第44話 主の芯を決めるのは、迷宮の設計より難しい
迷宮の設計は、まだ楽だ。
湿りをどこに置くか。
灯りをどこで揺らすか。
鼠をどこで切るか。
ゴブリンをどこで見せるか。
それらは、見れば分かる。
試せば変わる。
失敗しても、原因を探しやすい。
だが、主の芯は違う。
余が何を最も残したいのか。
余が何のために迷宮を育てているのか。
その答えは壁にも床にも書かれておらぬ。
白い部屋を何度眺めても、どこにも表示されぬ。
「……面倒だな」
《はい》
「非常に」
《はい》
余は白い部屋の中央で、かなり真面目に悩んでいた。
自分で言うのも何だが、これはかなり珍しい。
侵入者対応なら即座に頭が回る。
罠や配置の調整も嫌いではない。
だが、自分の芯を言葉にしろと言われると、急に難しくなる。
「管理音声」
《はい》
「候補を整理する」
《はい》
余は考えを並べた。
⸻
余の芯になりそうなもの
・消えたくない
・迷靄洞を残したい
・侵入者に勝ちたい
・余の色を迷宮へ刻みたい
・配下を無駄に潰したくない
・選ばせて裂く、この迷宮のやり方を完成させたい
⸻
「……」
《どう感じますか》
「全部それなりに本当だ」
《はい》
「だが、一番が定まらぬ」
《はい》
困る。
非常に困る。
全部それなりに本当なのだ。
消えたくないのは間違いない。
迷靄洞を残したいのも本当だ。
勝ちたい。
余の色を刻みたい。
やり方を完成させたい。
どれも嘘ではない。
だが、残る時に一番強いものが残るのだとしたら、この中で核となるものを絞らねばならぬ。
「……」
《外部刺激を用いた観測が有効かもしれません》
「どういう意味だ」
《実際に判断を迫られる局面で、何を優先するかを見る》
「……うむ」
それは分かる。
考えても決まらぬなら、盤の上で見るしかない。
余が本当に何を最優先するかは、実際に選ばされる場面でこそ出る。
そう決めた矢先、その“場面”は思ったより早く来た。
・
・
・
昼過ぎ、迷靄洞へ四人組が来た。
斥候、剣士、術師、そして重装盾。
数も質も、最近としてはやや高い。
しかも動きに無駄が少ない。
「……嫌な感じだな」
《はい》
「浅く返せるか」
《難度中》
「高ではないな」
《はい》
ならやれる。
だが注意が要る。
問題は、こやつらがかなり慎重なことだった。入口時点で無理に踏み込まず、灯りにも簡単には引かれぬ。斥候が湿りを見て、術師が空気の変化を拾い、盾が隊列を崩さず、剣士が不用意に前へ出すぎない。
かなり厄介だ。
「……最近の連中、少し賢くないか?」
《迷靄洞の評判が上がった結果です》
「嬉しくないな」
《そうでしょうね》
四人はじわじわと進み、いつもの浅層攪乱を丁寧に処理し始めた。
鼠の切りには反応が早い。
ゴブリンの横出しにも無駄に追わない。
湿りで足を削られても立て直す。
嫌だ。
かなり嫌だ。
「管理音声」
《はい》
「こやつら、深くまで来る」
《高確率》
「岐れの灯間は」
《読まれる可能性あり》
「……」
ここで最初の選択が来た。
岐れの灯間を守るか。
迷宮全体の勝ち筋を優先するか。
もし岐れの灯間を守りすぎれば、全体の導線が窮屈になり、かえって読まれるかもしれぬ。
逆に全体を優先して普通に噛みにいけば、岐れの灯間に踏み込まれる可能性が上がる。
「……」
余は白い部屋で静かに考えた。
自分の芯を見るのだろう?
なら今だ。
「管理音声」
《はい》
「余が一番嫌なのは何だ」
《この四人にコア方向を読まれること》
「うむ」
《次点で、岐れの灯間の意味を掴まれること》
「……」
《最優先は“迷宮の中心の保全”です》
「そうか」
《はい》
余はそこで、妙に落ち着いた。
そうか。
やはり、まずそこなのだ。
余は岐れの灯間を大事にしている。
ミルも育てている。
だが、その二つを守る理由も結局は“迷宮の中心を生かすため”に繋がっている。
主観圧だの宿り場だのと言っても、根のところでは“余と迷宮の存続”が最上位にある。
「……よし」
余は決めた。
岐れの灯間は使う。
だが守りすぎない。
むしろ、“岐れの灯間が主の特別な場に見えないよう使う”。
これでいく。
「ミル」
「ギィ」
「今日は見せ役だ」
「ギィ?」
「立て。見せて、引け。深追いするな」
「ギィ」
四人組は、案の定、岐れの灯間の前へ来た。
術師が眉をひそめる。
「……ここか」
斥候も小さく頷く。
「報告にあった“変な灯りの枝路”」
「じゃあ当たりか?」
剣士が低く言う。
「当たり、と言うには露骨すぎる」
盾持ちが止める。
「でも無視も気持ち悪い」
「……」
良い。
かなり良い。
だが今回は、読ませすぎぬ。
ミルを見せる。
半歩だけ出る。
そしてすぐ引かせる。
その後、鼠を反対側で切り、正線側の気配を強める。
つまり、“岐れの灯間にも意味がありそうだが、あくまで迷宮全体の一要素”という見え方へずらす。
「いた」
斥候。
「ゴブリンだ」
「やるか?」
剣士。
「待て」
術師が止める。
「ここだけ見てると、別側が通る」
その一言に、余は少し感心した。
よく分かっている。
だが、それでこそ良い。
分かっていても、分かりきれぬように作るのが迷靄洞だ。
四人は結局、岐れの灯間へ深入りせず、正線へ戻る判断をした。
そこで余はさらに選ばされた。
ここで本線を守るために戦力を集中するか。
あるいは岐れの灯間側にもう一度引っ掛け直すか。
前者なら安定。
後者なら大きく裂ける可能性。
だが失敗すると、岐れの灯間の“意味”が濃く見えすぎる。
「……安定だな」
《はい》
余は迷わず本線守備を選んだ。
欲を出さぬ。
岐れの灯間はまだ育成中だ。
今ここで美味しく使うより、長く生かす方が価値が高い。
その判断は、我ながら少し王っぽかった。
結果として四人組は、深く潜りきる前にじわじわ削られ、最後は術師の魔力消耗と斥候の焦れが表に出たところで撤退した。
良い返しだ。
派手な勝利ではない。
だが、迷宮側の情報を大きく渡さず、こちらの色だけは残した。
最も“余らしい”勝ち方だった。
・
・
四人が去った後、余は白い部屋で静かに考えた。
「管理音声」
《はい》
「今の判断で分かったことがある」
《はい》
「余は、ただ勝ちたいわけではない」
《はい》
「岐れの灯間を育てたい気持ちもある」
《はい》
「だが、一番上は」
《“迷宮として生き残ること”です》
「……うむ」
だが、そこに少し修正が要る。
ただ“生き残る”では、少し足りぬ。
今の余は、ただ息をしていればよいわけではない。適当にやり過ごして、細く長く残れば満足という段階ではもうない。
余はもっとはっきり、こう思っている。
「……余は」
白い部屋の中央で、小さく言葉にした。
「迷靄洞を、余の迷宮として生かし続けたい」
《……》
「ただ生きるのではない」
《はい》
「余の色のまま」
《はい》
「侵入者の選びを裂き、余が見ている迷宮として」
《はい》
「消えず、勝ち続けたい」
その言葉を口にした瞬間、妙にしっくりきた。
消えたくない。
それだけではない。
迷宮を残したい。
それだけでもない。
余の迷宮として。
余の色のまま。
勝ち続ける形で、生き残りたい。
それが、たぶん今の余の芯だ。
「管理音声」
《はい》
「どうだ」
《かなり明確です》
「うむ」
《“ただ残る”ではなく、“余の迷宮として続く”が核にあります》
「そうだ」
《残響核の筋とも相性が良いです》
「なぜ」
《執着が“存在”だけでなく“在り方”まで含むからです》
「……」
在り方まで含む。
なるほど。
ただ消えたくないだけなら、残る形が歪んでも構わぬ可能性がある。
声だけでも。
役だけでも。
執着だけでも。
だが、余の迷宮として続きたいなら、それでは足りぬ。
余の色が要る。
迷靄洞のやり方が要る。
つまり、“続くものの質”まで求めることになる。
それは残る主の形として、少しはましかもしれぬ。
「……良い」
《はい》
「ようやく言葉になった」
《はい》
その夜、フィルエが来る前に、余は先に新聞へ短い匿名投稿を一つ打った。
⸻
【匿名短評投稿】
“強い迷宮になることと、主の色を失わぬことは別の話だ。両方を取ろうとするなら、場も配下も主自身も、同じ核へ揃えねばならぬ”
⸻
「……」
《珍しいですね》
「少し言いたくなった」
《格好つけですか》
「半分はな」
だが半分は本気だ。
最近の余は、他ロードの言葉から多くを得ている。ならば、少しくらい返してもよい。
そしてその夜、フィルエはいつも通り森側から現れた。
岐れの灯間に入り、ミルを見て、少しだけ頷く。
「馴染んできた」
「当然だ」
「その言い方、前より主っぽい」
「そうか」
「うん」
余はそこで、先に言った。
「余の芯が、少し定まった」
「へえ」
「聞くか」
「聞く」
フィルエは壁際に寄り、灯りの揺れを背にした。
余は岐れの灯間全体へ、静かに言葉を落とす。
「余は、ただ消えたくないのではない」
「……」
「迷靄洞を、余の迷宮として生かし続けたい」
「……うん」
「湿りと灯りと迷いで、侵入者を裂くこの在り方ごとだ」
「うん」
「ただ残るだけでは足りぬ」
「……」
「余の色のまま、続きたい」
言い切った後、しばらく静寂があった。
フィルエはすぐには返さなかった。
ミルも動かぬ。
灯りだけがゆらゆら揺れている。
やがてフィルエが、静かに言った。
「それなら、たぶん声だけにはなりにくい」
「……本当か」
「うん。声だけ残る主は、“自分”が薄い」
「……」
「でもお前は、“どう在りたいか”まで持ってる」
「それは良いのか」
「少なくとも、まし」
「まし、か」
「かなり」
完全な保証ではない。
だが十分だ。
今の段階で欲しいのは、百点の答えではない。進む方向が間違っていないという確度だ。
「では次だ」
余は問う。
「この芯を持った上で、何をする」
「次は」
フィルエがミルを見る。
「“継ぐもの”の前段階」
「前段階?」
「うん。“役持ち”を、“役を理解する配下”へ近づける」
「……」
それはまた、一段危ない話だった。
今のミルは役持ちだ。
だが、役を理解しているかと言えば怪しい。
半ば場の性質に沿って動いているだけだ。
それを、“なぜそこに立つか”まで少し掴む配下へ寄せる。
そういうことか。
「それ、危なくないか」
「危ない」
「だろうな」
「でもそこへ行かないと、“主だったもの”は続きにくい」
「……」
理屈は分かる。
役だけなら抜け殻にもなりうる。
だが、“理解して継ぐ”に少しでも近づけば、余の続きとしての質は上がるかもしれぬ。
そしてそこまで来て初めて、“継ぐもの”の気配が生まれるのだろう。
「……分かった」
余は静かに言った。
「では次は、ミルを育てる」
「うん」
「だが、壊さぬ」
「それ大事」
「主の気取りにも気をつける」
「かなり大事」
フィルエはそこで少し笑った。
「お前、前よりずっと危ないことを、前よりずっと慎重にやるようになった」
「褒めておるのか」
「うん」
「なら受け取る」
悪くない気分だった。
昔の余なら、こういう話を聞いた瞬間に“最強の配下を作る!”などと焦っていたかもしれぬ。
だが今は違う。
場を育て。
役を育て。
主の芯を定め。
順に進む。
それができる程度には、余は主になってきている。




