第147話 赫槍は、死骸を焼く
骸門牢獄が開いた。
それは、扉ではなかった。
空間そのものが、黒い門の形に折り畳まれた。
白磁の床が黒く染まり、灰霧が重く沈み、骨の柱がぎしぎしと軋む。
骸の門。
死んだ迷宮の牢獄。
黒市主の背に縫い込まれていた最大の残響核が、霧灰白庭迷宮の中で半ば目を覚ました。
《警告》
《骸門誘導室、侵食率47%》
《骸門牢獄の残響領域が拡大中》
「まだ押し返すな」
《危険です》
「分かっている」
余は白い部屋の中央で、黒く染まっていく骸門誘導室を見ていた。
黒市主は強い。
思っていた以上に強い。
ただの闇市の主ではない。
ただの人間でもない。
複数の残響核を体に埋め込み、死んだ迷宮の器官を繋ぎ、人間の形で迷宮の力を使っている。
だが、今その前にいる者たちもまた弱くない。
Aランクパーティ。
赫槍の灯。
槍使いレオハルト。
炎術師ミラ。
重装僧兵バズ。
斥候兼投擲手シオン。
彼らは、骸門牢獄を前にしても退かなかった。
レオハルトが赤銅色の槍を構える。
槍先には、灯火のような赤い光。
「ミラ、焼けるか」
「死骸ならね」
ミラが杖を回す。
黒い杖の先で、浄火が輪になる。
バズが重祈盾を前へ出した。
「俺が受ける。お前らは門を探せ」
シオンはもう動いていた。
床に投げ針を打ち、壁の音を聞き、黒市主の背中に埋め込まれた残響核のつなぎ目を探している。
黒市主は、ゆっくり手を上げた。
「骸門牢・二重」
黒い門が、二枚に増えた。
一枚目は目の前。
二枚目は赫槍の灯の背後。
前後を門で挟む。
逃げ道を消す牢獄。
骸門牢獄の本質は、閉じ込めることだった。
レオハルトが笑う。
「逃げ道を閉じるのが得意か」
「商品は逃げる必要がない」
黒市主の胸から剥核針が伸びる。
針はレオハルトではなく、ミラの杖へ向かった。
魔術器官を剥ごうとしている。
バズが割り込んだ。
「重祈盾・灯壁!」
重祈盾が黄金色に光る。
剥核針が盾に突き刺さった。
火花ではない。
黒い灰が散る。
バズの足が白磁床を削った。
「ぐ、重い……!」
黒市主の針は、ただ刺すだけではない。
盾の力を、少しずつ剥いでいる。
祈りの層。
防御の記憶。
盾に刻まれた過去の戦闘。
それらを、商品として剥ぎ取ろうとしている。
「バズ!」
「行け! 俺はまだ折れてねえ!」
レオハルトが前へ出た。
槍を腰だめに構える。
「赫槍技・灯貫き(あかりづらぬき)!」
赤い光が一直線に走った。
骸門牢獄の一枚目を貫く。
黒い門に、赤い穴が空いた。
だが、穴はすぐに塞がろうとする。
そこへ、ミラの炎が重なった。
「炎環術・浄火輪!」
炎の輪が広がる。
ただの火ではない。
死骸を焼くための浄火。
死んだ迷宮の腐った残響に食い込み、黒い門の修復を遅らせる。
骸門牢獄が、不快そうに鳴った。
ごぉん。
白い部屋の隅で、マネがその音を聞いていた。
耳をぴんと立てる。
フィルエが低く言った。
「まだ。今は聞くだけ」
「ゴォ……」
「まだ」
マネは口を押さえた。
珍しく、我慢している。
黒市主は、ミラを見た。
「浄火術師。高値がつく」
「売り物扱いするな」
ミラが杖を振る。
「炎環術・火葬鎖!」
炎の輪から、鎖のような火が伸びた。
死骸接ぎの兵が二体、黒市主の背から這い出す。
迷宮の欠片と人骨を繋いだ異形。
その二体に火葬鎖が絡みつく。
燃える。
骨が爆ぜる。
残響核片が泣くように鳴る。
《死骸接ぎ兵二体、焼失》
《獲得ソウル:1,240》
「よし」
余は小さく頷いた。
あいつらが倒しても、ここは余の迷宮だ。
死んだものは、余の腹に落ちる。
もっと戦え。
もっと削れ。
黒市主も、赫槍の灯も。
黒市主は、初めて少しだけ眉を寄せた。
「浄火は嫌いだ」
「なら、もっと焼いてあげる」
ミラの杖の火が大きくなる。
だが、その瞬間、骸門牢獄の二枚目が開いた。
背後の門から、黒い手が伸びる。
ミラの足首を掴む。
「っ!」
バズが盾を引き戻そうとする。
間に合わない。
シオンが投げ針を投げた。
「裂標!」
針は黒い手ではなく、手と門の接続部へ刺さった。
ごん、と鈍い音。
接続部が裂ける。
ミラの足が自由になる。
「助かった!」
「礼は後!」
シオンは走りながら、さらに二本の投げ針を構える。
黒市主の胸、腕、首。
それぞれに埋め込まれた残響核同士の線を探る。
「全部違う音を出してる。つなぎ目は、鳴らせば浮く!」
黒市主の目が細くなる。
「よく見える目だ」
「よく見えるから、あんたの体は気持ち悪い」
「その目も商品になる」
「やってみろ」
シオンが床を蹴る。
投げ針が連続で放たれる。
「裂標・雨打!」
針が雨のように降る。
黒市主の体に刺さるのではない。
核と核のつなぎ目。
黒い線。
縫合された死骸の隙間。
そこへ刺さる。
ごん。
ぎん。
がん。
異なる音が鳴る。
骸門牢獄とは違う音。
胸の七つ。
首の三つ。
腕の六つ。
黒市主の体に埋め込まれた残響核が、それぞれ違う声で鳴り始めた。
フィルエが叫ぶ。
「ロード、今!」
「マネ!」
マネが口を開く。
小鐘泥廟の残響核が、ごん、と鳴る。
マネが真似る。
「ゴォン!」
それは、さっきよりずっと似ていた。
その音が、骸門誘導室の中へ流れる。
黒市主のつなぎ目が、一瞬だけ浮かぶ。
シオンの目が、それを捕まえた。
「レオハルト! 背中、門の根元!」
「見えた!」
レオハルトが槍を握り直す。
槍の火が、細く鋭くなる。
「赫槍技・灯穿槍!」
槍が、黒市主の背へ向かって投げ込まれた。
黒市主は剥核針を伸ばし、槍を受けようとする。
だが、バズが咆えた。
「重祈盾・灯壁重ね(とうへきがさね)!」
重祈盾が二重に光る。
剥核針を正面から受け止めた。
盾にひびが入る。
バズの腕から血が噴く。
だが、針は止まる。
「行けええええ!」
槍が、黒市主の背の骸門牢獄へ突き刺さった。
ごぉぉぉん。
重い鐘の音。
黒市主の体が大きく揺れる。
骸門牢獄の黒い門に、赤い亀裂が走った。
「……これは」
黒市主の顔から、余裕が消えた。
「これは、商品ではないな」
レオハルトが笑う。
「やっと分かったか」
黒市主が両手を広げた。
胸の七つの残響核が一斉に鳴る。
首の三つが鳴る。
腕の六つが鳴る。
背の骸門牢獄が、割れながらも開く。
「ならば、仕入れではない」
骸門牢獄の奥から、黒い檻が無数に伸びる。
「収穫だ」
部屋全体が、牢獄へ変わった。
白磁床が黒く染まる。
天井から檻が降りる。
壁から剥核針が伸びる。
骸門誘導室が、黒市主の領域に飲まれかける。
《骸門誘導室、侵食率72%》
《危険域》
「まだ壊すな」
《侵食が進行しています》
「赫槍の灯に壊させる!」
ミラが杖を両手で握った。
顔色が悪い。
すでにかなり魔力を使っている。
だが、彼女は笑った。
「レオハルト、門を開けたままにして」
「できるだけな!」
「バズ、私を守って」
「いつも通りだ!」
「シオン、つなぎ目を全部鳴らして」
「無茶言うな!」
「できるでしょ!」
シオンは笑った。
「できる!」
Aランクだ。
余は、心から思った。
こいつらは強い。
黒市主も強い。
どちらも、迷宮にとって危険なほど強い。
だからこそ、この戦いは価値がある。
シオンが走る。
檻の隙間を抜ける。
投げ針を投げる。
一本、胸のつなぎ目。
一本、首のつなぎ目。
一本、腕のつなぎ目。
刺すたびに、違う鐘の音が鳴る。
マネがそれを真似る。
「ゴン!」
「ガァン!」
「ギィン!」
下手だ。
まだ下手だ。
だが、音の違いを真似ている。
フィルエが森灰術で音の流れをずらす。
黒市主の残響核同士の同調が乱れる。
「うるさい」
黒市主が初めて苛立った。
それだけで十分だった。
ミラが大きく息を吸う。
「炎環術――」
杖の灯火が、巨大な輪になる。
彼女の足元に、炎の魔法陣が広がる。
「骸焼輪!」
浄火の大輪が放たれた。
骸門牢獄の黒い門へ。
死骸接ぎ兵へ。
黒市主の胸の残響核へ。
火が走る。
黒市主は剥核針を盾のように広げる。
だが、剥核針は迷宮器官を剥ぐための針だ。
浄火を防ぐ盾ではない。
針が焼ける。
折れる。
黒市主の胸に埋め込まれた核片の一つが、焼け落ちた。
《黒市主胸部残響核一個、崩壊》
《獲得ソウル:4,000》
数字が入る。
余は息を呑んだ。
「今ので入るのか」
《霧灰白庭迷宮内での崩壊です》
「よし。もっと壊せ」
黒市主がミラを睨む。
「お前は、先に剥ぐ」
黒い檻がミラへ殺到する。
バズが前に出る。
盾はもうひびだらけだ。
それでも、彼は立つ。
「重祈盾・命灯壁!」
盾に祈りの火が灯る。
檻を受ける。
剥核針を受ける。
死骸の腕を受ける。
バズの鎧が裂ける。
肋骨が折れる音がした。
それでも、彼は一歩も退かない。
「ミラ、焼け!」
「分かってる!」
ミラの骸焼輪が、黒市主の背へ届く。
レオハルトが折れかけた槍を引き抜き、再び突っ込む。
シオンの裂標が、骸門牢獄の根元へ三本刺さる。
マネの音が重なる。
「ゴォォン!」
小鐘泥廟の残響が、それを支える。
フィルエが音の流れを一点に集める。
黒市主の背のつなぎ目が、完全に浮いた。
「今だ!」
誰の声だったか分からない。
レオハルトか。
フィルエか。
余か。
全員だったかもしれない。
レオハルトが、槍を両手で握った。
柄はひび割れ、穂先は赤く焼けている。
「赫槍技・暁灯穿!」
槍が、黒市主の背を貫いた。
骸門牢獄の主核へ。
ミラの浄火がそこへ流れ込む。
シオンの針がつなぎ目を縫い止める。
バズの盾が、黒市主の最後の剥核針を受け止める。
黒市主の目が見開かれる。
「……私の、商品が」
レオハルトが低く言った。
「誰も、お前の商品じゃない」
骸門牢獄が割れた。
黒い門に、赤い光が走る。
その奥から、無数の声が漏れた。
たすけて。
いたい。
かえりたい。
くらい。
だして。
死んだ迷宮たちの声。
黒市主が着ていた残響核たちの悲鳴。
それが、一斉に溢れた。
そして、黒市主の体が崩れ始める。
《黒市主、致命損傷》
《埋込残響核群、連鎖崩壊開始》
白い部屋に、膨大な数字が流れ込む準備が始まる。
黒市主は、最後にこちらを見た。
見えないはずの余を、確かに見た。
「霧灰白庭迷宮」
また名を呼んだ。
「お前も、いつか剥がされる」
余は答えた。
届くかどうかなど知らない。
「その前に、お前を喰う」
黒市主が笑った。
「よい、取引だ」
そして、黒市主は崩壊した。
《黒市主、死亡》
《黒市主本体の魂を取得》
《獲得ソウル:18,000》
《黒市主に埋め込まれていた残響核群、崩壊》
《胸部残響核七個、消滅》
《獲得ソウル:28,000》
《首部残響核三個、消滅》
《獲得ソウル:9,000》
《腕部残響核六個、消滅》
《獲得ソウル:18,000》
《背部大型残響核《骸門牢獄》、崩壊》
《獲得ソウル:62,000》
《剥核針、黒市値札術式、死骸接ぎ術式を分解》
《獲得ソウル:7,500》
《黒市主討伐による総獲得ソウル:134,500》
白い部屋が、震えた。
数字が大きすぎる。
桁が違う。
今までのAランクパーティとは、まるで違う。
黒市主は人間一人ではなかった。
複数の死んだ迷宮を体に縫い込んだ、人間型の迷宮死骸集合体。
それが、余の腹の中で崩れた。
ソウルが流れ込む。
重い。
黒い。
冷たい。
だが、膨大だ。
《現在保有ソウル:164,650》
「……すごいな」
思わず声が漏れた。
だが、すぐに白い部屋の表示が揺れる。
《警告》
《骸門誘導室、損傷率88%》
《残響核汚染、大》
《赫槍の灯、生存》
そうだ。
まだ終わっていない。
黒市主を倒したのは、赫槍の灯だ。
そして、彼らは生きている。
だが、ボロボロだった。
レオハルトの槍は半ば折れている。
ミラは膝をつき、魔力が尽きかけている。
バズの盾は砕け、肋骨も折れている。
シオンは片足を黒い檻に裂かれ、立っているのがやっとだ。
それでも、彼らは勝った。
黒市主に勝った。
強い。
本当に強い。
だからこそ。
帰してはならない。
レオハルトが息を荒くしながら言った。
「……撤退するぞ」
ミラが笑った。
「生きて帰れたら、黒市主を倒したって言えるね」
シオンが足を引きずる。
「宝は?」
バズが怒鳴る。
「命が先だ!」
余は、白い部屋で静かに言った。
「よくやった」
彼らには聞こえない。
「黒市主を倒したことだけは、褒めてやる」
泥塞門将グズが、奥で泥門を構える。
折剣濁白騎士が、白磁偽財殿から静かに歩き出す。
帰路喰らいの落武者の刃が、灰霧の中で鳴る。
カゲヌイが影鎖針を構える。
ハイハネが霧を吸い、追跡粉を羽に溜める。
湿骨兵が槍を揃える。
フィルエが、森灰観測網を広げる。
マネが、仲間の声を真似る準備をする。
「だが、ここは余の迷宮だ」
余は告げた。
「勝利すら、持ち帰れると思うな」
赫槍の灯は、まだ知らない。
黒市主との死闘に勝った直後こそ、霧灰白庭迷宮が一番牙を剥く時間だと。
余は、静かに命じた。
「狩れ」




