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第139話 死んだ迷宮は、まだ道を覚えている

 黒い器の中に、文字が浮かんでいた。



たすけて



 たった四文字。


 だが、それは白い部屋のどんな警告表示よりも、余の意識に深く刺さった。


 黒市主くろいちぬしの胸に埋め込まれていた、死んだ迷宮の欠片。


 闇市側の呼び方では、死迷宮核片しめいきゅうかくへん


 商品。


 素材。


 売り物。


 あの連中は、そう呼んでいた。


 だが。


「違う」


 フィルエが、静かに言った。


「違う?」


「それは闇市の呼び方。素材として見てるから、そう呼んでるだけ」


「では、何だ」


残響核ざんきょうかく


 その言葉に、余は少しだけ黙った。


 覚えている。


 昔、フィルエが言っていた。


 普通、ロードやコアが失われればダンジョンは消える。


 だが、ごく稀に、ロードがいなくても迷宮の一部が残ることがある。


 ロードの意思ではない。


 完全なコアでもない。


 けれど、迷宮の癖、命令の残り、記憶、痛み、帰り道の覚え方のようなものが、核の奥に残ることがある。


 それが、残響核。


「……そういえば、お前は前に言っていたな」


「うん」


「ロードがいなくても、稀に残る迷宮があると」


「言った」


「その残りが、これか」


「たぶん。死んだ迷宮の声が、まだ鳴ってる」


 フィルエは黒い器を見た。


 近づきすぎない。


 だが、目は逸らさない。


「だから、ただの死骸じゃない。死骸だけど、まだ道を覚えてる」


「道を?」


「うん。どこで人が迷ったか。どこで泥が沈んだか。どこで鐘が鳴ったか。どこでロードがいなくなったか。そういうもの」


 余は黒い器を睨んだ。


 死迷宮核片。


 残響核。


 呼び方ひとつで、見え方が変わる。


 闇市の連中は、これを商品と見た。


 黒市主は、体に埋め込んで使った。


 だが、フィルエは違うと言った。


 これは、死んだ迷宮の残り火だ。


「管理音声」


《はい》


「この残響核は、罠か」


《可能性があります》


「黒市主からの誘いか」


《可能性があります》


「本当に助けを求めているのか」


《可能性があります》


「可能性ばかりだな」


《未知要素です》


「なら、確かめる」


《接続を深める必要があります》


「危険か」


《危険です》


「どれくらいだ」


《最小限の聴取にソウル消費:300。隔離維持費込みです》


「許可」


《現在保有ソウル:22,090》


残響核聴取ざんきょうかくちょうしゅを開始します》


 黒い器の周囲に、灰色の輪が浮かんだ。


 死核隔離室しかくかくりしつとして作った部屋は、急遽、用途を変えることになった。


 死骸を隔離する場所ではない。


 残った声を聞く場所だ。


「管理音声。部屋名を変える」


《名称をどうぞ》


残響核隔離室ざんきょうかくかくりしつ


《残響核隔離室、登録》


 部屋の壁が少しだけ変わった。


 白磁根で囲い、泥で封じ、影糸で縛るのは同じ。


 だが中央の黒い器の周囲に、小さな鐘の形をした影が浮かぶ。


 フィルエが言った。


「いいと思う。死んだもの扱いだけだと、怖がる」


「怖がるのか」


「今も怖がってる」


 黒い器の中の文字が、震えた。



いたい



 余は黙った。


 続いて、文字が滲むように浮かぶ。



はがされた

ならべられた

うられた

きられた

つながれた



「……黒市主の仕業か」


 黒い器が、小さく鳴った。


 ごん。


 鐘のような音。


 だが、ひどく弱い。


 答えるように、文字が浮かぶ。



くろいひと



「黒い人」


 フィルエが低く言った。


「黒市主だね」


「だろうな」


 余は器を見た。


「お前は、どこの迷宮だった」


 答えはすぐには返らなかった。


 文字が震え、崩れ、また形を作る。



小鐘泥廟



小鐘泥廟しょうしょうでいびょう


《該当記録なし》


「小規模迷宮か」


《可能性があります》


 フィルエが黒い器をじっと見つめる。


「泥と鐘。びょう系の小迷宮だったんだと思う」


「ランクは」


 黒い器がしばらく黙った。


 やがて、弱々しい文字が浮かぶ。



C

まえは

C



 Cランク。


 井守と同じくらいか。


 いや、過去の話だ。


 今はもう、残響核しか残っていない。


「誰に攻略された」


 黒い器が震えた。



ぼうけんしゃ

ちがう

しょうにん

ちがう

くろいひと



「冒険者ではない。商人でもない。黒い人、か」


 フィルエが小さく頷く。


「攻略じゃなくて、剥がされたんだと思う」


「剥がす?」


「ダンジョンを倒して消すんじゃない。残ったところを、痛くない場所から切って、後で大事なところを抜く」


 余は、黒市主が使っていた針を思い出した。


 剥核針はっかくしん


 盗ませ宝物庫に刺そうとしていた、黒い針。


「黒市主は、どうやって迷宮を剥がす」


 黒い器の中の文字が、少し濃くなる。



黒い針

核ではないところから刺す

痛くない場所を探す

痛いところをあとで抜く



「やはりか」


《剥核針による迷宮器官の切除手順と推定》


「宝物庫を狙った理由もそれか」


《宝物庫機能は迷宮器官として外部価値が高く、切り出し対象になり得ます》


「ふざけるな」


 宝物庫。


 帰路捕食。


 採取物生成部。


 命脈契約線。


 黒市主は、余の迷宮に値札を付けた。


 そして、売れる部品を見ていた。


 Cランクだった小鐘泥廟から、何を剥いだのかは分からない。


 だが、残響核がここにある以上、何かを奪ったのは間違いない。


「黒市主の名は分かるか」


 その瞬間、黒い器が強く震えた。


 ごん。


 ごん。


 鐘の音が乱れる。


《警告。残響核内に拒絶反応》


「名前は言えないのか」



縛る

言うと

鳴らされる



「名前で縛っている」


 フィルエの顔が険しくなる。


「残響核にまで、黒市主の名前を言わせないようにしてる」


「徹底しているな」


「うん。嫌な徹底」


「では、名ではなく形を言え」


 黒い器は、しばらく黙った。


 やがて、文字が浮かぶ。



胸に七つ

首に三つ

腕に六つ

背に大きい欠片

鐘ではない

井戸ではない

庭ではない

喰ったものを着ている



「胸に七つ、首に三つ、腕に六つ、背に大きい欠片」


《黒市主の身体に埋め込まれた残響核または死迷宮核片の数と推定》


「多すぎる」


《はい》


 フィルエが、低く呟いた。


「歩く墓場みたい」


「歩く迷宮の死骸だな」


 黒市主は、複数の残響核を身に着けている。


 それによって、人間でありながら迷宮のようなことができる。


 迷宮の名を見て、迷宮の器官を剥ぎ、死んだ迷宮の欠片を繋ぐ。


 それは、ロードでも冒険者でもない。


 もっと嫌なものだ。


「弱点はあるか」


 黒い器が震える。



つなぎ目

つなぎ目

つなぎ目



「つなぎ目」


 同じ言葉が三度。


 黒市主の体に埋め込まれた、死んだ迷宮の欠片同士を繋ぐ場所。


 そこが弱点。


「どう見分ける」



鳴らす

違う音

死んだものは

同じ音を出せない



「音か」


 フィルエが頷く。


「小鐘泥廟は、鐘と泥の迷宮だった。たぶん、音で道や継ぎ目を見てた」


「死んだ迷宮の欠片は、同じ音を出せない」


「うん。だから、つなぎ目は音がずれる」


 音。


 余は、すぐに一体の魔物を思い浮かべた。


 マネ。


 余の声を勝手に真似る、面倒な個体。


 ゴブリンどもの混乱を増やし、冒険者の声を真似て罠に使うこともある。


 だが、使い道はそれだけではない。


 黒市主のつなぎ目を暴くために、音が必要なら。


「管理音声」


《はい》


「マネを呼べ」


《浅層でゴブリン同士の口喧嘩を三種類の声で再現しています》


「何をしている!」


《呼びます》


 しばらくして、マネが白い部屋の隅に現れた。


 小柄な魔物。


 ゴブリンに似ているが、口と耳が少し大きい。


 こちらを見るなり、余の声で言った。


「何をしている!」


「それは余の声だ!」


「それは余の声だ!」


「やめろ!」


「やめろ!」


 フィルエが口元を押さえた。


 笑うな。


 今は真面目な場面だ。


「マネ」


「マネ」


「お前に仕事だ」


「オマエニシゴトダ」


「余の声で言うな。音を覚えろ」


「オトヲオボエロ」


 マネは首を傾げる。


 黒い器が、ごん、と鳴った。


 小鐘泥廟の残響。


 マネの耳がぴくりと動く。


「ゴン」


 似ている。


 だが軽い。


 黒い器の文字が震える。



ちがう

でも

近い



「もう一度だ」


「モウイチドダ」


 ごん。


「ゴォン」



近い



「練習しろ」


「レンシュウシロ」


「真似るな!」


「マネルナ!」


「違う、音を真似ろ!」


「オトヲマネロ!」


 マネは楽しそうに跳ねた。


 非常に不安だ。


 だが、使える。


 黒市主のつなぎ目を暴くには、マネの音真似が必要になる。


 フィルエが言った。


「私が見る。マネが鳴らす。ロードが噛む」


「役割分担がはっきりしたな」


「うん」


「だが、フィルエ」


「何」


「マネにお前の声を覚えさせすぎるな」


「それは嫌」


 その瞬間、マネがフィルエの声で言った。


「それは嫌」


 フィルエが、今までで一番嫌そうな顔をした。


「もう覚えてる」


「……」


 少しだけ、空気が緩んだ。


 黒い器の中の文字も、少しだけ薄く揺れた。


 恐怖が和らいだようにも見える。


「残響核」


 余は黒い器へ向き直った。


「黒市主のつなぎ目を暴く方法は分かった。お前の望みは何だ」


 返事は遅かった。


 文字が何度も崩れ、ようやく形になる。



もどりたい



「どこへ」



ない

もうない

でも

くらいところ



 もう、戻る場所はない。


 小鐘泥廟はない。


 ロードもいない。


 迷宮も、たぶん残っていない。


 それでも、土、泥、鐘、暗いところを求めている。


 余はしばらく黙った。


 利用できる。


 この残響核は、黒市主の情報を持っている。


 今後も役に立つ。


 だから、雑に壊すべきではない。


 そう考えた。


 考えた、はずだった。


 だが、それだけではなかった。


 黒市主のように、死んだ迷宮を商品として扱うことが、どうにも腹立たしかった。


「管理音声」


《はい》


「残響核隔離室の中に、小さな泥床を作れるか」


《可能です》


「鐘は」


《音響模倣構造なら可能》


「暗くしろ」


《はい》


「外へ繋げるな。余のコアにも直接繋げるな。ただ、眠れる場所にしろ」


《ソウル消費:420》


「許可」


《現在保有ソウル:21,670》


 残響核隔離室の内部が変わった。


 黒い器の周囲に、小さな泥床。


 壁には、鳴らない鐘の影。


 天井は低く、光は弱く。


 それは本当に小さな場所だった。


 迷宮と呼ぶには狭すぎる。


 だが、剥がされ、売られ、繋がれた残響が眠るには、少しだけましな場所かもしれない。


 黒い器の中に、文字が浮かんだ。



ありがとう



「礼はいらん」


 余は言った。


「情報を寄越せ。それが対価だ」



うん



 フィルエが静かに笑った。


「やっぱり優しい」


「取引だ」


「うん。取引」


「そうだ」


 マネが余の声で言った。


「取引だ」


「お前は黙れ」


「オマエハダマレ」


 白い部屋に、また少しだけ間の抜けた空気が戻る。


 だが、問題は山積みだ。


 黒市主は余の名を知った。


 死んだ迷宮を着ている。


 弱点は、残響核同士のつなぎ目。


 音で暴ける可能性がある。


 マネを鍛える必要がある。


 迷子札まいごふだを闇市へ流す準備も進める。


 そして、残響核は黒市主の情報源にもなる。


《外部反応》


「何だ」


《闇市側から、墓銭札に対する逆追跡の痕跡》


「もう来たか」


《弱い反応です。黒市主ではなく、配下の術師と思われます》


「探らせろ」


《危険です》


「浅いところまでだ。残響核隔離室へは繋ぐな。偽の通路へ流せ」


《偽通路を形成します》


「名前は」


 余は少し考えた。


 黒市主は、余に値札を付けた。


 なら、こちらも値札を見せてやる。


 ただし、本物ではなく、偽物の値札を。


偽値札回廊にせねふだかいろう


《偽値札回廊、仮設定》


 白い部屋の床に、新しい細い回廊が浮かぶ。


 中身のない通路。


 価値のありそうな反応だけを並べた、偽物の道。


 闇市の逆追跡者が入ってきたら、そこへ誘い込む。


 見れば見るほど、価値がありそうに見える。


 だが、進めば進むほど、帰り道が分からなくなる。


「これでよい」


《闇市側の逆追跡を偽値札回廊へ誘導します》


「黒市主に伝えろ」


《何を》


「余に値札を付けるなら、まず偽物の値段で迷え、とな」


 フィルエが呟いた。


「喧嘩を売ってる」


「売られたからな」


 余は静かに笑った。


 怖い。


 黒市主は危険だ。


 死んだ迷宮を着る人間。


 余の名を知った人間。


 その奥には、もっと深い闇市がある。


 だが、ただ怯えるだけでは終わらない。


 SSSが消える世界だ。


 SSが一人に消される世界だ。


 Aランクになった余も、上から見れば餌かもしれない。


 だからこそ、喰われる前に喰う。


 奪われる前に、奪う。


 値札を付けられる前に、値札そのものを罠にする。


「黒市主」


 余は白い部屋の中央で告げた。


「余の名を呼んだこと、後悔させてやる」


 残響核隔離室の小さな鐘が、低く鳴った。


 ごん。


 それは、同意のように聞こえた

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