第140話 偽値札回廊は、値踏み師を招く
値札とは、奇妙なものだ。
人間は、値札が付いたものを見ると、急に分かった気になる。
これは高い。
これは安い。
これは買える。
これは買えない。
これは自分のものになる。
そう思う。
だが、迷宮に値札を付けるなど、そもそも間違っている。
迷宮は商品ではない。
余は売り物ではない。
霧灰白庭迷宮の宝物庫も、戻り水も、影糸も、泥門も、フィルエの命脈も、夜棺白庭に眠る古血も。
すべて、余の腹の内側だ。
それに値札を付けようとした。
だから、値札ごと喰う。
《偽値札回廊、形成完了》
白い部屋の床に、細い黒灰色の通路が浮かんでいた。
実際に迷宮内へ開いた通路ではない。
外から墓銭札を逆に辿ってくる者を誘い込むための、偽の迷宮だ。
壁には、価値がありそうなものが並んでいる。
白銀磁片に似せた偽の光。
宝物庫器官に似せた白い管。
命脈契約線に似せた灰色の糸。
帰路喰らいの落武者の刃跡に似せた影。
夜棺白庭の気配に似せた、ほんのわずかな夜。
どれも本物ではない。
だが、値踏みしたくなるように作ってある。
人間の欲は、宝だけではない。
調べたい。
測りたい。
値を付けたい。
それもまた、欲だ。
「管理音声」
《はい》
「逆追跡は来ているか」
《微弱反応あり。偽値札回廊の入口へ接触中》
「黒市主か」
《反応規模から見て、黒市主本人ではありません》
「配下か」
《はい》
フィルエが、森灰観測室の床に座っていた。
膝の上には、マネがいる。
いや、正確には座っているのではない。
マネが勝手にそこに座っている。
フィルエは非常に嫌そうな顔をしていた。
「マネ、降りて」
「マネ、降りて」
「私の声で言わないで」
「私の声で言わないで」
「ロード」
「何だ」
「これ、訓練にならない」
「耐えろ。黒市主のつなぎ目を暴くには、音が要る」
「それは分かるけど」
残響核が、小さく鳴った。
ごん。
マネの耳が動く。
「ゴォン」
前より似ている。
小鐘泥廟の残響核が、黒い器の中で弱く震えた。
⸻
近い
⸻
「上達しているな」
「ゴブリンよりは」
「ゴブリンと比べるな。マネは一応、特殊個体だ」
マネが余の声で言う。
「マネは一応、特殊個体だ」
「自分で言うな」
緊張感が削がれる。
だが、これでいい。
黒市主は重い。
闇市も重い。
残響核の声も重い。
全部重いままでは、こちらが沈む。
マネの間抜けさも、迷宮には必要なのかもしれない。
《逆追跡反応、偽値札回廊へ侵入》
「来たか」
白い部屋の床に映る偽値札回廊の入口が、黒く揺れた。
そこから、何かが入ってきた。
人間ではない。
肉体はない。
だが、人の形をしている。
黒い紙でできたような薄い人影。
顔の位置には、値札が一枚貼られている。
値札には、文字があった。
⸻
黒市値踏師
代理影
等級:下
目的:霧灰白庭迷宮の器官評価
⸻
「……名前からして腹立たしいな」
《外部から送り込まれた査定用代理影と思われます》
「値踏師か」
値踏師の代理影は、偽値札回廊の壁を見た。
そして、薄い手を伸ばす。
壁に浮かぶ偽の白銀磁片へ、値札を貼った。
⸻
白銀系器官
推定買値:金貨8枚
⸻
「安い」
《偽物です》
「偽物でも安い」
次に、代理影は命脈契約線に似せた灰色の糸を見る。
そこへ値札を貼った。
⸻
契約線器官
危険
買値保留
研究価値:高
⸻
余は目を細めた。
偽物だと見抜いていない。
だが、完全には食いついていない。
値札を付けながら、危険も記録している。
闇市の配下らしい。
欲だけではなく、商品として見ている。
フィルエが言った。
「ロード、あれは奥へ行かせて」
「なぜ」
「浅いところで喰うと、偽物って気づかれる。もっと値札を貼らせた方がいい」
「どこまで」
「帰り道が見えなくなるところまで」
よい判断だ。
「管理音声。偽値札回廊を延長」
《延長します》
「価値の高そうな偽器官を追加しろ。ただし、夜棺白庭には似せすぎるな」
《承知しました》
「古血反応は?」
《完全偽装。実体情報なし》
「よし」
回廊の奥に、新しい偽器官が浮かぶ。
白い棺のような形。
だが、ヴェルグレイヴとは無関係。
ただの白磁と灰霧で作った偽の夜反応。
代理影はそれを見て、少しだけ動きを止めた。
値札を貼る。
⸻
古血類似反応
不確定
取扱注意
黒市主確認案件
⸻
「黒市主確認案件、か」
《黒市主本人の判断が必要な反応として処理されています》
「よし。偽物で本人を釣れるかもしれんな」
フィルエが首を振った。
「釣れるけど、危ない」
「分かっている」
「古血に似せすぎると、ヴェルグレイヴが反応する」
その瞬間、夜棺白庭の奥で、白磁の棺がこつりと鳴った。
余は固まる。
「……今のは」
《ヴェルグレイヴ、状態:睡眠。微反応》
「起きていないな?」
《睡眠中です》
「絶対に起こすな」
フィルエが低く言った。
「偽の古血反応、薄くして」
「管理音声」
《薄めます》
偽値札回廊の白い棺反応が弱くなる。
代理影は、それでも値札を残した。
その値札から、黒い細線が外へ伸びている。
闇市側へ情報が戻っている。
「戻すな」
《遮断しますか》
「いや。半分戻せ。古血ではなく、偽の危険情報だけ戻す」
《黒市主側に誤情報を送ります》
「そうだ。古血不確定、取引危険、所有者の帰路侵食あり。そう戻せ」
《実行》
値札の黒い線が震えた。
情報が外へ戻る。
黒市主がどう受け取るかは分からない。
だが、本物の夜棺白庭から目を逸らせるなら、それでいい。
代理影は、さらに奥へ進んだ。
偽値札回廊は、少しずつ形を変える。
最初は宝物庫に似ていた。
次は地下市場に似ていた。
その次は、細い鐘の廊下になった。
残響核が、黒い器の中で小さく鳴る。
ごん。
代理影が止まった。
その顔の値札が揺れる。
⸻
残響核反応
小鐘系
商品記録あり
回収漏れ
⸻
余は声を低くした。
「残響核に値札を付けたな」
《はい》
黒い器の中の残響核が震えた。
⸻
こわい
⸻
「大丈夫だ。偽物を見せている」
余はそう言った。
それが慰めなのか、説明なのか、自分でも分からなかった。
フィルエが静かに言う。
「ロード。あの値札、残響核を探してる」
「回収漏れとあったな」
「うん。黒市主のところから欠けた小片を探してる。つまり、こっちが取ったことはバレてる」
「だろうな」
なら、逆に使う。
「偽の残響核を置け」
《形成します》
「小鐘泥廟に似せろ。ただし、中身は空。触ると偽値札回廊をさらに奥へ進むように」
《罠核を配置》
回廊の奥に、小さな黒い核が浮かんだ。
残響核に似せた偽物。
泥の匂い。
鐘の音。
弱い助けを求める気配。
代理影は近づいた。
値札を貼る。
⸻
残響核
小鐘泥廟系
回収対象
買値:黒市主判断
⸻
貼った瞬間、偽核が開いた。
中から、マネの声が響いた。
余の声だった。
「オ前ニ値段ヲ付ケルナ」
代理影が止まった。
フィルエがこちらを見る。
「ロード、仕込んだ?」
「仕込んでいない」
マネが、いつの間にか黒い器の近くで鳴いていた。
「オ前ニ値段ヲ付ケルナ」
「お前、勝手に余の声を送ったのか!」
「勝手に余の声を送ったのか!」
「真似るな!」
代理影の顔の値札が、びり、と裂けた。
予想外だった。
だが、効いた。
余の声を真似たマネの音。
残響核の鐘。
偽値札回廊。
それらが混ざり、代理影の値札に罅を入れた。
フィルエが息を呑む。
「音が、値札のつなぎ目を叩いた」
「黒市主のつなぎ目だけではなく、値札にも効くのか」
「たぶん。値踏みの術式も、いくつかの値を繋いでできてる。そこが鳴った」
「マネ」
「マネ」
「もう一度だ」
「もう一度だ」
「余の声で、“値札を剥がせ”と言え」
マネは胸を張った。
そして、余の声で叫んだ。
「値札を剥がせ!」
偽値札回廊に、声が響いた。
代理影の顔に貼られていた値札が、半分剥がれた。
その下に、別の文字が見えた。
⸻
術者名:サナギ
所属:黒市値踏場
距離:三層下
接続:黒市主承認外
⸻
「見えた」
《逆追跡者の術者名を取得》
「黒市主本人ではなく、承認外の配下か」
《はい》
「つまり勝手に覗いている値踏師だな」
面白い。
黒市主の配下も、一枚岩ではない。
黒市主が許可していないところで、余を値踏みしようとしている者がいる。
サナギ。
黒市値踏場。
三層下。
これは使える。
「管理音声、記録」
《記録しました》
「サナギの接続を追えるか」
《一部可能》
「追え。だが深追いはするな」
《承知しました》
代理影は逃げようとした。
偽値札回廊の出口へ戻る。
だが、そこに出口はない。
すでに回廊は輪になっている。
見える出口は値札だ。
値札をめくると、また値札。
その奥に、また偽の宝。
代理影は迷う。
値札を貼る存在が、値札の中で迷っている。
悪くない。
「殺せるか」
《代理影は破壊可能。ただし術者本体への損傷は限定的》
「なら、少しだけ噛め」
《墓銭札を使用しますか》
「いや。迷子札を使う」
《迷子札、外部接続へ転送》
偽値札回廊の壁から、白い札が一枚落ちた。
迷子札。
帰路認識を記録し、少しずつ狂わせる札。
代理影はそれを値札だと思ったのか、反射的に触れた。
貼り付いた。
《迷子札、代理影へ付着》
《術者サナギの帰路認識へ微弱干渉》
「よし」
代理影は、そこでようやく自分が何かを付けられたと気づいた。
値札のない顔をこちらへ向ける。
声はない。
だが、文字が浮かぶ。
⸻
取引希望
⸻
「は?」
余は思わず声を出した。
代理影の前に、新しい文字。
⸻
黒市主を知りたいなら
サナギは売れる
⸻
フィルエが眉をひそめる。
「裏切り?」
「早いな」
「闇市だからかな」
管理音声が告げる。
《術者サナギからの交渉要求と推定》
「信用できるか」
《低》
「だろうな」
代理影は、さらに文字を浮かべた。
⸻
黒市主は
迷宮を買わない
食べる
次は
灰白庭を測りに来る
サナギは
先に売る
⸻
黒市主は迷宮を買わない。
食べる。
その一文で、白い部屋の温度が下がったような気がした。
「食べる、か」
《黒市主の行動方針に関する情報です》
「本当かどうか分からん」
フィルエが言う。
「でも、嘘でも意味がある」
「なぜ」
「サナギは、黒市主を怖がってる。怖がってる人の嘘は、怖い方向に寄る」
「つまり、黒市主が危険なのは確かか」
「うん」
代理影は待っている。
取引。
闇市らしい。
値踏みする者は、自分すら売る。
「対価は何だ」
余が問うと、代理影に文字が浮かぶ。
⸻
残響核の声
ひとつ
売れ
⸻
余は黙った。
「残響核の声を売れ、だと?」
⸻
黒市では
高く売れる
⸻
黒い器の中の残響核が震えた。
⸻
いや
⸻
即答だった。
フィルエの顔が冷える。
「断る」
フィルエが言った。
余より早く。
「ロード、これは断って」
「当然だ」
余は代理影を睨んだ。
「残響核は売らん」
⸻
では
取引不成立
⸻
「待て」
余は言った。
「声は売らん。だが、偽の声なら売ってやる」
フィルエがこちらを見る。
「偽?」
「マネ」
「マネ」
「残響核の声を真似ろ。ただし、中身は余が作る」
マネが黒い器の前へ行く。
残響核が、ごん、と鳴る。
マネが真似る。
「ゴォン」
余は、その音に偽の言葉を乗せた。
⸻
黒市主の背の欠片は
まだ泣いている
⸻
嘘ではないかもしれない。
だが、確証はない。
しかし、闇市で売るには十分な“残響核の声”だ。
「これを売る」
代理影の顔の裂けた値札が震えた。
⸻
買う
⸻
「対価は」
⸻
サナギの場所
黒市値踏場
三層下
骨灯りの部屋
黒市主は知らない
⸻
《位置情報を取得》
「よし」
余は、迷子札をさらに深く貼り込む。
サナギの代理影は震えたが、拒めなかった。
《迷子札、術者サナギへの接続強化》
《外部位置:黒市値踏場、三層下、骨灯りの部屋》
代理影は、偽の残響核の声を受け取った。
そして、偽値札回廊から逃げるように消えた。
回廊が閉じる。
白い部屋に静けさが戻った。
「……取引したな」
フィルエが言った。
「偽物を売っただけだ」
「でも、黒市みたい」
「相手が黒市だからな」
黒い器の中の残響核が、小さく鳴る。
⸻
うった?
⸻
「お前は売っていない」
余は言った。
「偽物だ」
⸻
よかった
⸻
フィルエが少しだけ息を吐いた。
マネが余の声で言う。
「よかった」
「お前は黙れ」
「お前は黙れ」
白い部屋に、また少しだけ間の抜けた音が戻る。
だが、得たものは大きい。
サナギ。
黒市値踏場。
三層下。
骨灯りの部屋。
黒市主に黙って余を値踏みする者。
裏切り者。
闇市の中のほころび。
「管理音声」
《はい》
「サナギを次の接触対象にする」
《危険です》
「分かっている」
《黒市側に逆利用される可能性があります》
「分かっている」
《残響核の偽情報流通により、黒市主が反応する可能性があります》
「それが狙いだ」
フィルエが静かに言った。
「黒市主を揺らすの?」
「ああ」
余は笑った。
「奴は余に値札を付けた。なら、余は奴の市場に偽物を流す」
「偽物の残響核の声」
「そうだ。黒市主の背の欠片が泣いている、という噂をな」
「本当だったら?」
「その時は、その欠片とも話す」
白い部屋の床に、黒市の新しい線が浮かぶ。
墓銭札。
迷子札。
偽値札回廊。
サナギ。
骨灯りの部屋。
そして、黒市主。
闇市は暗い箱だ。
今、その蓋に指がかかった。
「黒市主」
余は低く告げた。
「お前の市場に、余の嘘を流してやる」
偽値札回廊の奥で、剥がれた値札が一枚、灰になって落ちた。




