第15話 初投稿、初洗礼
投稿欄は、思っていたより冷たい。
新聞の紙面そのものが薄く光り、その中央にぽっかりと空いた空白だけがある。そこへ思考を流し込めば文字になるらしいのだが、いざ前にすると妙に緊張した。
「……」
余は無言で固まった。
《入力待機中》
「急かすな」
《急かしていません》
「急かされておる気分になるのだ」
《主観です》
「おぬし、今日ほんとうに容赦ないな」
だが、これは仕方ない。
戦闘で慌てるのと違い、ここでの失敗は目に見えにくい。見えにくいくせに、たぶん後に残る。下手なことを書けば笑われるかもしれぬし、情報を抜かれるかもしれぬ。逆に曖昧すぎれば何も返ってこぬ。
怖い。
実に怖い。
だが、だからこそ考える。
「まず、余の現状をそのまま書くのは駄目だな」
《妥当です》
「湿潤床、胞子区画、細穴、統率個体、斥候同行済み……。これを全部出すのは愚かである」
《はい》
「では、抽象化する」
余はそう呟き、思考を流し込んだ。
⸻
【下書き】
“低位迷宮にて、斥候同行編成への対応について意見を求む。配下統率は一部成立。構造改修済み。次の一手として何を優先すべきか”
⸻
「……どうだ」
《やや硬いですが、無難です》
「やや、とは何だ」
《新人らしいです》
「余は新人である」
《その通りです》
「ならよいではないか」
《よいです》
少し腹立たしいが、まあよい。
もう少しだけ迷った末、余は“低位迷宮”を“D以下相当”へ変えようとして、やめた。Dと書くだけでも範囲が絞られすぎる。辺境で最近Dへ上がった湿った洞窟など、推理されるまでもなく余だ。
「……いや、低位でよい」
そして、送信した。
ぴこん、と小さく音が鳴る。
たったそれだけで、余は妙にそわそわした。
「送ってしまった」
《はい》
「もう消せぬのか」
《可能ですが、すでに閲覧対象です》
「早いな!?」
《新聞ですので》
「理屈は分かるが怖い!」
余は白い部屋をぐるぐると意味もなく見回した。
もちろん、白い部屋は白いままである。窓の向こうでグズがゴブリンを叱っている。鼠が細穴を走る。茸が湿った壁でふくらむ。迷宮はいつも通りだ。
だが余の内心だけが、ひどく落ち着かない。
「返答はすぐ来るのか」
《早ければ》
「曖昧だな」
《投稿内容の注目度によります》
「それも怖い言い方をする」
ほんの数秒後、通知が来た。
「来た!?」
《来ました》
「心の準備が」
《遅いです》
最初の返答を開く。
⸻
【公開返信】
“斥候がいるなら正解の地形を固定して見せるな。前回と同じ勝ち筋を見せた時点で半分負ける”
――“灰冠のロード”
⸻
「……速いな」
だが、言っていることは鋭い。
やはり灰冠のロードは、妙な飾りなしに核心だけを突いてくる。正面から褒めるでもなく、見下すでもなく、必要な一言だけ置いていくのが余計に怖い。
「正解の地形を固定するな、か」
《前回助言と一貫しています》
「うむ」
次。
⸻
【公開返信】
“配下の質が低いなら、罠より位置を覚えさせた方が勝率が上がるよー。罠は味方が踏む”
――“朽縄井戸”井守
⸻
「それは、うむ。実にありそうだな」
《かなり高確率で発生します》
「おぬしもそう思うか」
《ゴブリンですので》
「否定できぬ……」
余は少しだけ顔をしかめた。
実際、今の馬鹿どもに複雑な罠を増やせば、まず誰かが自分で踏む。下手をすればグズすら巻き込まれかねぬ。罠は強い。だが、強いがゆえに扱いを誤ると自傷になる。
そして三件目が来た。
⸻
【公開返信】
“低位なら悩む必要はない。数を増やせ。二倍で駄目なら三倍だ”
――“裂歯坑の主”
⸻
「乱暴だな」
《一理はあります》
「あるのか」
《ただし雑です》
「同意する」
数は力だ。
それ自体は否定できぬ。だが、余はもう最初の方でで知っている。低級ゴブリンを並べただけでは、槍と盾に押し潰される。数は必要だが、数だけでは足りぬ。
続いて四件目。
【公開返信】
“低位で斥候同行なら、入口から胞子系を飽和させればよろしいのでは?”
――“白銀花廊”
⸻
「駄目であるな」
《駄目です》
「即答したな」
《入口から飽和させれば、警戒されて終わりです》
「うむ。しかも広く薄くなる」
《はい》
つまり、これだ。
返答は来る。
だが、その全てが使えるわけではない。
むしろ、玉石混交どころか、石もかなり多い。
新聞とは、答えの場ではなく、答えの種が混ざる場なのだろう。
「……難しいな」
余は腕を組み、返答一覧を見直す。
灰冠のロードは“見せるな”と言った。
井守は“位置を覚えさせろ”と言った。
裂歯坑の主は“数を増やせ”と言った。
白銀花廊は“入口から胞子を撒け”と言った。
このうち、余に本当に必要なのはどれか。
《取捨選択が必要です》
「分かっておる」
そして、さらに返答は増えていく。
⸻
【公開返信】
“低位なら水場を持て。汚水でもよい。足を止める地形は強い”
――“腐青沼”
【公開返信】
“配下統率が一部成立、とは具体に何を指す?”
――“金杭砦”
【公開返信】
“斥候は嫌だよねえ”
――“誰か”
【公開返信】
“前衛ではなく後衛の荷物を狙え。斥候は隊列を繋ぐ”
――“名無し設定”
⸻
「……最後、やや有用だな」
《はい》
「名無し設定とは何だ」
《匿名性を重視するロードでは》
「怪しい」
《怪しいですが、有用です》
「困るなそういうのは」
余がそう呟いたところで、新たな個別通知が届いた。
【“朽縄井戸”井守 より】
余は半ば反射で開く。
⸻
“全部真に受けるなよー。あと、返信欄で具体を喋るな。『参考にする』以上はあんまり言わない方がいい”
⸻
「……」
《有用です》
「うむ」
その通りだ。
危うく余は“実は胞子は奥で使っておる”だの、“後衛荷物狙いは鼠で既に試した”だのと書きかけていた。危ない。実に危ない。親切な返答を見せられると、ついこちらも喋りたくなる。
だが、それが罠でもあるのだ。
交流は情報戦。
取引はなおさら情報戦。
新聞とは、ただの掲示板ではない。
そのことが、ようやく腹に落ち始める。
「管理音声」
《はい》
「新聞、思ったより怖いな」
《はい》
「だが、便利でもある」
《はい》
「つまり、余はこれを使いこなさねばならぬのだな」
《Dランク以降では重要です》
使いこなす。
その言葉に、少しだけ腹が据わる。
怖いから閉じるのではない。怖いから、慎重に使うのだ。
余はひとまず投稿への公開反応に対し、一括で短い返礼を入れた。
⸻
【投稿主より】
“諸意見感謝する。取捨選択の上、参考にする”
⸻
「硬いか」
《非常に》
「余らしくてよい」
《新人らしくはあります》
「それもよい」
送ったあと、余は少しだけ息を吐いた。
しかし、そこで終わらぬのが新聞である。
交流欄の下部に、新着の短いやり取りが流れてきた。
⸻
【交流欄・短報】
・“裂歯坑の主”:低位は数だ。工夫に酔うな
・“朽縄井戸”井守:数を回せるならねー
・“灰冠のロード”:数だけで回るなら誰も苦労しない
・“白銀花廊”:胞子はやはり美しくありませんわね
・“誰か”:そこ?
⸻
「……賑やかであるな」
しかも、会話の端々にそれぞれの性格が出ている。
裂歯坑の主は直線的。
井守は軽い。
灰冠のロードは容赦がない。
白銀花廊――いや玻璃宮の姫だったか――は相変わらず美観に執着している。
そして、その雑談のようなやり取りですら、よく見れば価値がある。
例えば、数押しを好む者がいる。
例えば、美観や整然さを重視する者がいる。
例えば、配下の回し方や迷宮の思想が、そのまま言葉に滲む。
「……新聞とは恐ろしいな」
《理解が進んでいます》
「おぬし、今日やけに余を評価するではないか」
《事実ですので》
「よい、もっと言え」
《現在、少し調子に乗っています》
「急に刺すな!」
だが、調子に乗りかけた余の前に、さらに一本の個別通知が差し込まれた。
差出人名は知らぬものだった。
【“金杭砦”より】
公開返信でも具体を求めてきた相手だ。
少しだけ警戒しながら開く。
⸻
“公開では聞きにくいので個別に。『配下統率が一部成立』とは、統率個体の進化か? それともコア直轄命令の精度向上か。低位で前者なら興味深い。詳細次第で取引可能”
⸻
「……」
余は、無言になった。
喉があれば、ごくりと鳴っていた気がする。
「管理音声」
《はい》
「こういうのは」
《危険です》
「だろうな」
《ただし、有益な可能性もあります》
「分かるが怖い!」
統率個体の進化。
まさにグズのことだ。
しかも相手は、そこへかなり近い推測をしてきている。公開ではなく個別で、しかも“取引可能”という甘い言葉つき。
非常に危険だ。
非常に魅力的でもある。
「……いや」
余は首を振った。
早い。まだ早い。
今の余は、グズという存在にかなり助けられている。それを安売りするのは愚かだ。個体進化の条件や、統率の成立事例がどれほど価値を持つかも分かっていない。
価値が分からぬものを、今売るべきではない。
「返信は」
《どうしますか》
「ぼかす」
余は慎重に返した。
⸻
【返信】
“現時点では詳細共有不可。低位統率の実運用可否を見ている段階ゆえ、売り物にするには未整理”
⸻
《無難です》
「うむ」
少しだけ、大人になった気分だった。
いや、王になった、ではない。
だが少なくとも、“目先の餌に飛びつかなかった”という点では前進だ。
その時、また井守から通知が来た。
⸻
“あ、それ系の個別問い合わせは慎重にね。低位の統率成立事例って案外みんな欲しがるから”
⸻
「見ておったのか、あやつ」
《先方も新聞上の反応を見ているのでしょう》
「目が多すぎる!」
だが、同時にありがたくもある。
井守は距離感が軽い。信用しきるには軽すぎる。だが、今のところ助言自体はかなり実務的だ。
「……」
余はしばらく通知一覧を眺めていた。
公開返答。
個別問い合わせ。
軽口。
探り。
助言。
見下し。
祝辞。
全てが混ざっている。
新聞という名の紙の向こうには、確かに他のロードどもがいる。見えぬ洞窟、見えぬ墓所、見えぬ回廊、見えぬ井戸。そこに主がいて、余と同じように迷宮を回し、侵入者を迎え撃ち、取引をし、くだらぬやり取りをしながらも、隙あらば相手の喉元を見ている。
「……余は、ここでやっていけるのか」
《やる必要があります》
「そう言われると身も蓋もない」
《事実ですので》
その時、窓の向こうで小さな騒ぎが起きた。
新入りゴブリンの一体が、湿った床で派手に滑って尻餅をつき、そこへ別の一体がぶつかって転がり、グズが怒鳴りながらまとめて棍棒で叩いている。
「ぎゃっ!」
「ギィッ!」
「ぎ、ぎぃぃ……」
「ギィィッ!!」
余はそれを見て、ふっと笑った。
「……まあ、よいか」
《何がですか》
「新聞の向こうは怖い。だが、余の迷宮もまだまだである」
《はい》
「ならば当面、やることは変わらぬな」
《どうしますか》
「学ぶ。隠す。選ぶ。そして迷宮を育てる」
言ってみると、少しだけそれらしく聞こえた。
たぶん、王の言葉の練習としては悪くない。
余は改めて、今回得た返答を整理し始めた。
使える助言は三つ。
一つ、正解の地形を固定して見せるな。
一つ、罠より先に位置と動きを染み込ませろ。
一つ、後衛と隊列の繋ぎを乱せ。
「……これだけでも十分か」
あれほど怖がっていた投稿だったが、結果として、得るものはあった。
もちろん、危うさも見えた。
具体を漏らせば抜かれる。
甘い条件には裏がある。
親切と探りは同じ顔をして現れることがある。
だが、それを含めて、これが世界なのだろう。
人間側のギルドだけではない。
迷宮側にも社会があり、駆け引きがあり、空気がある。
余はその片隅へ、ようやく片足を踏み入れたのだ。
《次の処理があります》
「何だ」
《取引欄の推奨通知です》
「……もうか」
《投稿閲覧履歴に基づく表示です》
「新聞、余のことを見すぎではないか?」
《利便性です》
「怖い!」
だが、表示された推奨欄には確かに興味を引くものが並んでいた。
⸻
【関連取引候補】
・湿地型足場改修設計(簡略)
・低級環境魔物“苔スライム”系統情報
・匂い誘導用腐苔素材
・統率補助鈴石(低級)
⸻
「……」
余はその一覧を見つめた。
苔スライム。
匂い誘導。
統率補助。
どれも欲しい。
欲しいが、同時に、何を代価に差し出すのかが問題だ。
「売るもの……」
まだその言葉に慣れぬ。
迷宮が何かを売る。
ロードが情報を売る。
その感覚は、人間の商売とは似ているようで違う。こちらが売るのは単なる品ではなく、しばしば“生き残り方”そのものだ。
《判断には注意が必要です》
「分かっておる」
余は取引欄をすぐには開かず、ひとまず閉じた。
欲に飛びつくのは愚かだ。
まず整理。
今の余に本当に必要なものは何か。今の余が売ってよいものは何か。
それを見極めてからだ。
「今日は、ここまでにしておく」
《賢明です》
「珍しく素直に褒めたな」
《実際、これ以上続けると浮かれます》
「……否定しにくいな」
余は白い部屋の中央で、ゆっくり息を吐いた。
初投稿は終わった。
洗礼も受けた。
怖さも知った。
面白さも知った。
そして今、余の前には次の扉――取引欄――がぶら下がっている。
Dランクの世界は、どうやら余が思っていたより忙しい。
だが、悪くない。
悪くないどころか、少し胸が躍る。
「……次は、売るものを考えるか」
その呟きは、最初の頃の余なら出なかった。
生き残るだけで精一杯だった頃には、きっと出なかった言葉だ。
迷宮を守る。
配下を動かす。
冒険者を迎え撃つ。
そして今は、それに加えて、情報を選び、隠し、価値を測る。
ロードとは、思った以上に忙しい。
だが、それならそれでよい。
余は少しだけ口元を上げた。
「面白くなってきたではないか」
窓の向こうでは、グズがまだ新入りを叱っている。
洞窟は相変わらず湿っている。
茸は膨らみ、鼠は走り、ゴブリンは少し馬鹿だ。
それでもその全部が、確かに上へ向かっている。
余もまた、そのつもりだった。




