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第183話 魔神戦王は、白銀の剣を折る

 白と黒が、ぶつかった。


 アレク・ヴァイスの白銀剣奥義――人極一閃じんきょくいっせん


 魔神ゴブリン・ガルザヴェインの魔神爪――王喰おうぐい。


 それは、剣と爪の衝突ではなかった。


 人間が人間のまま届ける最高点と、未成熟の魔神が戦いの中で掴みかけた暴力。


 その二つが、霧灰白庭迷宮むかいはくていめいきゅうの外縁接続路で真正面からぶつかった。


 音は、遅れて来た。


 最初に光が走った。


 白銀の光が、黒い魔神性を裂く。


 次に、黒い爪が白銀の剣筋を噛み砕こうとした。


 霧が消し飛び、白磁床が割れ、戻り水が壁まで跳ね上がる。


 外縁接続路の壁が悲鳴を上げた。


《外縁接続路、損傷率六十八パーセント》


《白磁床、崩落危険》


《戻り水路、逆流》


《ガルザヴェイン、負傷拡大》


《アレク・ヴァイス、肉体限界接近》


「補強しろ!」


《緊急補強を実行》


 白い部屋で、余は壁面を睨んでいた。


 だが、白い光と黒い魔力が荒れすぎて、映像が乱れる。


 見えない。


 見えぬほどの衝突。


「管理音声、状況!」


《解析中》


 白が、黒を押した。


 いや、黒が白を噛んだ。


 どちらが勝っているのか、一瞬では分からない。


 やがて、光が砕けた。


 霧が戻る。


 白磁の粉が舞う。


 その中に、二つの影があった。


 アレクは立っていた。


 白銀の剣を両手で握りしめ、肩で息をしている。


 剣は折れていない。


 だが、刃の根元に深い亀裂が入っていた。


 胸元の記録板は、まだある。


 ひび割れ、血に染まり、それでも彼の胸に括りつけられている。


 ガルザヴェインも立っていた。


 両腕から黒い血が流れている。


 胸の傷はさらに深くなり、片方の肩から黒い魔力が漏れていた。


 右の爪は砕け、左の腕には白銀の斬撃痕が骨まで刻まれている。


 だが、彼は笑っていた。


「……ツヨイ」


 ガルザヴェインが言った。


 その声には、いつもの単純な喜びだけではない。


 驚き。


 称賛。


 そして、理解しかけた何かが混じっていた。


「オマエ、ツヨイ」


 アレクは答えなかった。


 答える余裕がない。


 人極一閃は、彼の命を削った。


 呼吸のたびに、口元から血が落ちる。


 腕が震える。


 足も震えている。


 それでも、剣先はガルザヴェインへ向いている。


「どけ」


 アレクは言った。


 声は掠れていた。


「俺は、帰る」


「カエル」


 ガルザヴェインは、胸の傷を押さえながら首を傾げる。


「ナカマ、シンダ」


「ああ」


「キロク、モツ」


「ああ」


「ソレ、オマエ、ツヨクスル」


 アレクの目が細くなる。


「……そうだ」


 ガルザヴェインは、少しだけ笑みを変えた。


 楽しそうなだけの笑みではない。


 目の前の強者が、なぜ強いのかを見ようとする顔だった。


「オレ、グン、モッタ」


 彼は、ぎこちなく言葉を重ねる。


「ヨワイ、シンダ」


「……」


「オマエ、ナカマ、シンダ」


 ガルザヴェインの金色の目が、アレクの胸の記録板を見る。


「デモ、オマエ、ツヨクナッタ」


 アレクは剣を握り直した。


「俺は、強くなりたかったわけじゃない」


「ナゼ」


「帰るためだ」


「ナゼ、カエル」


「伝えるためだ」


「ナニヲ」


 アレクは、血に濡れた記録板へ左手を添えた。


「ここで死んだ者たちのことを」


 ガルザヴェインは黙った。


「この迷宮が、Aランクではないことを」


 白い部屋で、余はその言葉を聞いていた。


 外へ出せば終わりだ。


 この記録が王都へ届けば、人間側は霧灰白庭迷宮を正しく恐れる。


 そして正しく対策する。


 Sランク迷宮として。


 魔神性の残留がある場所として。


 十万の魔物を喰った場所として。


 だから、出せない。


「ガルザヴェイン」


 余は契約線越しに告げた。


「記録板を外へ出すな」


「ワカッタ」


「殺せ」


「ワカッタ」


 ガルザヴェインは、ゆっくり息を吸った。


 胸の傷口から、黒い魔力が漏れる。


 だが、その魔力は暴走していない。


 以前のように、ただ膨れ上がるだけではない。


 戦いの中で、少しずつ形を持ち始めている。


 拳へ。


 爪へ。


 足へ。


 呼吸へ。


 鐘へ。


 戦うための形へ。


 ガルザヴェインは、腰の魔神進軍鐘まじんしんぐんしょうへ手をかけた。


 ごん。


 低い音が鳴る。


 軍勢を動かす鐘ではない。


 自分自身を戦場へ刻む鐘。


 その音に合わせて、黒い魔神性が荒れずに締まった。


 アレクもまた、剣を構える。


 白銀の光は、先ほどより弱い。


 だが、細い。


 冷たい。


 まだ折れていない。


    ◇


 次に動いたのは、アレクだった。


 正面ではない。


 彼は左へ踏み込んだ。


 出口へ。


 ガルザヴェインの肩がまだ完全に動かない側へ。


 剣を振るう。


「白銀剣技――帰刃きじんれん


 帰る意思を刃に変えた連撃。


 一撃目は、ガルザヴェインの腕を狙う。


 二撃目は、足。


 三撃目は、胸の傷。


 四撃目は、出口への空間。


 アレクは戦っている。


 だが、戦いながら抜けようとしている。


 剣筋のすべてが、帰るための道を作る形になっていた。


 ガルザヴェインは、今度は追わなかった。


 出口を背にして、動かない。


 余の命令を覚えている。


 外へ出すな。


 記録板を出すな。


 その命令を、戦いの形へ変えた。


「魔神拳――黒門受こくもんうけ」


 ガルザヴェインは、拳ではなく両腕を門のように構えた。


 アレクの一撃目を腕で受ける。


 血が飛ぶ。


 二撃目を膝で止める。


 三撃目を肩で受ける。


 胸の傷がさらに裂ける。


 だが、四撃目。


 出口への空間を斬ろうとした一撃。


 それだけは、ガルザヴェインが拳で叩き潰した。


 白銀の斬撃が砕ける。


 アレクの目が鋭くなる。


「覚えたか」


「ロード、オシエタ」


「いい主だな」


「オレノ、ロード」


 ガルザヴェインが笑う。


「オレ、マモル」


 アレクの剣が、一瞬だけ止まった。


「守る?」


「ロード、メイレイ。キロク、ダサナイ。ソト、デナイ。オマエ、トメル」


 アレクの表情が変わった。


 敵が、ただ戦いたいだけではない。


 命令を守っている。


 役割を持っている。


 ただの魔物ではない。


 迷宮の戦力として、そこに立っている。


「……灰白庭は」


 アレクが低く言った。


「魔神を、飼っているのか」


 白い部屋で、余の意識が冷えた。


 気づいた。


 この男は気づいた。


 外へ出せない理由が、さらに増えた。


「ガルザヴェイン」


「ワカッタ」


 魔神が踏み込む。


 今度は、彼から攻めた。


 拳ではない。


 爪でもない。


 体全体。


 肩、肘、膝、額、牙。


 全身を武器にする魔物の戦い。


魔神戦技まじんせんぎ――獣王崩じゅうおうくずし」


 まだ未完成の技だった。


 だが、成立していた。


 拳で剣を上げさせ、膝で足を止め、額で視界を潰し、爪で記録板を狙う。


 アレクはそれを受ける。


 剣で拳を流す。


 足を引いて膝を避ける。


 額を肩で受ける。


 爪を白銀の刃で弾く。


 だが、全てを防げない。


 爪の一本が、記録板の革紐を切った。


 記録板が胸から外れかける。


 アレクは左手で押さえる。


 その瞬間、剣が片手になる。


 ガルザヴェインはそれを見逃さなかった。


 拳が、アレクの剣へ叩き込まれる。


 白銀の剣が軋んだ。


 ひびが広がる。


「っ……!」


 アレクが後退する。


 記録板を守った。


 だが、剣が傷ついた。


 ガルザヴェインは、金色の目でその選択を見ていた。


「ケン、ヨリ、キロク」


 アレクは息を荒げながら答える。


「そうだ」


「ナゼ」


「剣は俺のものだ。記録は、全員のものだ」


 ガルザヴェインは、また少し考えた。


 戦闘中に。


 傷だらけで。


 それでも考えている。


「ゼンイン」


「そうだ」


「シンダ、ゼンイン」


「ああ」


「オマエ、モツ」


「ああ」


 ガルザヴェインの魔神性が、静かに揺れた。


 乱れるのではない。


 形を変えるように。


 フィルエが白い部屋で呟いた。


「ロード、ガルザヴェインが変わってる」


「見えている」


「この戦い、ただの討伐じゃない」


「ああ」


 ガルザヴェインは、強さの理由を見ている。


 仲間。


 記録。


 帰還。


 役割。


 守るもの。


 今まで彼が外で持てなかったもの。


 迷宮に入ってから学び始めたもの。


 そのすべてが、アレクという人間の最高到達点の中に凝縮されている。


 だから、この戦いはガルザヴェインに必要だった。


    ◇


 アレクの体は、もう限界だった。


 Sランク相当の魔力反応。


 人間種の通常最高到達点。


 だが、その境地に体が慣れていない。


 仲間の死と、記録を持ち帰るという強烈な目的で、無理やりそこへ届いている。


 命を燃やし、骨を削り、血を代償にしている。


 長引けば、死ぬ。


 それでも、彼は出口を見た。


 ガルザヴェインの背後。


 白い光。


 外縁接続路。


 あと、少し。


 アレクは息を吸った。


 これが最後だと分かっていた。


 剣はひび割れている。


 体は裂けている。


 記録板も壊れかけている。


 次の一撃で抜ける。


 抜けられなければ、終わる。


「白銀剣奥義――」


 剣の光が、再び集まる。


 先ほどの人極一閃ほど大きくない。


 だが、さらに鋭い。


 薄く、細く、真っ直ぐ。


帰天一閃きてんいっせん


 帰るための一閃。


 敵を倒すためではない。


 道を開くための奥義。


 アレクは、ガルザヴェインではなく、彼の横の空間を斬った。


 そこを抜けるために。


 白銀の剣が、出口へ向かう道を切り開く。


 ガルザヴェインの目が見開かれる。


 速い。


 美しい。


 そして、ずるいほど正しい。


 戦うためではなく、帰るための剣。


 だが、ガルザヴェインは笑った。


「ソレ、ツヨイ」


 彼は、踏み込まなかった。


 退かなかった。


 ただ、鐘を鳴らした。


 ごん。


 魔神進軍鐘の音が、迷宮の外縁接続路に響く。


 その音は軍勢を動かさない。


 今回は、彼自身の足を動かした。


 ほんの半歩。


 だが、その半歩で、ガルザヴェインはアレクの帰天一閃の先へ入った。


 白銀の刃が、ガルザヴェインの脇腹を深く裂く。


 黒い血が噴き出す。


 骨まで届いた。


 普通なら、避ける。


 受けるなら腕で受ける。


 だが、ガルザヴェインは脇腹で受けた。


 両腕を自由にするために。


 記録板を狙うためではない。


 アレク本人を掴むために。


 ガルザヴェインの両腕が、アレクの体を捕まえた。


「捕まえた」


 不完全な言葉ではなかった。


 はっきりとした言葉だった。


 アレクの目が揺れる。


「……っ!」


 ガルザヴェインの爪が、アレクの背に食い込む。


 剣を持つ腕を封じる。


 出口への一歩を止める。


 アレクは剣を引こうとする。


 剣はガルザヴェインの脇腹に食い込んだまま抜けない。


 ガルザヴェインが、額をアレクの額へぶつけた。


 鈍い音。


 アレクの視界が揺れる。


 それでも、彼は記録板を守ろうとする。


 左腕が動く。


 ガルザヴェインは、その腕を見た。


「キロク」


 アレクは、血を吐きながら言った。


「……渡さない」


「ワタサナイ」


 ガルザヴェインは、その言葉を繰り返す。


 そして、少しだけ静かな声で言った。


「ナラ、オマエゴト、トル」


 黒い魔力が、両腕に集まる。


 潰すのではない。


 引き裂くのでもない。


 抱え込んだまま、魔神性を叩き込む。


 アレクの体が軋む。


 骨が折れる。


 記録板を守る左腕も、力が抜けていく。


 だが、彼は最後まで離さない。


「……帰る」


 アレクが言った。


 声は小さかった。


「帰って……伝える……」


「カエレナイ」


 ガルザヴェインが答える。


「オレ、トメル」


 アレクは、笑った。


 血に濡れた、ひどく疲れた笑みだった。


「なら……伝えられないな」


 彼の視線が、白い霧の奥を向く。


 まるで、そこに王都があるかのように。


「マルク……すまない」


 それから、彼は最後の力で剣を握った。


 ガルザヴェインの脇腹に刺さったままの白銀剣。


 その刃へ、残った全魔力を流す。


 記録板を持ち帰れないなら。


 せめて、目の前の魔神を深く傷つける。


 それが最後の抵抗だった。


「白銀剣技――残光ざんこう


 剣が、内側から光った。


 ガルザヴェインの脇腹の中で。


 白銀の光が爆ぜる。


 魔神の腹が裂ける。


 黒い血と魔力が吹き出す。


 ガルザヴェインが、初めて苦痛に顔を歪めた。


「グ……!」


 だが、離さない。


 離さなかった。


 魔神の両腕が、アレクをさらに強く締めた。


 アレクの体が折れる音がした。


 白銀の剣が、根元から砕けた。


 記録板が、アレクの胸元でひび割れる。


 だが、完全には砕けない。


 ガルザヴェインは、砕けた剣の柄ごとアレクの体を押さえつけたまま、最後に牙を剥いた。


「ツヨカッタ」


 彼は言った。


「オマエ、ツヨカッタ」


 そして、魔神の爪が、アレクの心臓を貫いた。


《Sランク相当覚醒冒険者:アレク・ヴァイス、死亡》


《獲得ソウル:180,000》


《取得:白銀剣覚醒片、人極一閃の記録、帰天一閃の記録、記録守護意思、仲間喪失による限界突破記憶》


 白い霧が、静かになった。


    ◇


 ガルザヴェインは、しばらく動かなかった。


 アレクの体を抱えたまま。


 白銀の剣の破片が、彼の脇腹に刺さっている。


 黒い血が、白い床へ滴っている。


 記録板は、アレクの胸元で割れていた。


 だが、文字は残っている。


 マルクの最後の査定。


 灰白庭はSランク相当。


 ガルザヴェインは、その記録板を見た。


 そして、白い部屋の方へ差し出した。


「ロード」


「回収する」


 白磁根が静かに伸び、記録板を受け取った。


 外へは出ない。


 情報は、漏れない。


 アレクは、帰れなかった。


 だが、彼が守った記録は、迷宮の中に残った。


 余のものとして。


 白い部屋に、記録板が運ばれてくる。


 血に濡れ、ひび割れ、しかし読める。


 白骨書記が、それを受け取った。


 いつもより慎重に。


 骨筆を止め、両手で受け取る。



回収物:


王国ギルド再査定記録板

最終査定:灰白庭はSランク相当



 白骨書記は、さらに書く。



持ち帰り不能。

しかし、査定は成立。



 余は、その文字を見て黙った。


 調査隊は帰らなかった。


 Aランク二組も帰らなかった。


 アレクも帰らなかった。


 だが、査定はここにある。


 外へ出なかっただけだ。


 そして、迷宮側にも条件として刻まれた。


《条件確認中》


《大規模スタンピード殲滅》


《魔神ゴブリン契約》


《王国認定調査隊討伐》


《Aランクパーティ二組討伐》


《Sランク相当覚醒冒険者討伐》


《再査定記録、迷宮内回収》


《条件統合》


 白い部屋の壁面が、静かに光った。


 だが、その前に、別の表示が浮かぶ。


《契約存在:魔神ゴブリン・ガルザヴェイン》


《Sランク相当覚醒冒険者討伐を確認》


《強敵討伐経験を確認》


《戦闘中学習を確認》


《仲間・記録・帰還目的への認識変化を確認》


《迷宮契約下での役割定着を確認》


《進化条件達成》


 ガルザヴェインの体が、黒い光に包まれた。


「……来たか」


 余は呟いた。


 ガルザヴェインは、アレクの亡骸をそっと床へ置いた。


 乱暴ではなかった。


 それは、彼なりの敬意だったのかもしれない。


 次の瞬間、魔神進軍鐘が鳴った。


 ごん。


 今までより低く、深い音。


 ガルザヴェインの背から、黒い魔力が噴き上がる。


 ただ荒れるのではない。


 形を持つ。


 鎧のように。


 王冠ではない。


 玉座でもない。


 だが、戦場に立つ者の威圧。


 彼の角が伸びる。


 未成熟だった角が、少しだけ形を整える。


 体の傷が塞がるのではなく、傷跡として刻まれる。


 アレクにつけられた白銀の傷も、グズにつけられた泥の打痕も、折剣濁白騎士の剣傷も、すべてが戦歴として残る。


 魔神ゴブリンではない。


 ただ強さを求める未成熟の怪物ではない。


 役割を得た。


 戦う意味を少しだけ知った。


 ロードの命令を守り、強敵を迎撃し、記録を外へ出さなかった。


 そして、人間の最高到達点を倒した。


《魔神ゴブリン・ガルザヴェインは、魔神戦王まじんせんおうゴブリン・ガルザヴェインへ進化しました》


《新能力を確認》


戦王圧せんおうあつ:ゴブリン系魔物を役割に応じて段階的に強化可能》


《強敵嗅ぎ(きょうてきかぎ):迷宮内高位侵入者への感知強化》


《魔神進軍鐘・戦王鳴せんおうめい:訓練済みゴブリン部隊への精密指揮が可能》


闘傷成長とうしょうせいちょう:強敵による傷を戦闘経験として定着》


 ガルザヴェインは、ゆっくり立ち上がった。


 以前より、静かだった。


 強くなったのに、暴れない。


 むしろ、魔力が収まっている。


 金色の目が、白い部屋の方を向く。


「ロード」


「何だ」


「アレク、ツヨカッタ」


「ああ」


「ナカマ、キロク、カエル。ソレ、ツヨイ」


「そうだ」


 ガルザヴェインは、自分の胸に残る白銀の傷を見た。


「オレ、オボエル」


 余は、少しだけ黙った。


「覚えておけ」


「ウン」


 魔神戦王ゴブリン・ガルザヴェインは、静かに頷いた。


 その姿を見て、余は思った。


 これは、ただの戦力強化ではない。


 迷宮は、また別のものを抱えた。


 強さを求める魔神に、戦いの意味が少し宿った。


 それが良いことなのか、悪いことなのか。


 今はまだ分からない。


 だが、少なくとも。


 アレク・ヴァイスという人間は、死んでも何かを残した。


 敵である余の迷宮にすら。


    ◇


 白い部屋に、管理音声が響く。


《迷宮ランク再査定を開始》


 壁面が白く光る。


《大規模スタンピード殲滅実績、確認》


《Sランク魔物契約および進化、確認》


《Aランクパーティ二組討伐、確認》


《王国認定調査隊討伐、確認》


《Sランク相当覚醒冒険者討伐、確認》


《迷宮独自報酬構造、継続稼働》


《複合迷宮構造、拡張済み》


《深部防衛戦力、基準超過》


《総合判定》


 余は、白い部屋の中央でその表示を見ていた。


 フィルエが森灰観測室から静かに息を呑む。


 白骨書記が、骨筆を構える。


 魔神戦王となったガルザヴェインは、外縁接続路でアレクの死体の前に立っている。


 夜棺白庭では、ヴェルグレイヴがまだ眠っている。


 グズも、ハイハネも、カゲヌイも、湿骨軍列も、軍帰路喰らいも、損傷しながら待っている。


 そして、管理音声が告げた。


《霧灰白庭迷宮は、AランクからSランクへ昇格しました》


 白い部屋に、しばらく静寂が落ちた。


 余は、ゆっくり笑った。


「……そうか」


 Aランクではない。


 人間の査定官も、そう書いた。


 管理音声も、そう告げた。


 霧灰白庭迷宮は、Sランク迷宮になった。


 だが、外の人間はまだ知らない。


 調査隊は戻らない。


 Aランク二組も戻らない。


 Sランクへ覚醒したアレクも戻らない。


 彼らが持ち帰るはずだった答えは、余の手元にある。


 白骨書記が、静かに骨板へ書いた。



人間側再査定結果:

持ち帰り不能。


迷宮側再査定結果:

Sランク到達。



 余は、その文字を見て、白い霧の外を思った。


 封鎖線。


 王都。


 ギルド。


 待っている者たち。


 彼らは、帰らない調査隊を待つことになる。


 そして、やがて知る。


 灰白庭へ入ったAランク二組と調査隊は戻らなかった。


 外部観測では、一瞬だけSランク相当の人間反応が発生し、それも消えた。


 それが何を意味するか。


 人間どもは、震えながら考えるだろう。


「測りに来たな」


 余は、血に濡れた記録板を見下ろした。


「測った結果は、余がもらう」


 外縁接続路で、ガルザヴェインがアレクの折れた白銀剣を拾い上げた。


 刃は砕けている。


 だが、白銀の光がまだ少しだけ残っていた。


 彼はそれをじっと見てから、白い部屋の方へ差し出す。


「ロード」


「それも回収する」


 白磁根が伸び、折れた剣を受け取る。


 これもまた、迷宮の素材になる。


 人間の最高到達点の剣。


 仲間の記録を守ろうとした剣。


 そして、魔神戦王に傷を残した剣。


 余は静かに言った。


「アレク・ヴァイス」


 敵の名を、初めて口にした。


「お前の査定は、正しかったぞ」


 霧灰白庭迷宮は、Sランクになった。


 そして、白い霧はまた静かに閉じていった。

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