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第44話 役を理解する配下は、主の代わりになり始める

ミルを育てる。


 そう決めたはいいが、問題は育て方だった。


 強くするだけなら簡単だ。


 棍棒を良いものに替える。


 筋力寄りの強化を施す。


 数体つけて実戦経験を積ませる。


 そういう方向なら、普通の迷宮の配下育成としては分かりやすい。


 だが今、余が欲しいのはそうではない。


 役を理解する配下だ。


 “なぜそこに立つのか”

 “なぜ半歩だけ出るのか”

 “なぜすぐ殴らぬのか”


 そのあたりを、少しでも理解して動けるもの。


 つまり、ただ賢くするのとも違う。


 余の迷宮の考え方へ寄せる必要がある。


「……面倒だな」

《かなり》

「だが、やる」

《はい》


 最初に試したのは、単純な反復だった。


 岐れの灯間で、侵入者が来るたびに余はミルへ短い指示を出す。


「まだ出るな」

「今だ、半歩」

「追うな」

「見せるだけでよい」

「戻れ」

「その位置だ」


 そういう短い命令を、何度も何度も重ねる。


 馬鹿相手に地道すぎる作業である。


 正直、かなり地味だ。


 だが意外にも、ミルは覚えが悪くなかった。


 いや、言い方が違う。


 理解はしていない。


 だが、“岐れの灯間ではこう動く”という癖が、かなり早く定着したのだ。


「ミル」

「ギィ」

「今は?」

「……ギ」

 壁際に立つ。

「うむ」

「次は?」

「ギィ……」

 灯りの外れへ半歩。

「よし」


 相変わらず言葉は通じ切らぬ。


 だが、場と結びついた動作は覚える。


 やはり役は、配下の頭ではなく、場との接続で育つのかもしれぬ。


《傾向確認》

「何だ」

《個体“ミル”は、汎用知能よりも区画依存理解が伸びています》

「……つまり?」

《岐れの灯間に限っては賢くなりつつあります》

「良いな」

《かなり》


 その言い方は気に入った。


 岐れの灯間に限っては賢い。


 それでよい。


 余は万能の部下を求めておらぬ。


 この場で、余の迷宮らしく動ける配下が欲しいのだ。


 そして三日目の観測で、最初の明確な変化が出た。


 若い二人組の侵入者が岐れの灯間へ寄った時のことだ。


 片方が灯りに引かれ、もう片方が止めた。


 いつも通りなら、そこでミルは“見える位置へ半歩だけ出る”はずだった。


 だが今回は違った。


 ミルは出なかった。


「……?」


 余は一瞬、命令忘れかと思った。


 だが次の瞬間、その意味が分かる。


 先に出ようとした侵入者が、一人だけ枝路へ首を入れた。


 するとミルは、そやつだけに見える角度で、ぬっと顔を出したのだ。


「うわっ!」

 侵入者が飛び退く。

「どうした!?」

「いた! いた!」

「見えねえぞ!」

「今いたって!」


 もう一人には見えていない。


 だが最初に覗いた方だけが、確かに“見られた”感覚を持つ。


 その瞬間、二人の認識が裂けた。


「本当にいたのか?」

「いたって!」

「でも今は……」

「いや、いた!」


 余はそこで、白い部屋でしばらく言葉を失った。


「……ミル」

「ギィ?」

「今の、誰に習った」

「ギィ……?」


 当然答えられぬ。


 だが明らかに、余がいつも出していた命令ではない。


 余ならたしかに、そうすることはある。


 一人にだけ見せ、情報を裂く。


 だが、その瞬間にそれを選んだのはミルだ。


《重要変化》

「うむ」

《役に沿った自発判断が発生しました》

「……」


 自発判断。


 ついにそこまで来たか。


 役を持つ、だけではない。


 役に合う判断を、自分で一つ選んだ。


 しかも、その判断はかなり余のやり方に近い。


「……良い」

 余は低く言った。

「かなり良いぞ、ミル」

「ギィ……」


 ミルは何となく嬉しそうに胸を張った。


 単純である。


 だがその単純さも、今は悪くない。


 問題はここから先だ。


 自発判断が育つのは良い。


 だがそれが伸びすぎると、“余の代わり”ではなく“ミルなりの勝手”が強くなる危険もある。


 つまり今は、伸ばすべきでありながら、同時に締めるべき段階だ。


「管理音声」

《はい》

「今のは成功だ」

《はい》

「だが、放っておいて良い段階ではない」

《同意します》

「うむ」


 そこで余は方針を決めた。


 ミルに“選ばせる”。


 だが選んだ後は、必ず余が振り返る。


 つまり、配下へ判断を持たせつつ、それが迷靄洞の核からズレぬよう、毎回噛み合わせるのだ。


 面倒である。


 かなり。


 だが、たぶんここが大事だ。



それから数日。


 余は実戦のたびに、ミルの判断を観測した。


 そして終わるたびに、白い部屋から短く“正解”を返す。


「今のは良い」

「今のは見せすぎだ」

「追いすぎるな」

「待ちが足りぬ」

「その位置は正しい」

「先に鼠を切らせろ」


 ミルは全て理解しているわけではない。


 だが、少しずつ傾向を掴み始めた。


 待つ。


 半歩だけ見せる。


 一人だけに見せる。


 帰る気が出た相手を押しすぎない。


 “ここは変だ”という感触を濃くして返す。


 それらが重なるうち、ミルはもはや普通のゴブリンとはかなり違う動きをするようになっていった。


「……」

《順調です》

「うむ」

《ただし》

「何だ」

《個体“ミル”の岐れの灯間への依存も強まっています》

「依存?」

《その場を離れると反応が鈍いです》

「……まあよい」

《本当に?》

「今はよい」


 実際、それで困らぬ。


 ミルは岐れの灯間の見張りだ。


 そこに強く結びついている方が自然である。


 ただし、これが本当に“継ぐもの”へ近づく前段階なら、いずれは場に縛られすぎるのも問題になるかもしれぬ。


 だが今はまだ先の話だ。


 まずは、役を理解する段階を固める。


 その最中、少し面白いことも起きた。


 他のゴブリンが、ミルを何となく避けるようになったのだ。


「……何だこれは」

《役持ち個体への反応と思われます》

「畏れているのか」

《半分》

「残り半分は」

《“こいつ何か違う”です》

「うむ」


 実にゴブリンらしい反応である。


 理屈ではない。


 だが、感じ取ってはいる。


 ミルは自分たちと似ているが、どこか違う。


 ただ殴るだけではない。


 見て、待って、場に立つ。


 それが気味悪く、少し偉く見えるのだろう。


「……良い傾向か?」

《悪くありません》

「ならよい」


 役持ちを他配下が認識し始める。


 それは、迷宮内部の階層が生まれる最初の兆しかもしれぬ。


 そしてその日の夕方。


 少し危ない場面があった。


 三人組の侵入者が岐れの灯間へ来た時、術師が苛立って火球を投げ込んだのだ。


「燃やせば分かるだろ!」

「待て!」

「いや、気持ち悪いんだよここ!」


 それはまずい。


 岐れの灯間は湿りがあるので大炎上はしにくいが、灯り配置と気配の座りが乱れる可能性がある。


 何より、ミルが正面から焼かれかねぬ。


「ミル!」

「ギィッ!」


 そこでミルは、余の命令より一瞬早く動いた。


 火球の軌道を見て、灯りの逆側へ転がり、壁の湿りへ身体を寄せる。


 同時に、鼠が外周を切るより前に、自分で一声だけ鳴いた。


「ギィッ!」


 それは普段の威嚇ではない。


 短く、鋭く、“今そこだ”と知らせる鳴き方だった。


 その一声に反応して、近くの鼠が自然に反対側を走り、火球を投げた術師の注意が散る。


 剣士と盾持ちが一瞬遅れた。


 そこへ湿り足場が噛み、三人は結局深追いを断念して退く。


「……」


 余は白い部屋で、数秒黙った。


 今のは大きい。


 非常に大きい。


 ミルは、単に自分が逃げただけではない。


 場を守りながら、他配下へ働きかける動きをした。


 しかも、余の命令待ちではなく。


《重要》

「うむ」

《個体“ミル”が、区画保全を自分の役として認識し始めています》

「……役を理解し始めた、か」

《はい》


 そこまで来た。


 ついに。


 ミルはもう、“そこで立って見せるゴブリン”ではない。


 岐れの灯間を守るために、どう動くべきかを少し考え始めている。


 それは、主の代わりになり始めるということだ。


「……」


 余はそこで、嬉しさと同時に、かなり深い警戒も覚えた。


 ここは境目だ。


 明確に。


 喜ぶだけでは駄目だ。


 代わりになり始めるということは、余の外に“余の働き”が形を持ち始めるということだ。


 それは残響核の筋に近づく一方で、主が割れ始める入口でもある。


「管理音声」

《はい》

「進めるか」

《慎重に》

「うむ」


 その夜、フィルエが来た時、余は先に言った。


「ミルが一歩進んだ」

「そうみたい」

 フィルエは岐れの灯間へ入るなり、すぐにそう返した。

「匂いが少し変わった」

「便利だな、その言い方は」

「森だから」

「意味は?」

「役を“知ってる”匂い」

「……」


 やはり分かるのか。


 外から見ても、そういう変化は感じられるらしい。


「ミル」

 フィルエが少しだけしゃがみこむ。

「お前、前よりちゃんと“ここにいる”ね」

「ギィ……」

「でも、まだゴブリン」

「当然だ」

「そこがいい」


 そしてフィルエは立ち上がり、余へ向かって静かに言った。


「ここから先は、二つに分かれる」

「何」

「役を理解した配下を、“主の代わり”で止めるか」

「……」

「“主の続きを少し持つもの”へ進めるか」


 また危ない言葉が出た。


 主の続き。


 少し持つもの。


「それは」

「次の段階」

 フィルエ。

「でも、そこへ行く前に聞く」

「何だ」

「お前、ミルを“便利だから育てる”だけじゃなくなってるでしょ」


 余は、そこで少しだけ黙った。


 たしかにそうだ。


 最初は適性があったから選んだ。


 役に合うから使った。


 だが今は少し違う。


 ミルが岐れの灯間で上手く立てば、余は嬉しい。


 判断を覚えれば、誇らしい気分になる。


 失えば惜しいと思うだろう。


 それは単なる道具への感覚ではない。


「……うむ」

 余は静かに認めた。

「少し、違ってきた」

「それなら覚えといて」

 フィルエは真顔で言う。

「“主の続きを持つもの”を作る時、一番最初に混ざる歪みは愛着だよ」

「……何?」


 その一言は、意外だった。


 愛着。


 そんな、人間じみた言葉がここで出るとは思わなかった。


「便利だから残したい、じゃない」

 フィルエ。

「惜しいから残したい、になる」

「……」

「それ自体は悪くない」

「だが」

「濁る」


 余はそこで長く黙った。


 濁る。


 たしかにそうかもしれぬ。


 余の迷宮として続けたい。


 それが芯だ。


 なら、配下を育てるのもそのためであるべきだ。


 だが、ミル個体への愛着が強くなりすぎれば、判断が鈍る可能性がある。


 それは迷宮としては危険だ。


「……難しいな」

「うん」

「主になるほど、人間臭いものを捨てるのではないのか」

「たぶん逆」

「何?」

「主になるほど、そういうものも使い方次第になる」

「……」


 嫌な答えだ。


 だが、妙に納得もできる。


 余は人間ではない。


 だが人間味のある反応は残っている。


 それを全部捨てて無機質になるのが王ではないのかもしれぬ。


 むしろ、そういう感情すら構造へ組み込めるかどうか。


 そこが境目なのだろう。


「……よし」

 余は静かに言った。

「なら、まだ次へは急がぬ」

「それがいい」

「まずはミルが“役を理解する配下”として安定するかを見る」

「うん」

「そして余自身が、それをどう見るかも整理する」

「うん」


 フィルエは頷いた。


 それで正しい、という顔だった。


 余も同意する。


 いま無理に次へ行けば、きっと何かを壊す。


 ミルか。


 岐れの灯間か。


 あるいは余の判断そのものか。


 だから一度、ここで固める。


 主の代わりになり始めた配下を、まずは正しく育てる。

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