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第148話 ソウルは、迷宮の骨を太くする

 霧灰白庭迷宮(むかいはくていめいきゅう)は、勝った。


 黒市主(くろいちぬし)は死んだ。


 赫槍の灯(かくそうのあかり)も死んだ。


 骸門牢獄(がいもんろうごく)の残響は迷宮の中に残り、黒い値札は灰になった。


 だが、白い部屋の壁面に映る迷宮図は、勝利の美しさなど欠片もなかった。


 酷い有様だった。


 骸門誘導室(がいもんゆうどうしつ)は、ほぼ崩壊。


 白磁偽財殿(はくじぎざいでん)は壁の半分が黒く汚染。


 灰白小宝庫(かいはくしょうほうこ)は床が割れ、宝箱の台座も歪んでいる。


 中層手前の戻り水路には、黒い檻の残滓(ざんし)が沈んでいた。


 霧喰い大蛾(きりぐいおおが)ハイハネは疲れて羽を畳み、湿骨兵(しつこつへい)は三体が完全損壊。


 折剣濁白騎士(せっけんだくはくきし)は片膝をついたまま動かず、泥塞門将(でいそくもんしょう)グズも泥の肩を大きく削られている。


 フィルエも、森灰観測室(しんかいかんそくしつ)の床に座り込んだままだった。


 命脈紋(めいみゃくもん)が、まだ薄く光っている。


「……勝ったが」


《はい》


「壊れすぎではないか」


《大規模戦闘でした》


「黒市主とAランクパーティを同時に喰ったのだ。壊れるのは分かる」


《はい》


「分かるが、腹立たしい」


《修復可能です》


「ソウルはあるからな」


 白い部屋の床に、数字が浮かぶ。


⸻


現在保有ソウル:170,530


⸻


 大きい。


 今までとは桁が違う。


 暁秤を喰った時も大きいと思った。


 だが、黒市主は別だった。


 あれは人間一人ではなかった。


 複数の残響核(ざんきょうかく)を体に縫い込み、死んだ迷宮の器官を着た化け物。


 それが迷宮内で崩れた。


 そのソウルは、霧灰白庭迷宮の腹へ流れ込んだ。


 だから、今ならできる。


 今までできなかった改修が。


 今まで後回しにしていた強化が。


 今まで「足りぬ」と諦めていたものが。


「管理音声」


《はい》


「修復費を出せ」


《表示します》


⸻


緊急修復案:


骸門誘導室の汚染封鎖:20,000

骸門残響隔離層の形成:18,000

白磁偽財殿の修復:8,500

灰白小宝庫の再構築:6,400

宝物庫制御核の補修:7,300

折剣濁白騎士の再安定化:4,800

泥塞門将グズの泥核補強:3,600

帰路喰らいの落武者の影刃補修:3,200

湿骨兵の再生成十体:5,000

フィルエ命脈反動の安定補助:6,000


合計:82,800


⸻


「高い!」


《大規模損傷です》


「分かっているが、高い!」


《現在保有ソウルなら支払い可能です》


「支払えるから腹が立つ」


 余は床の数字を睨んだ。


 170,530。


 そこから82,800を使っても、まだ87,730残る。


 以前なら考えられない余裕だ。


 だが、余裕がある時こそ、使い方を間違えると死ぬ。


 井守も言っていた。


 足元を固めろ、と。


「修復は必要だ。全部許可する」


《ソウル82,800を消費します》


《現在保有ソウル:87,730》


 迷宮全体が、低く鳴った。


 壊れた白磁床が、ゆっくりと閉じていく。


 黒く汚染された壁には、灰色の膜が重なった。


 骸門誘導室の崩れた空間は、完全に元へ戻すのではなく、厚い隔離層で包まれていく。


 骸門牢獄の残響を、迷宮の奥へ沈めるための場所。


 白でも黒でもない。


 骨のような灰色の壁。


 その奥で、黒い門の残骸が、まだ低く鳴っている。


《新規隔離区画を形成》


《名称を設定してください》


「骸門残響隔離層(がいもんざんきょうかくりそう)」


《骸門残響隔離層、登録》


 白い部屋の壁面に、新しい区画が浮かんだ。


 骸門残響隔離層。


 そこは、迷宮内にあるが、迷宮と完全には繋げない。


 残響核隔離室と同じ思想だ。


 だが、規模はずっと大きい。


 小鐘泥廟(しょうしょうでいびょう)の残響核とは違う。


 骸門牢獄は強すぎる。


 うっかり繋げれば、霧灰白庭迷宮の内部に黒い牢獄が芽生えかねない。


「ここは開けるな」


《承知しました》


「研究はする。だが、繋げない」


《はい》


「絶対に、夜棺白庭とは近づけるな」


《夜棺白庭との接続を禁止設定》


 夜棺白庭の奥で、白磁の棺は静かなままだ。


 ヴェルグレイヴは眠っている。


 それでいい。


 骸門牢獄の残響と古血を近づけるなど、考えただけで嫌な予感しかしない。


「フィルエ」


「うん」


「命脈補助を入れる」


「いらない」


「いる」


「まだ動ける」


「動くなと言っている」


「でも」


「これは命令だ」


 フィルエは、少しだけ不満そうに黙った。


 命脈補助が森灰観測室へ流れ込む。


 戻り水を薄く混ぜた灰色の光。


 白磁床の冷たさを抑え、森のマナに近い形へ変換したもの。


 フィルエの背の命脈紋が、少し落ち着いた色になる。


「……楽になった」


「最初からそう言え」


「ロードがうるさいから」


「余は心配しているのだ!」


 言ってから、少し黙った。


 フィルエも黙った。


 それから、彼女は小さく笑った。


「うん。知ってる」


「……ならよい」


 白骨書記が、すぐに帳簿へ書き込む。


⸻


フィルエ:重要契約者

命脈補助:有効

ロード:心配性


⸻


「最後を消せ」


 白骨書記は、消さなかった。


 なかなか頑固だ。


 だが、有能なので許す。


「次だ」


《追加施設の構築候補を表示します》


 白い部屋の床に、新たな候補が並んだ。


⸻


追加候補:


一、宝物庫中枢補助核

効果:宝箱生成、報酬品管理、取得記録処理を高速化

必要ソウル:18,000


二、霧喰い大蛾育成温室

効果:霧喰い大蛾卵群の孵化安定、追跡粉強化

必要ソウル:12,000


三、湿骨兵舎

効果:湿骨兵の待機、修復、宝箱警備性能向上

必要ソウル:9,500


四、偽値札工房

効果:迷子札、墓銭札、偽価値札の生成効率上昇

必要ソウル:11,000


五、残響音響室

効果:残響核の音解析、マネの残響声真似訓練

必要ソウル:10,500


六、泥塞門列

効果:泥塞門将グズが遠隔で小型泥門を複数形成可能

必要ソウル:14,000


七、帰路標識迷路

効果:帰路喰らいの落武者と連動する偽帰路区画

必要ソウル:16,000


八、白骨書記室

効果:白骨書記の記録速度上昇、複数台帳生成、侵入者分類自動化

必要ソウル:6,500


⸻


「全部欲しい」


《合計ソウル:97,500》


「足りないではないか!」


《現在保有ソウル:87,730》


「なぜだ!」


《全部欲しがるためです》


 くそ。


 大きなソウルを得たと思ったのに、欲しいものを全部並べると足りない。


 迷宮運営とは、どこまでも腹が減るものらしい。


「優先順位をつける」


《推奨します》


「まず、宝物庫中枢補助核」


《理由は?》


「今の霧灰白庭迷宮は、宝で人間を呼んでいる。宝物庫が詰まれば全部止まる」


《適切です》


「次に、霧喰い大蛾育成温室」


《理由は?》


「ハイハネの粉は外部追跡にも使える。卵をまた盗まれても困る」


《適切です》


「次に、偽値札工房」


《理由は?》


「黒市主は死んだが、闇市は残る。迷子札と偽値札は今後も使う」


《適切です》


「残響音響室も必要だ」


《マネの訓練用ですね》


「そうだ。黒市主は死んだが、骸門牢獄の残響は残った。今後、音で扱う必要がある」


《適切です》


「白骨書記室も必要だ」


 白骨書記が、かた、と顎を鳴らした。


 気のせいか、嬉しそうに見える。


「有能だからな」


 白骨書記は、帳簿に小さく書いた。


⸻


評価:有能


⸻


「自分で書くな」


 残るは、泥塞門列と帰路標識迷路と湿骨兵舎。


 どれも欲しい。


 だが、今回は全部は無理だ。


「湿骨兵舎は後回し」


《よろしいのですか》


「湿骨兵は今でも使える。重要だが、緊急ではない」


《はい》


「泥塞門列も後回し」


《グズの拡張です》


「欲しい。非常に欲しい。だが、今は宝物庫と外部工作が先だ」


《はい》


「帰路標識迷路も後回し」


《帰路防衛強化です》


「欲しい。だが、帰路喰らいはまだ動ける。今は骸門の隔離と記録が優先だ」


《判断を確認しました》


「購入する」


《購入対象:宝物庫中枢補助核、霧喰い大蛾育成温室、偽値札工房、残響音響室、白骨書記室》


《合計ソウル:58,000》


「許可」


《現在保有ソウル:29,730》


 どっと減った。


 170,530あったソウルが、修復と追加施設で一気に29,730まで落ちた。


 数字を見ると、心臓に悪い。


 心臓はないが。


「……減ったな」


《大型改修を行いました》


「分かっている」


《迷宮基盤は大幅に強化されます》


「そうでなければ困る」


 迷宮の奥で、五つの新しい施設が生まれた。


    ◇


 まず、宝物庫中枢補助核。


 白い部屋から少し離れた宝物庫制御域に、小さな白灰の核が浮かんだ。


 コアではない。


 ロードの核ではない。


 ただ、宝物庫機能を補助するための小核。


 正式宝箱の記録。


 報酬品の劣化防止。


 迷子札や墓銭札の混入。


 取得者の分類。


 それらを、これまでより速く処理できる。


《宝物庫中枢補助核、稼働開始》


 床に表示が走る。


⸻


宝箱生成効率:上昇

報酬品管理精度:上昇

取得記録処理:上昇

鑑定返し補助:可能

偽価値情報の生成:可能


⸻


「よし」


 次に、霧喰い大蛾育成温室。


 浅層奥の霧溜まりが、別の部屋へ拡張された。


 床は柔らかい灰。


 天井には白磁花粉を少しずつ落とす管。


 壁には戻り水を通さない薄膜。


 中心には、霧喰い大蛾の卵群。


 その近くに、ハイハネが止まっている。


 羽をゆっくり広げ、霧を食べている。


《霧喰い大蛾育成温室、稼働開始》


《卵群の孵化安定率、上昇》


《追跡粉品質、上昇》


 ハイハネが羽を震わせた。


 ふぁさ。


 マネがすぐに真似る。


「ふぁさ」


「お前は霧喰い大蛾ではない」


「お前は霧喰い大蛾ではない」


「分かっているなら言うな」


 次に、偽値札工房。


 そこは小さな黒い工房だった。


 白磁の机。


 灰霧のインク。


 黒い札を干すための糸。


 迷子札、墓銭札、偽価値札を作る場所。


 白骨書記が興味深そうに入っていき、すぐに帳簿へ書き込む。


⸻


偽値札工房:管理対象

白骨書記、部分担当可能


⸻


「勝手に担当するな」


《白骨書記は適性があります》


「まあ、あるだろうが」


 次に、残響音響室。


 ここは、他の部屋と少し違った。


 壁には小さな鐘。


 床には灰色の反響板。


 中央に、小鐘泥廟の残響核と同じ音を再現するための黒い器。


 もちろん、本体の残響核は隔離室から動かさない。


 音だけを取り出し、ここで反響させる。


 マネは、その部屋を見た瞬間、目を輝かせた。


「ゴォン!」


 いきなり鳴いた。


 部屋が共鳴する。


 ごん。


 ごぉん。


 ごぉぉん。


 微妙に違う音が返る。


 マネは嬉しそうに跳ねた。


 フィルエは嫌そうな顔をした。


「うるさくなりそう」


「必要なうるささだ」


「うん……必要なのは分かる」


《残響音響室、稼働開始》


《マネの残響声真似訓練が可能になりました》


《残響核の音解析が可能になりました》


「マネの新技能はまだか」


《訓練が必要です》


「訓練しろ、マネ」


「訓練しろ、マネ」


「真似るな」


 最後に、白骨書記室。


 これは一見地味だった。


 白磁の棚。


 骨板の帳簿。


 黒いインク壺。


 侵入者ごとの記録棚。


 宝箱取得者の分類棚。


 死亡者素材の分類表。


 ゴブリン食害記録棚。


 最後の棚だけ、妙に大きい。


「なぜゴブリン食害記録棚がそんなに大きい」


《必要と判断されました》


「……否定できん」


 白骨書記は、その部屋に入ると、明らかに動きが速くなった。


 骨筆が二本に増えた。


 片方の手で侵入者台帳を書き、もう片方で宝物庫記録を書く。


 器用だ。


《白骨書記室、稼働開始》


《記録速度、上昇》


《侵入者分類、自動化開始》


《死亡素材分類、効率上昇》


《ゴブリン食害監視、強化》


「素晴らしい」


 白骨書記が、かた、と顎を鳴らした。


 そして、帳簿に書いた。


⸻


評価:非常に有能


⸻


「自分で書くなと言っている!」


    ◇


 大改修が終わった頃、白い部屋は少し静かになった。


 いや、実際には静かではない。


 新しい施設が動き始めた音がする。


 宝物庫補助核の低い鼓動。


 育成温室の霧音。


 偽値札工房で札が乾く音。


 残響音響室でマネが練習する音。


 白骨書記室で骨筆が走る音。


 霧灰白庭迷宮は、確実に変わった。


 ただのAランク迷宮ではなくなってきている。


 宝を置く迷宮。


 帰路を喰う迷宮。


 残響核を隔離する迷宮。


 闇市へ札を流す迷宮。


 死んだ迷宮の音を学ぶ迷宮。


 余は、白い部屋の中央で、ゆっくりと息を吐いた。


「管理音声」


《はい》


「今の保有ソウル」


《現在保有ソウル:29,730》


「ずいぶん減った」


《はい》


「だが、迷宮の骨は太くなった」


《はい》


「ならよい」


 フィルエが森灰観測室から出てきた。


 顔色は少し良くなっている。


 命脈補助が効いたのだろう。


「ロード」


「何だ」


「次は、少し内側を見た方がいい」


「内側?」


「骸門残響隔離層。あれ、放っておくと勝手に形を作る」


「もうか」


「うん。黒市主の背だったものだから、閉じ込める癖が強い」


 白い部屋の壁面に、骸門残響隔離層が映る。


 灰色の壁の奥。


 黒い門の残骸。


 その周囲に、細い檻の線が生えかけている。


 まるで、迷宮の中に小さな牢獄が芽吹こうとしているように。


「……やはり次の問題はこれか」


《骸門牢獄残響の自律形成反応を確認》


「止めるか」


《完全停止には追加ソウルが必要です》


「利用は」


《可能ですが、危険です》


 余は少し笑った。


「危険ばかりだな」


《はい》


「だが、黒市主を倒した戦利品だ。捨てるには惜しい」


 フィルエが、少しだけ呆れたように言う。


「また危ないものを使おうとしてる」


「使えるなら使う」


「暴れたら?」


「閉じ込める」


「それ、相手も閉じ込めるの得意な残響だよ」


「……面倒だな」


 だが、それでこそ面白い。


 余は骸門残響隔離層を見た。


 黒市主は死んだ。


 赫槍の灯も死んだ。


 だが、彼らが残したものは、まだ迷宮の中で動いている。


 それをどう飼い慣らすか。


 それが次の仕事だ。


 白骨書記が、すぐに新しい項目を書いた。


⸻


次期重要課題:


一、骸門残響隔離層の管理

二、残響音響室でのマネ訓練

三、霧喰い大蛾育成

四、偽値札工房による闇市追跡

五、ゴブリン食害防止


⸻


「五番目を消せ」


 白骨書記は、消さなかった。


 むしろ、太くした。


⸻


五、ゴブリン食害防止


⸻


「……まあ、重要ではある」


 余は諦めた。


 霧灰白庭迷宮は強くなった。


 ソウルも使った。


 新しい施設も増えた。


 だが、やることは減らない。


 むしろ増えた。


 だからこそ、迷宮は面白い。


「よし」


 余は、白い部屋の中央で宣言した。


「しばらくは内側を整える」


《承知しました》


「宝も置く。罠も直す。魔物も育てる。骸門残響も閉じ込める」


《はい》


「そして、外の人間どもには、いつも通り来てもらう」


《はい》


「死にたい者には、相応の場所を用意してやる」


 霧灰白庭迷宮の奥で、五つの新しい施設が動き始めた。


 宝の音。


 骨筆の音。


 蛾の羽音。


 偽札が乾く音。


 そして、遠くで鳴る黒い門の残響。


 余は笑った。


「さて」


 次は、外ではない。


 内側だ。


 黒市主から奪った骸門牢獄。


 その残響が、余の迷宮の中で何を生やすのか。


 確かめねばならない。

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