第246話 黒冠軍は、噂の先に交渉を選ぶ
ルグナ平原東端。
夜が明けるより先に、白い光が戦場を焼いた。
勇者側の神殿術師が放った白炎が、黒冠軍の第一列へ降り注ぐ。
黒槍兵の鎧に火が食いついた。
「ぎゃあああっ!」
「火を消せ!」
「普通の水を使うな! 魔力ごと燃やされるぞ!」
燃えながら転がる兵を、黒衣の呪医たちが後方へ引きずっていく。
入れ替わるように。
重い黒盾を並べた魔人兵が前へ出た。
「黒盾列、上げろ!」
丘の上で、黒冠軍第三戦団長ヴァルドレム・ガイザが戦槌を振り下ろす。
黒い盾が一斉に持ち上がった。
降り注ぐ白炎を受ける。
表面へ刻まれた呪印が赤く焼ける。
盾の裏にいる兵まで熱が届き、黒い皮膚が焦げた。
それでも。
列は下がらない。
「牙獣騎兵!」
「応!」
「白盾の右を喰え!」
地面を揺らし。
黒い甲殻に包まれた牙獣たちが走り出す。
その背には、長槍を持つ魔族兵。
勇者側の聖盾連隊へ横から突き刺さる。
白い結界が牙獣の角を受け止めた。
光。
黒い魔力。
二つが押し合う。
「聖盾列、耐えろ!」
「神殿兵、右へ!」
「冒険者部隊は牙獣の脚を狙え!」
勇者側の号令が次々に飛ぶ。
斧を持つ人間の冒険者が、牙獣の前脚へ飛びついた。
斧が甲殻の継ぎ目へ入る。
黒い血。
牙獣が暴れ、冒険者を角で持ち上げる。
宙へ浮いた人間を。
黒槍兵が下から貫いた。
だが。
その黒槍兵も。
次の瞬間には、聖騎士の白剣に首を落とされた。
押す。
殺す。
押し返される。
治す。
また立たせる。
勇者側が二十歩進む。
黒冠軍が三十歩奪い返す。
黒冠軍が橋へ近づく。
白い杭が打ち込まれ、進軍を止められる。
昨日と同じ。
一昨日とも同じ。
何百という兵が血を流しても。
戦場の線は。
ほとんど動かなかった。
◇
丘の後方。
前線指揮所の内側に。
ゼルヴァン・ギルロアは立っていた。
以前の黒鎧ではない。
胸部を砕かれた鎧は、まだ完全には直っていない。
今は、軽い黒革鎧の上へ、左肩から胸を守る補助甲だけを着けている。
左腕には。
肘から手首までを覆う、黒い金属製の補助具。
失った腕を補う義手ではない。
腕は残っている。
だが。
左手の指は二本失われた。
さらに。
手の甲へ刻まれていた黒冠隷命の紋も、大きく割れている。
残った三本の指だけでは。
以前のように、黒冠の命令を正確に組めない。
そのため。
左腕の補助具には、砕けた紋の動きを支える細い呪導線が埋め込まれていた。
まだ試作。
術を使えば。
傷の奥から焼けるような痛みが走る。
「ゼルヴァン」
軍魔導参謀セレイナ・ヴェルが横へ立つ。
「左腕を下げなさい」
「支障はない」
「血が出ています」
補助具の下。
包帯へ、赤黒い染みが広がっていた。
「指揮に支障はない」
「今日のあなたは指揮官ではありません」
セレイナは冷たく言う。
「観測役です」
「同じだ」
「違います」
彼女はゼルヴァンの左腕を掴んだ。
補助具の固定具を外す。
「何をする」
「傷を開かせたまま軍議へ出すつもりはありません」
「離せ」
「命令です」
「お前に命令権はない」
「第三戦団長から預かっています」
ゼルヴァンが丘の上を見る。
ヴァルドレムは戦場へ背を向けず、片手だけを上げた。
下がれ。
そういう合図だった。
ゼルヴァンは何も言わない。
セレイナに左腕を預けた。
「痛みは」
「ない」
「嘘ですね」
「戦えないほどではない」
「それを痛いと言うのです」
補助具の内側。
黒冠隷命の亀裂と繋がる部分には。
細い金属針が何本も刺さっている。
新しい術式を作るため。
失った指の代わりに、補助具へ命令形を覚え込ませている途中だった。
「また白い迷宮へ入る気ですか」
セレイナが薬を塗りながら問う。
「必要なら」
「必要と判断するのは軍です」
「分かっている」
「本当に?」
「同じ失敗をするつもりはない」
ゼルヴァンは。
目の前の戦場ではなく。
遠く離れた白い迷宮を見ているような目をしていた。
バロウ。
リシェ。
メルゼア。
オルグ。
四人を失った。
黒冠隷命は破られた。
魔物を奪い。
同じ迷宮の魔物へ殺させ。
優位に立った。
だが。
最後には。
ゴブリン一体に軍列を引き戻され。
四人を殺され。
自分だけが逃げた。
「復讐ではない」
ゼルヴァンが言った。
「聞いていません」
「だが、お前はそう思っている」
「否定はしません」
「なら覚えておけ」
残った指が。
ゆっくり握られる。
「私は、怒りだけで白い迷宮へ戻らない」
「では」
「あそこには」
ゼルヴァンは言葉を止めた。
白い迷宮の深部。
姿を見ていない声。
奪った魔物が抵抗した時。
偽りの命令が迷宮へ流れた時。
確かに反応があった。
罠の起動が変わった。
配下と思われる魔物たちの動きが変わった。
ガルザヴェインは。
あの声へ答えていた。
「何です」
「制御の中心がある」
以前の報告では。
断定できないと答えた。
その判断は変わっていない。
見ていないものを。
見たとは言わない。
だが。
一度。
実際に中へ入り。
魔物を奪い。
迷宮の反応を間近で見た今。
ゼルヴァンの中には、一つの推測が強く残っている。
「白い迷宮の奥には」
「罠を置くだけの仕組みではなく」
「状況を見て判断する何かがいる可能性が高い」
「深部から聞こえた声の主ですか」
「同一かは分からん」
「別の個体かもしれない」
「迷宮そのものが、声を使っている可能性もある」
「ある」
「では、何を交渉相手と考えるのです」
「それを確かめる」
セレイナが手を止めた。
「交渉するつもりですか」
「軍議で決まればな」
黒い角笛が鳴った。
勇者側の後退。
黒冠軍も追わない。
一度。
戦場が止まる。
今日も。
決定的な勝敗はなかった。
◇
夜。
黒冠軍本陣の大天幕には。
第三戦団の指揮官。
軍魔導参謀。
斥候隊長。
呪具部隊長。
魔獣軍監。
記録官。
そして。
ゼルヴァンが集められていた。
卓上に置かれているのは。
王国南東部の地図。
白い封鎖迷宮の位置。
その周辺に。
黒い石が十五個。
赤い石が六個。
白い石が一個。
配置されている。
「始めろ」
ヴァルドレムが命じた。
セレイナが立ち上がる。
「赤金散らし作戦」
黒い棒で。
地図の石を一つずつ指した。
「我々が流した赤金の奇跡果の噂は」
「王国南東部を中心に、冒険者、薬師、裏商会、地方貴族へ到達しました」
「白い封鎖迷宮へ向かったと確認できた集団」
「十五組」
黒い石。
「そのうち」
「迷宮へ入り、森の外まで戻った集団」
「九組」
黒い石のうち九個を退ける。
「残り六組」
赤い石。
「全員死亡か」
魔獣軍監が問う。
「確認できていません」
セレイナは即座に答える。
「迷宮から出ていないことだけが確認されています」
「なら、全滅と同じだろう」
「捕らえられた可能性」
「迷宮内で潜伏している可能性」
「別の出口から出た可能性」
「全て否定できません」
ヴァルドレムが鼻を鳴らした。
「戻らぬなら、我々にとっては死者だ」
「軍事判断としては」
「はい」
「続けろ」
「生還した九組の証言」
別の紙が広げられる。
「一組」
「外縁の白霧で進行を断念」
「二組」
「浅層でゴブリン小隊と接触し、負傷後撤退」
「一組」
「骨兵を確認したと証言」
「ただし数は不明」
「三組」
「赤金色の果実を目視できず」
「二組」
「白い箱を発見」
「中から採取素材を持ち帰ったと主張」
「中身は」
「白磁片」
「影糸」
「小型の回復素材」
「赤金の果実ではありません」
「本命は誰も見ていないのか」
「人間側の冒険者については」
「確認できていません」
ヴァルドレムが。
地図上の白い石を見る。
「では、これは」
「ヴァレスト公爵家です」
天幕の空気が少し変わった。
「派遣数」
「二百六十三名」
「大規模攻城兵器」
「聖灰」
「薬師」
「工兵」
「魔術兵」
「指揮官ベルガ・ハインズ」
「全てを揃え」
「白い封鎖迷宮へ侵入」
「帰還者」
一拍。
「零」
白い石が。
赤い石の側へ移される。
「二百六十三」
斥候隊長が呟く。
「それほど入れて、一人も戻らなかったのか」
「はい」
「戦闘の規模は」
「外部からは確認できません」
「迷宮周辺で、短時間」
「高密度の光属性反応」
「地鳴り」
「複数回の魔力爆発」
「その後」
「静止しています」
「白陽砲か」
ゼルヴァンが問う。
「ヴァレスト家の保有記録と一致します」
「撃ったのか」
「可能性は高いです」
ゼルヴァンは。
左腕の補助具を見た。
白陽砲。
高位アンデッド軍を消すための攻城兵器。
それまで持ち込み。
一人も戻らない。
「迷宮側も損害を受けたはずだ」
呪具部隊長が言う。
「受けたと見るべきです」
セレイナは答える。
「ただし」
「どの程度かは不明」
「外から判断できる変化は」
「白霧の密度が一時的に低下」
「翌朝には回復」
「入口周辺の地形も」
「二日後には元へ戻っています」
「削ったのか」
「育てたのか」
ヴァルドレムが低く言った。
「分かりません」
「侵入者を喰って強くなった可能性は」
ゼルヴァンが言う。
天幕内の視線が集まる。
「白い迷宮は」
「侵入者の死から何かを得ている可能性がある」
「根拠は」
セレイナが問う。
「私が侵入した時と」
「現在伝えられる反応」
「魔物の種類も」
「数も増えている」
「時間による成長では」
「否定しない」
「侵入者から得た力では」
「それも否定できない」
ゼルヴァンは慎重に続ける。
「だから」
「人間を入れ続ければ、迷宮を削れるとは限らない」
赤金散らし作戦。
黒冠軍は。
人間の欲を白い迷宮へ向けた。
誰がどこまで進み。
何を見て。
何人戻るか。
それを見るため。
だが。
冒険者の魂も。
ヴァレスト家二百六十三人の魂も。
全てが迷宮の力へ変わっているとすれば。
情報を得る代わりに。
敵を育てていたことになる。
「作戦を止めるか」
魔獣軍監が尋ねる。
「すでに噂は止められません」
セレイナは答えた。
「我々が新しい噂を流さなくても」
「赤金の奇跡果という名は、人間側だけで歩き始めています」
「では放置か」
「今は」
「結果を受け取る段階です」
彼女は。
最後の紙を卓上へ置いた。
「ヴァレスト公爵家について」
◇
「二百六十三人全滅後」
「ヴァレスト家は」
「王国軍へ討伐要請を出していません」
「神殿へも」
「勇者側の冒険者組合へも」
「白い迷宮の討伐を求めていません」
「それだけなら」
斥候隊長が言う。
「損害を恐れたとも考えられる」
「はい」
「しかし」
セレイナは。
セリア・ヴァレストと書かれた紙を示す。
「全滅報告の翌日」
「公爵令嬢セリア・ヴァレストが」
「単独で白い迷宮へ向かいました」
「護衛は」
「なし」
「武装は」
「なし」
「何を持っていた」
「古い木箱を一つ」
「内容は不明」
「迷宮へ入ったのか」
「はい」
天幕内が。
完全に静まった。
「帰ったのか」
ヴァルドレムが問う。
「同日夕刻」
「公爵邸へ帰還」
「負傷は」
「外見上、確認されず」
「迷宮へ持ち込んだ木箱は」
「帰還時には所持していません」
「代わりに」
一枚。
遠距離記録術で撮られた、不鮮明な絵が広げられる。
馬上のセリア。
外套の内側。
白い何かを抱いている。
「小型の白い箱を所持していた可能性があります」
「可能性か」
「距離がありました」
「断定はできません」
「その後は」
「公爵邸へ帰還後」
「死にかけていた弟」
「ノエル・ヴァレストの寝室へ入り」
「医師」
「神官」
「公爵本人を含め」
「全員を外へ出しました」
「一人で治療したのか」
「何をしたかは確認できません」
「だが」
セレイナの声が。
僅かに低くなる。
「ノエル・ヴァレストは回復しました」
「どの程度」
「当日夜までに呼吸安定」
「黒脈反応消失」
「翌朝には食事」
「数日後には歩行」
「現在」
「魔力経路の再形成まで確認されています」
軍魔導参謀。
呪具部隊長。
魔獣軍監。
誰も声を出さない。
黒脈崩壊症。
魔族側にも。
似た病は存在する。
一度崩れた魔力経路は。
回復魔術では元へ戻らない。
繋ぎ直すには。
神話級の生命素材が必要とされている。
「既存治療で説明できるか」
「不可能です」
「セリアが別の素材を持っていた可能性」
「あります」
「白い迷宮とは無関係の治療を、時期を合わせて行った可能性」
「否定できません」
「では」
「ただし」
セレイナが言葉を重ねた。
「セリアは白い迷宮へ入る前に」
「弟を救う手段を持っていませんでした」
「帰還後に治療が行われた」
「白い箱を抱えていた可能性」
「ヴァレスト家が迷宮への討伐を止めた」
「さらに」
「迷宮に目的の素材は存在しなかったと公表しています」
「嘘か」
「可能性は高いです」
「赤金の奇跡果は」
ヴァルドレムが卓へ身を乗り出す。
「実在する」
セレイナはすぐには頷かなかった。
「我々が確認した事実ではありません」
「まだ言うか」
「軍事報告です」
「噂ではない」
「なら、どう書く」
「白い迷宮には」
セレイナは一語ずつ区切る。
「黒脈崩壊症末期の患者を回復させ得る何らかの手段が存在する可能性が高い」
「それで十分だ」
ヴァルドレムの口元が歪む。
「戦局を変える」
「ああ」
ゼルヴァンが言った。
勇者側の聖盾列。
負傷しても。
治癒術で戻る。
だが。
欠損。
呪い。
魔力経路破壊。
そうした傷までは戻せない。
もし。
赤金の果実が。
そこまで治せるなら。
戦場の形が変わる。
死にかけた将が。
翌日には戻る。
魔力経路を焼かれた術師が。
再び術を撃つ。
失った腕さえ。
戻せる可能性がある。
ゼルヴァンの左腕へ。
天幕内の何人かが視線を向けた。
「私の指を戻すためではない」
先に言う。
「誰も言っていません」
セレイナが答える。
「顔に書いてある」
「あなたの顔には書かれていません」
「黙れ」
◇
「問題は」
セレイナが軍議を戻す。
「なぜセリアだけが生還できたかです」
「軍は全滅」
「非武装の女一人は生還」
「偶然ではない」
ヴァルドレムが言った。
「その可能性は低いです」
「白い迷宮は」
「人間の敵意を見分けるのか」
「分かりません」
「交渉に応じた」
「その可能性があります」
「深部の声か」
全員の視線が。
ゼルヴァンへ向く。
彼だけが。
実際に迷宮の奥で。
その声を聞いている。
「声の主が交渉したとは断定できん」
ゼルヴァンは言った。
「だが」
そこで止めない。
「迷宮内の反応には」
「明確な判断があった」
「私が低位魔物を奪った時」
「支配された個体をすぐには殺さなかった」
「なぜだと思う」
魔獣軍監が問う。
「奪い返すため」
「それだけか」
「仲間として扱っていた可能性がある」
「魔物を?」
「高位ゴブリンは、そう動いた」
ガルザヴェイン。
仲間を踏めず。
支配された魔物から攻撃を受けながら。
それでも殺さずに戦った。
あの迷いを。
ゼルヴァンは利用した。
従えば仲間を殺さずに済む。
そう告げ。
支配を深めようとした。
「深部からの声も」
ゼルヴァンは続ける。
「奪われた魔物へ呼びかけていた」
「高位ゴブリンも」
「その声と深部を守ろうとしていた」
「つまり」
セレイナが整理する。
「白い迷宮の制御側は」
「侵入者を全て同じように処理しているわけではない」
「可能性が高い」
「軍で奪いに来た者は殺す」
「非武装で何かを差し出した女とは話す」
「そこまでは分からん」
ゼルヴァンが止める。
「セリアが何をしたか」
「こちらは見ていない」
「だが」
左腕の補助具が。
小さく鳴った。
「試す価値はある」
「交渉をか」
ヴァルドレムが言う。
「ああ」
「第七牙を喰われて」
「頭を下げるのか」
「交渉は降伏ではない」
ゼルヴァンの声は変わらない。
「戦争のために必要な物を得る」
「その手段が」
「略奪である必要はない」
「白い迷宮が何を欲しがるか」
「分かるのか」
「分からん」
「なら、何を持っていく」
「先に」
ゼルヴァンが答える。
「何を求めているか聞く」
ヴァルドレムが笑った。
「随分と素直になったな」
「四人分」
「学びました」
天幕内から。
笑いが消えた。
「バロウたちは」
ゼルヴァンは言う。
「戦争を変える素材を得るために死んだ」
「同じ方法で」
「同じ失敗を繰り返すためではない」
「交渉に応じなければ」
「その時は」
残った指が。
卓上の白い印へ置かれる。
「軍で行く」
◇
軍議は。
交渉派遣を前提に進んだ。
「黒冠軍の正規使節として行くのか」
「旗を掲げれば、人間側に見つかります」
セレイナが答える。
「しかし、徽章まで隠せば」
「前回と変わりません」
「では」
「少数使節」
「黒冠軍の所属は隠さない」
「ただし」
「本軍の位置」
「戦線」
「魔王陛下に関する情報は明かさない」
「使者は」
ヴァルドレムがゼルヴァンを見る。
「私が行く」
即答だった。
「傷は」
「歩ける」
「黒冠隷命は」
「使わない」
「信用できると?」
「迷宮側は」
「私の紋を覚えている可能性が高い」
「使えば、交渉前に戦闘になる」
「なら」
セレイナが言う。
「左腕の補助具も外してください」
「それでは術式の再形成が遅れる」
「交渉相手に」
「改良した支配術の補助具を見せるつもりですか」
「……」
「外してください」
「命令か」
「提案です」
「拒否する」
「では使節から外します」
「お前に権限は」
「ある」
ヴァルドレムが答えた。
ゼルヴァンが睨む。
第三戦団長は笑わない。
「交渉を提案したのはお前だ」
「なら」
「交渉の形を守れ」
「分かった」
ゼルヴァンは。
左腕の補助具を外すことを受け入れた。
「他の使者は」
「軍魔導参謀を一人」
「交渉記録官を一人」
「護衛二名」
「多い」
セレイナが言う。
「セリアは一人で入りました」
「我々も一人で行けと?」
「交渉者一名」
「外部待機二名」
「それが限界です」
「ゼルヴァン一人か」
ヴァルドレムが考える。
「迷宮側が」
「前回の敵と見て殺す可能性は」
「高いです」
「では、誰を」
「私が行きます」
セレイナが答えた。
「お前が?」
「赤金散らし作戦を立案したのは私です」
「噂によって」
「人間が白い迷宮へ流れました」
「交渉が決裂した原因として認識される可能性もある」
「迷宮側は」
「噂の出所を知りません」
「今はな」
ゼルヴァンが言う。
「話すのか」
「必要なら」
セレイナは彼を見る。
「隠したまま交渉して」
「後で知られれば」
「確実に決裂します」
「最初から言えば」
「その場で殺されるかもしれん」
「だから交渉です」
ヴァルドレムは。
二人を見比べた。
「両方行け」
「二人ですか」
「ゼルヴァンは」
「迷宮の防衛を知っている」
「セレイナは」
「言葉を選べる」
「護衛は」
「外で待機」
「交渉へ持ち込む物は」
「戦争素材」
「魔王領の希少鉱」
「呪詛除去薬」
「神聖属性を弱める黒晶」
「白い迷宮が欲しがるか」
「不明です」
「なら」
「選ばせる」
複数の素材。
複数の情報。
複数の交換条件。
赤金の奇跡果だけではない。
白い迷宮で使えるものがあれば。
それも取引へ含める。
「要求は」
記録官が聞く。
「赤金の奇跡果」
ヴァルドレムが答えた。
「数量は」
「可能なら」
「定期供給」
セレイナが首を横へ振る。
「最初から求めすぎです」
「では」
「一個」
ゼルヴァンが言った。
「まず」
「一個の効力を確かめる」
「効けば」
「次の交渉へ進む」
「白い迷宮が断れば」
天幕の外。
傷ついた兵たちの呻き声。
勇者側の聖歌。
明日も続く戦争。
ヴァルドレムの目が冷える。
「その時は」
「正規軍として要求する」
交渉。
その次。
戦争。
道は。
二つしかなかった。
◇
「もう一つ」
セレイナが言った。
「交渉が決裂した場合に備え」
「外部戦力を契約します」
「黒冠軍外からか」
「はい」
「誰を」
彼女は。
卓の下から。
一枚の金色の板を取り出した。
人間の冒険者証とは形が違う。
獣の牙を削り。
金属で縁取った。
縦長の認証札。
表面には。
黒冠軍の徽章ではなく。
三本の爪痕と。
金色の円。
「魔族冒険者組合」
斥候隊長が呟く。
「ゴールドプレートか」
天幕内の何人かが。
明らかに顔を強張らせた。
ゼルヴァンも。
その金色の板を見る。
「誰だ」
「現在」
「ルグナ平原西部で依頼を受けている魔族冒険者」
「名は」
セレイナは。
金色の板を裏返した。
そこに刻まれた名を読む。
「ゼグラド・ヴェイン」
「種族は」
「不明」
「不明?」
「本人が登録していません」
「組合は許すのか」
「ゴールドプレート以上には」
「一部の素性秘匿が認められています」
ヴァルドレムが。
金色の板を指先で持ち上げる。
「戦闘力は」
「単独で」
「勇者側の城塞級魔獣を討伐」
「高位聖騎士隊を退けた記録あり」
「軍に属さない理由は」
「命令されることを嫌っています」
「依頼なら受ける」
「はい」
「報酬は」
「白い迷宮で得られる素材の一部」
ゼルヴァンの目が細くなる。
「渡すのか」
「交渉決裂後に参戦した場合のみ」
「それでも」
「迷宮内部の素材を勝手に持ち出させれば」
「交渉ではない」
「だから」
セレイナは答える。
「使うのは、交渉が終わった後です」
ヴァルドレムが金板を卓へ戻す。
「ゴールドプレート一人で」
「戦争が変わるか」
「一人とは限りません」
「仲間がいるのか」
「本人は」
「依頼によって組む相手を変えます」
「今回は」
「単独契約です」
「それでも来ると」
「契約金はすでに支払われています」
魔族にも。
軍とは別の者たちがいる。
魔王軍の命令では動かない。
勇者側の冒険者と同じように。
依頼。
報酬。
危険。
自ら選んだ仕事で生きる者たち。
だが。
人間側の冒険者階級と。
魔族側のプレートが。
同じ強さを表しているわけではない。
ゴールドプレートが。
人間側のAランクなのか。
Sランクなのか。
さらに上なのか。
単純には比べられない。
比べる必要もない。
実際に戦えば。
分かる。
「交渉に」
ゼルヴァンが言った。
「その者を同行させるな」
「当然です」
「近くにも置くな」
「なぜ」
「白い迷宮の深部には」
魔神覇王。
ガルザヴェインがいる。
そして。
ゼルヴァンが直接見てはいない。
それでも。
冒険者や調査記録の中で。
説明できない高密度反応が、何度も残されている。
「交渉前に」
「強者同士が勝手に戦えば」
「全てが終わる」
「ゼグラドは仕事を理解しています」
「本当に?」
「ゴールドプレートを」
「その程度の者だと思わないことです」
ゼルヴァンは。
何も答えなかった。
◇
同じ頃。
霧灰白庭迷宮。
命の苗床では。
フィルエが、誓命花の根元へ戻り水を与えていた。
赤金果守ゴブリンたちが。
小さな器を運ぶ。
「ギッ」
「多い」
「ギ……」
「半分戻して」
「ギギッ」
少し離れた場所。
ルオは白い床へ寝転がり。
果物の籠から空梨を取っていた。
「ルオ」
「何?」
「それ、五個目」
「今日は小さい」
「同じくらい」
「前のより軽い」
「重さ量った?」
「持てば分かる」
フィルエは。
信じていない顔で籠を見る。
ルオが。
空梨を齧った。
「ロード」
「何だ」
余は白い部屋から答える。
「これ」
「何だ」
「昨日より甘くない」
「余に言われても困る」
「他のない?」
「あるが」
「なら」
「食べすぎだ!」
「戦ったら腹減る」
「今日は戦っていないだろう!」
「ガルザヴェインと訓練した」
覇王練兵窟。
ガルザヴェインが。
壁にもたれて座っている。
「オレ、訓練、シタ」
「ルオ、遊ンダ」
「同じだろ」
「チガウ」
ガルザヴェインが。
傷の残る額を押さえる。
ルオも。
頬へ薄い傷を作っていた。
どちらも。
楽しそうだった。
「今日はもう戦うな」
「明日は?」
「明日も迷宮の壁を壊さないなら」
「分かった」
「お前の分かったは信用できん!」
その時。
《外縁反応》
白い部屋へ。
管理音声が響いた。
ルオが。
空梨を齧る手を止める。
ガルザヴェインが立ち上がる。
フィルエも。
命の苗床から顔を上げた。
「人数」
《二名》
「人間か」
《非人間種反応》
「魔族?」
《種族特定不能》
壁面を切り替える。
白い霧の外。
二つの影が立っていた。
一人は。
黒い外套をまとった女。
その横。
左腕を包帯で固定した男。
指が。
二本足りない。
顔には。
斜めの古傷。
余の中で。
あの日の怒りが、一瞬で戻った。
「ゼルヴァン」
ガルザヴェインが。
金色の目を見開く。
拳へ。
黒い魔力が集まる。
「殺ス」
「待て」
「ロード」
「まだ入れるな」
「デモ」
「分かっている!」
余も。
殺したい。
マネの声を奪った。
配下へ配下を殺させた。
果守りのギギを殺した。
刃戻りのギルを殺した。
逃げた。
次は必ず殺す。
そう決めた相手。
だが。
ゼルヴァンは。
黒剣を持っていない。
左腕には補助具もない。
黒冠隷命の紋を隠すように。
手の甲へ厚い白布が巻かれている。
隣の女も。
武器を持っていない。
二人の後方。
森の遠くに。
待機している魔族が二名いる。
だが。
入口へ近づいてはいない。
「罠?」
フィルエが尋ねる。
「分からん」
ルオが起き上がる。
空梨を持ったまま。
壁面へ近づく。
「あいつがゼルヴァン?」
「ああ」
「ガルザヴェインを操った?」
「ああ」
「へえ」
ルオの声が。
少し低くなる。
いつもの笑いはない。
「今、殺す?」
「まだだ」
「何で」
「何をしに来たか聞く」
ガルザヴェインの拳が震える。
「ロード」
「余も殺したい!」
「……」
「だが」
白い霧の外。
ゼルヴァンは。
一歩も入らず。
何かを待っている。
「今回は」
「向こうから戦いに来た形ではない」
ガルザヴェインは。
しばらく。
ゼルヴァンを見ていた。
「ワカッタ」
「ただし」
金色の目が燃える。
「ヘンナコト、シタラ」
「殺セ」
「ああ」
「その時は止めん」
白い霧の外で。
セレイナが。
両手を見える位置へ上げた。
「白い迷宮へ」
声が届く。
「我々の声を理解できる何者かへ」
ロードとは言わない。
知らないからだ。
「黒冠軍軍魔導参謀」
「セレイナ・ヴェル」
「そして」
「黒冠軍第七牙隊長」
「ゼルヴァン・ギルロア」
ゼルヴァンの名に。
迷宮内の空気が重くなる。
「前回の侵入について」
「話すために来ました」
余は。
すぐに返事をしない。
セレイナは続ける。
「我々は」
「白い迷宮の攻略を目的としていません」
ガルザヴェインが鼻を鳴らす。
「ウソ」
「ああ」
前回。
攻略は目的ではなかった。
だが。
配下を奪い。
素材を持ち帰ろうとした。
結果として。
迷宮を壊しかけた。
「我々が求めるものは」
「戦場で使える素材です」
「そのため」
「前回は」
一度。
セレイナがゼルヴァンを見る。
「力で奪おうとしました」
「失敗しました」
ゼルヴァンは。
何も言わない。
だが。
逃げもしない。
白い霧の奥を見ている。
「今回は」
セレイナが言う。
「取引を求めます」
ルオが。
空梨をもう一度齧った。
「交渉?」
「ああ」
「戦わないの?」
「今はな」
「つまんない」
「お前は黙って食べていろ!」
「でも」
ルオの目が。
白い霧の外ではなく。
さらに遠い森の向こうへ向いた。
「何か来る」
「何?」
「遠い」
「でも」
ルオの口元が。
少しだけ上がる。
「すごく強い」
管理音声は。
まだ反応を拾っていない。
ガルザヴェインも分からない。
カゲツも。
ウルグも。
だが。
龍神系統のルオだけが。
遥か遠く。
こちらへ向かっている何かを感じていた。
恐れてはいない。
むしろ。
白銀の瞳が。
嬉しそうに輝いている。
「ルオ」
「何だ」
「戦うなよ」
「まだ戦わない」
「まだ?」
「だって」
ルオは。
白い霧の向こう。
さらにその先を見て笑った。
「こっちに来てるなら」
「そのうち会えるだろ」
白い迷宮の前では。
黒冠軍との交渉が始まろうとしている。
勇者側との戦争を変えるため。
黒冠軍は。
赤金の奇跡果を求めてきた。
余は。
配下を奪った者を。
霧の外から見ている。
ガルザヴェインは。
今にも殴りかかりそうな拳を、辛うじて下ろしている。
そして。
ルオだけが。
まだ誰も知らない。
金色の認証札を持つ魔族冒険者の気配を感じ。
これから始まる戦争を知らないまま。
心から楽しそうに笑っていた。




