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第144話 骸門牢獄は、背中で鳴る

 黒市主(くろいちぬし)は、来る。


 その確信が、霧灰白庭迷宮(むかいはくていめいきゅう)の奥に沈んでいた。


 卵市場から拾った断片。


⸻


買えぬなら

取りに行く


白箱迷宮

霧の卵

残響核

宝物庫器官


準備を始める


⸻


 黒市主は、余の迷宮を商品として見ている。


 宝箱ではなく。


 素材でもなく。


 迷宮そのものを、売れる器官の集まりとして見ている。


 宝物庫を剥ぎ、霧喰い大蛾(きりぐいおおが)の卵を盗み、残響核(ざんきょうかく)を奪い、あわよくば余の名前さえ値札に書くつもりだ。


 ふざけるな。


「管理音声」


《はい》


「黒市主の接近予兆は」


《現時点では未確認。ただし、闇市側の魔力移動が増加しています》


「黒市主本人か」


《断定不可》


「断定しろ」


《不可能です》


「役に立たん」


《未知の移動隠蔽術式が使われています》


 白い部屋の床には、いくつもの図が浮かんでいる。


 霧喰い大蛾の卵群。


 残響核隔離室(ざんきょうかくかくりしつ)。


 宝物庫器官。


 偽値札回廊(にせねふだかいろう)。


 夜棺白庭(やかんはくてい)。


 守るべき場所が多すぎる。


 Aランクになった。


 宝を置けるようになった。


 冒険者も呼べるようになった。


 ソウルも増えた。


 だがその分、狙われる場所も増えた。


「……足元を固めろ、か」


 井守のコメントを思い出す。


 今なら、あの意味がよく分かる。


 足元を固めるとは、ただ壁を厚くすることではない。


 守るべき器官を知り、それを狙う者の手癖を知り、盗まれる前に罠へ変えることだ。


「フィルエ」


「うん」


「マネの訓練は」


「うるさい」


「進んでいるかと聞いている」


「うるさいけど、進んでる」


 森灰観測室(しんかいかんそくしつ)から、奇妙な音が聞こえてくる。


 ごん。


 ごぉん。


 ゴォン。


 小鐘泥廟(しょうしょうでいびょう)の残響核が鳴る。


 マネがそれを真似る。


 そしてフィルエが、音のズレを見ている。


「マネ、もう一回」


「マネ、もう一回」


「私の声で言わない」


「私の声で言わない」


「ロード、こいつ本当に腹立つ」


「余も毎日そう思っている」


 だが、使える。


 黒市主の弱点は、体に埋め込んだ複数の残響核同士のつなぎ目。


 それは音で暴ける。


 小鐘泥廟の残響核が鳴り、マネが真似、フィルエが音の流れを見る。


 そこに、カゲヌイの影鎖針(えいさしん)や帰路喰らいの落武者の帰鎖喰い(きさぐい)を合わせる。


 黒市主を迷宮内で迎えるなら、その準備が必要だ。


 その時、白骨書記(はっこつしょき)が、白い部屋の端で顎を鳴らした。


 かた。


 かたかた。


 骨筆が床を叩く。


⸻


外部接続反応。

偽値札回廊経由。

送信者:黒市値踏師サナギ。


⸻


「来たか」


 余は床の文字を見た。


「また取引か」


《その可能性があります》


「信用できるか」


《低》


「分かっている」


 偽値札回廊の奥に、薄い影が現れた。


 前と同じ代理影ではない。


 今度は、もっと小さい。


 黒い蝶のような形をしている。


 羽に値札が貼られていた。


⸻


サナギより

黒市主は動いた

背の名を売る

対価を要求


⸻


「また対価か」


 フィルエの声が険しくなる。


「残響核の本物の声は売らないよ」


「売らん」


 余は即答した。


「サナギに伝えろ。偽物なら売る。本物は売らぬ」


 黒い蝶の値札が震えた。


⸻


偽物では足りない

黒市主が気づいた

サナギも見られている


⸻


「自業自得だろう」


 そう言いながら、余は目を細めた。


 サナギは黒市主に黙って余を値踏みした。


 それが露見しかけている。


 なら、サナギも追い詰められている。


 追い詰められた裏切り者は、よく喋る。


「対価は何だ」


 黒い蝶の羽に、新しい文字が浮かぶ。


⸻


サナギの値札を下げろ


⸻


「何?」


⸻


黒市主に見つかる前に

サナギの商品価値を落とせ

価値のない者は

解体されない


⸻


 余は少し黙った。


 なるほど。


 黒市主の下では、価値がある者ほど剥がされる。


 価値が高い術師、価値が高い情報持ち、価値が高い裏切り者。


 それらは売られ、切られ、つながれる。


 サナギは、自分の価値を下げたいのだ。


 笑える話だ。


 黒市値踏師が、自分の値段を下げろと言っている。


「フィルエ」


「うん」


「できるか」


「たぶん。サナギに“壊れかけ”“情報劣化”“使いすぎると偽値を返す”みたいな汚れた値札を付ければいい」


「闇市内の評価を落とすのか」


「うん」


「それで黒市主はサナギを放置するか」


「たぶん、すぐには解体しない」


「よし」


 余は偽値札回廊へ迷子札(まいごふだ)を一枚送った。


 そこに、フィルエが森灰の薄い線を絡める。


 サナギの値札へ、偽の情報を書き込む。


⸻


対象:サナギ

状態:値踏み精度低下

外部汚染あり

霧灰白庭迷宮の偽値に感染

直接解体時、情報逆流の危険

市場価値:一時保留


⸻


《偽値札、送信》


 黒い蝶が震えた。


 しばらくして、文字が浮かぶ。


⸻


受け取った

背の名を売る


⸻


 蝶の羽が裂け、中から黒い音が漏れた。


 文字ではない。


 音。


 重く、暗く、巨大な門が閉じるような音。


 ごん。


 ごおん。


 ごぉぉん。


 小鐘泥廟の残響核が、黒い器の中で震えた。


⸻


こわい

大きい

牢


⸻


 フィルエが目を細める。


「来る」


 偽値札回廊に、サナギの文字が浮かぶ。


⸻


骸門牢獄


⸻


「骸門牢獄(がいもんろうごく)」


 余は、その名を読んだ。


 読んだ瞬間、白い部屋の床が低く震えた。


 ただの名前ではない。


 残響核の名だ。


 黒市主の背に埋め込まれた最大の残響核。


 それが、骸門牢獄。


 かつて迷宮だったもの。


 牢獄型の高位迷宮。


 骸の門を持ち、入った者を閉じ込める迷宮。


 その残骸が、今は黒市主の背で鳴っている。


 サナギの追加情報が続く。


⸻


骸門牢獄

旧評価:S級以上

黒市主の背部主核

機能:閉鎖、拘束、回収、器官保存

弱点:つなぎ目の不協和

音で暴ける

ただし一度鳴らすと、黒市主も気づく


⸻


「S級以上」


《高位残響核です》


「黒市主の背の主核か」


《はい》


「小鐘泥廟が怯えるわけだ」


 フィルエが静かに言った。


「骸門牢獄は、閉じ込める迷宮だったんだと思う」


「つまり、黒市主はその機能で何をする」


「迷宮の器官を閉じ込めて、外に持ち出す」


「……余の宝物庫をか」


「うん。卵も、残響核も、たぶん命脈線も」


 ふざけるな。


 怒りが、また腹の奥で冷たくなる。


 サナギの文字は、まだ続いた。


⸻


黒市主は直接行く

墓銭拾いは使わない

卵市場も待たない

狙いは三つ


一、宝物庫器官

二、霧喰い大蛾卵

三、残響核隔離室


注意

黒市主はコア破壊を目的にしていない

剥いで持ち帰る


⸻


 コア破壊ではない。


 剥いで持ち帰る。


 それが、余には余計に腹立たしかった。


 攻略者は迷宮を殺す。


 黒市主は、迷宮を生きたまま切ろうとしている。


 黒市主は、ダンジョン攻略者ではない。


 迷宮解体屋だ。


「サナギに返事をしろ」


《内容は》


「取引は成立した。だが、次に残響核の声を要求すれば、値札ごと喰う」


《送信します》


 黒い蝶が震えた。


 最後に、サナギの文字が浮かぶ。


⸻


黒市主は

もう出た


⸻


 蝶が灰になった。


 偽値札回廊が閉じる。


 白い部屋に、しばらく沈黙が落ちた。


 それから管理音声が告げる。


《外縁部に異常魔力反応》


「来たか」


《通常冒険者とは異なる反応》


「黒市主か」


《推定:黒市主》


 壁面に、霧灰白庭迷宮の外縁が映る。


 森の奥。


 白い霧の境界。


 そこに、黒い人影が立っていた。


 以前、闇市の奥で見た姿と同じ。


 痩せた男。


 青白い顔。


 黒い長衣。


 胸、首、腕に埋め込まれた残響核の欠片。


 そして背中に、大きく歪んだ黒い門のような骨格。


 骸門牢獄。


 それが、黒市主の背で鳴っている。


 ごん。


 霧灰白庭迷宮の外まで、その音が響いた。


 黒市主は、入口を見ていた。


 まるで、店先の商品を見るような目で。


「……来たな」


 余は低く言った。


 フィルエが隣に立つ。


 マネは彼女の足元で、さっきの骸門牢獄の音を真似ようとしていた。


「ゴォ……ゴォン……」


 まだ似ていない。


 だが、少しずつ近づいている。


 小鐘泥廟の残響核が、黒い器の中で小さく鳴った。


⸻


こわい

でも

鳴らす


⸻


「頼む」


 余は言った。


 残響核に頼むなど、妙な話だ。


 だが、今は必要だ。


「黒市主は迷宮内で殺す」


《はい》


「ただし、こちらだけで相手をするな。まず罠を見せる。骸門牢獄の音を取る。つなぎ目を探す」


《承知しました》


 その時、別の反応が外縁に出た。


《追加反応》


「何だ」


《冒険者パーティ。高位反応》


「この時にか?」


《はい》


 壁面の別側に、四つの人影が映る。


 黒市主とは別方向から、霧灰白庭迷宮へ近づいている。


 槍を持つ男。


 炎の杖を持つ女。


 重装の僧兵。


 短い投げ槍を帯びた斥候。


 どれも、低ランクではない。


 明らかに強い。


「Aランクか」


《推定:Aランクパーティ》


「名は」


《外部噂照合中》


《候補:赫槍の灯(かくそうのあかり)》


 赫槍の灯。


 知らない名だ。


 だが、足取りで分かる。


 強い。


 黒市主とは別の意味で、強い。


 そして、今、同じ迷宮へ近づいている。


「……なるほど」


 余は笑った。


「これは、面白いことになるな」


 フィルエがこちらを見た。


「どうするの」


「入れる」


「両方?」


「両方だ」


 黒市主は、余の器官を剥ぎに来た。


 赫槍の灯は、おそらく宝と名声を求めて来た。


 目的は違う。


 だが、同じ迷宮に入る。


 ならば、会わせる。


 戦わせる。


 削らせる。


「管理音声」


《はい》


「入口を二つ開ける。黒市主には白磁偽財殿側。赫槍の灯には灰白小宝庫側へ誘導しろ」


《最終的に合流させますか》


「合流地点は、中層手前の骸門誘導室」


《骸門誘導室?》


「今作る」


《危険です》


「黒市主の骸門牢獄に似せた空間を、薄く作る。黒市主が反応し、赫槍の灯も危険を感じる場所だ」


《ソウル消費:2,000》


「許可」


《現在保有ソウル:28,150》


 中層手前に、新しい部屋が形成される。


 黒い白磁。


 灰色の門。


 骨のような柱。


 だが、骸門牢獄そのものではない。


 ただの模倣。


 黒市主を誘い込むための疑似骸門。


 そして、Aランクパーティを黒市主と鉢合わせさせる舞台。


「ここで会わせる」


 余は言った。


「黒市主と、赫槍の灯を」


 フィルエの声が少し緊張した。


「両方強いよ」


「だからだ」


 強い者同士を戦わせる。


 勝った方は、必ず消耗する。


 そして、最後に迷宮が喰う。


 それが最も美味い。


 黒市主が、霧の入口へ一歩踏み込んだ。


 別の入口で、赫槍の灯の槍使いも足を踏み入れた。


 霧灰白庭迷宮は、二つの獲物を同時に飲み込む。


「ようこそ」


 余は白い部屋の中央で笑った。


「ここは店ではない。お前たちの値段も、勝利も、余が決める」

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