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第231話 ロードの声は、龍神の子へ届く

 レオルド・ヴァンゼルの体が、白い床へ崩れ落ちた。


 赤い結晶となっていた皮膚が砕ける。


 人間の限界を踏み越えて作り直された骨も、肉も、魔力も、内側から光の粒となって消えていった。


《SSランク相当個体、レオルド・ヴァンゼル死亡》


《ソウル獲得:2,080,000》


《赫月の晩餐かくげつのばんさん、全員死亡》


《今回戦闘総獲得ソウル:4,390,000》


 莫大なソウルが、迷宮核へ流れ込んでくる。


 一人で二百八万。


 Sランク四人を合わせれば、四百三十九万。


 迷宮を何度も大きく作り替えられるほどの量だった。


 だが、余は喜べなかった。


 白い床には、ルオの血が落ちている。


 白磁壁の内側では、フィルエとガルザヴェインが重傷を負っている。


 そして。


 エリラの木は、灰色の葉を落とし続けていた。


「ルオ」


 余は呼んだ。


 白銀の龍爪を持つ少年が、ゆっくりと振り返る。


「何だ」


「もう戦わなくていい」


「……うん」


「壁を開ける」


 余は、フィルエとガルザヴェインを囲んでいた白磁壁を解いた。


 何層にも重ねた壁が、左右へ沈んでいく。


 最初に見えたのは、フィルエだった。


 腫れた頬。


 血に濡れた口元。


 焼けた手。


 曲がった指。


 切られた脚。


 息をするたび、胸が小さく震えている。


 その隣には、ガルザヴェイン。


 胸も、肩も、脇腹も傷だらけ。


 覇王化したばかりの魔力の流れも乱れ、起き上がる力すら残っていない。


 ルオの体から、龍の部分が少しずつ消えていった。


 顎が人間の少年へ戻る。


 両脚を覆っていた白銀の鱗が薄くなる。


 龍尾も消える。


 最後まで残っていた両翼も、光となって背中へ沈んだ。


 だが、傷は残っている。


 腹には深い斬り傷。


 両腕の鱗は裂け、血が流れている。


 右翼を斬られた痕も、背中へ赤く残っていた。


 それでもルオは、自分の傷を見ようともしなかった。


 フィルエのそばへ膝をつく。


「フィルエ」


 フィルエのまぶたが、少しだけ動いた。


「……ルオ」


「終わった」


「みんな……?」


「あいつらなら、全員殺した」


 ルオの声には、まだ冷たいものが残っていた。


 だが、フィルエへ向ける声だけは柔らかい。


「もう連れていかれない」


「ガルザヴェインは……?」


「生きてる」


 ガルザヴェインの指が、わずかに動いた。


「ルオ……」


「おう」


「カッタ?」


「勝ったぞ」


「ソウカ」


 ガルザヴェインの金色の目が、少しだけ細くなる。


「ヨカッタ」


「何がよかっただ。お前もひどい傷じゃねえか」


「フィルエ、イル」


「いる」


「エリラ……」


 その言葉で、全員の視線が木へ向いた。


    ◇


 エリラの木は、もう赤金色ではなかった。


 幹から光が消えている。


 赤かった葉は灰色へ変わり、一枚ずつ白い床へ落ちていた。


 金色だった葉の裏側も、今はくすんでいる。


 枝に実はない。


 一つも。


「管理音声」


《はい》


「木の状態を出せ」


《エリラの木、結実維持条件を喪失》


枯死こし反応、継続》


「止められるか」


《現在の迷宮機能では不可能です》


「実を戻せば」


《一度採取された実を、枝へ戻すことはできません》


「果汁を与えれば」


《効果不明》


「ソウルを使えば」


《対象は通常の迷宮生成物ではありません》


《直接修復は不可能です》


「……そうか」


 余の声が、白い部屋へ落ちた。


 実は取り返した。


 だが、間に合わなかった。


 最後の一個が枝から離れた時点で、木は枯れ始めた。


 フィルエが、傷ついた手を床へつく。


 木の方へ這おうとした。


「動くな」


「木のところに……」


「今のお前は動くな!」


「でも……」


「先に治す」


 余は、ドグルが残した巨大な空間収納具を開いた。


 暗い空間の中から、赤金色の実が次々と現れる。


《収納内、エリラの実:185個》


《侵入者による消費:2個》


《戦闘前結実数との照合:一致》


 百八十五個。


 レオルドとガストが一つずつ食べた。


 残る全ては取り返した。


「赤金果守!」


 避難区画に隠れていたゴブリンたちが走ってくる。


「ギギッ!」


 傷ついたフィルエを見て、一斉に足を止めた。


 次に、枯れていく木を見る。


「ギ……」


 小さな声。


 だが、今は立ち止まらせていられない。


「実を運べ。フィルエ、ガルザヴェイン、ルオ、それから負傷した配下全員へ」


「ギギッ!」


「数を惜しむな」


 赤金果守ゴブリンたちが、実を両腕へ抱える。


「木は枯れた」


 口にすると、胸を抉られるようだった。


「だからこそ、残った実は命のために使う」


    ◇


 フィルエには、熟した実を潰して果汁を飲ませた。


 一つ。


 二つ。


 三つ。


 赤金色の光が、傷ついた体を包んでいく。


 曲がっていた指が、少しずつ元の形へ戻る。


 焼けた皮膚が新しく生まれる。


 切られた脚の傷が塞がる。


 折れていた肋骨も、内側でゆっくり繋がり始めた。


《フィルエ、生命反応上昇》


《外傷回復中》


 四つ目を食べたところで、フィルエの呼吸が安定した。


「もう一つだ」


「他の子たちに……」


「お前が先だ」


「でも」


「余の命令だ」


 フィルエは少しだけ迷った。


 それから、五つ目を受け取った。


 今度は逆らわなかった。


 ガルザヴェインには、さらに多く使った。


 三つ。


 五つ。


 八つ。


 傷は塞がる。


 砕けた右肩も、少しずつ形を取り戻す。


 だが、立ち上がれない。


「なぜだ」


《外傷の多くは回復》


《ただし、内部魔力経路の損傷および覇王化直後の精神核消耗は継続》


《休息が必要です》


「ドレクライ」


 ガルザヴェインが聞く。


《現状態では、最低一日》


「ナガイ」


「一日くらい寝ろ!」


「デモ、ルオト、クミテ」


「しばらく禁止だ」


「エッ」


 ガルザヴェインが、ルオを見る。


 ルオも自分の腹を押さえながら言った。


「オレも今日は無理だ」


「アシタ」


「お前は一日休むんだろ」


「アサ、オワル」


「一日を朝だけで終わらせるな」


 少しだけ。


 本当に少しだけ。


 いつもの空気が戻った。


 そのことに、余は救われた。


    ◇


「ルオ、お前も食え」


 余が言う。


「後でいい」


「今だ」


「オレは平気だって」


《腹部に深部損傷》


《両腕に龍鱗損傷》


《背部に翼根損傷》


「平気ではないそうだ」


「管理音声、余計なこと言うなよ」


《事実です》


「食え」


「……分かったよ」


 ルオは、フィルエが差し出した実を受け取った。


 フィルエは、まだ完全には起き上がれない。


 それでも、自分で選んだ実だった。


「これ、熟してる」


「見れば分かるのか?」


「管理してたから」


 過去形のように聞こえた。


 フィルエ自身も気づいたのか、目を伏せる。


 ルオは何も言わず、その実をかじった。


 一つ。


 二つ。


 三つ。


 いつもなら、


「うまっ!」


 と大声を出す。


 今日は静かに食べた。


 赤金色の光が腹の傷へ集まり、裂けた肉を繋いでいく。


 両腕の傷も塞がる。


 背中へ残っていた翼の傷も、少しずつ薄くなった。


「まだ痛いか?」


 フィルエが聞く。


「ちょっと」


「もう一つ食べる?」


「食べる」


「素直だな」


 余が言うと、ルオは少しだけ眉を上げた。


「フィルエがくれるからな」


「余が命じても食べなかったくせに」


「ロードはうるさいから」


「誰のために言っていると思っている!」


 フィルエが、ほんの少しだけ笑った。


 腫れが引き始めた顔に、小さな笑み。


 それを見たルオの肩から、ようやく力が抜けた。


    ◇


 傷ついた配下たちにも、エリラの実が分けられた。


 霧喰い刃ゴブリン。


 グズ。


 ハイハネ。


 カゲヌイ。


 湿骨王列。


 黒冠軍戦から続けて傷を抱えていた者たち。


 果汁を薄くしない。


 今は惜しまない。


 必要な分だけ使う。


 傷が塞がるたびに、小さな声が戻ってくる。


「ギギッ」


「グズ」


 ふぁさ。


 影糸が、白い床を細く走る。


 骨が、ゆっくり組み直される。


 だが、死んだ配下は戻らない。


 三十五人との戦いで死んだ霧喰い刃ゴブリン。


 赫月の晩餐に、反応を見るためだけに痛めつけられて殺された一体。


 実を食べても。


 ソウルを使っても。


 戻らない。


 余は、その事実を忘れなかった。


「白骨書記」


 白骨書記が、骨筆を持って現れる。


「名誉記録を開け」


 新しい骨板が置かれる。


「先の三十五人との戦いで死んだ者たち。赫月の晩餐に殺された者。全て記録しろ」


 骨筆が止まる。


 名前を持っていない配下もいる。


「個体記録から区別しろ。余が後で名を決める」


 骨筆が動き始めた。


 忘れない。


 数として処理しない。


 黒冠軍戦で、そう決めた。


    ◇


 治療が一段落すると、フィルエはエリラの木の前へ向かった。


 余は止めなかった。


 今度は、ルオが肩を貸している。


 ガルザヴェインは動けないため、赤金果守ゴブリンたちが彼のそばに残った。


 フィルエは、灰色になった幹へ手を触れる。


 返事はない。


 以前なら。


 彼女が触れれば、赤い葉が少し揺れた。


 実の香りがわずかに強くなった。


 木が喜んでいると、フィルエは言っていた。


 今は、何もない。


「……ごめんね」


 フィルエが言った。


「守れなかった」


「違う」


 余は即座に否定した。


「守れなかったのは余だ」


「ロードは、皆を下がらせた」


「その道を開けた結果がこれだ」


「出してたら、皆死んだ」


「それでも、お前まで傷つけられた」


「私が勝手に出たから」


「出るような状況を作ったのは余だ!」


 声が大きくなる。


 フィルエが、ゆっくりこちらを向いた。


 もちろん、余の姿は見えない。


 それでも、白い部屋を見ているように感じた。


「ロード」


「何だ」


「誰が一番悪い?」


 答えは決まっている。


「赫月の晩餐だ」


「うん」


「だが――」


「なら、それでいい」


「よくない!」


「ロードが道を開けたのは、皆を守るため」


「結果として木を失った」


「私が出たのは、木を守りたかったから」


「結果としてお前が傷ついた」


「ガルザヴェインが出たのは、私たちを守りたかったから」


「結果として倒された」


「ルオが戦ったのは、助けたかったから」


「……」


「皆、守ろうとした」


 フィルエは、灰色の幹へ手を置いたまま言った。


「悪いのは、守ろうとした人じゃない」


 余は、何も言えなかった。


 ルオが、フィルエの隣で頷く。


「そうだぞ」


「お前まで」


「悪いのは、あいつらだ」


 ルオの声が低くなる。


「もう殺したけど」


 その言葉には、後悔がなかった。


 余も、あいつらの死を惜しまない。


「……分かった」


 完全に納得したわけではない。


 自分を許せたわけでもない。


 だが。


 今、余が自分を責め続ければ。


 フィルエにも、自分を責め続けさせることになる。


「悪いのは、あいつらだ」


 余は、もう一度言った。


「ああ」


 ルオが答える。


「絶対そうだ」


    ◇


 しばらくして、フィルエは枯れた木の根元へ、エリラの実を一つ置いた。


「戻らないぞ」


「分かってる」


「今の実は有限だ」


「うん」


「それでも置くのか」


「この木の分だから」


 余は止めなかった。


 百八十四個になった。


 いや、治療に使った分を引けば、もっと少ない。


 もう翌日には増えない。


 だからこそ、一つの重みが以前とは違う。


 フィルエは、その一つを木へ返した。


 枝には戻らない。


 命も戻らない。


 ただ、根元に置く。


 弔いのように。


    ◇


 夜。


 ルオは、枯れた木の近くで座っていた。


 いつものように果実を食べてはいない。


 フィルエは治療区画で眠っている。


 ガルザヴェインも。


 配下たちも、ほとんどが休んでいる。


 余は、白い部屋からルオを見ていた。


「ルオ」


「何だ」


「一つ聞く」


「うん」


「なぜ、あれほど怒った」


 ルオが黙る。


 答えたくないなら、それでいいと思った。


 だが、少しして。


 彼は自分の膝へ目を落としたまま言った。


「昔」


「ああ」


「母さんが殺された」


 余は、何も挟まなかった。


「魔王に」


 その言葉だけで、黒冠軍との関係を推測しそうになる。


 だが、余は知らない。


 ルオの言う魔王が、今の黒冠軍と同じ存在に仕えているのか。


 別の時代の魔王なのか。


 同じ人物なのか。


 何一つ分からない。


 だから聞かない。


「フィルエ見た時、思い出した」


 ルオの手が、わずかに震えた。


「血だらけで」


 声がかすれる。


「動かなくて」


「……そうか」


「また間に合わなかったって思った」


「今回は間に合った」


「でも、遅かった」


「遅くない」


「木は枯れた」


「フィルエは生きている」


「ガルザヴェインも、あんなに傷ついた」


「生きている」


「もっと早ければ」


「余には、お前を呼べなかった」


 ルオが顔を上げる。


「何で?」


「繋がりがないからだ」


「迷宮の中なら、話せるだろ」


「外にいるお前へは届かん」


「じゃあ、作ればいい」


 あまりにも簡単に言った。


「何を」


「繋がり」


「以前、契約は嫌だと言っただろう」


「配下になる契約は嫌だ」


 ルオは言う。


「ロードの命令を聞くのも嫌だ」


「そこは少しくらい聞け」


「内容による」


「腹立たしいな」


 少しだけ、いつものルオだった。


 だが、すぐに真剣な顔へ戻る。


「声だけならいい」


「声だけ?」


「どこにいても、ロードがオレを呼べるようにする」


「……」


「オレも返事する」


「命令権は」


「なし」


「強制召喚は」


「なし」


「余がお前の居場所を見ることは」


「それも嫌だ」


「注文が多い!」


「でも、呼ばれたら聞こえる」


 ルオは、治療区画の方を見た。


「次にフィルエが危ない時、すぐ呼べ」


「お前へ命令できなくても?」


「行くかどうかはオレが決める」


「なら、来ない可能性もあるのか」


「フィルエが危ないなら行く」


「ガルザヴェインなら」


「行く」


「余なら」


 ルオが少し考えた。


「……なるべく」


「なぜそこだけ間がある!」


 治療区画の奥で、フィルエが小さく笑った気配がした。


 起きているのか。


 余は少しだけ安心した。


    ◇


「管理音声」


《はい》


「声だけを繋ぐ契約は可能か」


《解析します》


 少し間があった。


《限定契約であれば可能です》


「内容を出せ」



《声繋ぎの契約こえつなぎのけいやく


契約者:


霧灰白庭迷宮ロード。

ルオ・ゼルファニア。


効果:


・距離に関係なく、相互に声を届ける。

・双方の意思がある場合のみ会話成立。

・命令権なし。

・主従関係なし。

・強制召喚なし。

・位置追跡なし。

・思考および記憶の共有なし。

・契約者は、呼びかけを拒否可能。



「これならどうだ」


「いいぞ」


「本当にいいのか」


「うん」


「親父に怒られないか」


 ルオが少し考える。


「配下契約じゃないし、多分大丈夫」


「多分か」


「怒られたら、ロードのせいにする」


「やめろ!」


 だが。


 これがあれば。


 今日のように、偶然を待たなくていい。


 フィルエが危険になった瞬間。


 ガルザヴェインが倒れた瞬間。


 迷宮の手に負えない敵が来た瞬間。


 ルオへ声を届けられる。


 来るかどうかを決めるのは、ルオだ。


 それでも。


 呼べないより、遥かにいい。


「契約する」


 余は言った。


「オレも」


    ◇


 ルオが、自分の右腕へ手を当てた。


 傷の塞がった皮膚から、白銀の鱗が一枚浮かび上がる。


 それを、ゆっくり外した。


「痛くないのか」


「ちょっとだけ」


「なら無理に取るな」


「もう取った」


 ルオは、白銀の鱗を白い床へ置いた。


「これ、使え」


 余は迷宮核から、細い光を伸ばした。


 白い部屋から。


 深部へ。


 枯れた木のそばへ。


 淡い光が、白銀の鱗へ触れる。


《限定契約を開始します》


 鱗が浮かび上がる。


 白銀の光と、迷宮核の白い光が絡み合う。


 支配ではない。


 命令でもない。


 引き寄せる鎖でもない。


 細い一本の道。


 声だけが通る道。


《契約内容を確認》


《主従関係なし》


《命令権なし》


《強制力なし》


《双方承認》


 ルオが頷く。


「承認」


「余も承認する」


《声繋ぎの契約、成立》


 白銀の鱗が、光となって二つに分かれた。


 一つは、ルオの胸元へ入る。


 もう一つは、白い部屋にいる余の迷宮核へ溶けた。


 何かが繋がった。


 契約線とは違う。


 フィルエやガルザヴェインとの繋がりより、ずっと細い。


 だが、確かに道がある。


「聞こえるか」


 余が尋ねる。


「ここにいるんだから、普通に聞こえる」


「そうだったな」


「ロード、ちょっと抜けてるよな」


「誰のせいで疲れていると思っている!」


 遠距離で試さなければ意味がない。


 ルオが立ち上がった。


「じゃあ、外行ってくる」


「傷は」


「もう平気」


「本当か」


「フィルエに実もらったから」


「余も与えた!」


「フィルエが選んだやつの方がうまかった」


「同じ木の実だ!」


 ルオは少しだけ笑った。


 その笑顔は、いつものものに近かった。


    ◇


 ルオは、迷宮を出た。


 白い霧を越える。


 森を抜ける。


 さらに遠くへ。


 管理音声が距離を報告する。


《一キロメートル》


《五キロメートル》


《十キロメートル》


「まだ試すな」


《なぜですか》


「もっと遠くで試す」


《承知》


 ルオの気配が、余の通常感知範囲から消える。


 場所は分からない。


 契約の条件通りだ。


 どこへいるのか見えない。


 ただ、細い声の道だけが残っている。


「今だ」


 余は、その道へ意識を向けた。


「ルオ」


 返事はない。


 一瞬。


 二瞬。


 契約に失敗したのか。


 距離が遠すぎるのか。


 不安が膨らみかけた時。


『聞こえてるぞ、ロード』


 ルオの声が、白い部屋へ届いた。


 近くからではない。


 迷宮の外。


 余の感知も、声も届かない遠い場所から。


 それでも、はっきりと。


「成功か」


『成功だな』


「今どこだ」


『教えない』


「契約条件を律儀に守るな!」


『場所を見るなって言っただろ』


「確認しただけだ!」


『で、何かあった?』


「試しただけだ」


『じゃあ切るぞ』


「待て」


『何だよ』


 余は、少しだけ黙った。


「今日は、助かった」


 声の向こうも、少し静かになった。


『……うん』


「礼を言う」


『珍しいな』


「二度と言わんぞ」


『じゃあ、もう一回言って』


「言わん!」


 ルオが、向こうで笑った。


 今度こそ。


 いつもの、お調子者の笑い声だった。


『次からは、こうなる前に呼べよ』


「ああ」


『フィルエが危ない時は、すぐだぞ』


「お前に言われなくても呼ぶ」


『ガルザヴェインの時も』


「ああ」


『ロードの時も……まあ、呼んでいいぞ』


「なぜ余だけ許可制なのだ!」


『うるさいから』


「契約を切るぞ!」


『ロードからは切れないようにした方がよかったな』


「勝手に条件を変えるな!」


 治療区画から、フィルエの小さな笑い声が聞こえた。


 ガルザヴェインも、眠ったまま口元を少しだけ動かした気がする。


 枯れたエリラの木は戻らない。


 死んだ配下も戻らない。


 今日受けた傷も、すぐには消えない。


 それでも。


 余の声は、今。


 白い迷宮の外へ届いた。


 龍神の子へ。


 次に何かが来た時。


 余は、もう偶然を待つだけではない。


「ルオ」


『何だ、ロード』


「またな」


『おう。またな』


 声の道は消えなかった。


 細く。


 だが、確かに。


 白い迷宮と龍神の子を繋ぎ続けていた。

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