第235話 百四十個の実と、ひとつの芽
エリラの芽が白い土を破ってから、七日が経った。
芽はもう、二・四センチではない。
《現在の高さ:三十八・六センチメートル》
《葉の枚数:八枚》
《根の最長部:七十二・三センチメートル》
《生命反応:安定》
「一週間で三十八センチか」
《はい》
「元のエリラの木は、三日で三メートルまで育った」
《はい》
「それに比べると遅いな」
《同種であるとは確定していません》
「分かっている」
余は白い部屋から、命の苗床を見た。
柔らかな白い土。
中央に伸びる、細い赤金色の茎。
表が赤、裏が淡い金色の葉。
以前のエリラの木によく似ている。
だが、まったく同じではない。
葉の縁には、白銀色の細い筋がある。
茎の根元には、黒に近い金色の模様が浮かんでいた。
ルオの龍神系統の生命反応。
ガルザヴェインの魔神性。
フィルエの命脈。
それらの影響を受けた可能性があると、管理音声は言っている。
まだ断定はできない。
だから名前も、仮のまま。
エリラの芽。
今はそれでいい。
◇
「おはよう」
フィルエが苗床の前へ座る。
手には、小さな戻り水の器。
赤金果守ゴブリンたちも、彼女の後ろへ並んでいた。
「ギギッ」
「まだ水はあげない」
「ギ?」
「先に土を触って確かめる」
三体のゴブリンが、揃って手を引っ込めた。
フィルエは土へ指先を置く。
少し目を閉じる。
「今日は、昨日より乾いてる」
「管理音声」
《表層水分量、昨日同時刻比で八パーセント低下》
「なら水を増やすか」
「少しだけ」
「どのくらいだ」
「昨日より、器の底一枚分くらい」
「分かりにくい」
「私には分かる」
「……任せる」
以前のエリラの木を管理していた時と同じだった。
余が細かく口を出す。
フィルエが止める。
最終的に、余が任せる。
この流れも、少しずつ戻ってきた。
フィルエが戻り水を与える。
赤金色の葉が、ほんの少し持ち上がった。
「喜んでる」
「本当か」
「たぶん」
《葉角度、二・一度上昇》
「本当に上がっているな」
「うん」
「管理音声。毎回数値を記録しろ」
《すでに記録しています》
「よし」
フィルエが、小さく笑った。
「ロード、まだ心配しすぎ」
「当然だ」
「三時間ごとの報告、まだ続けてるの?」
「続けている」
「夜も?」
「余は寝ない」
「芽は寝てるかもしれない」
「……夜間は六時間ごとにする」
「うん」
少し減らされた。
だが、監視をやめるつもりはない。
◇
保管されているエリラの実も、改めて数え直した。
白骨書記が台帳を開く。
⸻
《エリラの実・修正保管記録》
完全な状態で保存されている実:百四十個。
種と思われる核を取り出すために切った実:一個。
切った実の果肉:
マネおよび負傷した霧喰い刃ゴブリンの治療へ使用済み。
現在の完全保管数:百四十個。
⸻
「これで数字は合うな」
《はい》
以前の記録では、種を取り出した後も百四十一個と数えてしまった箇所があった。
だが、完全な形で残っている実は百四十個。
切った一個の果肉も捨ててはいない。
傷ついていたマネとゴブリンたちへ分けた。
だから、無駄にはなっていない。
フィルエが、百四十個の実が入った保管箱を確認する。
赫月の晩餐から奪い返した空間収納具は、そのまま使っていない。
内部に何か仕掛けが残っている可能性があったからだ。
実は全て取り出し、余が新しく作った保存区画へ移した。
戻り水の湿度。
白磁の冷気。
生命反応を閉じ込める薄膜。
それらで傷みを遅らせている。
「今日の状態は」
「全部大丈夫」
「香りの低下は」
「ない」
「生命反応は」
《百四十個全て、安定》
「よし」
もう、翌日に増える実ではない。
使えば減る。
だからこそ、必要な時には必要な数を使う。
意味もなく食べさせはしない。
だが、惜しみすぎて配下を死なせることもしない。
採取量も。
使用量も。
フィルエが状態を見て決める。
それで固定した。
◇
「ロード」
覇王練兵窟から、ガルザヴェインの声が届いた。
「何だ」
「キョウ、クンレン」
「駄目だ」
「マダ、ナニモ――」
「何を言うか分かる」
ガルザヴェインは、もうグズの泥分体に支えられなくても歩ける。
内部魔力経路も、ほぼ回復した。
《ガルザヴェイン、内部魔力経路回復率:九十一パーセント》
「九割を超えた」
「タタカエル」
「残り九パーセントがある」
「スコシ」
「その少しを軽く見るな」
「クミテ、ジャナイ」
「では何だ」
「カタ、マワス」
「それはよい」
ガルザヴェインが、ゆっくり肩を回す。
一度。
二度。
三度。
右肩から、わずかに黒い魔力が漏れた。
「痛むか」
「スコシ」
「今日はそこまでだ」
「ハヤイ」
「痛んだ時点で終わりだ」
「モウイッカイ」
「駄目だ」
「フィルエ」
ガルザヴェインが、苗床の前にいるフィルエを見る。
助けを求めたらしい。
フィルエは少し考えた。
「今日は歩く訓練だけ」
「アルク」
「走らない」
「ウン」
「拳も振らない」
「……ウン」
「今、間があったぞ」
余が指摘する。
ガルザヴェインは聞こえなかったふりをした。
◇
『ロード』
声つなぎの契約から、ルオの声が届いた。
「何だ」
『入っていい?』
「もう入口か」
『うん』
壁面を切り替える。
白い霧の前に、ルオが立っている。
今日も歩いてきたらしい。
背中には果物の袋。
さらに、何か長い物を抱えていた。
「それは何だ」
『木の棒』
「見れば分かる。何に使う」
『ガルザヴェインと――』
「駄目だ」
『まだ最後まで言ってないだろ!』
「組み手か、打ち合いだろう」
『技の確認』
「棒を使う必要はない」
『直接殴らないためだぞ』
「殴るつもりではないか!」
フィルエが、白い霧の方向を見る。
「ルオ?」
「ああ。棒を持ってきた」
「何するの?」
『ガルザヴェインと技の――』
「今日は歩くだけ」
ルオの肩が、壁面越しにも落ちた。
『ガルザヴェインは?』
「アルク」
『そっか……』
「なぜ二人で残念そうなのだ!」
それでも、入る許可は出した。
「苗床の近くでは走るな」
『分かってる』
「棒を振るな」
『分かってる』
「ガルザヴェインをけしかけるな」
『それはガルザヴェイン次第だろ』
「お前が原因になるな!」
◇
ルオは迷宮へ入ると、最初に苗床へ向かった。
昨日より少し伸びた芽を見つけ、目を輝かせる。
「でかくなってる!」
「八・六センチ伸びた」
「ロード、細かいな」
「毎日記録している」
「葉っぱも増えた?」
「二枚増えた」
ルオは芽の前へしゃがむ。
触れない。
フィルエとの約束を守り、両手を膝の上へ置いている。
「おはよう」
赤金色の葉が、わずかに揺れた。
「今、返事した!」
「風かもしれない」
「風ないだろ」
「ルオの呼吸かもしれない」
「ロード、素直じゃないな」
「断定を避けているだけだ」
芽の周囲へ、ほんの少しだけ甘い香りが広がる。
以前のエリラの実ほど強くない。
青く、若い香り。
ルオは鼻を動かし、嬉しそうに笑った。
「今日も元気だな」
フィルエも頷く。
「うん」
◇
「ガルザヴェイン!」
ルオが、ゆっくり歩いてくる魔神覇王を見つけた。
「ルオ」
「もう元気そうじゃん」
「ゲンキ」
「じゃあ――」
「歩くだけ」
フィルエが先に言った。
「分かってるって」
ルオは持ってきた木の棒を床へ置く。
「今日は話すだけ」
「ウン」
「昨日のSS、どんな技使ったか教える」
ガルザヴェインの金色の目が輝いた。
「エスエス」
「赤い月を出した」
「ツキ?」
「うん。月から剣がいっぱい来た」
「タノシソウ」
「楽しくはなかったぞ」
「タタカイタイ」
「だから駄目!」
余とフィルエの声が重なった。
ルオとガルザヴェインが同時に黙る。
少しして。
ルオが両手だけで動きを説明し始めた。
「こうやって剣が四方から来て――」
ガルザヴェインも座ったまま腕を動かす。
「コウ、ウケル」
「それだと後ろが入る」
「シッポ」
「お前、尻尾ないだろ」
「ハヤス」
「生やすな!」
ゴブリンが覇王化した次に、尾まで生やす気なのか。
やめてほしい。
ルオは自分の龍尾を少しだけ出し、床すれすれで止める。
「オレはこれで払った」
「ナルホド」
「見るだけだぞ!」
「分かってるって、ロード」
「ウン」
二人とも信用できない。
フィルエが、しっかり隣で見張っていた。
◇
白骨書記は、その間に《赫月の晩餐》が残した物を整理していた。
武器。
鎧。
薬瓶。
空間収納具。
奪われた方位盤。
金貨。
冒険者証。
さらに、持ち主の違う装備がいくつもある。
「こいつらの物ではないな」
《はい》
五人分より明らかに多い。
大きさも違う。
紋章も。
冒険者証も。
血のついた古い装備も混じっている。
「奪った物か」
《断定不能》
「だが、本人たち以外の冒険者証を持っていた」
《はい》
「数は」
《十一枚》
「多いな」
昨日、迷宮の外で殺した三人の物も含まれている可能性がある。
だが、どれが誰の物なのか。
いつ手に入れたのか。
余には分からない。
だから、勝手に決めつけはしない。
分かるのは。
他人の名が刻まれた証を、赫月の晩餐が持っていた。
それだけだ。
シアンが使っていた記録板も残っていた。
表面には、白い迷宮へ入る前の観察が記されている。
⸻
先行侵入者群:三十五名。
複数集団の寄せ集め。
戦力:Aランク相当三名を含む可能性。
用途:
罠反応の確認。
魔物配置の露出。
高位個体の消耗。
侵入開始後、外部待機。
内部魔力反応が低下次第、進入。
⸻
白い部屋の空気が冷えた。
「やはり」
あの三十五人を、最初から餌として使っていた。
助ける気などなかった。
死ぬことを前提に。
余の罠を踏ませ。
配下を疲れさせるために。
「最低」
フィルエが、記録板を読んで言った。
ルオの指先へ、白銀の鱗が浮かぶ。
「こいつら、外でもこんなことしてたのか」
「持ち物だけでは、どこまでかは分からん」
「でも、昨日の三十五人は使った」
「ああ。それは記録に残っている」
ガルザヴェインが、記録板を見下ろす。
「ヨワイ、ツカッタ」
「ああ」
「キライ」
「余もだ」
赫月の晩餐は、もう全員死んでいる。
それでも、持ち物を見るたび怒りが戻る。
◇
ドグルが持っていた荷物の中から、黒い首輪が見つかった。
内側には細い針。
外側には、魔力を封じる紋。
「これは」
《生体拘束具と推定》
「誰に使う物だ」
《人型生物への使用を想定した寸法です》
フィルエが、それを見た。
ルオの顔から表情が消える。
「これ」
白銀の鱗が、腕へ広がった。
「フィルエにつけるつもりだったのか」
「可能性は高い」
フィルエを商品と呼んだ。
貴族へ売ると言った。
持ち帰るための拘束具まで、最初から持っていた。
ルオが首輪へ手を伸ばす。
「待て」
「何で」
「構造を調べる」
「こんなの残すのか?」
「同じ物を使う敵が来た時の対策にする」
ルオの爪が、首輪のすぐ上で止まった。
怒っている。
壊したい。
それでも、余の言葉を聞いた。
「調べ終わったら?」
「壊す」
「絶対?」
「ああ」
「オレが?」
「好きにしろ」
「分かった」
ルオは、ゆっくり手を引いた。
少しだけ。
声つなぎの契約を結んでから、余の話を聞くようになった気がする。
本当に少しだけだが。
◇
レオルドの赤黒い長剣は、完全に砕けていた。
ルオが最後の技を破った時に壊した物。
刃の中心には、赤い結晶の欠片が残っている。
《SSランク覚醒時の人外核残滓を確認》
「危険か」
《高濃度の執念および魔力汚染あり》
「使えるか」
《浄化すれば、高位迷宮素材として使用可能》
「必要ソウルは」
《完全浄化:480,000》
残る追加分は九十一万七千。
使えない額ではない。
だが、急ぐ必要もない。
「封印保存」
《承知しました》
ガルザヴェインが赤い欠片を見る。
「コレ、エスエス」
「ああ」
「オレ、タタカイタイ」
「死んでいる」
「ザンネン」
「残念がるな!」
ルオが横から言う。
「強かったぞ」
「ルオ、カッタ」
「うん」
「ツギ、オレ」
「もう死んでるって」
ガルザヴェインは、かなり本気で残念そうだった。
◇
その日の昼。
ダンジョン新聞が落ちてきた。
「またか」
《通常号です》
「今度は何だ」
紙面を開く。
⸻
《所在不明情報》
Sランク冒険者パーティー《赫月の晩餐》、消息を絶つ。
最終確認:
王国南東部方面。
正式な依頼受注記録なし。
封鎖区域への立入許可申請なし。
同行申請なし。
救助要請なし。
冒険者ギルドは現時点で、正式な救助隊を派遣しない方針。
理由:
無許可行動の可能性が高いこと。
活動経路が不明であること。
過去にも長期間、連絡を絶った例があること。
なお、同時期に複数の無許可冒険者が同方面で消息不明となっています。
大規模調査の予定は、現在ありません。
⸻
「大規模調査はなしか」
《はい》
あいつらは、ギルドや国の命令で来たのではない。
宝を得るため。
赤金の奇跡果を独占するため。
勝手に封鎖区域へ入った。
そのため、誰も正式な救助要請を出せない。
許可を無視したことが知られれば、本人たちにも大きな罰があったはずだ。
もう死んでいるが。
紙面には続きがある。
⸻
《赤金の奇跡果・続報》
白い封鎖迷宮へ向かったと噂される複数集団が戻らず、闇市場での熱は一時的に低下。
ただし、次の層は依然として関心を示しています。
・高位冒険者。
・重病人を抱える貴族家。
・薬師および錬金術師。
・戦争用回復素材を求める軍事勢力。
噂が消えたわけではありません。
危険を理解した上で、それでも向かう者だけが残りつつあります。
⸻
「次は数ではなく、質が上がるか」
《その可能性があります》
弱い者が怖がって来なくなる。
それは、少し困る。
侵入者が来ればソウルを得られる。
余の迷宮へ来る者が全員いなくなるのは、望んでいない。
だが。
昨日のようなSランク五人。
SSランクへ覚醒する者。
そんなものばかり来られても困る。
「Bランクくらいが、ほどよく来ればよいのだ」
フィルエが首を傾げる。
「ほどよく?」
「ソウルになる程度に強く、こちらを壊さない程度に弱い者だ」
「難しいね」
「非常に難しい」
ルオが新聞を覗き込む。
「オレが入口に立ってたら、弱い奴来なくなるぞ」
「絶対に立つな」
「強い奴も逃げるかも」
「お前自身が一番迷宮を壊しかねん!」
「今は壊さないだろ」
「最初に何をしたか忘れたのか!」
ルオは視線を逸らした。
覚えているらしい。
◇
白灰薬果林は、先の戦いで半分以上焼けていた。
完全に失われたわけではない。
だが、再び偽の赤金果実を生らせるには修復が必要だった。
「必要ソウルは」
《基礎修復:180,000》
《偽薬樹再生:120,000》
《合計:300,000》
「実行する」
《承認》
残存追加分は、六十一万七千。
白灰薬果林が、ゆっくり再生を始める。
ただし。
本物のエリラの実の果皮は、もう使わない。
有限だからだ。
代わりに白磁花と戻り水。
外からルオが持ってきた、香りの強い果物の皮。
それらを混ぜる。
「オレの果物使うの?」
「ああ」
「偽物の餌に?」
「ああ」
「食べる分は残せよ」
「十分あるだろう」
「種類による」
「細かいな!」
白灰薬果林は、今後も侵入者を誘う場所になる。
だが。
もう、本物の芽へ続く道とは繋がっていない。
深部隔離路。
五重防衛。
完全退避室。
同じ失敗はしない。
◇
夕方。
フィルエが、芽の高さを測った。
「朝より伸びてる」
「どのくらいだ」
《現在の高さ:四十一・二センチメートル》
「二・六センチ」
「うん」
芽の根も、さらに広がっている。
その一本が。
枯れたエリラの木の根へ向かっていた。
「管理音声」
《はい》
「接触するか」
《現在の成長方向を維持した場合、数時間以内に接触》
「止める必要は」
《悪影響は現時点で不明》
「不明ばかりだな」
「止めないで」
フィルエが言った。
「理由は」
「前の木のところへ行きたいんだと思う」
「感情があるかは分からん」
「でも、根がそっちへ伸びてる」
確かに。
他の根は、戻り水や白磁根脈へ向かっている。
その一本だけが。
栄養も水もない、枯れた根へ向かっていた。
「監視だけ続ける」
《承知》
◇
数時間後。
新しい芽の白い根が、枯れた木の根へ触れた。
何も起きない。
光らない。
枯れた木が戻ることもない。
新しい芽が急に大きくなることもない。
ただ。
細い根が、古い根の表面へ沿って伸び始めた。
絡むように。
抱えるように。
古い根の隙間へ、自分の根を通していく。
「吸収しているのか」
《旧根から生命反応は検出されません》
「では、何のためだ」
《不明》
フィルエは、二つの根が触れた場所を見ていた。
「支えてもらってる」
「枯れているぞ」
「うん」
「力も残っていない」
「でも、根は残ってる」
新しい根は。
死んだ根を壊さなかった。
避けもしなかった。
古い根の形を使いながら、さらに土の奥へ伸びていく。
「前の木が、道を教えてるみたい」
フィルエが言う。
ルオも、その隣へしゃがむ。
「親みたいだな」
「親かどうかは分からない」
「じゃあ、先輩」
ガルザヴェインが、ゆっくり頷いた。
「センパイ」
「何でも覚えるな」
それでも。
悪い呼び方ではなかった。
枯れた木は戻らない。
命もない。
実も生らない。
だが、その根は土の中に残っている。
新しい芽は、その古い根を足場にして。
さらに深く。
さらに広く。
自分の根を伸ばし始めた。
◇
フィルエは、枯れた幹を撤去しないことを決めた。
「残すのか」
「うん」
「苗床の場所を取るぞ」
「芽が嫌がってない」
「本当に?」
「根が繋がってるから」
余は少し考えた。
枯れた木を残せば、侵入者に見つかった時の目印になる可能性がある。
だが、今の苗床は五重の隔離路の奥。
外から簡単に到達できない。
「分かった。残せ」
「ありがとう」
「ただし、倒れそうなら支える」
「うん」
グズが、枯れた幹の周囲へ泥を寄せる。
固めすぎない。
根を塞がないように。
幹が倒れない程度の、小さな支え。
「グズ、上手」
「グズ!」
ハイハネの霧が、若い芽の葉を乾かさないように薄く流れる。
カゲヌイの影が、苗床の周囲へ細い日陰を作る。
湿骨王列は、少し離れた場所へ白い骨の柵を組んだ。
赤金果守ゴブリンたちは、その外側へ小さな札を立てる。
⸻
さわるな。
ふむな。
ひっぱるな。
たべるな。
⸻
最後の一文だけ、文字が大きかった。
ルオが札を見る。
「オレ向け?」
「たぶん」
フィルエが答えた。
「食べないって!」
「念のためだ」
「ロードまで!」
◇
夜。
白骨書記が、今日の記録をまとめた。
⸻
《エリラの芽・成長記録》
発芽後七日。
高さ:四十一・二センチメートル。
葉:八枚。
根:
戻り水脈へ接続。
白磁根脈へ接続。
旧エリラの木の枯死根へ接触。
異常:
なし。
備考:
旧根を破壊せず、沿う形で成長中。
⸻
《エリラの実・完全保管数》
百四十個。
⸻
《赫月の晩餐・遺留品》
調査継続。
生体拘束具:解析後に破壊予定。
SSランク人外核残滓:封印保存。
他者名義の冒険者証:十一枚。
詳細不明。
⸻
《外部状況》
赫月の晩餐、所在不明扱い。
正式救助隊の派遣予定なし。
赤金の奇跡果に関する噂は継続。
今後、高位侵入者の増加に注意。
⸻
余は、一つずつ確認した。
百四十個の実。
有限。
一つの芽。
まだ小さい。
傷ついた配下。
少しずつ回復中。
ルオとの声の道。
いつでも呼べる。
失ったものは多い。
だが。
今、守るべきものもはっきりしている。
「ロード」
フィルエが、苗床の隣から呼んだ。
「何だ」
「芽、寝るのかな」
「植物が寝るかは知らん」
「葉が少し閉じてる」
見ると。
昼間は広がっていた八枚の葉が、少しだけ内側へ寄っている。
「休んでいるのかもしれないな」
「じゃあ、静かにする」
「ああ」
ルオが声を小さくする。
「また明日な」
ガルザヴェインも、低く言った。
「オヤスミ」
赤金果守ゴブリンたちも。
「ギ……」
小さな声で鳴いた。
余も、白い部屋から苗床を見る。
「おやすみ」
返事はない。
だが。
新しい芽の細い根は、眠る間も。
死んだ木の根に支えられながら。
少しずつ、土の奥へ伸び続けていた。




