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第146話 赫槍は、死骸を焼く

 骸門牢獄(がいもんろうごく)が開いた。


 それは、扉ではなかった。


 空間そのものが、黒い門の形に折り畳まれた。


 白磁の床が黒く染まり、灰霧が重く沈み、骨の柱がぎしぎしと軋む。


 骸の門。


 死んだ迷宮の牢獄。


 黒市主(くろいちぬし)の背に縫い込まれていた最大の残響核(ざんきょうかく)が、霧灰白庭迷宮(むかいはくていめいきゅう)の中で半ば目を覚ました。


《警告》


《骸門誘導室、侵食率47%》


《骸門牢獄の残響領域が拡大中》


「まだ押し返すな」


《危険です》


「分かっている」


 余は白い部屋の中央で、黒く染まっていく骸門誘導室を見ていた。


 黒市主は強い。


 思っていた以上に強い。


 ただの闇市の主ではない。


 ただの人間でもない。


 複数の残響核を体に埋め込み、死んだ迷宮の器官を繋ぎ、人間の形で迷宮の力を使っている。


 だが、今その前にいる者たちもまた弱くない。


 Aランクパーティ。


 赫槍の灯(かくそうのあかり)。


 槍使いレオハルト。


 炎術師(えんじゅつし)ミラ。


 重装僧兵(じゅうそうそうへい)バズ。


 斥候兼投擲手(せっこうけんとうてきしゅ)シオン。


 彼らは、骸門牢獄を前にしても退かなかった。


 レオハルトが赤銅色の槍を構える。


 槍先には、灯火(ともしび)のような赤い光。


「ミラ、焼けるか」


「死骸ならね」


 ミラが杖を回す。


 黒い杖の先で、浄火(じょうか)が輪になる。


 バズが重祈盾(じゅうきじゅん)を前へ出した。


「俺が受ける。お前らは門を探せ」


 シオンはもう動いていた。


 床に投げ針を打ち、壁の音を聞き、黒市主の背中に埋め込まれた残響核のつなぎ目を探している。


 黒市主は、ゆっくり手を上げた。


「骸門牢・二重(ふたえ)」


 黒い門が、二枚に増えた。


 一枚目は目の前。


 二枚目は赫槍の灯の背後。


 前後を門で挟む。


 逃げ道を消す牢獄。


 骸門牢獄の本質は、閉じ込めることだった。


 レオハルトが笑う。


「逃げ道を閉じるのが得意か」


「商品は逃げる必要がない」


 黒市主の胸から剥核針(はっかくしん)が伸びる。


 針はレオハルトではなく、ミラの杖へ向かった。


 魔術器官を剥ごうとしている。


 バズが割り込んだ。


「重祈盾・灯壁(とうへき)!」


 重祈盾が黄金色に光る。


 剥核針が盾に突き刺さった。


 火花ではない。


 黒い灰が散る。


 バズの足が白磁床を削った。


「ぐ、重い……!」


 黒市主の針は、ただ刺すだけではない。


 盾の力を、少しずつ剥いでいる。


 祈りの層。


 防御の記憶。


 盾に刻まれた過去の戦闘。


 それらを、商品として剥ぎ取ろうとしている。


「バズ!」


「行け! 俺はまだ折れてねえ!」


 レオハルトが前へ出た。


 槍を腰だめに構える。


「赫槍技・灯貫き(あかりづらぬき)!」


 赤い光が一直線に走った。


 骸門牢獄の一枚目を貫く。


 黒い門に、赤い穴が空いた。


 だが、穴はすぐに塞がろうとする。


 そこへ、ミラの炎が重なった。


「炎環術・浄火輪(じょうかりん)!」


 炎の輪が広がる。


 ただの火ではない。


 死骸を焼くための浄火。


 死んだ迷宮の腐った残響に食い込み、黒い門の修復を遅らせる。


 骸門牢獄が、不快そうに鳴った。


 ごぉん。


 白い部屋の隅で、マネがその音を聞いていた。


 耳をぴんと立てる。


 フィルエが低く言った。


「まだ。今は聞くだけ」


「ゴォ……」


「まだ」


 マネは口を押さえた。


 珍しく、我慢している。


 黒市主は、ミラを見た。


「浄火術師。高値がつく」


「売り物扱いするな」


 ミラが杖を振る。


「炎環術・火葬鎖(かそうさ)!」


 炎の輪から、鎖のような火が伸びた。


 死骸接ぎの兵が二体、黒市主の背から這い出す。


 迷宮の欠片と人骨を繋いだ異形。


 その二体に火葬鎖が絡みつく。


 燃える。


 骨が爆ぜる。


 残響核片が泣くように鳴る。


《死骸接ぎ兵二体、焼失》


《獲得ソウル:1,240》


「よし」


 余は小さく頷いた。


 あいつらが倒しても、ここは余の迷宮だ。


 死んだものは、余の腹に落ちる。


 もっと戦え。


 もっと削れ。


 黒市主も、赫槍の灯も。


 黒市主は、初めて少しだけ眉を寄せた。


「浄火は嫌いだ」


「なら、もっと焼いてあげる」


 ミラの杖の火が大きくなる。


 だが、その瞬間、骸門牢獄の二枚目が開いた。


 背後の門から、黒い手が伸びる。


 ミラの足首を掴む。


「っ!」


 バズが盾を引き戻そうとする。


 間に合わない。


 シオンが投げ針を投げた。


「裂標(れっぴょう)!」


 針は黒い手ではなく、手と門の接続部へ刺さった。


 ごん、と鈍い音。


 接続部が裂ける。


 ミラの足が自由になる。


「助かった!」


「礼は後!」


 シオンは走りながら、さらに二本の投げ針を構える。


 黒市主の胸、腕、首。


 それぞれに埋め込まれた残響核同士の線を探る。


「全部違う音を出してる。つなぎ目は、鳴らせば浮く!」


 黒市主の目が細くなる。


「よく見える目だ」


「よく見えるから、あんたの体は気持ち悪い」


「その目も商品になる」


「やってみろ」


 シオンが床を蹴る。


 投げ針が連続で放たれる。


「裂標・雨打(あまうち)!」


 針が雨のように降る。


 黒市主の体に刺さるのではない。


 核と核のつなぎ目。


 黒い線。


 縫合された死骸の隙間。


 そこへ刺さる。


 ごん。


 ぎん。


 がん。


 異なる音が鳴る。


 骸門牢獄とは違う音。


 胸の七つ。


 首の三つ。


 腕の六つ。


 黒市主の体に埋め込まれた残響核が、それぞれ違う声で鳴り始めた。


 フィルエが叫ぶ。


「ロード、今!」


「マネ!」


 マネが口を開く。


 小鐘泥廟の残響核が、ごん、と鳴る。


 マネが真似る。


「ゴォン!」


 それは、さっきよりずっと似ていた。


 その音が、骸門誘導室の中へ流れる。


 黒市主のつなぎ目が、一瞬だけ浮かぶ。


 シオンの目が、それを捕まえた。


「レオハルト! 背中、門の根元!」


「見えた!」


 レオハルトが槍を握り直す。


 槍の火が、細く鋭くなる。


「赫槍技・灯穿槍(とうせんそう)!」


 槍が、黒市主の背へ向かって投げ込まれた。


 黒市主は剥核針を伸ばし、槍を受けようとする。


 だが、バズが咆えた。


「重祈盾・灯壁重ね(とうへきがさね)!」


 重祈盾が二重に光る。


 剥核針を正面から受け止めた。


 盾にひびが入る。


 バズの腕から血が噴く。


 だが、針は止まる。


「行けええええ!」


 槍が、黒市主の背の骸門牢獄へ突き刺さった。


 ごぉぉぉん。


 重い鐘の音。


 黒市主の体が大きく揺れる。


 骸門牢獄の黒い門に、赤い亀裂が走った。


「……これは」


 黒市主の顔から、余裕が消えた。


「これは、商品ではないな」


 レオハルトが笑う。


「やっと分かったか」


 黒市主が両手を広げた。


 胸の七つの残響核が一斉に鳴る。


 首の三つが鳴る。


 腕の六つが鳴る。


 背の骸門牢獄が、割れながらも開く。


「ならば、仕入れではない」


 骸門牢獄の奥から、黒い檻が無数に伸びる。


「収穫だ」


 部屋全体が、牢獄へ変わった。


 白磁床が黒く染まる。


 天井から檻が降りる。


 壁から剥核針が伸びる。


 骸門誘導室が、黒市主の領域に飲まれかける。


《骸門誘導室、侵食率72%》


《危険域》


「まだ壊すな」


《侵食が進行しています》


「赫槍の灯に壊させる!」


 ミラが杖を両手で握った。


 顔色が悪い。


 すでにかなり魔力を使っている。


 だが、彼女は笑った。


「レオハルト、門を開けたままにして」


「できるだけな!」


「バズ、私を守って」


「いつも通りだ!」


「シオン、つなぎ目を全部鳴らして」


「無茶言うな!」


「できるでしょ!」


 シオンは笑った。


「できる!」


 Aランクだ。


 余は、心から思った。


 こいつらは強い。


 黒市主も強い。


 どちらも、迷宮にとって危険なほど強い。


 だからこそ、この戦いは価値がある。


 シオンが走る。


 檻の隙間を抜ける。


 投げ針を投げる。


 一本、胸のつなぎ目。


 一本、首のつなぎ目。


 一本、腕のつなぎ目。


 刺すたびに、違う鐘の音が鳴る。


 マネがそれを真似る。


「ゴン!」


「ガァン!」


「ギィン!」


 下手だ。


 まだ下手だ。


 だが、音の違いを真似ている。


 フィルエが森灰術で音の流れをずらす。


 黒市主の残響核同士の同調が乱れる。


「うるさい」


 黒市主が初めて苛立った。


 それだけで十分だった。


 ミラが大きく息を吸う。


「炎環術――」


 杖の灯火が、巨大な輪になる。


 彼女の足元に、炎の魔法陣が広がる。


「骸焼輪(がいしょうりん)!」


 浄火の大輪が放たれた。


 骸門牢獄の黒い門へ。


 死骸接ぎ兵へ。


 黒市主の胸の残響核へ。


 火が走る。


 黒市主は剥核針を盾のように広げる。


 だが、剥核針は迷宮器官を剥ぐための針だ。


 浄火を防ぐ盾ではない。


 針が焼ける。


 折れる。


 黒市主の胸に埋め込まれた核片の一つが、焼け落ちた。


《黒市主胸部残響核一個、崩壊》


《獲得ソウル:4,000》


 数字が入る。


 余は息を呑んだ。


「今ので入るのか」


《霧灰白庭迷宮内での崩壊です》


「よし。もっと壊せ」


 黒市主がミラを睨む。


「お前は、先に剥ぐ」


 黒い檻がミラへ殺到する。


 バズが前に出る。


 盾はもうひびだらけだ。


 それでも、彼は立つ。


「重祈盾・命灯壁(めいとうへき)!」


 盾に祈りの火が灯る。


 檻を受ける。


 剥核針を受ける。


 死骸の腕を受ける。


 バズの鎧が裂ける。


 肋骨が折れる音がした。


 それでも、彼は一歩も退かない。


「ミラ、焼け!」


「分かってる!」


 ミラの骸焼輪が、黒市主の背へ届く。


 レオハルトが折れかけた槍を引き抜き、再び突っ込む。


 シオンの裂標が、骸門牢獄の根元へ三本刺さる。


 マネの音が重なる。


「ゴォォン!」


 小鐘泥廟の残響が、それを支える。


 フィルエが音の流れを一点に集める。


 黒市主の背のつなぎ目が、完全に浮いた。


「今だ!」


 誰の声だったか分からない。


 レオハルトか。


 フィルエか。


 余か。


 全員だったかもしれない。


 レオハルトが、槍を両手で握った。


 柄はひび割れ、穂先は赤く焼けている。


「赫槍技・暁灯穿(ぎょうとうせん)!」


 槍が、黒市主の背を貫いた。


 骸門牢獄の主核へ。


 ミラの浄火がそこへ流れ込む。


 シオンの針がつなぎ目を縫い止める。


 バズの盾が、黒市主の最後の剥核針を受け止める。


 黒市主の目が見開かれる。


「……私の、商品が」


 レオハルトが低く言った。


「誰も、お前の商品じゃない」


 骸門牢獄が割れた。


 黒い門に、赤い光が走る。


 その奥から、無数の声が漏れた。


 たすけて。


 いたい。


 かえりたい。


 くらい。


 だして。


 死んだ迷宮たちの声。


 黒市主が着ていた残響核たちの悲鳴。


 それが、一斉に溢れた。


 そして、黒市主の体が崩れ始める。


《黒市主、致命損傷》


《埋込残響核群、連鎖崩壊開始》


 白い部屋に、膨大な数字が流れ込む準備が始まる。


 黒市主は、最後にこちらを見た。


 見えないはずの余を、確かに見た。


「霧灰白庭迷宮」


 また名を呼んだ。


「お前も、いつか剥がされる」


 余は答えた。


 届くかどうかなど知らない。


「その前に、お前を喰う」


 黒市主が笑った。


「よい、取引だ」


 そして、黒市主は崩壊した。


《黒市主、死亡》


《黒市主本体の魂を取得》


《獲得ソウル:18,000》


《黒市主に埋め込まれていた残響核群、崩壊》


《胸部残響核七個、消滅》


《獲得ソウル:28,000》


《首部残響核三個、消滅》


《獲得ソウル:9,000》


《腕部残響核六個、消滅》


《獲得ソウル:18,000》


《背部大型残響核《骸門牢獄》、崩壊》


《獲得ソウル:62,000》


《剥核針、黒市値札術式、死骸接ぎ術式を分解》


《獲得ソウル:7,500》


《黒市主討伐による総獲得ソウル:134,500》


 白い部屋が、震えた。


 数字が大きすぎる。


 桁が違う。


 今までのAランクパーティとは、まるで違う。


 黒市主は人間一人ではなかった。


 複数の死んだ迷宮を体に縫い込んだ、人間型の迷宮死骸集合体。


 それが、余の腹の中で崩れた。


 ソウルが流れ込む。


 重い。


 黒い。


 冷たい。


 だが、膨大だ。


《現在保有ソウル:164,650》


「……すごいな」


 思わず声が漏れた。


 だが、すぐに白い部屋の表示が揺れる。


《警告》


《骸門誘導室、損傷率88%》


《残響核汚染、大》


《赫槍の灯、生存》


 そうだ。


 まだ終わっていない。


 黒市主を倒したのは、赫槍の灯だ。


 そして、彼らは生きている。


 だが、ボロボロだった。


 レオハルトの槍は半ば折れている。


 ミラは膝をつき、魔力が尽きかけている。


 バズの盾は砕け、肋骨も折れている。


 シオンは片足を黒い檻に裂かれ、立っているのがやっとだ。


 それでも、彼らは勝った。


 黒市主に勝った。


 強い。


 本当に強い。


 だからこそ。


 帰してはならない。


 レオハルトが息を荒くしながら言った。


「……撤退するぞ」


 ミラが笑った。


「生きて帰れたら、黒市主を倒したって言えるね」


 シオンが足を引きずる。


「宝は?」


 バズが怒鳴る。


「命が先だ!」


 余は、白い部屋で静かに言った。


「よくやった」


 彼らには聞こえない。


「黒市主を倒したことだけは、褒めてやる」


 泥塞門将グズが、奥で泥門を構える。


 折剣濁白騎士が、白磁偽財殿から静かに歩き出す。


 帰路喰らいの落武者の刃が、灰霧の中で鳴る。


 カゲヌイが影鎖針を構える。


 ハイハネが霧を吸い、追跡粉を羽に溜める。


 湿骨兵が槍を揃える。


 フィルエが、森灰観測網を広げる。


 マネが、仲間の声を真似る準備をする。


「だが、ここは余の迷宮だ」


 余は告げた。


「勝利すら、持ち帰れると思うな」


 赫槍の灯は、まだ知らない。


 黒市主との死闘に勝った直後こそ、霧灰白庭迷宮が一番牙を剥く時間だと。


 余は、静かに命じた。


「狩れ」

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