表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

221/232

第217話 魔神覇王は、奪われた軍を率いて噛み砕く

 ガルザヴェインが立っていた。


 額に刻まれかけた黒い冠の紋は、砕けている。


 だが、完全には消えていない。


 傷として残っている。


 ゼルヴァン・ギルロアの**黒冠隷命こっかんれいめい**は、ガルザヴェインを兵にすることはできなかった。


 魔神戦王は折れなかった。


 折れず、立ち、進化した。


 今、白い霧の中に立つのは、魔神戦王ではない。


 魔神覇王まじんはおうゴブリン・ガルザヴェイン。


 奪われた配下を呼び戻し、黒冠の命令を押し返した、新たな王だった。


覇王威令はおういれい――帰陣きじん


 ガルザヴェインの声が、迷宮の奥まで響いた。


 それは、従わせる声ではなかった。


 戻れ、という声だった。


 お前たちの陣は黒冠の下ではない。


 ここだ。


 この白い迷宮だ。


 ロードの迷宮だ。


 エリラの木を守る場所だ。


 黒冠に奪われていた魔物たちの額や核から、黒い紋が剥がれていく。


 霧喰いきりくいばゴブリンたちは、刃を落とした。


 ハイハネの霧は、黒冠軍を守る霧から、黒冠軍を包囲する霧へ変わった。


 カゲヌイの影糸は、ガルザヴェインの足元から離れ、敵の影へ向いた。


 グズの黒泥城が、黒冠軍の背後を塞ぎ直す。


 湿骨王列しつこつおうれつの骨橋が崩れ、骨槍が黒冠軍へ向く。


 赤金果守あかがねかもりゴブリンたちは、フィルエのもとへ逃げ戻った。


 そして、マネ。


 余の声を奪われた配下。


 マネは白い壁の奥で震えながら、自分の声を取り戻した。


「ロード……ごめん……」


「謝るな」


 余は即座に言った。


「お前が悪いのではない。奪った奴が悪い」


 マネは震えた。


「声……返す……」


「ああ。返せ」


 マネは、今度は自分の意思で余の声を真似た。


 それは、黒冠に汚された偽命令ではない。


 余の本当の命令を、迷宮全体へ広げるための声だった。


「皆、戻れ。黒冠の命令を捨てろ。余の配下は、余の元へ戻れ」


 白い霧が震えた。


 配下が戻る。


 迷宮が戻る。


 奪われた声が戻る。


 だが、死んだ者は戻らない。


 黒冠隷命に抵抗した霧喰い刃ゴブリン。


 エリラの木へ向かう命令に抗った赤金果守ゴブリン。


 小さな二体は、白い床の上で動かなかった。


 余は、それを見た。


 見て、命じた。


「ガルザヴェイン」


「ロード」


「黒冠軍を殺せ」


 白骨書記の骨筆が止まった。


 フィルエも息を呑んだ。


 だが、余は止まらない。


「一人も逃がすな」


 ゼルヴァン・ギルロア。


 バロウ・ガンド。


 リシェ・ナイトリィ。


 メルゼア・ルーン。


 オルグ・サイア。


 五人全員が、この迷宮の中身を見た。


 ガルザヴェインの進化を見た。


 マネの声を奪った。


 エリラの木へ向かう道を見た。


 黒冠隷命がどこまで通り、どこで破られるかを知った。


 誰一人、外へ返してはならない。


「奴らは余の配下を奪った」


 余の声は冷えていた。


「余の配下に、余の配下を殺させた」


 マネが、壁の奥で小さく震える。


「余の声を汚した」


 白い部屋の空気が、静かに沈んだ。


「だから、殺せ」


 ガルザヴェインは、ゆっくり頷いた。


「ワカッタ」


「ゼルヴァンもだ」


「ウン」


「隊長だからこそ逃がすな。あいつが一番危険だ」


「ワカッタ」


 魔神覇王の拳が黒く燃える。


 その奥に、金色の覇気が揺れた。


「クロカン、ミナ、トメル」


「止めるだけではない」


 余は言った。


「殺せ」


 ガルザヴェインは、低く答えた。


「コロス」


    ◇


 黒冠軍第七牙は、すでに包囲されていた。


 背後はグズの黒泥城。


 左右には湿骨王列の骨槍。


 上にはハイハネの霧。


 足元にはカゲヌイの影糸。


 前には、魔神覇王ガルザヴェイン。


 そして、その周囲には、戻ったばかりの霧喰い刃ゴブリンたちがいた。


 彼らは震えていた。


 怖いのだ。


 自分たちは、ついさっきまで仲間を斬らされていた。


 黒冠の命令に逆らえず、同じ迷宮の配下を殺した。


 だが、それでも刃を拾った。


 震える手で。


 泣きそうな顔で。


 それでも、黒冠軍へ向けた。


「ギ……ギギッ!」


 それは、立派な雄叫びではない。


 けれど、逃げない声だった。


 余は、静かに言った。


「無理に前へ出るな。だが、戦える者は戦え」


 マネが余の声を広げる。


「戦える者は戦え。守れる者は守れ。非戦闘員は下がれ」


 赤金果守ゴブリンたちは、フィルエの後ろへ下がる。


 彼らは戦闘員ではない。


 だが、エリラの実を抱え、木を守る。


 それも戦いだ。


 グズが唸る。


 ハイハネが羽ばたく。


 カゲヌイの影が伸びる。


 湿骨王列が骨槍を並べる。


 霧喰い刃ゴブリンたちが、ガルザヴェインの足元へ集まる。


 もう、ガルザヴェインは一人ではなかった。


 黒冠に奪われた軍が、今度はロードの軍として立っている。


 ゼルヴァンはそれを見て、黒剣を構えた。


「バロウ」


「応」


「正面を受けろ」


「任せろ」


 重甲鬼人バロウ・ガンドが前へ出た。


 大盾はすでに傷だらけ。


 だが、彼は怯まない。


 黒冠軍第七牙の壁として、魔神覇王の前に立つ。


「来い、化け物」


 バロウは笑った。


「隊長には、触らせん」


 ガルザヴェインは、静かに拳を引いた。


 魔神性の黒。


 覇王威の重さ。


 敗北を刻んだ傷の熱。


 それらが拳へ集まる。


 だが、バロウも一人ではない。


 メルゼアが血晶を盾へ流す。


 オルグが骨札を盾の表面へ貼る。


 リシェの影が盾の隙間を埋める。


 ゼルヴァンが黒冠の命令を、バロウの背に薄く重ねる。


 黒冠軍四人分の支援が、バロウの大盾へ集まった。


 同時に、迷宮側も動く。


「グズ!」


 余が命じる。


 黒泥がバロウの足元へ流れる。


 ただ沈めるのではない。


 踏ん張る力を、わずかにずらす。


「ハイハネ!」


 灰霧がバロウの視界を揺らす。


 盾の端が、半歩ずれて見える。


「カゲヌイ!」


 影糸がバロウの盾の影へ絡む。


 盾そのものではなく、盾を構える姿勢を縫う。


「湿骨王列!」


 骨槍が左右から突き出し、バロウの退路を塞ぐ。


 霧喰い刃ゴブリンたちも走った。


 彼らはバロウを倒せない。


 傷すら浅いだろう。


 それでも、盾の留め具へ刃を投げる。


 鎧の関節へ小さな刃を滑り込ませる。


 震えながら、働いた。


 バロウの盾が重くなる。


 視界が揺れる。


 足元がずれる。


 盾の影が引かれる。


 支援が乱れる。


 その瞬間。


覇王拳はおうけん――砕城さいじょう


 ガルザヴェインの拳が突き出された。


 盾と拳がぶつかる。


 一瞬、盾が耐えた。


 バロウの両足が白い床へめり込む。


 筋肉が膨れ、牙が剥き出しになる。


「おおおおおお!」


 だが、盾の留め具が霧喰い刃ゴブリンの刃で裂けた。


 影糸が構えを崩した。


 グズの泥が踏み込みをずらした。


 ハイハネの霧が盾の中心を見誤らせた。


 そして、砕城が入った。


 盾が爆ぜた。


 血晶が粉になる。


 骨札が燃え尽きる。


 影の膜が裂ける。


 拳は、そのままバロウの胸へ届いた。


 重甲が砕ける。


 胸骨が砕ける。


 背中の鎧が内側から膨らみ、割れた。


 バロウの巨体が宙へ浮く。


 彼は一瞬だけ目を見開いた。


 恐怖ではない。


 納得に近い顔だった。


「……重い、な」


 それが最後の言葉だった。


 バロウ・ガンドは白い床へ落ちた。


 二度と動かなかった。


《黒冠軍第七牙、バロウ・ガンド死亡》


《ソウル獲得:460,000》


 濃いソウルが流れ込む。


 戦場で鍛えられた強者の魂。


 重く、硬く、熱い。


 だが、余は喜ばなかった。


 まだ四人いる。


 そして、ゼルヴァンはまだ生きている。


    ◇


 リシェ・ナイトリィが動いた。


 影翼斥候。


 彼女は、バロウの死を見ても足を止めなかった。


 むしろ、その死で生まれた一瞬の隙を使い、影へ沈んだ。


 狙いはガルザヴェインではない。


 マネだ。


 マネが余の声を広げる限り、迷宮側の連携は崩れない。


 だから、声を潰しに来る。


「マネ!」


 フィルエが叫ぶ。


 カゲヌイが動いた。


 影軍縫帥カゲヌイ。


 先ほどまでゼルヴァンに奪われ、ガルザヴェインの足を縫わされていた配下。


 今は、自分の意思で影を伸ばす。


 影と影がぶつかる。


 リシェは速い。


 外の戦場で何度も敵陣へ潜った斥候の動きだ。


 カゲヌイの糸を短剣で切り、影の隙間をすり抜け、マネの隠れる白壁へ迫る。


「声を消す」


 リシェの短刃が黒く光る。


 だが、マネの近くには、霧喰い刃ゴブリンが三体いた。


 小さな体で、壁の前へ立つ。


 リシェの短刃が一体の肩を裂く。


「ギッ!」


 それでも、ゴブリンは下がらなかった。


 二体目がリシェの足へ刃を投げる。


 三体目が影に向かって灰を撒く。


 それはルオが持ってきた外の果物の皮を、カゲヌイの影粉と混ぜた簡単な灰だった。


 戦術としては雑だ。


 だが、影が少し濁った。


 リシェの影潜りが一瞬だけ遅れる。


 その一瞬に、カゲヌイの影糸が足首を縫った。


「っ!」


 リシェは自分の影を切って逃げようとする。


 だが、カゲヌイは怒っていた。


 奪われた怒り。


 仲間を縛らされた怒り。


 その影糸は、足だけではなく、影の退路ごと縫った。


 ガルザヴェインが振り向く。


 そして吠えた。


魔神覇王吼まじんはおうこう


 咆哮が白い通路を震わせた。


 ただの音ではない。


 影を震わせる覇王の声。


 リシェの隠れていた影が、霧の中で浮き上がった。


「まずい――」


 リシェが短く呟く。


 ガルザヴェインが踏み込む。


覇王爪はおうそう――裂軍れつぐん


 爪が横へ走った。


 一人を斬るためだけの爪ではない。


 軍列の継ぎ目、影の道、支援線をまとめて裂く爪。


 リシェは短刃で受けようとした。


 だが、短刃ごと裂かれた。


 影翼が散る。


 黒い羽が白い霧の中へ舞う。


 リシェの体が、白い床へ倒れる。


 彼女は最後に、カゲヌイの影を見た。


「……そっちの影の方が、しつこいね」


 それが最後だった。


《黒冠軍第七牙、リシェ・ナイトリィ死亡》


《ソウル獲得:380,000》


 カゲヌイの影糸が、しばらく彼女の影の残滓を見ていた。


 余は静かに言った。


「よくやった、カゲヌイ。霧喰い刃ゴブリンたちもだ」


 肩を裂かれたゴブリンが、震えながら鳴く。


「ギ……ギギッ」


「怖くても立った。十分だ」


    ◇


 メルゼア・ルーンは、バロウとリシェの死を見ても下がらなかった。


 彼女は血晶瓶を全て開いた。


 赤黒い液体が空中へ浮き、針、杭、壁、鎖へと変わっていく。


 血晶術師。


 戦場で血と鉱石を操る術者。


 その目は、ガルザヴェインだけを見ていなかった。


 配下たちを見ている。


 戻ったばかりの魔物たちを。


 つまり、また仲間を狙ってくる。


「隊長、退路を」


「構築する」


 ゼルヴァンが答える。


 オルグが骨札を展開し始めた。


 メルゼアは頷いた。


「では、私が足止めします」


 声に震えはない。


 恐怖はあるだろう。


 だが、それよりも任務が前にある。


「血晶術――赤軍葬晶せきぐんそうしょう


 赤黒い杭が、無数に広がった。


 狙いはガルザヴェインだけではない。


 霧喰い刃ゴブリン。


 赤金果守ゴブリン。


 ハイハネ。


 カゲヌイ。


 グズの泥核。


 湿骨王列の骨。


 戻ったばかりの配下たちを、同時に狙っている。


「またか」


 余の声が低くなる。


「また、仲間を狙ってガルザヴェインを止める気か」


 だが、今度はガルザヴェイン一人で受けさせない。


「全員、守れ!」


 マネが余の声を広げる。


「全員、守れ!」


 ハイハネが羽を広げる。


 灰霧が赤金果守ゴブリンたちを包む。


 グズの泥が、フィルエとエリラの木の前に厚い壁を作る。


 カゲヌイの影糸が、血晶杭の落下点をずらす。


 湿骨王列が骨の傘を作る。


 霧喰い刃ゴブリンたちは、傷ついた仲間を引きずって後ろへ下がらせる。


 赤金果守ゴブリンたちは、実の袋を抱えて伏せる。


 それぞれが、自分で動いた。


 ガルザヴェインは、それを見た。


 そして、拳ではなく足を上げる。


覇王踏はおうとう――砕陣さいじん


 足が白い床を踏み砕いた。


 衝撃が円となって広がる。


 血晶の杭が空中で軌道を失う。


 赤黒い術式陣が足元から割れる。


 メルゼアの血晶網が、根元から崩れた。


「術式陣を踏み砕く……!」


 メルゼアは血を吐いた。


 だが、まだ終わらない。


 自分の血をさらに流し、最後の血晶をガルザヴェインの胸へ向ける。


 狙いは傷跡。


 アレクの白銀傷。


 六牙帰星の傷。


 ルオの白鱗打ちの痕。


 黒冠隷命の傷。


 そこを貫けば、覇王化したばかりの魔力流を乱せる。


「血晶術――戦傷穿せんしょううがち」


 赤い針が、ガルザヴェインの胸へ飛ぶ。


 ガルザヴェインは避けなかった。


 傷跡が光る。


戦傷覇装せんしょうはそう


 彼の傷が、鎧になった。


 消すのではない。


 隠すのでもない。


 過去に受けた傷を、戦歴としてまとい、防御へ変える。


 血晶の針は、傷を貫くはずだった。


 だが、その傷そのものが、針を噛み砕いた。


 赤い結晶が粉になる。


 メルゼアの目が見開かれる。


「傷を、鎧に……」


 その瞬間、湿骨王列の骨槍がメルゼアの足元を貫いた。


 殺すためではない。


 逃がさないために。


 グズの泥が彼女の足を絡める。


 ハイハネの霧が視界を奪う。


 カゲヌイの影が腕を縫う。


 戻った配下たちが、メルゼアを逃がさない。


 ガルザヴェインは、一歩で間合いを詰めた。


「オマエ、ナカマ、ネラッタ」


 拳が引かれる。


「ユルサナイ」


 覇王拳――破軍はぐん


 拳が、メルゼアの周囲の血晶陣ごと彼女を叩き砕いた。


 赤黒い結晶が一斉に割れ、白い霧へ散る。


 メルゼア・ルーンは、その中で崩れ落ちた。


《黒冠軍第七牙、メルゼア・ルーン死亡》


《ソウル獲得:410,000》


 ソウルが流れ込む。


 ガルザヴェインの傷が、わずかに光った。


 エリラの実の力ではない。


 戦傷覇装が、敵の術を喰ったのだ。


    ◇


 残ったのは、ゼルヴァンとオルグだった。


 オルグ・サイアは、骨札を広げている。


 顔は青白い。


 すでに何枚もの札を使っている。


 退路を作るための札。


 封鎖を避ける札。


 グズの泥を乾かす札。


 カゲヌイの影を切る札。


 残りは少ない。


 それでも、彼は震える指で最後の黒い骨札を取り出した。


「隊長」


 オルグは言った。


「一人分なら、通せます」


 ゼルヴァンは即座に答えた。


「使え」


「私ごとになります」


「任務を果たせ」


 オルグは、ほんの少し笑った。


「承知」


 余は、その会話を聞いた瞬間に叫んだ。


「止めろ! ゼルヴァンを逃がすな!」


 マネが、余の声を迷宮へ広げる。


「ゼルヴァンを逃がすな!」


 グズの泥門が閉じる。


 ハイハネの霧が退路を塗り潰す。


 カゲヌイの影糸が、オルグの足元へ走る。


 湿骨王列が骨門を生やす。


 霧喰い刃ゴブリンたちも走る。


 さっきまで震えていた小さな配下たちが、オルグの骨札へ刃を投げた。


 刃は浅い。


 届かないものも多い。


 だが、何本かが骨札へ当たり、黒い札の表面に傷をつける。


 赤金果守ゴブリンたちも戦えないなりに動いた。


 フィルエの後ろから、エリラの実の皮を粉にした袋を投げる。


 その粉は攻撃ではない。


 だが、命の香りが一瞬だけ骨札の黒い気配を乱した。


 オルグの指が震える。


「小物まで……!」


 オルグが歯を食いしばる。


 それでも、黒い骨札を自分の胸へ突き刺した。


骨符禁術こっぷきんじゅつ――骸路札がいろふだ


 オルグの体が、黒い骨の門へ変わっていく。


 自分自身を退路にする禁術。


 ゼルヴァン一人を外へ出すためだけの、最後の札。


 ガルザヴェインが踏み込む。


「ゼルヴァン!」


 魔神覇王の拳が黒く燃える。


「ニガサナイ!」


 ゼルヴァンは黒剣を構える。


 逃げるだけではない。


 最後まで、ガルザヴェインの力を測ろうとしている。


 黒冠の紋が砕けかけた左手を、まだ前へ出す。


 黒冠隷命の残り火が、ガルザヴェインの覇王威へ触れる。


 だが、もう通らない。


 黒い命令は、覇王威に触れた瞬間、焼けて崩れた。


「もう、キカナイ」


 ガルザヴェインは言った。


 拳が振るわれる。


「覇王拳――砕城!」


 黒い骨門が砕ける。


 オルグの体も砕ける。


 だが、門は一瞬だけ開いた。


 ゼルヴァンの体が黒い骨の隙間へ沈む。


 ガルザヴェインの拳が、ゼルヴァンへ届く。


 完全には届かない。


 だが、左手を掴んだ。


覇王掴はおうづかみ」


 実体だけではない。


 命令線。


 魔力線。


 黒冠の紋。


 その根を掴む技。


 ゼルヴァンの左手に刻まれた黒冠隷命の紋が、悲鳴のように軋んだ。


「ぐ……!」


 ゼルヴァンの顔が歪む。


 ガルザヴェインは、そのまま握り潰そうとする。


 グズの泥が骨門へ絡む。


 ハイハネの霧が穴を塞ぐ。


 カゲヌイの影糸がゼルヴァンの足へ伸びる。


 湿骨王列の骨槍が黒い門の縁を砕く。


 霧喰い刃ゴブリンたちが、ゼルヴァンの影へ刃を投げる。


 全員で、逃がすまいとした。


 だが、オルグの骸路札が最後の力でゼルヴァンを引いた。


 ゼルヴァンは黒剣を振った。


 自分の左手へ。


 指が二本、白い床へ落ちる。


 黒冠の紋が大きく砕ける。


 その代わり、ゼルヴァンの体は骨門の奥へ沈んだ。


「魔神覇王」


 ゼルヴァンは、消える寸前に言った。


「次は、軍で来る」


「来ルナ」


「来る」


「ゼルヴァン!」


 余は叫んだ。


「逃げるな!」


 ゼルヴァンの姿が消えた。


 残されたのは、砕けた骨札と、オルグの崩れた体。


 そして、白い床に落ちたゼルヴァンの指だった。


《黒冠軍第七牙、オルグ・サイア死亡》


《ソウル獲得:350,000》


《ゼルヴァン・ギルロア、外部離脱》


《ゼルヴァン・ギルロア、左手損傷》


《黒冠隷命紋、大規模破損》


 余は、白い部屋で叫んだ。


「逃がした……!」


 殺すつもりだった。


 全員殺すつもりだった。


 だが、ゼルヴァンだけは逃げた。


 部下の命を退路に変えて。


《総獲得ソウル:1,600,000》


 重いソウルが流れ込む。


 四人分。


 全員、三十万を大きく超える濃い魂。


 迷宮にとっては莫大な獲得だ。


 だが、勝利の味はしなかった。


 逃げられた。


 ゼルヴァンに。


 あいつにだけは、逃げられた。


    ◇


 白い霧が、静かに戻る。


 戦場だった通路に、配下たちが集まってくる。


 霧喰い刃ゴブリンたちは、倒れた仲間のそばに膝をついた。


 赤金果守ゴブリンたちは、フィルエの後ろから出てきて、果守りのギギの亡骸を見つめている。


 マネは、声を出せずに震えていた。


 グズの泥が、死んだゴブリンたちのそばを避けるように流れる。


 ハイハネの霧が、そっと血の匂いを薄める。


 カゲヌイの影が、亡骸の上に静かに寄り添う。


 ガルザヴェインは、血まみれだった。


 覇王化したとはいえ、無傷ではない。


 黒冠隷命に食い込まれた額。


 血晶針を受けた肩。


 黒剣に裂かれた脇腹。


 バロウの盾撃を受けた胸。


 それでも、彼は立っている。


 もう膝はついていない。


 魔神覇王は、倒れた仲間たちを見た。


「ギル」


 彼は言った。


「ギギ」


 余がつけた名だ。


 黒冠に抵抗して死んだ霧喰い刃ゴブリン、刃戻りのギル。


 エリラの木への命令に抗って死んだ赤金果守ゴブリン、果守りのギギ。


 ガルザヴェインは、その名を口にした。


「オボエル」


「ああ」


 余は答えた。


「覚えろ」


「ウン」


 フィルエが、エリラの実をいくつか持ってきた。


 今日は制限など考えない。


 フィルエが管理する。


 必要なら使う。


 全部は取らない。


 それでいい。


 傷ついた配下たちへ、薄く切ったエリラの実が分けられる。


 ガルザヴェインにも、いくつか渡された。


 彼は慎重に受け取り、ゆっくり食べた。


「ウマイ」


 いつもと同じ言葉。


 だが、今日は少しだけ重かった。


「ガルザヴェイン」


 フィルエが言う。


「守ってくれてありがとう」


 ガルザヴェインは、しばらく黙った。


 それから、低く答える。


「マモレナカッタ、ナカマ、イル」


「うん」


「デモ、モドシタ」


「うん」


「ツギ、モット、マモル」


 余は頷いた。


「そうだ」


    ◇


 白骨書記が、血の気のない骨筆で台帳を開いた。


 余は、記録を命じた。


「黒冠軍第七牙、侵入」


 書く。


「ゼルヴァン・ギルロア、黒冠隷命により配下を奪取」


 書く。


「マネ、声を奪われる」


 書く。


「霧喰い刃ゴブリン一体、抵抗後に殺害。内部名、刃戻りのギル」


 書く。


「赤金果守ゴブリン一体、抵抗後に殺害。内部名、果守りのギギ」


 書く。


「ガルザヴェイン、魔神覇王へ進化」


 書く。


「新規技、覇王威令・帰陣。支配下配下の復帰に成功」


 書く。


「新規技、覇王拳・砕城。バロウ・ガンドを討伐」


 書く。


「新規技、魔神覇王吼。リシェ・ナイトリィの影潜行を暴く」


 書く。


「新規技、覇王爪・裂軍。リシェ・ナイトリィを討伐」


 書く。


「新規技、覇王踏・砕陣。血晶陣および骨符陣を破壊」


 書く。


「新規技、戦傷覇装。メルゼア・ルーンの血晶術を防ぐ」


 書く。


「新規技、覇王拳・破軍。メルゼア・ルーンを術式ごと粉砕」


 書く。


「新規技、覇王掴み。ゼルヴァンの黒冠隷命紋を損傷」


 書く。


「黒冠軍第七牙、バロウ・ガンド死亡。ソウル四十六万」


 書く。


「リシェ・ナイトリィ死亡。ソウル三十八万」


 書く。


「メルゼア・ルーン死亡。ソウル四十一万」


 書く。


「オルグ・サイア死亡。ソウル三十五万」


 書く。


「総獲得ソウル、一百六十万」


 書く。


「ゼルヴァン・ギルロア、逃走」


 白骨書記が、そこで止まった。


 余は少しだけ黙った。


 そして、言った。


「逃がした。だが、左手と部下四人を奪った」


 骨筆が刻む。


「次に来るなら、軍で来ると言い残した」


 書く。


「次は、声を奪わせない」


 書く。


「次は、配下に配下を殺させない」


 書く。


「次は、ゼルヴァンを殺す」


 白骨書記の骨筆が、最後の一文を深く刻んだ。



黒冠軍第七牙戦闘記録。


勝敗:部分勝利。


得たもの:


魔神覇王ガルザヴェインの誕生。

配下奪還。

黒冠軍四名討伐。

大量ソウル獲得。

黒冠隷命への対抗手段獲得。

配下たちの自立戦闘確認。


失ったもの:


配下二体。

マネの声への傷。

ゼルヴァンに情報を持ち帰られたこと。

黒冠軍再来の可能性。


最重要敵:


ゼルヴァン・ギルロア。



 余は、その名を見た。


 ゼルヴァン・ギルロア。


 黒冠軍第七牙隊長。


 余の配下を奪い、殺させ、声を汚した男。


 逃げた。


 だが、次は逃がさない。


「ガルザヴェイン」


「ロード」


「よく守った」


 魔神覇王は、少しだけ目を伏せた。


「マモレナカッタ、ナカマ、イル」


「ああ」


「デモ、モドシタ」


「ああ」


「ツギ、モット、マモル」


「そうだ」


 ガルザヴェインは、拳を握った。


 黒く、静かな拳。


 その奥に、覇王の火が残っている。


「ツギ、ゼルヴァン、コロス」


「ああ」


 余は答えた。


「次は、ゼルヴァンを殺す」


 白い霧の奥で、エリラの木が静かに揺れた。


 その実の数は、今日も多い。


 だが、迷宮のどこかでは、小さな二つの名が新しく刻まれた。


 刃戻りのギル。


 果守りのギギ。


 黒冠に抗い、死んだ配下たち。


 その名を、余は忘れない。


 魔神覇王も、忘れない。


 そして霧灰白庭迷宮は、また一つ、守る理由を増やした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ