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第164話 骸門の檻は、魔神を閉じきれない

 骸門残響隔離層がいもんざんきょうかくりそうは、迷宮の中にある異物だった。


 白磁でもない。


 灰霧でもない。


 戻り水でもない。


 泥でもない。


 そこにあるのは、黒市主くろいちぬしから奪った、死んだ迷宮の残り香。


 骸門牢獄がいもんろうごく


 かつて、何かを閉じ込めるために存在していた高位迷宮の残響。


 黒い門。


 骨の檻。


 錆びた鎖。


 消えた囚人の気配。


 そして、何度も何度も繰り返された命令の残り。


 閉じろ。


 逃がすな。


 戻すな。


 閉じ込めろ。


 余はそれを完全には繋いでいない。


 隔離している。


 利用するにしても、まだ表面だけだ。


 だが、今は戦争中だった。


 使えるものは使う。


 危険でも使う。


 十万の魔物を相手にして、綺麗な運営などしていられない。


「骸門残響隔離層、外周だけ開け」


《危険です》


「分かっている」


《骸門牢獄の残響汚染が拡大する可能性があります》


「外周だけだ。中心は開けるな。骸門そのものを起こすな」


《外周檻反応、限定開放》


 白い部屋の壁面に、黒い区画が浮かぶ。


 骸門残響隔離層の外周。


 そこに、細い檻の線が走り始めた。


 黒い骨のような柱が、灰色の床から生える。


 天井から、錆びた鎖の幻影が垂れる。


 壁には、無数の小さな門の影。


 そこへ、ガルザヴェインが踏み込んだ。


 魔神ゴブリン・ガルザヴェイン。


 白磁偽財殿はくじぎざいでんで傷を負い、泥塞大門将でいそくだいもんしょうグズとぶつかり、霧と泥と骨と宝物庫を越えてきた怪物。


 体には無数の傷。


 胸の裂傷はまだ黒い血を流している。


 片目には白磁花粉の濁り。


 腕には折剣濁白騎士せっけんだくはくきしの斬撃痕。


 それでも、その金色の目は死んでいない。


 むしろ、奥へ進むほど強くなっている。


「クロイ」


 ガルザヴェインが言った。


 骸門残響隔離層の黒い檻を見て、笑う。


「シンダ、ニオイ」


「分かるのか」


 余は白い部屋で呟いた。


 フィルエが答える。


「分かると思う。あれ、魔物だけど、成長途中だから感覚が鋭すぎる。死んだ迷宮の匂いも、強いものとして見てる」


「なら、閉じ込められるか」


「閉じ込めるだけなら少し。でも、長くは無理」


「理由は」


「閉じ込められるほど、暴れると思う」


 だろうな。


 あれは逃げたいのではない。


 奥へ行きたいのだ。


 閉じ込めれば、檻を敵と見る。


 敵と見れば、壊す。


 なら、壊される前提で使う。


「骸門外周檻を三重。逃げ道ではなく、進路を区切れ」


《骸門外周檻、三重展開》


「カゲヌイ、檻の影を縫え。軍帰路喰らい、後退路を喰え。湿骨軍列、檻の隙間へ槍を出せ。ハイハネ、黒い霧に灰霧を混ぜろ」


《各配下、展開》


 骸門の外周で、檻が閉じる。


 一重。


 二重。


 三重。


 ガルザヴェインの周囲に、黒い檻が立ち上がった。


 その後ろから、残った精鋭魔物たちが雪崩れ込む。


 だが、檻は軍勢を通さない。


 ガルザヴェイン本人は通す。


 周囲の魔物は区切る。


 黒いオークが檻にぶつかる。


 金眼の狼が隙間を探す。


 強化ゴブリンが黒い骨柱を登ろうとする。


 そこへ、影軍縫いカゲヌイの針が落ちる。


 檻の影ごと、魔物の群れの影を縫う。


 逃げようとした魔物は、軍帰路喰らいの落武者に退路を斬られる。


 戻ろうとしても、戻る道が分からない。


 前へ進もうとしても、黒い檻がある。


 止まれば、湿骨軍列の槍が来る。


 ハイハネの灰霧が、黒い骸門の霧へ混ざり、魔物の目を濁らせる。


 檻の中で、魔物が詰まった。


 叫ぶ。


 暴れる。


 潰れる。


 刺される。


 影に縫われる。


 戻れず、進めず、黒い檻の中で死んでいく。


《骸門外周檻、精鋭魔物群を分断》


《死亡推定:九千六百体》


《獲得ソウル:1,728,000》


 ソウルが流れ込む。


 だが、骸門残響隔離層も震えている。


《骸門残響隔離層、汚染反応上昇》


《隔離層外周、黒檻の自律拡大傾向》


「広がるな。外周だけだと言っただろうが」


《骸門牢獄残響が、戦場死によって活性化しています》


「死体を喰って目を覚ます気か」


 黒市主が死んだ時に奪った残響。


 それが、今の大量死に反応している。


 当然だ。


 牢獄は、囚人がいてこそ牢獄になる。


 骸門牢獄は、閉じ込める対象を得て、少しずつ形を取り戻そうとしている。


小鐘泥廟しょうしょうでいびょう


 余は残響核隔離室へ意識を向けた。


「骸門の音を抑えられるか」


 黒い器の中で、小さな鐘が震えた。



こわい

でも

ならす



 ごん。


 小さな音が、残響音響室へ送られる。


 マネがその音を真似る。


「ゴォン」


 まだ少し違う。


 だが、前よりずっと近い。


 残響音響室の壁が鳴り、音が骸門外周へ流れる。


 骸門の黒い檻が、ほんの少しだけ軋んだ。


 暴走しかけた自律拡大が鈍る。


 フィルエが森灰観測網を重ねる。


「森灰術・鳴り止め(なりどめ)」


 灰色の線が、骸門の黒い音へ絡む。


 音を消すのではない。


 響く先をずらす。


 檻が迷宮全体へ広がろうとする道を、外周内へ折り返す。


《骸門残響の自律拡大、一時抑制》


「よし」


 フィルエが息を吐く。


「長くは持たない」


「分かっている」


「ガルザヴェイン、来るよ」


 その声と同時に、黒い檻が揺れた。


    ◇


 ガルザヴェインは、檻の中で立っていた。


 三重の骸門外周檻。


 普通の魔物なら、それだけで動けなくなる。


 強化オークでも、上位狼でも、黒い骨柱に触れれば力を吸われ、戻り道を奪われ、槍で処理される。


 だが、ガルザヴェインは違った。


 彼は黒い檻を見た。


 触れた。


 握った。


 骨柱が黒い魔力を吸おうとする。


 だが、ガルザヴェインの魔力の方が、逆に骨柱を汚していく。


「オリ」


 彼は言った。


「ジャマ」


 拳が檻へ叩き込まれた。


 黒い骨柱が砕ける。


 骸門の檻が悲鳴のように鳴る。


 ごぉん。


 その音に、小鐘泥廟が怯える。



こわい



「耐えろ。今は見る」


 ガルザヴェインは二本目の骨柱を折る。


 三本目を引き抜く。


 鎖の幻影が彼の腕へ絡むが、黒い魔力で引きちぎる。


 骸門牢獄の残響は、閉じ込める迷宮の力だ。


 だが、ガルザヴェインは閉じ込められることを敵と認識した瞬間、その力へ真っ向からぶつかっている。


 力任せ。


 単純。


 だが、強い。


「檻が持たない」


《第一外周檻、破損率六十パーセント》


《第二外周檻、圧力上昇》


「第二で止めるな。壊させろ」


《よろしいのですか》


「壊す時の動きを見る。あれが檻をどう破るか記録しろ」


 白骨書記が骨筆を走らせる。



魔神ゴブリン:

檻に対し、拳・握力・魔力汚染で突破。

閉鎖術式に対して恐怖反応なし。

妨害物を敵として認識。

破壊時、魔力圧が上昇。



「よい記録だ」


 その間にも、ガルザヴェインは檻を壊していく。


 一重目が砕けた。


 二重目へ入る。


 そこには、骸門の黒い床がある。


 踏むと、足元から檻が生える。


 ガルザヴェインの足首へ絡む。


 さらに、影軍縫いカゲヌイの針が影へ刺さる。


 軍帰路喰らいの落武者が、檻の外へ出ようとする道を斬る。


 湿骨軍列が、檻の隙間から骨槍を突き出す。


 ガルザヴェインの体に、槍が刺さる。


 一本。


 二本。


 十本。


 黒い血が流れる。


 ガルザヴェインは、痛みを受けながら笑った。


「イタイ」


 骨槍をまとめて掴み、へし折る。


 影針を、足を引き裂くようにして引き抜く。


 足首に深い傷が走る。


 だが、止まらない。


「モット」


 彼は、二重目の檻を肩で押した。


 檻が歪む。


 黒い骨柱が軋む。


 そこへ、ハイハネが霧を集中させた。


 灰霧追導蛾となったハイハネの羽が震える。


 ふぁさ。


 骸門の黒い霧に、灰白の粉が混じる。


 ガルザヴェインの濁った片目が、さらに白く曇る。


 視界が落ちる。


 だが、彼は目に頼らなかった。


 銅鐘を鳴らす。


 ごん。


 音で空間を見る。


 檻の位置。


 柱の揺れ。


 霧の厚み。


 すべてを音で測る。


「学習が早すぎる」


 フィルエが言った。


「ハイハネの粉だけじゃ目を潰しきれない。音で見るようになってる」


「なら音を歪めろ。マネ」


「マネ!」


「余の声ではなく、銅鐘の音を真似ろ」


 マネが、ガルザヴェインの銅鐘を聞く。


 ごん。


 マネが口を開く。


「ゴン」


 違う。


 軽い。


 だが、骸門の反響と混ざると十分だった。


 ガルザヴェインが一瞬だけ振り向く。


 本物の銅鐘とは違う音。


 だが、似ている。


 彼の音による空間認識が、ほんの少し乱れる。


 その一瞬に、第二外周檻が内側へ閉じた。


 ガルザヴェインの胴へ食い込む。


 黒い骨柱が肋骨のように締まる。


 湿骨軍列の槍が、足を固定する。


 カゲヌイの影針が、影を縫う。


 軍帰路喰らいが、前へ出る道と後ろへ戻る道の両方を噛む。


「今だ、折剣濁白騎士!」


 白磁偽財殿で下げた折剣濁白騎士が、修復不十分のまま再出撃する。


 白剣は半分欠けている。


 灰剣もひび割れている。


 だが、まだ斬れる。


 騎士が黒い檻の隙間から踏み込み、ガルザヴェインの胸の傷へ白剣を突き込んだ。


 深く入った。


 黒い血が噴く。


 ガルザヴェインの金色の目が、騎士を見た。


「ケン」


 彼は、笑わなかった。


 今度は、怒った。


 黒い魔力が爆発する。


 第二外周檻が砕けた。


 湿骨軍列の槍がまとめて折れる。


 カゲヌイの影針が吹き飛ぶ。


 折剣濁白騎士も、胸を殴られて白磁の壁へ叩きつけられた。


《折剣濁白騎士、重度損傷》


《湿骨軍列、一部崩壊》


《第二外周檻、破損》


「騎士を引け!」


《回収します》


 折剣濁白騎士が床下へ沈む。


 今度は、本当に限界だ。


 これ以上は壊れる。


 だが、ガルザヴェインにも傷は増えた。


 胸。


 首。


 足。


 腕。


 白磁、泥、骨、檻、剣。


 霧灰白庭迷宮の全部が、少しずつあの魔神を削っている。


    ◇


 第三外周檻が起動した。


 これは、ただ閉じる檻ではない。


 迷わせる檻だ。


 骸門牢獄の性質を、最も薄く引き出したもの。


 進む者に、同じ門を何度も見せる。


 戻る者に、違う道を同じように見せる。


 前へ進んでいるはずが、横へ流される。


 横へ避けたはずが、また檻の前へ戻る。


 ガルザヴェインの周囲に、黒い門がいくつも浮かんだ。


 彼は一つを殴り壊す。


 次がある。


 また壊す。


 また次。


 殴っても、殴っても、同じ黒い門が現れる。


 ガルザヴェインの息が荒くなった。


 初めて、苛立ちが濃くなる。


「ジャマ」


 拳。


 門が砕ける。


「ジャマ」


 肩で破る。


「ジャマ!」


 銅鐘を鳴らす。


 ごん。


 音が返ってくる。


 だが、マネがそれを真似る。


「ゴン」


 残響音響室が歪ませる。


 小鐘泥廟が細い音を重ねる。


 フィルエが森灰術で音の道をずらす。


 ガルザヴェインの音による空間認識が、わずかに狂う。


 彼は一歩進んだつもりで、半歩横へ流される。


 また門。


 また檻。


 また骨槍。


 魔神ゴブリンの怒りが、膨れた。


 その怒りに、彼の周囲に残っていた強化ゴブリンたちが耐えられなかった。


 一部が、さらに進化しかける。


 だが、無理な進化だ。


 体が割れる。


 骨が伸びすぎる。


 筋肉が裂ける。


 叫びながら崩れる。


 ガルザヴェインの魔神性に耐えられない個体が、自滅し始めた。


《ガルザヴェイン周辺強化個体、自壊》


《骸門迷走檻による圧迫と魔神性過負荷が原因》


《死亡推定:三千二百体》


《獲得ソウル:768,000》


「自分の力で配下を壊したか」


 余は低く言った。


 ガルザヴェインが振り返る。


 死んでいく自分のゴブリンたちを見た。


 怒りか。


 悲しみか。


 それとも失望か。


「ヨワイ」


 彼は言った。


「ヨワイ、シヌ」


 その言葉は冷たい。


 だが、どこか幼い。


 強さを求めるあまり、弱い者が死ぬことを当然としか見ていない。


 それがガルザヴェインだった。


 だが、余はそこに一つ、隙を見た。


 弱い者は死ぬ。


 強い者は残る。


 ならば、この迷宮はどう見える?


 弱い魔物を喰い、強い配下を育て、死んだものをソウルに変え、何度でも進化する腹。


 ガルザヴェインが求める強さと、似ているのではないか。


「まだだ」


 余は言った。


「まだ説得はしない。もっと見せる」


《第三外周檻、崩壊寸前》


「十分だ。開けろ」


《第三外周檻を解除します》


 黒い門が、すっと消えた。


 ガルザヴェインの前に、深部へ続く道が開く。


 彼は、怒りで肩を上下させながら、その道を見た。


 道の奥には、白い圧がある。


 コアへ近い区画。


 余の気配を、あえて薄く漏らしている。


 ガルザヴェインの金色の目が、静かに細くなった。


「イル」


 また言った。


「モット、ツヨイ」


「そうだ」


 余は白い部屋で答えた。


「ここまで来い。ガルザヴェイン」


 残った魔物は、もうかなり少ない。


 十万の黒い波は、霧と泥と骨と宝物庫と骸門で削られた。


 だが、ガルザヴェインの周囲には、まだ精鋭が残っている。


 黒いゴブリンの近衛のようなもの。


 金眼の狼。


 片腕を失った上位オーク。


 甲殻を割られながらも生きる巨大虫。


 数は少ない。


 だが、濃い。


 最後の波だ。


《骸門残響隔離層外周戦、終了》


 白骨書記が戦争台帳に書き込む。



骸門残響隔離層外周戦果:


骸門外周檻による分断処理:1,728,000

第二外周檻・騎士連携戦:642,000

骸門迷走檻による強化個体自壊:768,000

残存精鋭処理・湿骨軍列追撃:391,000


追加獲得ソウル合計:3,529,000


損耗:

骸門残響隔離層、外周檻大破

折剣濁白騎士、重度損傷

湿骨軍列、一部崩壊

カゲヌイ、影針大量損耗

ハイハネ、霧制御疲労

小鐘泥廟、恐怖反応あり

マネ、銅鐘音模倣進行


現在保有ソウル:11,052,530



 11,052,530。


 とうとう、桁がさらに変わった。


 だが、余はもう数字だけを見ていなかった。


 ガルザヴェインを見ていた。


 奴は、壊れた骸門外周を抜け、深部へ向かって歩いている。


 泥と白磁と黒い血をまとい、傷だらけで、それでも笑っている。


 強いものへ向かって。


 余へ向かって。


 コアの近くへ。


「ロード」


 フィルエが言った。


「ここから先は、本当に危ない」


「分かっている」


「コア前まで来る」


「来させる」


「契約、できると思う?」


「分からん」


 余は正直に言った。


「だが、殺すだけなら惜しい」


 魔神ゴブリン。


 最上位ゴブリン。


 未成熟でSランク。


 十万の軍勢を率い、迷宮の罠を学び、強さを求めて深部へ向かう怪物。


 殺せば、莫大なソウルになるだろう。


 だが、仲間にできれば。


 配下にできれば。


 グズとは違う形で、ゴブリンの頂点を迷宮に抱え込める。


 その価値は、ソウルだけでは測れない。


「次で、コア前防衛区画を開く」


《最終深部防衛の準備を開始します》


「ヴェルグレイヴは」


《睡眠中》


「まだ起こすな」


《承知しました》


 夜棺白庭の奥で、白磁の棺は静かだった。


 だが、気のせいか。


 ほんの一瞬だけ、内側から何かが笑ったような気がした。


 余は、あえて見なかった。


「今の相手は、あの古血ではない」


 余は白い部屋の中央で告げた。


「魔神ゴブリン・ガルザヴェイン」


 深部へ向かう金色の目を見据える。


「余の前まで来い」


 そして、心の底で思った。


 殺すためではない。


 選ばせるために。

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