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第199話 ロードは、逃げ道から作り直す

 天蓋の猟犬てんがいのりょうけんが去った後、余はしばらく白い部屋で黙っていた。


 静かだった。


 深部も、浅層も、森灰観測室しんかいかんそくしつも。


 ただ、エリラの木の赤金色の実だけが、何も知らないように揺れていた。


 実は残っている。


 一つも奪われなかった。


 そこだけ見れば、守れた。


 だが、違う。


 見られた。


 値星眼ねぼしがんのセラに見られた。


 獣嗅けものかぎのミトに匂いを拾われた。


 ノアに、リーネという眠る仲間へ繋がる希望として認識された。


 ロウエンは、取ると決めた。


 あの猟犬どもは、戻る。


 必ず戻る。


「管理音声」


《はい》


「今の余に足りないものは何だ」


《撤退阻止能力》


「他には」


《高位パーティー連携分断能力》


「他には」


《価値感知対策》


「他には」


《空間移動、風壁、歌、星落術、嗅覚、空糸への個別対策》


「他には」


《ガルザヴェイン単独依存の危険性》


「……十分だ」


《まだあります》


「聞きたくない」


 白骨書記が、そっと骨板を出した。



追加課題:


エリラの木周辺で大規模戦闘が発生した場合、果実および木本体への損傷危険。



「それが一番聞きたくなかった!」


 だが、事実だった。


 天蓋の猟犬は、エリラの実を取りに来る。


 ガルザヴェインは守る。


 すると、また木の前で戦うことになる。


 前回は、それで済んだ。


 だが次も同じでは駄目だ。


 エリラの木の目の前まで来られてから戦うのでは遅い。


 見られる前に止める。


 匂われる前に逸らす。


 価値を確信される前に迷わせる。


 そして、もし到達されたなら、木を背にする戦いではなく、木から引き剥がした場所で殺す。


「方針を変える」


 余は言った。


「次は、エリラの木の前で戦わせない」


《承知しました》


「戦場を作る。あの猟犬どもが、そこを通らなければならないようにする」


《専用迎撃区画ですか》


「そうだ」


 フィルエが森灰観測室から声を送ってきた。


「ロード、落ち着いてる」


「落ち着いた。もう十分取り乱した」


「うん。すごかった」


「忘れろ」


「無理」


「忘れろ」


 白骨書記が書く。



ロード、天蓋の猟犬初回侵入時、顕著に取り乱す。



「お前も忘れろ!」


    ◇


 余は迷宮図を広げた。


 浅層。


 中層。


 白磁偽財殿はくじぎざいでん外周。


 深部手前白磁庭残骸層。


 魔神契約跡。


 そして、エリラの木。


 これまでの構造は、冒険者を奥へ誘い、欲を深め、罠で削り、最後に殺すためのものだった。


 Aランクには、それでよかった。


 低ランクや無許可素材狩りにも、それで十分だ。


 だが、天蓋の猟犬には違う。


 奴らは、欲があっても踏みすぎない。


 罠を見れば分解する。


 素材を見れば価値を測る。


 帰り道を常に残す。


 そして、仲間が重傷になっても、全員で逃げる。


 ならば。


「帰るための力を、前提から崩す」


《具体案》


「帰路を奪うのではない。帰路を作らせる。そして、その帰路そのものを檻に変える」


《高位設計です》


「やるしかない」


 余は五つの取引品を見た。


 偽星幕ぎせいまくの種。


 重泥霧じゅうでいむの胞子。


 逆星骨ぎゃくせいこつ


 反響喰いの薄膜。


 連結焼きの火灰。


 6,800,000ソウルを使って買ったものだ。


 高い。


 非常に高い。


 だが、惜しんでいる場合ではない。


「新規区画を作る」


《名称を設定してください》


「まだだ。まず機能から決める」


 余は、深部手前と魔神契約跡の間にある余白区画を指した。


 エリラの木へ向かう正規の深部導線から、少し横にずらした場所。


 ここに作る。


 見た目は、エリラの木へ続く道に似せる。


 赤金の気配を薄く流す。


 甘い匂いも、ほんの少しだけ混ぜる。


 セラとミトが「本命に近い」と判断する程度に。


 だが、本物ではない。


 そこに、天蓋の猟犬を誘導する。


「偽星幕を使う」


《はい》


「エリラの木の価値反応を薄め、迎撃区画に似た赤金反応を置く」


《値星眼対策》


「そうだ。だが、完全な偽物では駄目だ。セラは見抜く。だから、本物の周辺反応を少しだけ借りる」


 フィルエが言った。


「エリラの木、嫌がらないくらい?」


「そうだ。木を疲れさせるな」


《微量反応転写であれば可能》


「次に重泥霧」


《空間および風への重さ付与》


「ドランの風壁とロウエンの空糸を鈍らせる。だが、最初から重くするな。気づかれる。連携が強まる瞬間に重くしろ」


《連結焼きの火灰と連動可能》


「よし」


「反響喰いの薄膜は?」


《ノアの歌への対策》


帰犬歌きけんか命継いのちつぎを同時に使わせる。その時、二つの歌の意味を少しずらす」


 フィルエが少し心配そうに言った。


「歌を壊すと、ノアが壊れるかも」


「殺しすぎるな、だろう?」


「うん。ノアが変に覚醒すると怖い」


「分かっている。殺す時は殺す。だが、目的はまず連携を崩すことだ」


《登録》


「逆星骨は、アゼルの星落術へ」


《落下点歪曲、衝撃吸収》


「ただ防ぐな。星を受けて、別の罠の起動に使え」


《星力転用ですか》


「できるか」


《逆星骨と白骨書記の記録術を組み合わせれば、限定的に可能》


「やれ」


 白骨書記が骨筆を構えた。


 やる気だ。


 こいつは、記録と罠が絡むとやる気になる。


    ◇


 問題はガルザヴェインだった。


 魔神戦王ゴブリン・ガルザヴェイン。


 前回は、よく守った。


 本当によく守った。


 ドランを重傷にし、エリラの実を取らせなかった。


 だが、重傷も負った。


 そして、パーティー全体を殺すことはできなかった。


 彼一人に任せるには、相手が悪い。


 ガルザヴェインは、魔神練兵窟まじんれんぺいくつの中央に座っていた。


 傷は治り始めている。


 完全ではない。


 だが、闘傷成長とうしょうせいちょうによって、傷跡は経験に変わっていく。


「ガルザヴェイン」


「ロード」


「次は、お前一人で受けるな」


「オレ、マモル」


「守るのはよい。だが、守り方を変える」


「カエル?」


「違う。戦場を変える」


 余は魔神練兵窟に、天蓋の猟犬の動きを映した。


 ロウエンの空糸。


 ドランの風壁。


 セラの目。


 ミトの足。


 ノアの歌。


 アゼルの星。


「見ろ」


 ガルザヴェインは、黙って見た。


「こいつらは一人ずつではない。六人で一匹の獣だ」


「ロク、ヒトツ」


「そうだ。お前が拳を振るうと、ドランが受ける。ドランを押すと、ノアが支える。ノアを狙うと、ロウエンが糸でずらす。糸を切ると、アゼルが星を落とす。星を避けると、ミトが足を噛む。セラが弱い場所を見る」


「メンドウ」


「そうだ。非常に面倒だ」


「ドウスル」


「一人を倒すのではない。繋がる瞬間を壊す」


 ガルザヴェインは少し考えた。


「ツナガル、トキ、ナグル」


「そうだ」


「ロク、ヒトツ。ヒトツ、ワル」


「そうだ」


 理解が早い。


 アレクと戦った後、ガルザヴェインは明らかに変わった。


 ただ殴るのではなく、意味を考えようとしている。


 それが頼もしく、少しだけ恐ろしい。


「次の戦いでは、お前を最後まで出さないわけではない。だが、最初から突っ込ませもしない」


「マツ」


「そうだ。待つ。そして、余が作った場所で出る」


「バショ」


「猟犬を誘い込む場所だ」


「ソコ、タタカウ」


「そうだ。お前はそこで戦え。エリラの木の前ではない」


 ガルザヴェインは、エリラの木の方角を見た。


「エリラ、マモル」


「そのために、木から離れた場所で戦う」


「ワカッタ」


 よし。


 分かっている。


 たぶん。


 いや、今回は本当に分かっている気がする。


    ◇


 新しい区画の形成が始まった。


 消費ソウルは大きい。


《新規迎撃区画基礎形成:1,200,000》


《偽星幕定着:300,000》


《重泥霧循環路:260,000》


《逆星骨埋設:220,000》


《反響喰い薄膜展開:240,000》


《連結焼き火灰散布:310,000》


《合計消費:2,530,000》


《現在保有ソウル:2,053,480》


「また減ったな……」


《はい》


「かなり減ったな……」


《はい》


「だが、必要経費だ」


《はい》


 白骨書記が書く。



エリラ防衛関連総消費:9,330,000



「合計を書くな! 心が痛い!」


《心臓はありません》


「黙れ!」


 だが、仕方ない。


 ソウルはまた稼げる。


 人間が来るからだ。


 無許可侵入者は後を絶たない。


 Sランク指定されてなお、浅層に入りたがる馬鹿はいる。


 中層を目指す素材狩りもいる。


 闇市も動いている。


 だが、エリラの木は替えがきかない。


 守るためなら使う。


 使わなければ、奪われる。


 そして、奪われれば終わりだ。


「区画名を決める」


《はい》


 新しい空間が、ゆっくり形を取っていく。


 見た目は、美しい。


 白い庭園。


 赤金の光。


 遠くに見える一本の木の影。


 だが、その木は偽物だ。


 近づくほど、足元の空気は重くなる。


 歌は少しずつ意味をずらされる。


 星は骨に吸われる。


 糸は泥霧に絡む。


 六人の連携が強まるほど、連結焼きの火灰が熱を帯びる。


 そして、中央には広い円形の戦場。


 ガルザヴェインが暴れても、エリラの木には影響しない距離。


 だが、天蓋の猟犬には、そこが本物へ続く最後の庭に見える。


「名は」


 余は少し考えた。


 猟犬を誘う庭。


 価値を偽る幕。


 帰る力を燃やす場所。


偽天猟庭ぎてんりょうてい


《偽天猟庭、登録》


 白い部屋が低く鳴った。


 偽天猟庭。


 天蓋の猟犬を迎えるための、新しい腹。


    ◇


 フィルエは、偽天猟庭を見ていた。


「ロード」


「何だ」


「きれい」


「罠だ」


「でも、きれい」


「きれいな罠ほどよい罠だ」


「それ、ロードっぽい」


「褒めているのか」


「うん」


 フィルエは、森灰観測室からさらに奥を見た。


 本物のエリラの木は、偽星幕に包まれ、静かに実を揺らしている。


 今日の実は百三個。


 そのうち十個だけ採取した。


 残りは九十三個。


 最後の一個どころか、十分に残してある。


 木の状態は安定。


 甘い香りは深部から外へ漏れていない。


 ただ、天蓋の猟犬の記憶の中には、もうその香りが残っている。


 だから次は、記憶と戦うことになる。


「フィルエ」


「うん」


「エリラの木の様子を毎日見ろ。少しでも嫌がる様子があれば、偽星幕を調整する」


「分かった」


「採取は一日十個まで。非常時以外増やすな」


「分かった」


「ガルザヴェインが見張る時は、実を食わせすぎるな」


「一日一個?」


「いや、戦闘後の回復時のみだ」


 魔神練兵窟から声がした。


「ロード」


「何だ」


「イッコ、ホシイ」


「却下」


「マモル」


「守った報酬として、今日だけ一個だ」


「ワカッタ」


 フィルエが笑った。


「甘い」


「誰が」


「ロード」


「違う。士気管理だ」


「便利な言葉」


「便利な言葉で何が悪い」


    ◇


 その夜、ダンジョン新聞の取引欄から追加の小さな紙が届いた。


 黒い紙ではなく、灰色の短冊。


 差出人は井守だった。



《井守より》


買ったな。


なら、次は使い方だ。


道具を買っただけで勝てるなら、古いロードはみな死んでいない。


Sランクパーティーは、一度見た罠を覚える。

二度目は対策してくる。

だから、新しい罠を置くだけでは足りない。


一度目に見せた自分の弱さを、二度目の餌にしろ。


お前は逃がした。

奴らは「次は取れる」と思っている。


その思い込みを殺せ。



 余は、その短冊を何度も読んだ。


「一度目に見せた弱さを、二度目の餌にしろ」


 確かに、天蓋の猟犬は思っているだろう。


 ガルザヴェインを動かせば、エリラに届く。


 ドランさえ耐えれば、セラが実を取れる。


 ノアが命を繋げば、全員帰れる。


 ロウエンの空糸で、深部からでも脱出できる。


 そう思っている。


 だから来る。


 なら、それを使う。


「管理音声」


《はい》


「偽天猟庭には、わざと前回と同じ弱点を置け」


《意図は》


「セラに見せる。ミトに嗅がせる。ロウエンにほどかせる。アゼルに焼かせる。ノアに歌わせる。ドランに受けさせる」


《その後》


「その瞬間を焼く」


《連結焼きの火灰を連動》


「そうだ。あいつらが“前回と同じように突破できる”と思った瞬間に、罠を反転させる」


《登録します》


 フィルエが静かに言った。


「ロード、悪い顔」


「顔はない」


「でも悪い」


「迷宮だからな」


 余は、白い部屋の中央で笑った。


 天蓋の猟犬。


 お前たちは強い。


 ああ、強かった。


 余の罠を解き、配下を押し返し、魔神戦王の爪を受け、それでも全員で逃げた。


 だからこそ、次はその強さごと喰う。


 お前たちの連携。


 判断。


 帰る力。


 仲間を守る力。


 すべてを、余の腹で逆に使う。


「一カ月後だ」


 余は言った。


「それまでに、余も変わる」


 偽天猟庭の白い枝が、霧の中で静かに揺れた。


 その奥で、本物のエリラの実が赤金色に光る。


 守るべきものは決まっている。


 殺すべき相手も、もう決まっている。


 次に天蓋の猟犬が来た時。


 余は、逃がさない。

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