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第144話 卵市場は、霧の粉で見つかる

 霧喰い大蛾きりぐいおおがの未成熟個体、ハイハネ。


 まだ小さい。


 まだ弱い。


 羽も完全には乾ききっていない。


 だが、その粉は使えた。


 卵狩りの女を逃がした時、ハイハネの羽から落ちた白灰の粉が、女の黒布に付着していた。


 追跡粉ついせきふん


 ただの粉ではない。


 霧に混じり、汗に混じり、布目に入り、暗がりでも薄く光る。


 霧灰白庭迷宮むかいはくていめいきゅうの中なら、はっきり見える。


 外では薄い。


 だが、フィルエには見えた。


「ロード」


「見えるか」


「うん。細いけど、続いてる」


 森灰観測室しんかいかんそくしつの床に、灰色の線が浮いていた。


 逃げた卵狩りの女が通った道だ。


 正規の道ではない。


 街道でもない。


 水路でもない。


 森の根の下を抜け、古い獣道を通り、朽ちた石垣の裂け目を越えている。


 闇市へ戻る道とも、少し違う。


「卵専門の市場か」


《その可能性が高いです》


「人間は本当に何でも市場にするな」


《はい》


「魔物の卵まで売るのか」


《はい》


「……余の卵を売る気だったのか」


《可能性が高いです》


 白い部屋の空気が、少し冷えた。


 宝箱なら、まだ分かる。


 宝は、人間が欲しがるものだ。


 白銀磁片も、影糸巻きも、灰霧封じの小瓶も、金になる。


 だが、霧喰い大蛾の卵は違う。


 あれは、これから迷宮の霧を動かす戦力だ。


 まだ生まれてもいない魔物だ。


 それを商品棚に並べる気だった。


「許せんな」


《卵市場への干渉を行いますか》


「見る。まず見る」


 フィルエが頷いた。


「まだ近い。粉、消える前に追った方がいい」


「ハイハネ」


 浅層奥の霧溜まりで、ハイハネが羽を震わせた。


 ふぁさ、と柔らかい音。


 まだ頼りない。


 だが、霧が応える。


 外へ逃げた追跡粉が、わずかに濃くなる。


《追跡粉、増幅》


「よし」


 白骨書記はっこつしょきが、白い部屋の端で帳簿に書く。



追跡対象:卵狩り逃亡者

付着物:霧喰い大蛾ハイハネの追跡粉

推定行先:卵市場たまごいちば

注意:霧喰い大蛾卵群の追加防衛必須



「字が硬いな」


 白骨書記は、かた、と顎を鳴らした。


 そして、最後に一行を足した。



卵泥棒、要処分。



「そこは感情があるのか?」


《記録者判断です》


「お前、本当に有能だな」


    ◇


 卵市場は、町の外れにあった。


 古い鳥飼い小屋をいくつも繋げ、地面の下に広げた市場。


 表向きは、珍しい家畜や薬用鳥の卵を扱う市。


 だが、地下に降りると違う。


 鉄籠。


 暖石。


 魔力を通す湿布。


 卵を眠らせる針。


 孵化ふかを遅らせる冷たい香。


 そして、殻の内側から微かに鳴く魔物の声。


 そこには、卵が並んでいた。


 狼の卵のようなもの。


 蛇のようなもの。


 虫の卵。


 鳥型魔物の卵。


 中には、見た目だけでは何か分からない黒い塊もある。


 いくつかは死んでいた。


 いくつかは、まだ生きている。


 フィルエが、小さく息を呑んだ。


「……ひどい」


 白い部屋の壁面に、ぼんやりと映像が再現される。


 追跡粉。


 薄灯茸穴うすあかりたけあなの胞子断片。


 迷子札まいごふだの薄い反応。


 それらを重ねて作った、粗い視界。


 完全ではない。


 だが、十分に見えた。


 逃げた黒筒の女は、地下の一角へ入った。


 黒布を外す。


 顔は青ざめている。


 名前は、まだ分からない。


 彼女は、卵市場の管理人らしき男に報告した。


「失敗した」


 管理人は太った男だった。


 顔に卵殻の粉がついている。


 手には、孵化調整用の針。


「二人は」


「死んだ」


「卵は」


「取れなかった」


「なら、お前は何を持ち帰った」


 黒筒の女は黙った。


 代わりに、羽織っていた黒布を差し出す。


 そこに、白灰の粉が付いている。


 ハイハネの追跡粉だ。


 管理人は、それを見た。


 最初は不機嫌そうだった顔が、少しずつ変わる。


「これは……霧系か」


 指でつまむ。


 舐めようとした。


「舐めるな」


 余は思わず言った。


 もちろん届かない。


 管理人は、粉を舐めた。


 顔がこわばった。


 次の瞬間、咳き込む。


 霧が口の中で膨らんだのだ。


 ざまあみろ。


《追跡粉の一部、対象体内へ侵入》


「よし」


 管理人は吐き出しながらも、目を輝かせていた。


「生きた霧蛾だ。まだ卵か?」


「一つ孵った。未成熟だが、霧を食って霧を吐いた」


「成体なら?」


「分からない」


「卵は何個見た」


「十はあった」


 管理人の目が完全に変わった。


 欲の目だ。


 宝箱を見た冒険者の目と同じ。


 いや、もっと汚い。


 命を値段に変える者の目だ。


「全部取れば、黒市へ直接流せる」


「無理だ」


 黒筒の女は即答した。


「あそこはもう警戒されてる。湿骨兵がいる。白い骨の書記みたいな魔物もいた。羽化しかけた蛾もいる」


「なら、より高く売れる」


 太った管理人は笑った。


「守られている卵は、価値が高い」


 余の中で、何かが冷えた。


「管理音声」


《はい》


「あいつの名を調べろ」


《外部照合中》


《対象推定:卵市番たまごいちばんグレム・オード》


「卵市番」


《卵市場の管理責任者と思われます》


「覚えた」


 白骨書記が即座に帳簿へ記録する。



卵市番グレム・オード

分類:卵市場管理者

罪状:霧喰い大蛾卵窃取計画

処分候補:高



「罪状と書いたな」


《白骨書記判断です》


「よし」


    ◇


 卵市場の奥には、もっと嫌なものがあった。


 黒い棚。


 そこに置かれた、割れた殻。


 死んだ卵。


 孵らなかった魔物。


 失敗作。


 その中に、一つだけ違うものがある。


 小さな石の卵。


 殻ではない。


 石。


 だが、内側からかすかに鳴っている。


 フィルエの顔が変わった。


「ロード」


「何だ」


「あれ、残響核ざんきょうかくじゃない」


「卵ではないのか」


「卵の形をした、残響核の器。たぶん、死んだ魔物の巣と、死んだ迷宮の欠片を混ぜてる」


「何のために」


「卵に、迷宮の癖を入れるため」


 最悪だ。


 黒市主だけではない。


 卵市場にも、残響核由来の道具が流れている。


 魔物の卵に、死んだ迷宮の癖を混ぜる。


 孵った魔物はどうなる。


 迷宮に従いやすくなるのか。


 罠を覚えるのか。


 あるいは、壊れるのか。


 余は、白い部屋で無言になった。


 卵市番グレムが、その石卵を見て言った。


「黒市主へ報告する」


 黒筒の女が顔をしかめる。


「また?」


「霧の蛾の卵は、あの方が欲しがる。白い箱の迷宮の、外へ持ち出せる霧器官だ」


「買うのか」


「買えればな」


「買えなければ?」


 グレムは笑った。


「取りに行く」


 その言葉が、白い部屋に届いた。


 余は静かに言った。


「言ったな」


《はい》


「買えぬなら、取りに行く、と」


《はい》


 フィルエが低く言った。


「黒市主も、たぶんそう考えてる」


「だろうな」


 卵市場は、ただの脇道ではなかった。


 ここで分かった。


 黒市主は、霧灰白庭迷宮の器官を欲しがっている。


 宝物庫だけではない。


 霧喰い大蛾の卵。


 残響核。


 採取物生成部。


 いずれ、フィルエの命脈線や夜棺白庭にまで手を伸ばすかもしれない。


 許せない。


 絶対に。


「卵市場を潰すか」


《外部領域です。直接攻撃は困難》


「分かっている」


《ただし、追跡粉経由で限定干渉は可能です》


「何ができる」


《市場内に残る追跡粉を一斉発霧させ、混乱を誘発できます》


「殺せるか」


《低確率です》


「なら、情報を得る」


 余は卵市場の映像を見た。


 棚。


 石卵。


 黒い帳簿。


 卵市番グレム。


 黒筒の女。


 そして、黒市主へ渡す報告書。


「黒い帳簿を見たい」


《視界が足りません》


「フィルエ」


「粉を動かす」


 フィルエが床に手をつく。


 ハイハネの追跡粉が、卵市場の中でわずかに舞った。


 風ではない。


 霧の流れとして。


 粉が黒い帳簿の上へ落ちる。


 ページが少しだけ開く。


 文字が見えた。



購入希望:

霧喰い大蛾卵 十個以上

白箱迷宮産卵殻 有無確認

迷宮霧器官 採取可能性あり

黒市主確認待ち


納品先候補:

黒市主直轄

値踏場

死骸接ぎ工房

骸門系倉



「骸門系倉」


 余はその文字を見逃さなかった。


「黒市主の背の残響核と関係があるか」


《可能性が高いです》


「よし。記録」


《記録しました》


 帳簿の次のページが少しだけ見える。



危険注意:

霧喰い大蛾は成体化前に確保すること

孵化後は追跡粉を撒くため、外部市場への持込不可

粉付着者は灰白庭へ逆探知される恐れあり



「すでに気づいているな」


《はい》


「なら、今ここで粉を暴れさせる」


《追跡経路を失う可能性があります》


「もう必要な情報は取った。あとは警告だ」


 フィルエが頷いた。


「ハイハネ、鳴かせる?」


「やれ」


 霧溜まりのハイハネが、まだ小さな羽を震わせた。


 ふぁさ。


 遠い卵市場で、黒筒の女の服に付いた粉が反応する。


 管理人グレムが舐めて体内に入れた粉も、反応する。


 棚の上の粉も。


 帳簿の隙間の粉も。


 一斉に、灰霧へ変わった。


 卵市場が霧に包まれる。


「何だ!?」


 グレムが叫ぶ。


 黒筒の女が口を押さえる。


 卵籠が倒れる。


 小さな魔物の卵が転がる。


 何匹かは、恐怖で殻の中から鳴く。


 石卵の残響核器が、低く震えた。


 ごん。


 残響核隔離室の小鐘泥廟が、それに怯えたように鳴る。


 ごん。


 ふたつの音が重なった。


 マネが、白い部屋の隅でそれを真似た。


「ゴォン」


 卵市場の霧の中に、余の声ではない音が響く。


 鐘。


 迷宮の鐘。


 グレムが青ざめた。


「迷宮が見ている……!」


 そうだ。


 見ている。


 余は白い部屋で、静かに笑った。


「卵に手を出すな」


 声は届かない。


 だが、霧は意味を運ぶ。


 ハイハネの粉は、卵市場の中で白灰に光る。


 それを見た者たちは、きっと理解する。


 あの卵は、ただの魔物卵ではない。


 盗もうとすれば、迷宮の目が外まで追ってくる。


「フィルエ、引け」


「うん」


 追跡粉の霧が薄くなる。


 卵市場の映像も薄れていく。


 最後に見えたのは、卵市番グレムが黒い帳簿を抱え、奥へ走る姿だった。


 黒市主へ報告に行くのだろう。


 それでいい。


 伝えろ。


 霧灰白庭迷宮は見ていた、と。


 卵を狙えば、外でも霧が開く、と。


    ◇


 白い部屋に、収集情報が表示された。



卵市場調査結果:


名称:卵市場

管理者:卵市番グレム・オード

黒市主支配下の外部市場と推定


確認事項:

・霧喰い大蛾卵の窃取依頼あり

・残響核由来の卵改造器を確認

・黒市主が霧系迷宮器官を欲している

・納品先候補に「骸門系倉」を確認

・卵市場へ追跡粉の発霧警告を実施


獲得ソウル:0

消費ソウル:120

現在保有ソウル:30,150



「ソウルは増えないか」


《外部領域のため、殺害なし》


「まあいい。情報は得た」


 白骨書記が帳簿に書く。



卵市場:監視対象

卵市番グレム・オード:処分候補

骸門系倉:重要調査対象

霧喰い大蛾卵:最重要防衛対象



「よし」


 フィルエは少し疲れた顔をしていた。


「大丈夫か」


「うん。粉を動かしただけ」


「休め」


「休む」


 ハイハネは霧溜まりで小さく羽をたたんでいる。


 初めて外で役に立った。


 あの小さな大蛾は、もうただの未成熟個体ではない。


 外の市場を見つけた目だ。


「ハイハネにも何か褒美をやるか」


《何を与えますか》


「霧」


《通常摂取物です》


「では、白磁花粉を少し」


《成長促進に有効です》


「やれ」


 ハイハネの前に、白磁花粉が薄く流れる。


 ハイハネは、ゆっくり羽を震わせて、それを食べた。


 フィルエが少し笑う。


「嬉しそう」


「分かるのか」


「何となく」


 余も、少しだけ満足した。


 だが、その満足は長く続かなかった。


《外部反応》


「今度は何だ」


《卵市場から黒市主側へ通信反応》


「内容は」


《完全には取得できません。ただし、断片を確認》


「出せ」


 白い床に、黒い文字が浮かぶ。



買えぬなら

取りに行く


白箱迷宮

霧の卵

残響核

宝物庫器官


準備を始める



 余は目を細めた。


 来る。


 黒市主が。


 外から値札を付けるだけではなく。


 墓銭拾いに盗ませるだけでもなく。


 卵狩りに盗ませるだけでもなく。


 ついに、霧灰白庭迷宮の内側へ手を伸ばすつもりだ。


「管理音声」


《はい》


「黒市主の侵入に備える」


《戦闘準備を開始します》


「フィルエ、休め。次は大きい」


「うん」


「マネを鍛えろ」


「休ませて」


「……少し休んでからでいい」


 マネが余の声で言った。


「少し休んでからでいい」


「お前は休まず音を練習していろ」


「お前は休まず音を練習していろ」


 やはり腹立たしい。


 だが、必要だ。


 小鐘泥廟の音。


 骸門の名。


 黒市主のつなぎ目。


 マネの音真似が、鍵になる。


 余は白い部屋の壁面に、迷宮図を広げた。


 灰白小宝庫。


 白磁偽財殿。


 中層手前。


 霧喰い大蛾卵群。


 残響核隔離室。


 夜棺白庭。


 守るべき場所が、多い。


 しかし、こちらも強くなった。


 泥塞門将グズ。


 折剣濁白騎士。


 帰路喰らいの落武者。


 カゲヌイ。


 ハイハネ。


 湿骨兵。


 白骨書記。


 フィルエ。


 そして、眠る古血。


 ただし、ヴェルグレイヴは起こさない。


 今回も、起こさない。


「黒市主」


 余は静かに言った。


「買えぬなら取りに来ると言ったな」


 白い部屋の床下で、戻り水が低く鳴った。


「なら来い」


 霧灰白庭迷宮の浅層に、灰白の霧が広がる。


「余の卵も、宝物庫も、残響核も、値札では買えぬと教えてやる」

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