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第233話 小さな種は、土の中で生きている

 種を植えた次の朝。


 フィルエは、命の苗床いのちのなえどこの隣で眠っていた。


 柔らかな土へ片手を置いたまま。


 赤金果守あかがねかもりゴブリンたちも、その周囲で丸くなっている。


 見張りを交代でするつもりだったらしい。


 だが、三体とも眠っていた。


 昨夜は誰もまともに休んでいない。


 仕方ない。


 余は、白い部屋から苗床を見続けていた。


 眠る必要はない。


 目を離す理由もなかった。


 土の中にある金色の核は、昨夜一度だけ脈打った。


 それからは、何の変化もない。


 芽は出ていない。


 根も確認できない。


 光も見えない。


 ただ、微弱な生命反応だけが残っている。


「管理音声」


《はい》


「変化は」


《ありません》


「生命反応は」


《維持されています》


「弱まってはいないな」


《はい》


「ならよい」


 本当は、よくない。


 今すぐ芽を出してほしい。


 枯れたエリラの木の代わりに、赤金色の幹を伸ばしてほしい。


 明日にでも、また百個以上の実を生らせてほしい。


 だが、そんな都合のよいことが起きるとは限らない。


 この核が種であることすら、まだ確定していない。


 同じ木になる保証もない。


 だから、待つ。


 待つしかない。


    ◇


 フィルエが目を開けた。


 最初に、自分の手の下にある土を見る。


 次に、枯れたエリラの木を見上げた。


「……朝?」


「ああ」


「種は?」


「生きている」


 フィルエが、少しだけ顔を上げた。


「本当?」


「ああ。昨夜、一度だけ脈打った」


「どうして起こしてくれなかったの?」


「寝ていたからだ」


「見たかった」


「また動くかもしれない」


「動かなかったら?」


「昨夜の分は余が覚えている」


 フィルエは少し不満そうだった。


 だが、怒りはしなかった。


 土の上へ両手を置く。


 目を閉じる。


「……何か分かるか」


「小さい」


「何が」


「命」


 フィルエは、土へ顔を近づけた。


「すごく小さいけど、いる」


 管理音声の解析と同じだ。


 だが、フィルエが言うと、少しだけ安心できた。


「おはよう」


 彼女は、土へ向けて言った。


 返事はない。


「まだ起きなくていいよ」


 フィルエの声は、優しかった。


「ゆっくりでいいから、生きてて」


 土の中で。


 金色の核が、ほんのわずかに明滅した。


《生命反応、一時上昇》


「今!」


「うん」


「反応したな!」


「した」


 フィルエの顔に、小さな笑みが浮かぶ。


「私の声、聞こえたのかな」


《因果関係は不明です》


「今は黙っていろ、管理音声!」


《はい》


 聞こえたかもしれない。


 偶然かもしれない。


 どちらでもよい。


 少なくとも、土の中の命は消えていない。


    ◇


「ロード」


 覇王練兵窟から、低い声が届いた。


「ガルザヴェイン?」


「ウン」


「起きたのか」


「ウン」


「まだ寝ていろ」


「モウ、イチニチ」


「一日寝たから起きてよい、と誰が言った」


「管理音声」


《私は許可していません》


「チガッタ」


「嘘をつくな」


 壁面を切り替える。


 ガルザヴェインは、ゆっくりと体を起こしていた。


 外傷は、ほとんど治っている。


 エリラの実を八個も使ったのだ。


 砕けた肩。


 裂かれた胸。


 何度も開いた脇腹。


 見た目だけなら、以前と変わらない。


 だが、立ち上がろうとした瞬間。


 黒い魔力が、胸の奥で乱れた。


「グ……!」


 片膝が床へつく。


「だから言っただろう!」


「タテナイ」


「今さら気づいたのか!」


《内部魔力経路、回復率六十二パーセント》


《精神核疲労、継続》


「今日も戦闘禁止だ」


「クミテモ?」


「戦闘だ!」


「アルクノハ?」


「少しならよい」


 ガルザヴェインは、もう一度立とうとした。


 今度は、拳を壁へつく。


 ゆっくり。


 無理に魔力を流さず。


 時間をかけて、両足で立った。


 ふらついてはいる。


 だが、立てた。


「ロード」


「何だ」


「タッタ」


「見れば分かる」


「ホメテ」


「なぜだ!」


 フィルエが苗床の前から言う。


「ガルザヴェイン、偉い」


「ウン」


 満足そうだった。


 余の言葉より、フィルエに褒められた方が嬉しいらしい。


 腹立たしい。


 だが、生きて立っている。


 それだけで、今日は許す。


    ◇


 ガルザヴェインは、グズの泥分体に支えられながら苗床へ来た。


「グズ」


 黒泥が、ガルザヴェインの片脚を包むように支えている。


「助かっているぞ、グズ」


「グズ!」


 誇らしげに泥が盛り上がった。


 苗床の前へ着くと、ガルザヴェインはゆっくりしゃがんだ。


 大きな拳を土へ近づける。


「触る時は優しく」


 フィルエが言う。


「ワカッタ」


「本当に?」


「ヤサシク」


 拳を開く。


 黒く太い指先を、土の表面へそっと置いた。


 普段なら、床を砕く手だ。


 今日は、土を少しもへこませなかった。


「チイサイ」


「ああ」


「エリラ?」


「まだ分からない」


「ソウカ」


 ガルザヴェインは、しばらく土を見つめた。


「オレ、マモル」


「無理をして一人で守るな」


「ミンナデ」


「ああ」


「ロードモ」


「当然だ」


 金色の核が、土の中でまた一度だけ脈打った。


《生命反応、一時上昇》


 ガルザヴェインの金色の目が、少し大きくなる。


「キイタ」


「たぶん」


「オレノ、コエ、キイタ」


「まだ断定はできん」


「キイタ」


「……そういうことにしておこう」


 魔神覇王は、満足そうに頷いた。


    ◇


『ロード』


 頭の中ではない。


 迷宮核へ繋がった、細い声の道から呼びかけが届いた。


 ルオだ。


「何だ」


『フィルエ起きた?』


「起きている」


『傷は?』


「ほとんど治った」


『ガルザヴェインは?』


「今、苗床の前にいる」


『もう立ってんのかよ』


「歩くだけだ。戦闘は禁止している」


『ちゃんと見張っとけよ。あいつ絶対、隠れて訓練するぞ』


「お前に言われたくない!」


 フィルエが首を傾げる。


「ルオ?」


「ああ」


「何て?」


「お前の傷を気にしている」


 フィルエは少し考えた。


「もう大丈夫って伝えて」


「聞こえたか、ルオ」


『聞こえねえよ。契約してるの、ロードとオレだけだろ』


「そうだったな」


『ロードが伝えろよ』


「フィルエは、もう大丈夫だと言っている」


 声の向こうで、ルオが長く息を吐いた。


『そっか』


「ああ」


『種は?』


「昨夜一度。今朝、フィルエとガルザヴェインが声をかけた時にも反応した」


『じゃあ生きてるんだな!』


「まだ芽は出ていない」


『生きてるならいいだろ』


 簡単に言う。


 だが、今はその簡単さがありがたかった。


『今から行く』


「来るな」


『何でだよ!』


「お前も休め」


『もう治ったって』


「昨日、翼の根元が痛いと言っていただろう」


『もうちょっとしか痛くない』


「痛いのだな」


『ちょっとだけ』


「今日は飛ぶな」


『歩いて行く』


「屁理屈を言うな!」


 フィルエが小さく笑った。


「明日ならいいって伝えて」


「フィルエが、明日ならよいと言っている」


『じゃあ明日行く!』


「決めるのは余だ!」


『フィルエがいいって言ったぞ』


「ここは余の迷宮だ!」


『じゃあロードもいいって言え』


「……明日だぞ」


『おう!』


 完全にフィルエへ負けた気がする。


    ◇


 治療と弔いだけでは終われない。


 余は、白い部屋へ意識を戻した。


「管理音声。ソウル記録を出せ」


《表示します》



《直近二戦闘・追加獲得ソウル》


三十五名侵入者戦:1,427,000。


赫月の晩餐戦:4,390,000。


合計:5,817,000。


《使用済み》


命の苗床形成:1,400,000。


《未使用追加分》


4,417,000。



「改修へ使う」


《項目を指定してください》


 今回。


 余は、配下を守るために道を開いた。


 判断そのものが間違っていたとは思わない。


 あの時、配下を向かわせれば。


 グズも。


 ハイハネも。


 カゲヌイも。


 湿骨王列も。


 霧喰い刃ゴブリンも。


 さらに多く死んでいた。


 だが。


 退かせた後の備えが足りなかった。


 フィルエを安全な場所へ強制的に移す手段。


 敵が深部へ入った時、戦わず隔離する構造。


 ルオへ、すぐ声を届ける繋がり。


 最後の切り札へ頼らなくて済む仕組み。


 全てが足りなかった。


「項目を記録しろ」


 白骨書記が骨筆を構えた。



《赫月の晩餐戦後・再建計画》


一、非戦闘配下専用の完全退避室。


 入口はロード側からのみ開閉可能。

 外部から位置を探知できない。

 赤金果守、補修係、負傷配下を優先収容。


必要ソウル:600,000。


二、外部命令および偽声への防壁強化。


 黒冠隷命、魅了、洗脳、恐怖、音による命令を遮断。

 ロード、マネ、ガルザヴェインの声を照合。


必要ソウル:700,000。


三、命の苗床・五重防衛。


 苗床そのものを移動させず、周囲の通路だけを入れ替える。

 敵が直進しても、苗床へ到達しない構造を形成。


必要ソウル:800,000。


四、深部隔離路。


 撃破不能な侵入者へ宝や素材を渡す場合でも、フィルエおよび配下と接触させない。

 受け渡し区画と、生活区画を完全分離。


必要ソウル:1,000,000。


五、傷ついた配下の回復区画および再訓練場。


 殺し合いを強いられた配下、恐怖を残す配下のための休息区画を設置。


必要ソウル:400,000。


合計:3,500,000。



《実行後残存追加分:917,000》


「承認する」


《3,500,000ソウルを消費します》


 白い迷宮が、低く震え始めた。


    ◇


 最初に生まれたのは、非戦闘配下の退避室だった。


 ただの隠し部屋ではない。


 余が開けなければ、外からは入口そのものが存在しない。


 赤金果守ゴブリンたちが、中を覗く。


 白い床。


 小さな寝床。


 実の保存箱。


 補修道具。


 戻り水。


「ギギッ」


「次に敵が来た時は、ここへ入れ」


 ゴブリンたちが顔を見合わせる。


「木や実より先にだ」


「ギ……?」


「命が先だ」


 以前、フィルエが教えた言葉。


 実は戻る。


 配下は戻らない。


 今は木すら戻らなかった。


 だからこそ。


 もう迷わない。


「実を置いてでも逃げろ」


 赤金果守ゴブリンたちは、ゆっくり頷いた。


    ◇


 命の苗床の周囲には、五本の防衛路が作られた。


 見た目には、全部同じ。


 だが、四本は偽物。


 歩けば別の区画へ戻される。


 本物の道は、フィルエ、ガルザヴェイン、余の三つの反応が揃わなければ開かない。


 ルオは契約者ではあるが、鍵にはしない。


 勝手に果物を探して苗床へ走り込む可能性があるからだ。


『今、何か失礼なこと考えた?』


 声の道から、突然ルオが聞いた。


「なぜ分かる!」


『何となく』


「思考は共有されない契約のはずだぞ!」


《思考共有は発生していません》


『じゃあ、ロードが分かりやすいんだろ』


「うるさい!」


 契約を結んだことを、少しだけ後悔した。


 少しだけだ。


    ◇


 深部隔離路も作られた。


 今後。


 勝てない敵が来た場合。


 どうしても素材を渡して帰すしかない場合。


 フィルエも。


 配下も。


 本物の生活区画も。


 相手から見えない場所に置く。


 受け渡しだけをする、空の白い部屋。


 そこへ、必要最低限の物だけを運ぶ。


「今回も、これがあれば」


 フィルエが言った。


「ああ」


「私、木の前にいなくてよかった」


「ああ」


「実を全部取るって言われたら?」


 余は少し黙った。


「その時は、ルオを呼ぶ」


『呼べ!』


 契約の向こうから、大声が来た。


「聞いていたのか!」


『ずっと繋がってるからな』


「会話を終えたのではなかったのか!」


『聞くだけ聞いてた』


「盗み聞きではないか!」


『契約切ってないロードが悪い』


「どうやって一時的に閉じるのだ!」


《声繋ぎ契約には、会話遮断機能があります》


「先に言え!」


 管理音声が、今さら機能を説明し始める。


 非常に腹立たしい。


 だが。


 次は呼べる。


 その事実だけは、変わらない。


    ◇


 再建が一段落した後。


 余は、最深部のさらに奥へ意識を向けた。


 ヴェルグレイヴ。


 最後の切り札。


 フィルエが連れ去られようとしても。


 ガルザヴェインが倒れても。


 エリラの木が枯れても。


 何の反応も示さなかった存在。


「ヴェルグレイヴ」


 呼ぶ。


 返事はない。


「聞こえているか」


 静寂。


 管理音声へ問う。


「反応は」


《ありません》


「覚醒条件は」


《不明》


「調べられないのか」


《現在の権限では、完全解析不能》


 余は、しばらく闇を見た。


 怒りはある。


 今も。


 だが、怒鳴っても起きない。


 頼んでも起きない。


 なら。


「対外防衛計画から外せ」


《ヴェルグレイヴを、ですか》


「ああ」


 最後の切り札。


 そう呼んでいた。


 だが、必要な時に使えないものは、切り札ではない。


「起きる条件が分かるまで、戦力として数えるな」


《承知しました》


「目覚めた時に、改めて考える」


 余は、闇から意識を離した。


 次は。


 起きるかどうかも分からない存在へ、フィルエの命を預けない。


    ◇


 夕方。


 フィルエとガルザヴェインは、再び命の苗床の前にいた。


 ガルザヴェインはグズに支えられている。


 フィルエは、苗床へ少しだけ戻り水を与えた。


「多すぎないか」


「これくらい」


「根腐れしないか」


「まだ根があるかも分からない」


「なら少なめに」


「ロード、心配しすぎ」


「神級素材かもしれない種だぞ!」


「だから私が見てる」


 以前。


 エリラの木の管理を任せた時と同じ会話だった。


 少しだけ、胸が軽くなる。


「今日も、声をかける?」


 フィルエが聞く。


「ああ」


 ガルザヴェインも頷く。


「ウン」


 フィルエが土へ手を置く。


「今日も生きててくれて、ありがとう」


 ガルザヴェインも、大きな手を隣へ置く。


「オレ、マモル」


 余も、白い部屋から苗床へ声を届けた。


「急がなくてよい」


 土は静かなまま。


「芽が出なくても、今はよい」


 変化はない。


「ただ、生きていろ」


 一呼吸。


 二呼吸。


 何も起きない。


 フィルエが、それでも優しく土を撫でた。


「また明日」


 全員が離れかけた時。


《微弱変化》


「何だ!」


 フィルエがすぐに戻る。


「芽?」


《地表に変化なし》


「では何だ」


《土中を確認》


 壁面に、苗床の内部が映し出される。


 金色の核。


 その下側。


 昨日までは何もなかった場所に。


 白く細いものが、一筋だけ伸びていた。


「これは……」


《微小な根と推定》


「根?」


 フィルエの声が震える。


「根が出たの?」


《はい》


 小さい。


 髪の毛より少し太い程度。


 ほんのわずか。


 土の中へ伸びただけ。


 まだ芽はない。


 エリラの木になるとも限らない。


 それでも。


 種は、眠っているだけではなかった。


 土の中で。


 確かに、次へ向かって動き始めていた。


「ロード」


 フィルエが笑う。


「ああ」


「ガルザヴェイン」


「ウン」


「根が出た」


「ヨカッタ」


 赤金果守ゴブリンたちも集まってくる。


「ギギッ!」


「騒ぐな。まだ小さい」


「ギギッ」


「踏むなよ!」


 三体が一斉に後ろへ下がった。


 フィルエが笑う。


 ガルザヴェインも、ほんの少しだけ口元を動かした。


 余も。


 笑ったつもりになった。


 枯れた木は戻らない。


 死んだ配下も戻らない。


 昨日までと同じ迷宮には、もう戻れない。


 だが。


 戻れないことと。


 先へ進めないことは、同じではない。


 小さな種は。


 誰にも見えない土の中で。


 最初の根を伸ばしていた。

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