第167話 号外は、災厄を戦力と呼ぶ
白い部屋に、黒い紙が落ちた。
一枚ではない。
何枚も。
ぱさり。
ぱさり。
ぱさり。
戦後処理の最中に、それは容赦なく降ってきた。
「……今か」
《ダンジョン新聞、号外です》
「見れば分かる」
《購読対象です》
「購読した覚えはないと、何度言えば分かる」
《配達されます》
「くそ」
余は、床に落ちた黒い紙を拾った。
白い部屋の壁面には、まだ損耗一覧が浮かんでいる。
浅層霧構造の補修。
戻り水湿地の濾過。
白磁偽財殿の仮支柱。
骸門残響隔離層の再封鎖。
折剣濁白騎士の大修復。
泥塞大門将グズの泥核補強。
湿骨軍列の骨整理。
影軍縫いカゲヌイの影針再生成。
灰霧追導蛾ハイハネの休息。
魔神練兵窟の安定化。
やることは山ほどある。
その上で、新聞だ。
忙しい時ほど、余の迷宮には面倒なものが落ちてくる。
だが、読むしかない。
紙面の一面には、大きな文字があった。
⸻
《号外》
《霧灰白庭迷宮、十万規模の魔物軍勢を呑む》
王都方面へ進行していた大規模スタンピードが、人間側の誘導により霧灰白庭迷宮へ流入。
同迷宮は浅層、中層、宝物庫、残響隔離区画、深部防衛を総動員し、軍勢の大部分を殲滅。
特筆事項:
・戦闘中に複数配下が進化
・十万規模の魔物軍勢を迷宮内で処理
・未成熟Sランク魔物《魔神ゴブリン・ガルザヴェイン》との契約反応を確認
・霧灰白庭迷宮の危険度、再評価必至
編集部評:
「王都を救うために流された災厄は、迷宮の糧になった」
⸻
「糧、か」
余は笑った。
「いい表現だ」
《適切です》
「だが、契約反応まで書くな」
《ダンジョン新聞側には観測されています》
「余は隠したいのだが?」
《ロード社会では秘匿困難な可能性があります》
「人間側に漏れなければよい」
人間どもが知っているのは、せいぜい灰白庭へ魔物を押し込んだこと。
魔物反応が大規模に消えたこと。
迷宮魔力が異常上昇したこと。
ガルザヴェインの反応が追えなくなったこと。
その程度だろう。
まさか、魔神ゴブリンが余の契約存在になったとは思うまい。
思わせるな。
絶対に思わせるな。
「管理音声。外部へ漏れる魔神反応をさらに沈めろ」
《魔神練兵窟の遮断を強化します》
「人間側には、ガルザヴェインは迷宮内で死亡、あるいは深部で行方不明と見せろ」
《偽装します》
「死亡と断定させるな。断定されると死体確認に来る」
《では、行方不明を主に偽装します》
「そうだ。恐れさせろ。だが、探しに来たくなるほど確証は与えるな」
《承知しました》
余は新聞をめくった。
次の面には、戦闘中進化の一覧が載っていた。
⸻
《戦闘中進化記録》
《灰霧追導蛾ハイハネ》
霧喰い大蛾から進化。
軍勢規模の飛行種撹乱、追跡粉誘導、霧層制御に適性。
《湿骨軍列》
湿骨兵群が部隊単位で進化。
戦場死体を用いた補修、槍列形成、死体運搬に特化。
《泥塞大門将グズ》
泥塞門将より進化。
軍勢規模の進路封鎖、遠隔小型泥門の多重形成が可能。
《影軍縫いカゲヌイ》
影縫い罠師より進化。
個体ではなく、群れの影、軍勢の流れそのものを縫う。
《軍帰路喰らいの落武者》
帰路喰らいの落武者より進化。
個人の帰路ではなく、集団の退路、進軍路、撤退方向を喰う。
⸻
「改めて見ると、よく進化したな」
《大量戦闘による経験蓄積が要因です》
「十万は伊達ではないか」
《はい》
白骨書記が横でかたかたと顎を鳴らした。
そして、戦争台帳の隣に新しい骨板を置く。
⸻
戦闘中進化は、今後の迷宮運営体系を変える。
⸻
「白骨書記がそれらしいことを書いている」
《実際に重要です》
「分かっている」
ハイハネが霧を導けるようになったことで、空と外部追跡の精度は上がる。
湿骨軍列は、死体処理と湿地防衛の要になる。
グズは、もはや単なる門番ではない。
軍勢の進路を切る大門だ。
カゲヌイは、群れを縫える。
軍帰路喰らいは、逃げる軍勢を迷わせる。
これらは、今後の迷宮防衛の骨格になる。
そして、そこに魔神ゴブリン・ガルザヴェインが加わった。
強敵迎撃。
ゴブリン系育成監督。
深部戦闘存在。
厄介だが、強い。
非常に強い。
◇
新聞の次の欄には、ロード反応が並んでいた。
いつもより、明らかに長い。
⸻
《ロード反応欄》
《井守》
十万の軍勢を喰ったか。
まず、生き残ったことを祝う。
次に、浮かれるなと言う。
十万は餌だ。
だが、十万を喰った腹は、外から見ても膨らむ。
人間も、ロードも、上位の何かも、お前を見る。
強くなった時ほど、入口を小さくしろ。
腹を見せるな。
⸻
余は、しばらく井守の欄を見ていた。
「腹を見せるな、か」
《適切な助言です》
「相変わらず古参らしいことを言う」
井守はCランクだ。
今の余より、ランクだけ見れば下だ。
だが、あのロードは生き残っている。
長く。
それだけで、言葉に重みがある。
余は次の欄を読んだ。
⸻
《黒泥胎窟》
十万の魔物は泥にすればよい。
だが、泥は重い。
重い泥を抱えすぎると、自分の腹が沈む。
死体を沈めろ。
ソウルを使え。
腐った魔力を残すな。
⸻
「耳が痛いな」
《戻り水湿地、死体処理負荷が高い状態です》
「分かっている。後で強化する」
⸻
《逆骨廟》
魔神ゴブリンを契約存在にした?
骨が震えた。
羨ましさではない。
恐怖だ。
強い味方は、強い問題でもある。
魔神を抱えるなら、魔神を閉じる骨も育てろ。
⸻
「皆、似たようなことを言うな」
《危険性が明白なためです》
「分かっている」
分かっている。
ガルザヴェインは力だ。
同時に、問題だ。
戦いたがる。
強いものに反応する。
夜棺白庭のヴェルグレイヴに興味を示す。
ゴブリンを強制的に引き上げる危険がある。
契約で縛っているが、扱いを誤れば、内側から迷宮を壊しかねない。
だから、魔神練兵窟を作った。
だが、それだけでは足りない。
魔神を閉じる骨。
逆骨廟の言葉は、少し考える価値がある。
次の欄へ目を移す。
⸻
《鏡霧劇場》
十万の軍勢を喰った迷宮は、十万の噂も喰う。
人間は言うだろう。
灰白庭が魔物を消した。
灰白庭は王都を救った。
灰白庭は怪物だ。
灰白庭には、まだ魔神がいるかもしれない。
噂は鏡だ。
見せたい姿だけ映せ。
見せたくないものは、別の恐怖で曇らせろ。
⸻
「これは使える」
《外部情報偽装方針に関係します》
「灰白庭が救った、と思わせるのは嫌だな」
《人間側がそう解釈する可能性があります》
「救ってなどいない。押し付けられたから喰っただけだ」
《ですが、結果として王都は救われています》
「腹立たしい」
人間どもが、余の迷宮を盾にした。
それで生き延びた。
今後、感謝する者もいるかもしれない。
恐れる者もいるだろう。
討伐すべきだと言う者もいる。
宝が増えたと考える愚か者もいる。
情報をどう見せるかは、重要だ。
余は、救った迷宮などと呼ばれたくはない。
だが、恐怖だけでは人は避ける。
宝と恐怖の両方がいる。
今回は、さらに新しい要素が加わった。
王都を救ったかもしれない怪物。
その噂は、人間をどう動かすか。
扱いを間違えれば、聖教会や勇者まで呼ぶ。
慎重にしなければならない。
次の欄には、竜喉火山の名があった。
⸻
《竜喉火山》
十万を喰ったなら、次は十万を喰った迷宮として扱われる。
Aランクのまま、Aランクの顔をするな。
お前の腹は、すでに上の匂いを出し始めている。
隠せ。
鍛えろ。
そして、火口を深くしろ。
⸻
「上の匂い、か」
《Aランク上位、またはSランク候補として見られる可能性があります》
「早すぎる」
《十万規模の魔物軍勢を処理した事実は大きいです》
「人間側には処理規模を曖昧にする」
《実施中です》
「ロード側には隠せないか」
《困難です》
ダンジョン新聞がここまで書いている時点で、ロード側には知られる。
なら、そちらは仕方ない。
問題は人間だ。
◇
《報告》
「何だ」
《外部観測班が追加報告を送信しました》
「人間側か」
《はい》
「内容を拾えるか」
《一部、薄灯茸穴経由で断片取得》
「出せ」
白い部屋の床に、人間側の報告断片が浮かぶ。
⸻
灰白庭外縁観測報告:
・魔物軍勢の大部分が内部へ流入
・内部で魔物反応が大規模消失
・Sランク反応、追跡不能
・迷宮魔力、異常上昇
・白灰霧、戦闘前より濃化
・接近非推奨
・内部状況、不明
備考:
灰白庭は、スタンピードを呑んだ可能性あり。
⸻
「よし。契約のことは出ていない」
《現時点では確認されていません》
「ガルザヴェインの反応は」
《深部へ沈めています。外部からは追跡不能》
「死亡に見えるか」
《死亡、捕食、深部封印、いずれにも解釈可能な状態です》
「そのままでいい。断定させるな」
《承知しました》
人間側が最も恐れるのは、不明だ。
死んだのか。
生きているのか。
迷宮に喰われたのか。
まだ奥にいるのか。
分からない。
分からないなら、迂闊に入れない。
その一方で、宝や素材を期待する者は出る。
十万の魔物の素材。
ガルザヴェイン由来の何か。
魔物軍勢が消えた迷宮の新しい報酬。
そう考える馬鹿は必ずいる。
つまり、また冒険者は来る。
だが、すぐに大量に来られると困る。
今は修復と整理が先だ。
「管理音声。外縁の宝反応を一時的に抑えろ」
《報酬構造を弱めますか》
「完全に消すな。消せば、逆に何か隠していると思われる。浅層採取物を少量だけ残す。正式宝箱は一時停止」
《承知しました》
「白銀磁片は出すな。魔神由来素材も絶対に出すな」
《厳禁設定》
「ガルザヴェインの血は」
《現在、魔神練兵窟で回収中》
「一滴も外へ出すな」
《承知しました》
白骨書記が、すぐに新しい項目を書く。
⸻
外部流出禁止:
魔神血
魔神毛髪
魔神爪片
魔神性を帯びたゴブリン骨
ガルザヴェインの銅鐘片
魔神練兵窟由来泥
強化ゴブリン近衛の核片
⸻
「細かいな」
《白骨書記の判断は適切です》
「銅鐘はどうした」
《ガルザヴェインが保持しています》
そうだ。
腰に吊るしていた銅鐘。
リムナ村から奪った人間の鐘。
今はガルザヴェインの所持品だ。
「回収するか?」
フィルエが言った。
「した方がいい気もする。あれで軍勢を動かしてた」
「だが、取り上げると暴れそうだ」
「うん。たぶん暴れる」
「面倒だな」
《契約存在の装備として登録することを推奨》
「登録しろ。名称は?」
《既存名称なし》
余は少し考えた。
村の警鐘だったもの。
魔物の軍勢を進ませる鐘になったもの。
今後は、ガルザヴェインの練兵や出撃の合図に使われるかもしれない。
「魔神進軍鐘」
《魔神進軍鐘、登録》
ガルザヴェインの区画で、銅鐘がごん、と小さく鳴った。
本人が聞いていたのかもしれない。
「勝手に鳴らすな」
「ゴン」
「返事のつもりか?」
「ゴン」
「……まあいい」
◇
次に、余は魔神練兵窟を見た。
ガルザヴェインは回復槽に浸かったまま、目を開けていた。
眠らない。
休まない。
ただ、傷を塞がれながら、天井を見ている。
いや、天井ではない。
もっと先を見ている。
強い敵の幻影でも見ているのだろう。
その周囲には、数体のゴブリンがいた。
霧灰白庭迷宮の元からのゴブリンだ。
そして、スタンピード軍勢から生き残り、契約成立後に降伏状態になったゴブリンも少数いる。
彼らは、ガルザヴェインに近づきたそうにしていた。
だが、湿骨軍列が槍を並べ、近づけないようにしている。
「ガルザヴェイン」
「ロード」
「周囲のゴブリンを勝手に進化させるな」
「シナイ」
「本当にか?」
「ケイヤク」
「そうだ。契約だ」
ガルザヴェインは、少しだけ不満そうに鼻を鳴らした。
「ヨワイ、ツヨクスル」
「強くするのはいい。だが、壊すな」
「コワス?」
「お前の近衛は死んだだろう」
ガルザヴェインの目が、少し細くなる。
「ヨワイ」
「違う。器がなかった」
「ウツワ」
「この魔神練兵窟がお前の器だ。ここでなら、余の許可のもとでゴブリンを鍛えられる。ただし、役割を与える。門、斥候、罠、戦闘、運搬、何かを持たせる」
ガルザヴェインは、しばらく考えていた。
考えるようになっただけでも大きい。
「ヤクワリ、アル、ツヨイ」
「そうだ」
「ヤクワリ、ナイ、シヌ」
「そうだ」
ガルザヴェインは、回復槽の泥の中で頷いた。
「ワカッタ」
分かったか。
本当に分かったか。
怪しい。
だが、少しずつだ。
未成熟の魔神は、今、迷宮の中で別の成長を始めている。
「白骨書記」
余が呼ぶと、白骨書記がすぐに新しい骨板を出した。
「ゴブリン育成台帳を作れ」
白骨書記が、待っていましたと言わんばかりに骨筆を走らせる。
⸻
ゴブリン育成台帳:
分類予定:
一、泥門補助ゴブリン
二、霧走りゴブリン
三、影罠補助ゴブリン
四、宝箱運搬ゴブリン
五、戦闘訓練ゴブリン
六、魔神練兵窟候補生
禁止事項:
無許可進化
卵食害
宝箱食害
残響核隔離室への接近
夜棺白庭方面への接近
魔神血への接触
⸻
「素晴らしい。だが、宝箱食害がまたあるな」
《必要です》
「否定できん」
ガルザヴェインが、その文字を見て首を傾げる。
「タベモノ?」
「違う」
「ハコ?」
「宝箱だ。食うな」
「タベナイ」
「お前はな。問題は他のゴブリンだ」
ガルザヴェインは、少しだけ周囲のゴブリンを見た。
ゴブリンたちは、びくりと震える。
「ハコ、クウナ」
ガルザヴェインが言った。
周囲のゴブリンたちが、一斉に地面に伏せた。
「ギギ!」
「ギ!」
「ギィ!」
余は黙った。
「……管理音声」
《はい》
「今の、ものすごく効いたな」
《ゴブリン系統への命令浸透率、極めて高》
「これだけで、契約した価値があるかもしれん」
《宝箱食害抑制に有効です》
白骨書記が、すぐに大きく書いた。
⸻
魔神ゴブリン命令:
宝箱食害抑制に有効。
⸻
「今日一番の朗報かもしれん」
フィルエが笑った。
「ロード、嬉しそう」
「嬉しいに決まっているだろう。長年の悩みだぞ」
「長年ってほど長くないよ」
「体感では長い」
◇
号外の最後には、短い欄があった。
他のロードたちの反応ではない。
編集部からの追記だ。
⸻
《編集部追記》
人間側は、今回の事態を正確には把握していない。
彼らが知るのは、以下の程度である。
・灰白庭方面へ魔物軍勢が流入した
・魔物反応が大規模に消失した
・迷宮魔力が異常上昇した
・魔神ゴブリンの反応が追跡不能になった
彼らはまだ知らない。
災厄が死んだのか。
喰われたのか。
封じられたのか。
あるいは、迷宮の一部になったのか。
この不明こそ、次の噂を育てる。
⸻
「余の考えと近いな」
《はい》
「不明を育てる」
《外部情報戦として有効です》
「ならば、こちらから余計な反応は出さない。しばらく灰白庭は沈黙する」
《冒険者の侵入対応は?》
「浅層で追い返せ。今は深部に入れるな」
《宝箱は?》
「浅層に低価値だけ。白磁花片、灰白採取物少量。罠は軽め。ただし、奥へ来ようとする者は全力で迷わせろ」
《承知しました》
今は、傷を癒やす。
そして、得たものを整理する。
ソウル。
魔神。
進化した配下。
十万の死体素材。
人間側の恐怖。
王都の罪悪感。
すべてが、今後の糧になる。
白い部屋に、静けさが戻る。
いや、完全な静けさではない。
魔神練兵窟では、ガルザヴェインが泥の回復槽でごん、と銅鐘を鳴らしている。
霧喰い大蛾育成温室では、ハイハネが羽を畳んで眠っている。
白骨書記室では、骨筆が止まらない。
残響音響室では、マネが小さく銅鐘の音を真似ている。
「ゴン」
「今は静かにしろ」
「今は静かにしろ」
「余の声で返事をするな」
フィルエが小さく笑う。
余は、白い部屋の中央で息を吐いた。
戦いは終わった。
だが、後始末は始まったばかりだ。
そして、外では人間どもが怯えている。
それでいい。
王都を救うために余の腹へ災厄を流した者たちよ。
震えていろ。
その災厄は、余のものになった。
余は新聞を畳み、白い床へ置いた。
「さて」
迷宮図を開く。
「次は、魔神を飼うための迷宮運営だ」
魔神練兵窟の奥で、ガルザヴェインがまた銅鐘を鳴らした。
ごん。
その音は、前より少しだけ迷宮に馴染んでいた。




