第247話 黒冠軍は、果実一つの値を戦争で量る
白い霧の外。
セレイナ・ヴェルは、両手を上げたまま立っていた。
その隣で。
ゼルヴァン・ギルロアは、何も持たず。
何も言わず。
迷宮の奥を見ている。
左手には白い布。
失った二本の指。
割れた黒冠隷命の紋。
前回とは違う。
剣もない。
骨符も。
血晶瓶も。
大盾も。
仲間もいない。
だが。
余の中へ残っているものは。
何一つ変わらなかった。
刃戻りのギル。
果守りのギギ。
白い床へ流れた血。
マネが。
余の声で偽りの命令を叫んだ時の震え。
グズが。
仲間を潰せずに門を開けた時の声。
カゲヌイが。
自分の影を縫ってまで抵抗した姿。
ガルザヴェインが。
片膝をつきながら。
それでも立ち上がった瞬間。
全部。
まだ消えていない。
「ロード」
ガルザヴェインが低く呼ぶ。
「聞こえている」
「イレル?」
「まだだ」
「ハナス、ダケ?」
「ああ」
「ヤツ」
金色の目が。
霧の外のゼルヴァンを射抜く。
「ウソ、ツク」
「その可能性はある」
「ナラ」
「それでも聞く」
ガルザヴェインの拳へ。
黒い魔力が集まりかける。
「ロード」
「余も同じ気持ちだ!」
白い部屋が。
一瞬だけ震えた。
マネが。
白い壁の奥から顔を出す。
「ロード」
自分の声。
まだ。
余の声ではない。
「ああ」
「また」
声が細い。
「声、取る?」
「取らせない」
「ほんと?」
「二度とだ」
マネは。
しばらく余の声を待っていた。
それから。
小さく頷き。
また壁の奥へ隠れる。
余は。
霧の外へ意識を戻した。
「外部音声を開け」
《承知しました》
◇
《ゼルヴァン・ギルロア》
白い霧の奥から。
声が届く。
セレイナの肩が。
ほんのわずかに揺れた。
ゼルヴァンは。
目を細めただけだった。
「聞こえている」
《余は、お前を覚えている》
「こちらもだ」
《忘れると思ったか》
「思っていない」
《四人を失い》
《指を失い》
《それでも来たか》
セレイナが。
一瞬だけゼルヴァンを見る。
彼は答える。
「来た」
《何をしに》
「取引を求める」
《前回》
白い霧が濃くなる。
《お前は、余の配下を奪った》
ゼルヴァンの眉が。
わずかに動いた。
余。
配下。
人間のような言葉。
だが。
その意味を問うことはしない。
「そうだ」
《余の声を奪った》
「声を真似る魔物を支配した」
《余の配下へ》
《余の配下を殺させた》
「そうだ」
否定しない。
言い逃れもしない。
セレイナが。
横から口を挟もうとする。
だが。
ゼルヴァンが残った右手で止めた。
《謝らぬのか》
短い沈黙。
「謝罪で」
ゼルヴァンは答える。
「死んだ魔物が戻るのか」
ガルザヴェインの魔力が。
一気に膨れた。
「殺ス」
「待て!」
余が叫ぶ。
白い床に。
細いひびが走る。
ルオが。
空梨を持ったまま目を細めた。
「今のは」
「ああ」
「わざと言った?」
「分からん」
霧の外。
ゼルヴァンは続ける。
「戻らないなら」
「役に立たない言葉を使うつもりはない」
《ならば》
《何を持ってきた》
「対価」
セレイナが。
ゆっくり両手を下ろす。
「迷宮側が必要とする物を」
「こちらだけで決めるつもりはありません」
《必要とする物》
「魔王領の希少鉱」
「神聖属性を弱める黒晶」
「高位呪詛を除去する薬」
「戦場で使われている結界術式」
「勇者側の聖具情報」
「魔族領に存在する素材」
「そのほか」
一度。
言葉を切る。
「そちらが望むもの」
《代わりに》
「赤金色の果実」
誓命花の花弁が。
命の苗床で。
ほんのわずかに震えた。
フィルエが。
すぐに芽へ手を近づける。
「ロード」
「分かっている」
「この人たち」
「実、欲しいんだね」
「ああ」
「戦争で使う?」
「ああ」
フィルエは。
少しだけ悲しそうに目を伏せた。
◇
《名を知っているのか》
余が問う。
セレイナは答える。
「正式名は知りません」
《赤金の奇跡果》
ゼルヴァンの目が。
僅かに動く。
《その名は》
《お前たちが作ったのか》
沈黙。
今度は。
ゼルヴァンではなく。
セレイナが答える番だった。
「はい」
ガルザヴェインが。
白い部屋の床を踏み砕いた。
「ヤッパリ」
「落ち着け!」
「アイツラ!」
「分かっている!」
噂。
冒険者。
薬師。
貴族。
次々に現れた侵入者。
その始まり。
黒冠軍。
余は。
声を抑えきれなかった。
《お前たちが》
《人間どもへ噂を流したのか》
「はい」
《何のために》
セレイナは。
逃げずに答える。
「白い迷宮を調べるためです」
《人間を入れ》
《何人死ぬかを見るためか》
「それも含みます」
《それも》
白い霧が。
森の木々へ広がった。
後方で待機する黒冠軍の二人が。
武器へ手をかける。
ゼルヴァンが。
視線だけで止める。
「目的は」
セレイナが続ける。
「誰がどこまで進むか」
「何を見るか」
「何を持ち帰るか」
「どの戦力が戻らないか」
「それを確認することでした」
《二百六十三人も》
「我々が送ったのではありません」
《噂を流した》
「はい」
《欲しがる者が出ると分かっていた》
「はい」
《ならば同じだ》
「同じではありません」
セレイナは。
そこで初めて。
余の言葉を否定した。
《何?》
「我々が軍を命じたわけではない」
「公爵家が」
「自分たちの判断で動いた」
《責任がないと言うのか》
「あります」
即答。
「ですが」
「全てが我々の責任だとも思っていません」
《……》
「噂を流した責任はある」
「人が動くことを予測した責任も」
「あります」
「しかし」
「迷宮へ軍を入れ」
「奪おうと決めたのは」
「ヴァレスト公爵家です」
腹立たしい。
だが。
間違ってはいない。
だからこそ。
余計に腹が立つ。
《お前たちは》
《何人死んでも》
《情報が得られればよかった》
「はい」
セレイナの答えに。
迷いはなかった。
「我々は戦争をしています」
「今日も」
「明日も」
「兵が死にます」
「勇者側も死にます」
「一日で」
「ヴァレスト家が失った数より多く死ぬ日もあります」
「戦局を変える素材があるなら」
「確かめる価値がある」
《人間の命を》
《価値で量ったか》
「人間だけではありません」
「魔族も」
「魔人も」
「亜人も」
「我々は」
「全てを戦力として量ります」
ゼルヴァンが。
静かにセレイナを見る。
彼女は。
止まらない。
「だから」
「こちらも」
「同じ秤へ載せられる覚悟で来ました」
《どういう意味だ》
「交渉が決裂すれば」
風が。
森を抜ける。
「我々と」
「白い迷宮は」
「戦争になります」
◇
「はっきり言ったな」
ルオが。
空梨の芯を指先で回す。
「ロード」
「何だ」
「オレ」
「まだ行くな」
「でも」
「まだだ!」
ルオの白銀の瞳には。
怒りよりも。
興味が浮かんでいる。
「黒冠軍って」
「強い?」
「軍だ」
「何人」
「分からん」
「いっぱい?」
「おそらくな」
「へえ」
口元が上がる。
「楽しそう」
「戦争を遊びと思うな!」
「オレは遊びじゃなくても楽しいぞ」
「なお悪い!」
フィルエが。
ルオを見る。
「怖くないの?」
「何が」
「たくさん来る」
「たくさんいるなら」
ルオは。
特に考えずに答える。
「強い奴もいるだろ」
ガルザヴェインが。
ルオへ顔を向ける。
「オレ、イル」
「お前はゼルヴァンだろ」
「ウン」
「じゃあ、オレは別の強い奴」
「ゼルヴァン、オレガ殺ス」
「取らないって」
まだ。
戦争になると決まったわけではない。
だが。
この二人は。
もう相手を選び始めている。
「黙って聞け!」
二人とも。
珍しく同時に黙った。
◇
《戦争になる》
余は。
セレイナの言葉を繰り返した。
《それが》
《交渉へ来た者の言葉か》
「隠すより誠実だと考えます」
《脅しか》
「事実です」
「我々は」
「赤金色の果実を必要としています」
「白い迷宮が」
「取引へ応じるなら」
「対価を払う」
「拒むなら」
「前線の状況と」
「得られる利益を比較し」
「侵攻の是非を決める」
《今すぐ攻めるとは》
「言っていません」
《いつか攻めると》
「可能性はあります」
《なら》
白い霧が。
二人の足元を這う。
《今》
《ここで殺しておく方がよいな》
後方の護衛が。
完全に武器を抜いた。
黒い槍。
曲刀。
「下げろ」
ゼルヴァンの声。
二人が動きを止める。
「命令です」
セレイナも言う。
「何があっても」
「こちらから攻撃するな」
黒冠軍の護衛は。
武器を構えたまま。
ゆっくり後ろへ下がった。
ゼルヴァンは。
白い霧を見たまま言う。
「殺すなら殺せ」
「ゼルヴァン」
セレイナが。
僅かに眉を寄せる。
「だが」
彼は続ける。
「私たちを殺しても」
「黒冠軍は止まらない」
《脅しではないと》
「事実だ」
《お前は》
《前にもそう言った》
「何を」
《次は軍で来る》
ゼルヴァンの目が細くなる。
「言った」
《忘れていない》
「私もだ」
《ならば》
《なぜ》
《余が取引に応じると思った》
ゼルヴァンは。
長く。
白い霧を見ていた。
そして。
「お前たちは」
一語ずつ。
確かめるように言う。
「奪われた魔物を」
「殺さなかった」
余の声が止まる。
「私の黒冠隷命から」
「取り戻そうとした」
「高位ゴブリンは」
「自分が傷ついても」
「仲間へ致命打を入れなかった」
「泥の魔物も」
「自分を削る同族を潰さなかった」
「深部の声も」
「支配された魔物へ」
「戻れと呼びかけ続けた」
《それが》
「守るものがある」
ゼルヴァンは言う。
「守るものがある存在は」
「損得を理解する」
《……》
「そして」
「失うことを恐れる」
ガルザヴェインの喉から。
低い唸りが漏れる。
ゼルヴァンは。
迷宮の内側が見えないまま。
それでも続ける。
「我々は」
「白い迷宮を滅ぼしたいわけではない」
「赤金色の果実が欲しい」
「そちらは」
「侵入者を増やしたくない」
「軍を入れられたくない」
「守っている魔物を失いたくない」
「なら」
「取引は成立し得る」
《余の配下を殺したお前が》
《それを言うか》
「殺したから分かった」
余の中で。
何かが切れかけた。
「ロード!」
フィルエが叫ぶ。
白い部屋の壁が。
一気にせり上がる。
霧の外の地面から。
白磁の槍が何十本も飛び出した。
ゼルヴァンとセレイナの周囲。
喉。
胸。
腹。
あと少し動けば。
全身を貫ける位置。
セレイナの顔が青ざめる。
ゼルヴァンは。
動かなかった。
《殺したから》
《分かっただと》
「そうだ」
《ギルを》
《ギギを》
《お前は知らん》
「名は知らなかった」
《マネが》
《今も》
《自分の声を確かめている》
「知っている」
《知らん!》
白磁の槍が。
一斉に近づく。
ゼルヴァンの頬へ。
細い血が流れる。
《お前は》
《何も知らん!》
「なら」
ゼルヴァンは。
血を拭わずに言う。
「教えろ」
白い部屋が。
静まった。
「何を奪えば」
「お前たちが怒る」
「何を差し出せば」
「取引に応じる」
「何をすれば」
「次に軍が来ない」
「それを」
「教えろ」
セレイナが。
ゆっくり息を吐いた。
「ゼルヴァン」
「何だ」
「言い方を」
「他に知らん」
「でしょうね」
この男は。
交渉に向いていない。
だが。
嘘をつかない。
そこだけは。
余にも分かった。
◇
「ロード」
フィルエが。
命の苗床から呼ぶ。
「何だ」
「私」
少しだけ迷う。
「話してもいい?」
「何を」
「実のこと」
「駄目だ」
「でも」
「名前も」
「数も」
「木も」
「教えん」
「うん」
「絶対だ」
「分かってる」
フィルエは。
誓命花を見る。
「一個なら」
「何?」
「一個だけ」
「渡してもいいと思う」
「何を言っている!」
「戦争で使うんだぞ!」
「うん」
「人を殺して」
「また治して」
「また戦わせるためだ!」
「分かってる」
「なら、なぜ!」
フィルエは。
すぐには答えなかった。
「渡さなかったら」
「戦争になる」
「それで渡すのか」
「違う」
「じゃあ」
「一個で」
フィルエは。
静かに言う。
「本当に何をするか」
「見たい」
余は。
言葉を失う。
「ノエルには」
「助けるために使った」
「うん」
「黒冠軍は」
「戦争で使う」
「うん」
「同じ実を」
「違う使い方する」
「だから」
フィルエは。
少し悲しそうに笑った。
「この実が」
「何にされるのか」
「ちゃんと見たい」
「見てどうする」
「決める」
「何を」
「次も渡すか」
「渡さないか」
フィルエに。
エリラの実の使用判断を任せた。
余自身が。
そう決めた。
だが。
戦争へ使う実まで。
任せたつもりはない。
「フィルエ」
「うん」
「これは」
「迷宮だけの問題ではない」
「うん」
「黒冠軍が強くなれば」
「人間側が死ぬ」
「うん」
「逆に」
「渡さなければ」
「黒冠軍が攻めてくる」
「うん」
「余は」
言葉が止まる。
何が正しい。
どちらを選んでも。
誰かが死ぬ。
エリラの実は。
命を救う果実。
だが。
救った命が。
次の命を奪うこともある。
「ロード」
フィルエが言う。
「今」
「決めなくていい」
「何?」
「話を聞いてから」
「決めよう」
余は。
霧の外の二人を見る。
「……分かった」
◇
《条件を聞く》
白磁の槍が。
少しだけ下がる。
だが。
消えない。
セレイナが。
慎重に言葉を選ぶ。
「我々が求めるのは」
「赤金色の果実一つ」
《一つ》
「まず効力を確認します」
《誰へ使う》
ゼルヴァンが答える。
「負傷した兵」
《どの傷だ》
「前線で」
「魔力経路を焼かれた者」
「腕を失った者」
「呪いを受けた者」
《お前の手ではないのか》
「違う」
即答。
「私一人を治すために」
「軍は動かさない」
《では》
《誰を》
「選定は」
「こちらへ任せてもらう」
《拒む》
セレイナが。
すぐに補足する。
「対象情報は提示します」
「使用前」
「使用後」
「全て」
「ただし」
「兵の名や所属は」
「一部秘匿します」
《なぜ》
「勇者側へ漏れた場合」
「戦線情報になります」
《余が》
《勇者側へ話すと思うのか》
「信頼は」
「まだありません」
《こちらも同じだ》
「はい」
そこは。
互いに同じ。
「対価として」
セレイナは。
持参した黒い箱を。
ゆっくり前へ置いた。
「魔王領産の黒晶」
「神聖属性を弱めます」
「聖灰」
「聖油」
「神聖結界」
「それらに対する耐性加工へ利用可能です」
カゲツの青い目が。
遠くの第二防衛線で揺れた。
「ロード」
「聞こえている」
「黒晶」
「有用ノ可能性」
「ああ」
黒冠軍との戦い。
ヴァレスト軍。
聖灰。
白陽砲。
神聖属性への対策は。
今後も必要だ。
「さらに」
セレイナは。
二つ目の箱を置く。
「高位呪詛除去薬」
「黒冠隷命とは別系統ですが」
「精神干渉」
「呪印」
「外部命令」
「それらを弱める効果があります」
マネが。
白い壁の奥から。
僅かに顔を出した。
「ロード」
「ああ」
「それ」
「欲しい?」
「調べてからだ」
「取ったら」
「また声、取られない?」
「それだけで完全には防げん」
「でも」
「役には立つかもしれない」
マネは。
箱をじっと見ていた。
「最後に」
セレイナは。
何も入っていない。
一枚の黒い板を置いた。
「情報」
《何の》
「勇者側の聖盾連隊」
「白陽砲」
「高位神殿術式」
「人間側が」
「Sランク迷宮攻略へ使う装備」
「既知の範囲で」
「提供します」
余は。
黙る。
黒冠軍は。
確かに。
余が必要とするものを用意してきた。
偶然ではない。
ゼルヴァンの報告から。
白い迷宮が。
神聖属性への対策を必要としていると読んだ。
マネの声。
外部支配。
それへの防御素材も持ってきた。
「ロード」
カゲツが言う。
「対価」
一拍。
「軍事的価値、高シ」
「分かっている」
ガルザヴェインは。
明らかに不満そうだった。
「ヤダ」
「何がだ」
「アイツラノ、モノ」
「使うのがか」
「ウン」
「だが、黒冠隷命の対策になる」
「オレ」
拳を握る。
「モウ、負ケナイ」
「お前だけではない!」
ガルザヴェインの目が。
マネへ向く。
グズ。
ハイハネ。
カゲヌイ。
赤金果守。
全員へ。
「……」
「お前が耐えられても」
「他の配下が奪われれば同じだ」
「……ウン」
ガルザヴェインは。
悔しそうに。
それでも頷いた。
◇
《果実を一つ渡せば》
《黒冠軍は》
《二度と来ないのか》
セレイナは答えない。
ゼルヴァンも。
沈黙。
《答えろ》
「保証できません」
セレイナが言った。
《ならば》
《取引にならん》
「果実一つの効力を確認し」
「対価が釣り合うと判断できれば」
「定期取引を求めます」
《断れば》
「再交渉」
《それでも断れば》
一拍。
「軍議です」
《戦争か》
「可能性はあります」
《結局》
《お前たちは》
《欲しいものを得るまで止まらん》
「戦争に必要なら」
「はい」
余は。
思わず笑った。
声だけの。
冷たい笑い。
《正直だな》
「嘘をついても」
「前回の記憶は消えません」
ゼルヴァンが言う。
《お前は》
《余が一つ渡せば》
《次も渡すと思うのか》
「思わない」
《では》
「一つで」
ゼルヴァンの視線が。
白い霧の奥を貫こうとする。
「白い迷宮が」
「どこまで交渉する存在かを確かめる」
余の怒りが。
また浮かぶ。
「ゼルヴァン」
セレイナが止める。
「お前も同じだろう」
「何が」
「一つ渡して」
「黒冠軍が何に使うかを見る」
白い部屋が。
完全に静まった。
見抜かれている。
フィルエが。
一個だけ渡して。
使い方を見ると言ったこと。
声は届いていない。
だが。
考え方は読まれた。
「互いに」
ゼルヴァンが言う。
「一つで測る」
《果実一つを》
《戦場の秤へ載せるか》
「そうだ」
《気に入らん》
「私も」
《何?》
「仲間を殺した迷宮へ」
「対価を払うのは」
「気に入らん」
ガルザヴェインが。
一歩前へ出た。
「今、殺ス」
「待て!」
ルオが。
腹を抱えて笑う。
「面白いな」
「何がだ!」
「お互い」
「嫌いなのに」
「取引しようとしてる」
「黙れ!」
ルオは。
笑いながらも。
霧の向こうのゼルヴァンを見た。
「こいつ」
「弱くないな」
「お前が戦う相手ではない」
「分かってる」
「ガルザヴェインのだろ」
「ウン」
「取らないよ」
ガルザヴェインは。
少しだけ満足そうに頷いた。
◇
余は。
長く考えた。
果実。
残り百三十九個。
増える保証は。
まだない。
誓命花が咲いた。
新しい実ができる可能性はある。
だが。
確定ではない。
一個。
人間の少年を救った。
次の一個。
戦争へ渡す。
同じ一個。
だが。
意味は全く違う。
「フィルエ」
「うん」
「本当に」
「渡してよいと思うか」
「一個だけ」
「使い方を見るため」
「うん」
「もし」
「黒冠軍が」
「その実で治した兵を」
「また戦場へ出したら」
「うん」
「その兵が」
「人間を殺したら」
「うん」
「後悔するか」
フィルエは。
すぐには答えなかった。
「すると思う」
「なら」
「でも」
フィルエは。
誓命花へ手を添える。
「渡さなくても」
「誰かは死ぬ」
「……」
「黒冠軍の人も」
「人間の人も」
「迷宮の皆も」
「だから」
「一個渡したら正しいとは思わない」
「渡さなかったら正しいとも思わない」
余には。
その答えが。
ひどく重かった。
「分からない」
フィルエは言う。
「でも」
「分からないから」
「見たい」
余は。
白い霧の外を見る。
《条件を出す》
セレイナの表情が。
僅かに変わる。
「聞きます」
《一つ》
《果実の効果確認に使う対象を》
《事前に知らせろ》
「了承します」
《二つ》
《使用前後の記録を》
《偽りなく渡せ》
「了承」
《三つ》
《果実を分割》
《解析》
《増殖》
《種の採取》
《成分の抜き取り》
《これらを禁ずる》
セレイナの眉が。
初めて僅かに動いた。
「効果確認には」
《食わせろ》
「丸ごと?」
《そうだ》
「残留成分の調査は」
《禁ずる》
「では」
「効力の再現はできません」
《させると思ったか》
セレイナは。
少しだけ息を吐く。
「いいえ」
《四つ》
《使用後》
《同じ果実を求めて》
《人間》
《冒険者》
《薬師》
《貴族》
《その他の勢力へ》
《新しい噂を流すな》
「了承します」
《五つ》
《ヴァレスト家へ流した噂について》
《これ以上》
《白い迷宮と果実を結びつける情報を広げるな》
「了承」
《六つ》
余の声が。
低くなる。
《ゼルヴァン・ギルロア》
ゼルヴァンが。
僅かに顎を上げる。
《お前は》
《迷宮へ入るな》
セレイナが。
すぐにゼルヴァンを見る。
彼は。
表情を変えなかった。
「理由は」
《聞くか》
「確認だ」
《お前を》
《殺さずに済ませるためだ》
「……」
《次に》
《一歩でも》
《霧の内側へ入れば》
ガルザヴェインが。
拳を握る。
《交渉中でも》
《武器を持たずとも》
《必ず殺す》
ゼルヴァンは。
長い間。
白い霧を見ていた。
「了承する」
ガルザヴェインが。
僅かに不満そうに唸る。
「何だ」
「今、殺セナイ」
「交渉中だ!」
「ツギ」
「ああ」
「次は止めん」
「ウン」
◇
「こちらからも条件があります」
セレイナが言う。
《言え》
「果実が」
「我々の想定した効力を持たなかった場合」
「対価の一部を返還していただきたい」
《どの対価を》
「情報以外」
《拒む》
「では」
「効力がなかった場合」
「こちらだけが損をします」
《余は》
《果実が効くとは約束していない》
「取引としては不公平です」
《余の配下を殺した者が》
《公平を語るか》
「交渉と感情を混ぜれば」
「成立しません」
《余に》
《感情がないと思っていたか》
セレイナが。
言葉を止めた。
前回。
ゼルヴァンは。
迷宮の反応が変化したことを見た。
感情かどうかは断定しなかった。
だが。
今。
声の主は。
自ら言った。
感情。
少なくとも。
怒りを理解し。
死者を覚え。
配下と呼ぶ何か。
セレイナの目が。
僅かに鋭くなる。
ゼルヴァンも。
黙ったまま。
その言葉を記憶している。
「……訂正します」
セレイナが言った。
「感情を除けとは言いません」
「ですが」
「取引条件は分けて考えてください」
《効力がなくとも》
《返さない》
「理由を」
《一つ》
《余は》
《お前たちを信用していない》
《効かなかったと》
《偽る可能性がある》
「記録を提出します」
《記録も偽れる》
「契約を結ぶことは」
白い部屋の空気が。
一瞬だけ止まる。
セリアとの契約。
誓命花。
遠くの人間。
黒冠軍が。
同じ契約を求める。
《どのような》
「虚偽報告を禁ずる契約」
「果実の使用対象」
「使用方法」
「結果」
「それらについて」
「互いに偽らない」
管理音声が。
すぐに答える。
《実行可能》
「ロード」
フィルエが呼ぶ。
「ああ」
「契約した方がいい」
「黒冠軍と?」
「うん」
「危険だぞ」
「でも」
「嘘つけなくなる」
セリアとの契約とは違う。
秘密保持。
敵対禁止。
そこまで広いものではない。
今回の取引だけ。
情報だけ。
限定した契約なら。
危険は抑えられる。
「管理音声」
《はい》
「外部から辿られる可能性」
《一回限りの閉鎖契約として構築可能》
「契約終了後」
《経路消去》
「黒冠軍側が干渉する可能性」
《契約陣を迷宮外部へ形成する場合、低減可能》
「完全では」
《ありません》
完全な安全はない。
だが。
何もしなければ。
互いに。
結果を信用できない。
《契約を認める》
セレイナが。
僅かに頭を下げる。
「では」
「契約内容を」
《待て》
一度。
余は止める。
《果実を渡すとは》
《まだ言っていない》
「……はい」
《条件を》
《全て決めてからだ》
白い霧の外で。
黒冠軍の二人が待つ。
白い迷宮の中で。
配下たちが。
それぞれの思いを抱えたまま。
余の判断を待つ。
戦争を変える果実。
命を救う実。
それを。
誰へ渡すか。
何に使わせるか。
一個の実が。
今度は。
一人の少年ではなく。
人間と魔族の戦場へ向かおうとしていた。
◇
そして。
迷宮から遠く離れた西の街道。
一人の男が。
岩の上へ座っていた。
黒冠軍の鎧ではない。
冒険者用の軽装。
背には。
長剣にも。
槍にも見える。
布で巻かれた細長い武器。
腰には。
金色の認証札。
ゴールドプレート。
男は。
黒冠軍から渡された地図を。
逆さまに眺めていた。
「白い迷宮」
ぼそりと呟く。
「こっちで合ってるか?」
地図は逆。
道も。
すでに一本間違えている。
だが。
男は焦らない。
その時。
遠く。
東の方角から。
僅かな龍気が流れてきた。
男の顔が。
初めて変わる。
「……何だ」
立ち上がる。
地図を正しい向きへ戻す。
「いるじゃねえか」
口元が。
ゆっくりと上がった。
白い迷宮が目的だった。
黒冠軍の依頼。
高位素材。
報酬。
そのために向かっていた。
だが。
今。
それよりも。
ずっと強い興味が生まれた。
「龍か?」
布に巻かれた武器が。
内側から。
低く鳴る。
「いや」
男は。
遥か遠いルオの気配を感じながら。
楽しそうに笑った。
「もっと面白そうだ」
人間側の冒険者たちは。
まだ知らない。
魔族にも。
軍へ属さず。
依頼と報酬を選び。
怪物のような強さを持って。
世界を歩く冒険者がいることを。
そして。
その最上位級の一人が。
金色の認証札を揺らしながら。
白い迷宮へ。
ゆっくりと近づいていた。




