肘で殴り倒した。
だが、その拍子に一歩踏み込む。
濡れた床へ。
ぐらり、と体勢が揺れた。
「っ、ぬ!」
転ぶほどではない。だが、斬撃の角度がずれた。
その瞬間、左右から別のゴブリン二体がしがみついた。
「ぎゃぎゃっ!」
「うお、くそっ、離れろ!」
重くはない。だが、狭い通路で二体に抱きつかれれば邪魔だ。しかも後ろには仲間がいる。大振りも、後退も、しにくい。
「前が詰まってる!」
「押すな!」
「押してない!」
剣士と後衛の距離が、一瞬だけ縮みすぎた。
余は逃さぬ。
「今だ、奥へ引け!」
ゴブリンどもがいっせいに散った。
いや、散ったというより、勝手に後ずさった。だがそれで良い。剣士は思わず前へ一歩出る。獲物を仕留めるための、癖のある踏み込みだ。
斥候が鋭く声を飛ばした。
「待って! 追いすぎ――」
その警告を、剣士は半拍だけ無視した。
それで十分だった。
曲がり角の向こうへ突っ込んだ瞬間、視界が切れる。
そして、曲がり角のすぐ先で待っていたゴブリン三体が、一斉に飛びかかった。
「ぎゃあっ!」
「なっ――!?」
剣士の剣が振られる。狭所では長い。壁に一度ぶつかって鈍る。通路幅を考えれば当然だが、本人はその“当然”に慣れていない。
その刹那、さきほど小便で滑った個体――たぶん同じような馬鹿が、剣士の足首にしがみついた。
「離れろこの……!」
剣士が振り払う。
振り払えた。
だが一歩、足が流れる。
濡れた岩床。
ぐしゃりと潰れたゴブリンの血。
小便。
泥。
それらが混ざって、最悪の足場になっていた。
「っ、しま――」
転倒とまではいかぬ。だが、膝が落ちる。
そこへ、角の向こうからさらに二体。
正面ではなく、横から。
狭所でひとたび姿勢を崩せば、剣士の強さは半減する。
「前、何してるの!?」
「滑った!」
「滑る!?」
魔術師が眉をひそめる。
斥候は舌打ちした。
「血と尿よ! 床が死んでる!」
良い。
実に良い。
言い方は最悪だが、余の迷宮らしい。美しさの欠片もないが、今は勝つのが先である。
「杖持ちを止めよ」
余が命じると、入口近くに残っていた二体が、今度は魔術師へ突っ込んだ。
魔術師は鼻で笑う。
「遅いのよ」
杖が振られる。
火花。
一体が顔面を焼かれて倒れ、もう一体は胸元で爆ぜた衝撃に吹き飛んだ。
やはり魔法は厄介だ。数を並べても、まとめて焼かれる。
だが、止められぬわけではない。
余は窓越しに、魔術師の立ち位置を見た。
彼女は一歩下がっている。剣士を巻き込まぬためだ。つまり、射線を通すために位置を作る。立ち止まる。そこが隙になる。
「小部屋側へ二体回せ。壁沿いに行け。正面から行くな」
壁沿い。
壁沿い。
ゴブリンどもに通じたか怪しかったが、どうにか二体が脇へ逸れた。片方は途中で壁を舐めかけたので全力で怒鳴って進路を戻させた。
その間にも剣士は曲がり角の先で暴れている。二体、三体と斬り伏せられた。だが前に出られぬ。抜けられぬ。後衛とも距離が開いてきた。
斥候が前へ出ようとした。
「私が行く、前空けて」
「危ない!」
「このままだとあの人が詰む!」
そうだ、来るか。
余はその小柄な影を凝視した。
こやつが一番、嫌な動きをする。床も壁も見て、違和感を拾う。通路の“罠ではない罠”に気づけるのは、こやつだけだ。
だから、先に潰すべきは本来、斥候。
だが――殺しやすいのは違う。
「魔術師を落とす」
余は決めた。
斥候は慎重だ。剣士は頑丈だ。だが魔術師は止まる。詠唱のたびに、立ち位置が固定される。
「今だ。横から行け」
壁沿いを這っていた二体のゴブリンが、小部屋の暗がりから飛び出した。
「きゃっ!?」
魔術師の肩口に一体がぶら下がる。もう一体が杖にしがみつく。
「う、うざっ……離れなさい!」
火花が散る。
だが至近距離では、さっきのように簡単には撃てぬ。剣士も斥候も前にいる。狭い通路で味方を巻き込めば、むしろ崩れる。
斥候が振り返った。
「後ろ!」
「見てる!」
魔術師が杖を持ち直す、その一瞬。
入口側でのたのたしていた別のゴブリンが、何故か壁から剥がした石を投げた。
偶然だ。
狙ってできるはずがない。
だが、その石が杖先を叩いた。
「あっ」
短い声。
次の瞬間、未完成の火球が杖のすぐ近くで暴発した。
ぼん、と鈍い爆音。
狭い通路に火と煙が広がる。
魔術師が悲鳴を上げて転がり、ローブの裾に火が移った。斥候が咄嗟に引き戻そうとするが、剣士はまだ前で詰まっている。
「い、た……っ、げほっ!」
「下がって! 下がってってば!」
「前が、くそ、どけぇぇぇっ!!」
剣士が本気で怒鳴り、長剣を力任せに振り抜いた。
通路の壁が砕け、ゴブリン二体がまとめて切断される。強い。やはりまともにやり合えば勝てぬ。
だが、焦っている。
焦った強者は、怖い。
だが、焦った強者は、雑にもなる。
「全部隊、角の先へ下がれ!」
余の命令で、残った入口側のゴブリンどもがいっせいに退いた。剣士は前が急に空いたことで、二歩、三歩と踏み込んでしまう。
そこが小部屋の手前だった。
狭い通路から、ほんの少しだけ広がる空間。
だが、それは“休める部屋”ではない。
余はさきほどから、そこに何体かのゴブリンを潜ませていた。潜むと言っても、薄暗がりで壁に張り付いていただけだが、それでも不意は突ける。
「今だ!」
左右から五体。
前から二体。
後ろでは火傷した魔術師が動けず、斥候も支えに回る。
剣士は一瞬だけ、完全に孤立した。
「ちっ、雑魚がぁっ!!」
剣が閃く。
二体倒れる。
三体吹き飛ぶ。
それでも、一体が腕に噛みつき、一体が腰にぶら下がり、一体が足へしがみついた。
重くはない。
だが、邪魔だ。
通路でも小部屋でも、乱戦になれば剣士一人の強みは削がれる。
斥候が叫ぶ。
「捨てて! そっち捨てて下がって!」
「できるか!」
「死ぬわよ!」
「誰が!」
――ああ、そうか。
余はそこで、はっきり理解した。
この剣士、引かぬのではない。
引けぬのだ。
Eランク迷宮ごときに後退したという事実を、受け入れたくない。仲間の前で、弱小迷宮ごときに遅れを取ったと認めたくない。
よい。
その見栄、実によい。
潰しやすい。
「奥の十体、前進」
《警告。コア近傍防衛戦力が減少します》
「承知の上だ! ここで折る!」
最奥部にいた十体が、のそのそと動き始める。遅い。だが十分だ。今この局面で数が加われば、押し潰せる。
斥候が、その気配に気づいた。
「……増える!?」
「は?」
「奥にもいる! この迷宮、入口だけじゃない!」
今さらか。
今さらである。
だが、その今さらが命を分ける。
奥から来たゴブリンたちが、小部屋へ雪崩れ込んだ。統率はない。だが、数は暴力だ。剣士の周囲に、棍棒と爪と歯が一気に群がる。
「ぐ、お、おおおおっ!!」
剣士が咆哮し、二体を薙ぎ払った。だが、その腕に、肩に、脚に、次から次へとぶら下がる。視界も腕も塞がれる。
斥候が短剣を投げた。
一本、二本。
的確だ。一体の目に刺さり、もう一体の喉を裂く。
やはり厄介。
だが、その支援も一瞬遅い。
火傷した魔術師はまだ立てず、剣士はもはや深みに嵌っている。
余は低く呟いた。
「終わりだ」
誰にも聞こえぬ声で。
だが、迷宮全体には確かに響く意志で。
次の瞬間、剣士の足が、ついに完全に滑った。
ぐしゃ、と。
血と泥と尿に濡れた床へ膝が落ちる。
そこへ十数体のゴブリンが一斉に群がった。
「ぃ、ぎ……!」
棍棒が振り下ろされる。
牙が食い込む。
腕を払っても、払っても、次が来る。
強者を殺すのに必要なのは、必ずしも強者ではない。
狭さ。
悪足場。
分断。
焦り。
そして、雑に多い数だ。
剣士の怒号はすぐに悲鳴へ変わり、それも長くは続かなかった。
斥候が息を呑む。
「…………っ」
魔術師が焼けた喉で、かすれた声を漏らした。
「う、そ……」
小部屋の中で、ゴブリンどもが獲物に群がっている。
余はその光景を見て、ほんの一瞬だけ、完全な静けさの中にいた。
やった。
やったのか。
本当に。
人間を、殺した。
余の配下が。
余の迷宮が。
余の判断で。
その事実は不思議なほど重く、だが同時に、どこか乾いていた。
怖いとか、可哀想とか、そういうものより先に来たのは――
勝った。
という、ひどく単純な認識だった。
「……次」
余は自分でも驚くほど冷えた声で言った。
斥候が顔を上げた。暗がりの奥、こちらを見た気がした。見えているはずはないのに、まるで余の視線を感じ取ったように。
「レネ、立って……!」
「立てる。でも、無理。退く」
「でも剣士が――」
「もう遅い!」
良い判断だ、斥候。
さすがにそれは分かるか。
「全個体、追え!」
余が命じると、ゴブリンどもが一斉に二人へ向かう。
だが、斥候の動きは速い。火傷した魔術師の腕を肩に回し、半ば引きずるようにして後退する。狭い通路でも足運びが崩れぬ。床の悪さも読んでいる。
やはりこやつ、一番嫌だ。
入口近くまで追い詰めたところで、斥候が振り返りざま、腰の袋から何かを投げた。
ぱんっ、と乾いた破裂音。
白い煙が狭い通路に満ちる。
「なっ、煙!?」
《視界低下》
「見れば分かる!」
ゴブリンどもがぎゃあぎゃあと騒ぐ。煙に怯え、足を止め、何体かは仲間同士でぶつかって転んだ。馬鹿である。知っていたが、こういう時に改めて馬鹿さが身にしみる。
その隙に、二つの影が入口の光へ飛び込んだ。
斥候。
魔術師。
生きて、逃げる。
「待て! 待たぬか! そこまで来たなら死んでゆけ!」
余の悲痛な叫びも虚しく、二人は外へ抜けた。
裂け目の向こう、昼の光がまぶしく滲む。
その寸前、斥候の娘――レネが、ほんの一瞬だけ振り返った。
薄暗い通路の奥。
血と泥と尿と死体に満ちた、くだらぬ弱小洞窟。
そのさらに奥にいる“何か”へ向けて。
「……いる」
小さく、そう呟いた気がした。
そして、光の向こうへ消える。
迷宮に、静寂が戻った。
◇
「…………」
余はしばらく何も言えなかった。
白い部屋に、ただ黙って浮かんでいた。
外へ逃げた二人を追うことはできぬ。迷宮の外は余の領分ではない。入口を越えた瞬間、感覚は急速に薄れ、やがて完全に切れた。
残ったのは、洞窟内の有様だけだ。
死体。
血。
焦げ跡。
倒れたゴブリン。
壁にもたれて笑っている馬鹿。
まだ剣士の手を齧っている別の馬鹿。
「……勝った、のか?」
《初回侵入者迎撃に成功しました》
「そうか」
《ソウル回収を開始します》
小部屋の死体から、淡い光が立ちのぼる。
糸のような、霧のような、薄い輝きが、洞窟の空気を漂いながら奥へ流れてくる。どこへ向かうのかと思えば、それは自然に、余のいる最奥部――コアのある方へ集まっていった。
ぞくり、とした。
熱いような、甘いような、妙な感覚が迷宮全体を走る。
【ソウルを獲得しました】
【現在ソウル:148】
「四十八……」
安いのか高いのか分からぬ。
分からぬが、少なくとも、余はこの勝利で生き延びた。
その事実だけは揺るがぬ。
余はあらためて洞窟を見渡した。
入口側の十体はほぼ壊滅。奥の十体も半数以上が負傷、三体は死んでいる。最初の二十体で、まともに残ったのはわずかだ。
辛勝どころか、紙一重。
あと一つ噛み合わなければ、終わっていた。
「……二度は通じぬな」
《同意します》
「素直だな今日は」
《事実ですので》
そう、事実だ。
相手はEランクを舐めていた。剣士は突っ込みすぎた。魔術師は通路戦に不慣れだった。斥候だけはまともだったが、仲間が足を引っ張った。
こちらは地形と悪足場と数で押し切れた。
だが、対策されたら?
滑る床を警戒され、狭所での突撃を避けられ、火でまとめて焼かれたら?
終わる。
普通に終わる。
「弱い……」
余はぽつりと呟いた。
勝った。
生き残った。
だが、それだけだ。
王などと名乗るには、余の迷宮はあまりにも貧弱で、余の配下はあまりにも馬鹿で、余自身もあまりにも綱渡りだった。
「余は、まだ王ではない」
口にしてみると、妙にしっくりきた。
王のふりはできる。
だがまだ、王ではない。
ただ、消えたくなくて必死に足掻いただけの、最弱迷宮のコアだ。
その時だった。
白い部屋に、新たな文字が浮かび上がる。
【初回迎撃成功報酬を付与します】
【新機能:ダンジョン新聞 解放】
「……新聞?」
《ロード専用情報媒体です》
「何だそれは」
《他ダンジョン情報、人気魔物、冒険者危険度、迷宮運営ノウハウ、交流欄などを閲覧可能です》
「待て。交流欄?」
文字列が次々に並ぶ。
見たこともない迷宮名。
聞いたこともない魔物の名。
今月の注目罠、危険冒険者特集、昇格速報、新規投稿、取引板――。
世界が、急に広がった。
余のしょぼい洞窟の外に、こんなにも多くの迷宮があるのか。
ロードがいるのか。
皆、生き残るために、魔物を揃え、罠を工夫し、冒険者を殺し、競い合っておるのか。
「…………」
紙のようで紙ではない、光の新聞の片隅に、小さな記事が載っていた。
辺境新規Eランク迷宮、初回侵入を辛勝。
低級ゴブリン運用に妙手あり、ただし湿臭甚だし。
「湿臭甚だしとは何だ!」
《客観的評価かと》
「余の迷宮の第一印象が最悪ではないか!」
叫んだあとで、余はふと黙る。
記事は小さい。
扱いも雑だ。
だが確かに、余の迷宮はこの世界に記録されたのだ。
どこかの誰かが見ている。
どこかのロードが読むかもしれぬ。
笑われるかもしれぬ。
見下されるかもしれぬ。
だが――
「……ならば」
白い部屋の中で、余は静かに洞窟を見下ろした。
死体だらけで、臭くて、ぬめっていて、馬鹿ゴブリンの残骸が転がる、最低の初陣の跡。
だが、ここは余の迷宮だ。
余が守り抜いた、余の城だ。
「ここで終わるわけにはいかぬな」
次は増やす。
整える。
学ぶ。
もっと賢く、もっと深く、もっと殺しやすく。
次に来る侵入者には、今回よりほんの少しだけでも、ましな迷宮で迎えてやる。
そう思った時、余は初めて、自分の中に小さな芯が生まれたのを感じた。
それはまだ王冠ではない。
玉座でもない。
ただの、生存本能の延長にすぎぬ。
だがきっと、王とはそういうものから始まるのだ。
たぶん。
知らぬが。




