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第138話 死んだ迷宮は、まだ道を覚えている

 黒い器の中に、文字が浮かんでいた。


⸻


たすけて


⸻


 たった四文字。


 だが、それは白い部屋のどんな警告表示よりも、余の意識に深く刺さった。


 黒市主(くろいちぬし)の胸に埋め込まれていた、死んだ迷宮の欠片。


 闇市側の呼び方では、死迷宮核片(しめいきゅうかくへん)。


 商品。


 素材。


 売り物。


 あの連中は、そう呼んでいた。


 だが。


「違う」


 フィルエが、静かに言った。


「違う?」


「それは闇市の呼び方。素材として見てるから、そう呼んでるだけ」


「では、何だ」


「残響核(ざんきょうかく)」


 その言葉に、余は少しだけ黙った。


 覚えている。


 昔、フィルエが言っていた。


 普通、ロードやコアが失われればダンジョンは消える。


 だが、ごく稀に、ロードがいなくても迷宮の一部が残ることがある。


 ロードの意思ではない。


 完全なコアでもない。


 けれど、迷宮の癖、命令の残り、記憶、痛み、帰り道の覚え方のようなものが、核の奥に残ることがある。


 それが、残響核。


「……そういえば、お前は前に言っていたな」


「うん」


「ロードがいなくても、稀に残る迷宮があると」


「言った」


「その残りが、これか」


「たぶん。死んだ迷宮の声が、まだ鳴ってる」


 フィルエは黒い器を見た。


 近づきすぎない。


 だが、目は逸らさない。


「だから、ただの死骸じゃない。死骸だけど、まだ道を覚えてる」


「道を?」


「うん。どこで人が迷ったか。どこで泥が沈んだか。どこで鐘が鳴ったか。どこでロードがいなくなったか。そういうもの」


 余は黒い器を睨んだ。


 死迷宮核片。


 残響核。


 呼び方ひとつで、見え方が変わる。


 闇市の連中は、これを商品と見た。


 黒市主は、体に埋め込んで使った。


 だが、フィルエは違うと言った。


 これは、死んだ迷宮の残り火だ。


「管理音声」


《はい》


「この残響核は、罠か」


《可能性があります》


「黒市主からの誘いか」


《可能性があります》


「本当に助けを求めているのか」


《可能性があります》


「可能性ばかりだな」


《未知要素です》


「なら、確かめる」


《接続を深める必要があります》


「危険か」


《危険です》


「どれくらいだ」


《最小限の聴取にソウル消費:300。隔離維持費込みです》


「許可」


《現在保有ソウル:22,090》


《残響核聴取(ざんきょうかくちょうしゅ)を開始します》


 黒い器の周囲に、灰色の輪が浮かんだ。


 死核隔離室(しかくかくりしつ)として作った部屋は、急遽、用途を変えることになった。


 死骸を隔離する場所ではない。


 残った声を聞く場所だ。


「管理音声。部屋名を変える」


《名称をどうぞ》


「残響核隔離室(ざんきょうかくかくりしつ)」


《残響核隔離室、登録》


 部屋の壁が少しだけ変わった。


 白磁根で囲い、泥で封じ、影糸で縛るのは同じ。


 だが中央の黒い器の周囲に、小さな鐘の形をした影が浮かぶ。


 フィルエが言った。


「いいと思う。死んだもの扱いだけだと、怖がる」


「怖がるのか」


「今も怖がってる」


 黒い器の中の文字が、震えた。


⸻


いたい


⸻


 余は黙った。


 続いて、文字が滲むように浮かぶ。


⸻


はがされた

ならべられた

うられた

きられた

つながれた


⸻


「……黒市主の仕業か」


 黒い器が、小さく鳴った。


 ごん。


 鐘のような音。


 だが、ひどく弱い。


 答えるように、文字が浮かぶ。


⸻


くろいひと


⸻


「黒い人」


 フィルエが低く言った。


「黒市主だね」


「だろうな」


 余は器を見た。


「お前は、どこの迷宮だった」


 答えはすぐには返らなかった。


 文字が震え、崩れ、また形を作る。


⸻


小鐘泥廟


⸻


「小鐘泥廟(しょうしょうでいびょう)」


《該当記録なし》


「小規模迷宮か」


《可能性があります》


 フィルエが黒い器をじっと見つめる。


「泥と鐘。廟(びょう)系の小迷宮だったんだと思う」


「ランクは」


 黒い器がしばらく黙った。


 やがて、弱々しい文字が浮かぶ。


⸻


C

まえは

C


⸻


 Cランク。


 井守と同じくらいか。


 いや、過去の話だ。


 今はもう、残響核しか残っていない。


「誰に攻略された」


 黒い器が震えた。


⸻


ぼうけんしゃ

ちがう

しょうにん

ちがう

くろいひと


⸻


「冒険者ではない。商人でもない。黒い人、か」


 フィルエが小さく頷く。


「攻略じゃなくて、剥がされたんだと思う」


「剥がす?」


「ダンジョンを倒して消すんじゃない。残ったところを、痛くない場所から切って、後で大事なところを抜く」


 余は、黒市主が使っていた針を思い出した。


 剥核針(はっかくしん)。


 盗ませ宝物庫に刺そうとしていた、黒い針。


「黒市主は、どうやって迷宮を剥がす」


 黒い器の中の文字が、少し濃くなる。


⸻


針

黒い針

核ではないところから刺す

痛くない場所を探す

痛いところをあとで抜く


⸻


「やはりか」


《剥核針による迷宮器官の切除手順と推定》


「宝物庫を狙った理由もそれか」


《宝物庫機能は迷宮器官として外部価値が高く、切り出し対象になり得ます》


「ふざけるな」


 宝物庫。


 帰路捕食。


 採取物生成部。


 命脈契約線。


 黒市主は、余の迷宮に値札を付けた。


 そして、売れる部品を見ていた。


 Cランクだった小鐘泥廟から、何を剥いだのかは分からない。


 だが、残響核がここにある以上、何かを奪ったのは間違いない。


「黒市主の名は分かるか」


 その瞬間、黒い器が強く震えた。


 ごん。


 ごん。


 鐘の音が乱れる。


《警告。残響核内に拒絶反応》


「名前は言えないのか」


⸻


名

縛る

言うと

鳴らされる


⸻


「名前で縛っている」


 フィルエの顔が険しくなる。


「残響核にまで、黒市主の名前を言わせないようにしてる」


「徹底しているな」


「うん。嫌な徹底」


「では、名ではなく形を言え」


 黒い器は、しばらく黙った。


 やがて、文字が浮かぶ。


⸻


胸に七つ

首に三つ

腕に六つ

背に大きい欠片

鐘ではない

井戸ではない

庭ではない

喰ったものを着ている


⸻


「胸に七つ、首に三つ、腕に六つ、背に大きい欠片」


《黒市主の身体に埋め込まれた残響核または死迷宮核片の数と推定》


「多すぎる」


《はい》


 フィルエが、低く呟いた。


「歩く墓場みたい」


「歩く迷宮の死骸だな」


 黒市主は、複数の残響核を身に着けている。


 それによって、人間でありながら迷宮のようなことができる。


 迷宮の名を見て、迷宮の器官を剥ぎ、死んだ迷宮の欠片を繋ぐ。


 それは、ロードでも冒険者でもない。


 もっと嫌なものだ。


「弱点はあるか」


 黒い器が震える。


⸻


つなぎ目

つなぎ目

つなぎ目


⸻


「つなぎ目」


 同じ言葉が三度。


 黒市主の体に埋め込まれた、死んだ迷宮の欠片同士を繋ぐ場所。


 そこが弱点。


「どう見分ける」


⸻


鳴らす

違う音

死んだものは

同じ音を出せない


⸻


「音か」


 フィルエが頷く。


「小鐘泥廟は、鐘と泥の迷宮だった。たぶん、音で道や継ぎ目を見てた」


「死んだ迷宮の欠片は、同じ音を出せない」


「うん。だから、つなぎ目は音がずれる」


 音。


 余は、すぐに一体の魔物を思い浮かべた。


 マネ。


 余の声を勝手に真似る、面倒な個体。


 ゴブリンどもの混乱を増やし、冒険者の声を真似て罠に使うこともある。


 だが、使い道はそれだけではない。


 黒市主のつなぎ目を暴くために、音が必要なら。


「管理音声」


《はい》


「マネを呼べ」


《浅層でゴブリン同士の口喧嘩を三種類の声で再現しています》


「何をしている!」


《呼びます》


 しばらくして、マネが白い部屋の隅に現れた。


 小柄な魔物。


 ゴブリンに似ているが、口と耳が少し大きい。


 こちらを見るなり、余の声で言った。


「何をしている!」


「それは余の声だ!」


「それは余の声だ!」


「やめろ!」


「やめろ!」


 フィルエが口元を押さえた。


 笑うな。


 今は真面目な場面だ。


「マネ」


「マネ」


「お前に仕事だ」


「オマエニシゴトダ」


「余の声で言うな。音を覚えろ」


「オトヲオボエロ」


 マネは首を傾げる。


 黒い器が、ごん、と鳴った。


 小鐘泥廟の残響。


 マネの耳がぴくりと動く。


「ゴン」


 似ている。


 だが軽い。


 黒い器の文字が震える。


⸻


ちがう

でも

近い


⸻


「もう一度だ」


「モウイチドダ」


 ごん。


「ゴォン」


⸻


近い


⸻


「練習しろ」


「レンシュウシロ」


「真似るな!」


「マネルナ!」


「違う、音を真似ろ!」


「オトヲマネロ!」


 マネは楽しそうに跳ねた。


 非常に不安だ。


 だが、使える。


 黒市主のつなぎ目を暴くには、マネの音真似が必要になる。


 フィルエが言った。


「私が見る。マネが鳴らす。ロードが噛む」


「役割分担がはっきりしたな」


「うん」


「だが、フィルエ」


「何」


「マネにお前の声を覚えさせすぎるな」


「それは嫌」


 その瞬間、マネがフィルエの声で言った。


「それは嫌」


 フィルエが、今までで一番嫌そうな顔をした。


「もう覚えてる」


「……」


 少しだけ、空気が緩んだ。


 黒い器の中の文字も、少しだけ薄く揺れた。


 恐怖が和らいだようにも見える。


「残響核」


 余は黒い器へ向き直った。


「黒市主のつなぎ目を暴く方法は分かった。お前の望みは何だ」


 返事は遅かった。


 文字が何度も崩れ、ようやく形になる。


⸻


もどりたい


⸻


「どこへ」


⸻


ない

もうない

でも

土

泥

鐘

くらいところ


⸻


 もう、戻る場所はない。


 小鐘泥廟はない。


 ロードもいない。


 迷宮も、たぶん残っていない。


 それでも、土、泥、鐘、暗いところを求めている。


 余はしばらく黙った。


 利用できる。


 この残響核は、黒市主の情報を持っている。


 今後も役に立つ。


 だから、雑に壊すべきではない。


 そう考えた。


 考えた、はずだった。


 だが、それだけではなかった。


 黒市主のように、死んだ迷宮を商品として扱うことが、どうにも腹立たしかった。


「管理音声」


《はい》


「残響核隔離室の中に、小さな泥床を作れるか」


《可能です》


「鐘は」


《音響模倣構造なら可能》


「暗くしろ」


《はい》


「外へ繋げるな。余のコアにも直接繋げるな。ただ、眠れる場所にしろ」


《ソウル消費:420》


「許可」


《現在保有ソウル:21,670》


 残響核隔離室の内部が変わった。


 黒い器の周囲に、小さな泥床。


 壁には、鳴らない鐘の影。


 天井は低く、光は弱く。


 それは本当に小さな場所だった。


 迷宮と呼ぶには狭すぎる。


 だが、剥がされ、売られ、繋がれた残響が眠るには、少しだけましな場所かもしれない。


 黒い器の中に、文字が浮かんだ。


⸻


ありがとう


⸻


「礼はいらん」


 余は言った。


「情報を寄越せ。それが対価だ」


⸻


うん


⸻


 フィルエが静かに笑った。


「やっぱり優しい」


「取引だ」


「うん。取引」


「そうだ」


 マネが余の声で言った。


「取引だ」


「お前は黙れ」


「オマエハダマレ」


 白い部屋に、また少しだけ間の抜けた空気が戻る。


 だが、問題は山積みだ。


 黒市主は余の名を知った。


 死んだ迷宮を着ている。


 弱点は、残響核同士のつなぎ目。


 音で暴ける可能性がある。


 マネを鍛える必要がある。


 迷子札(まいごふだ)を闇市へ流す準備も進める。


 そして、残響核は黒市主の情報源にもなる。


《外部反応》


「何だ」


《闇市側から、墓銭札に対する逆追跡の痕跡》


「もう来たか」


《弱い反応です。黒市主ではなく、配下の術師と思われます》


「探らせろ」


《危険です》


「浅いところまでだ。残響核隔離室へは繋ぐな。偽の通路へ流せ」


《偽通路を形成します》


「名前は」


 余は少し考えた。


 黒市主は、余に値札を付けた。


 なら、こちらも値札を見せてやる。


 ただし、本物ではなく、偽物の値札を。


「偽値札回廊(にせねふだかいろう)」


《偽値札回廊、仮設定》


 白い部屋の床に、新しい細い回廊が浮かぶ。


 中身のない通路。


 価値のありそうな反応だけを並べた、偽物の道。


 闇市の逆追跡者が入ってきたら、そこへ誘い込む。


 見れば見るほど、価値がありそうに見える。


 だが、進めば進むほど、帰り道が分からなくなる。


「これでよい」


《闇市側の逆追跡を偽値札回廊へ誘導します》


「黒市主に伝えろ」


《何を》


「余に値札を付けるなら、まず偽物の値段で迷え、とな」


 フィルエが呟いた。


「喧嘩を売ってる」


「売られたからな」


 余は静かに笑った。


 怖い。


 黒市主は危険だ。


 死んだ迷宮を着る人間。


 余の名を知った人間。


 その奥には、もっと深い闇市がある。


 だが、ただ怯えるだけでは終わらない。


 SSSが消える世界だ。


 SSが一人に消される世界だ。


 Aランクになった余も、上から見れば餌かもしれない。


 だからこそ、喰われる前に喰う。


 奪われる前に、奪う。


 値札を付けられる前に、値札そのものを罠にする。


「黒市主」


 余は白い部屋の中央で告げた。


「余の名を呼んだこと、後悔させてやる」


 残響核隔離室の小さな鐘が、低く鳴った。


 ごん。


 それは、同意のように聞こえた

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