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第241話 帰らぬ軍の代わりに、一人の女が来る

 二百六十三人の侵入者を全滅させた翌朝。


 霧灰白庭迷宮の各所では、まだ戦いの痕跡が残っていた。


 白陽砲によって焼かれた天井。


 砕かれた白磁の床。


 人間たちが落とした盾や槍。


 清められた灰が付着し、再利用できなくなった骸骨騎士の骨。


 覇牙軍団と百骸騎士団の欠員については、戦いで得たソウルを使い、すでに補充を終えている。


《覇牙軍団、欠員七体を補充》


《総数、百二十体》


《冥月百骸騎士団、欠員十体を補充》


《総数、百体》


《消費ソウル:630,000》


《今回獲得分残存:2,654,000ソウル》


 覇牙軍団は、再び百二十体。


 百骸騎士団も、再び百体。


 ガルザヴェインとカゲツは、新たに加わった兵をそれぞれの軍列へ組み込み、配置の確認を進めている。


 死んだ兵が蘇ったわけではない。


 だが、次の侵入者がいつ現れても動けるだけの数は戻った。


 今はそれでよい。


    ◇


「管理音声」


《はい》


「戦場の処理状況を出せ」


《表示します》



《第二百六十三名侵入戦・処理状況》


人間側遺体回収:完了。


武具回収:七十八パーセント。


薬品回収:完了。


魔導器具回収:六十四パーセント。


白陽砲:大破。


万蝕酸界到達者四十六名:


遺体および装備、回収不能。



「回収不能ではないだろう」


《ウルグの体内へ溶解済みです》


「それを回収不能と言うのだ!」


 万蝕酸界へ意識を向ける。


 透明な床全体が、昨日よりわずかに厚くなっている。


「ウルグ」


「うるぐ」


「人間たちを溶かしてから、体が増えているな」


「うるぐ」


「誤魔化すな」


《ウルグの体積は、戦闘前と比較して十三・六パーセント増加しています》


「やはり増えているではないか!」


 透明な床が、ぷるんと揺れた。


 どこか得意そうに見える。


「区画から出るなよ」


「うるぐ」


「勝手に分裂するな」


「うるぐ」


「返事だけは素直なのが不安だな」


 ウルグを越えた先。


 命の苗床では、エリラの芽が赤金色の葉を広げている。


 戦いの影響はない。


 根も。


 葉も。


 生命反応も安定している。


 フィルエが、葉の表面へ傷がないか、一枚ずつ確認していた。


 その近くでは、赤金果守ゴブリンたちが小さな器を抱え、戻り水を運んでいる。


 昨日。


 二百六十三人の軍は、この場所まで届かなかった。


 それだけで。


 余は、新たに軍を増やした判断が間違っていなかったと思えた。


    ◇


「ロード」


 白骨書記が呼んだ。


「何だ」


 戦場跡に立つ白骨書記が、割れた黒い板を両手で持っている。


 長方形。


 人間の手に収まる程度の大きさ。


 表面には、ひび割れた魔石と、細い文字が刻まれていた。


「それは」


《人間側の通信器具と思われます》


「ベルガが使っていた物か」


《記録上、同型の器具による通信を複数回確認しています》


 先行隊から、外で待つ本隊へ。


 本隊が侵入してからは、さらに外部の誰かへ。


 ベルガたちは、迷宮内で得た情報を送っていた。


「動くか」


《破損していますが、一部機能は維持されています》


「解析しろ」


《承知しました》


 白骨書記が、黒い板を白磁の台へ置く。


 細い骨の指が、ひび割れた術式をなぞる。


 管理音声の白い光が、板の内部へ流れ込んだ。


 数秒。


 黒い表面に、淡い文字が浮かび始める。



《送信済み記録・第一報》


白い封鎖迷宮内部に、軍列を組む強化ゴブリンを確認。


確認兵種:


盾、槍、刃、弓、術。


推定数、百以上。


負傷個体を後方へ退避させ、別個体と交代する行動を確認。


単純な魔物群ではない。


高位指揮個体が存在する可能性が高い。



 余は、その記録を黙って読んだ。


「第一防衛線の後か」


《はい》


 ガルザヴェインが率いる覇牙軍団。


 その存在は、完全に知られた。


 ただ強いゴブリンが多数いたというだけではない。


 兵種。


 交代戦。


 指揮個体。


 そこまで正確に送られている。


 次の文字が浮かぶ。



《送信済み記録・第二報》


深部手前に、武装した骸骨騎士約百体を確認。


青黒い月を背負う将軍個体が指揮。


騎士団は城壁状の陣を形成。


破壊された騎士の骨を用い、再構成を行う能力あり。


聖灰による再生阻害は有効。


完全破壊には、白陽砲の使用が必要と判断。



「カゲツ」


「ロード」


 少し離れた場所で百骸騎士団を確認していたカゲツが、こちらへ兜を向ける。


「お前の姿も送られた」


「確認済ミ」


「人間側は、次に聖灰を増やすだろう」


「対策、必要」


「ああ」


 今回。


 カゲツの骸兵再陣を封じたのは、人間たちの持つ清められた灰だった。


 量は多くなかった。


 だから冥風で押し返せた。


 だが。


 次に同じ相手が来れば、倍以上を持ち込む可能性がある。


「聖灰対策は後で考える」


「承知」


 カゲツは短く答え、大剣を抱え直した。


 黒い板には、さらに記録が残っている。



《送信済み記録・第三報》


深部方向より、極めて高密度の生命反応を確認。


既存の高位薬草、霊樹、回復用魔導素材とは一致せず。


赤金の奇跡果、あるいは発生源となる植物が存在する可能性、極めて高し。


最低十個の確保を継続。


可能であれば枝、根、周辺土壌を採取。



 白い部屋の空気が冷えた。


「やはり、送られている」


《はい》


 エリラの芽を直接見られたわけではない。


 赤金色の葉も。


 命の苗床も。


 枯れたエリラの木の根へ、新しい根が絡んでいることも。


 人間側は知らない。


 だが。


 深部に高密度の生命反応があること。


 それが赤金の奇跡果と関係している可能性。


 そこまでは外へ伝わってしまった。


「ロード」


 命の苗床にいるフィルエが、不安そうに顔を上げる。


「聞こえている」


「外の人、芽のこと知ったの?」


「芽そのものは知られていない」


「でも」


「ああ。何かがあるとは知られた」


 フィルエが、赤金色の葉を見る。


 その手が、芽を囲うように置かれる。


「大丈夫だ」


 余は言った。


「次に来ても、ここまでは通さない」


 フィルエは小さく頷いた。


 黒い板へ、最後の記録が浮かんだ。



《送信済み記録・第四報》


全予備戦力投入。


白陽砲使用。


骸骨騎士団の完全消滅を試みる。



 そこで、ベルガ自身が入力した文章は終わっていた。


 だが。


 黒い板の最下部には、別の文字が残っている。


 書き方が違う。


 短く。


 感情がない。



《自動生命反応報告》


指揮権保持者:


ベルガ・ハインズ。


生命反応、消失。


副指揮権保持者:


生命反応、消失。


登録同行者:


生命反応、順次消失。


最終生存確認数:


零。



「これは」


《登録者の生命反応が消失した場合、自動的に外部へ送信される機能と思われます》


「ベルガがウルグに溶かされた時か」


《送信時刻は、ベルガ・ハインズ死亡直後と一致》


 最後の一人。


 ベルガ・ハインズの体が、万蝕酸界へ沈んだ瞬間。


 二百六十三人の全滅は、外部へ伝えられた。


「送信先は」


《解析困難》


「大まかな方向だけでも出せ」


《王国中央部から南東に位置する貴族領方面》


「ヴァレスト公爵家か」


《可能性が高いです》


 二百六十三人を送った家。


 ノエル公子とやらを救うため、白い迷宮へ軍を向かわせた者。


 そこへ。


 全員死亡。


 生存者、零。


 その報告が届いた。


「次が来るな」


 余の言葉に、ガルザヴェインが顔を上げる。


「マタ、グン?」


「分からん」


「来タラ」


 魔神覇王は、百二十体の覇牙軍団を見る。


「倒ス」


「ああ」


 カゲツも大剣を床へ突く。


「百骸騎士団、戦闘可能」


「警戒は維持しろ」


「承知」


 軍は戻っている。


 ウルグもいる。


 配下の治療も進んでいる。


 だが、人間側も。


 昨日と同じ形で来るとは限らない。


    ◇


 ヴァレスト公爵領。


 堅牢な石壁に囲まれた公爵邸の最奥。


 陽の光を厚いカーテンで遮った寝室に、一人の少年が横たわっていた。


 ノエル・ヴァレスト。


 十歳。


 痩せた頬には血の気がなく、額には濡れた布が置かれている。


 呼吸は浅い。


 吸うたび。


 胸の奥で、小さく何かが擦れるような音が鳴った。


「ノエル」


 寝台の横に座る少女が、弟の手を握っていた。


 セリア・ヴァレスト。


 ヴァレスト公爵家の長女。


 淡い金色の髪を背中へ流し、眠る弟を一睡もせずに見守っている。


「姉様……」


 ノエルの瞼が、わずかに開いた。


「ここにいるわ」


「朝……?」


「もう昼よ」


「そうなんだ」


 少年は、小さく笑おうとした。


 だが、すぐに咳が出た。


「ごほっ……ごほっ……!」


「ノエル!」


 セリアが背を支える。


 白い布が口元へ当てられる。


 咳が収まった後。


 布の中央には、淡い黒色の染みが広がっていた。


 血ではない。


 病によって、体内から漏れ出す濁った魔力。


 医師たちは、それを《黒脈崩壊症》と呼んでいた。


 生まれつき体内の魔力経路が弱い者に、ごく稀に発生する病。


 年月をかけて魔力経路が崩れ。


 最後には、生命力そのものが肉体を内側から傷つける。


 治療法はない。


 高位回復魔法でも。


 聖女の祈りでも。


 一時的に痛みを抑えることしかできなかった。


「ベルガさんたちは?」


 ノエルが尋ねる。


 セリアの手が止まった。


「まだ戻っていないの?」


「……ええ」


 嘘ではない。


 帰ってきてはいない。


 これからも。


 帰ってくることはない。


「きっと、迷ってるんだね」


 ノエルは、弱い声で言った。


「森、広いって聞いたから」


「そうね」


「ベルガさん、方向を間違えることあるの?」


「ないわ」


「じゃあ、大丈夫だ」


 少年は目を閉じる。


「赤い果物……見つかるといいね」


 その声は。


 自分を救ってほしいという願いより。


 兵たちが無事であってほしいと願っているように聞こえた。


 セリアは、弟の手を強く握る。


 何も言えない。


「姉様」


「何?」


「泣いてる?」


 セリアは急いで頬を拭った。


「泣いていないわ」


「嘘」


「眠っていなさい」


「うん」


 ノエルは、それ以上問い詰めなかった。


 しばらくして。


 再び浅い眠りへ落ちる。


 その時。


 寝室の外から、複数の足音が近づいてきた。


「セリアお嬢様」


 老執事の声。


「公爵閣下がお呼びです」


 セリアは、ノエルの手を布団の中へ戻す。


「すぐ戻るわ」


 眠る弟へ告げ。


 寝室を出た。


    ◇


 ヴァレスト公爵家の作戦室。


 普段なら領内の防衛計画や税収、他領との交渉を扱う場所。


 今。


 長い卓の中央には、黒い魔導伝書板が置かれていた。


 表面には。


 何度消そうとしても消えない文字が残っている。



ベルガ・ハインズ。


生命反応消失。


登録兵員、生存確認数。


零。



 ヴァレスト公爵ディルクは、卓の前に立っていた。


 黒髪には白いものが混じり。


 深く刻まれた皺が、昨日よりさらに増えているように見える。


 側近。


 騎士団幹部。


 医師。


 公爵家の重臣たち。


 誰一人、声を出さない。


「……二百六十三人」


 ディルクが、かすれた声を出した。


「全員だ」


 誰も否定しない。


「ベルガも」


 拳が震える。


「二十二の頃から、余のそばにいた」


 ディルクにとって。


 ベルガは単なる私兵隊長ではなかった。


 若い頃。


 盗賊に襲われた馬車から救い出した男。


 公爵家の内乱で、背中を預けた男。


 ノエルが生まれた時。


 誰よりも喜んだ男。


「余が送った」


 ディルクは伝書板を見た。


「余が」


 誰も、違うとは言えなかった。


 命令を出したのは公爵。


 だが。


 その場にいる全員が、止めなかった。


 ノエルを救うには。


 赤金の奇跡果しかない。


 そう信じた。


「閣下」


 側近の一人が、震える声で言った。


「王都の聖騎士団へ協力を求めましょう」


「……何?」


「白い封鎖迷宮は、明らかに王国へ敵対する危険存在です」


 側近は続ける。


「強化ゴブリン百体」


「骸骨騎士百体」


「未知の高位魔物も潜んでいる可能性があります」


「討伐理由としては十分です」


「王国軍と聖騎士団を動かせば――」


「黙れ」


 ディルクの声は低かった。


「しかし」


「黙れと言った!」


 卓が叩かれる。


 伝書板が跳ねた。


「二百六十三人だぞ!」


 公爵の怒声が、石造りの作戦室を震わせた。


「ベルガが率いた二百六十三人が、一人も戻らなかった!」


「それでも足りぬから、次は王国兵を送るのか!」


「ノエル公子を救うためには――」


「何人死なせれば満足する!」


 側近が口を閉ざす。


 ディルクは、荒い息を吐いた。


 弟を。


 息子を助けたい。


 その気持ちは消えていない。


 むしろ。


 時間がなくなるほど、強くなっている。


 だが。


 ベルガまで失って。


 何も考えず、さらに多くの兵を送ることはできなかった。


「父上」


 扉の方から声がした。


 全員が振り返る。


 セリアが立っている。


「ノエルは」


 ディルクが尋ねる。


「眠っています」


 部屋にいた医師が目を伏せた。


「公子の黒脈は、心臓付近まで崩壊しております」


「あと、どれほどだ」


「今夜」


 医師の声は小さい。


「長くとも、明け方までかと」


 ディルクが椅子へ手をついた。


 足から力が抜けかけたのだ。


 セリアは、卓上の伝書板へ近づく。


 一つずつ。


 送られてきた記録を読む。


 強化ゴブリン。


 骸骨騎士団。


 指揮個体。


 負傷した魔物を後方へ下げる交代戦。


 壊された壁を修復する迷宮。


「父上」


「何だ」


「白い迷宮へ送った部隊は」


 セリアは、最後の記録を見た。


「話し合いを求めましたか」


 部屋が静まり返る。


「何を言っている」


「白い迷宮へ入る前に」


 セリアは父を見る。


「赤金の奇跡果を分けてほしいと、頼みましたか」


「……頼んで、渡すと思うのか」


「分かりません」


「相手は迷宮だぞ」


「はい」


「魔物を生み、人間を喰う存在だ」


「はい」


「話が通じる保証などない」


「ですが」


 セリアは、第一報の文字へ指を置いた。


「魔物を軍として動かしています」


 次に。


 負傷者を後ろへ下げたという部分。


「傷ついた魔物を、死ぬまで戦わせていません」


 骸骨騎士団。


 指揮する将軍。


 変化する通路。


「人間側の行動を見て、戦い方を変えています」


 ディルクは何も答えない。


「考えています」


 セリアは言った。


「少なくとも」


「何も考えず、本能だけで人間を喰う迷宮ではありません」


「だから何だ」


「言葉を理解する可能性があります」


 側近が首を振る。


「危険すぎます」


「軍で攻めて二百六十三人が死にました」


 セリアは側近を見る。


「それより危険な方法があるのですか」


「次は王国軍を――」


「ノエルは今夜を越えられません」


 誰も言葉を返せなかった。


 セリアは父へ向き直る。


「私が行きます」


「ならん」


 ディルクは即答した。


「一人で行きます」


「ならん!」


「護衛も連れていきません」


「セリア!」


「武器も持ちません」


「二百六十三人が死んだのだぞ!」


「分かっています!」


 セリアの声が、初めて大きくなった。


「ベルガも!」


「副隊長も!」


「薬師たちも!」


「全員、ノエルを助けるために死んだ!」


 涙が頬を伝う。


「だから、もう誰も連れていきません」


「私一人で行きます」


「行って、何をする」


 ディルクの声も震えていた。


「戦う力もないお前が、一人で何をする!」


「謝ります」


 セリアは答えた。


「二百六十三人を送り込んだことを」


「そして」


 一度、目を閉じる。


「頼みます」


「果実を寄越せとは言いません」


「木も」


「枝も」


「根も求めません」


「ただ」


 眠る弟の顔を思い浮かべる。


「ノエルを助ける方法があるなら、分けてほしいと頼みます」


「断られたら」


「受け入れます」


「殺されたら」


 短い沈黙。


「それも受け入れます」


「認めん」


 ディルクは首を振る。


「父として、娘を死地へ行かせることなどできん」


「では」


 セリアは、父の目を見る。


「ノエルが死ぬのを、ここで一緒に待ちますか」


 ディルクの表情が固まった。


 残酷な言葉だった。


 だが。


 残された選択は、それしかない。


 公爵は目を閉じた。


 長い沈黙。


 誰も口を挟まない。


「……何を持っていく」


 やがて。


 ディルクが尋ねた。


 許可ではない。


 だが。


 止める言葉でもなかった。


「ヴァレスト家の植物大典を」


「家宝だぞ」


「だからです」


 セリアは答える。


「赤金の奇跡果を生む植物があるなら」


「あの本は、きっと役に立ちます」


 金でも。


 宝石でも。


 武器でもない。


 迷宮が守っている植物のためになる物。


 それを持っていく。


「分かった」


 ディルクは、絞り出すように言った。


「ただし」


 セリアの肩へ両手を置く。


「必ず帰ると約束しろ」


 セリアは。


 すぐには答えられなかった。


 嘘になるからだ。


「帰るために、全力を尽くします」


 それが。


 彼女にできる、唯一の約束だった。


    ◇


 日が傾き始めた頃。


 霧灰白庭迷宮の外縁に、新たな反応が現れた。


《外縁接近個体を確認》


「数は」


《一名》


「一人?」


《はい》


 余は、すぐに壁面を切り替えた。


 森の中。


 白い霧へ続く道を、一人の女が歩いている。


 年は若い。


 淡い金色の髪。


 旅用の白い外套。


 腰に剣はない。


 杖も。


 弓も。


 鎧すら身につけていない。


 両手で抱えているのは。


 古びた木箱一つだけ。


「管理音声」


《はい》


「周辺を調べろ」


《半径五キロメートル以内を確認》


《武装集団反応、確認出来ズ》


「地下」


《反応無シ》


「上空」


《反応無シ》


「転移待機者」


《確認出来ズ》


 ガルザヴェインが、壁面の女を睨む。


「ヒトリ」


「ああ」


「ワナ、カモ」


「その可能性はある」


 カゲツも大剣を持ち直す。


「敵影」


 一拍。


「異常無シ」


「魔力潜伏」


「異常無シ」


「完全に一人か」


「現状、単独ト判断」


 余は、白い霧へ近づいてくる女を見る。


 歩き方には疲れがある。


 何度か木の根へ足を取られ。


 それでも、立ち止まらない。


 武人の歩き方ではない。


 森を歩き慣れてもいない。


「ロード」


 フィルエが、命の苗床から壁面を見る。


「昨日の人たちと同じ服?」


「違う」


 鎧も。


 家紋を隠す黒布もない。


「でも、同じ匂いが少しする」


「何の匂いだ」


「昨日の人たちが持ってた薬と、紙」


 同じ家から来た者。


 その可能性が高い。


 余は、覇牙軍団へ待機を命じた。


「ガルザヴェイン」


「ウン」


「軍は持ち場から動かすな」


「承知」


「マネ」


「ロード」


「外部へ声を出す準備だけしておけ」


「ウン」


「カゲツ」


「ロード」


「百骸騎士団は第二防衛線を維持」


「承知」


「侵入を確認した場合のみ動け」


「命令、受諾」


 万蝕酸界にも意識を向ける。


「ウルグ」


「うるぐ」


「外へ出るな」


「うるぐ」


「今は敵かどうかも分からん」


 透明な床が、ゆっくり平らになる。


    ◇


 女は。


 白い霧の三歩手前で止まった。


 昨日。


 二百六十三人の軍が立っていた場所。


 白陽砲を運び。


 赤金の奇跡果を必ず持ち帰ると誓った場所。


 今は。


 一人しかいない。


 女は、抱えていた木箱を地面へ置いた。


 次に。


 白い外套の内側から、一枚の布を取り出す。


 真っ白な布。


 武器を隠していないと示すように、両手で広げた。


 地面へ敷く。


 その上へ。


 ゆっくり両膝をついた。


 ガルザヴェインが壁面を睨む。


「コワガッテル」


「ああ」


 女の手は震えている。


 息も。


 肩も。


 膝も。


 森の中に一人でいるだけでも怖いはずだ。


 その目の前には。


 二百六十三人を一人も返さなかった迷宮がある。


 それでも。


 逃げなかった。


 女は、木箱を自分の前へ置く。


 そして。


 白い霧へ向かって深く頭を下げた。


「この迷宮を治める方へ」


 声が震える。


 一度。


 喉が詰まり。


 それでも続けた。


「私の声が届いているかは、分かりません」


「言葉を理解していただけるかも、分かりません」


「ですが」


 両手を白布へつく。


「どうか」


「話を聞いてください」


 余は答えない。


 まだ。


 女は、頭を下げたまま続ける。


「私の名は」


 一度だけ息を吸った。


「セリア・ヴァレスト」


 ヴァレスト。


 ベルガたちが仕えていた家。


 二百六十三人を、余の迷宮へ送った者たち。


「昨日」


 セリアの指が、白布を強く掴んだ。


「この迷宮へ軍を送った、ヴァレスト公爵家の者です」


 ガルザヴェインの拳が握られる。


「ヤッパリ」


「ああ」


 カゲツの大剣が、わずかに持ち上がる。


「敵対家門ノ者」


「まだ動くな」


「承知」


 セリアは。


 自分の家が軍を送った事実を隠さなかった。


「二百六十三人」


 数まで。


 正確に口にする。


「彼らは」


 声が小さくなる。


「この迷宮にある物を、奪うために入りました」


 言い訳をしない。


 公子を救うためだったとも。


 時間がなかったとも。


 先には言わない。


「彼らが、一人も戻らなかったことも」


 セリアは目を閉じる。


「知っています」


 土へ。


 額をつける。


「まず」


 涙が、白布へ一滴落ちた。


「謝らせてください」


「私たちが」


「間違っていました」


 森に。


 白い霧が流れる音だけが残った。


    ◇


「ロード」


 フィルエが呼ぶ。


「聞こえている」


「この人」


「ああ」


「嘘ついてないと思う」


「まだ分からん」


 謝罪が本物でも。


 その後に何を求めるかは別だ。


 二百六十三人が死んだ。


 その怒りで来たのかもしれない。


 油断させるためかもしれない。


「殺ス?」


 ガルザヴェインが尋ねた。


「まだだ」


「ウン」


 ガルザヴェインは拳を下ろさない。


 だが。


 すぐに軍へ攻撃を命じることもしなかった。


「カゲツ」


「ロード」


「敵意を感じるか」


「現時点」


 壁面のセリアを見つめる。


「確認出来ズ」


「木箱は」


「呪詛反応、無シ」


「攻撃術式」


「確認出来ズ」


「管理音声」


《カゲツの観測と一致します》


「中身を解析できるか」


《木箱内部に紙媒体を確認》


「本?」


《はい》


「それ以外は」


《確認出来ズ》


 本を一冊持ち。


 武器も。


 護衛もなく。


 公爵家の娘が一人で来た。


「外部音声を開け」


《承知しました》


 白い霧の一部が、わずかに揺れた。


 セリアが顔を上げる。


 何かが変わったことを感じたのだろう。


 余は、霧の奥から声を届けた。


《一つだけ答えろ》


 森に。


 人ではない声が響いた。


 セリアの肩が大きく跳ねた。


 目が見開かれる。


 本当に。


 言葉が返ってくるとは思っていなかったのかもしれない。


 それでも。


 立ち上がらなかった。


 逃げもしなかった。


「……はい」


《昨日》


 余は問う。


《二百六十三人を、この迷宮へ送ったのは》


 一拍。


《お前たちヴァレスト公爵家か》


 誤魔化す機会はあった。


 自分は知らなかったと。


 父が勝手にやったと。


 兵たちが独断で入ったと。


 言うこともできた。


 だが。


 セリア・ヴァレストは。


 霧の奥にいる何者かを真っ直ぐ見て。


「はい」


 と答えた。


「私たちが」


「送りました」


 逃げ道を作らない答えだった。


 帰らぬ二百六十三人の軍の代わりに。


 今度は。


 一人の女が。


 武器ではなく、言葉を持って。


 白い迷宮の前へ来た。

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