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第142話 卵は、孵る前から盗まれる

 白骨書記(はっこつしょき)は、思ったより有能だった。


 いや、かなり有能だった。


 白磁の骨。


 黒い指先。


 背負った骨板の帳簿。


 そして、こちらが命じる前に勝手に記録を取る几帳面さ。


 白い部屋の床には、すでに白骨書記が書いた項目が並んでいる。


⸻


現在保有ソウル:29,470


新規配備:

白骨書記:一体

湿骨兵:十体

霧喰い大蛾(きりぐいおおが)卵群:孵化待機


要監視:

ゴブリン群

マネ

赤錆噛みの餌場

霧喰い大蛾卵群

闇市由来の迷子札流通


最重要注意:

ゴブリンに卵を食わせないこと


⸻


「最後の項目、太く書くな」


 余は白骨書記を見た。


 白骨書記は、かたかた、と顎を鳴らした。


 そして骨筆で、さらに太く書いた。


⸻


最重要注意:

ゴブリンに卵を食わせないこと


⸻


「だから太くするなと言っている!」


《記録内容は適切です》


「管理音声まで認めるな!」


 霧喰い大蛾の卵は、浅層奥の霧溜まりに置いてある。


 灰白の霧を吸い、白磁花粉を少しずつ取り込み、影縫い大蜘蛛の糸で包まれた卵群だ。


 卵は全部で十二個。


 ひとつひとつが、人間の頭ほどある。


 表面は灰色で、白い粉を吹いている。


 中では、まだ孵っていない蛾が、時折ゆっくり羽を動かす。


 この卵が孵れば、浅層の霧運用は一段変わる。


 光を食う。


 霧を濃くする。


 冒険者の服に追跡粉を付ける。


 白磁花粉罠と混ぜれば、視界だけでなく方向感覚も狂わせられる。


 だから、大事だ。


 非常に大事だ。


 そして、当然ながら、うちのゴブリンどもはそれを食おうとした。


「なぜ卵を見ると食おうとする」


《食物に見えるためです》


「霧喰い大蛾だぞ。将来の戦力だぞ」


《ゴブリンには理解困難です》


「理解しろ!」


 霧溜まりの前では、湿骨兵が三体立っている。


 湿った骨。


 泥を纏った肋骨。


 白磁片の盾。


 彼らはゴブリンが近づくたびに、無言で首根っこを掴んで引き戻す。


 一匹のゴブリンが、じたばた暴れた。


「ギ! ギギ!」


 湿骨兵は無言で持ち上げた。


 そのまま、卵から遠い場所に置いた。


 ゴブリンは少し考え、また卵へ向かった。


 湿骨兵が再び掴んだ。


「……同じことを何度もするな」


《ゴブリンですので》


「ゴブリンで片付けるな」


 フィルエが森灰観測室(しんかいかんそくしつ)から笑っている。


「楽しそう」


「楽しくない。管理が大変なのだ」


「でも、迷宮っぽい」


「ゴブリンが卵を食おうとするのがか?」


「うん。強い迷宮でも、そういうところは変わらないんだなって」


「変われ!」


 余が叫んだ、その時だった。


 白骨書記が骨筆を止めた。


 顎を、かた、と鳴らす。


 そして、床へ新しい文字を書く。


⸻


外縁部に小型反応。

数:三名

通常冒険者ではない。

熱反応低。

足音軽。

目的推定:採取ではなく窃取(せっしゅ)。


⸻


「窃取?」


《盗みです》


「それくらい分かる!」


 白い部屋の壁面に、外縁の映像が映る。


 三つの影。


 小さい。


 子供ではないが、体格は軽い。


 革鎧ではなく、ぴったりした黒布。


 足には柔らかい靴。


 腰には小さな鉤。


 背中には丸い筒。


 正規冒険者ではない。


 墓銭拾いとも少し違う。


「また闇市か」


《外部情報照合》


《対象推定:卵狩り》


「卵狩り?」


《魔物卵、幼体、巣材を盗む専門の闇市系採取者です》


「……」


 余は霧喰い大蛾の卵を見た。


 そして、外の三人を見た。


「まさか」


《霧喰い大蛾卵を狙っている可能性があります》


「なぜ卵の情報が出た!」


《補充日生還者による目撃情報に、霧の中に大きな蛾の卵があった、という噂が含まれています》


「生還者め!」


《生還者は噂を育てます》


「余の卵まで育てるな!」


 フィルエの声が低くなった。


「ロード。あれは止めて」


「ああ。卵は渡さん」


「霧喰い大蛾、孵る前に盗られると危ない。外で育てられたら、迷宮の霧を真似される」


「最悪だな」


 宝箱は盗ませた。


 墓銭札を仕込んだ。


 闇市を覗くために。


 だが、卵は違う。


 卵は戦力だ。


 迷宮の未来の一部だ。


 渡す理由がない。


「今回は逃がさん」


《全員討伐方針ですか》


「一人だけ生かす。卵を盗もうとした者がどうなるか、闇市へ知らせる」


《見せしめですね》


「そうだ」


 白骨書記が、すぐに帳簿へ書いた。


⸻


卵狩り対処方針:

二名処分。

一名返却。

卵窃取への警告として利用。


⸻


「返却と書くな。人間を荷物のように」


《適切な表現です》


「否定しづらいのが嫌だな」


    ◇


 三人の卵狩りは、入口を避けた。


 正面から入らない。


 白い箱にも、灰白採取物にも目をくれない。


 浅層入口の牙跡も、泥滑りも、ゴブリンの声も、全部無視した。


 彼らは、横の斜面を使った。


 森の根を伝い、霧の薄い場所から、浅層奥の霧溜まりへ直接近づこうとしている。


 人間が通る道ではない。


 だが、小柄で身軽な卵狩りには通れる。


「そこは道ではないぞ」


《外壁側の自然隙間です》


「塞げ」


《完全封鎖には時間がかかります》


「なら、通してから閉じる」


《承知しました》


 三人は無言だった。


 互いに声を出さない。


 手振りだけ。


 一人目は、黒い筒を持つ女。


 二人目は、細長い針を持つ男。


 三人目は、背中に卵袋らしき柔らかい包みを背負う少年めいた者。


 フィルエが言った。


「真ん中の男、卵を眠らせる針を持ってる」


「見えるのか」


「針の先に眠り胞子。薄灯茸穴のものとは違う。外の闇市製」


「うちの卵に刺させるな」


「うん」


 三人は霧溜まりへ近づく。


 そこには、湿骨兵がいる。


 だが、卵狩りは湿骨兵と正面から戦わない。


 黒筒の女が筒を開けた。


 中から、淡い緑の煙が出る。


 湿骨兵の骨にまとわりつく。


 湿骨兵の動きが鈍る。


「何だ」


《骨湿りを一時的に乾かす粉です》


「湿骨兵対策まで持っているのか」


《死体運搬系魔物への闇市対策品と思われます》


「腹立たしいな!」


 湿骨兵が一歩遅れる。


 その隙に、針の男が卵へ近づく。


 霧喰い大蛾の卵が、灰色に脈打つ。


 まだ孵らない。


 まだ戦えない。


 針が近づく。


「影縫い大蜘蛛」


《糸、展開》


 天井から糸が落ちる。


 だが、卵狩りの女がすぐに粉を投げた。


 糸が白く濁り、重くなって床に落ちる。


「影糸対策もあるのか」


《はい》


「闇市は本当に嫌なものを売る」


 針の男が卵へ手を伸ばす。


 その瞬間、霧溜まりの床がわずかに揺れた。


 湿骨兵ではない。


 ゴブリンでもない。


 白骨書記だ。


 いつの間にか、霧溜まりの端へ来ていた。


 白骨書記は、骨板の帳簿を開く。


 そこに、かりかりと文字を書く。


⸻


卵接触禁止。


⸻


 その文字が、白い光になって床へ走った。


 針の男の足元に、白骨の文字が浮かぶ。


 男は反射的に足を止めた。


 止まっただけだ。


 だが、その一拍で十分だった。


 湿骨兵の一体が動き、針の男の腕を掴んだ。


「っ!」


 男は声を出さない。


 自分の腕を捨てようとした。


 短剣で肘を切ろうとする。


 ためらいがない。


 だが、湿骨兵は腕ではなく、針を持つ指を砕いた。


 骨が折れる音。


 針が落ちる。


「よし」


《卵眠らせ針、無力化》


「その男は殺せ」


《湿骨兵、処理》


 湿骨兵が、男を霧溜まりの床へ押し倒す。


 戻り水が薄く流れ、男の足を絡める。


 影縫い大蜘蛛の残った糸が首へ巻く。


 男は最後まで声を出さなかった。


 静かに死んだ。


《卵狩り一名、死亡》


《獲得ソウル:380》


 低い。


 だが、構わない。


 目的はソウルではない。


 卵の防衛だ。


 黒筒の女が男を見捨てた。


 当然のように。


 卵袋を背負った少年めいた者に合図する。


 そいつが一気に卵へ走った。


 速い。


 狙いは、一番外側の卵。


 抱えて逃げるつもりだ。


「霧喰い大蛾の卵、孵化までどれくらい」


《通常孵化まで、推定二日》


「待てない」


《強制孵化は可能ですが、未成熟個体になります》


「一体だけでいい。孵せ」


《対象卵、一個を強制孵化》


 霧溜まりの一番奥の卵が、大きく脈打った。


 灰色の殻に、亀裂が入る。


 卵狩りが足を止める。


 殻が割れた。


 中から、湿った羽が出る。


 まだ小さい。


 本来の霧喰い大蛾より未熟だ。


 だが、十分だった。


 灰色の大蛾が、初めて羽を広げる。


 その羽が、霧を吸った。


 周囲の霧が一瞬薄くなり、次の瞬間、羽から濃い灰霧が吐き出される。


 卵狩りの視界が消えた。


「来た」


 フィルエが言った。


「霧喰い大蛾、初動成功」


 大蛾が羽ばたく。


 音は小さい。


 だが、粉が舞う。


 追跡粉。


 白灰の細かな粉が、卵袋の少年の服に付く。


 黒筒の女にも付く。


 逃げても追える。


「片方は殺せ。片方は帰す」


《どちらを帰しますか》


「黒筒の女だ。道具持ちを帰す。対策が破られた話を持ち帰らせる」


《卵袋役は?》


「殺す」


 少年めいた卵狩りは、霧の中で卵へ手を伸ばした。


 その手が、空を掴む。


 霧喰い大蛾の羽ばたきで、卵の位置を見誤っている。


 足元には、戻り水。


 背後には、湿骨兵。


 上には、白骨書記が書いた文字。


⸻


窃盗失敗。


⸻


「文字で煽るな、白骨書記」


《白骨書記、戦闘記録中》


「まあよい」


 湿骨兵が卵袋役の背中を槍で突いた。


 深くはない。


 だが、動きが止まる。


 そこへ霧喰い大蛾が羽を閉じるように覆いかぶさった。


 食うのではない。


 霧で包む。


 卵狩りの呼吸が乱れる。


 方向感覚が消える。


 自分がどちらを向いているのか分からなくなる。


 そのまま、湿骨兵が首を折った。


《卵狩り一名、死亡》


《獲得ソウル:420》


 残る黒筒の女は、もう逃げていた。


 速い。


 仲間二人を見捨て、卵も諦め、道具の一部も捨てている。


 だが、服には追跡粉が付いている。


 霧喰い大蛾の粉。


 今のところ、本人は気づいていない。


「追うな」


《追跡粉付着中》


「逃がせ」


《承知しました》


 黒筒の女は、外へ転がるように逃げた。


 入口も通らない。


 来た時と同じ横道を、命からがら抜ける。


 その背に、白灰の粉が薄く光っていた。


    ◇


 霧溜まりは静かになった。


 湿骨兵が死体を引きずる。


 白骨書記がすぐに帳簿を書く。


⸻


卵狩り侵入記録:


侵入者:三名

死亡者:二名

逃亡者:一名


獲得ソウル:800


損耗:

湿骨兵一体、乾燥粉により軽度損傷

影糸一部劣化

霧喰い大蛾卵一個、強制孵化により未成熟化


取得物:

卵眠らせ針

骨湿り乾燥粉

卵袋

闇市製の霧除け布片


現在保有ソウル:30,270


⸻


「ソウルは少ないが、得たものは大きいな」


《はい》


「霧喰い大蛾は」


 灰色の大蛾は、霧溜まりの壁に止まっていた。


 羽はまだ湿っている。


 体も小さい。


 だが、確かに生きている。


 羽をゆっくり動かすたび、周囲の霧が濃くなったり薄くなったりする。


《未成熟個体。戦闘力は低いですが、霧操作と追跡粉付与は可能》


「名は?」


《個体名を設定しますか》


 少し考えた。


 初めて孵った霧喰い大蛾。


 未成熟だが、卵狩りを退けた。


 霧を食い、霧を吐く。


「ハイハネ」


《霧喰い大蛾個体名:ハイハネ、登録》


 ハイハネは、聞こえたのか分からないが、羽を一度だけ震わせた。


 フィルエが言った。


「かわいい」


「かわいいか?」


「うん」


「蛾だぞ」


「迷宮の子っぽい」


 そう言われると、少し悪くない気がした。


「白骨書記」


 白骨書記がこちらを見る。


「霧喰い大蛾卵群の警備を強化。湿骨兵は常時三体。ゴブリン侵入禁止。卵狩り対策を追加。乾燥粉を浴びた湿骨兵の修復手順も記録しろ」


 白骨書記は、かりかりと書いた。


⸻


霧喰い大蛾卵群:最重要育成資源

警備:湿骨兵三体、影糸二重、白骨書記巡回

禁止:ゴブリン、墓銭拾い、卵狩り、好奇心の強い魔物


⸻


「最後は誰のことだ」


《複数候補があります》


「言わなくてよい」


 霧溜まりの外で、マネがハイハネの羽音を真似していた。


「ふぁさ、ふぁさ」


「お前は卵に近づくな」


「お前は卵に近づくな」


「本当に近づくな!」


    ◇


 逃がした黒筒の女は、闇市へ戻るだろう。


 卵は盗めなかった。


 仲間二人は死んだ。


 霧喰い大蛾は、孵った。


 湿骨兵は動いた。


 白骨書記は戦闘に介入した。


 それらを伝える。


 闇市は、次にもっと厄介な道具を持ってくるかもしれない。


 だが、それでいい。


 こちらも得た。


 卵眠らせ針。


 乾燥粉。


 霧除け布。


 闇市製の卵袋。


 これらを解析すれば、次は対策できる。


「管理音声」


《はい》


「逃亡者の追跡粉は」


《継続中》


「どこへ向かっている」


《闇市とは別経路。小規模な卵取引場の可能性》


「卵専門の市場か」


《推定》


「……人間社会はどれだけ汚い市場を持っているのだ」


《多数と思われます》


「全部見つける必要があるな」


 フィルエが静かに言った。


「ロード。これ、面白くなってきたね」


「面白いというより、面倒だ」


「でも、迷宮の外にいろんな餌場がある」


「餌場」


「うん。闇市。卵市場。死体市場。宝市場。全部、人間の欲でできてる」


 余は黙った。


 確かに。


 霧灰白庭迷宮は、これまで侵入してくる人間を喰ってきた。


 だが、宝を置いたことで、迷宮の外にも線が伸びた。


 闇市。


 墓銭拾い。


 卵狩り。


 黒市主。


 サナギ。


 残響核。


 迷子札。


 追跡粉。


 それらが、外の餌場を見せ始めている。


「つまり、余の迷宮は、外にも罠を伸ばせる」


《限定的には可能です》


「よし」


 余は笑った。


 これは新しい。


 ただ待つのではない。


 ただ入ってきた者を殺すのでもない。


 宝を持たせ、札を貼り、粉を付け、逃がす。


 そして、外の欲の巣を見つける。


「ハイハネ」


 霧喰い大蛾が羽を動かした。


「お前の粉は使える」


 ハイハネは、ふぁさ、と羽を鳴らした。


 マネがすぐ真似た。


「ふぁさ」


「お前は黙れ」


「お前は黙れ」


 白骨書記が、帳簿に新しい項目を書いた。


⸻


新規外部目標:

卵取引場

闇市中層倉庫

黒市値踏場

黒市主の本拠

骸門系残響核


⸻


 余はその一覧を見下ろした。


 Aランク迷宮になった。


 冒険者を喰った。


 宝を置いた。


 闇市を見た。


 そして今、外の市場がいくつも見え始めている。


 ワクワクしていないと言えば嘘になる。


 だが、それ以上に、腹が空く。


「次は、卵市場を見る」


 余は言った。


「余の卵に手を出そうとした連中だ。値札を付ける前に、こちらが値踏みしてやる」


 霧溜まりで、ハイハネが羽を広げた。


 灰白の粉が、外へ逃げた女の背中で、かすかに光っている。


 その光の先に、新しい人間の欲がある。


 余は、白い部屋の中央で笑った。


「さあ、案内しろ。卵泥棒」


 霧灰白庭迷宮の目が、また一つ、外へ伸びた。

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