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第251話 四千の軍勢は、まだ迷宮の入口にすら届かない

 四門の攻城魔導砲から放たれた赤紫色の閃光せんこうが、轟音ごうおんと共に白い霧へ突き刺さった。


 森全体が揺れた。


 爆風で木々の枝が大きくしなり、白霧の中央に見えていた入口が、一瞬で赤紫色の炎へ呑み込まれる。


 白磁の壁が砕け散った。


 その光景を見た黒冠軍の前列から、歓声が上がる。


「命中!」


「防壁破壊!」


「第二射、装填急げ!」


 兵たちが勢いづく。


 だが。


 残念だったな。


 そこは本物ではない。


「カゲツ」


「承知」


 余が声をかけるより早く、第二防衛線のカゲツが青黒い大剣を振り下ろした。


白磁隔壁はくじかくへき、転路」


 砕かれた偽入口のさらに奥。


 あらかじめ斜めへ配置しておいた二枚目の隔壁が、鈍い音を立てながら角度を変える。


 正面から受け止めれば、いずれ破られる。


 ならば、受け止めなければいい。


 まだ勢いの残っていた赤紫色の砲撃が、白磁の表面を焼き削りながら進路を変え、そのまま外縁地下へ作った空洞へ流れ込んだ。


 直後。


 黒冠軍の前列で地面が跳ね上がった。


「なっ――!?」


 巨大な六脚魔獣の足元が陥没かんぼつする。


 攻城魔導砲を引いていた巨体が傾き、隣の魔獣へ激突した。


 二体まとめて地面へ沈む。


「鎖を切れ!」


「早くしろ!」


「砲台が落ちるぞ!」


 兵たちが牽引鎖けんいんさへ飛びつく。


 だが、間に合わない。


 横倒しになった魔導砲が数人の兵を巻き込み、そのまま大穴の中へ落下した。


 さっきまでの歓声は。


 一瞬で悲鳴へ変わった。


「やった!」


 命の苗床から、フィルエの嬉しそうな声が届く。


「まだだ」


「でも、落ちたよ」


「敵は四千近くいる。今ので削れたのはほんの一部だ」


 余は壁面から視線を外さない。


 案の定。


 黒冠軍はすぐに動いた。


「全砲撃中止!」


 セレイナの鋭い声が戦場へ響く。


「第二砲列を下げなさい! 地中探知を先行! 救出困難な砲獣は切り離して!」


「まだ生きています!」


「後列まで巻き込まれたいのですか!」


 その一言で。


 兵たちの迷いが消えた。


 地下へ落ちた六脚魔獣はまだ暴れている。


 助けを求めるように大きな鳴き声を上げている。


 それでも。


 黒冠軍は牽引鎖を切った。


 助けない。


 生きているかどうかではない。


 助けることで、さらに損害が広がるか。


 それだけで判断した。


「……やはり厄介だな」


 ヴァレスト家の兵も軍ではあった。


 だが、あれは白い迷宮を攻略するために急いで集められた私兵。


 黒冠軍は違う。


 こいつらは、毎日のように勇者軍と殺し合っている。


 仲間が死んだ時。


 罠にかかった時。


 予想外の攻撃を受けた時。


 誰を助け。


 誰を捨て。


 何を守れば軍全体が生き残れるのか。


 それを知っている。


「なら」


 余は外縁部へ意識を伸ばした。


「もう一つ、教えてやる」


《指示を》


「第一外縁罠を起動」


《承知しました》


 地下へ逃がした砲撃。


 その残存魔力の一部を、白磁根脈が吸い上げていく。


 敵が撃った力だ。


 全部を正面から受ける必要などない。


 使えるなら。


 使えばいい。


「下だ!」


 黒冠軍兵の一人が叫んだ。


 遅い。


 左翼の地面から、何十本もの白磁柱が突き上がった。


「ぐあっ!」


「散開!」


 先端は尖っていない。


 串刺しにするための柱ではない。


 だが。


 猛烈な勢いで真下から突き上げられれば、それだけで十分だった。


 兵たちが空へ放り出される。


 十人。


 二十人。


 三十人。


 黒い鎧を着た体が、次々に宙を舞った。


 盾も。


 鎧も。


 落下には関係ない。


 十数メートルの高さから地面へ叩きつけられ、骨を砕かれた兵たちが動かなくなる。


「左翼、後退!」


「柱の位置を記録しろ!」


「同じ場所を踏むな!」


 それでも。


 軍は崩れない。


 負傷者は後ろへ。


 死者はその場。


 空いた列へは、後列から新しい兵が入る。


 流れが止まらない。


「ロード!」


 ガルザヴェインの声が飛んできた。


「何だ」


「今!」


 覇牙軍団の先頭。


 ガルザヴェインが、今にも飛び出しそうな勢いで拳を握っている。


「敵、崩レタ!」


「崩れていない。全体を見ろ」


 ガルザヴェインへ、黒冠軍全軍を映した壁面を送る。


 左翼は確かに乱れた。


 魔導砲も一門失った。


 大型魔獣も落とした。


 だが。


 中央軍は。


 ほとんど動いていない。


 右翼も。


 後方の術兵も。


 空中部隊も。


 こちらを見ている。


「今お前たちが森から出れば」


「砲撃」


「術兵」


「空からの攻撃」


「全部が覇牙軍団へ集中する」


 ガルザヴェインの表情が変わった。


「……罠?」


「おそらくな」


 こちらが小さな勝利へ浮かれ。


 軍を外へ出す。


 それを待っている。


「敵の得意な場所で戦う必要はない」


 ガルザヴェインは、しばらく黒冠軍を睨んでいた。


 やがて。


 拳を下ろす。


「……ウン」


「ここは誰の迷宮だ」


「ロード」


「違う」


「?」


「余たちの迷宮だ」


 ガルザヴェインが。


 少しだけ目を見開いた。


「オレタチ」


「ああ」


 昔なら。


 余の迷宮。


 余の配下。


 そう考えていた。


 だが今は。


 違う。


「だから」


「余たちの場所で戦え」


「ウン!」


 今度は。


 力強く頷いた。


    ◇


 黒冠軍中央陣。


 第三戦団長ヴァルドレム・ガイザは、最初の損害報告を聞いても顔色一つ変えなかった。


「死者二十八。重傷十九。六脚砲獣二体喪失。第一魔導砲一門、使用不能です」


「それだけか」


 報告役が。


 一瞬だけ言葉を詰まらせる。


「……はい」


「なら続ける」


 二十八人。


 死んだ。


 だが。


 四千近い軍勢を率いるヴァルドレムにとって、それは進軍を止める理由にならない。


「やはり出てこなかったか」


 隣で。


 ゼルヴァンが白い霧を見つめていた。


 左腕には、黒い補助具。


 失った二本の指を補う金属指が、僅かに開閉している。


「前回より慎重になっている」


「なら引きずり出す」


 ヴァルドレムが戦槌せんついを肩へ担ぐ。


 その方法を口にしたのは、セレイナだった。


「森を消します」


 ゼルヴァンが振り向く。


「森を?」


「迷宮側は、霧と森を利用して我々の進路を限定しています」


 セレイナは白霧に覆われた森全体へ視線を向ける。


「入口を探すから偽物へ誘導される」


「なら」


 一度。


 言葉を切る。


「入口を探さなければいい」


 木を切る。


 霧を散らす。


 地面を固める。


 複数方向から同時に前進する。


「迷宮側が道を決めるなら」


 冷たい目が細くなる。


「こちらで道を作ります」


 ヴァルドレムが獰猛どうもうに笑った。


「いい」


 戦槌を上げる。


「工兵を前へ」


「火術隊も出せ」


「待て」


 ゼルヴァンが止めた。


「何だ」


「森を焼けば」


「外縁の魔物が出てくる」


「それが目的だ」


 ヴァルドレムは。


 迷うことなく答えた。


「出てくれば殺す」


「出てこなければ森を消す」


「どちらでもいい」


 戦槌が。


 前へ振られる。


「工兵隊!」


「前進!」


    ◇


 黒冠軍の後方から、大型の伐採刃ばっさいじんを担いだ工兵たちが姿を現した。


 その数。


 およそ二百。


 さらに赤い杖を持つ火術兵が左右へ展開し、工兵隊を守るように進み始める。


「森を消すつもりか」


「ロード」


 フィルエの声が届いた。


 いつもより少し硬い。


「森、燃やされる?」


「させない」


「……うん」


 フィルエにとって。


 森は。


 ただの外壁ではない。


 木。


 草。


 土。


 そこに生きる小さな命。


 余にとっても。


 すでに単なる防衛区画ではなかった。


「ハイハネ」


 外縁の木々。


 灰色の翼を持つゴブリンが、枝の上から顔を上げた。


「ギャッ!」


「灰羽隊を率いろ」


 背後。


 二十体の灰羽ゴブリンが、葉の陰へ散っていく。


「狙うのは火術兵」


「森から出るな」


「深追いは禁止だ」


「ギャアッ!」


 次に。


「影縫い大蜘蛛」


 森の奥。


 太い幹の影から。


 巨大な蜘蛛が、音もなく姿を現した。


 カゲヌイではない。


 蜘蛛系の中核個体。


 影を縫い。


 獲物の動きを奪う。


 影縫い大蜘蛛。


「工兵隊の足を止めろ」


 八本の脚が。


 木の幹を滑るように登っていく。


「灰糸蜘蛛も連れていけ」


 別の枝。


 灰色の糸を吐く変質個体たちが、一斉に動き出した。


 影縫い大蜘蛛とは。


 別の蜘蛛たちだ。


「殺せる奴は殺せ」


「だが」


「軍の中央まで追うな」


 蜘蛛たちが森の奥へ消える。


「カゲヌイ」


 今度は。


 別の場所へ呼びかける。


 白霧の中。


 一つの影が動いた。


「お前は待機」


「敵の高位個体が森へ入ってから動け」


 返事はない。


 だが。


 影が一度だけ揺れた。


 聞いている。


「グズ」


 地面が。


 ぼこりと膨らむ。


 泥門番長が顔を出した。


「ギャ」


「大型魔獣が森へ踏み込んだら」


「沈めろ」


「ギャアアッ!」


 泥が地下へ広がっていく。


 黒冠軍が。


 森を使わせないつもりなら。


 教えてやる。


 この森そのものが。


 すでに。


 余たちの牙だ。


「外縁部隊」


 余は命じた。


「始めろ」


    ◇


「第一火術隊!」


 黒冠軍の指揮官が杖を掲げる。


「森を焼け!」


 数十の赤い魔法陣が、術兵たちの頭上へ展開した。


 火球が膨れ上がる。


「放て!」


 炎が一斉に森へ向かう。


 その瞬間だった。


 枝葉の中から。


 灰色の影が落ちる。


「上――!」


 叫ぶより。


 ハイハネの方が速い。


 鉤爪かぎづめが。


 火術隊長の顔を切り裂いた。


「ぎゃあああっ!」


 集中が途切れる。


 放たれるはずだった火球が大きく横へ逸れ。


 工兵隊の中央へ落ちた。


 爆発。


「うおおっ!?」


「敵襲!」


「上だ!」


 弓兵が。


 一斉に矢を放つ。


 だが。


 ハイハネは。


 すでにいない。


 攻撃した直後。


 枝。


 葉。


 白霧。


 その全てを使い。


 森の中へ消えていた。


闇雲やみくもに撃つな!」


 セレイナが叫ぶ。


「火術隊は間隔を広げなさい!」


「同じ位置から二度撃たない!」


 対応は早い。


 だが。


 狙われているのは。


 火術兵だけではない。


「まず一本倒す!」


 工兵が。


 巨大な伐採刃を振り上げる。


 その足元。


 自分の影へ。


 一本の黒い糸が刺さった。


「……あ?」


 体が。


 止まる。


 腕も。


 足も。


 動かない。


「何だこれ!」


 影縫い大蜘蛛。


 本人ではなく。


 地面に落ちた影を縫う。


 工兵が必死に体を動かそうとするが。


 足元の影が。


 地面へ固定されたまま離れない。


「助けろ!」


「糸を――」


 上から。


 灰色の糸が降った。


 灰糸蜘蛛。


 粘つく糸が工兵の両腕へ絡みつき、そのまま木へ引きずり上げる。


「うわああっ!」


 枝へ吊り上げられた工兵へ。


 影縫い大蜘蛛が迫る。


 巨大な牙。


 首へ突き刺さった。


 毒。


 男の体が一度大きく痙攣けいれんし。


 動かなくなる。


「蜘蛛だ!」


「複数いるぞ!」


「上を見ろ!」


 黒冠軍兵が。


 蜘蛛へ意識を向けた。


 その瞬間。


 別の工兵の足元が泥へ変わる。


「何だ!?」


 足首。


 膝。


 腰。


 一気に沈む。


「引っ張れ!」


 隣の兵が腕を掴む。


 だが。


 泥の中から。


 巨大な手が現れた。


「ギャアアアアッ!」


 グズ。


 工兵の足を掴み。


 そのまま地中へ引きずり込む。


「離せ!」


「こっちまで沈むぞ!」


 助けようとした兵まで、泥へ足を取られた。


 そこへ。


 後方から進んできた大型魔獣が踏み込む。


 前脚が。


 ずぶりと沈んだ。


「止めろ!」


 巨大な体が傾き。


 後続の魔獣が止まりきれず、前の個体へ激突する。


 牽引鎖が絡まり。


 工兵隊の前進が止まった。


「鎖を切れ!」


 まただ。


 黒冠軍兵は。


 大型魔獣を救おうとしない。


 後続を守るため。


 即座に鎖を切る。


 泥へ沈む魔獣を。


 その場へ捨てた。


「本当に」


 余は壁面を見ながら呟いた。


「迷わんな」


「ロード」


 第二防衛線のカゲツが声を届ける。


「敵軍練度、高シ」


「ああ」


「外縁部隊ノ攻撃」


「効果有リ」


「ダガ」


 青い目が。


 黒冠軍の後方を見る。


「本隊」


「未ダ動カズ」


「分かっている」


 今のところ。


 余たちが圧倒的に優勢だ。


 黒冠軍は。


 迷宮の入口へすら。


 まだ届いていない。


 だが。


 高位魔族十二体。


 ヴァルドレム。


 ゼルヴァン。


 そして。


 ゴールドプレート。


 誰も。


 本格的に動いていない。


    ◇


 黒冠軍後方。


 小高い岩場に腰を下ろし。


 ゼグラド・ヴェインは、戦場を退屈そうに眺めていた。


 黒冠軍の鎧は着ていない。


 軍馬にも乗らない。


 布で包んだ長い武器を肩へ担ぎ、腰では金色の認証札が揺れている。


「動かないのですか」


 近くにいた黒冠軍兵が尋ねた。


「まだ」


「工兵隊の損害が増えています」


「だから?」


「あなたも侵攻戦力として雇われています」


「知ってる」


「ならば援護を」


「オレの依頼は」


 ゼグラドが。


 面倒そうに兵を見る。


「黒冠軍兵を一人ずつ助けることか?」


「……違います」


「だろ」


 白い迷宮を攻略する。


 それが依頼。


 黒冠軍兵の護衛ではない。


「道ができたら行く」


「それまで待つのですか」


「いや」


 ゼグラドの目が。


 白い霧へ向いた。


 その奥。


 まだ姿も見えない。


 だが。


 確かにいる。


 白銀の龍気。


 あの日。


 遠くから触れた力。


 戦場が始まってから。


 ずっと。


 こちらを見ている。


「向こうが」


 ゼグラドの口元が。


 ゆっくり上がる。


「先に我慢できなくなるかもしれない」


「向こう?」


「龍」


 黒冠軍兵は。


 白い霧を見る。


「本当に龍なのですか」


「知らねえ」


「では」


「だから楽しみなんだろ」


 ゼグラドは。


 立ち上がりもしない。


 戦場で兵が死んでいるにもかかわらず。


 ただ。


 自分の相手が出てくるのを。


 待っていた。


    ◇


 迷宮内。


 ルオも。


 同じだった。


 白磁回廊の壁へ背を預けながら。


 壁面に映るゼグラドだけを見ている。


 灰羽隊が火術兵を襲おうが。


 グズが魔獣を沈めようが。


 ほとんど興味を示さない。


「おい」


「何?」


「戦況を見ろ」


「見てる」


「ゼグラドしか見ていないだろ!」


「だって」


 白銀の瞳が細くなる。


「あいつ」


「全然動かない」


「余計なことをしなくて助かる」


「違う」


「何が」


「待ってる」


 余には。


 それ以上の説明など必要なかった。


「お前をか」


「うん」


自惚うぬぼれるな」


「分かるんだって」


「何が」


「同じだから」


 ルオは。


 楽しそうに笑った。


「強い奴が出てくるまで」


「雑魚と戦いたくない」


「黒冠軍兵を雑魚扱いするな!」


「オレからしたら雑魚だよ」


「そういう問題ではない!」


「じゃあ」


 ルオは。


 白銀の翼を少しだけ広げる。


「行っていい?」


「駄目だ!」


「何で」


「まだ必要ない!」


 外縁部は。


 こちらが押している。


 ここでルオを出す理由などない。


「敵が」


「迷宮内部へ入ってきてからだ」


「ゼグラドも?」


「あいつが入ればな」


「分かった」


 翼を畳む。


 思ったより。


 素直だ。


「本当に待つのか」


「うん」


「珍しいな」


「だって」


 ルオが。


 また壁面を見る。


「今行ったら」


「すぐ終わるかもしれない」


「……」


「もっと」


 白銀の瞳が。


 楽しげに輝く。


「強いところ見てから戦いたい」


 理解できん。


 本当に。


 こいつだけは。


    ◇


 黒冠軍の外縁攻略は。


 さらに一時間続いた。


 そして。


 結果だけを見れば。


 余たちの圧勝だった。


《外縁戦闘状況を集計》


《黒冠軍》


《推定死者:百十三》


《重傷:百四十一》


《大型魔獣喪失:七》


《魔導砲使用不能:一》


《工兵装備喪失:三十二》


《当迷宮側》


 余は。


 ほんの少しだけ身構えた。


《死亡個体:零》


「……よし」


《重傷個体:二》


《中傷個体:七》


《軽傷個体:十九》


「回収は」


《全個体、森内部へ帰還済み》


「フィルエ」


「もう治してる!」


 命の苗床では。


 負傷した灰羽ゴブリンたちへ。


 誓命花から流れる赤金の光が届いている。


 翼へ矢を受けた個体。


 火傷した個体。


 全員。


 まだ生きている。


「ガルザヴェイン」


「ロード」


「見たか」


「ウン」


「外へ飛び出さなくて正解だっただろ」


「……ウン」


「もっと素直に言え」


「ロード、正シイ」


「よし!」


「デモ」


「何だ」


「オレ」


 黒冠軍を見る。


「マダ、戦ッテナイ」


「それでいい!」


 余は。


 少しだけ笑った。


 四千。


 それだけの軍を連れてきた。


 十六門の攻城魔導兵器。


 数十の大型魔獣。


 火術兵。


 工兵。


 空中戦力。


 それでも。


 まだ。


 本物の入口へ。


 一人も届いていない。


「ロード」


 カゲツが言う。


「優勢」


「ああ」


「ダガ」


 声が。


 少しだけ低くなる。


「敵」


「戦術変更」


「何?」


 壁面を見る。


 黒冠軍の前列。


 工兵隊が下がっていく。


 火術兵も。


 大型魔獣も。


 一度。


 すべて後方へ戻り始めた。


「撤退?」


 フィルエが尋ねる。


「いや」


 セレイナが。


 中央陣で。


 ヴァルドレムへ何かを話している。


 ゼルヴァンも。


 白い霧を見ながら頷いた。


 そして。


 黒冠軍の前列が。


 左右へ開く。


 道を作るように。


「何をする気だ」


 黒い軍列の奥。


 今まで。


 一度も前へ出なかった十二の高位反応。


 そのうち。


 三つが。


 動いた。


《高位魔族三体》


《前進開始》


 ガルザヴェインが。


 金色の目を細める。


 ルオも。


 壁から背を離した。


 だが。


 ゼグラドは。


 まだ動かない。


「なるほど」


 余にも。


 黒冠軍の考えが分かった。


 数で森へ入れば。


 罠に削られる。


 なら。


「雑兵で進むのをやめたか」


 高位個体。


 罠を力で突破できる者。


 森そのものを。


 魔物ごと破壊できる者。


 まず。


 そいつらで道を開く。


「ようやく」


 ルオが。


 嬉しそうに笑う。


「少し強そうなの出てきた」


「お前の相手ではない」


「分かってる」


 ルオの視線は。


 高位魔族三体ではなく。


 最後尾。


 まだ岩場にいるゼグラドへ向けられていた。


「オレのは」


 白銀の瞳が。


 戦場の遥か向こうを捉える。


「あっち」


 約四千の軍勢は。


 まだ。


 迷宮の入口へすら届いていない。


 だが。


 黒冠軍も。


 ようやく理解した。


 兵を何百人並べても。


 この森では。


 ただ死者を増やすだけだと。


 だから次は。


 数ではなく。


 個の力で。


 白い霧をこじ開けようとしている。


 余は。


 前へ出てくる三つの高位魔力反応を見ながら。


 迷宮全体へ静かに命令を送った。


「外縁部隊」


「後退しろ」


《理由を》


「次は」


 今までとは違う。


「雑兵を狩る戦いではない」


 ハイハネたちが。


 森の奥へ戻る。


 影縫い大蜘蛛と灰糸蜘蛛たちも。


 糸を残しながら深部へ退く。


 グズも。


 泥の中へ姿を消した。


 敵は。


 こちらが逃げたと思うだろう。


 それでいい。


「来い」


 余は。


 白霧の向こうへ呟いた。


「ようやく」


「迷宮の入口くらいは」


「見せてやる」

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