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第213話 黒冠は、ロードの声を奪う

 黒冠軍第七牙の五人が、白い霧の中へ入った。


 先頭は、黒鎧の男。


 ゼルヴァン・ギルロア。


 その半歩後ろに、大盾と戦槌を持つ巨体。


 右の霧へ沈むように歩く影の女。


 血晶の瓶を腰に下げた術師らしき女。


 最後尾に、骨札を指に挟む痩せた男。


 五人。


 数だけなら、天蓋の猟犬より少ない。


 だが、歩き方が違う。


 冒険者のように、宝箱や素材へ視線を散らさない。


 調査隊のように、記録を取るために立ち止まりすぎない。


 彼らは、歩く時も、止まる時も、振り返る時も、互いの距離が崩れなかった。


 前に隊長。


 守る者。


 探る者。


 測る者。


 記録する者。


 役割が、最初から決まっている。


 軍だった。


 五人で、一つの命令として歩いている。


 白い部屋で、余はその姿を見ていた。


「浅層の餌は」


《配置済み》


「戦争用素材らしく見せろ。赤錆核、白骨水晶片、黒泥城片。ただし、本命ではない」


《承知》


「いきなり深部へは近づけるな。まずは目的を見る」


《はい》


「ガルザヴェインは待機」


「ワカッタ」


 ガルザヴェインの返事は低い。


 ルオとの組み手の後でも、彼の中にはまだ戦う熱が残っている。


 だが、今回は違う。


 ルオのような災害級常連ではない。


 天蓋の猟犬のような宝狩りでもない。


 軍だ。


 余はまだ、この五人の本当の牙を知らなかった。


    ◇


 ゼルヴァンは、浅層の白い通路で足を止めた。


 床に、赤黒い結晶片が落ちている。


 赤錆核に似せた罠素材。


 近づけば、戻り水が足を取る。


 触れれば、赤錆噛みの牙粉が金属装備を喰う。


 普通の素材狩りなら、迷わず食いつく。


 ゼルヴァンは、手を伸ばさなかった。


「メルゼア」


「はい」


 血晶瓶の女が、一歩前へ出た。


 結晶片を見下ろす。


「価値はあります。防具喰いの呪具、または結界削りの補助素材として使える可能性があります」


「罠は」


「あります」


「解除できるか」


「できます。ただし、この場で取るほどではありません」


 大盾の巨体、バロウが低く笑った。


「では壊して進みますか」


「壊すな」


 ゼルヴァンは言った。


「この迷宮が何を餌にするかを見る。素材は記録だけでいい」


 骨札の男、オルグが骨符を一枚投げた。


 骨符は床へ触れる寸前で止まり、白い床の魔力を吸った。


 戻り水が反応する。


 赤錆の牙粉が、かちかちと小さく鳴る。


「浅い罠ですな」


 オルグが言う。


「ただし、罠の置き方が丁寧です。こちらを試している」


 影の女、リシェが霧の奥を見た。


「霧の向こうから見られている感じがする」


 ゼルヴァンは頷いた。


「見せておけ」


 彼らは、赤錆核を取らずに進んだ。


 余は白い部屋で眉をひそめる。


「浅い餌には食いつかんか」


《はい》


「戦争用素材を探していると言ったわりに、慎重だな」


《目的意識が強いものと思われます》


「面倒だ」


 フィルエが森灰観測室から言った。


「ロード、あの隊長、魔物をずっと見てる」


「素材ではなく?」


「うん。罠も見てるけど、魔物の反応をよく見てる」


「……嫌な見方だな」


 その時、白い霧の中で最初の接触が起きた。


    ◇


 霧喰い刃ゴブリンの小隊が動いた。


 十二体。


 灰霧の中で短距離加速し、足首、採取具、鞄、指を狙う新型の浅層防衛部隊。


 殺すより、動きを鈍らせるための配下。


 白い霧の中から、彼らは一斉に飛び出した。


「ギギッ!」


「キル!」


「ハコ、マモル!」


 最後の号令はやはり少し違う。


 だが、士気は高い。


 バロウが盾を構える。


「来たぞ」


「殺すな」


 ゼルヴァンが言った。


 声は静かだった。


「捕る」


 彼が左手を上げる。


 黒い冠のような紋様が、手の甲に浮かび上がった。


 余は壁面に見入る。


「何だ、あれは」


《解析中》


 ゼルヴァンの手から、黒い線が伸びた。


 魔術糸ではない。


 呪符でもない。


 命令そのものが、黒い冠の形を取ったような線。


 それが、霧喰い刃ゴブリンたちの額へ突き刺さる。


 ゴブリンたちが、一斉に止まった。


「……ギ?」


「何をした」


 余の問いに、管理音声が警告で答えた。


《低位配下への外部命令干渉を確認》


「外部命令?」


《行動優先権が、一部上書きされています》


「意味を言え!」


《対象配下が、ロードの命令より外部命令を優先する可能性があります》


 その瞬間、霧喰い刃ゴブリンたちが振り返った。


 こちらへ。


 迷宮の奥へ。


 刃を構えて。


「……冗談だろう」


 余の声が、白い部屋に落ちた。


 ゼルヴァンが短く命じる。


「先導しろ」


 霧喰い刃ゴブリンたちは、黒冠軍の前に出た。


 まるで最初から彼らの兵だったかのように。


「ギ……ギギ……」


 だが、一体だけ動きが遅れた。


 小柄な霧喰い刃ゴブリン。


 額の黒い冠紋が薄い。


 刃を震わせ、こちらへ戻ろうとしている。


 抵抗している。


「おい」


 ゼルヴァンが、その個体を見る。


 メルゼアが目を細めた。


「支配が浅いですね」


「野良ではないな」


 ゼルヴァンは淡々と言った。


「何か別の命令系統が奥に残っている」


「どうしますか」


「軍列を乱すなら処理する」


 処理。


 その言葉に、余は嫌なものを感じた。


 ゼルヴァンは指を下ろした。


「処理しろ」


 操られた霧喰い刃ゴブリンたちが、一斉に動いた。


 抵抗していた一体へ。


「やめろ!」


 余は叫んだ。


 命令は届いている。


 届いているはずだ。


 だが、その届いた先で、黒い冠が上から潰す。


 抵抗していたゴブリンは、仲間の刃を受けた。


 小さな体が白い床に倒れる。


 霧に混じって、赤黒い血が広がった。


 ロードの配下が。


 ロードの配下を殺した。


 白い部屋で、余は言葉を失った。


《霧喰い刃ゴブリン一体、死亡》


「……」


《外部支配命令への抵抗個体が、支配下個体により殺害されました》


「言うな」


《記録が必要です》


「言うなと言っている!」


 フィルエの声が震えた。


「ロード」


「……分かっている」


 何も分かっていなかった。


 これは、ただ強い敵が来たのではない。


 これは、余の牙を奪う敵だ。


    ◇


 ゼルヴァンは、倒れたゴブリンを一瞥しただけだった。


 喜びもない。


 怒りもない。


 軍の指揮官が、隊列を乱す駒を排除した。


 ただ、それだけの顔だった。


 メルゼアが言う。


「黒冠隷命、低位個体には通ります」


「完全ではない」


 ゼルヴァンは答えた。


「この迷宮の魔物は、何かに統制されている。支配の奥に、別の命令が残る」


「高位個体には?」


「効くかは分からん」


 彼は、霧の奥を見た。


「だが、低位だけでも十分使える。数を奪れば、迷宮の罠は軍列になる」


 その言葉を、余は聞いていた。


 白い部屋で。


 全部。


 聞いていた。


「……こいつ」


 声が震えた。


「こいつは、余の配下を何だと思っている」


《敵指揮官は、配下を戦力として認識しているものと思われます》


「戦力だと」


 余の視界に、死んだゴブリンの小さな体が映る。


 つい数日前、ルオが持ってきた空梨を見て、食べていいか迷っていた同族。


 エリラの欠片をもらって、目を輝かせていたゴブリンたち。


 弱い。


 馬鹿だ。


 すぐ騒ぐ。


 でも、余の配下だった。


 それを、仲間の手で斬らせた。


「殺す」


 余は言った。


 低く。


「ゼルヴァン・ギルロアを殺す」


    ◇


 浅層の霧が揺れた。


 ハイハネが、怒ったように羽を開く。


 灰霧幻導蛾。


 霧で誘導し、視覚、嗅覚、距離感覚をずらす配下。


 ゼルヴァンたちの前に、白灰の霧が厚くなる。


 視界を奪う。


 距離を歪める。


 操られたゴブリンたちと黒冠軍を分断しようとする。


 だが、ゼルヴァンはまた左手を上げた。


 黒冠の紋様が濃くなる。


「霧の制御も魔物由来か」


 彼は観察してから言った。


「奪えるか試す」


「やめろ」


 余の声は、白い部屋で漏れた。


 黒い命令が、霧の中へ伸びる。


 ハイハネ本体ではない。


 霧に染み込んだ、ハイハネの制御糸へ。


 ハイハネの羽が震えた。


「ハイハネ、戻せ!」


 霧が一瞬、こちらへ戻ろうとする。


 だが、その上から黒冠の命令が被さった。


 白い霧が、反転した。


 黒冠軍の視界を隠す霧ではない。


 黒冠軍を守る霧へ。


 余の配下を、余の敵に隠す霧へ。


《ハイハネ制御霧、一部外部命令下へ》


「ハイハネ!」


 羽音が聞こえた。


 苦しそうな音だった。


 ふぁさ。


 ふぁさ。


 いつもの眠そうな羽音ではない。


 抵抗している。


 だが、霧は黒冠軍の周囲へ回る。


 フィルエが叫ぶ。


「ハイハネ、嫌がってる!」


「分かっている!」


 嫌がっている。


 だが、動く。


 その事実が一番きつい。


 心が残っているのに、命令だけが奪われている。


    ◇


 カゲヌイも狙われた。


 影軍縫帥カゲヌイ。


 本来なら、敵の影を縫う配下。


 だが、黒冠の命令が影糸へ触れた。


 カゲヌイの影が震える。


「カゲヌイ、抵抗しろ!」


 余は叫ぶ。


 影糸が黒く震える。


 何本かは、自分自身の影を縫って動きを止めようとした。


 だが、黒冠隷命がそれを上書きする。


 ゼルヴァンが言った。


「強い反応の足を止めろ」


 彼は、ガルザヴェインを名指ししていない。


 知らないからだ。


 だが、カゲヌイの影糸は、その命令を最も強い迷宮側戦力へ向けた。


 ガルザヴェインへ。


「やめろ、カゲヌイ!」


 影糸が、魔神戦王の足元へ届く。


 ガルザヴェインは動こうとしていた。


 黒冠軍へ向かおうとしていた。


 その足を、カゲヌイの影糸が縫った。


「グ……!」


 ガルザヴェインの足が止まる。


 完全には止まらない。


 だが、一拍遅れる。


 その一拍で、操られた霧喰い刃ゴブリンたちが、さらに奥へ進む。


「カゲヌイ!」


 カゲヌイの影が震えた。


 答えはない。


 ただ、影糸の一部が裂けるように震えている。


 抵抗しているのだ。


 しかし、足りない。


 ゼルヴァンの命令が強い。


 余の命令が、届いているのに通らない。


「管理音声!」


《外部支配命令が行動優先権を上書きしています》


「解除方法は!」


《支配源の撃破》


「他には!」


《対象魔物の核破壊》


 白い部屋が凍った。


「……核破壊」


《はい。操られた個体を破壊すれば、外部命令は停止します》


「つまり、余に、カゲヌイを壊せと言うのか」


《戦術上は有効です》


「黙れ」


《しかし、配下損失が発生します》


「黙れと言っている!」


 壊せば止まる。


 分かる。


 分かってしまう。


 だが、できるか。


 カゲヌイは余の影だ。


 何度も侵入者を縫い、ガルザヴェインの背を支え、深部を守ってきた。


 それを、余の命令で壊す?


「……できるか」


 声が出た。


 命令ではない。


 ただの呻きだった。


    ◇


 黒冠軍は進む。


 操られたゴブリンを前に出し、ハイハネの霧をまとい、カゲヌイの影を利用しながら。


 ゼルヴァンは、霧の変化を観察していた。


 リシェが低く言う。


「霧の動きが変わった」


「どう変わった」


「荒い。さっきより罠の起動が早い。こちらを押し潰すというより、急いで排除しようとしている」


 ゼルヴァンは白い霧を見た。


「中に制御する仕組みがあるなら、反応を急がせる価値はある」


「感情があると?」


「分からん」


 ゼルヴァンは即答した。


「だが、反応はある。反応があるなら、乱せる」


 余は、それを聞きながら歯噛みした。


 こいつは、余を知っているわけではない。


 ロードの存在を知っているわけでもない。


 ただ、見て、試して、反応から読んでいる。


 それが余計に嫌だった。


 あいつは、余の怒りを知っているのではない。


 余の迷宮の反応を、戦場の動きとして処理しているだけだ。


 その冷静さが、腹立たしい。


    ◇


 中層手前で、グズの黒泥城が立ち上がった。


 泥塞黒城将グズ。


 重い黒泥で城を作り、敵を閉じ込め、圧壊層へ落とす配下。


 グズは、ゼルヴァンの前に城門を閉じた。


 今度は褒められても開かない。


 ルオの時のようにはいかない。


「グズ、よくやった!」


 余は言った。


 だが、ゼルヴァンが黒い手を上げた。


「大きいが、構造は魔物の核に従っている」


 黒冠隷命が、泥へ入る。


 グズの泥門が震えた。


「グ……ズ……!」


「グズ、耐えろ!」


 泥門が開きかける。


 閉じる。


 開きかける。


 閉じる。


 抵抗している。


 グズは、全力で抵抗している。


 黒い城壁の表面に、余の命令紋と黒冠の紋が交互に浮かぶ。


「グズ! 閉じろ!」


「グ……ズ……!」


 閉じた。


 一瞬だけ。


 完全に閉じた。


 黒冠軍の前進が止まる。


「隊長」


 バロウが盾を構える。


「壊しますか」


「いや」


 ゼルヴァンは言った。


「従わぬ門は、従う兵で開ける」


 操られた霧喰い刃ゴブリンたちが動いた。


 彼らは、グズの泥門へ向かった。


「やめろ」


 余は言った。


 ゴブリンたちは刃を構える。


 グズの泥門の継ぎ目へ。


 泥核へ繋がる細い筋へ。


 仲間の刃が、グズを削る。


「やめろ!」


 霧喰い刃ゴブリンたちは、黒冠の命令でグズの門を裂いていく。


 グズは抵抗した。


 刃を沈めれば、ゴブリンごと潰せる。


 そうすれば門は守れる。


 だが、グズは潰さなかった。


 仲間だからだ。


 自分を削っているのが、ロードの配下だと分かっているからだ。


「グズ……グズ……!」


 苦しそうな声。


 泥が震える。


 門が開く。


 グズは、配下を潰さなかった。


 そのせいで、門が開いた。


《グズ黒泥城、突破されます》


「……」


《グズ、味方損傷回避のため圧壊防衛を停止》


「分かっている」


 分かっている。


 分かっているから、きつい。


 ゼルヴァンは、開いた門を通った。


「硬い門だ。使える」


 その一言が、余には侮辱に聞こえた。


    ◇


 中層へ入る前、マネがいた。


 声を真似る配下。


 かつて余の声で侵入者を追い返した、妙に便利な魔物。


 マネは白い壁の奥に隠れていた。


 声だけを響かせる場所。


 余は命じた。


「マネ、黒冠軍に偽命令を出せ。混乱させろ」


「……ロード」


 マネの声が返る。


 まだ大丈夫だ。


 そう思った。


 だが、ゼルヴァンが顔を上げた。


「声か」


 彼の黒冠紋が濃くなる。


「捕れ」


 黒い命令が、音の通り道へ入った。


 マネが悲鳴を上げた。


 それは、余の声だった。


「やめろ!」


 白い部屋で、余は固まった。


 余の声で、マネが叫んだ。


 次に、別の声が響いた。


 それも余の声だった。


「グズ、門を閉じろ」


 違う。


 余は命じていない。


「ハイハネ、霧を厚くしろ」


 違う。


「カゲヌイ、ガルザヴェインの影を縫え」


 違う。


「赤金果守、エリラの実を運べ」


「違う!」


 余は叫んだ。


「それは余の命令ではない!」


 だが、声は余の声だった。


 マネだ。


 マネが、操られている。


 ゼルヴァンの命令を、余の声に変えている。


 マネ自身は泣いているように震えていた。


 それでも、声が止まらない。


「ロード」


 フィルエの声が震える。


「ロードの声で……」


「分かっている!」


 余の声が、余の配下に偽の命令を下している。


 これほど不快なことがあるのか。


 これほど、腹の中を汚されるような感覚があるのか。


 マネが、また余の声で言った。


「ガルザヴェイン、止まれ」


 ガルザヴェインの足が、一瞬止まった。


 本物の余の声と、偽物の余の声。


 魔神戦王でも、一拍迷う。


「ガルザヴェイン!」


 余は本物の命令を叩き込む。


「止まるな!」


 ガルザヴェインの金色の目が燃えた。


「ワカッタ」


 彼は影糸を引きちぎり、前へ出ようとする。


 だが、その前に。


 軍帰路喰らいの落武者が、霧の中から現れた。


    ◇


 落武者は、本来、余の配下だった。


 帰路を喰らう軍の残響。


 逃げる者の道を断ち、迷宮から外へ向かう意味を斬る存在。


 天蓋の猟犬を逃がした時も、最後まで追った。


 敗北はした。


 だが、余の防衛線の重要な一部だった。


 ゼルヴァンは、落武者を見た。


 低位ゴブリンを見る時とは違う目だった。


 メルゼアが言う。


「あれも奪いますか?」


「普通の魔物ではない」


 ゼルヴァンは、落武者の灰白の鎧と抜かれた刃を見た。


「軍の残骸に近い」


「軍?」


「命令に縛られ、敗走を刻み、帰路を失った兵の形だ」


 ゼルヴァンの左手に、黒冠の紋が浮かぶ。


「黒冠隷命が届くかは分からん。だが、試す価値はある」


 黒冠の命令が、落武者へ触れた。


 普通の魔物を縛る時とは違った。


 命令が抵抗にぶつかる。


 だが、砕けない。


 むしろ、落武者の中にある古い軍令の残滓が、黒冠の命令に反応した。


 帰れなかった兵。


 命じられたまま死んだ者。


 敗走の中で道を失った影。


 そのすべてが、ゼルヴァンの黒冠に引き寄せられる。


《警告》


《軍帰路喰らいの落武者に異常反応》


「何だ」


《外部支配命令と既存能力が融合》


「融合だと?」


《進化反応》


「やめろ」


《名称変質》


 落武者の灰白の鎧が、黒く染まる。


 背に、黒い冠の紋が浮かぶ。


 刃が長くなる。


 帰路を喰うだけの刃ではない。


 命令の道を斬り、軍列の進む道を開く刃。


《黒帰将・落武者》


 黒帰将。


 短い名。


 だが、その気配は重かった。


 黒帰将が刃を抜く。


 その瞬間、操られたゴブリンたちの動きが変わった。


 バラバラだった配下が、軍列になる。


 ハイハネの霧が進軍路を隠す。


 カゲヌイの影糸が、こちらの足を縫う。


 グズの泥門が、黒冠軍の背後を守る。


 湿骨王列の骨が、黒冠軍の足場を作る。


 マネの声が、余の声で命じる。


「進め」


 余は命じていない。


 それでも、余の配下たちは進んだ。


 黒冠軍のために。


「やめろ」


 声が、震えた。


「やめろ……」


    ◇


 赤金果守ゴブリンたちが、深部の方へ歩き始めた。


 エリラの木の方へ。


 黒帰将の軍列に組み込まれ、マネの偽声で命じられて。


「赤金果守、エリラの実を運べ」


 マネが、余の声で言った。


「やめろ!」


 赤金果守ゴブリンたちは、泣くように鳴いた。


「ギ……ギギ……!」


 自分の手を噛む個体もいた。


 足を止めようとしている。


 だが、止まらない。


 黒冠の命令が、足を動かす。


 そのうち一体が、完全に抵抗して立ち止まった。


 小さなゴブリンだった。


 いつも数を間違えて、フィルエに直されていた個体だ。


 そいつは、自分の頭を床に打ちつけるようにして止まった。


「ギギギッ!」


 動かない。


 動かなかった。


 ゼルヴァンが、静かに見た。


「抵抗個体」


 その言葉だけで、黒帰将が刃を上げた。


「やめろ」


 余は言った。


 操られた霧喰い刃ゴブリンが動く。


 赤金果守ゴブリンへ。


「やめろ」


 刃が振るわれる。


 小さな赤金果守ゴブリンが、白い床に倒れた。


 赤金の実を守るために生まれた配下が。


 同じ迷宮の配下に。


 斬られた。


 白い部屋で、余は音を失った。


 フィルエが息を呑んだ。


「……ロード」


 返事ができなかった。


《赤金果守ゴブリン一体、死亡》


 管理音声の声が、遠い。


《外部支配命令への抵抗個体が殺害されました》


 余の配下を。


 余の迷宮で。


 余の声を使って。


 余の配下に殺させた。


「……ゼルヴァン」


 余は、ようやく声を出した。


 自分でも驚くほど、低い声だった。


「お前だけは、殺す」


    ◇


 ガルザヴェインが動いた。


 影糸を引きちぎる。


 黒い魔神性が、深部手前を揺らす。


「ロード」


「行け」


 余は言った。


 迷いはなかった。


「ただし、殺せる敵だけを殺せ。配下を壊すな」


「ワカッタ」


「黒冠軍を止めろ。ゼルヴァンを止めろ。マネを取り戻せ。赤金果守を、エリラに近づけるな」


「ワカッタ」


 ガルザヴェインは、前へ出た。


 だが、その前には、黒冠軍の五人だけではない。


 操られた霧喰い刃ゴブリン。


 ハイハネの霧。


 カゲヌイの影。


 グズの泥門。


 湿骨王列の骨。


 赤金果守ゴブリン。


 マネの偽声。


 そして、黒帰将・落武者。


 全部、余の配下だったもの。


 いや、今も余の配下だ。


 奪われているだけだ。


 ガルザヴェインの金色の目が、震えた。


 殴れば壊れる。


 踏めば死ぬ。


 焼けば消える。


 だが、止めなければ迷宮が壊される。


 エリラの木が奪われる。


 フィルエが危ない。


 余のコアも危ない。


 ゼルヴァンが、ガルザヴェインを見た。


「強いな」


 彼は黒剣を抜く。


「だが、味方を踏めないなら、軍には勝てない」


 その言葉に、ガルザヴェインの拳が震えた。


 白い部屋で、余のコアも震えた。


 ゼルヴァンは正しい。


 正しいからこそ、殺したい。


 黒帰将が刃を掲げる。


 操られた配下たちが、一斉にガルザヴェインへ向く。


 マネが、余の声で命じた。


「ガルザヴェインを倒せ」


「違う!」


 余は叫んだ。


 だが、偽りの余の声が、迷宮に響く。


 ガルザヴェインは、黒い霧の中で拳を握った。


 目の前にいるのは敵。


 だが、仲間。


 守るべきもの。


 奪われたもの。


 そして、黒冠軍第七牙が、その背後から冷静に進軍してくる。


 ガルザヴェインは、初めて歯を食いしばるように言った。


「カエセ」


 魔神性が、黒く燃える。


「オレノ、ナカマ、カエセ」


 黒冠軍と、奪われた配下たち。


 魔神戦王ガルザヴェインは、その全てを前にして立った。


 そして余は、白い部屋で、何もできないまま見ていた。


 自分の配下が、自分の配下を殺し。


 自分の声が、自分の迷宮を裏切る。


 その地獄の中心で。


 黒帰将の刃が、ゆっくりと振り下ろされた。

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― 新着の感想 ―
主人公に進歩がない。 勝てない敵への逐次投入、それならまだ戦えそうな場所に全戦力の投入の方がよさそう。 まぁ来る戦力が高すぎて、出来立てのSランクダンジョンとしては運が悪いとしか言いようが無いのかもし…
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