第45話 便利な駒と、残したくなる配下は違う
その日の侵入者は、二人だった。
それ自体は珍しくない。
だが内容が悪かった。
一人は老いた槍使い。
もう一人は、若いが妙に落ち着いた女術師。
数は少ない。
だが、二人とも“浅い迷宮を舐めている者”の気配ではなかった。
「……嫌だな」
《はい》
「少数精鋭寄りか」
《その可能性高》
「うむ」
少人数で入る者は、軽率な馬鹿か、よほど自信があるか、その中間だ。
今回の二人は明らかに後者寄りだった。
入口で無駄に話さぬ。
灯りに反応しすぎぬ。
足運びが軽い。
しかも老槍使いの方は、湿りのある足場で微妙に重心をずらしている。経験がある。
「管理音声」
《はい》
「返せるか」
《可能》
「勝てる、ではないのだな」
《はい》
「……うむ」
それで十分だ。
迷宮は無理に殺しきる必要はない。
返せばよい。
情報を割らせず、色だけ残して返す。
今の余の方針としてはそれが最適だ。
だが、その最適が揺らぐ場面は、すぐ来た。
二人は浅層の攪乱をほとんど無駄なく抜けた。
鼠の切りにも慌てぬ。
ゴブリンの見せにも釣られぬ。
しかも女術師が、時折小さく壁や床へ視線を走らせ、空気の差を拾っている。
「……感知型か」
《はい》
「嫌だな」
《はい》
そして案の定、二人は岐れの灯間の前で止まった。
老槍使いが細く目をする。
「ここか」
「ええ」
女術師も静かに頷く。
「報告通り、“意味のある外れ”ですね」
「……」
余はそこで、少しだけ息を止めた。
意味のある外れ。
人間側でも、そこまで言う者が出始めたか。
悪くない。
だが相手が悪い。
こやつらのような手合いは、“意味がある”と分かった場を無視しない。
「ミル」
「ギィ」
「見せるだけだ。深く立つな」
「ギィ」
ミルはいつも通り、少し外れた位置に立った。
良い。
だが女術師が、そこで思い切りが良すぎた。
「炙ります」
そう言って、狭い枝路の奥へ細い火線を走らせたのだ。
「っ」
ミルが飛び退く。
「早いな」
老槍使いが低く言う。
「ゴブリン自体が変、ですね」
女術師。
まずい。
この二人は、ミルの質も見抜く。
ただのゴブリンではない、と。
「管理音声」
《はい》
「ここでミルを下げるか」
《安全策》
「だが」
《岐れの灯間の顔が消えます》
「……」
選択だ。
ここでミルを無理に守れば、岐れの灯間の“見ている感じ”が弱くなる。
逆に立たせ続ければ、焼かれる危険がある。
そして何よりまずいのは、女術師がかなり“場と個体の結びつき”を疑っていることだ。
「……」
余は静かに考えた。
ミルは便利だ。
役を理解し始めた配下だ。
岐れの灯間の質を支える顔でもある。
ここで失えば、かなり痛い。
だが、ロードとして言えば、必要なら切るべきとも言える。
場を守るため。
迷宮全体を守るため。
それが合理だ。
「……合理」
《はい》
「だが、余は今それだけではないな」
《はい》
嫌な確認だった。
余はミルを、ただの駒としては見ていない。
それが今、判断を揺らす。
「老槍使いが来ます」
《はい》
老槍使いは慎重に一歩ずつ枝路へ寄った。
槍先は低い。
無駄がない。
見えている相手を追っているようで、実際には“場の反応”を見ている。
かなり嫌な男だ。
女術師も後方から支援の位置を取る。
このままでは、ミルが挟まれる。
「ミル」
「ギィ……」
「下がれ」
「ギ」
ミルが動く。
だが老槍使いはそこへ合わせて槍を伸ばした。
「速い!」
《はい》
槍先がミルの肩を裂いた。
「ギィッ!」
血が飛ぶ。
ミルが壁へぶつかり、灯りの外れへ転がる。
「っ……」
余はそこで、想像以上に強い苛立ちを覚えた。
単なる損耗計算ではない。
“余の場を理解し始めた配下”を、そう簡単に壊されることへの嫌悪だった。
「管理音声」
《はい》
「ここで切るか」
《可能》
「ミルごと枝路を塞ぐ?」
《手段としてはあります》
「……」
枝路の一部を崩す。
ミルは助からぬ可能性が高い。
だが二人を返すには十分。
岐れの灯間も、“事故的崩落”として一時的に隠せる。
合理だ。
かなり。
だが、それを即決できぬ自分がいた。
「……」
余は、白い部屋で数秒黙った。
迷宮の主としては短い時間だ。
だが判断としては重い。
ミルは便利だ。
いや、もうその言い方では足りぬ。
ミルは、余の迷宮の新しい形を一緒に作っている配下だ。
それをここで“合理だから”と潰すのは、たしかに正しいかもしれぬ。
だが、余の芯に沿っているか?
余は“迷靄洞を、余の迷宮として生かし続けたい”のではなかったか。
ならば、その迷靄洞らしさを形にし始めた配下を、ただの損耗として切るのは少し違う。
「……助ける」
《確認》
「助けるぞ」
《岐れの灯間の情報露出が増す可能性》
「承知の上だ」
《了解》
決めた瞬間、頭が妙に澄んだ。
そうだ。
これは情に流されたわけではない。
少なくとも、余はそう整理した。
ミルはただ惜しいから残すのではない。
余の迷宮の“色”を支える柱になり始めているから、守る価値がある。
それは合理と愛着が重なった判断だ。
そして今の余は、その重なりごと使う。
「鼠、逆側を厚く!」
《はい》
「グズ、今だけ出せ!」
《配置》
「灯りを一つ落とせ! 女術師の視界を切れ!」
《了解》
岐れの灯間の灯りが一つ消える。
湿りの影が濃くなる。
鼠が老槍使いの足元ではなく、後方の女術師の近くを切る。術師は反射的に視線を持っていかれる。
そこへグズが横から顔を出し、女術師へ小石を投げた。
「っ、横!?」
女術師が術式を崩す。
その一瞬で、ミルが壁際を這ってさらに奥へ退いた。
老槍使いは追う。
だがここで余は、あえて“追える”ように見せた。
少しだけ。
ほんの少しだけ。
「……乗れ」
余は低く言う。
老槍使いは乗った。
ミルを仕留め切れる距離だと思ったのだろう。
一歩、深く踏み込む。
その瞬間、湿りの重い床が噛み、老槍使いの重心が半拍遅れる。
そこへ今度は逆に、ミルが振り返って短く鳴いた。
「ギィッ!」
鼠が走る。
グズがもう一度横から石を打つ。
老槍使いは槍の切り返しを選ぶが、その分だけ女術師との距離が裂けた。
「戻って!」
女術師が叫ぶ。
「お前が遅い」
老槍使いが舌打ちする。
良い。
裂けた。
そしてここで余は深追いしなかった。
ミルを完全救出できる流れへ持ち込んだ時点で十分だ。
あとは“この場は、傷ついた獲物を追った方が負ける”印象だけ残して返せばよい。
「グズ、見せて引け」
《はい》
「鼠、出口側へ抜け道を作れ」
《了解》
「灯り、戻しすぎるな」
《はい》
結果として二人は、老槍使いの苛立ちと女術師の警戒が割れたまま、迷靄洞から撤退した。
入口外で女術師が低く吐き捨てる。
「あのゴブリン、ただの囮じゃない」
「分かってる」
老槍使いが肩を鳴らす。
「主の手癖が乗ってる」
「……ええ」
「だが、あそこを深追いするとこっちが裂かれる」
そうだ。
それが分かれば十分だ。
余は白い部屋で、ようやく長く息を吐いた。
「……」
《成功です》
「うむ」
《ただし》
「分かっておる」
《岐れの灯間とミルの結びつきは、かなり見られました》
「うむ」
完全勝利ではない。
情報は渡した。
“ただのゴブリンではない”
“場と結びついている”
そのあたりは相当見られた。
だが、それでもミルは残った。
岐れの灯間の顔も維持した。
そして何より、余は自分が何を選ぶかを見た。
「管理音声」
《はい》
「今の判断、どう見る」
《合理七、愛着三》
「……そんなものか」
《はい》
「もっと愛着寄りかと思った」
《いいえ》
「なぜ」
《ミルを救うこと自体ではなく、“ミルを失うと迷靄洞の色が削れる”ことを重く見ていました》
「……」
それを聞いて、余は少しだけ安心した。
余はまだ、ロードでいられている。
ミルが惜しかったのは事実だ。
だが、それ以上に“余の迷宮の色を形にし始めた配下を、ここで雑に切るのは違う”と思った。
それは感情だけではない。
迷宮の在り方に関わる判断だ。
「……うむ」
《ただし》
「まだあるのか」
《愛着三も、無視できる値ではありません》
「ぬう……」
そこはやはり避けられぬ。
ミルが傷ついた時、余は苛立った。
それは計算だけではなかった。
よって、今後もっと深い選択では揺れるだろう。
そこは認めるしかない。
「ミル」
「ギ……」
岐れの灯間の奥で、肩を押さえて座っている。
「傷は」
《浅くはありませんが致命傷ではありません》
「治療を回せ」
《苔スライムと湿り補助を使います》
「急げ」
ミルは苦しそうだったが、死にはせぬ。
それが分かった時、余は思ったよりはっきり安堵した。
「……」
《やはり惜しいですか》
「惜しい」
《はい》
「だがそれだけではない」
《はい》
そこを自分でも何度か確かめる。
惜しい。
だが、ただ惜しいだけではない。
ミルは便利な駒より先へ行き始めている。
だからこそ残したい。
それは余の迷宮を残したいという芯と、ちゃんと繋がっている。
そうであってほしい。
いや、そう整理する。
ロードとはそういうものだ。
たぶん。
・
・
その夜、フィルエが来た時、岐れの灯間の空気はいつもより重かった。
ミルは壁際で治療中だ。
灯りも控えめ。
湿りは深い。
「……やったね」
フィルエが小さく言う。
「何をだ」
「選ばされた」
「……」
まったく嫌な言い方をする。
だが、その通りでもある。
「ミルを切るか、守るか」
フィルエ。
「しかも“主の場”をどこまで見せるか込みで」
「うむ」
「で、守った」
「うむ」
「理由は?」
「……」
そこで余は少しだけ考え、それから正直に答えた。
「惜しかった」
「うん」
「だが、それだけではない」
「うん」
「ミルをここで切るのは、迷靄洞の色を雑に削ることだと思った」
「……」
「余の迷宮として続けたいなら、それは違う」
「……うん」
フィルエはそこで、少しだけ嬉しそうな、困ったような顔をした。
「たぶん今の答えが大事」
「そうか」
「うん。便利だから残すんじゃなく、“お前の迷宮の一部になり始めたから残す”なら」
「……」
「それはもう駒じゃない」
余は黙った。
駒じゃない。
そこまで言うのか。
だが、否定もできぬ。
ミルはまだゴブリンだ。
馬鹿だし、言葉も怪しい。
だが岐れの灯間に立つ時のあれは、もはやただの消耗品とは言いづらい。
「……厄介だな」
「うん」
「駒でないなら、失った時の痛みも増す」
「そう」
「主としては不利ではないのか」
「場合による」
フィルエは静かに言った。
「でも“継ぐもの”を本気で目指すなら、駒のままじゃ足りない」
「……」
そこへ戻るか。
やはりそこへ戻るのだ。
便利なだけでは駄目。
役だけでも足りない。
少しずつ、“余の続き”を持ちうるものへ寄せるなら、駒以上になっていく。
そしてその時、愛着という歪みも混ざる。
なるほど、厄介極まりない。
「では聞く」
余は低く言った。
「今の余は、進んでよい段階か」
「……半分」
「また半分か」
「うん」
「何が足りぬ」
「お前自身が、“何なら切れて、何なら切れないか”をまだ整理しきれてない」
「……」
痛いところを突く。
たしかにそうだ。
ミルは切れなかった。
だが他のゴブリンなら?
鼠なら?
グズなら?
岐れの灯間そのものなら?
どこまでが迷宮の色で、どこからが交換可能か。
そこはまだ曖昧だ。
「……なら次は、それを詰める」
「うん」
「余の迷宮にとって、“代えが利くもの”と“利かぬもの”を」
「そう」
「嫌な作業だな」
「かなり」
その通りだ。
だが避けられぬ。
主として続くなら、何を残すために何を切るかまで決めねばならぬ。
でなければ、いざという時に歪む。
「……よし」
余は静かに言った。
「次は“切れるもの、切れないもの”だ」
《はい》
「迷宮の在り方を、もっとはっきりさせる」
《はい》
ミルはまだ治療中だ。
だが生きている。
そして余もまた、自分の芯の周辺を少しずつ見えてきた。
便利な駒と、残したくなる配下は違う。
その差を知った以上、もう前の迷宮運営には戻れぬ。




