第141話 骨灯りの部屋は、裏切りを照らす
黒市値踏場。
三層下。
骨灯りの部屋。
サナギが教えた場所は、闇市のさらに奥にあった。
余はそこを直接見ているわけではない。
霧灰白庭迷宮の外だ。
余の壁ではない。
余の床ではない。
余の霧も、そこまでは届かない。
だが、迷子札は届いている。
サナギの代理影に貼り付けた、細い帰路の針。
それは、闇市の三層下まで沈んだ。
骨灯りの部屋。
そこは、名前の通り、骨で照らされていた。
人骨ではない。
いや、人骨も混ざっているかもしれない。
魔物の骨。
冒険者の骨。
小型迷宮の眷属だったものの骨。
白く磨かれた骨の中に、青い火が閉じ込められている。
その灯りが、部屋を冷たく照らしていた。
中央には、黒い机。
机の上には、値札が山のように積まれている。
金貨何枚。
銀貨何枚。
取引不可。
危険。
要封印。
主確認。
破棄推奨。
そうした値札の山。
その中に、サナギは座っていた。
人間だ。
たぶん。
だが、人間らしい顔ではなかった。
皮膚が薄い。
血色がない。
目の下に黒い隈があり、指先は値札の紙と同じくらい白い。
声を出す前に、値札を書くような人間だった。
フィルエが、森灰観測室から小さく言った。
「いた」
「サナギか」
「うん。あれ、たぶん本体」
「弱そうだな」
「体は弱い。でも、見る力が強い」
「値踏みする力か」
「うん。ああいうの、目じゃなくて値段で世界を見てる」
「嫌な見方だ」
サナギは、薄い指で一枚の札をつまんでいた。
余が売った、偽の残響核の声。
実体はない。
マネが真似た鐘の音に、余が言葉を乗せたものだ。
⸻
黒市主の背の欠片は
まだ泣いている
⸻
サナギは、その一文を何度も見ていた。
やがて、骨灯りの一つへ札をかざす。
青白い火が揺れた。
「……偽物だ」
サナギは呟いた。
余は白い部屋で眉を上げた。
「見抜いたか」
《完全には不明です》
サナギは続ける。
「でも、偽物にしては鳴りが近い」
彼は机の下から、小さな鐘を取り出した。
黒い鐘。
ひび割れている。
その表面には、迷宮文字に似た傷があった。
サナギは、爪で鐘を弾く。
ちん、と乾いた音が鳴った。
すると、余が渡した偽の声の札が、少しだけ震えた。
サナギは目を細める。
「音は借り物。言葉は作り物。でも、元の鐘は本物に触れている」
フィルエが小さく舌打ちした。
「厄介」
「偽物だと気づかれたか?」
「偽物とは思ってる。でも、どこから作ったかを探ってる」
「マネの音まで辿れるか」
「たぶん、まだ無理。でも、何度も見せると危ない」
マネは白い部屋の隅で、自分の口を両手で押さえていた。
フィルエに怒られたからだ。
だが、我慢できなくなったのか、小さく余の声で言った。
「何度も見せると危ない」
「黙れ」
「黙れ」
「本当に黙れ!」
マネはやっと黙った。
サナギは、骨灯りの下で値札を書き始めた。
⸻
情報品:残響核音声断片
真贋:偽寄り
音源:実接触あり
黒市主背部核片との関連:未確認
取扱:秘匿
備考:黒市主に報告するな
⸻
「……報告するな?」
余は低く呟いた。
《サナギは黒市主へ情報を隠す意図があるようです》
「黒市の中で、裏切っているのか」
「たぶん」
フィルエが言った。
「でも、味方じゃない」
「分かっている」
サナギは味方ではない。
余の残響核の声を欲しがり、偽物でも買った。
黒市主を恐れながらも、情報を隠している。
つまり、自分だけの値札を作ろうとしている。
利用できる。
だが、信用はできない。
その時、骨灯りの部屋の扉が叩かれた。
三回。
弱く。
だが、サナギの顔が変わった。
「誰」
扉の向こうから、女の声がした。
「黒市主から」
サナギは、一瞬だけ目を伏せた。
机の上の札を、素早く束ねる。
余が渡した偽の残響核の声も、その束の下へ隠した。
扉が開く。
入ってきたのは、顔を黒い布で覆った女だった。
手には、小さな箱を持っている。
箱は白くない。
黒い。
だが、箱の角に、死んだ迷宮の欠片らしき石が埋め込まれていた。
フィルエが息を止める。
「また残響核?」
「いや」
余はその箱を見た。
黒市主からの箱。
中に何かがいる。
女は、箱を机に置いた。
「主が言っている」
「何を」
「霧灰白庭迷宮の値札を、勝手に書くな」
サナギの指が止まった。
黒布の女は続ける。
「主はもう見ている」
「何を」
「お前が偽値札回廊に入ったこと」
フィルエが小さく言った。
「ばれてる」
「当然か」
黒市主は甘くない。
サナギの裏切りじみた行動も、おそらく見ていた。
サナギは薄く笑った。
「勝手に見たのは向こうも同じです。迷宮が値札を偽った。私は、その偽物を拾っただけ」
「言い訳は主へ」
女が箱を押した。
「開けろと」
サナギの顔から、わずかに血の気が引いた。
「ここで?」
「ここで」
「……何が入っている」
「背の欠片の、削り滓」
背の欠片。
黒市主の背に埋め込まれている、大きな残響核。
サナギが欲しがっていた情報の、本物の一部。
余は思わず白い部屋で身を乗り出した。
「本物か」
《反応が極めて強いです》
フィルエが唇を噛む。
「ロード、危ない。あれ、こっちにも響く」
「見たい」
「危ない」
「分かっている。だが、見なければ分からん」
サナギは黒い箱に手を伸ばした。
震えている。
欲と恐怖の両方で。
箱を開ける。
その瞬間、骨灯りが一斉に青黒くなった。
箱の中には、小さな黒い粉があった。
ただの粉に見える。
だが、そこから音がした。
ごん。
違う。
小鐘泥廟の残響ではない。
もっと低い。
もっと深い。
地面の底で、巨大な門が閉じるような音。
残響核隔離室の小鐘泥廟が、黒い器の中で震えた。
⸻
こわい
⸻
「小鐘泥廟が怯えている」
「上位の残響核か」
サナギは黒い粉を見て、笑った。
恐怖で笑っている。
「本物だ」
黒布の女が言う。
「主からの贈り物だ」
「違う。これは首輪だ」
「どちらでも」
黒い粉が、サナギの机に広がった。
すると、サナギが隠していた余の偽の残響核の声の札が、勝手に浮き上がった。
黒い粉が、その札へ集まる。
偽物を嗅ぎ分けている。
「まずい」
フィルエが言った。
「偽声が食われる」
「食われるとどうなる」
「マネの音まで辿られるかもしれない」
「切れ」
《外部接続を切断しますか》
「いや、待て」
余は、黒い粉の動きを見た。
あれは、黒市主の背の残響核の削り滓。
つまり、黒市主本体の一部ではない。
だが、強い。
それが偽の声を喰おうとしている。
なら、逆に。
「マネ」
「マネ」
「音を一つ、置いてこい」
フィルエがこちらを見た。
「ロード?」
「偽の声を食わせる。ただし、毒を混ぜる」
「毒?」
「音の毒だ」
余は残響核隔離室の小鐘泥廟へ意識を向けた。
「小鐘泥廟。怖いだろうが、少し鳴れ」
⸻
いや
⸻
「少しでいい。お前を売らぬ。お前を渡さぬ。ただ、あの黒い粉を迷わせる音が必要だ」
黒い器は震えた。
しばらくして、弱く鳴る。
ごん。
マネがそれを真似た。
「ゴォン」
フィルエが森灰観測網を重ねる。
「音を曲げる。黒市主へ戻る道じゃなく、偽値札回廊へ向かうように」
「やれ」
マネの音。
小鐘泥廟の残響。
フィルエの森灰術。
余の偽値札回廊。
それらを一つにして、偽の声の札へ混ぜる。
黒い粉が、札を喰った。
瞬間。
骨灯りの部屋に鐘の音が響いた。
ごん。
ごん。
ごん。
サナギが耳を押さえる。
黒布の女が後ろへ下がる。
黒い粉が、机の上で渦を巻く。
そして、偽値札回廊へ向かう道を、本物の道だと誤認した。
《黒市主背部残響粉、偽値札回廊へ誘導》
「よし」
黒い粉の一部が、迷子札に触れた。
触れた瞬間、余の白い部屋に、断片が流れ込む。
黒い門。
錆びた玉座。
巨大な背骨のような橋。
黒市主の背中。
そこに埋め込まれた、大きな残響核。
名前は分からない。
だが、かすかな文字が見えた。
⸻
骸門
ろう
……
⸻
「骸門……?」
《情報断片取得》
フィルエが言った。
「たぶん、黒市主の背の欠片の元迷宮名」
「骸門牢?」
「最後が欠けてる」
骸門。
牢。
それだけでも、十分に不吉だった。
黒い粉はすぐに反応を戻した。
偽値札回廊が偽物だと気づいたのか、激しく震える。
黒布の女が叫んだ。
「サナギ、何をした!」
「俺じゃない!」
サナギは本当に慌てていた。
余は笑った。
「今回はお前ではない」
黒い粉が骨灯りを消し始める。
部屋が暗くなる。
サナギは素早く、余の偽声札の残骸をつまみ、別の骨札へ押し込んだ。
自分だけ、情報を抜いている。
黒布の女はそれに気づかない。
いや、気づく余裕がない。
黒い粉が暴れている。
サナギは小声で言った。
「霧灰白庭迷宮。聞いているなら、次は値が上がる」
余は目を細めた。
「何だと」
サナギは、こちらが聞いていると分かって言っている。
「黒市主の背の欠片。名は途中まで見えた。欲しいなら、次は本物を払え」
フィルエが低く言った。
「また取引を持ちかけてる」
「図々しい値踏み師だ」
サナギは、さらに言った。
「残響核の声、偽物では足りない。次は本物の一音。そうすれば、背の名をもっと売る」
残響核隔離室の小鐘泥廟が震えた。
⸻
いや
⸻
余は即答した。
「売らん」
サナギには聞こえない。
だが、言った。
「お前に売るものは、偽物で十分だ」
黒い粉の暴走が収まり始める。
黒布の女が箱を閉じる。
「主へ報告する」
「何を」
「サナギが不安定な音を混ぜたと」
「俺は何もしていない」
「主が判断する」
黒布の女が部屋を出ていく。
サナギは、しばらく黙っていた。
それから、机の上に残った骨札へ、震える指で値札を貼った。
⸻
霧灰白庭迷宮
偽物を売る
だが音は本物に近い
黒市主と敵対中
利用価値:極高
信用:不可
⸻
「信用不可はお前だ」
余は呟いた。
サナギは疲れたように笑った。
「信用不可同士、取引しようじゃないか」
その声を最後に、迷子札の視界が薄くなった。
《骨灯りの部屋への接続、弱化》
《取得情報:黒市主背部残響粉、骸門系名称断片》
《推定名候補:骸門牢、骸門廊、骸門楼》
《サナギ、継続接触意思あり》
「骸門……」
余は白い部屋で、その文字を見つめた。
黒市主の背に埋め込まれた大きな残響核。
小鐘泥廟が怯えるほどの強い死骸。
その名の一部が見えた。
骸門。
それは、黒市主の弱点へ繋がる名かもしれない。
だが、そのために小鐘泥廟の本物の声を売るつもりはない。
「管理音声」
《はい》
「小鐘泥廟の残響核をさらに保護しろ」
《ソウル消費:300》
「許可」
《現在保有ソウル:21,370》
黒い器の中で、小鐘泥廟が弱く鳴った。
⸻
ありがとう
⸻
「取引だ」
余は言った。
「お前は情報を出す。余はお前を売らない」
⸻
うん
⸻
フィルエが、また少しだけ笑った。
「ロード、やっぱり優しい」
「違う」
「取引?」
「取引だ」
マネが余の声で言った。
「取引だ」
「お前はもう少し静かに取引しろ」
白い部屋に、小さな笑いが戻る。
だが、その奥で、余は骸門の文字を見つめ続けた。
黒市主の背。
骸門。
サナギ。
骨灯りの部屋。
偽物の取引。
闇市の中で、少しずつ線が伸びていく。
「黒市主」
余は低く呟いた。
「お前が死んだ迷宮を着るなら、余はその縫い目を探す」
白い部屋の床に、黒い門の断片が浮かんだ。
「骸門。その名の続きを、必ず暴いてやる」




