第202話 偽天猟庭は、六つの牙を焼く
偽天猟庭は、美しかった。
白い庭。
赤金色に揺れる偽りの果実。
星のない黒い天蓋。
細く流れる戻り水。
白磁花の花弁が、音もなく舞っている。
その奥には、一本の木影が見える。
エリラの木に似せた、偽物の木影。
見る者が見れば、分かる。
これは誘っている。
だが、ただの偽物ではない。
価値はある。
命の匂いに似たものもある。
赤金の光もある。
迷宮が本気で作った、神級素材の影。
天蓋の猟犬は、その庭へ入った。
その瞬間、白い花弁が一斉に止まった。
まるで、庭そのものが息を止めたように。
◇
白い部屋で、余は壁面を見つめていた。
「入ったな」
《はい》
「偽星幕は」
《展開中》
「重泥霧は」
《足元、空間、上層に薄く循環》
「反響喰いの薄膜は」
《壁面、天井、庭内小路に定着済み》
「逆星骨は」
《主要落下点に配置済み》
「連結焼きの火灰は」
《待機中。複数対象間の魔力接続上昇を検知次第、発熱します》
「よし」
余は低く言った。
「ここで削る」
まだガルザヴェインは出さない。
魔神戦王は、偽天猟庭のさらに奥で待機している。
今出せば、天蓋の猟犬はすぐに作戦を切り替える。
まずは庭だ。
この庭そのものに噛ませる。
六人の連携を、六人の強さごと焼く。
フィルエの声が届く。
「ロード」
「何だ」
「みんな、かなり警戒してる」
「当然だ。警戒した上で焼く」
「でも、前より繋がり方が細い」
「見えている」
天蓋の猟犬は、前回と同じ失敗をしない。
ノアの歌は外へ強く響かせていない。
ロウエンの空糸も、全員を常時結んでいない。
アゼルの星も、天井から落とすだけではなく、足元へ仕込んでいる。
ドランの風壁も、高く張らない。
ミトは先頭に出すぎない。
セラは値星眼を開きっぱなしにしない。
全員が、前回の対策をしている。
それでも。
「完全に繋がらずに、Sランクパーティーの力は出せん」
余は言った。
「必ず、どこかで強く繋がる。その瞬間を焼く」
白骨書記が骨筆を握る。
記録する気満々だ。
よい。
今度こそ、余の勝ち筋を記録しろ。
◇
最初に動いたのは、セラだった。
彼女は右目の片眼鏡を指で押さえ、庭を見た。
値星眼が開く。
赤金の星が、庭のあちこちに浮かぶ。
一つ。
三つ。
十。
二十。
三十以上。
どれも本物に似ている。
どれも命の気配をまとっている。
だが、セラは顔をしかめた。
「多い」
ロウエンが聞く。
「本物は?」
「ない」
即答だった。
余は白い部屋で眉を動かした。
「早いな」
《偽星幕、判別されつつあります》
「だが、目は使っている」
《はい。セラの値星眼負荷、上昇》
セラは、片眼鏡越しに偽の星を切り捨てていく。
「これは軽い。これは薄い。これは命の形だけ。これは赤金じゃなくて、赤錆を甘く塗ったもの。これは……嫌な真似してる。エリラの木の周辺反応を写してる」
ノアが小さく息を呑む。
「じゃあ、近い?」
「本物の近くにあるものを、ここへ写してる。だから、方向の手がかりにはなる」
ロウエンが頷く。
「なら、見る価値はある」
「ある。でも目が痛い」
「短く」
「分かってる」
セラは右目を閉じた。
血涙が一筋だけ頬を伝う。
まだ始まったばかりなのに、もう目を削っている。
だが、彼女は笑った。
「偽物でも、迷宮は本物の癖を隠せてない」
ロウエンは静かに言った。
「進む」
◇
庭の小路に足を踏み入れた瞬間、重泥霧が動いた。
空気が重くなる。
上へ跳ぶ足を沈める。
風を鈍らせる。
空糸へ湿りを絡める。
ドランがすぐに気づいた。
「風が沈む」
ロウエンも指を動かす。
「糸も重い」
アゼルが床へ伏星標を置く。
だが、星が予定より半歩右へ沈んだ。
「伏星も流される」
ミトが鼻を鳴らす。
「泥の霧。上にも下にもいる」
ノアが内歌を弱めに流す。
歌を壁へ返さない。
仲間の体の中だけを通す。
しかし、庭の白い花弁がひらりと揺れた。
音もなく。
けれど、歌の周囲に微かな歪みが生まれる。
反響喰いの薄膜は、壁だけではなかった。
花弁にも、薄く塗ってある。
ノアの眉が動いた。
「歌を外に出してないのに、花が拾う」
「厄介だね」
アゼルが言う。
ノアは歌をさらに細くした。
「なら、声じゃなくて骨で刻む」
彼女は喉ではなく、指先で自分の胸を軽く叩いた。
とん。
とん。
とん。
声にならない拍。
体内の振動だけで仲間に伝える、歌未満の歌。
「骨拍」
ノアの新しい技だった。
反響喰いの薄膜は、音を喰う。
なら、音にしない。
骨と呼吸で共有する。
六人の動きが、再び揃う。
だが、強く繋がりすぎない。
薄く。
短く。
必要な瞬間だけ。
余は白い部屋で舌打ちした。
「対策が早い」
《ノア、歌を音響依存から身体振動型へ切り替え》
「記録しろ」
白骨書記が書く。
⸻
ノア新技:骨拍。
反響喰いへの対策。
声ではなく、体内振動で呼吸と拍を共有。
⸻
「腹立たしいが、参考にはなる」
◇
庭の中央へ近づくと、白い木影が揺れた。
偽物のエリラの木。
その枝には、赤金色の実が生っている。
数は多くない。
七つ。
まるで、本物を隠すために用意された目印。
セラは一目で言った。
「偽物」
だが、足は止まった。
なぜなら、その偽物の実の一つに、わずかな本物の癖が混じっていたからだ。
エリラの木の周辺反応を写した影。
そこに、迷宮側の操作の癖が残っている。
セラは右目を開き、痛みに顔をしかめながら見る。
「この偽木、ただの罠じゃない。方向を隠すための鏡。反射元を辿れるかもしれない」
ロウエンが問う。
「どれくらいかかる」
「十呼吸」
「長い」
「本物へ近づくには必要」
ドランが前へ出る。
「じゃあ、十呼吸守る」
その言葉と同時に、庭が動いた。
白い小路の下から、白磁根が伸びる。
戻り水が噴き上がる。
偽木の枝影から影針が落ちる。
さらに、白い庭石が割れ、中から骨兵が立ち上がった。
湿骨軍列ではない。
庭園用に組み替えられた、細い骨兵。
手には白磁の鎌。
足元には重泥霧。
動きは遅いが、倒すと泥と骨粉を撒く。
倒した場所を重くする兵。
「散らすな!」
ロウエンが叫ぶ。
「倒す場所を選べ!」
ドランが風壁を低く張る。
「風壁術――低犬門!」
骨兵の足を払うのではなく、横へ押す。
ミトが飛び込む。
「爪牙技――骨芯抜き!」
中核を抜く。
ただし、床へ落とさない。
ロウエンの空糸がそれを空中で捕まえ、庭の端へ投げる。
そこで骨兵が崩れる。
重泥霧の濃い場所へあえて落としたのだ。
そこなら、もう重くなっても問題ない。
アゼルが伏星を三つ置く。
ずれる。
だが、ずれた位置も計算している。
「伏星標――三点狩場」
三つの星が床下で光り、骨兵の進路を制限する。
ノアの骨拍が全員の呼吸を保つ。
セラは右目を開いたまま、偽木を見続ける。
一呼吸。
二呼吸。
三呼吸。
白い部屋で、連結焼きの火灰が熱を持ち始めた。
《連携魔力上昇》
「来たか」
余は声を低くした。
「焼け」
連結焼きの火灰が発火した。
見えない熱が、ロウエンの空糸とノアの骨拍の接続部へ走る。
糸が赤く焼ける。
ノアの胸が痛みに跳ねる。
「っ……!」
ロウエンの指から血が飛ぶ。
空糸が一本、焼き切れた。
ドランの風壁も、アゼルの伏星も、ミトの動きも、一瞬だけずれる。
その一瞬に、白磁鎌がドランの脇腹を狙った。
ドランは受ける。
風壁ではなく、腕で。
鎌が鎧を削り、血が飛ぶ。
「浅い!」
ドランが叫ぶ。
ノアがすぐに骨拍を弱める。
「繋がりすぎると焼ける!」
ロウエンが即座に判断する。
「分散連携!」
六人の動きが、ふっとほどけた。
完全な連携をやめる。
全員が別々に動く。
だが、ばらばらではない。
互いの動きを覚えているから、強く繋がなくても動ける。
前回までの天蓋の猟犬は、六人で一匹の獣だった。
今は違う。
六匹の猟犬が、同じ獲物を追う。
糸を弱くする。
歌を薄くする。
星を独立させる。
風壁を短く張る。
爪は単独で走る。
目は瞬間だけ開く。
繋がりを焼く火灰は、強い連携には効く。
だが、連携そのものを極限まで薄くされると、燃えにくい。
余は白い部屋で目を見開いた。
「ほどいた?」
《天蓋の猟犬、連携を一時分散》
「そんな戦い方もできるのか!」
フィルエが言う。
「一緒に長く戦ってるから。繋がらなくても分かるんだと思う」
「厄介すぎるだろうが!」
だが、無傷ではない。
ロウエンの指は焼けた。
ノアの胸の内側にも負荷が走った。
ドランの脇腹も裂けた。
罠は効いている。
だが、止めきれていない。
◇
十呼吸目。
セラが叫んだ。
「分かった!」
ロウエンがすぐに反応する。
「方向は」
「偽木の裏じゃない。左奥、白い花壇の下。そこから本物の反応を曲げてる!」
ミトが鼻を鳴らす。
「甘い匂い、そこから少し漏れてる!」
「なら、そこを抜く」
ロウエンが空糸を伸ばす。
だが、今度は強く張れない。
張れば焼ける。
重泥霧も絡む。
だから、彼は糸を短く切った。
短い糸をいくつも飛ばす。
一本の強い糸ではなく、無数の小さな糸。
「空糸技――散犬糸」
小さな糸が、花壇の周囲へ刺さる。
一つ一つは弱い。
だが、数が多い。
重泥霧は強い糸を重くするが、細かく短い糸すべてにはすぐ対応できない。
白い花壇の下に隠されていた反射結線が露わになる。
偽星幕の一部だ。
セラはそれを見た。
右目から血が流れる。
「そこ!」
アゼルが伏星ではなく、小天蓋を開いた。
「星落術――針星」
小さな星が、針のように落ちる。
逆星骨が反応する。
落下点をずらそうとする。
だが、アゼルはそれも読んでいた。
星はわざとずれた。
ずれた先が、ちょうど反射結線の中心だった。
針星が偽星幕の結線を貫く。
偽木の赤金反応が、一瞬だけ薄れた。
同時に、奥の本物の方向がわずかに露わになる。
セラが息を呑む。
「見えた」
余は白い部屋で叫んだ。
「見せるな!」
《偽星幕の一部破断》
「すぐ直せ!」
《修復中》
「遅い!」
天蓋の猟犬は、その一瞬を逃さなかった。
ロウエンが叫ぶ。
「左奥!」
ミトが走る。
ドランが短い風壁で道を開く。
ノアが骨拍を三拍だけ強める。
連結焼きが熱を持つ前に、すぐ切る。
アゼルが伏星を足元へ置く。
セラは右目を閉じ、見えた方向を記憶で追う。
六人は、偽天猟庭の中心を抜けた。
◇
白い部屋で、余は声を荒げた。
「まだ中央戦場がある! ここで止める!」
《偽天猟庭、中央戦場へ移行》
「湿骨軍列、出ろ!」
《展開》
「カゲヌイ、影を縫え!」
《展開》
「重泥霧を上げろ! 反響喰いも全部だ!」
《出力上昇》
庭の中央で、白い花弁が黒く染まった。
重泥霧が濃くなる。
足元が沈む。
風が重くなる。
空糸が湿る。
歌の返りが歪む。
星の落下点がずれる。
ここからが本番だ。
ここで削る。
ここで止める。
そして、必要ならガルザヴェインを――
「ロード」
ガルザヴェインの声がした。
「マダ?」
「まだだ!」
余は叫んだ。
「まだ出るな! ここで止める! いや、止めたい! 止まれ!」
「……ワカッタ」
フィルエが静かに言った。
「ロード、また願いになってる」
「うるさい!」
◇
湿骨軍列が、中央戦場の周囲から現れた。
今回は、骨城列でも薄槍列でもない。
鎖だ。
湿骨軍列・骨鎖陣。
骨と白磁片を繋ぎ、戻り水で濡らした鎖が、地面と壁と天井から伸びる。
目的は殺すことではない。
絡めること。
引き離すこと。
六人の距離を狂わせること。
繋がりを薄くした天蓋の猟犬に対し、今度は物理的に分断する。
骨鎖がロウエンへ。
ドランへ。
セラへ。
ノアへ。
ミトへ。
アゼルへ。
六方向から伸びる。
ミトが叫ぶ。
「鎖!」
ドランが風壁を張る。
だが、重泥霧で風が沈む。
風壁がいつもより遅い。
骨鎖がドランの腕へ絡んだ。
「ちっ!」
ドランが引きちぎろうとする。
その瞬間、連結焼きの火灰が熱を持つ。
ノアがドランを支えようと歌を伸ばしたからだ。
歌と風壁とドランの筋力。
三つが繋がる。
そこを焼かれる。
「ノア、切れ!」
ロウエンが叫ぶ。
ノアが歌を切る。
ドランは一人で骨鎖を受ける。
骨鎖が腕に食い込む。
血が滲む。
それでも、彼は笑った。
「こういうのは、まだ殴れる!」
ドランは骨鎖を風壁で包んだ。
引くのではなく、包んで固める。
「風壁術――犬噛み!」
風が鎖を噛み、動きを止める。
ミトがその上を走り、鎖の中核を抜く。
骨鎖が崩れる。
だが、別の鎖がセラへ向かった。
セラは右目を開けない。
開けば本物方向の記憶が乱れる。
だから、彼女は見ずに避ける。
ミトの声だけを聞いた。
「左下!」
セラは身を低くする。
骨鎖が頭上を通る。
アゼルの伏星が、その鎖の下へ沈む。
「伏星標――跳牙」
星が跳ねる。
骨鎖を下から弾く。
ロウエンの散犬糸がそれを絡め、横へ流す。
ノアは歌を最小限にする。
骨拍一つ。
それだけで全員に合図を出す。
連結焼きは、強く発火しない。
天蓋の猟犬は、偽天猟庭の中央戦場でも崩れない。
だが、削れている。
少しずつ。
ロウエンの指はさらに血を流す。
ドランの腕に骨鎖の痕が残る。
ミトの足が少し遅れる。
セラの右目が震える。
アゼルの伏星が残り少なくなる。
ノアの骨拍がかすかに乱れる。
ロードの牙は、届いている。
だが、喉には届いていない。
◇
「止めろ……止めろ……!」
余は白い部屋で呟く。
《天蓋の猟犬、中央戦場を突破しつつあります》
「言うな!」
《骨鎖陣、損耗》
「言うな!」
《偽星幕、再構築中。完全復旧には時間が必要》
「早くしろ!」
フィルエが言った。
「ロード、そろそろ」
「分かっている!」
「ガルザヴェインを出す場所、ここ?」
「ここで出せば、木から遠い。偽天猟庭の中央だ。暴れてもエリラには届かん」
「でも、天蓋の猟犬はまだ全力残してる」
「だからこそ、ここで出す」
余は壁面を見た。
天蓋の猟犬は、中央戦場を抜けようとしている。
このまま行かせれば、偽天猟庭を突破される。
その先は、エリラの木の本物の秘匿圏に近い。
それは駄目だ。
絶対に駄目だ。
「ガルザヴェイン」
「ロード」
「出ろ」
その一言で、魔神進軍鐘が鳴った。
ごん。
偽天猟庭の白い花弁が、黒く震える。
重泥霧が割れる。
骨鎖陣が道を開ける。
中央戦場の奥から、黒い魔神性が噴き上がった。
天蓋の猟犬が足を止める。
ロウエンが空糸を構える。
ドランが風壁を張る。
ミトが低く唸る。
アゼルが星を浮かべる。
ノアが骨拍を止め、喉に手を当てる。
セラが右目を開いた。
そして、魔神戦王ゴブリン・ガルザヴェインが現れた。
エリラの木を背にしてではない。
偽天猟庭の中央で。
迷宮が用意した戦場の中で。
「イヌ」
ガルザヴェインは言った。
「マタ、キタ」
ロウエンは、静かに答えた。
「ああ」
「トル?」
「取る」
「トラセナイ」
「なら、越える」
ガルザヴェインが拳を握る。
天蓋の猟犬が陣形を整える。
偽天猟庭の中央で、二度目の戦いが始まろうとしていた。




