第142話 宝熱は、死体で帳尻を合わせる
黒市主の名を暴こうとしている間にも、迷宮は止まっていなかった。
霧灰白庭迷宮は、眠らない。
ロードが考えている間にも、入口には足跡がつく。
宝箱が置かれれば、人間は来る。
灰白採取物が噂になれば、人間は屈む。
白銀磁片に値が付けば、人間は夢を見る。
そして、夢を見た人間の何人かは、必ず死ぬ。
「管理音声」
《はい》
「通常侵入の収支を出せ」
《直近18日分を表示します》
白い部屋の床に、数字が浮かんだ。
⸻
直近18日侵入記録:
侵入組数:64組
侵入者総数:213名
生還者:161名
死亡者:52名
主な死亡地点:
浅層入口:7名
灰霧回廊:11名
戻り水湿地:13名
影縫い小道:8名
灰白小宝庫:6名
白磁偽財殿周辺:4名
その他罠・魔物:3名
獲得ソウル:19,860
同期間消費ソウル:5,240
内訳:
宝箱補充:1,420
灰白採取物維持:530
罠修復:920
魔物補充:1,170
宝物庫修復:680
フィルエ命脈安定補助:520
前回保有ソウル:21,370
現在保有ソウル:35,990
⸻
「……増えているではないか」
《はい》
「かなり増えているではないか」
《はい》
「なぜもっと早く出さなかった」
《あなたが黒市主への対応を優先していたためです》
「余のせいにするな!」
《事実です》
余は白い部屋でしばらく黙った。
35,990。
良い数字だ。
とても良い数字だ。
ただし、これは放っておいて増えた数字ではない。
宝箱を置いたから増えた。
灰白採取物を散らしたから増えた。
正式宝箱の噂が育ったから増えた。
生還者が語り、死者が残り、欲深い者が次々と入ったから増えた。
宝は、確かに人間を呼ぶ。
そして人間は、確かに死ぬ。
「フィルエ」
「うん」
「人間は、まだ来るか」
「来る」
「なぜだ」
「宝があるから」
「死ぬぞ」
「死んだ人より、帰ってきた人の話を聞くから」
「愚かだな」
「うん。でも、迷宮には向いてる」
その通りだった。
人間は迷宮に向いている。
欲しがり、怖がり、悩み、迷い、それでも進む。
そして、死ぬ者は死に、生き残る者は噂を運ぶ。
実に迷宮向きだ。
その時、管理音声が告げた。
《外縁部に複数反応》
「またか」
《通常侵入より規模が大きいです》
「人数は」
《推定七組。合計37名》
「多いな」
《外部で“補充日”という噂が発生しています》
「補充日?」
《宝箱と採取物が一定周期で補充されるという噂です》
「誰が流した」
《不明です》
「人間は勝手に祭りを始めるのか」
《はい》
白い部屋の壁面に、外縁の森が映った。
人間が多い。
浅い鎧。
新しい採取袋。
白灰匣用の鉤棒。
戻り水対策の長靴。
赤錆噛み対策らしき革紐。
そして、宝箱を見つけたらすぐ包むための布。
対策している。
学んでいる。
それでも、来ている。
「なるほど」
余は笑った。
「なら、今日は祭りだな」
《危険です》
「分かっている。だが、こういう日は稼げる」
《殺しすぎると、次回以降の侵入数が減ります》
「全員は殺さん」
《では?》
「帰す者と、沈める者を分ける」
余は迷宮図を広げた。
浅層入口。
灰霧回廊。
戻り水湿地。
灰白小宝庫。
影縫い小道。
白磁偽財殿。
そして、中層へ続く未開放の道。
「今日は、宝を見せる」
《はい》
「だが、宝へ群がった順に削る」
《はい》
「低ランクは入口で弾け。Dランクは拾わせて帰せ。Cランクは灰白小宝庫まで進ませろ。Bランク混じりは白磁偽財殿の影を見せる」
《Aランク相当は?》
「来ているのか」
《いません》
「ならよし」
フィルエが言った。
「ロード」
「何だ」
「今日は、ゴブリンに宝箱を近づけない方がいい」
「当然だ」
《ゴブリン群、補充日反応により興奮しています》
「なぜお前たちが興奮する!」
浅層の映像に、ゴブリンどもが映った。
数匹が宝箱の匂いを嗅いでいる。
一匹は白灰匣の角を舐めようとしていた。
「食うな!」
余の声が迷宮内に落ちる。
同時に、マネが余の声で言った。
「食うな!」
「今日はお前も黙っていろ!」
「今日はお前も黙っていろ!」
「本当に黙れ!」
フィルエが笑った。
「祭りっぽい」
「余は祭りを開いた覚えはない!」
◇
最初に死んだのは、入口で大口を叩いていた若い男だった。
Eランク相当。
仲間の制止を振り切って、牙跡の前で剣を抜いた。
「こんなの脅しだろ!」
その足元を、泥が軽く滑らせた。
殺すつもりはなかった。
転ばせるだけだった。
だが、男は転んだ拍子に、腰の短剣を抜こうとした。
その金具に赤錆噛みが飛びつく。
男は悲鳴を上げ、暴れた。
暴れた先に、白磁片の鋭い角があった。
首を切った。
《侵入者一名、死亡》
《獲得ソウル:90》
「……予定外だ」
《低ランクは脆いです》
「次から入口の白磁片を丸めろ」
《承知しました》
仲間たちは男の死体を引こうとした。
だが、死体の腰袋から白磁花粉結晶がこぼれた。
一人が、それを見た。
手を伸ばした。
その間に、霧が濃くなった。
「馬鹿」
余は呟いた。
死体より宝を見る。
それが人間だ。
結果、その仲間は生きて帰った。
白磁花粉結晶を握って。
友人の血を浴びて。
きっと話すだろう。
入口で死んだ。
でも、白い結晶は本物だった、と。
◇
灰霧回廊では、三組が鉢合わせた。
宝を巡って争いかけた。
迷宮が何もしなくても、人間同士で剣を抜きそうだった。
「……何だこれは」
《宝の競合です》
「勝手に殺し合うのか」
《可能性があります》
「もったいないな」
《止めますか》
「いや、利用する」
灰霧を薄く流す。
人影を二重に見せる。
片方の組には、相手が宝箱を抱えているように見せる。
もう片方の組には、相手が罠を解除した直後に見せる。
疑いは簡単に育つ。
「お前ら、何を持ってる!」
「そっちこそ!」
「箱はこっちが先に見つけた!」
「知らねえよ!」
剣がぶつかった。
短い乱戦。
迷宮の魔物は、まだ出していない。
人間同士が勝手に傷つけ合う。
だが、全員殺すのはよくない。
「影縫い大蜘蛛」
《待機中》
「一番欲深い奴だけ吊れ」
宝箱へ手を伸ばした男の影が伸びる。
天井から糸が落ちる。
男が吊られた。
仲間が助けようとする。
別の組は、その隙に箱を奪おうとする。
結果、床の戻り水を踏み抜いた。
二人が沈む。
一人は助かった。
一人は沈んだ。
《侵入者二名、死亡》
《獲得ソウル:640》
吊られた男は、まだ生きていた。
だが、宝箱を離さなかった。
「箱を離せば落としてやる」
もちろん聞こえない。
だが、男は離さない。
影縫い大蜘蛛の糸が、少しずつ首へ食い込む。
最後まで箱を抱えたまま、男は死んだ。
《侵入者一名、死亡》
《獲得ソウル:420》
「欲で死んだな」
《はい》
「箱は回収」
《回収します》
◇
戻り水湿地では、もっと稼げた。
灰白採取物を拾いすぎた一団が、袋を膨らませすぎていた。
動きが遅い。
だが捨てない。
捨てれば軽くなる。
しかし、拾ったものを捨てられない。
戻り水湿地は、そういう者に向いている。
「沈降、二割」
《実行》
足元が沈む。
一人が膝まで。
一人が腰まで。
もう一人は、仲間を引こうとして自分も沈む。
普通の冒険者なら、仲間を助ける。
そこへ罠を重ねる。
だが今回は違った。
宝袋を持った男が、仲間の手を振り払った。
「袋を先に!」
「ふざけるな!」
「中身が濡れる!」
その言葉を最後に、二人が沈んだ。
袋を守ろうとした男も、結局沈んだ。
宝は戻り水の中で散った。
《侵入者三名、死亡》
《獲得ソウル:1,180》
「袋の中身は回収」
《回収します》
「死体も使えるか」
《湿骨兵素材として適性あり》
「記録しておけ」
この時点で、余は決めた。
もう、湿骨兵が必要だ。
冒険者の死体を運び、宝を整理し、ゴブリンを宝箱から遠ざけ、湿地で戦える兵隊。
アンデッドゴブリンでは足りない。
迷宮が大きくなりすぎた。
◇
灰白小宝庫では、折剣濁白騎士の影を初めて見せた。
本体ではない。
影と足音だけだ。
それでも効果はあった。
「何かいる」
「騎士だ」
「白磁騎士か?」
「違う、剣が折れてる」
Cランク上位の四人組が、灰白小宝庫の入口で止まった。
彼らは引くべきだった。
だが、中央に正式宝箱があった。
蓋の紋が光っていた。
四人のうち一人が言った。
「箱だけ取って帰る」
それが、死ぬ者の言葉だった。
宝箱を持ち上げた瞬間、帰路秤が起動する。
床が重くなる。
霧が濃くなる。
折剣濁白騎士の足音が近づく。
かつん。
かつん。
かつん。
四人は走った。
走ってはいけない場所で。
一人が影糸にかかる。
一人が助けようとして戻る。
一人は箱を捨てようとした。
最後の一人が、それを止めた。
「捨てるな! 金貨になる!」
その瞬間、折剣濁白騎士の影が壁から伸びた。
灰剣が一閃。
一人の胸を裂く。
もう一人が反撃する。
だが、白磁床が滑る。
剣が外れる。
折れた白剣が喉を貫いた。
《侵入者二名、死亡》
《獲得ソウル:1,060》
残る二人は逃げた。
一人は宝箱を捨てた。
もう一人は拾おうとした。
捨てた者だけが生きて帰った。
「良い教材だ」
《教材ですか》
「生還者が言う。箱を捨てたから助かった、と」
《宝の危険価値が上昇します》
「そうだ」
◇
補充日の終わり。
白い部屋の床に、収支が表示された。
⸻
補充日侵入記録:
侵入組数:七組
侵入者総数:37名
生還者:22名
死亡者:15名
獲得ソウル:8,330
主な取得物:
低級冒険者装備片
灰白採取物入り採取袋
濡れた革鎧
折れた短剣
泥中の死体素材
欲に濁った宝袋
正式宝箱回収品
補充日前保有ソウル:35,990
補充日後保有ソウル:44,320
⸻
「44,320」
余は数字を見つめた。
「良い」
《はい》
「非常に良い」
《はい》
「これだけあれば、買えるな」
《複数候補があります》
「出せ」
壁面に候補が並ぶ。
⸻
購入候補:
白骨書記
用途:宝物庫記録、死体分類、侵入者台帳管理
必要ソウル:3,200
霧喰い大蛾卵群
用途:霧操作、光源妨害、追跡粉付与
必要ソウル:4,500
湿骨兵十体
用途:湿地戦闘、死体運搬、宝箱警備、ゴブリン抑制
必要ソウル:5,000
宝物庫修復・補充
必要ソウル:2,150
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「全部だ」
《合計消費ソウル:14,850》
「許可」
《現在保有ソウル:29,470》
白い部屋の奥で、骨が組み上がる。
まず現れたのは、白骨書記だった。
小柄な骨の魔物。
白磁の骨。
黒い指先。
背中には、薄い骨板のような帳簿を背負っている。
目の穴には、青白い火。
手には、骨の筆。
《白骨書記、生成完了》
白骨書記は、ぎこちなく頭を下げた。
そして、すぐに床へ文字を書き始めた。
⸻
侵入者台帳
宝箱取得記録
死亡者素材分類
ソウル収支
ゴブリン食害記録
⸻
「最後の項目は必要か」
《必要です》
次に、霧喰い大蛾の卵が浅層の霧溜まりへ置かれた。
灰色の大きな卵。
表面に白い粉がついている。
中で、何かがゆっくり羽ばたいた。
《霧喰い大蛾、孵化準備中》
最後に、湿地で死んだ冒険者の骨が、戻り水と泥に浸された。
骨に白磁片が絡み、灰が染み込む。
十体の湿骨兵が立ち上がる。
濡れた骨。
泥を纏った肋骨。
手には、錆びた槍と白磁片の盾。
《湿骨兵十体、生成完了》
湿骨兵は、ゴブリンたちの前に立った。
宝箱へ近づこうとしていたゴブリンが、湿骨兵に首根っこを掴まれた。
「ギ!?」
湿骨兵は、そのままゴブリンを宝箱から引き離した。
「素晴らしい」
《ゴブリン抑制に成功》
「これだけで買った価値がある」
フィルエが笑った。
「ロード、すごく嬉しそう」
「嬉しいに決まっている。宝箱を食わない兵隊だぞ」
白骨書記が、すぐに帳簿へ書き込んだ。
⸻
湿骨兵:有用
ゴブリン:要監視
⸻
「分かっているではないか」
余は満足した。
補充日は終わった。
冒険者は死んだ。
ソウルは増えた。
新しい魔物も増えた。
迷宮はまた一段、運営しやすくなった。
だが、それで終わりではない。
白骨書記が、最後に別の項目を書いた。
⸻
外部噂更新予測:
灰白庭には、補充日がある
宝は戻る
だが、死体も増える
白い騎士の影が宝物室に出る
霧の中に大きな蛾の卵がある
湿った骨兵が宝箱を守る
⸻
「まだ卵なのに、もう噂になるのか」
《目撃者がいます》
「生還者を残したからな」
余は笑った。
読者ではない。
人間どもが、次を待つ。
宝が戻る日。
霧が深くなる日。
白い騎士の影が出る日。
そして、死体が増える日。
「よし」
余は白い部屋の中央で告げた。
「補充日は、今後も使える」
《定期イベント化しますか》
「するな。定期にすると読まれる」
《では》
「不定期だ。人間が勝手に予想し、勝手に集まり、勝手に死ぬようにしろ」
《承知しました》
夜棺白庭の奥は静かだ。
ヴェルグレイヴは眠っている。
残響核隔離室では、小鐘泥廟が小さく鳴っている。
黒市主との線はまだ残っている。
だが、今日の迷宮は確かに稼いだ。
ただ情報を追うだけではない。
ただ新聞を読むだけではない。
宝で人を呼び、罠で殺し、ソウルで魔物を増やす。
それが迷宮だ。
「来い、人間ども」
余は、浅層の新しい霧を見下ろした。
「次の補充日がいつか、勝手に怯えて、勝手に期待していろ」




