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第203話 魔神戦王は、偽りの庭で牙を砕く

 魔神進軍鐘が鳴った。


 ごん。


 その音は、前回とは違っていた。


 エリラの木の前で鳴った時は、守るための鐘だった。


 赤金の実を背負い、動く場所を限られた魔神戦王が、己を奮い立たせる音だった。


 だが今は違う。


 ここは偽天猟庭。


 本物のエリラの木から離れた、ロードが作った迎撃区画。


 ガルザヴェインは、エリラの木を背負っていない。


 木を傷つけないよう、拳の角度を選ばなくていい。


 実に破片が飛ばないよう、咆哮を抑えなくていい。


 この庭は、魔神戦王が暴れるために作られた。


 白い花弁が黒く染まる。


 重泥霧が低く沈む。


 逆星骨が床下で鳴る。


 反響喰いの薄膜が、ノアの呼吸を待つ。


 連結焼きの火灰が、六人の繋がる瞬間を待つ。


 そして中央に、ガルザヴェインが立っている。


「イヌ」


 魔神戦王が、金色の目で六人を見た。


「マタ、キタ」


 ロウエンは空糸を指に絡め、静かに答えた。


「ああ」


「トル?」


「取る」


「トラセナイ」


「なら、越える」


 その瞬間、ドランが前へ出た。


 前回、胸を裂かれた男。


 魔神爪に肺を潰され、死の淵まで行った風壁師。


 その胸には、まだ大きな傷跡が残っている。


 けれど彼は笑っていた。


 無理にではない。


 恐怖を押し潰すためでもない。


 もう一度、壁として立てることを確かめるような笑みだった。


「今度は簡単に割らせねえぞ」


 ガルザヴェインが拳を握る。


「カベ」


「そうだ」


 ドランが両腕を開いた。


「天蓋の壁だ」


 ノアの骨拍が、六人の内側で小さく鳴る。


 とん。


 とん。


 とん。


 外へ響かない拍。


 反響喰いの薄膜へ歌を渡さないための、声にならない歌。


 ロウエンの帰猟線が、六人を薄く結ぶ。


 強くは結ばない。


 連結焼きの火灰を警戒している。


 セラは右目を半分だけ開く。


 偽星避の片眼鏡が、赤金の偽反応を濾す。


 ミトは低く伏せ、ガルザヴェインの足の匂いを嗅ぐ。


 アゼルは小天蓋を開かず、足元に伏星を沈める。


 天蓋の猟犬は、前回と同じではない。


 だが、迷宮も同じではない。


    ◇


 白い部屋で、余は息を殺すように見ていた。


「ガルザヴェイン」


《契約線、接続安定》


「分かっているな」


「ワカッタ」


「一人だけを見るな。六人を見るな。六人が一つになる瞬間を殴れ」


「ツナガル、トキ、ナグル」


「そうだ」


「ロク、ヒトツ。ヒトツ、ワル」


「それでいい」


 フィルエが森灰観測室から言った。


「ロード、庭がちゃんと動いてる」


「ああ」


「でも、猟犬も前より慎重」


「分かっている」


 分かっている。


 この戦いは、前回の続きではない。


 互いに傷を覚え、対策を持ち寄った再戦だ。


 ここで勝つ。


 いや、ここで殺す。


 エリラの実へ近づける前に。


    ◇


 先に動いたのは、ガルザヴェインだった。


 前回のように、相手の出方を待たなかった。


 床を蹴る。


 重泥霧が、魔神性に押し潰される。


 白い庭石が割れる。


 ガルザヴェインの巨体が、黒い弾丸のようにドランへ突っ込んだ。


「魔神拳――黒牙砕!」


 黒い拳が、風壁へ叩き込まれる。


 ドランは風壁を正面に立てなかった。


 低い。


 斜め。


 薄い。


 前回のような巨大な壁ではない。


「風壁術――斜犬盾しゃけんだて!」


 黒い拳が風壁に触れた瞬間、壁が横へ滑る。


 衝撃を受けず、流す。


 ガルザヴェインの拳がわずかに逸れる。


 その横からミトが飛び込んだ。


「爪牙技――踵噛み!」


 狙いは足首。


 前回、彼女が入れた傷の場所。


 だが、ガルザヴェインは見ていた。


 足を上げない。


 避けない。


 逆に踏み込む。


 ミトの爪が足首へ届く寸前、重泥霧がぐっと沈んだ。


「重い!」


 ミトの足が、ほんの一瞬だけ遅れる。


 その一瞬に、ガルザヴェインの膝が飛んだ。


 ミトは腕を交差して受ける。


 骨が軋む。


 体が吹き飛ぶ。


 だが、アゼルの伏星が彼女の背後で光った。


「伏星標――受星うけぼし!」


 星がクッションになる。


 ミトの体が空中で止まる。


 ノアの骨拍が二拍。


 ミトの呼吸が戻る。


「まだ動ける!」


 ミトは着地した。


 だが、腕は痺れている。


 ガルザヴェインはそれを見て笑った。


「マエ、ヨリ、ハヤイ」


「そっちもね」


 ミトは牙を剥くように笑い返した。


    ◇


 ロウエンの帰猟線が走る。


 一本ではない。


 細い糸がいくつも、ガルザヴェインの周囲へ散る。


 直接縛らない。


 前回のように、傷を結んで動きを鈍らせるだけでは足りない。


 今回は、ガルザヴェインが次に動く空間を先に狭める。


「空糸技――猟場囲りょうばがこい」


 見えない糸が、ガルザヴェインの周囲の空間へ刺さる。


 右へ出れば肩が引っかかる。


 左へ出れば足が遅れる。


 前へ出れば、胸の傷に糸が触れる。


 だが、偽天猟庭の重泥霧がその糸へ絡んだ。


 空糸が、いつもより重くなる。


 ロウエンの指に負荷がかかる。


 皮膚が裂け、血が滲む。


「……重いな」


 ロウエンは呟いた。


 それでも糸を離さない。


 ガルザヴェインは、囲われた空間を見た。


 そして、拳を振るわなかった。


 咆えた。


「魔神咆哮!」


 黒い咆哮が、空糸へ向かう。


 だが、ロウエンはそれを待っていた。


 糸を一斉に緩める。


 咆哮は空糸を焼けない。


 代わりに、庭の壁へ当たる。


 反響喰いの薄膜が震える。


 その反響が、ノアの骨拍へ干渉しようとした。


 ノアが顔をしかめる。


「反響を回してきた……!」


 骨拍が一瞬乱れる。


 そこで、連結焼きの火灰が赤く熱を持つ。


 ロウエンの糸。


 ノアの骨拍。


 ドランの風壁。


 三つが一瞬だけ強く繋がった。


 熱が走る。


「切れ!」


 ロウエンが叫ぶ。


 ノアが拍を切る。


 ドランが風壁を消す。


 だが、間に合わない部分があった。


 ロウエンの左手の指先が焼ける。


 ノアの胸奥が焦げるように痛む。


 ドランの風壁の残滓が赤く弾ける。


「っ……!」


 ノアの膝が揺れた。


 ミトが支えようとする。


 しかし、ミトも腕が痺れている。


 ガルザヴェインは、その揺れを見逃さなかった。


「ツナガッタ」


 彼は低く言った。


「ソコ」


 魔神戦王の拳が、ノアへ向かう。


 ドランが割り込む。


 胸の傷が痛む。


 それでも前に出る。


「風壁術――犬門!」


 壁が立つ。


 しかし、重泥霧が壁を沈める。


 ガルザヴェインの拳が、沈みかけた風壁ごとドランを叩いた。


 どん、と鈍い音。


 ドランの体が後退する。


 胸の傷が開きかける。


 ノアが反射で歌おうとする。


 だが、歌えば連結焼きが来る。


 彼女は歯を食いしばって、声を出さなかった。


 代わりに、腰の小さな鈴を鳴らす。


 ちりん。


 治癒補助鈴。


 声を使わず、短い振動だけで傷の開きを押さえる道具。


 オルバが作ったものだ。


 ドランの胸の出血が、ほんの少し止まる。


「助かる」


 ドランが低く言った。


「まだ無理しないで」


「無理しないと潰される」


 その会話の間にも、ガルザヴェインは迫る。


    ◇


 アゼルが伏星を三つ踏んだ。


 足元の星が連なり、ガルザヴェインの踏み込み先に小さな星の罠を作る。


「伏星術――星杭ほしくい!」


 床から、白い星の杭が突き上がる。


 狙いは、ガルザヴェインの膝。


 だが、逆星骨が床下で鳴った。


 星杭の軌道が少しずれる。


 これは迷宮側の逆星骨ではない。


 アゼル自身が、逆星骨の反応を読んでわざとずらした。


 星杭は、ガルザヴェインの膝ではなく、踏み込む寸前の足裏へ入った。


 魔神の足が跳ねる。


「グ……!」


 ガルザヴェインの体勢が崩れる。


 ミトが低く走る。


「爪牙技――喉抜き!」


 狙いは喉ではない。


 魔神性の呼吸が通る、胸の白銀傷の下。


 アレクが残した傷と、今回の戦闘で開いた黒い魔力の流れ。


 セラが見つけた。


 ミトが嗅いだ。


 アゼルが足を崩した。


 今なら入る。


 ミトの短爪が、ガルザヴェインの胸へ触れた。


 だが、ガルザヴェインは笑った。


「ソコ、シッテル」


 胸の白銀傷が黒く光る。


 闘傷成長。


 アレクの傷は、もはやただの弱点ではない。


 戦歴として、魔神性を蓄えている。


 ミトの爪が入った瞬間、傷跡から黒い魔力が噴き出した。


 ミトの腕が弾かれる。


 皮膚が裂ける。


 血が飛ぶ。


「っ!」


 彼女はすぐに下がる。


 だが、ガルザヴェインの爪が追う。


 ロウエンの帰猟線が彼女の腰を引く。


 セラが叫ぶ。


「上!」


 アゼルの伏星がミトの足元で光る。


 彼女は半歩上へ跳ぶ。


 ガルザヴェインの爪が、空を裂いた。


 だが、完全には避けきれない。


 ミトの脇腹が浅く裂ける。


 ノアの鈴が鳴る。


 ちりん。


 治癒は遅い。


 歌ほど強くない。


 だが、歌えば焼かれる。


 天蓋の猟犬は、確かに追い詰められていた。


 セラが右目を開く。


 痛みが走る。


 偽星幕の赤金がいくつも視界に刺さる。


 だが、彼女はそれを無視した。


 見ているのは、ガルザヴェイン。


 魔神戦王の魔力の流れ。


 傷。


 足。


 拳。


 そして、守ろうとする方向。


「ロウエン」


「何だ」


「あいつ、前より自由。でも、まだ奥を守ってる」


「分かるか」


「分かる。動く時、必ず奥へ戻る線を残してる」


 ロウエンの目が細くなる。


「そこを使う」


「うん」


 ドランが笑った。


「やっぱり、守るやつは動きが読めるな」


「お前が言うと重い」


「壁だからな」


    ◇


 白い部屋で、余はセラの言葉を聞いていた。


「読まれている」


《はい》


「ガルザヴェインが守ろうとする線を見られている」


《はい》


「偽天猟庭でも、奥を守る意識が出ているのか」


《ガルザヴェインはエリラの位置を認識しています。偽天猟庭内でも、防衛意識が本物方向へ残っています》


「まずいな」


 フィルエが言う。


「ガルザヴェイン、ちゃんと守ろうとしてるから」


「それが読まれる」


「うん」


「なら、守る方向を偽る」


《可能です》


「偽星幕をガルザヴェインにも被せろ。奥へ戻る線を三つに増やす」


《実行》


 偽天猟庭の赤金の星が、三方向へ揺れた。


 ガルザヴェインの意識に、偽の守るべき方向を薄く重ねる。


 本物は一つ。


 だが、見た目には三つの守護線。


 これでセラの読みを乱す。


 ガルザヴェインが少しだけ眉をひそめた。


「ロード」


「混乱するな。本物は余が示す」


「ワカッタ」


「お前は、今は猟犬を殴れ」


「ワカッタ」


 ガルザヴェインの魔神性が、さらに濃くなる。


    ◇


 ガルザヴェインの動きが変わった。


 奥へ戻る線が三つに増える。


 右。


 左。


 正面奥。


 セラが顔をしかめる。


「守る線が増えた」


 ロウエンが言う。


「偽装か」


「たぶん。でも全部、薄く本物っぽい」


 ミトが鼻を鳴らす。


「匂いも混ぜてる。嫌」


 アゼルが小さく笑う。


「向こうも本気だね」


「笑ってる場合じゃない」


 ノアの声は低い。


 連結焼きの火灰を警戒して、彼女はまだ大きく歌えない。


 ドランの胸も、ミトの腕も傷ついている。


 ロウエンの指も焼けている。


 セラの目も痛む。


 アゼルの伏星も消耗している。


 だが、彼らの心は折れていない。


 むしろ、ガルザヴェインが強いほど、奥にあるものの価値が確かになる。


 リーネを目覚めさせるかもしれない実。


 それを守るために、Sランクの魔神戦王が立っている。


 なら、取る価値はある。


 命を賭ける価値がある。


「ロウエン」


 セラが言った。


「一瞬だけでいい。右目を全開にする」


「負荷は」


「高い」


「その後は」


「しばらく見えなくなるかも」


「却下」


「見ないと抜けない」


「別の手を使う」


「ある?」


 ロウエンは少し黙った。


 その間にも、ガルザヴェインが来る。


 拳。


 風壁が受ける。


 沈む。


 ドランが耐える。


 ミトが足を狙う。


 弾かれる。


 アゼルの伏星が踏み込みをずらす。


 ガルザヴェインが爪で星を砕く。


 ロウエンの空糸が肩へ入る。


 重泥霧で重くなる。


 ノアの骨拍が一拍だけ強くなる。


 連結焼きが熱を持ちかける。


 すぐに切る。


 戦いが、細かく、重く、激しく続く。


 ロウエンは、判断した。


「セラ、三呼吸だけだ」


「十分」


「見たら目を閉じろ」


「分かった」


「全員、セラを守る。三呼吸」


 天蓋の猟犬の空気が変わった。


 連携を薄くしていた六人が、再び一つへ寄ろうとする。


 それを待っていたように、連結焼きの火灰が赤く熱を持つ。


 だが、ノアが小さな鈴を三つ鳴らした。


 ちりん。


 ちりん。


 ちりん。


 歌ではない。


 鈴の響きが、連携の芯を三つに分ける。


 一本の強い繋がりではなく、三つの小さな輪。


 連結焼きは強く燃えない。


「そんな対策まで……!」


 余は白い部屋で叫びかけた。


 しかし、見なければならない。


 セラが右目を開く。


 全開。


 偽星避の片眼鏡が軋む。


 赤金の偽星が、一斉に彼女の視界へ刺さる。


 血涙が噴き出した。


「っ……!」


 一呼吸。


 セラは偽の守護線を切り捨てる。


 右は違う。


 左も違う。


 二呼吸。


 ガルザヴェインの足の重心を見る。


 偽装しても、本当に戻ろうとする時だけ、体の芯がほんの少し違う。


 三呼吸。


 見えた。


「正面奥!」


 セラが叫んだ。


 そして右目を閉じた。


 片眼鏡にひびが入る。


 彼女の体が揺れる。


 ノアが支える。


 ロウエンがすぐに動く。


「全員、正面奥を抜く!」


 ガルザヴェインが吠えた。


「トラセナイ!」


    ◇


 ガルザヴェインが、初めて大きく前へ出た。


 正面奥を抜かれる。


 そこは偽天猟庭を越え、本物の深部へ向かう線。


 まだエリラの木までは距離がある。


 だが、方向は正しい。


 守るために、魔神戦王は動かざるを得なかった。


 その瞬間を、ロウエンは待っていた。


「今だ」


 ドランが前へ出る。


 胸の傷を無視して、風壁を張る。


 ただし、守るためではない。


 押すためでもない。


 横へ逸らすため。


「風壁術――犬流いぬながし!」


 ガルザヴェインの突進が、ほんの少しだけ横へずれる。


 ミトが足首へ入る。


 今度は爪を立てない。


 匂いをつける。


 魔神の足へ、自分の血をこすりつける。


 アゼルがその匂いを目印に、伏星を置く。


「伏星標――縛星ばくせい!」


 足元で星が光る。


 ガルザヴェインの足が、ほんの一瞬だけ固定される。


 ノアの鈴が鳴る。


 三つの輪が、また一瞬だけ繋がる。


 連結焼きが熱を持つ。


 だが、ロウエンはその熱ごと使った。


 焼ける空糸を、ガルザヴェインの腕へ巻く。


「空糸技――焼猟線しょうりょうせん!」


 連結焼きで熱を帯びた空糸が、ガルザヴェインの腕に食い込む。


 魔神性が弾こうとする。


 だが、熱が傷を刺激する。


 前回ロウエンが結んだ傷。


 そこが一瞬だけ開く。


 ガルザヴェインの拳が遅れた。


 その隙に、天蓋の猟犬は横を抜けようとする。


「させん!」


 余は白い部屋で叫んだ。


「骨鎖陣!」


《展開》


 湿骨軍列・骨鎖陣が、正面奥の道を塞ぐ。


 骨鎖が六人へ伸びる。


 だが、アゼルの伏星が道の下で一斉に光った。


「伏星術――帰犬跳きけんちょう!」


 星が跳ねる。


 足場になる。


 六人が、骨鎖の上を飛ぶ。


 重泥霧が空を重くする。


 だが、ドランが風壁を下へ張る。


 風ではなく、押し上げる板として。


 ノアの鈴が鳴る。


 ミトが先に着地する。


 ロウエンが全員を引く。


 セラは目を閉じたまま、記憶だけで方向を示す。


 天蓋の猟犬が、偽天猟庭の中央を抜けた。


    ◇


 白い部屋で、余は凍りついた。


《偽天猟庭、中央突破》


「……」


《侵入者、深部正規線へ接近》


「……まだだ」


 声が震えた。


 だが、叫ばなかった。


 まだだ。


 まだ終わっていない。


 偽天猟庭は突破された。


 だが、完全に無駄ではなかった。


 セラの目は傷ついている。


 ロウエンの指は焼けている。


 ドランの胸も開きかけている。


 ミトの腕と足に傷。


 ノアは鈴に頼り、歌を温存している。


 アゼルの伏星もかなり使った。


 削った。


 確かに削った。


 だが、止められなかった。


「ガルザヴェイン」


 余は契約線を繋ぐ。


 魔神戦王は、焼猟線を引きちぎりながら立っていた。


 傷はある。


 だが、まだ戦える。


「追え」


「ワカッタ」


「ただし、木の前までは行かせるな。次の層で止める」


「ワカッタ」


 フィルエが静かに言った。


「ロード、次が本物の手前」


「分かっている」


「かなり近い」


「分かっている」


「落ち着いて」


「……落ち着いている」


 嘘だ。


 だが、取り乱している場合ではない。


 天蓋の猟犬は、偽天猟庭を抜けた。


 次は、エリラの木の秘匿圏手前。


 そこで止めなければならない。


 絶対に。


    ◇


 天蓋の猟犬は、白い庭を抜けた先で一度だけ止まった。


 全員、息が荒い。


 無傷ではない。


 だが、誰も倒れていない。


 セラは右目を閉じたまま言った。


「方向は合ってる」


 ロウエンが聞く。


「見えるか」


「今は見えない。でも、覚えた」


 ノアがセラの目元へ手を当てる。


「これ以上開いたら危ない」


「でも、最後は開く」


「分かってる。でも、最後まで閉じて」


 ドランが胸を押さえながら笑う。


「偽の庭、嫌な場所だったな」


 ミトが頷く。


「まだ匂いが重い」


 アゼルが伏星の残数を確認する。


「かなり使った。次は節約できない」


 ロウエンは全員を見た。


 傷ついている。


 疲れている。


 だが、目的は近い。


 リーネを起こすための実。


 エリラの実。


 もうすぐそこだ。


「進む」


 ロウエンは言った。


「ここからは、止まらない」


 その言葉に、全員が頷いた。


 白い霧の奥で、本物の赤金の香りが、ほんのわずかに強くなった。


 そして、背後から魔神戦王の足音が近づいてくる。


 ごん。


 魔神進軍鐘が、低く鳴った。

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