表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

141/171

第138話 名前に値札を付けるな

 名前を知られた。


 それは、思っていた以上に気味が悪かった。


 霧灰白庭迷宮むかいはくていめいきゅう


 その名は、ロード側では正式な名だ。


 ダンジョン新聞にも載る。


 管理音声もそう呼ぶ。


 余もそう認識している。


 だが、人間側はまだ知らなかった。


 人間どもは、灰白庭だの、白箱迷宮だの、銀刻帰らずだの、勝手な通称で呼んでいた。


 それでよかった。


 正式な名を知られないことは、薄い壁になる。


 名を知らぬ相手は、正確に呼べない。


 正確に呼べない相手は、正確に縛れない。


 だが、黒市主くろいちぬしは呼んだ。


 霧灰白庭迷宮、と。


 闇市の奥から。


 死んだ迷宮の核片かくへんを胸に埋めた人間が、余の名を呼んだ。


「管理音声」


《はい》


「名前を知られると、何が起きる」


《通常、人間側が迷宮の正式名称を知っても、即時の支配権侵害は発生しません》


「通常ではない場合は」


《名称を用いた契約、指名討伐、封印指定、取引指定、呪的索引じゅてきさくいんに利用される可能性があります》


「最後が嫌だな」


《はい》


 フィルエが森灰観測室しんかいかんそくしつから出ていた。


 まだ完全に万全ではない。


 だが、さっきからずっと白い部屋の床を見ている。


 床には、黒い破片の図が浮かんでいた。


 死迷宮核片小片しめいきゅうかくへんしょうへん


 黒市主から噛み取った、死んだ迷宮の欠片の構造記録。


 物体そのものは持ち帰れていない。


 だが、形は記録した。


 それだけでも、嫌な気配がする。


「ロード」


「何だ」


「あれ、ただの欠片じゃない」


「分かるのか」


「うん。死んでるけど、空っぽじゃない」


「どういう意味だ」


「死んだ迷宮の癖が残ってる。命令じゃなくて、癖。ずっと同じことをしてた場所の、腐った反射みたいなもの」


 フィルエは少し眉を寄せた。


「あれを体に埋める人間、普通じゃない」


「黒市主が普通でないことは見れば分かる」


「違う。強いとか、悪いとかじゃなくて……自分の中に、死んだ迷宮の癖を入れてる」


「癖を入れるとどうなる」


「たぶん、人間のまま、迷宮みたいなことが少しできる」


 白い部屋が静かになった。


 人間のまま、迷宮みたいなことができる。


 最悪に近い言葉だった。


 迷宮は、領域で戦う。


 罠で戦う。


 帰路を奪い、欲を誘い、魔物を動かす。


 人間は、身体で戦う。


 剣で戦う。


 魔法で戦う。


 その境目があるから、こちらは人間を喰える。


 だが、黒市主は、その境目を汚している。


 死んだ迷宮を着て、人間のまま、迷宮のようにこちらを見ている。


「管理音声。死核隔離室しかくかくりしつは」


《形成準備中》


「急げ」


《ソウル消費:1,200》


「許可」


《現在保有ソウル:26,390》


 白い部屋の奥、コア区画から少し離れた場所に、新しい小部屋が作られていく。


 白磁でもない。


 灰霧でもない。


 泥でもない。


 壁は厚い黒灰色。


 戻り水を通さず、影糸も直接つながない。


 白磁根で外側を囲み、その外をさらに泥で封じる。


 中には、何も置かない。


 ただ、中央に小さな台座。


 その上に、死迷宮核片小片の構造記録を封じるための黒い器を置く。


《死核隔離室、形成完了》


《隔離対象:死迷宮核片小片の構造記録》


《接続深度:最浅》


《警告:観測時、迷宮側への汚染反応に注意してください》


「観測しなければ、何も分からぬ」


《はい》


「観測する」


 黒い器の中に、死迷宮核片小片の構造が映し出された。


 小さな黒い破片。


 だが、その中は空洞だった。


 空洞の奥に、さらに細い通路がある。


 通路の奥に、古い鐘のような形。


 その周りに、腐った命令がこびりついている。


 進め。


 鳴れ。


 戻るな。


 沈め。


 捧げろ。


 誰の声でもない。


 ロードの意思でもない。


 だが、迷宮だったものの習性が、まだそこに残っていた。


「これは、どこの迷宮だ」


《一致情報なし》


黒鐘大廟こくしょうたいびょうか?」


《記事にあったSSランク迷宮とは反応が異なります》


「では、別の死んだ迷宮か」


《その可能性が高いです》


 フィルエが静かに言った。


「たぶん、黒市主は一つだけじゃない」


「複数埋めているか」


「うん。胸にあったのは中心だけ。腕や首にもあった。死んだ迷宮を、部品にしてる」


「……気分が悪いな」


「私も」


 その時、黒い器の中で、死迷宮核片が震えた。


 誰も触れていない。


 観測しているだけだ。


 なのに、破片の中の古い鐘が、小さく鳴った。


 ごん。


 白い部屋まで届くはずのない音が、余の中に響いた。


《警告》


「何だ」


《死核隔離室内で、外部応答》


「外部?」


 黒い器の中に、文字が浮かんだ。


 迷宮文字ではない。


 人間の文字でもない。


 だが、読めた。


 読めてしまった。



霧灰白庭迷宮

買値未定

生体迷宮器官あり

宝物庫機能確認

帰路捕食反応あり

契約存在、推定複数



 余は、白い部屋の床を叩きたくなった。


「値札を付けられている」


《外部闇市側の索引反応と推定》


「余の迷宮にか」


《はい》


「買値未定だと?」


《はい》


「ふざけるな」


 声が低くなった。


 自分でも分かるくらい、低くなった。


 フィルエがこちらを見た。


「ロード」


「余の迷宮に値札を付けたぞ、あの人間」


「怒っていい」


「怒っている」


 黒い器の中で、さらに文字が増える。



出品候補:

白箱系器官

灰霧採取物生成部

帰路捕食個体の痕跡

命脈契約線

古血反応、不確定



 余の思考が止まった。


 古血反応。


 不確定。


 不確定だが、見られかけている。


 ヴェルグレイヴ。


 夜棺白庭やかんはくてい


 あれを知られるのはまずい。


 絶対にまずい。


「管理音声」


《はい》


「夜棺白庭の遮断を最大」


《すでに高水準です》


「最大だと言っている」


《追加遮断にはソウル消費が発生します》


「いくらだ」


《2,400》


「許可」


《現在保有ソウル:23,990》


《夜棺白庭、秘匿強度上昇》


 白い部屋の奥で、夜棺白庭へ続く通路がさらに沈む。


 白磁根が重なり、影糸が外周を覆い、戻り水が内側循環だけに切り替わる。


 古血のヴァンパイア、ヴェルグレイヴの棺は静かなままだ。


 だが、ほんの一瞬。


 白磁の棺の蓋が、内側からこつりと鳴った。


 余は固まった。


「起きたか」


《ヴェルグレイヴ、状態:睡眠》


「今、鳴ったぞ」


《睡眠中の微反応です》


 フィルエが小さく言う。


「外が、あれの匂いを嗅いだから」


「起こすな」


「うん」


「絶対に起こすな」


「分かってる」


 黒い器の中の文字は、さらに増えようとしている。


 死迷宮核片を通じて、闇市の何かが、こちらを索引している。


 余の迷宮に値札を付け、売れる部品を探している。


 宝物庫。


 採取物生成部。


 帰路喰らい。


 命脈契約線。


 古血反応。


 どれも売るものではない。


 どれも余のものだ。


「この索引、切れるか」


《可能ですが、切断すると黒市主側に遮断反応が通知されます》


「もう気づかれているだろう」


《はい》


「なら切れ」


 フィルエが止めた。


「待って」


「なぜだ」


「切る前に、逆に書き込める」


「何を」


「値札を、嘘で塗れる」


 余はフィルエを見た。


 フィルエの目が、少し光っている。


「黒市主は、迷宮を商品として見てる。なら、商品情報を汚せばいい」


「具体的には」


「危険すぎる。すぐ腐る。持ち出すと爆ぜる。買い手を喰う。そういう情報を混ぜる」


 なるほど。


 闇市は、価値を見る。


 なら、価値を下げる情報を混ぜる。


 ただし、完全に価値がないと思わせてはいけない。


 価値がありすぎると群がる。


 危険すぎると上位の買い手が来る。


 なら、扱いにくい商品に見せる。


 高いが面倒。


 欲しいが危険。


 買い手を選ぶ。


 そういう品にする。


「やれ」


 フィルエが床に手をついた。


 森灰観測網が、死核隔離室へ細く伸びる。


 死迷宮核片の構造に直接触れないよう、灰を挟んで、情報の表面だけを撫でる。


「森灰術・値札汚し(ねふだよごし)」


 黒い器の中の文字が揺れた。


 その上に、新しい文字が重なる。



注意:

霧灰白庭迷宮の器官は高汚染

持ち出し後、自律捕食の危険あり

帰路捕食反応、所有者にも作用する可能性あり

命脈契約線、逆流危険

古血反応、不確定につき取引非推奨



「良い」


《外部索引に偽装警告を書き込みました》


「もっと嫌な文言を入れろ。買った者の倉庫が迷宮化する可能性あり、とか」


《事実ではありません》


「事実でなくてよい。闇市の連中が嫌がればよい」


 フィルエが少し笑った。


「じゃあ、こう」


 文字が追加される。



追記:

保管場所が霧化する事例あり

所有者の帰路認識を侵食する恐れあり

開封者が迷宮へ再誘導される危険あり



「最高だ」


《悪質です》


「相手が先に余へ値札を付けたのだ」


 死迷宮核片が震える。


 向こうがこちらの書き込みに気づいた。


 黒い器の中で、鐘の音が強くなる。


 ごん。


 ごん。


 ごん。


《外部索引側から反発》


「切れ」


《切断します》


 黒い器に白磁の蓋が降りた。


 影糸が巻きつく。


 泥が外側を固める。


 死核隔離室の扉が閉じる。


 鐘の音は、そこで途切れた。


 白い部屋に、静けさが戻る。


 だが、余の中の怒りは戻らない。


「黒市主」


 余はその名を呟いた。


「余を商品にする気か」


《敵対意思が高いと推定されます》


「なら敵だ」


《はい》


「だが、ただ殺すだけでは足りぬ」


 フィルエがこちらを見る。


「どうするの」


「闇市に、余の偽商品を流す」


「偽商品?」


「霧灰白庭迷宮の器官に見えるが、実際は墓銭札の塊。買った者を追い、倉庫を記録し、持ち主の帰路感覚を少しずつ狂わせる宝だ」


 フィルエは目を細めた。


「それ、闇市を迷宮の外部通路にする気?」


「そうだ」


 闇市は、迷宮の外にある。


 だが、そこに余の宝が流れれば、線ができる。


 欲の線。


 取引の線。


 所有の線。


 人間が宝を運び、売り、買い、隠すたび、余はその線を見る。


 完全な支配ではない。


 だが、迷宮の外に、細い外部通路を作ることはできるかもしれない。


「管理音声」


《はい》


「新しい報酬品を設計する」


《用途は》


「闇市汚染用」


《危険な用途です》


「名前は」


 少し考えた。


 闇市で売られる白い札。


 買った者に帰り道の違和感を植えるもの。


迷子札まいごふだ


《迷子札、仮登録》



迷子札まいごふだ


外観:

白銀磁片に似た薄い札。灰霧の縁取りあり。


表向きの価値:

帰路確認用の迷宮産護符。

低級帰還魔具の補助素材として利用可能に見える。


実際の効果:

所有者の帰路認識を微細に記録。

一定期間後、所有者が通った道、隠し場所、取引相手を迷宮側へ断片送信。

長期保有時、軽度の方向感覚異常を付与。


危険:

聖職者、専門鑑定士に発見される可能性あり。


推定生成コスト:1枚あたり80ソウル



「安いな」


《効果が軽度のためです》


「100枚作れ」


《ソウル消費:8,000》


「……高いな」


《数量が多いためです》


「では20枚」


《ソウル消費:1,600》


「許可」


《現在保有ソウル:22,390》


《迷子札、20枚生成》


 白い部屋の奥で、小さな札が生まれた。


 白銀磁片に似ている。


 だが、よく見ると縁に灰色の霧が巡っている。


 綺麗だ。


 安っぽくはない。


 闇市で売れる程度には価値がありそうだ。


「これをどう流す」


《墓銭拾い経由、または浅層報酬に混入可能》


「墓銭拾いだな。あいつらは闇市へ流す」


《墓銭札反応は弱化中です》


「では、墓銭拾いがまた来た時に持たせる」


 フィルエが言う。


「来ると思う?」


「来る」


「どうして」


「黒市主は、余の名を知った。こちらに値札を付けた。あの手の者は、一度見た商品を諦めない」


「うん。たぶん来る」


「なら、次はただ盗ませない」


 余は迷子札を見下ろした。


「盗んだつもりで、道を置いていけ」


 その時、死核隔離室の方で、また小さな音がした。


 今度は鐘ではない。


 爪で、黒い器の内側を引っかくような音。


 かり。


 かり。


 フィルエの顔色が変わる。


「ロード」


「何だ」


「死核、まだ何か残ってる」


「切断したはずだ」


「うん。でも、こっちに残った構造記録の中に……声がある」


「声?」


 死核隔離室の表示が、勝手に開く。


 黒い器の上に、一行だけ文字が浮かんだ。



たすけて



 余は、黙った。


 フィルエも、黙った。


 管理音声も、しばらく何も言わなかった。


 死んだ迷宮の欠片。


 売られ、埋め込まれ、使われていた核片。


 その奥に、まだ声が残っている。


 ロードなのか。


 眷属なのか。


 迷宮そのものの残響なのか。


 分からない。


 だが、確かにそこには、助けを求める文字があった。


「……管理音声」


《はい》


「死核隔離室の封を、さらに一段強くしろ」


《承知しました》


「ただし、消すな」


《理由は》


「まだ、使い道がある」


 フィルエが静かに言った。


「それだけ?」


 余は、すぐには答えなかった。


 しばらくして、言った。


「それだけではない」


 死んだ迷宮の声。


 助けて、と書いた何か。


 黒市主の胸に埋められていた欠片。


 余は、それを見捨てるほど冷たくはない。


 いや、違う。


 見捨てれば、黒市主に近づく手がかりを失う。


 だから残す。


 そういうことにしておく。


「黒市主は、死んだ迷宮を売り物にした」


 余は言った。


「なら、余はその死骸から話を聞く」


 白い部屋の奥で、死核隔離室がさらに閉じる。


 だが、黒い器の中の文字は、消えなかった。



たすけて



 それは、新しい宝よりも、ずっと重いものに見えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ