第145話 骸門牢獄は、背中で鳴る
黒市主は、来る。
その確信が、霧灰白庭迷宮の奥に沈んでいた。
卵市場から拾った断片。
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買えぬなら
取りに行く
白箱迷宮
霧の卵
残響核
宝物庫器官
準備を始める
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黒市主は、余の迷宮を商品として見ている。
宝箱ではなく。
素材でもなく。
迷宮そのものを、売れる器官の集まりとして見ている。
宝物庫を剥ぎ、霧喰い大蛾の卵を盗み、残響核を奪い、あわよくば余の名前さえ値札に書くつもりだ。
ふざけるな。
「管理音声」
《はい》
「黒市主の接近予兆は」
《現時点では未確認。ただし、闇市側の魔力移動が増加しています》
「黒市主本人か」
《断定不可》
「断定しろ」
《不可能です》
「役に立たん」
《未知の移動隠蔽術式が使われています》
白い部屋の床には、いくつもの図が浮かんでいる。
霧喰い大蛾の卵群。
残響核隔離室。
宝物庫器官。
偽値札回廊。
夜棺白庭。
守るべき場所が多すぎる。
Aランクになった。
宝を置けるようになった。
冒険者も呼べるようになった。
ソウルも増えた。
だがその分、狙われる場所も増えた。
「……足元を固めろ、か」
井守のコメントを思い出す。
今なら、あの意味がよく分かる。
足元を固めるとは、ただ壁を厚くすることではない。
守るべき器官を知り、それを狙う者の手癖を知り、盗まれる前に罠へ変えることだ。
「フィルエ」
「うん」
「マネの訓練は」
「うるさい」
「進んでいるかと聞いている」
「うるさいけど、進んでる」
森灰観測室から、奇妙な音が聞こえてくる。
ごん。
ごぉん。
ゴォン。
小鐘泥廟の残響核が鳴る。
マネがそれを真似る。
そしてフィルエが、音のズレを見ている。
「マネ、もう一回」
「マネ、もう一回」
「私の声で言わない」
「私の声で言わない」
「ロード、こいつ本当に腹立つ」
「余も毎日そう思っている」
だが、使える。
黒市主の弱点は、体に埋め込んだ複数の残響核同士のつなぎ目。
それは音で暴ける。
小鐘泥廟の残響核が鳴り、マネが真似、フィルエが音の流れを見る。
そこに、カゲヌイの影鎖針や帰路喰らいの落武者の帰鎖喰い(きさぐい)を合わせる。
黒市主を迷宮内で迎えるなら、その準備が必要だ。
その時、白骨書記が、白い部屋の端で顎を鳴らした。
かた。
かたかた。
骨筆が床を叩く。
⸻
外部接続反応。
偽値札回廊経由。
送信者:黒市値踏師サナギ。
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「来たか」
余は床の文字を見た。
「また取引か」
《その可能性があります》
「信用できるか」
《低》
「分かっている」
偽値札回廊の奥に、薄い影が現れた。
前と同じ代理影ではない。
今度は、もっと小さい。
黒い蝶のような形をしている。
羽に値札が貼られていた。
⸻
サナギより
黒市主は動いた
背の名を売る
対価を要求
⸻
「また対価か」
フィルエの声が険しくなる。
「残響核の本物の声は売らないよ」
「売らん」
余は即答した。
「サナギに伝えろ。偽物なら売る。本物は売らぬ」
黒い蝶の値札が震えた。
⸻
偽物では足りない
黒市主が気づいた
サナギも見られている
⸻
「自業自得だろう」
そう言いながら、余は目を細めた。
サナギは黒市主に黙って余を値踏みした。
それが露見しかけている。
なら、サナギも追い詰められている。
追い詰められた裏切り者は、よく喋る。
「対価は何だ」
黒い蝶の羽に、新しい文字が浮かぶ。
⸻
サナギの値札を下げろ
⸻
「何?」
⸻
黒市主に見つかる前に
サナギの商品価値を落とせ
価値のない者は
解体されない
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余は少し黙った。
なるほど。
黒市主の下では、価値がある者ほど剥がされる。
価値が高い術師、価値が高い情報持ち、価値が高い裏切り者。
それらは売られ、切られ、つながれる。
サナギは、自分の価値を下げたいのだ。
笑える話だ。
黒市値踏師が、自分の値段を下げろと言っている。
「フィルエ」
「うん」
「できるか」
「たぶん。サナギに“壊れかけ”“情報劣化”“使いすぎると偽値を返す”みたいな汚れた値札を付ければいい」
「闇市内の評価を落とすのか」
「うん」
「それで黒市主はサナギを放置するか」
「たぶん、すぐには解体しない」
「よし」
余は偽値札回廊へ迷子札を一枚送った。
そこに、フィルエが森灰の薄い線を絡める。
サナギの値札へ、偽の情報を書き込む。
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対象:サナギ
状態:値踏み精度低下
外部汚染あり
霧灰白庭迷宮の偽値に感染
直接解体時、情報逆流の危険
市場価値:一時保留
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《偽値札、送信》
黒い蝶が震えた。
しばらくして、文字が浮かぶ。
⸻
受け取った
背の名を売る
⸻
蝶の羽が裂け、中から黒い音が漏れた。
文字ではない。
音。
重く、暗く、巨大な門が閉じるような音。
ごん。
ごおん。
ごぉぉん。
小鐘泥廟の残響核が、黒い器の中で震えた。
⸻
こわい
大きい
牢
⸻
フィルエが目を細める。
「来る」
偽値札回廊に、サナギの文字が浮かぶ。
⸻
骸門牢獄
⸻
「骸門牢獄」
余は、その名を読んだ。
読んだ瞬間、白い部屋の床が低く震えた。
ただの名前ではない。
残響核の名だ。
黒市主の背に埋め込まれた最大の残響核。
それが、骸門牢獄。
かつて迷宮だったもの。
牢獄型の高位迷宮。
骸の門を持ち、入った者を閉じ込める迷宮。
その残骸が、今は黒市主の背で鳴っている。
サナギの追加情報が続く。
⸻
骸門牢獄
旧評価:S級以上
黒市主の背部主核
機能:閉鎖、拘束、回収、器官保存
弱点:つなぎ目の不協和
音で暴ける
ただし一度鳴らすと、黒市主も気づく
⸻
「S級以上」
《高位残響核です》
「黒市主の背の主核か」
《はい》
「小鐘泥廟が怯えるわけだ」
フィルエが静かに言った。
「骸門牢獄は、閉じ込める迷宮だったんだと思う」
「つまり、黒市主はその機能で何をする」
「迷宮の器官を閉じ込めて、外に持ち出す」
「……余の宝物庫をか」
「うん。卵も、残響核も、たぶん命脈線も」
ふざけるな。
怒りが、また腹の奥で冷たくなる。
サナギの文字は、まだ続いた。
⸻
黒市主は直接行く
墓銭拾いは使わない
卵市場も待たない
狙いは三つ
一、宝物庫器官
二、霧喰い大蛾卵
三、残響核隔離室
注意
黒市主はコア破壊を目的にしていない
剥いで持ち帰る
⸻
コア破壊ではない。
剥いで持ち帰る。
それが、余には余計に腹立たしかった。
攻略者は迷宮を殺す。
黒市主は、迷宮を生きたまま切ろうとしている。
黒市主は、ダンジョン攻略者ではない。
迷宮解体屋だ。
「サナギに返事をしろ」
《内容は》
「取引は成立した。だが、次に残響核の声を要求すれば、値札ごと喰う」
《送信します》
黒い蝶が震えた。
最後に、サナギの文字が浮かぶ。
⸻
黒市主は
もう出た
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蝶が灰になった。
偽値札回廊が閉じる。
白い部屋に、しばらく沈黙が落ちた。
それから管理音声が告げる。
《外縁部に異常魔力反応》
「来たか」
《通常冒険者とは異なる反応》
「黒市主か」
《推定:黒市主》
壁面に、霧灰白庭迷宮の外縁が映る。
森の奥。
白い霧の境界。
そこに、黒い人影が立っていた。
以前、闇市の奥で見た姿と同じ。
痩せた男。
青白い顔。
黒い長衣。
胸、首、腕に埋め込まれた残響核の欠片。
そして背中に、大きく歪んだ黒い門のような骨格。
骸門牢獄。
それが、黒市主の背で鳴っている。
ごん。
霧灰白庭迷宮の外まで、その音が響いた。
黒市主は、入口を見ていた。
まるで、店先の商品を見るような目で。
「……来たな」
余は低く言った。
フィルエが隣に立つ。
マネは彼女の足元で、さっきの骸門牢獄の音を真似ようとしていた。
「ゴォ……ゴォン……」
まだ似ていない。
だが、少しずつ近づいている。
小鐘泥廟の残響核が、黒い器の中で小さく鳴った。
⸻
こわい
でも
鳴らす
⸻
「頼む」
余は言った。
残響核に頼むなど、妙な話だ。
だが、今は必要だ。
「黒市主は迷宮内で殺す」
《はい》
「ただし、こちらだけで相手をするな。まず罠を見せる。骸門牢獄の音を取る。つなぎ目を探す」
《承知しました》
その時、別の反応が外縁に出た。
《追加反応》
「何だ」
《冒険者パーティ。高位反応》
「この時にか?」
《はい》
壁面の別側に、四つの人影が映る。
黒市主とは別方向から、霧灰白庭迷宮へ近づいている。
槍を持つ男。
炎の杖を持つ女。
重装の僧兵。
短い投げ槍を帯びた斥候。
どれも、低ランクではない。
明らかに強い。
「Aランクか」
《推定:Aランクパーティ》
「名は」
《外部噂照合中》
《候補:赫槍の灯》
赫槍の灯。
知らない名だ。
だが、足取りで分かる。
強い。
黒市主とは別の意味で、強い。
そして、今、同じ迷宮へ近づいている。
「……なるほど」
余は笑った。
「これは、面白いことになるな」
フィルエがこちらを見た。
「どうするの」
「入れる」
「両方?」
「両方だ」
黒市主は、余の器官を剥ぎに来た。
赫槍の灯は、おそらく宝と名声を求めて来た。
目的は違う。
だが、同じ迷宮に入る。
ならば、会わせる。
戦わせる。
削らせる。
「管理音声」
《はい》
「入口を二つ開ける。黒市主には白磁偽財殿側。赫槍の灯には灰白小宝庫側へ誘導しろ」
《最終的に合流させますか》
「合流地点は、中層手前の骸門誘導室」
《骸門誘導室?》
「今作る」
《危険です》
「黒市主の骸門牢獄に似せた空間を、薄く作る。黒市主が反応し、赫槍の灯も危険を感じる場所だ」
《ソウル消費:2,000》
「許可」
《現在保有ソウル:28,150》
中層手前に、新しい部屋が形成される。
黒い白磁。
灰色の門。
骨のような柱。
だが、骸門牢獄そのものではない。
ただの模倣。
黒市主を誘い込むための疑似骸門。
そして、Aランクパーティを黒市主と鉢合わせさせる舞台。
「ここで会わせる」
余は言った。
「黒市主と、赫槍の灯を」
フィルエの声が少し緊張した。
「両方強いよ」
「だからだ」
強い者同士を戦わせる。
勝った方は、必ず消耗する。
そして、最後に迷宮が喰う。
それが最も美味い。
黒市主が、霧の入口へ一歩踏み込んだ。
別の入口で、赫槍の灯の槍使いも足を踏み入れた。
霧灰白庭迷宮は、二つの獲物を同時に飲み込む。
「ようこそ」
余は白い部屋の中央で笑った。
「ここは店ではない。お前たちの値段も、勝利も、余が決める」




