↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

143/346

第139話 偽値札回廊は、値踏み師を招く

 値札とは、奇妙なものだ。


 人間は、値札が付いたものを見ると、急に分かった気になる。


 これは高い。


 これは安い。


 これは買える。


 これは買えない。


 これは自分のものになる。


 そう思う。


 だが、迷宮に値札を付けるなど、そもそも間違っている。


 迷宮は商品ではない。


 余は売り物ではない。


 霧灰白庭迷宮(むかいはくていめいきゅう)の宝物庫も、戻り水も、影糸も、泥門も、フィルエの命脈(めいみゃく)も、夜棺白庭(やかんはくてい)に眠る古血も。


 すべて、余の腹の内側だ。


 それに値札を付けようとした。


 だから、値札ごと喰う。


《偽値札回廊(にせねふだかいろう)、形成完了》


 白い部屋の床に、細い黒灰色の通路が浮かんでいた。


 実際に迷宮内へ開いた通路ではない。


 外から墓銭札(ぼせんふだ)を逆に辿ってくる者を誘い込むための、偽の迷宮だ。


 壁には、価値がありそうなものが並んでいる。


 白銀磁片に似せた偽の光。


 宝物庫器官に似せた白い管。


 命脈契約線に似せた灰色の糸。


 帰路喰らいの落武者の刃跡に似せた影。


 夜棺白庭の気配に似せた、ほんのわずかな夜。


 どれも本物ではない。


 だが、値踏みしたくなるように作ってある。


 人間の欲は、宝だけではない。


 調べたい。


 測りたい。


 値を付けたい。


 それもまた、欲だ。


「管理音声」


《はい》


「逆追跡は来ているか」


《微弱反応あり。偽値札回廊の入口へ接触中》


「黒市主か」


《反応規模から見て、黒市主本人ではありません》


「配下か」


《はい》


 フィルエが、森灰観測室(しんかいかんそくしつ)の床に座っていた。


 膝の上には、マネがいる。


 いや、正確には座っているのではない。


 マネが勝手にそこに座っている。


 フィルエは非常に嫌そうな顔をしていた。


「マネ、降りて」


「マネ、降りて」


「私の声で言わないで」


「私の声で言わないで」


「ロード」


「何だ」


「これ、訓練にならない」


「耐えろ。黒市主のつなぎ目を暴くには、音が要る」


「それは分かるけど」


 残響核(ざんきょうかく)が、小さく鳴った。


 ごん。


 マネの耳が動く。


「ゴォン」


 前より似ている。


 小鐘泥廟(しょうしょうでいびょう)の残響核が、黒い器の中で弱く震えた。


⸻


近い


⸻


「上達しているな」


「ゴブリンよりは」


「ゴブリンと比べるな。マネは一応、特殊個体だ」


 マネが余の声で言う。


「マネは一応、特殊個体だ」


「自分で言うな」


 緊張感が削がれる。


 だが、これでいい。


 黒市主は重い。


 闇市も重い。


 残響核の声も重い。


 全部重いままでは、こちらが沈む。


 マネの間抜けさも、迷宮には必要なのかもしれない。


《逆追跡反応、偽値札回廊へ侵入》


「来たか」


 白い部屋の床に映る偽値札回廊の入口が、黒く揺れた。


 そこから、何かが入ってきた。


 人間ではない。


 肉体はない。


 だが、人の形をしている。


 黒い紙でできたような薄い人影。


 顔の位置には、値札が一枚貼られている。


 値札には、文字があった。


⸻


黒市値踏師

代理影

等級:下

目的:霧灰白庭迷宮の器官評価


⸻


「……名前からして腹立たしいな」


《外部から送り込まれた査定用代理影と思われます》


「値踏師(ねぶみし)か」


 値踏師の代理影は、偽値札回廊の壁を見た。


 そして、薄い手を伸ばす。


 壁に浮かぶ偽の白銀磁片へ、値札を貼った。


⸻


白銀系器官

推定買値:金貨8枚


⸻


「安い」


《偽物です》


「偽物でも安い」


 次に、代理影は命脈契約線に似せた灰色の糸を見る。


 そこへ値札を貼った。


⸻


契約線器官

危険

買値保留

研究価値:高


⸻


 余は目を細めた。


 偽物だと見抜いていない。


 だが、完全には食いついていない。


 値札を付けながら、危険も記録している。


 闇市の配下らしい。


 欲だけではなく、商品として見ている。


 フィルエが言った。


「ロード、あれは奥へ行かせて」


「なぜ」


「浅いところで喰うと、偽物って気づかれる。もっと値札を貼らせた方がいい」


「どこまで」


「帰り道が見えなくなるところまで」


 よい判断だ。


「管理音声。偽値札回廊を延長」


《延長します》


「価値の高そうな偽器官を追加しろ。ただし、夜棺白庭には似せすぎるな」


《承知しました》


「古血反応は?」


《完全偽装。実体情報なし》


「よし」


 回廊の奥に、新しい偽器官が浮かぶ。


 白い棺のような形。


 だが、ヴェルグレイヴとは無関係。


 ただの白磁と灰霧で作った偽の夜反応。


 代理影はそれを見て、少しだけ動きを止めた。


 値札を貼る。


⸻


古血類似反応

不確定

取扱注意

黒市主確認案件


⸻


「黒市主確認案件、か」


《黒市主本人の判断が必要な反応として処理されています》


「よし。偽物で本人を釣れるかもしれんな」


 フィルエが首を振った。


「釣れるけど、危ない」


「分かっている」


「古血に似せすぎると、ヴェルグレイヴが反応する」


 その瞬間、夜棺白庭の奥で、白磁の棺がこつりと鳴った。


 余は固まる。


「……今のは」


《ヴェルグレイヴ、状態:睡眠。微反応》


「起きていないな?」


《睡眠中です》


「絶対に起こすな」


 フィルエが低く言った。


「偽の古血反応、薄くして」


「管理音声」


《薄めます》


 偽値札回廊の白い棺反応が弱くなる。


 代理影は、それでも値札を残した。


 その値札から、黒い細線が外へ伸びている。


 闇市側へ情報が戻っている。


「戻すな」


《遮断しますか》


「いや。半分戻せ。古血ではなく、偽の危険情報だけ戻す」


《黒市主側に誤情報を送ります》


「そうだ。古血不確定、取引危険、所有者の帰路侵食あり。そう戻せ」


《実行》


 値札の黒い線が震えた。


 情報が外へ戻る。


 黒市主がどう受け取るかは分からない。


 だが、本物の夜棺白庭から目を逸らせるなら、それでいい。


 代理影は、さらに奥へ進んだ。


 偽値札回廊は、少しずつ形を変える。


 最初は宝物庫に似ていた。


 次は地下市場に似ていた。


 その次は、細い鐘の廊下になった。


 残響核が、黒い器の中で小さく鳴る。


 ごん。


 代理影が止まった。


 その顔の値札が揺れる。


⸻


残響核反応

小鐘系

商品記録あり

回収漏れ


⸻


 余は声を低くした。


「残響核に値札を付けたな」


《はい》


 黒い器の中の残響核が震えた。


⸻


こわい


⸻


「大丈夫だ。偽物を見せている」


 余はそう言った。


 それが慰めなのか、説明なのか、自分でも分からなかった。


 フィルエが静かに言う。


「ロード。あの値札、残響核を探してる」


「回収漏れとあったな」


「うん。黒市主のところから欠けた小片を探してる。つまり、こっちが取ったことはバレてる」


「だろうな」


 なら、逆に使う。


「偽の残響核を置け」


《形成します》


「小鐘泥廟に似せろ。ただし、中身は空。触ると偽値札回廊をさらに奥へ進むように」


《罠核を配置》


 回廊の奥に、小さな黒い核が浮かんだ。


 残響核に似せた偽物。


 泥の匂い。


 鐘の音。


 弱い助けを求める気配。


 代理影は近づいた。


 値札を貼る。


⸻


残響核

小鐘泥廟系

回収対象

買値:黒市主判断


⸻


 貼った瞬間、偽核が開いた。


 中から、マネの声が響いた。


 余の声だった。


「オ前ニ値段ヲ付ケルナ」


 代理影が止まった。


 フィルエがこちらを見る。


「ロード、仕込んだ?」


「仕込んでいない」


 マネが、いつの間にか黒い器の近くで鳴いていた。


「オ前ニ値段ヲ付ケルナ」


「お前、勝手に余の声を送ったのか!」


「勝手に余の声を送ったのか!」


「真似るな!」


 代理影の顔の値札が、びり、と裂けた。


 予想外だった。


 だが、効いた。


 余の声を真似たマネの音。


 残響核の鐘。


 偽値札回廊。


 それらが混ざり、代理影の値札に罅を入れた。


 フィルエが息を呑む。


「音が、値札のつなぎ目を叩いた」


「黒市主のつなぎ目だけではなく、値札にも効くのか」


「たぶん。値踏みの術式も、いくつかの値を繋いでできてる。そこが鳴った」


「マネ」


「マネ」


「もう一度だ」


「もう一度だ」


「余の声で、“値札を剥がせ”と言え」


 マネは胸を張った。


 そして、余の声で叫んだ。


「値札を剥がせ!」


 偽値札回廊に、声が響いた。


 代理影の顔に貼られていた値札が、半分剥がれた。


 その下に、別の文字が見えた。


⸻


術者名:サナギ

所属:黒市値踏場

距離:三層下

接続:黒市主承認外


⸻


「見えた」


《逆追跡者の術者名を取得》


「黒市主本人ではなく、承認外の配下か」


《はい》


「つまり勝手に覗いている値踏師だな」


 面白い。


 黒市主の配下も、一枚岩ではない。


 黒市主が許可していないところで、余を値踏みしようとしている者がいる。


 サナギ。


 黒市値踏場。


 三層下。


 これは使える。


「管理音声、記録」


《記録しました》


「サナギの接続を追えるか」


《一部可能》


「追え。だが深追いはするな」


《承知しました》


 代理影は逃げようとした。


 偽値札回廊の出口へ戻る。


 だが、そこに出口はない。


 すでに回廊は輪になっている。


 見える出口は値札だ。


 値札をめくると、また値札。


 その奥に、また偽の宝。


 代理影は迷う。


 値札を貼る存在が、値札の中で迷っている。


 悪くない。


「殺せるか」


《代理影は破壊可能。ただし術者本体への損傷は限定的》


「なら、少しだけ噛め」


《墓銭札を使用しますか》


「いや。迷子札(まいごふだ)を使う」


《迷子札、外部接続へ転送》


 偽値札回廊の壁から、白い札が一枚落ちた。


 迷子札。


 帰路認識を記録し、少しずつ狂わせる札。


 代理影はそれを値札だと思ったのか、反射的に触れた。


 貼り付いた。


《迷子札、代理影へ付着》


《術者サナギの帰路認識へ微弱干渉》


「よし」


 代理影は、そこでようやく自分が何かを付けられたと気づいた。


 値札のない顔をこちらへ向ける。


 声はない。


 だが、文字が浮かぶ。


⸻


取引希望


⸻


「は?」


 余は思わず声を出した。


 代理影の前に、新しい文字。


⸻


黒市主を知りたいなら

サナギは売れる


⸻


 フィルエが眉をひそめる。


「裏切り?」


「早いな」


「闇市だからかな」


 管理音声が告げる。


《術者サナギからの交渉要求と推定》


「信用できるか」


《低》


「だろうな」


 代理影は、さらに文字を浮かべた。


⸻


黒市主は

迷宮を買わない

食べる


次は

灰白庭を測りに来る


サナギは

先に売る


⸻


 黒市主は迷宮を買わない。


 食べる。


 その一文で、白い部屋の温度が下がったような気がした。


「食べる、か」


《黒市主の行動方針に関する情報です》


「本当かどうか分からん」


 フィルエが言う。


「でも、嘘でも意味がある」


「なぜ」


「サナギは、黒市主を怖がってる。怖がってる人の嘘は、怖い方向に寄る」


「つまり、黒市主が危険なのは確かか」


「うん」


 代理影は待っている。


 取引。


 闇市らしい。


 値踏みする者は、自分すら売る。


「対価は何だ」


 余が問うと、代理影に文字が浮かぶ。


⸻


残響核の声

ひとつ

売れ


⸻


 余は黙った。


「残響核の声を売れ、だと?」


⸻


黒市では

高く売れる


⸻


 黒い器の中の残響核が震えた。


⸻


いや


⸻


 即答だった。


 フィルエの顔が冷える。


「断る」


 フィルエが言った。


 余より早く。


「ロード、これは断って」


「当然だ」


 余は代理影を睨んだ。


「残響核は売らん」


⸻


では

取引不成立


⸻


「待て」


 余は言った。


「声は売らん。だが、偽の声なら売ってやる」


 フィルエがこちらを見る。


「偽?」


「マネ」


「マネ」


「残響核の声を真似ろ。ただし、中身は余が作る」


 マネが黒い器の前へ行く。


 残響核が、ごん、と鳴る。


 マネが真似る。


「ゴォン」


 余は、その音に偽の言葉を乗せた。


⸻


黒市主の背の欠片は

まだ泣いている


⸻


 嘘ではないかもしれない。


 だが、確証はない。


 しかし、闇市で売るには十分な“残響核の声”だ。


「これを売る」


 代理影の顔の裂けた値札が震えた。


⸻


買う


⸻


「対価は」


⸻


サナギの場所

黒市値踏場

三層下

骨灯りの部屋

黒市主は知らない


⸻


《位置情報を取得》


「よし」


 余は、迷子札をさらに深く貼り込む。


 サナギの代理影は震えたが、拒めなかった。


《迷子札、術者サナギへの接続強化》


《外部位置:黒市値踏場、三層下、骨灯りの部屋》


 代理影は、偽の残響核の声を受け取った。


 そして、偽値札回廊から逃げるように消えた。


 回廊が閉じる。


 白い部屋に静けさが戻った。


「……取引したな」


 フィルエが言った。


「偽物を売っただけだ」


「でも、黒市みたい」


「相手が黒市だからな」


 黒い器の中の残響核が、小さく鳴る。


⸻


うった?


⸻


「お前は売っていない」


 余は言った。


「偽物だ」


⸻


よかった


⸻


 フィルエが少しだけ息を吐いた。


 マネが余の声で言う。


「よかった」


「お前は黙れ」


「お前は黙れ」


 白い部屋に、また少しだけ間の抜けた音が戻る。


 だが、得たものは大きい。


 サナギ。


 黒市値踏場。


 三層下。


 骨灯りの部屋。


 黒市主に黙って余を値踏みする者。


 裏切り者。


 闇市の中のほころび。


「管理音声」


《はい》


「サナギを次の接触対象にする」


《危険です》


「分かっている」


《黒市側に逆利用される可能性があります》


「分かっている」


《残響核の偽情報流通により、黒市主が反応する可能性があります》


「それが狙いだ」


 フィルエが静かに言った。


「黒市主を揺らすの?」


「ああ」


 余は笑った。


「奴は余に値札を付けた。なら、余は奴の市場に偽物を流す」


「偽物の残響核の声」


「そうだ。黒市主の背の欠片が泣いている、という噂をな」


「本当だったら?」


「その時は、その欠片とも話す」


 白い部屋の床に、黒市の新しい線が浮かぶ。


 墓銭札。


 迷子札。


 偽値札回廊。


 サナギ。


 骨灯りの部屋。


 そして、黒市主。


 闇市は暗い箱だ。


 今、その蓋に指がかかった。


「黒市主」


 余は低く告げた。


「お前の市場に、余の嘘を流してやる」


 偽値札回廊の奥で、剥がれた値札が一枚、灰になって落ちた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。