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第146話 黒市主は、宝物庫を剥ぎに来る

 黒市主くろいちぬしは、入口を歩いて入ってきた。


 こそこそと忍び込むわけでもない。


 墓銭拾ぼせんひろいのように横穴を探すわけでもない。


 卵狩たまごがりのように外壁の隙間を這うわけでもない。


 堂々と、正面から。


 まるで、店の棚へ手を伸ばす客のように。


 黒い長衣。


 青白い顔。


 胸、首、腕に埋め込まれた複数の残響核ざんきょうかく


 そして背中に背負った、巨大な黒い門のような核片。


 骸門牢獄がいもんろうごく


 その名を知った今、あれがただの飾りではないことは分かっている。


 あれは、かつて迷宮だったものだ。


 牢獄型の高位迷宮。


 閉じ込め、縛り、持ち帰らせず、内側で腐らせる迷宮。


 その死骸が、黒市主の背で鳴っていた。


 ごん。


 低い音が、浅層の霧を震わせる。


「……入ったな」


《黒市主、霧灰白庭迷宮内へ侵入》


「ソウルはまだ入らんか」


《対象は生存中です》


「分かっている。確認だ」


 黒市主が一歩進むたび、白磁床が嫌な音を立てた。


 普通の人間の足音ではない。


 骨の門が歩いているような音。


 死んだ迷宮が、人間の形を借りているような音。


 フィルエが、森灰観測室しんかいかんそくしつから低く言った。


「ロード。あれ、迷宮に触れてる」


「どこに」


「足じゃない。背中。骸門牢獄が、壁の奥を探ってる」


「器官を探しているのか」


「うん。宝物庫器官、霧喰い大蛾の卵、残響核隔離室。たぶん全部」


「させるか」


 余は迷宮図を開いた。


 黒市主を誘導する入口は、白磁偽財殿はくじぎざいでん側。


 そこから骸門誘導室がいもんゆうどうしつへ流す。


 その反対側から、Aランクパーティ《赫槍のかくそうのあかり》を灰白小宝庫かいはくしょうほうこ側へ入れる。


 最終的に、中層手前で鉢合わせる。


 黒市主とAランクパーティ。


 どちらも強い。


 どちらも厄介。


 だから、ぶつける。


「赫槍の灯は」


《外縁より侵入開始》


 壁面に、別の入口が映る。


 四人組。


 先頭は、長い赤銅色の槍を持つ男。


 年は三十前後。


 顔立ちは明るいが、目は鋭い。


 鎧は軽い。


 だが、肩と胸に炎除けの赤い紋が刻まれている。


 槍使い隊長、レオハルト。


 その後ろに、炎術師えんじゅつしの女。


 ミラ。


 赤い髪を後ろで束ね、黒い杖を持っている。


 杖の先には、小さな灯火ともしびが揺れていた。


 ただの炎ではない。


 浄火じょうか


 死霊や呪い、腐った魔力に強い火だ。


 さらに後ろに、重装僧兵じゅうそうそうへいのバズ。


 大柄な男。


 厚い鎧。


 盾と祈祷具を一体化させた重祈盾じゅうきじゅんを背負っている。


 最後尾は、斥候兼投擲手せっこうけんとうてきしゅのシオン。


 細い目。


 短い投げ槍を何本も腰に下げ、歩きながら天井と床を交互に見ている。


 四人。


 銀刻の五人とも違う。


 暁秤とも違う。


 彼らは、もっと燃えていた。


 理由はすぐに分かった。


 彼らの会話を、霧が拾ったからだ。


    ◇


「本当に入るんだな」


 バズが言った。


 声は低いが、少し呆れている。


 レオハルトは槍を軽く回した。


「ここまで来て帰るなら、最初から来てない」


「銀刻も暁秤も帰らなかった場所だぞ」


「だから来た」


 ミラが鼻で笑う。


「名を上げたいだけなら、もう少し死ににくい場所にしてほしかったけど」


「名だけじゃない」


 レオハルトの声が、少しだけ硬くなる。


白銀磁片はくぎんじへん、灰霧封じ、正式宝箱。あれだけの迷宮産品が出てる。しかもギルドが規制を強める前だ。今入らなきゃ、次は許可証と監視付きになる」


 シオンが短く言った。


「それに、黒市が動いてる」


 空気が変わる。


 ミラの火が少し大きく揺れた。


「黒市主の噂、信じるの?」


「信じるかどうかじゃない。黒市の商品が流れてる。霧喰い大蛾の卵を狙った奴もいた。迷宮を剥ぐ道具まで動いてる」


 シオンは入口の霧を見た。


「黒市がこの迷宮を剥ぐ前に、俺たちが本物を見る」


 バズがため息をつく。


「本音は?」


 レオハルトは笑った。


「黒市主が来るなら、狩る」


「やっぱりそれか」


「俺たちは、宝狩りじゃない。赫槍の灯だ。闇市に売られる前に、燃やすものは燃やす」


 余は白い部屋で眉を上げた。


「黒市主を狙っているのか」


《赫槍の灯は、闇市絡みの事件を追っていた可能性があります》


「では、たまたまというより、黒市主の影を追って来たのだな」


《はい。ただし霧灰白庭迷宮の宝にも関心があります》


「欲もあり、義もあり、名も欲しい。面倒な連中だ」


 フィルエが言う。


「でも強い」


「ああ。分かる」


 赫槍の灯は、黒市主と戦う意思がある。


 それならば好都合だ。


 黒市主を削らせる。


 同時に、Aランクパーティも削らせる。


 勝った方を喰う。


 あるいは、両方喰う。


「誘導を始めろ」


《承知しました》


    ◇


 黒市主側には、浅層の罠をあまり出さなかった。


 牙跡。


 灰霧。


 泥滑り。


 赤錆噛みの気配。


 それらは全部、黒市主の前では値札の付いた商品棚のように見られるだけだった。


 黒市主は、壁に手を触れた。


 白磁の小片を、爪で削る。


 指先に乗せ、見た。


「白磁庭園由来。灰霧による汚染。戻り水の湿り。面白い。生きた状態で切る価値がある」


「余の壁を削るな」


 余は低く言った。


 届かない。


 だが、黒市主の背で骸門牢獄が鳴る。


 ごん。


 黒市主は笑った。


「怒っているな、霧灰白庭迷宮」


「……」


 名前を呼ぶな。


 白い部屋で、マネが小さくその音を真似ようとした。


「ゴォン……」


 まだ違う。


 だが、少し近い。


 小鐘泥廟しょうしょうでいびょうの残響核が、黒い器の中で震える。



こわい

でも

ここにいる



「よし。まだ鳴るな」


 余は言った。


「黒市主のつなぎ目は、赫槍の灯との戦いで見せる」


《骸門誘導室、準備完了》


 黒市主の前方で、白磁の壁がゆっくり開いた。


 灰色の門のような部屋。


 骨の柱。


 黒い門の影。


 骸門牢獄に似せた、疑似空間。


 もちろん本物ではない。


 だが、黒市主の背中の核が反応するには十分だった。


 ごん。


 黒市主が足を止める。


「……真似たか」


 笑っている。


 不快な笑みだ。


「よい。なら、こちらも開けよう」


 黒市主の背から、黒い門の骨が伸びた。


 骸門牢獄の残響が、迷宮内へ染み出す。


 灰色の床に、黒い檻の線が浮かび始めた。


 骸門誘導室が、少しずつ本物の牢獄に侵食される。


《警告。骸門牢獄反応により、骸門誘導室が上書きされつつあります》


「そう来るか」


 こちらが作った偽の舞台を、黒市主が自分の舞台に変えようとしている。


 やはり強い。


 だが、それでいい。


 そこへ、もう一組を入れる。


    ◇


 赫槍の灯は、灰白小宝庫を通過していた。


 彼らは宝を拾わなかった。


 ミラは何度か白銀磁片に目を向けたが、レオハルトが槍の柄で軽く床を叩くと、すぐに前を見た。


 バズは、帰路に白い祈り札を置く。


 シオンは、落ちている採取物には触れず、代わりに周囲の罠線だけを投げ針で確認していた。


 正統派のAランク。


 強い。


 しかも、暁秤のように測るだけではない。


 戦う準備をしている。


「正面の霧、変わった」


 シオンが言った。


「黒市の匂い?」


 ミラが聞く。


「たぶん。死体と値札と古いコアの匂い」


 レオハルトが笑う。


「当たりだな」


 バズは重祈盾を構え直した。


「黒市主本人かもしれんぞ」


「なら、ここで焼く」


 ミラの声に、火が混じる。


「灰白庭の宝より、黒市主の首の方が高い」


「首が残ればな」


 レオハルトが槍を構えた。


「行くぞ」


 余は、彼らの前に道を開いた。


 灰白小宝庫の奥。


 中層手前。


 骸門誘導室へ。


 そして、二つの獲物が、同じ部屋へ入った。


    ◇


 最初に黒市主が見た。


 次に、レオハルトが見た。


 骸門誘導室。


 灰色の床。


 黒い門の線。


 骨の柱。


 中央に立つ黒市主。


 その背に鳴る骸門牢獄。


 入口側に立つ赫槍の灯。


 一瞬、部屋の空気が止まった。


 黒市主が言った。


「邪魔だ」


 レオハルトが笑った。


「そっちこそ、ずいぶん堂々と盗みに来たな」


「盗む?」


 黒市主は首を傾げた。


「違う。仕入れだ」


 ミラが杖を構える。


「じゃあ、仕入れ泥棒を燃やすだけね」


 バズが前へ出る。


 シオンが投げ針を指に挟む。


 黒市主は、初めて彼らを商品ではなく障害として見たようだった。


「Aランクか」


 レオハルトの槍先に赤い火が灯る。


「赫槍の灯。黒市主、お前を追ってきた」


「ここは私の商品棚だ」


「違う」


 レオハルトが一歩踏み込む。


「ここは迷宮だ。お前の店じゃない」


 余は白い部屋で少し笑った。


「よく言った」


 お前たちも客だがな。


 黒市主の背の骸門牢獄が鳴った。


 ごぉん。


 黒い檻の線が床から立ち上がる。


「骸門牢・一重ひとえ


 黒い檻が、赫槍の灯を囲もうとする。


 レオハルトが槍を突き出した。


赫槍技かくそうぎ灯貫あかりづらぬき!」


 赤い槍光が、檻の一点を貫いた。


 黒い線が割れる。


 同時に、ミラが炎術を放つ。


炎環術えんかんじゅつ浄火輪じょうかりん!」


 炎の輪が広がる。


 骸門の黒い線を焼く。


 ただの火ではない。


 死んだ迷宮の残響に効く火だ。


 黒市主の表情が初めて変わった。


「浄火か」


 バズが盾を構え、前に出る。


重祈盾じゅうきじゅん灯壁とうへき!」


 黄金色の祈りが、盾の前に壁を作る。


 黒市主の胸から伸びた剥核針はっかくしんが、その壁に突き刺さった。


 盾が軋む。


 バズの足が床を削る。


 だが、止めた。


 シオンは、その隙に横へ回った。


 細い投げ針を三本投げる。


裂標れっぴょう


 針は、黒市主の体ではなく、胸と腕の残響核のつなぎ目へ向かった。


 黒市主が腕を振る。


 二本は弾かれる。


 一本だけが、首元の黒い線に刺さった。


 ごん、と鈍い音。


 骸門牢獄とは別の残響核が、悲鳴のように鳴った。


「見えているのか」


 黒市主の声が低くなる。


 シオンが答えた。


「少しな。お前、継ぎ接ぎだろ」


 余は白い部屋で身を乗り出した。


「見えているぞ、あいつら」


《赫槍の灯、黒市主のつなぎ目を一部看破》


「小鐘泥廟とマネなしでか」


 フィルエが言った。


「違う。黒市主が骸門を鳴らしたから、つなぎ目も鳴った。シオンはそれを拾った」


「Aランクの斥候か」


「うん。強い」


 赫槍の灯は強い。


 黒市主も強い。


 部屋の中央で、黒い檻と赤い灯火がぶつかる。


 余は手を出さなかった。


 いや、手を出せる。


 床を沈めることも、霧を流すことも、影糸を張ることもできる。


 だが、今はしない。


 戦わせる。


 削らせる。


 黒市主の音を引き出し、赫槍の灯の技を見せる。


 そして、最後に喰う。


「管理音声」


《はい》


「戦闘記録を全部取れ」


《記録中》


「白骨書記」


 白骨書記はすでに骨筆を走らせていた。



黒市主:骸門牢獄使用

赫槍の灯:浄火有効

シオン:つなぎ目看破能力あり

バズ:剥核針を防御可能

レオハルト:骸門檻を貫通

ミラ:死骸接ぎ系に有効な火炎


注意:どちらも強い。

推奨:消耗後に処理。



「最後の一文、よい」


 戦いはさらに激しくなる。


 黒市主の背から、死骸接ぎの兵が三体、這い出した。


 死んだ迷宮の欠片と人間の骨を繋いだ異形。


 赫槍の灯の炎が、それを迎え撃つ。


 ミラが叫ぶ。


「死骸接ぎ! まとめて焼く!」


 炎の輪が二重になる。


 死骸接ぎが燃える。


 だが、燃えながらも進む。


 バズが盾で受ける。


 レオハルトが槍で貫く。


 シオンがつなぎ目に針を打つ。


 死骸接ぎ一体が崩れた。


《外部敵性存在:死骸接ぎ兵一体、死亡》


《獲得ソウル:620》


「入ったか」


《霧灰白庭迷宮内での死亡です》


「よし。続けさせろ」


 黒市主は笑った。


「良い。Aランクも商品になる」


 レオハルトが槍を構え直す。


「お前の棚には並ばない」


「並ぶ。すべて並ぶ。死んだ迷宮も、死んだ冒険者も、生きた迷宮の器官も」


 黒市主の背で、骸門牢獄が大きく鳴る。


 部屋の壁が黒く変わり始めた。


《警告。骸門誘導室、骸門牢獄反応により侵食率28%》


「まだだ」


 余は言った。


「もう少し戦わせろ」


 フィルエが緊張した声で言う。


「ロード、侵食が進みすぎると部屋を取られる」


「分かっている」


「でも、今なら黒市主の背の音がはっきりしてる」


「マネ」


「マネ」


「聞け。真似る準備をしろ」


 マネが、ふざけずに骸門牢獄の音を聞いていた。


 ごぉん。


 ごぉぉん。


 ごぉぉぉん。


 マネの喉が震える。


 まだ出さない。


 ここではまだ出さない。


 黒市主を倒すのは、赫槍の灯にやらせる。


 余たちは、後で勝者を喰う。


 戦場では、レオハルトが黒い檻を突き破り、黒市主の胸元へ迫っていた。


 黒市主の剥核針が、レオハルトの槍に絡む。


 ミラの炎が、それを焼く。


 バズが盾で死骸接ぎを押し返す。


 シオンの投げ針が、黒市主の首元のつなぎ目を再び鳴らす。


 黒市主の顔から、笑みが消えた。


「……邪魔な灯だ」


 レオハルトが笑う。


「闇市には、ちょうどいいだろ」


 その瞬間、黒市主の背の骸門牢獄が、完全に開いた。


 黒い門が、部屋の奥に現れる。


 その門の向こうには、無数の檻。


 無数の骨。


 無数の値札。


 赫槍の灯の四人が、一瞬その光景に飲まれかける。


 余も、白い部屋で息を呑んだ。


《骸門牢獄、部分展開》


「本性を出したか」


 黒市主が言った。


「では、まずお前たちを仕入れよう」


 黒い門が開く。


 Aランクパーティと黒市主の本当の戦いが始まった。


 余は白い部屋で、静かに笑った。


「やれ」


 どちらに言ったのか、自分でも分からなかった。


 ただ、確かなことが一つある。


 この戦いで、どちらが勝っても。


 最後に喰うのは、余だ。

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