第187話 Sランクの足音は、許可証を持たない
エリラの木は、余が思っていたよりも図太かった。
いや、図太いという言い方が正しいのかは分からん。
木だ。
神級素材を実らせる木だ。
普通の木と比べること自体が間違っているのかもしれない。
だが、少なくとも。
「管理音声」
《はい》
「昨日、九個ほど実を採ったな」
《はい》
「今朝、戻っていたな」
《はい》
「つまり、一個でも残しておけば翌日には実が戻る、ということだな」
《現時点での観測では、その通りです》
余は、白い部屋の中央で腕を組んだ。
壁面には、魔神契約跡に生えたエリラの木が映っている。
赤と金が混ざった葉。
淡く光る幹。
甘い香りを放つ果実。
昨日は、試験的に九個だけ採取した。
もちろん、最後の一個は残した。
そして今朝、木にはまた実が生っていた。
しかも、九個どころではない。
《現在結実数:百二個》
「増えているではないか」
《前回観測時は九十八個でした》
「百個前後ということか」
《はい。標準結実数は百個前後で揺らぐものと思われます》
「全部採ったら?」
《枯死可能性、極めて高》
「ならば簡単だ」
余は指示を出した。
「最後の一個は絶対に採るな。それ以外は資源として管理する」
《承知しました》
「毎日九十九個採れるとしても、いきなり九十九個採る馬鹿がいるか。まずは十個からだ。木の機嫌を見る」
《木の機嫌ですか》
「フィルエが嫌がりそうだと言っていた」
《森灰観測者の直感を参考情報として登録します》
森灰観測室から、フィルエの声が届いた。
「木も疲れると思う」
「やはりか」
「たぶん。実を採っても戻るけど、全部近くまで採るのは嫌がる」
「では一日十個まで。非常時のみ増やす」
《エリラの実、暫定採取上限を一日十個に設定》
白骨書記が、すでに骨板へ書いていた。
⸻
エリラの実管理規則:
一、最後の一個は絶対に採取禁止。
二、通常採取は一日十個まで。
三、採取後、翌日の再結実数を確認。
四、外部流出禁止。
五、深部重要素材として分類。
六、ゴブリン接近禁止。
七、無断試食禁止。
八、ロードの「性質確認」は試食扱い。
⸻
「最後の項目を消せ」
白骨書記は、かた、と顎を鳴らした。
消さない。
「白骨書記」
かた。
「消せ」
かた。
「……お前、最近強くなったな」
《白骨書記の自律判断精度が上昇しています》
「嬉しくない方向にだ」
フィルエが小さく笑った。
「味見は?」
「……神級素材の生食時効果を確認する必要はある」
「食べたいんだ」
「違う。確認だ」
「一個くらいならいいと思う。ちゃんと残せば」
「ほう」
《ロードの反応に興味を確認》
「管理音声まで余を疑うな」
とはいえ、食べてもいい素材というのは大きい。
完成したエリクサーには五つの神級素材が必要だ。
エリラの実は、その一つにすぎない。
生食しただけで、あらゆる怪我や状態異常が完治するわけではない。
だが、管理音声によれば、疲労回復、軽傷治癒、魔力澄化、命脈安定に効果が見込める。
そして、とても美味い。
そこは重要だ。
いや、重要ではない。
……少し重要かもしれない。
「一個だけ試す」
《採取しますか》
「いや、フィルエに食わせる」
「私?」
「命脈契約者だからな。反応を見やすい。毒なら余にも分かる」
「毒見?」
「性質確認だ」
「便利な言葉」
「便利な言葉で何が悪い」
ガルザヴェインが、魔神契約跡の木のそばでこちらを見た。
「フィルエ、タベル?」
「あ、うん。たぶん」
「ウマイ?」
「まだ食べてない」
「オレモ」
「一個だけね」
《待て。なぜ当然のようにガルザヴェインも食う流れになっている》
「ガルザヴェインも契約存在。反応を見る?」
《……一理ある》
「ロードも食べる?」
《余には口がない!》
「残念だね」
《残念ではない!》
結局、採取した十個のうち、一個をフィルエ、一個をガルザヴェインの生食確認へ回した。
残りは保存用、研究用、非常用に分ける。
白骨書記が、恐ろしく真面目に分類していた。
◇
フィルエがエリラの実をかじった時、白い部屋まで甘い匂いが届いた。
赤金色の皮が薄く裂け、中から蜜のような果汁がこぼれる。
フィルエは、しばらく黙った。
「どうだ」
「……変」
「毒か?」
「違う。すごく美味しい」
「変で美味しいのか」
「うん。森の果物みたいだけど、森だけじゃない。白磁花の匂いもある。戻り水の冷たさもある。灰の柔らかさもある。あと、少し金色」
「味の説明に色を使うな」
「でも金色」
フィルエの肩の命脈紋が、淡く光った。
強い反応ではない。
だが、命脈の流れが少し整ったのが分かる。
《フィルエの疲労反応、軽減》
《命脈契約線、安定》
《魔力濁り、微減》
「効果はあるな」
「うん。体が軽い」
「もう一個食べるか?」
白骨書記が骨板を掲げた。
⸻
無断追加摂食禁止。
⸻
「まだ何もしていない!」
次に、ガルザヴェインがエリラの実を口に入れた。
彼は大きい。
実は小さく見えた。
噛む。
止まる。
金色の目が、少しだけ丸くなった。
「ウマイ」
「そう」
「スゴク、ウマイ」
「もう一個欲しい?」
「ホシイ」
白骨書記が骨板を掲げる。
⸻
本日分、一個まで。
⸻
ガルザヴェインは、真面目に頷いた。
「ワカッタ」
「偉い」
「オレ、マモル。タベスギナイ」
魔神戦王が、神級果実を前にして食べすぎないと宣言する。
妙な光景だ。
だが、それもまた、今の霧灰白庭迷宮の日常だった。
余は満足した。
「よし。エリラの実は資源として運用する。ただし外部流出は絶対禁止。深部まで来た者がこれを見たら、生還不可だ」
《方針登録》
「見た者は殺す。匂いを拾った者も殺す。価値を察した者も殺す」
《範囲が広いです》
「神級素材だぞ。広くてよい」
そこで、白い部屋の壁面に別の表示が出た。
《報告》
「今度は何だ」
《災害級侵入者識別が反応》
白い部屋の空気が変わった。
フィルエも黙る。
ガルザヴェインが、エリラの木のそばで顔を上げる。
《外縁に高位人間反応》
「ランクは」
《推定:Sランク冒険者パーティー》
「……パーティー?」
《はい。複数名です》
余は壁面を拡大した。
外縁の森。
封鎖線から離れた古い水路跡。
そこに、人間の反応が複数。
ただの無許可冒険者ではない。
気配が違う。
軽い。
静か。
そして、濃い。
一人一人が、Aランク冒険者とは明らかに違う圧を持っている。
《識別候補》
《Sランク冒険者パーティー》
《名称:天蓋の猟犬》
フィルエが小さく言った。
「強い」
「何人だ」
《六名》
「許可証は」
《確認不能。ただし封鎖線正規通過ではありません》
「つまり無許可か」
《その可能性が高いです》
余は少し黙った。
Sランク冒険者パーティー。
国やギルドの命令ではない。
封鎖線を正面から通っていない。
つまり、目的は調査ではない。
討伐でもない。
宝か。
素材か。
あるいはその両方。
まったく、人間は冒険者だな。
「目的は推定できるか」
《会話拾得を試行します》
霧の外。
水路跡を進む六人の声が、薄く拾われる。
「許可証なんぞ取ったら、拾った物の半分以上持っていかれる」
「半分で済めばいい方だよ」
「Sランク迷宮だ。神殿も王家もギルドも、全部口を出す」
「だから先に入る」
「灰白庭の奥には、絶対に何かある」
「なら、拾って帰る。それだけだ」
余は笑った。
「いいな」
《よろしいのですか》
「いいに決まっている。命令ではなく、欲で来た。冒険者らしい」
フィルエが静かに言う。
「でも、すごく強い」
「分かっている」
「アレクみたいなのが、複数」
「分かっている」
ガルザヴェインが、魔神練兵窟ではなくエリラの木のそばで拳を握った。
「ロード」
「待て」
「ツヨイ、タクサン」
「待てと言っている」
「タタカウ」
「今回は最初からお前を出すとは限らん」
「ナゼ」
「相手はパーティーだ。お前一人に全部ぶつけるより、迷宮で削る。役割を見ろ」
ガルザヴェインは少し不満そうだった。
だが、頷いた。
「ミル」
「よし」
白骨書記が、新しい骨板を出す。
⸻
高位侵入者記録:
対象:Sランク冒険者パーティー《天蓋の猟犬》
侵入経路:封鎖線外、水路跡
許可証:不明、正規通過なし
目的推定:宝、素材、Sランク迷宮産品の取得
脅威度:極高
方針:
深部重要区画への接近阻止
エリラの木、秘匿
必要に応じて全戦力投入
生還可否:原則不可
⸻
「原則ではない」
余は言った。
「深部の価値を嗅いだ時点で、不可だ」
白骨書記が書き直す。
⸻
生還:不可。
⸻
「よし」
◇
天蓋の猟犬。
六人組のSランク冒険者パーティー。
余はその名を知らなかった。
人間側の詳細な冒険者名簿など、余の手元にはない。
だが、気配だけで分かる。
強い。
そして、慣れている。
迷宮に入ることに。
封鎖を破ることに。
価値あるものを拾うことに。
彼らは英雄の歩き方ではなかった。
討伐軍の歩き方でもない。
宝狩りの歩き方だった。
足音を殺し、仲間の距離を保ち、罠を踏む者と拾う者を分け、逃げ道を最初から複数想定している。
これは厄介だ。
ただ強いだけではない。
冒険者として、非常に厄介だ。
「フィルエ」
「見てる」
「特徴を拾えるか」
「一人、目がいい。たぶん価値を見る。エリラの木までは見えてない。でも、奥に何かあるのを感じるかも」
「それは殺す」
「一人、盾じゃないけど守る人。空気の壁みたいなのを作れる」
「厄介だな」
「一人、祈りじゃない回復。歌かな」
「歌?」
「うん。音で傷を塞ぐ感じ」
「厄介だな」
「一人、獣みたい。人間だけど、嗅覚が魔物寄り」
「厄介だな」
「一人、魔術師。火じゃない。星?」
「星?」
「上から落とす感じ」
「厄介だな」
「最後の一人は……中心。たぶん隊長。剣じゃない。槍でもない。糸? いや、空を切る」
「全部厄介ではないか!」
「Sランクパーティーだから」
その通りだった。
アレクは、一人でSランク相当へ至った。
だが、今度は最初からSランクのパーティー。
連携がある。
準備がある。
欲がある。
そして、彼らは帰るつもりもあるだろう。
拾って帰る。
それが冒険者だからだ。
「面白い」
余は言った。
怖くないわけではない。
だが、面白い。
Sランク迷宮になった余へ、Sランク冒険者パーティーが宝目当てで無許可侵入してくる。
これほど迷宮らしい話もない。
「浅層は薄く開けろ」
《誘い込みますか》
「ああ。ただし、簡単に進ませるな。相手の技を見る。役割を見る。欲を見る」
《承知しました》
「エリラの木方面は完全封鎖。深部価値反応を散らせ。赤金の匂いは絶対に漏らすな」
《エリラの木周辺、封鎖強化》
「ガルザヴェイン」
「ロード」
「今回は待機だ。余が呼ぶまで出るな」
「ワカッタ」
「ただし、最終的には戦うかもしれん」
ガルザヴェインの目が光った。
「ワカッタ」
分かりやすい。
非常に分かりやすい。
余は白い霧の外縁を見た。
Sランク冒険者パーティー《天蓋の猟犬》が、封鎖線を無視して近づいてくる。
彼らはまだ知らない。
この迷宮には、彼らが想像する以上の宝がある。
神級素材すらある。
だが、それを見るためには、霧灰白庭迷宮の腹の奥まで進まねばならない。
そして、そこまで進んだ者を、余が帰すはずがない。
「来い」
余は静かに言った。
「Sランク冒険者ども」
白い霧が、外縁でゆっくり口を開ける。
「宝が欲しいなら、命ごと差し出せ」




