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第54話 封鎖線は餌場になる

封鎖は、迷宮を飢えさせる。


 余は最初、そう思った。


 入口を見張られ、冒険者を追い返され、討伐隊が来るまで餌を止められる。


 それは実際、かなり嫌な手だった。


 だが、外縁迷霧で封鎖兵を一人喰ってから、余は少し見方を変えた。


 封鎖線とは、つまり人間が毎日そこに立つということだ。


 同じ場所に。


 同じ時間に。


 同じ道具を置き。


 同じ交代をし。


 同じ不安を抱えて。


「管理音声」

《はい》

「封鎖線は、餌場だな」

《解釈を更新しました》

「うむ」


 ただし、普通の餌場ではない。


 勝手に中へ入ってくる冒険者とは違う。


 封鎖兵は慎重だ。


 迷宮へ入らないよう訓練されている。


 距離を取る。


 縄を張る。


 札を貼る。


 交代で見張る。


 中へ踏み込まない。


 だから、まとめて喰うのは難しい。


 だが逆に言えば、行動が読みやすい。


 朝に札を確認する。


 昼に物資を運ぶ。


 夕方に交代する。


 夜は焚き火を増やす。


 雨が降れば杭を打ち直す。


 風が吹けば札を替える。


 それはもう、人間が自分から作った導線だった。


「……迷宮の中の通路と同じだ」

《はい》

「ただ、外にある」

《はい》


 ならば迷わせられる。


 まだ薄く。


 まだ弱く。


 だが、確かに。


外縁迷霧の維持にはソウルがかかる。


 前日の封鎖兵一人を喰った時点で、余のソウルは三五四。


 そこから一日分の維持費が引かれた。


《外縁滲出維持:−20》

《現在ソウル:334》


「高いな」

《はい》

「だが、餌場代だと思えば安いか」

《回収できれば》

「回収する」


 外の封鎖線は、昨日より後ろに下がっていた。


 入口からさらに距離を取り、縄も二重にされている。


 封鎖兵は六人。


 昼の見張りが三人。


 交代待機が三人。


 奥の荷車に物資。


 札。


 縄。


 杭。


 油壺。


 そして、長い棒。


 昨日のように直接近づかず、棒の先で札を掛けるつもりらしい。


「学ぶな」

《はい》

「人間は面倒だ」

《はい》


 だが、学ぶならそれも使う。


 棒を使うということは、距離を取るということ。


 距離を取るということは、手元と先端の認識がずれるということ。


 それもまた迷いの種だ。


「今日の狙いは」

《封鎖線の交代導線》

「そうだ」


 人間は交代する。


 交代の時が、一番緩む。


 今いる者は早く下がりたい。


 次に来る者は配置を確認したい。


 どちらも相手が分かっていると思い込む。


 そこで一歩ずらす。


「外縁迷霧、縄の右側へ薄く」

《実行》

「白帰杭残滓は出しすぎるな」

《はい》

「今日は“帰れる光”ではなく、“さっき通った気がする湿り”を作れ」

《実行します》


 入口の外に、薄い霧が這った。


 前のように目立つ白いちらつきは出さない。


 代わりに、足元の湿りをほんの少しだけ重ねる。


 行きは乾いていたはずの場所が、帰りには湿っている。


 さっき通ったはずの縄の位置が、ほんの少し違って見える。


 木杭の影が、少し長く見える。


 それだけだ。


 だが、人間の交代にはそれで足りる。


夕方。


 封鎖線の交代が始まった。


 奥の荷車から三人が来る。


 見張りについていた三人が下がる。


 その間、縄の内側に一瞬だけ人が増える。


 全員が入口を見ているわけではない。


 荷物を見る者。


 札を見る者。


 足元を見る者。


 仲間を見る者。


 そして、昨日死んだ兵の跡を見ないようにしている者。


「……良い」

《はい》


 恐怖は残っている。


 だが、慣れようとしている。


 慣れは餌だ。


「おい、札を替えるぞ」

 新しい見張りの一人が言った。

「棒を使え。近づくな」

「分かってる」


 男は長い棒の先に浄化札を挟み、縄の内側から入口前の杭へ伸ばした。


 距離は保っている。


 足は安全圏にある。


 そのつもりだった。


「外縁迷霧、棒の先」

《実行》


 霧が棒の先へ絡む。


 手元には何もない。


 だが、先端だけが湿る。


 札が少し重くなる。


 男は棒を少し下げた。


「……引っかかった」

「無理するな」

「大丈夫だ。札だけ掛ける」


 その“大丈夫”がよくない。


 人間は、自分がまだ安全だと思っている時ほど、半歩を雑にする。


 男は棒を押し込んだ。


 札が杭にかかる。


 だが、湿りで札が滑り、斜めになる。


「ちっ」


 男は直そうとして、さらに棒を伸ばした。


 手元の位置が少し前に出る。


 足元が縄へ近づく。


「まだだ」

《はい》


 余は我慢した。


 ここで引き込めば、昨日と同じだ。


 今日は封鎖線そのものを餌場にする。


 狙うのは、札を替える男ではない。


 それを助けに来る者だ。


「おい、貸せ」

 別の兵が近づいた。

「お前、下手だな」

「うるさい。湿ってるんだよ」

「触るなって言われただろ」

「棒で触ってるだけだ」


 二人目が来た。


 よし。


 人間は一人の作業を二人で直す。


 そこにずれが生まれる。


「霧、二人目の足元」

《実行》


 二人目の足元に、薄い湿りが這った。


 見えないほど薄く。


 だが靴底だけが覚える程度に。


 二人目は棒を奪おうとして、一歩横へずれた。


 その先に、封鎖縄の影。


 影縫い大蜘蛛の範囲にはまだ遠い。


 だが、外縁へ伸ばした小蜘蛛なら届く。


「小蜘蛛、一匹だけ」

《危険です。外界では損耗率高》

「一匹でよい」

《実行》


 小さな縫い影蜘蛛が、入口の暗がりから外へ出た。


 外の空気に触れ、身体が少し縮む。


 やはり外では弱い。


 だが、縄の影までは届いた。


 蜘蛛は封鎖縄の影と、二人目の靴の影を一瞬だけ縫った。


「っ?」


 二人目の足が止まる。


「何だ?」

「いや、縄に引っかかった」

「下がれ! 下がれって!」


 周囲の兵が叫ぶ。


 そこで一人目が焦った。


 棒を引こうとする。


 だが札が杭に絡んでいる。


 棒が引けない。


 二人目は足が止まっている。


 後ろの兵は近づくか迷う。


 交代中の隊列が、一気に乱れた。


「今だ」

《はい》


 外縁迷霧を入口側へ巻く。


 ほんの一瞬だけ、封鎖縄の切れ目が見えなくなる。


 代わりに、入口側の岩陰が“逃げ道”に見える。


 二人目は足を抜こうとして、逆方向へ体重をかけた。


 封鎖線の外へ戻るつもりで。


 だが、実際には入口側へ一歩寄った。


「違う! そっちは洞窟だ!」

「え?」


 男が振り向く。


 その顔に、ミルが映った。


 入口の暗がり。


 迷見ゴブリンの目。


 男にだけ見える。


「ひっ……!」


 それで足が完全に止まった。


 縄の影を縫っていた小蜘蛛が弾けた。


《縫い影蜘蛛一匹消失》


 だが十分。


 男は縄を越え、入口の影へ膝をついた。


「グズ」

「ギィィッ!」


 湿棍ゴブリンが暗がりから伸びるように出た。


 棍棒が、男の肩を潰す。


「ぎゃああっ!」


「引け! 引っ張れ!」

 外の兵が叫ぶ。


 兵の一人が男の襟を掴もうとする。


 その手が、迷宮の口の内側へ入った。


「欲張るな」

 余は言った。

「二人目も取る」


 鼠が走る。


 手を伸ばした兵の足元を切る。


 兵は反射的に踏ん張った。


 その踏ん張りで、身体が前へ入る。


 影縫い大蜘蛛の糸が、今度は届いた。


 入口の影と、兵の腕の影を縫う。


「離れない!」

「手を離せ!」

「こいつを引くんだよ!」


 仲間を助けようとする判断。


 人間としては正しい。


 迷宮では、餌だ。


「グズ、先に手を伸ばした方」

「ギィッ!」


 棍棒が横から入る。


 兵の肋骨が折れる音がした。


 男はまだ生きている。


 だが迷宮の内側へ倒れ込んだ。


「一人目」

《侵入者一名死亡》

《獲得ソウル:34》

《現在ソウル:368》


 肩を潰された最初の男が、這って外へ戻ろうとする。


 だがミルが見ている。


 マネも、ミルの逆側に出た。


 男はどちらを見るべきか分からなくなった。


 その間にグズが戻る。


「二人目」

《侵入者一名死亡》

《獲得ソウル:32》

《現在ソウル:400》


封鎖線は崩れた。


 だが全滅はしない。


 人間たちは今度こそ一斉に下がった。


 弓持ちが矢を放つ。


 油壺を投げる。


 火が入口前に広がる。


 外縁迷霧が焼けて散る。


《外縁滲出、効果低下》

「構わぬ」

《はい》


 今日は二人喰った。


 十分だ。


 深追いはしない。


 外ではまだ弱い。


 調子に乗って出れば、こちらが削られる。


 封鎖線は餌場だが、外は人間の領域でもある。


「小蜘蛛一匹で二人」

《効率良好です》

「外縁維持費を払っても黒字だな」

《はい》


 戦闘収支が出る。



【外周戦闘収支】


外縁滲出維持:−20

縫い影蜘蛛損耗:一匹

封鎖兵撃破:+34

封鎖兵撃破:+32


現在ソウル:400



「悪くない」

《はい》

「いや、かなり良い」

《はい》


 封鎖は餌場になる。


 証明できた。


 ただ待っていれば飢える。


 だが、相手の行動を読み、交代を狙い、助けに来る者を引き込めば、封鎖線は毎日決まった場所に餌を置いてくれる。


 これは大きい。


人間側は、封鎖線をさらに下げた。


 入口からかなり距離を取る。


 火を焚く。


 油を撒く。


 縄を三重にする。


 今度は、札替えすら近くでやらないつもりらしい。


「どんどん遠くなるな」

《はい》

「だが、遠くなれば物資運びの距離が伸びる」

《はい》

「交代にも時間がかかる」

《はい》

「疲れる」

《はい》

「焦る」

《はい》


 封鎖線を下げれば安全になる。


 だが維持は難しくなる。


 人員が要る。


 食料が要る。


 火が要る。


 油が要る。


 交代が要る。


 迷宮に入らず戦うというのは、人間側にとっても負担なのだ。


 そこを突けばよい。


「……ふむ」

《どうしましたか》

「Aランクまで育つ迷宮は、こういうことをしているのだな」

《推測として妥当です》

「ただ中で強いだけではない」

《はい》

「人間が挑む理由を作り、人間が近づく構造を作り、人間が離れきれない場所になる」

《はい》

「迷宮圏、か」

《はい》


 迷靄洞はまだ小さい。


 外縁迷霧も弱い。


 だが、その入口に立った。


 外へ滲む。


 人間の封鎖線を、逆に餌場へ変える。


 これが進めば、迷宮は洞窟だけではなくなる。


「……よい」

 余は言った。

「この方向で育てる」


その日の夜、ダンジョン新聞に短報が出た。



【地域短報】


・迷靄洞封鎖線、交代時に死者二名

・原因不明の転倒、縄絡み、入口側への誤進入を確認

・封鎖線、さらに後退

・迷靄洞に外縁干渉能力の疑い強まる



 交流欄が動く。



・“朽縄井戸”井守:封鎖線を餌場にしたか。悪くない

・“玻璃宮の姫”:ただし外へ出すほど、迷宮の輪郭も見られますわよ

・“灰冠のロード”:外周を喰うなら、外周に喰われる覚悟も持て

・“赤泥蟻穴”:二人で喜ぶな、湿ったの。外の餌はもっと速く奪え



「また出たな」

《はい》

「赤泥蟻穴め」

《反応しますか》

「する」



・“迷靄洞”:速く奪うだけなら蟻でもできる。余は帰りたくなる心ごと喰う



 送った。


 少し気分が良い。


 だが、その直後。


 外周の鼠が、森縁とは別方向で小さな振動を拾った。


「何だ」

《地中反応》

「地中?」

《小型群。迷靄洞外縁のさらに外側》

「……赤泥蟻か」

《可能性高》


 若い牙は、言葉だけではなかった。


 赤泥蟻穴の小型蟻が、封鎖線の外側へ回り込んでいる。


 人間の物資路を狙っているのか。


 封鎖兵を狙っているのか。


 それとも、迷靄洞の餌場を横取りするつもりか。


「……面白い」

《はい》

「だが、余の餌を取るなら敵だ」

《はい》


 人間側は封鎖線を築く。


 迷靄洞はそれを餌場に変える。


 赤泥蟻穴は、その外から餌を奪いに来る。


 盤は三つ巴になった。


「次は」

 余は静かに言った。

「赤泥蟻穴にも、迷わせる」


 洞窟の中だけではない。


 人間だけでもない。


 迷靄洞の湿りは、外の餌場へ広がり始めていた。


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