第14話 Dランクの朝
余は三度目の確認をした。
新聞の地域迷宮一覧、その片隅。
――湿臭洞窟(仮称) D。
「……やはり、余であるな」
《三度目ですが、はい》
「確認は大事であろう」
《本日七度目です》
「細かいことを言うでない」
白い部屋の中央で、余はふんと鼻を鳴らした。
Dランク。
たった一文字だ。
EがDになっただけ。
上にはいくらでもある。C、B、A、S、その先も。新聞を少しめくるだけで、自分などまだ下の下だと分かる。
だが、それでも。
余はもう、最底辺ではない。
「……よい」
つい、口元が緩む。
真っ暗な洞窟で目覚めた時のことを思えば、笑ってしまうのも無理はない。あの時は右も左も分からず、ゴブリンを二十体並べて、入口に十、コア近くに十と、実に雑な配置をしていたのである。
今にして思えば、あれでよく生きておったな。
《現時点でも粗い部分は多いです》
「水を差すな」
《客観です》
「おぬし、余への敬意が足りぬぞ」
《元からやや偉そうです》
「失礼な管理音声である!」
だが、そのやり取りすら今日は少し楽しい。
白い部屋の窓越しに、迷宮内部へ意識を向ける。
入口側では、グズが新入りのゴブリンへ棍棒を振り上げていた。
「ギィッ!」
「ぎゃっ!?」
「ギィ、ギィッ!」
怒鳴り声なのか指導なのか判別しづらいが、たぶん指導である。
叩かれたゴブリンは慌てて持ち場へ走る。別の一体はそれを見て、何となく姿勢を正した。偉い。いや、偉くはない。普通である。今までがひどすぎただけだ。
「……よいではないか」
最初の頃と比べると、明らかに秩序がある。
相変わらずゴブリンは少し馬鹿だし、油断すると壁際で妙なことをしでかすし、洞窟は湿臭いままだ。だが、群れの中に“上”がいるだけで、これほど違うものか。
グズが吠える。
新入りが走る。
鼠が細穴を巡る。
壁際のポフキノコがふくらむ。
その光景を見ていると、不意に、胸のない胸のあたりが妙に満たされた。
「……迷宮っぽいな」
《迷宮です》
「そうではなく」
余は少し言いよどみ、それからゆっくり言葉を選んだ。
「前より、“余の迷宮”になってきた」
管理音声は一拍置いてから、いつも通りの平板な声で返した。
《妥当な認識です》
たまにこやつ、よいことを言う。
余は少し機嫌を良くしながら、Dランクで解放された機能一覧をもう一度開いた。
⸻
【Dランク解放】
・構造拡張上限増加
・新魔物候補追加
・簡易取引欄
・新聞投稿機能(一部)
・地域迷宮一覧への正式掲載
⸻
「……改めて見ると、忙しいな」
どれも気になる。
構造拡張はもちろん重要だ。今の余の迷宮はまだ浅い。奥行きも分岐も、もっと工夫の余地がある。
新魔物候補も見たい。正直、非常に見たい。
ただし、それ以上に目を引くのは取引欄と新聞投稿だ。
「新聞投稿」
言葉に出すと、少しだけ落ち着かない。
今まで余は読む側だった。井守や玻璃宮の姫や灰冠のロードのように、知った顔ぶれが勝手に喋るのを眺め、たまに助言をもらう側だった。
それが今や、余も少しだけ“書ける”らしい。
「……怖いな」
《率直です》
「実際怖いであろう。余はまだDだぞ」
《Dランク迷宮です》
「“まだ”である」
《一覧上では正式掲載です》
「うむ」
そこなのだ。
正式掲載。
余はそこでまた、つい地域迷宮一覧を開いてしまった。
そこには確かに、自分の名がある。
⸻
【辺境地域迷宮一覧】
・朽縄井戸 C
・玻璃回廊 B
・灰冠墓所 B
・湿臭洞窟(仮称) D
・赤泥蟻穴 E
・他、略
⸻
「……いた」
何度見ても、いる。
一覧の端。
湿臭洞窟(仮称)。
ひどい名前だ。実にひどい。正式命名が解放されれば真っ先に何とかしたい。だが、今はそれでもよい。このひどい名であっても、そこに余の迷宮があるという事実の方が勝る。
「管理音声」
《はい》
「正式命名の解放条件は」
《現時点では未達です》
「何が足りぬ」
《非開示》
「じれったいな!」
《上位条件です》
「そうか……」
少ししょんぼりした。
いや、かなりしょんぼりした。
湿臭洞窟(仮称)のまま世に知られていくのは、どうにも格好がつかぬ。せっかくDに上がったというのに、名がこれでは威厳も何もないではないか。
《なお、現名称は外部による仮称です》
「知っておる」
《そして非常に的確です》
「やかましい!」
余が一人で抗議している間にも、グズは入口側の配置替えを進めていた。
新入り二体を入口へ。
ややましな一体を新小部屋へ。
旧小部屋には茸の近くへ寄りすぎる馬鹿を置かぬようにしている。
「……うむ」
良い。
まだ雑だが、流れがある。
これなら余がいちいち全部を怒鳴らずとも、多少は迷宮が回る。
そのことに満足しかけた、その時だった。
白い部屋の隅で、新聞がぴこん、ぴこん、と連続で光る。
「む」
《個別通知、複数》
「来たか」
少し背筋が伸びる。
配下の前では見せておらぬが、内心はかなりそわついていた。
昇格祝い、というものだろうか。
あるいは、妙な品定めだろうか。
どちらにせよ、Dランクに上がった以上、無視はできぬ。
余は息を整え、もっとも上に来ていた通知を開く。
⸻
【“朽縄井戸”井守 より】
“おー、昇格おめでと。早かったね湿り系新人”
⸻
「また湿り系と言ったな、あやつ」
だが、口調の軽さに反して、悪意はない。
むしろどこか、面白がりながらも本当に祝っている気配がある。井守は初対面からそうだ。軽い。だが、軽いだけではない。
追伸がついていた。
⸻
“複数迎撃で上がったなら立派立派。次からは“どう生き残るか”より“どういう迷宮になるか”が問われるよ。あと、投稿欄で変にイキると目立つから気をつけて”
⸻
「……」
余はその一文をじっと見た。
どう生き残るか、より。
どういう迷宮になるか。
その言葉は、妙に胸の奥に残った。
《有用な助言です》
「うむ」
その通りだ。
最初の方では、とにかく生き残ることが全てだった。今も生き残りは最優先だ。だがDに上がった以上、それだけでは足りぬのだろう。
どのような迷宮か。
何を強みとし、何を嫌がらせとし、どう冒険者を迎え撃つのか。
そういう“顔”が問われ始める。
「……難しいな」
《成長段階です》
「簡単に言う」
次の通知を開く。
【“玻璃宮の姫”より】
“昇格おめでとうございますわ。湿りを主軸になさるのは相変わらず趣味が悪いですけれど、低位で生き残るという一点では結果が全てですもの。無様に消えないことですわね”
⸻
「祝っておるのか煽っておるのか分からぬ」
《両方でしょう》
「うむ、両方だな」
さらに次。
⸻
【“灰冠のロード”より】
“Dに上がったなら、次は“読まれた後の二手目”を持て。斥候に見られている迷宮は、一手で死ぬ”
⸻
「……」
短い。
だが鋭い。
レネの顔が脳裏に浮かぶ。壁、床、段差、穴、胞子。あやつは全部を見る。そして持ち帰る。余の迷宮は、もう“見られた”のだ。
ならば次は、見られた後を考えねばならぬ。
「二手目、か」
その言葉を呟いた時、新聞がさらにもう一度光った。
今度は個別通知ではなく、交流欄の更新らしい。
恐る恐る開く。
⸻
【交流欄・短報】
・“朽縄井戸”井守:辺境の湿り、Dおめー。
・“玻璃宮の姫”:だから湿りなどと言わないでくださいまし。
・“朽縄井戸”井守:実際湿ってるんでしょ?
・“灰冠のロード”:名はどうでもいい。生き残るならそれでよい。
・“誰か”:辺境に上がり目あり、か。面白い。
・“別の誰か”:湿臭洞窟はさすがに笑う。
・“玻璃宮の姫”:笑い事ではありませんわ。
・“朽縄井戸”井守:本人が一番気にしてそう。
⸻
「……やめよ」
ぐさりときた。
実にぐさりときた。
余も気にしておる。非常に気にしておる。そこへ交流欄で改めて刺されると、かなり腹立たしい。
《図星です》
「おぬし、今日は妙に刺してくるな」
《通常運転です》
新聞を閉じようかとも思ったが、そこでふと手が止まった。
下の方に、小さく“投稿機能:利用可能”と出ている。
「……」
余はそれを見つめる。
投稿。
つまり、余もここへ何か書ける。
むろん、唐突に「余こそはDランクになった湿臭洞窟の主である!」などとやれば井守の言う通り目立つし、たぶんろくなことにならぬ。
だが、質問ならどうだ。
例えば、斥候同行編成への対応。
あるいは、低級統率個体の育て方。
そういう実務的なことなら、学べるものもあるかもしれぬ。
「管理音声」
《はい》
「投稿は、失敗するとどうなる」
《失敗の定義によります》
「怖い答え方をするな」
《内容次第で、目立ちます》
「やはり怖いではないか!」
《ただし、有益です》
「……」
有益。
それは間違いないのだろう。
余はDランクに上がった。嬉しい。だが、それだけでは足りぬ。
次に備えるなら、知らねばならぬ。学ばねばならぬ。怖いからと新聞を閉じていては、また追い詰められてから慌てるだけになる。
それでは、第1巻の余とあまり変わらぬ。
「……うむ」
余はゆっくりと姿勢を正した。
白い部屋の中央。
新聞の投稿欄を開く。
空白の欄が、妙に広く見えた。
「ええと……何と書けばよいのだ」
《簡潔に》
「分かっておるが、最初が肝心であろう」
《長すぎると読まれにくいです》
「先に言うな」
余は考える。
あまり具体的すぎるとこちらの内部事情が漏れる。
だが曖昧すぎても答えが来ぬ。
斥候同行編成への対処。
低級配下の統率。
この二つが今の急所だ。
「……よし」
余は意を決し、思考を文字へ落とし始めた。
Dランク昇格後、最初の一手。
それは剣でも牙でもなく、たった一つの投稿文から始まろうとしていた。




