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第165話 魔神は、コアの前で笑う

 深部へ続く道は、静かだった。


 それは、これまでの戦場とは違っていた。


 浅層では、十万の魔物が押し寄せた。


 中層では、泥と骨と霧が魔物を潰した。


 白磁偽財殿はくじぎざいでんでは、宝箱と騎士が精鋭を斬った。


 骸門残響隔離層がいもんざんきょうかくりそうでは、死んだ迷宮の檻が魔物を閉じた。


 だが、コア前へ続く道は静かだった。


 静かにしていた。


 余が、そう作った。


 白磁の床。


 薄い灰霧。


 左右に並ぶ、砕けかけた白磁柱。


 天井には影糸。


 床下には戻り水。


 壁の奥には、湿骨軍列しつこつぐんれつ


 さらに奥には、軍帰路喰らい(いくさきろぐらい)の落武者。


 コア前防衛区画。


 余の心臓に最も近い、防衛の喉。


 そこへ、魔神ゴブリン・ガルザヴェインが来た。


 傷だらけだった。


 灰緑の肌は黒い血で濡れている。


 胸には折剣濁白騎士せっけんだくはくきしにつけられた深い裂傷。


 片目は白磁花粉で濁り、足首には骸門の檻と影針の跡。


 腕には泥塞大門将でいそくだいもんしょうグズの大門槌を受けた痕が残っている。


 それでも、立っていた。


 笑っていた。


「ツヨイ」


 ガルザヴェインは言った。


 まだ不完全な人間の言葉。


 だが、意味ははっきりしている。


「ココ、ツヨイ」


 余は白い部屋で、その姿を見ていた。


「当然だ」


 聞こえないはずなのに、答えた。


「ここは余の迷宮だ」


 ガルザヴェインの後ろには、まだ魔物がいた。


 数は、最初とは比べものにならない。


 十万の黒い波は、もうない。


 残っているのは、戦場を越えてきた濃い個体だけだ。


 金眼の強化ゴブリン。


 片腕を失ってなお進む黒オーク。


 骨の見えた金眼狼。


 甲殻を割られた巨大虫。


 飛行種の上位個体。


 その数、推定一万前後。


 だが、どれも普通の魔物ではない。


 ガルザヴェインの魔神性に耐え、霧灰白庭迷宮の罠を越え、死なずにここまで来た個体。


 弱いはずがなかった。


《残存敵、深部到達》


《推定:一万一千から一万三千》


《平均ソウル価値、初期侵入群の数倍以上》


「つまり、ここで喰えば美味い」


《はい》


「よし」


 余は、迷宮図を閉じた。


 もう、細かい誘導は必要ない。


 ここまで来た魔物は、逃がさない。


 ガルザヴェイン以外は、全て喰う。


「全深部防衛、起動」


《コア前防衛区画、全起動》


 白磁の床が鳴った。


 かん。


 かん。


 かん。


 音が奥へ響く。


 宝物庫中枢補助核が、残った正式宝箱を戦闘用へ切り替える。


 白骨書記はっこつしょきが戦争台帳の新しい骨板を開く。


 ハイハネが、疲れた羽をもう一度広げる。


 影軍縫いカゲヌイが、影の中へ沈む。


 泥塞大門将グズが、損傷した泥の体で小型泥門を並べる。


 湿骨軍列が、床下で槍を揃える。


 軍帰路喰らいの落武者が、灰霧の奥で刃を抜く。


 そして、フィルエが森灰観測室から立ち上がった。


「ロード」


「無理はするな」


「する」


「言い切るな!」


「今はする時」


 フィルエの背に、命脈紋めいみゃくもんが淡く光る。


 余のコアと繋がる命の線。


 それが、白い部屋の床へ薄く広がった。


「ここまで来たなら、少しだけロードの近くを見る。あれは、道を読んでくる」


「分かっている」


「だから、道じゃなくて意味をずらす」


「頼む」


 フィルエは頷いた。


    ◇


 ガルザヴェインが、コア前防衛区画へ一歩踏み込んだ。


 その後ろで、強化ゴブリンたちが一斉に動く。


 だが、その瞬間、床が白く光った。


 罠ではない。


 道だ。


 白磁床に、いくつもの道筋が浮かんだ。


 正面。


 右。


 左。


 上。


 下。


 すべてが奥へ続いているように見える。


 だが、正しい道は一つもない。


 フィルエの森灰術・意味違え(いみたがえ)。


 道の位置ではなく、道の意味を変える術。


 進む道が、戻る道に見える。


 安全な道が、危険に見える。


 危険な道が、戦いの匂いを放つ。


 強いものを求めるガルザヴェインにとって、それは迷路ではなく、挑発だった。


「ドコ」


 ガルザヴェインが、金色の目を細める。


「ツヨイ、ドコ」


 余は静かに笑った。


「ここだ」


 言葉に合わせるように、左の通路で白い炎が上がった。


 右では泥が鳴った。


 天井では影糸が震えた。


 正面では、軍帰路喰らいの刃が音を立てた。


 ガルザヴェインが笑う。


「ゼンブ」


 その声と同時に、彼の配下たちが四方へ散った。


 強化ゴブリンは左へ。


 黒オークは右へ。


 金眼狼は天井と壁へ。


 巨大虫は床下へ。


 飛行種は霧の上へ。


 ガルザヴェインは、軍勢を分けた。


 これまでの学習の結果だ。


 固まれば殺される。


 なら、散る。


 影軍縫いを避けるため、密集しない。


 泥門を避けるため、大型と小型を分ける。


 霧を避けるため、音で位置を取る。


 見事だ。


 だが、ここはコア前防衛区画。


 散ったら、散った先に罠がある。


「各個撃破だ」


《実行》


 左へ走った強化ゴブリンたちの前に、白い箱が並んだ。


 宝箱。


 ただし、蓋は開いていない。


 開かない。


 彼らが近づいた瞬間、箱の底が抜ける。


 床下から、白磁根と影糸が同時に伸びた。


 足首を縛る。


 首を吊る。


 胴を裂く。


 ゴブリンたちは爪で切ろうとするが、そこへハイハネの灰霧が流れ込む。


 視界が落ちる。


 鼻が潰れる。


 同士討ちが起きる。


 さらに、白骨書記が偽価値札をばら撒く。


 魔力反応のある札。


 ゴブリンたちが一瞬だけ目を取られる。


 その瞬間、札が爆ぜた。


《左路、強化ゴブリン群処理》


《死亡推定:三千四百体》


《獲得ソウル:612,000》


 右へ進んだ黒オークたちは、泥門にぶつかった。


 グズの小型泥門。


 ただし、今度は正面で受けない。


 門が開く。


 黒オークが入る。


 門が閉じる。


 次の瞬間、床が下へ落ちる。


 下には、湿骨軍列の槍。


 オークたちが落ちる。


 槍が突く。


 上から泥門が蓋をする。


 圧殺。


 押し潰し。


 骨槍。


 泥。


 数十体、数百体単位で、黒オークが死んでいく。


《右路、黒オーク群処理》


《死亡推定:二千一百体》


《獲得ソウル:693,000》


 天井へ回った金眼狼は、カゲヌイが待っていた。


 狼は速い。


 影を踏まない。


 壁を蹴り、天井を走り、罠線を避ける。


 だが、影軍縫いカゲヌイは個体の影を追わない。


 群れの影を縫う。


 狼たちが同じ方向へ走った瞬間、その流れ自体を縫った。


 金眼狼の群れが、一斉に天井で止まる。


 落ちる。


 落ちた先には、軍帰路喰らいがいた。


 戻ろうとする方向を斬る。


 狼たちは出口を失い、湿骨軍列へ押し込まれた。


《天井路、金眼狼群処理》


《死亡推定:千七百体》


《獲得ソウル:544,000》


 床下へ潜った巨大虫たちは、戻り水に触れた。


 それが罠だった。


 戻り水は、ただの水ではない。


 すでに十万戦で大量の死を吸い、魔物の動き方を覚えている。


 虫型魔物が水路へ入った瞬間、戻り水が彼らの脚の節を記録した。


 次の瞬間、白磁粉を含んだ泥がその節へ絡む。


 固める。


 折る。


 その上から、湿骨軍列の骨槍が水路内へ突き込まれる。


《床下侵入虫型群処理》


《死亡推定:千三百体》


《獲得ソウル:416,000》


 飛行種上位個体は、ハイハネが担当した。


 灰霧追導蛾となったハイハネは、もうただ粉を撒く蛾ではない。


 霧の流れを作る指揮個体だ。


 上部へ逃げようとした飛行種を、あえて霧の薄い場所へ誘う。


 そこだけ空いているように見せる。


 飛行種たちが殺到する。


 その先は、白磁天井の鏡面だった。


 霧の反射で、空に見せた天井。


 飛行種が激突する。


 骨が砕ける。


 羽が折れる。


 落ちたところへ影糸と骨槍。


《上部飛行種処理》


《死亡推定:八百体》


《獲得ソウル:296,000》


    ◇


 深部へ散った精鋭群は、次々と死んだ。


 残ったのは、中心に立つガルザヴェインだけ。


 いや、完全に一体ではない。


 彼のすぐ近くには、まだ数十体のゴブリンがいた。


 黒い筋が体を走り、金色の目を持ち、他の個体より明らかに強い。


 ガルザヴェインに最も近く、最も魔神性に耐えた個体たち。


 魔神ゴブリンの近衛。


 だが、彼らも苦しんでいた。


 強すぎる魔神性に、体が耐えきれていない。


 筋肉が膨れすぎ、骨が軋み、皮膚が裂けている。


 強くなった。


 だが、壊れかけている。


 ガルザヴェインは、それを見た。


「ノコッタ」


 彼は言った。


「ツヨイ」


 近衛ゴブリンたちが、誇るように胸を張る。


 だが、余はその光景を見て、静かに言った。


「違うな」


 フィルエがこちらを見た。


「何が?」


「あれは、残ったのではない。耐えきれていないだけだ」


 ガルザヴェインの強さは、周囲のゴブリンを引き上げる。


 だが、引き上げられた先に足場がない。


 迷宮のような器がない。


 訓練もない。


 役割もない。


 ただ強くされ、壊れかけている。


 グズとは違う。


 グズは、迷宮の中で役割を得た。


 泥を得て、門を得て、守るものを得た。


 だから進化した。


 だが、ガルザヴェインの近衛は違う。


 魔神性に引っ張られているだけだ。


「見せてやる」


 余は言った。


「強さには、器が必要だと」


 ガルザヴェインの前に、泥が盛り上がった。


 グズではない。


 小型の泥門だ。


 その上に、白骨書記が書いた札が浮かぶ。



役割なき強化は、崩壊する。



「おい、白骨書記」


《白骨書記による戦術表示です》


「魔物に読めるのか?」


《読めない可能性が高いです》


「ではなぜ書いた」


《記録を兼ねています》


 まあよい。


 文字は読めなくとも、意味は見せられる。


 余は、近衛ゴブリンたちの足元へ戻り水を流した。


 攻撃ではない。


 映すためだ。


 水面に、グズが映る。


 泥塞大門将グズ。


 かつてゴブリンだった配下。


 今は迷宮の門。


 次に、湿骨軍列が映る。


 死体の骨を役割で繋いだ軍列。


 次に、カゲヌイ。


 影を縫う罠師から、軍勢の影を縫う存在へ。


 次に、ハイハネ。


 霧を食う蛾から、霧を導く指揮個体へ。


 最後に、軍帰路喰らい。


 個人の帰路を喰う落武者から、軍勢の退路を喰う存在へ。


 進化した者たち。


 ただ強くなったのではない。


 役割を得た者たち。


 水面にそれを見せる。


 ガルザヴェインの金色の目が、水面を見た。


 近衛ゴブリンたちは、意味を理解できない。


 だが、ガルザヴェインは少しだけ理解したようだった。


「ヤク……ワリ」


 彼が、ぎこちなく言葉を作る。


 余は白い部屋で頷いた。


「そうだ」


 届くかどうかではない。


 言葉にする。


「強いだけでは、群れは壊れる。強いだけでは、配下は死ぬ。器がいる。場所がいる。役割がいる」


 ガルザヴェインが、近衛ゴブリンの一体を見た。


 その個体の腕が、膨れすぎて裂けている。


 体は強い。


 だが、長くは持たない。


 ガルザヴェインの顔から、ほんの少し笑みが消えた。


 そして、その瞬間。


 コア前防衛区画の床が鳴った。


 余は、最後の処理を命じる。


「近衛を殺せ」


《実行》


 湿骨軍列が床下から槍を出す。


 カゲヌイが近衛の影を縫う。


 ハイハネの霧が視界を奪う。


 軍帰路喰らいが逃げ道を喰う。


 グズの小型泥門が、彼らを一体ずつ隔離する。


 近衛ゴブリンたちは強い。


 槍を折る。


 影針を引き裂く。


 泥門を殴る。


 何体かは、湿骨軍列を破壊しかけた。


 だが、長くは持たない。


 役割なく強化された体が、迷宮の組まれた殺しに耐えられない。


 一体。


 二体。


 十体。


 次々と死ぬ。


 ガルザヴェインは、動かなかった。


 見ていた。


 自分が引き上げたゴブリンたちが、迷宮の配下に殺されるのを。


 そして、最後の一体が倒れた。


《魔神ゴブリン近衛、全滅》


《死亡推定:七十二体》


《獲得ソウル:432,000》


 数は少ない。


 だが、一体ごとの価値が高い。


 余はそのソウルの重さを感じながら、ガルザヴェインを見た。


 彼は、しばらく黙っていた。


 それから、言った。


「ヨワイ」


 いつもの言葉。


 だが、少し違っていた。


「オレ、ツヨクシタ」


 ぎこちない言葉。


「デモ、シンダ」


 フィルエが、小さく息を呑む。


「ロード。今、考えてる」


「ああ」


 ガルザヴェインは、初めて自分の力を疑っている。


 強くする。


 だが、死ぬ。


 ならば、何が足りないのか。


 その問いを、未成熟の魔神が持ち始めた。


「いい」


 余は低く言った。


「そこまで考えられるなら、説得できる」


    ◇


 コア前防衛区画に、ついにガルザヴェインだけが残った。


 十万の軍勢は、ここまででほとんど消えた。


 外縁に残るもの。


 迷宮内で迷っているもの。


 まだ処理中のもの。


 細かな残敵はいる。


 だが、本流は死んだ。


 大軍は喰われた。


 ガルザヴェインは、一体で立っている。


 白い床の奥には、コアへ続く最後の白扉。


 もちろん、直接コアではない。


 まだ防壁がある。


 まだ隔壁がある。


 まだ余の本当の核までは距離がある。


 だが、ここは近い。


 かなり近い。


 ガルザヴェインにも、それが分かったのだろう。


 彼は白扉を見た。


 その奥にいる余を感じている。


「イル」


「いる」


 余は、初めて声を通した。


 迷宮全体ではない。


 白扉の奥から。


 低く、静かに。


 ガルザヴェインの金色の目が、こちらを向く。


「オマエ」


「余が、この迷宮のロードだ」


「ロード」


 ガルザヴェインが、言葉を繰り返す。


「ツヨイ?」


「余自身は、お前のように拳で戦う存在ではない」


 余は言った。


「だが、この迷宮は余だ。霧も、泥も、骨も、騎士も、宝も、罠も、すべて余の力だ」


 ガルザヴェインは黙る。


 理解しているのか。


 していないのか。


 だが、聞いている。


「お前は強い」


 余は続けた。


「未成熟でSランク。十万の軍勢を率いた。周囲のゴブリンを引き上げた。ここまで来た」


「オレ、ツヨイ」


「ああ。だが、お前の群れは死んだ」


 ガルザヴェインの目が細くなる。


「ヨワイ、シンダ」


「違う」


 余は言った。


「お前が強さを与えただけだから死んだ。器を与えなかった。役割を与えなかった。場所を与えなかった」


「ウツワ」


「グズを見たな」


 泥塞大門将グズの気配を、白扉の脇に少しだけ浮かべる。


 損傷しながらも、門として立つ配下。


「あれも、元はゴブリンだ」


 ガルザヴェインの金色の目が動く。


「ゴブリン」


「そうだ。だが、余の迷宮で泥を得て、門を得て、守る役割を得た。だから強くなった」


「ヤクワリ」


「お前が求めているのは、ただ戦う相手か?」


 ガルザヴェインは答えない。


「強いやつと戦いたい。もっと強くなりたい。そうだろう」


「ツヨク」


「ああ。なら、外で群れを潰しながら進むだけでは足りない」


 余は、白い部屋の中央で笑った。


「この迷宮に入れ」


 フィルエがこちらを見た。


 だが、止めなかった。


「余と契約しろ、ガルザヴェイン」


 白扉の向こうで、魔神ゴブリンが静かに立っている。


「ここには戦いがある。強い敵が来る。冒険者も、騎士も、いずれ勇者も来るかもしれん」


「ユウシャ」


「恐ろしく強い人間だ」


 ガルザヴェインの目が、わずかに光った。


「ツヨイ?」


「強い。お前が今のまま外にいれば、いつかそいつらに狩られる。だが、ここにいれば、迷宮が戦場を用意する。罠が敵を削る。配下が道を作る。お前は、最も強い相手と戦える」


「タタカウ」


「そうだ。ただし条件がある」


 白い部屋の床に、契約線が浮かぶ。


 フィルエの命脈契約とは違う。


 ヴェルグレイヴの命脈契約とも違う。


 ガルザヴェインは、生者であり、魔物であり、王ではなく魔神の卵。


 だから、契約も変える必要がある。


「コア不可侵」


 余は言った。


「ロード不可侵」


「配下の無断支配禁止」


「迷宮内ゴブリンへの強制進化禁止。ただし許可された個体への育成は可」


「迷宮存亡時の防衛義務」


「強敵来訪時、余の許可により出撃」


「コア破壊時、契約消滅」


 ガルザヴェインは、すべて理解してはいないだろう。


 だが、契約の意味は魔力で伝わる。


 彼の金色の目が、契約線を見た。


「オレ、ココ、イル?」


「そうだ」


「タタカウ?」


「戦える」


「ツヨク、ナル?」


「なれる。だが、ただ暴れればよいわけではない。お前にも役割を与える」


「ヤクワリ」


 ガルザヴェインは、その言葉を噛むように繰り返した。


 そして、笑った。


「イイ」


 その一言で、白い部屋の空気が変わった。


「契約するか」


「スル」


 魔神ゴブリン・ガルザヴェインが、血まみれの手を白扉へ向けた。


 余は、コアから契約線を伸ばす。


 白でもない。


 灰でもない。


 黒でもない。


 金色に濁った、ゴブリンの魔神性を帯びた線。


 それが、白扉を通り、ガルザヴェインの胸へ届いた。


 ガルザヴェインは逃げない。


 拒まない。


 契約線が、彼の胸へ刺さる。


 彼の黒い魔力が暴れた。


 白い部屋が揺れる。


《警告。契約対象の魔神性が強大です》


「押さえろ」


《契約線、負荷増大》


「フィルエ!」


「見てる!」


 フィルエの森灰観測網が契約線へ重なる。


 暴れる魔神性の流れを、少しずつ灰に沈める。


 小鐘泥廟の残響核が、低く鳴る。


 ごん。


 マネが、それを真似る。


「ゴォン」


 音が契約線の揺れを少しだけ整える。


 グズが、泥門を鳴らす。


 湿骨軍列が骨を鳴らす。


 ハイハネが羽を震わせる。


 カゲヌイが影を縫う。


 軍帰路喰らいが、暴れる退路を斬る。


 迷宮全体が、ガルザヴェインを受け入れるために動いた。


 そして。


《契約成立》


《新規契約存在を登録》


《契約存在:魔神ゴブリン・ガルザヴェイン》


《状態:重傷、未成熟、興奮》


《分類:契約魔神種》


《役割:強敵迎撃、ゴブリン系育成監督、深部戦闘存在》


 白い部屋に、静けさが戻った。


 ガルザヴェインは、白扉の前で膝をついていた。


 倒れたのではない。


 契約の重みに耐えている。


 そして、笑っていた。


「ロード」


 彼は言った。


 不器用だが、確かに余を呼んだ。


「ツギ、ツヨイ、クル?」


 余は、少しだけ笑った。


「来る」


 きっと来る。


 人間も、冒険者も、騎士も、もっと強い者も。


 いつか勇者も来るかもしれない。


「その時は、戦わせてやる」


 ガルザヴェインは、満足そうに目を閉じた。


《戦闘終了処理を開始します》


 白骨書記が、最後の戦争台帳を書き込む。



コア前防衛区画戦果:


左路強化ゴブリン群:612,000

右路黒オーク群:693,000

天井金眼狼群:544,000

床下虫型群:416,000

上部飛行種群:296,000

魔神近衛ゴブリン:432,000

残存精鋭各個処理:1,180,000


追加獲得ソウル合計:4,173,000


現在保有ソウル:15,225,530


新規契約存在:

魔神ゴブリン・ガルザヴェイン



 15,225,530。


 十万の軍勢は、霧灰白庭迷宮にほぼ喰われた。


 未成熟の魔神ゴブリンは、余の前まで来た。


 そして、敵ではなくなった。


 だが、余は知っている。


 これで終わりではない。


 外には人間がいる。


 王都がある。


 自分たちが押し付けた魔物の軍勢がどうなったのか、必ず見に来る。


 そして、その時、人間どもは知るだろう。


 灰白庭へ流した十万の軍勢は消えた。


 代わりに、霧灰白庭迷宮は、魔神ゴブリンを抱えた。


 余は白い部屋の中央で、静かに笑った。


「人間ども」


 王都の方角へ向けて、余は告げた。


「お前たちが押し付けた災厄は、余の戦力になったぞ」

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